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クリエーターからの妨害に感謝せよ

受け取った質問:朝のレッスンの『ゾハール』の部分では、自分は何も理解してないと感じますが、それにも関わらず、その資料にあこがれとつながりを感じます。

しかしながら、夜のレッスンでは、自分に何をすればよいのか分かりません。その資料とのつながりが全く感じられません。日常問題の思いに押しつぶされて、レッスンに集中できないのです。どうすればその資料に集中することができますか?そのような状態のときに行うことのできる、即座な自動的な行為はありますか?

私の答え:妨害と格闘する自動的な行為とは、それを送っているクリエーターに感謝することです。結局のところ、“彼以外には誰もいない(There is none else beside Him)”のです。彼はあなたのためにこれらの妨害を造っています―彼はあなたの心と頭をコントロールしているのです。当然、彼はどんな時に何をあなたに送ればよいのか一番よく知っています。彼がこれらすべてのものをあなたに送るのは、あなたに日常の活動、問題、心配について考えずにはいられなくし、まさにあなたを困惑し、迷子にし、集中できなくし、注意をそらさせるためです。

何故でしょうか? もしあなたが、困惑、多くの問題、妨害、これらすべてがある中で、すべての力の集め、テキストの小さな断片でさえ、たったわずかな瞬間でも捕らえてつながることができたなら、その中にあなたの報酬があるからです。一方、もしあなたが明晰な頭でレッスンに出席し、まるで自分が事実上スピリチュアルワールドのなかに高く舞い上がっているかのように感じているとしても、あなたはまったく正しい場所に居ないかもしれません。実際、あなたの努力とは、あなたの小さな“ヘビ(利己的な願望)”があるにもかかわらず、スピリチュアルワールドに少しでもつながろうと試みることにあるのです。これがまさにあなたに必要なことです。

その後、突然、大いなる啓示が起こるでしょう。まさに苦難および立ち去ること(departures)からクリエーターの啓示に到達するのです。“トーラーはシオン(光が立ち去ること)から出現するだろう”と記されているように。

したがって、もしあなたの頭が働いてない、又は機嫌が悪いなら、レッスンに来て『ゾハール』を聞いても無駄だとは思わないで下さい。その考えは完全に間違っています―あたなの頭の明晰さ又は心理状態は重要ではありません。もしあなたが疲れ果てていて、困惑し、つながりが感じられなく、本当に苦労しながらもなお、資料とできる限りつながろうと努力をしているなら、たとえそれが瞬間的な小さなつながりであったとしても、あなたは自己の大きなインスピレーション状態の時よりさらに多くを手に入れます。この理由は、インスピレーションは上層から与えられ、それはあなたをただ風船のように膨らますだけだからです。一方、本当の利益とは、妨害にもかかわらず一生懸命に努力することから生まれます。


カバラの光の中の教育


受け取った質問:カバラの科学の原理に基づく学校を開校する時ではないでしょうか?

私の答え:もちろん、カバラの科学の原理に基づく教育システムを創設することは必要です。一般科目でさえカバラの光のなかで教えることができます。物理、化学、数学、そしてその他すべての科目は、私達の世界の研究結果に基づく現在の状態で単純に教えるのではなく、この世界とその法則を創造した上層の力のこの世界への下降の説明としても教えることができます。

カバラの科学の原理はどのように上層の根源からすべてが生じたことを明らかにする手助けになります。生物学を用いれば、すべてのものが楽しみを欲する願望から発生したことと、物質が無生物レベル、植物レベル、動物レベル、そして人間レベルのプログラムにしたがって進化することが説明できます。物理学を用いれば、元素の粒子と固体の法則のなかで示される願望について勉強できます。天文学と地理学を用いれば、なぜ天文学の体系のすべて(つまり太陽系、地球、等々)が形成されたのかが説明できます。人間の歴史のすべては、人間の原始の願望の発達から、その利己的な発達を経て、その将来的な是正に至るまでのことで説明できます。カバラの科学は私達の世界の見解の全側面に基礎を与えます。

力をもたらす意図


カバラの科学は広範囲にわたって意図について論じます:何について考えるべきか、何を切望すべきか、そして何を欲するべきかということです。しかし、実際の目的は私達の根源の破壊の是正です。私達の根源をいくつもの部分または魂に分断させた破壊の是正です。よって、魂を一つにすることがその是正になるのです。これが最も重要な意図であり、私達の行為のすべてはこの意図をもって行われるべきなのです。

