Entries in the '' Category

欲求の世界を旅する

質問:日中、私がグループとレッスンから外の世界へと出て行く時、包む光(Ohr Makif)にすがり続ける事は可能ですか?

答え:全ての物理的分野の法則では、(光、又は他の刺激の)強度は源からの距離の二乗の比例で減少していくとされています。あなたが源から2倍離れると、強度は4倍減少するのです。しかし、もしあなたが2倍近づけば、強度は4倍増大するのです。

霊的世界に光の源はありません。何故なら光が全宇宙を満たしているからです。その為、あなたが何処にいようと、その影響は同じです。あなたはレッスンから抜け、外の世界に出て行くと思っています。しかし実際、空間的な変化はあなたの中で起こっているのです。あなたが欲求から欲求へと行くのです。全ての“場所”とはあなたの欲求です。あなたは自分自身の中を進んでいるのです。

その為、全てはあなたがどれだけ欲求の中で光を呼び起こすかによります。光はそれらの中に均等かつ完全にあります。あなたが何処にいても – 街路に出ていようがグループ内でのレッスンにいようが問題ではありません。私は物理的にグループの中にいても、思考の中でずっと離れているかもしれません。自分自身の光との繋がりの度合いは意図のみにかかっています:自分がどれだけそれと繫がりたいのかということに。

From the talk on the Light that Reforms 9/8/10

ワンネスの125段階

私達はどうすればお互いと結束し合うことが出来るのでしょうか?それは人が自分の欲求を持ちながら友人の中で存在し、[同時に]その人の中にその友人が存在する場合に限り可能なのです。皆が他人の欲求を吸収し、それに取り組まなければなりません。そうする事により彼らは結ばれるのです。彼らの欲求は同じ目標に向っている為、彼らの相互的な作業により、前進する為の共同的な力を作るのです。この力は彼らの向上を保証し、それはArvut(相互責任・相互保証)と呼ばれます。

結束は、私があなたの欲求の一部を授かり、それを私のものとして経験し、私の欲求の全てがそれを満たす為に仕える時に起こります。更に、あなたの欲求は目標に辿り着くことである為、私はあなたをそれに導き、同時にあなたが私を導くことになります。このように私達の欲求は共通の目標の中で結束するのです。このゆえに「あなたの欲求を彼のものにせよ、そうすれば彼はあなたの欲求を彼のものにする。」と書かれているのです。

これが私達の繋がりの度合いを確かめる為の基準です。私達の間の隔たりは125の度合い(階段)、私の利己的な欲求の125の部分に達しています。しかし徐々に、それを「あなたの為」の行為を通じて是正して行くにつれ、私は授与の為の作業の中であなたに近づくのです。

これが「自分を愛するように他人を愛す」と呼ばれるものです。言い換えれば、私はあなたの欲求を使用し、それの前で私の欲求を無効にするのです。そうする事により私は自分の欲求を是正します。私の欲求は残存しますが、あなたに辿り着く為にこれほどの距離を行ったので、私は自分の欲求を授与的なものにしたのです。何も変わってはいません;私は単に意図を追加しただけです。そして、私達の間の距離は消えたのです。私が自分の意図によりそれを一掃した為です!

そして、この「他人」は何が欲しいのでしょう?彼はあなたと全く同じようにクリエーターとの結合を達成したいのです。なので、あなたが彼に手伝うべき事は一つしかありません:クリエーターと一つになる事です(あなたと一緒に)。このたった一つの意図が私達皆を一つに結合するのです。

このゆえに、私達は皆一つのボートに乗っていて、それは一つの方向に向かう、と言うのです。私があなたに近づくほど、私はクリエーターに近づくのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/3/10, Shamati #50

新しい要求の為の新しい充足

現代の人はこの世界の全ての快適さを得ていますが、私達は依然として満足していません-実際、以前よりももっとそうです。過去では、もし人が毎日、ひと塊のパンを得たなら、彼はそれ以上何も夢見ることができませんでした。それに比べ、現代の人が必要とするあらゆる物を見てください。けれども、その人は満足しているでしょうか?いいえ!そして誰もが皆尋ねているのです:何故だと。

充足は通常の人間のレベルでは見つかりません。そして私達が得るあらゆる新しいおもちゃはその助けになりません。私達は“物”で自分たち自身を酔わせたいのですが、私達の中で湧き上がる虚無感(むなしさ)は全く異なる場所から来るのです-それは私達のクリエーターとの類似の欠落からくる欠乏です。その為、私達はクリエーターを感じること以外でしかそれを充足することが出来ないのです!

この虚無感は徐々に私達の中で形成されていき、“爆発”する為に特定の度合いまで蓄積されていきます。その時になって人は、もはやその虚無感を抑える事が出来ないと悟るのです。彼はそれを満たさなければなりません。さもなければ彼の人生は死よりも悪いと思われるからです。この欲求の充足をこの世界で見つけることは不可能です。何故ならそれは上層世界、クリエーターを明らかにする欲求であるからです!

それにもかかわらず、身体の防衛力は私達に、自分たち自身を惑わす方法を探すように強いてきます。人々は麻薬、酒を使用したり、または中身のない流行の物や旅行で人生を満たします。このようにして、まるでダチョウのように、私達は問題から逃れる為に頭を砂の中に隠すのです。

私達のエゴの防衛力はこのように働き、それ自身にそれが満たされていると証明し、決して満たされることのできない虚無感を包み隠すことを望んでいるのです。なぜ決して得る事の出来ないものに対し考えを巡らせ、自分達の人生を台無しにする必要があるのだと言わんばかりに。

しかし、これは長く続きません!今のところ、私達は“人間”レベルでの欲求不満を感じるのを避ける為に“動物的”レベルにおいて自分達を惑わすことが出来ています。しかし、その覆い隠しが破裂することは避けられません。

歴史の異なる時期において同様の状態が革命、戦争、そして劇的で悲劇的な解決策をもたらしました。私達の場合において、解決策がそのように残酷にならない事を願いましょう。私達の場合、私達の世界のレベル、“動物”の段階から、上層世界のレベル、アダム、又はクリエーターのレベルへと上昇しなければならないのです。これは私達の力の範囲外であり、人類はそれ自体の無力さに気を狂わせ始めているのです。

私達の利己的なレベルでは、革命、戦争、新しい政体、又は宗教、そして本の印刷、蒸気エンジン、インターネットなど、一段階から次へと新たなテクノロジーによって上昇する事が可能でした。この全ては一定の期間充足を与えましたが、今エゴイズムはそれ自身を消耗し切っており、クリエーターを明らかにする欲求はまさに霊的な充足を要求しているのです。私達は新しい内なる欲求を明らかにしています:それは私達をコントロールする「者」を明らかにすることです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 9/2/10, “Introduction to the Book, Panim Meirot uMasbirot