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神秘的な力か、または進歩を促す触媒か?


受け取った質問:包む光(the Surrounding Light)とは何ですか?それは神秘的な力ですか?

私の答え:包む光とは、私達の間にあるつながりの中に存在している上層の光です。私達はたまたまこのつながりを感じませんそれどころか、分断していると感じています。私達はまるで寝ているか意識を失っているかのように、私達の正された状態を感じていません。私は他者とつながっているのですが、そのことにもう気づいていません。まるで頭に強打をうけて倒れてしまったかのように。

今現在でさえその光は私達のつながりの中に存在しています。失われた他者とのつながりを取り戻したいと思えば思うほど、その光はあなたに強く作用します。つまり、光の強さは自分の願望の強さに比例するのです。

私は依然として光で満たされた体系の中にいます。そしてその中ではすべてのひとがつながり1つの完全体を成しています。しかし私はそのことに気づいていません。そして私はこの体系のなかに戻るための努力をしはじめます。物質世界のなかで私はめまいを感じており今にも倒れそうです。私は自分自身を奮い立たせて頑張ろうとします。同様に私は他者とのつながりの感覚とスピリチュアルワールドの認知を取り戻すために、内面的な努力のすべてを費やします。

是正された状態を達成したいという願望に従って私に影響を及ぼす光は、包む光(the Surrounding Lightと呼ばれています。現在私は無限の世界のMalchutのなかにいて、完全にそれにつながれている状態です。問題は、私が既にいる本当の状態と比べ、私には失われた意識の125個の層または階段があるということです。

自分の意識を取り戻したいという状況にあるときにだけしか、この願望は影響を自分にあたえません。私達は早く大人になりたいと夢見る子供のようであり、まさにこの願望が私達を成長させるのです。

同じ道の上をゆく二人の天使


『ゾハール』Ve’Eleh Toldot Itzhak(これらはイサクの世代たちだ)章172節:ヤコブがクリエーターを信頼していたことと、彼の流儀がクリエーターの名前のためであったため、彼の敵は彼と講和した。そして、エサウの権威と力であったサムエル(Sam’el)はヤコブと講和した。そして、彼がヤコブと講和したことから、彼は彼に恩恵を感謝し、そのあとにエサウもまた彼と講和した。

しかしエサウが彼の上位に任命された任命を受けた人サムエルと講和してなかった同じ期間、エサウは彼と講和しなかった。これがそうである理由は、すべての場所において、下の力は上の力によって決まるからだ。そして、上にいる違反者上で任命を受けた彼らを支配する大臣たちが弱まらないかぎり、下のこの世界のなかの違反者を弱めることは不可能なのだ。

人が、自分に反して働く力、クリエーターの作業に抵抗する力、そして自分の創造の目的地の到達を阻止する力が存在していると思うことは禁じられています。そのようなものは存在しません。すべての力、右と左の線の両方は、同じ目的で共に働いています。私達は、害悪が私達にやってきて私達を滅ぼし道に迷わすと信じていますが、それは真実ではありません。害悪は私達に過ちを見せ、私達がいつ目的に反することをやっているのかを示すために存在しています。それは創造の目的地への道で人に同行する善と悪の両方の天使の使命です。

上層の法廷は1つの質問しかしない


受け取った質問:『ゾハール』を読んでいる全時間の間の数秒しか是正をもたらす包む光(the Surrounding Light)について考えられなかったとしたら、私はどうすべきですか?

私の答え:これはよくありません。人が死んで上層の審判の法廷に行く伝説があります。彼はそこで「あなたはトーラーに従事して救済を待ちましたか?」と尋問されます。そこで聞かれることはこれだけで、それ以外にはありません。トーラーとは改善する光(the Light that Reforms)のことです。あなたはこれを願いましたか、それともしませんでしたか?結局のところ、あなたがこの世界に送られてきたのは、これだけの理由からです。あなたの全人世で考慮されることはこれだけです。

あなたはカバラを勉強しながら、熱い願望を持っているのかもしれませんが、それはあなた自身の功績ではありません。それはクリエーターがあなたに与えたものです。彼があなたをカバラのグループにつれてきて、その手段を与えたのです。しかし、そのあとに何が起こりましたか?あなたに影響を及ぼしたシステムの中で、あなたは自分自身で何をしましたか?あなたは救済、是正を願いましたか?これはあなたがいずれ答えなくてはならないことです。