この意図を持てば、私達の現実に対する知覚は変化し、それとともに、人生、この世界、スピリチュアルな世界、クリエーター、私達自身、そして私達を取り囲んでいる物(環境)、に対する私達の態度も変わります。一番重要なことは、私達の間のつながりを正しいものにしながら、お互いとつながって一つになりたいと望み、それを拒絶と憎しみから統一と愛に変えることです。そうすれば、このつながりの中でクリエーターが明かされるでしょう。

これは『ゾハールの書』を勉強している時の中心的な意図でもあるべきです。なぜなら、それは私達に力を与え、この力で私達は私達の中の破壊を本当に正すことができるからです。

ゾーハルの全単語から是正を絞り出す


『ゾーハル』“Bamidbar(荒野の中で)”章36節:・・・南はHesedであり、東へとしっかりつかみ、枝とその根のようにそれに依存している。これがそうである理由は隠されたDaatが太陽の始まりであり、その本質は“太陽”と東と呼ばれるTifferetであるからだ。しかし、Yod-Heyへの上昇をもてばそれはDaatになる。上層のAVIのなかのDaatの始まりのなかに、Hesedの開示のための根が造られ、それにより上層のAVIが交わりHesed(愛と慈悲)を引き出す。

私達は是正と救済策を『ゾーハル』のすべての単語から絞り出さなくてはなりません。光は私達の特性をその根源に従って変化させます。これが『ゾハールの書』を読むときの私達の姿勢であるべきなのです。一方、私達は、読んでいる内容をさらに明瞭に理解する努力が必要です。すべてのものは最初のハヴァヤー(HaVaYaH – ヘブライ語のアルファベットでYod-Hey-Vav-Heyと書く)から始まるのです。基本的な構造は直射する光(the Direct Light)の4つの段階(フェーズ)と、これらの段階で着飾るすべてのものです:4つの文字、3本の線、そしてそれらから受け取りをするMalchut。すべてのものはこの関係性から発生しているのです。

まず第一に、私達は『ゾーハル』のすべての単語が香油や塗り薬のように私達のなかに染み込むよう、私達自身の中にある破壊が是正されることを切望しなければなりません。結局のところ、トーラーは願望の“調味料”として、その是正のための救済策として造られたのです。私がそれを明らかにするためにその文章とのつながりを求めるとき、それは開かれて統一体として私に結合します。

スピリチュアルな平等


私達の世界には、世界がどう機能しているのか全く知らない人が大勢います。彼らは、社会システムや行政機関の構造、自然法則、惑星が太陽の周囲を軌道を描いて回っていること、そして人々の間にある様々なつながりについて知りません。人々は、日ごとに暮らすために必要なことだけを知り、世界がどのように機能しているのかもっと知りたいという情熱を持つこともなく、非常にシンプルな人世を送ることができます。対照的に、私達の世界には大きな興味を持ち、多くを知りたいと思っている人々もいます。そして彼らは世界に影響を及ぼしている様々なシステムについて研究します。

スピリチュアルな生活についても同じことがいえます。スピリチュアルな知覚を獲得する全ての人々がスピリチュアリティーについて深く研究しようと努力するわけではありません。彼らは魂のルーツによって生まれつき制限されていて、そのレベル以上のことを要求しません。言い換えると、それがその働きをそれの意図された場所で成し遂げれば、それ以上は必要なことがないということです。

魂のルーツは、スピリチュアルワールドを研究することになっている他の人々から、より多くを要求します。これらの人々はカバリストたちです。私達の世界を研究する科学者と同じように、カバリストたちはスピリチュアルワールドの体系全部を詳細に研究します。カバリストたちはスピリチュアルな達成と知覚を完全なものにしにくることになっているのです。これは彼らの魂のルーツに基づくもので、それがカバリストたちにすべての人を彼らの中に包含させ、彼らの魂を是正するために、統合と分析を通じてスピリチュアルワールドの中の細部のすべてを詳細に調べさせるのです。人は、その人の魂が是正を要求する程度に一致する総合的な現実を知覚します。

