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友情の年

新聞記事BBC Newsから):「日本語の「Kizuna(絆)」という単語は、人と人との結びつき、またはつながりを意味し、日本の2011年の漢字に選ばれました。

漢字または中国の象形文字である「絆」は、その年の世相を表す漢字として公募により最も多い票を獲得しました。

日本にとって2011年は、3月に起きた地震と津波の話題で持ち切りでした。その大災害は結果として、助け合う日本人の数を過去に類をみない程にまで至らしめました。

4月に当時の菅直人首相は『Kizuna – the Bonds of Friendship』というタイトルの手紙で世界の援助に対して感謝の意を述べました。」

マヤの暦の宿命的な日付まで

新聞記事News Junkie Postから):“様々な悲観的な予言や、あるいは黙示録(Apocalypse)でさえもが2012年に関連づけられています。 黙示録(語源はギリシャ語の「ベールを取り払うこと」または「啓示」)は、すべての終わりとしてよく誤って見なされますが、もちろんその語源そのものがこの考えを否定しています。 強烈な啓示としての黙示録は、全世界の決定的な時であり未知の領域への大飛躍です。 人類の歴史におけるこの特別な段階に世界全体がすでに入ったように思えます。

“マヤ人は2012年12月21日の宿命的な日付を「世界の終わり」と見なしませんでした。しかしそれどころか、彼らはそれを一つの世界時代からもう一つの世界時代への移行の時期であると考えました。 マヤ人の中心的メッセージは、我々の選択能力に関わることでした。それは我々が勇敢にこの新しい未来を受け入れるのか、または過去にしがみつき、起こりうる恐ろしい結果に直面するのかという選択です。 マヤ人によると、この移行が混乱と暴力的な激変で起こるのか、それとも平和と静穏で起こるのかは、このパラダイム・シフトに対する我々の抵抗または受け入れによって決まるということです。

“「マヤの暦の終わりが意識の変化をもたらすという直観が多くの人にあります。 それでも、何がそのような変化の根源であるのか、それがどのように起きて、その性質がどのようなものなのかは、はっきり述べられることも説明されることもめったにありません。」とCarl Johan Callemanが2010年3月に書きました。

“「最初は、コンシャス・コンバージェンス(意識の一点への集合:一体意識)のための呼びかけを広めるイニシアチブを取る人々の要求が、世界中で強まるでしょう。」とCallemanは書きました。

“意識の変化またはコンシャス・コンバージェンスとCallemanが説明するパラダイム・シフトは、どちらもすでに起こりつつあります。 歴史の列車は「駅を出ました」。そして実のところ、それは超特急列車なのです。 この世界的な人類の歴史のパラダイム・シフトは、アラブ世界で2011年の春に始まりました。 … しかし、アラブ革命の一連の出来事は、マヤの予言や他の水晶玉のどちらにも言及することなく、非常に予想出来るものでした。

“アラブの春以来、「占拠」運動(Occupy Movement)は注目に値する適応性と回復力を示し、今やそれはウイルスのように広まっています。それは 西ヨーロッパのギリシャ、イギリス、スペイン、イタリア、フランス、そしてドイツに広まりました。 しかし、さらに重要なことに、それは帝国主義の砦である米国でも今や侮れない力なのです。 「占拠」運動が米国で多大な牽引力を得ている主な理由は、米国勢調査局の新しいデータによるところ、アメリカ人のほぼ2人に1人が貧困に陥ったか、低い収入で苦労しているということにあります。

“「占拠」パラダイム・シフトは、超自然的な「起こるべくして起こった」勢力や奇妙な占星術的現象ではなく、公正さ、平等、そして社会的正義などの飾り気のない原理に基づく平凡な運動です。それは世界人口の99%の人々が資源を制御して自身の事柄を管理すべきであり、世界人口の1%の人々に我々をどん底へと楽しげに連れて行くといった容認できないやり方で世界を運営させるべきではないという信念に基づく運動です。

“金融界における暴君や独裁者や寡頭政治の支配者や「超空の覇者」は、99パーセントに通告されました。 彼らが抵抗するならば、ゆくゆくは「占拠」運動の津波が彼らを打倒するか、彼らの権力と豊富を完全に剥奪するでしょう。 それは時間の問題であり、結局のところ、マヤの暦の終わりまでに一年間しか残っていません。世界占拠運動(Global Occupy movement)がおそらく一番の頼みの綱です。それは99パーセントとしてではなく人間として、固く決心して我々の方向を変え、「食うか食われるか」の文明がはびこることのない世界を奨励することです。 公正さ、正義、そして世界人権宣言の尊敬に基づく生活様式です。”

村落生活に戻ることで危機から救われることはない

ニュースより(Newsland.ruの記事から):約百人からなるある集団が危機を乗り越える為にコミュニティー(村落共同体)を結成した。「私達は完全に自給自足しています!」とそのコミュニティーのメンバーが誇らしげに言います。「私達は自分達の家畜を飼育し、パンを焼き、自分達の食料を生産しています。クッキーでさえもです。私達は危機を気にしていません!」そのコミュニティーのメンバーにはお金の必要がない。そこには彼らが所有する学校と幼稚園もある。彼らは完全に自給自足の生活を営んでいる。

 私のコメント:彼らはあまりにも子供じみています。自然に近いかたちになって危機を乗り越えるほうがより簡単ということは誰から見ても明白なことですが、この傾向は実際には私達をグローバリゼーションに至らした自然に反することです。私達には私達を進化させる自然の力を見ることはできません。よって私達は、自然に対して、無生物、植物、動物といった自然環境における段階を関連づけます。自然には目的があり、それが私達を定められたゴールに向かわせているということを拒否しながら。

 保護主義になり社会から離れる傾向は、非社会的および非グローバルなことです。それが1つの国の中または全世界で起こっていることに関係なく、そのような傾向は社会の繋がり(結束)を弱めさせます。それは自然の摂理に反することであるという理由から、それが成功することはありません!

