Entries in the '' Category

瞬間を永遠に持続させる

クリエーターの目的とは、人間を彼のレベルにまで引き上げることです。これは何を意味しているのでしょうか? 私達はクリエーターが創造した楽しむ意志の内側で人生を知覚します。この特質はクリエーターの外側で存在する唯一のものであり、これは私達が常に充足における欠乏を感じる理由です。私達には常に何かが欠如しており、いつも喜びを切望しています。しかし、楽しむ意志に舞い降りる光は、すぐに消えて無くなってしまいます。光は願望を“無効”にし、願望は充足を感じないのです。

したがって、私達が喜びに対する願望の中で人生を知覚するという理由から、人生は全てが消えてしまう一時的ではかないものとして知覚されます。すべての瞬間は留まることも次の瞬間によって補充されることもなく、過ぎ去って消えてしまいます。一方には願望があり、他方には喜びがあります。そして、その二つが出会うとき、たとえ喜びが最少量であったとしても、それらは中和してしまうのです。

この理由から、私達の全人生は、願望(Kli)と光の間で起こる、すぐに消えてしまう、これら小さな点の出会いから造られているのです。そしてこれは私達の人生が終わるまで続きます。例えば、願望の割当て量があると仮定してみてください。楽しむ意志における数百万の小さな割当ては、一つずつ明かされていきます。これらの各割当ての反対側には、その割当てに充足をもたらす光があります。そして、それらは出会い、消えてしまいます。あなたの割当て量を使い果たしてしまえば、あなたの人生は終わりを迎えます。あなたの全存在もそれと一緒に消えてしまうのです。

しかし、もし願望と光の間で起こるこれらの出会いの行程の間に、光と願望がお互いを“捕まえ”、一緒に存続する状態を達成したとすれば、あなたは願望の中で光を永遠で終わりのない生命として知覚しはじめます。その理由は、前の瞬間もあなたと一緒に留まるからです。その時あなたは時間の感覚を超越します。あなたは瞬間を停止させて永遠の存在を獲得するのです! これは永遠で完璧であるスピリチュアルライフの特許の全部です。これはカバラの知恵を応用することで達成できるものなのです。

スピリチュアル的誕生の方法

どうすれば永遠性と完璧さを達成することができるのでしょうか? それは唯一、形態(形状)の同等性(等価)の法則に従うことで実現できます。もし光と願望が互いに反対であるのなら、光は願望を相殺します。しかしもしそれらが同等であるのなら、それらはお互いをサポートし合います。その場合、私達はそれらの存在を感じ取ります。この感覚が永遠の命と呼ばれるものです。カバラはまさにこの目的のために使われるよう意図されたものです。

この状態—クリエーターのように、永遠に生き、真の現実を知覚する能力—に到達するために、私達は是正のプロセスを全部済ませなくてはなりません。全ての是正は、楽しむ意志を光の特質に類似させるために上層から下降してきます。それにより私達は形態の同等性の法則に従うのです。

これは是正のすべてを成しています。私達は、クリエーターとの反対状態—私達が最初に創造された状態—でいるのか、それとも彼との同等性を徐々に獲得しているかのどちらかです。私達は光と願望の一体化がなされてない間に、自分たちの是正をします。そしてそれらが一体化した瞬間に、私達はスピリチュアリティーのなかに誕生します。

この是正方法をカバラの科学と呼びます(ヘブライ語でカバラとは“受け取り・受け入れ”-receptionを意味します)。それは光が消滅しないよう如何に光を願望のなかに受け入れるのかということを題材にする科学です。そうすれが私達は真で永遠(無限)の現実を感じ取ることができます。これは実際にはとても崇高な叡智であり、簡単ではありません。

私達はこれを起こす方法を本当には理解していません。しかし、それを起こさせることは、まさに私達の最も内面的な願望であり、私達はそのことにさえ気づいていません。これは私達の生きている理由であり、私達が常に無意識に探しているものです。

私達が最初に光との接触を達成し、それゆえ光が私達の中に留まり、私達の願望の中で光を知覚するときの段階—つまり光が私達の内側にあり、それと離れることがないという理由から、永遠の命を知覚するときの段階—がスピリチュアル的誕生(霊的誕生)です。それはエジプトからの脱出とも呼ばれています。

それより前に私達は、エジプトでの異郷生活(Egyptian exile )、スピリチュアル的誕生のための準備と償いの状態に留まらなくてはなりません。これは、なぜ私達が、全世代のカバリストが私達のために用意した様々な手段の助けを借りて、可能な限り早くエジプトからの脱出をするために、エジプト捕囚で経験しなくてはならない様々な段階に多大な注意を払うのかということの理由です。


心地よい近道を選択する

今日、過度に膨張した人類のエゴイズムは、私達に思いやりのある愛他的な人の夢を見ることさえも許さないまでになりました。以前には、そのような思いやりのある人々を教育して育成できるという希望はまだありましたが、20世紀はこれらの夢に終止符を打ちました。現在私達は、愛他的に行動する能力が単純に人間には備わっていないことを理解しています。これは大いなる気づきです。なぜなら、それは既に私達が自分たちの邪悪さを認めていることを意味しているからです。

しかし、今や私達は問題に直面しています:もし私達がより愛他的(利他的)にならないとしたら、この世で人間が生存し続けることは可能なのか? 現在私達は自分たちが共通の世界システム—すべての人がお互いに関係し合っている“世界村”—の中にいることを実感しつつあります。そのような相互的なつながりのなかで、愛他的にならなくても、私達は生き延びられるのでしょうか?

現在の様な生き方がもうすぐできなくなることは明白です。私達の仲は引き裂かれています。人類が生き延びるには、私達はお互いに与え合って“一心一体”のようにならなくてはいけません。しかし歴史を見てきても分かるように、私達の力だけでこれを達成することはできません—それは単純に不可能なのです!

しかし、私達は第三の力—これを達成させるクリエーター—が存在することを明らかにすることができます。私達はひどい苦難—“人々の間に和平を確立する”クリエーターの必要性を余儀なくさせる戦争や世界的流行病—を通じて、この啓示と解明に至ることができます。しかし、この自然的進化の道はとても長く、困難なものです。

それに代わる道はあります。もし私達がカバラの科学を学ぶなら、もし私達が経験する必要のある状態と、示す必要のある決心を理解するなら、そしてもし私達がこの知識を世界中に広めて上層の光を引き寄せるなら、光は私達を是正するでしょう。それは私達に、人間性を通じ自分たちの力だけで達成することのできない、授与(与えること)の特質を与えます。この代替手段は、心地よい近道を通り、“時間を早めること”で私達を是正に至らせるのです。