また、人は、その人が自分自身を是正した程度によって裁かれもします。もし人の是正が100%であるなら、その人は偉大なカバリストたちと同等であり、彼らの全てのことにおいて等しいのです。スピリチュアリティーのなかには、人の重要性で人々を分けるものはありません。問題とされることは、その人に要求されているすべてのことを成し遂げたかということです。

スピリチュアリティーとは授与(与えること)の世界です。そこへのアプローチの仕方は私達が普段なれているものとは少し違います人はスピリチュアリティーの中に入り、振り返ると、自分のしたことが何もなかったことに気がつきます! かつて争って手に入れたもの、またはその人が行ったことなどで、残るものは何もありません。よって、人は純粋な授与によって囲まれることになるのです。

我々の是正を通じて世界に影響を及ぼす


受け取った質問:ゾハール集会2010の後に、私は人々を助けたいと思うようになりました。これに関してできることを私が最大限にやっているのか、どうやって自分を確かめることができますか?

私の答え:究極的な援助とは、人が自分の存在している全時間において自分と世界の是正について考えようと試みているときです。

結局のところ、破壊は最初に世界で起き、そのあとに共通の魂のなかで起こりました。そして今や壊れた魂が壊れた世界の中に存在しています。是正(修繕・修復)はカバラの方法によってでしか可能ではありません。それは上層の光を寄せ付け、私達の行動にたいする意図を利己的なものから利他的(愛他的)なものに変化させます。全宇宙を創造した同じ力、同じ光りには、私達に影響を及ぼしてすべてのものを正す必要があるのです。

したがって、完全な救済に到達するまで、私達はカバラの科学の普及活動によってでしか他者を助けることはできません。しかし、世界の是正が依然として必要な間は、世界に是正をもたらそうとする努力が必要です。ゾハール集会の間に私達は私達の相互的合一から大きな力を受け取りました。なぜなら、私達は一緒により良い理解と感覚に到達したからです。

そして今や私達は自分たちと全世界に対する総体的な是正のために、非常に大きな活動を行わなくてはなりません。前進が許されたことはまさにこの目的のためであり、それ以外の理由ではありません。もし私達に私達の是正を通して世界に影響を及ぼすことができなかったとしたら、誰も私達が受け取ったもの―この集会に参加する機会、何かにたいする理解または感覚―を受け取ることはなかったでしょう。

夜明けをもたらすもの


『ゾハール』Ve’Eleh Toldot Itzhak(これらはイサクの世代たちだ)章165節:Sitra Achraの支配は夜にしかないことから、エサウの統治は亡命の間だけである、それは夜、我々にとって夜と同じように暗いということを意味する。これが何故天使がヤコブと戦い、夜に彼と争ったのかということの理由だ、そして朝がきたとき天使の力は衰え、彼は彼に勝つことができなかった。そしてそれからすぐにヤコブは圧倒した、なぜならヤコブの支配は日中であるからだ。

私達は日中のHochmaの光の存在が夜明けをもたらすと思っています。しかしそうではありません。正確に言うと、日中にはHassadimの光が存在していて、したがってHochmaの光が啓示されるのです。夜の場合、Hochmaの光はHassadimの光に覆われずに輝いています。一方、日中の場合、それはHassadimの光に覆われて輝いています。日中とはHassadimの付加であり、だから光があるのです。夜にはHassadimは存在しません、よって闇があるのです。Hassadimの光はHochmaの光の存在を出現させるのです。

治癒のプロセスのかぎは忍耐である


私達の利己的な願望を克服させる上層の光は、常に私達に影響を及ぼしています。しかし、そのうち私達は自分たちの力でその願望の外への脱出を続けなくてはならなくなります。光が私達を上昇させるとき、私達はそれをエジプトからの脱出のように感じます。しかし、もしエジプト(利己的な願望)が自分たちの中にあり、それが私達の真の性質であるとしたら、私達は本当にエジプトから脱出できるのでしょうか?