完璧な世界のなかで暮らすことはどんな感じ?

今から一秒後に経済で何が起こるか誰にも分かりません。専門家は最も複雑なモデルをつくり、過去の経験を基に将来を予測しようと試みます。しかし、最も正確な統計でさえ、私達にのしかかる将来の不確実さの小さな慰めにしかなりません。「世界市場が不確実である限り、私達は将来には賭けないほうがよい」といった示唆で締めくくられる一流経済アナリストの記事や発言は増えるばかりです。

なにが本当の問題なのでしょうか。なぜ、私達が開発した経済システムに何が起きるのか分からないのでしょうか。専門家に言わせると「問題は、あまりにも多い要因の組合わせ」です。 しかし、もっと明確な説明もあります。それは、そのシステムが、敵対的な原則にしたがいながらでは、もう機能することができないということです。グローバル化が急速な現代において、私達はシステム全体に影響を及ぼすことなく、“くしゃみ”すらもできません。

米国連邦準備制度前会長のアラン・グリーンスパンは「起きていることの主な原因は、経済モデルの境界線のなかに収まりきれない人間性である」と発言しました。これが発言されたのは2007年9月のことです。彼はまた、規制を設けて危機をくい止める手立てには、今まで全く効果がなかったとも認めていました。

問題は、予測できない人間性が、私達を偏狭な個人的関心のために行動をとらせることではないのです。それは過去においての話であり、今日の状況は劇的に違います。それは私達全員が、システム全体を構成する一部分として不可欠になったということです。つまり、それがグローバル化を経て1つに統合された完全体になったということです。これが、古い経済対策が役に立たなくなったことの理由です。

人生などの生命現象といったものは、私達の性質(人間性)を新しい現実との均衡に至るよう、私達に要求します。過去の過ちを繰り返すのでなく、成功に導く、長い年月を経て有効性が証明されたモデルを模範として使おうではないですか。不可欠性と真の相互依存の素晴しい手本は自然界に多くあります。

例えば、人体を考えてみて下さい。それは完全にその細胞の利他的の働きに依存しています。各細胞は、その細胞の働きを持続するだけに必要な分量の栄養素だけを取り入れ、その生物全体の利益のために働きます。それは実に精密な均整状態(ホメオスタシス)です。すべての自然体系は、その部分の適正な相互作用に依存しています。1つの細胞がその生物に、利益ではなく危害を加えようなら、その他の細胞が統合し、全体を助けてその体系を均衡に至らせます。

そして私達も例外ではないのです。 20世紀の偉大なカバリスト、バール・ハスラム(Baal HaSulam)は、私達は注意して自然の法則を扱う必要があると以下のように著述しました。「自然の法則を犯す者は皆、自然がその人に課した目標から逸脱してしまい、ゆえに自然はその人を罰することになるだろう。」この簡潔な現代の危機のメカニズムについての説明は、半世紀以上も前に記述さたものです。

“自然の法廷”には上訴というものがありません。そして、私達は自然の法を守っているとは決して言えません。私達の人生のモットーは「誰を利用してでも金持ちになり、“大胆”になる」ということです。これは、人の内面の声の囁やきであり、私達はそれに喜んで従っています。

まさにこれが私達の問題の存在しているの場所です。もし1つの細胞が突然、“考えを変えて”自分のことだけを配慮しだしたらどうなるのか想像してみてください。医学にはこれのシンプルな呼び名があります。それは「ガン」です。 よって、現在における危機は病気の症状であり、治療が必要なのです。

もしも人類が1つの体系になれたとしたら、それはただちに自然に一致した法則によって統治・支配されることでしょう。昔なら罰を受けないでやってこれた事柄にたいしても、私達はもう“許される”ことがなくなります。昔のやり方で暮らし続けることは、高層ビルの屋上から飛び降りて、無事を祈るようなことです。ゲームのルールが変わったのです。今はもう、お互いを利用するのではなく、全員を配慮していかなくてはならなくなりました。思い切ってこのように行動しはじめない限り、危機は私達を含めた地球をもっとひどく苦しめ続けることでしょう。

この変化のプロセスを楽にしてくれる効果的な方法はあります。それは世論に頼る方法です。テレビやラジオなどの伝達経路、報道機関、マスメディア、そしてインターネットが人々に、私達全員が1つの体系の部分を成していて、個人の損失は全員の損失で、全員の利益は個人の利益でもあると説明するようになったとき、すべての変化のプロセスがより簡単で楽なものになります。

何百万ドルもの資金を経済に注ぎ込む今日のやり方は、危篤患者に鎮痛薬を大量に投与しているようなことです。 そうするのではなく、私達は問題に対するアプローチそのものを根本的に変えて、私達の世界観の中心に立っている“わたし”と”社会”を入れ替えなければなりません。だからといって、この社会が細胞のように分離された構成部分になるのではありません。それは1つの家族のようになるという意味です。

想像してみてください。あなたの周りの誰もが親しい身内だとしたらと。そしたら、あなたは心から人々が幸せになることを願い、皆に手を差し伸べるでしょう。そして、彼ら、彼女らもあなたのことを同じように感じ、手を差し伸べます。さらには、そのような生活の維持に必要な支援を金融機関から受けいれることもできるのです。そうすることで、私達は自然との調和が達成できるようになります。なぜなら、愛し合う家族のなかで機能しているルールというものは、現在私達が守れていない自然や生命の法則と全く同じものであるからです。それは唯一の、欠けるところのない、完璧な体系なのです。