これは私達に疑問を投げかけます:私達が砂漠のなかにいるということの意味とは何なのか? それはエジプトが自分に戻ってきて、私がその全部分から外へと脱出しなくてはならないときのことです。これが砂漠の中での40年間の旅のことです。それは私が順次的に自分の願望を大きくさせて、それを認識するときのことです。1つそしてまた1つと順次的に臓器が発達する人間の胎児のように。最初の一部が発達し、そのあとにもう1つの部分がというように、発達は次から次へと一つの方向へと向かいます。様々な障害と問題を克服しながら。魂の成長プロセスは、母親の子宮のなかの胎児の成長プロセスに似ています。

私達は『ゾハールの書』があるという事実に感謝しなくてはなりません。なぜなら、それは毎日のように私達を変化させてくれる救済手段であるからです。しかし、私達はこの手段がフルに作用しだすまで、その結果を感じないでしょう。それは、数週間後になってやっと気分がよくなるような、毎日摂取しなければならない病人に処方された薬のように徐々に作用するのです。

 

エゴイズムがそれ自体の苦しみを引き起こしている


クリエーターが苦しみを送ることはありません。上層の光に似ていない願望が私の中で目覚め、私はこの相違(似ていないこと)を、健康、お金、名誉、権力、安心、配偶者、子供、そして世界全体に関する苦しみとして感じます。私は圧力と困苦と様々な問題を感じます。

誰に、または、何に責任があるのでしょうか? 光と反対である自分の願望にあるのです。それは苦しみの感覚を私の中で生じさせます。この感覚は光から送られてきているのではないのです。光は完全な静止状態(不変状態)にありますそれは善であり、悪人と高潔な人の両方に善をもたらします。光と似ていないのは自分です。自分の特質が光と異なっているのです。

例えば、もし私の中で10kgの願望が目覚めたとしたら、私は光とその10kg分同等にならなくてはなりません。つまり私は与えるためという意図をその願望の上に築かなくてはならないのです。そうすれば、私は自分の小さな無限世界の中に自分自身を見つけるでしょう。その後、願望は12kgに増大し、私は与えるための意図をさらに2kg分是正しなくてはならなくなります。そうすれば私は自分自身をもっと大きな無限世界で見つけることになります。このように是正プロセスは行われていきます。

私の利己的な願望は毎日大きくなっています。しかし、もしも私がその大きくなった願望を、他者とつなげ共通の魂の他の部分と一緒にクリエーターに与えようとするのではなく、ただ自分の利益のために他者を搾取することにもっと使いたいと思うのなら、私はその願望のなかに苦しみを感じます。エゴイズムはそれを包んでいる光に対する自分の反対状態に苦しむのです。私達は自ら自分たちに苦しみを生じさせているのです—それはクリエーターではありません。彼は完璧なので変わることができません。

今私は光の海に浸かっています。しかし、もし私が彼に類似しようと努力しないなら、私は今自分に明かされている考えと願望の程度にしたがって気分が悪くなります。そして明日は今日よりもさらにもっと気分が悪くなるでしょう。

自分を光に似させることをすべての瞬間において試みてください。光とは授与(与えること)および他者への愛ですそれは総結合状態です。私的な願望と個人の魂のすべては一つになり、この一つの大きな願望が光に類似するようになります。

どうやって私はこれを達成できるのでしょうか?どうやって私はこの過程の中で援助することができるのでしょうか? そのことについて考えはじめればよいのです。そうすればあなたの苦しみは解消されるでしょう。突然あなたは、光を切望していた自分の願望が本当に光に似ていることに気づくでしょう。あなたはこの点において、自分自身が光、クリエーターになったと感じるでしょう。あなたにはそのための方法と手段のすべてがあるのです。

スピリチュアリティーは中間の線である


中間の線はありません、それは自然のなかに存在していません。クリエーターは単に、クリーチャー(創造物・被造物)が自分の力で二つの線の体系を駆使し中間の線を築くことによって魂が造れるよう、全ての条件を用意しただけです。したがって、二つの線から築かれる中間の線とは、完全に新しいものなのです。

私達は明闇や善悪の漸次的移行(グラデーション)がそれら二つの線の感覚を通じて私達のなかに生じることを理解しています。しかし、スピリチュアリティーは右の線でも左の線でもありません。スピリチュアリティーとは、私達が二つの線とそれを満たす光から造りだす中間の線、認知を可能にする臓器(Kli・器)です。それは前には存在していなかったものです。私達は二つの力からそれを造ることに成功します。