私達が『ゾハール』の朗読を終えた直後に、あなたは読み上げられていたことの内側にいたと言うことができますか?勉強している最中にこれについて考えても、それはもう手遅れです。なぜならすべてはその準備(カバラの勉強に臨むための心構え)によるからです。あなたは準備を終えた状態で願望と欲求を熱くさせてレッスンに来なくてはなりません。まるであなたが医者に行き、「先生、何でもいいのでお薬をください!そうでないと私は手遅れになります私はこのぐらい気分が悪いのです」と尋ねるかのように。あなたがこの心構えでレッスンにくれば、あなたは勉強中に救済を待つでしょう。しかし、もしあなたが隣人に対する愛を探していなく、また、あなたが自分の悪意、自分のエゴイズム、他者と一体になることに対するあなたの無力さを感じていないという理由で、初めから薬がほしいという欲求を持たないでそこに来るなら、あなたは勉強中にそのことについて思い出すこともないでしょう。

あなたは『ゾハールの書』を開く前でさえ、これらの欠乏、あなたの邪悪な性向を明かさなくてはなりません。なぜなら、あなたが『ゾハール』を開くときには、何を変えるのにももう遅すぎるからです。私達の作業のすべては、準備をしているときに行われます。すべてのことは、ただそれだけにかかっています。『ゾハール』で苦痛を和らげたいという願望を満たすためには、あなたは既に苦痛を感じている状態でいなくてはなりません。勉強時間の最中にあなたは隣人とのつながりを求めることになっていると人為的にそれを思い出そうとするではなく。あなたはクリエーターを騙すことはできません。彼はあなたの心の中を読み、あなたがそこにあることを疑うことさえもしない、とても深い内面の願望を覗いているのです。それまでは、クリエーターはこう考えます。あなたにこの願望に対する答えを与えるべきか、それとも与えないべきかと。もしそれがあなたの霊的な進歩の援助になり、あなたの内面に中間線が作られるのなら、光はあなたを助けるでしょう。しかしそうでないなら、光はあなたを反対側から押して前に進ませ、あなたがついに正しくすべてをつなげて真の答えを受け取るまで、あなたは苦しまなくてはなりません。

ヘビから知恵を学ぶ


『ゾハール』 “Ve’Eleh Toldot Itzhak(これらはイサクの世代たちだ)”章30節:ヤコブはエサウがあの斜めのヘビ(Slant Serpent)を握りしめることを知っていた。この理由から、彼はもう一匹の斜めのヘビのように彼の全行為にならった、彼の反対側で、利口に抜け目なく。

まさに受け取りたいという願望が私達を抜け目なくさせます。それは私達に如何にその同じ願望を扱って、それを欺くかを教えます。結局のところ、与えたいという願望には知恵または知性がありません―Hochmaの光(知恵の光)がないのです。Hochmaの光は喜びを受け取りたいという願望に向けたものなのです。したがって、特にヘビは利口です。私達は右線のために知恵をヘビから学ぶ必要があります。これを“彼に逆らう助け”と呼びます。その理由は、ヘビそのものが私達に右線とその扱い方を教えてくれるからです。それは私達にその殺し方、その毒液から薬だけを抽出する方法、そしてこの薬を与えるという意図のためにどう扱えばよいのかを教えます。

すべての地震は私達の内面にある


受け取った質問:チリの地震と私達の意図の是正との関係は何ですか?

私の答え:それには最も直接的な関係があります。自然のすべての力(無生物レベル、植物レベル、動物レベル、人間レベルにおいての力)は人間の是正に向けられています。それらはすべて人間の中に含まれています。

バール・ハスラムは、無生物レベル、植物レベル、動物レベルは人間の中に含まれていて、人間に依存し、人間と共に上昇又は下降すると多くの論文に書き残しました。自然界の無生物レベル、植物レベル、動物レベルは私達の内面レベル(私達の中にある無生物レベル、植物レベル、動物レベル)の投影です。したがって、私達が私達の内面的な自然の力の是正を成し遂げないとき、私達はそれに相当する結果を外面世界に見ることになります。

アダム・ハリション(最初の人間)が罪を犯す前、世界はすばらしかった―真の楽園―であったと記されています。しかし、罪を犯した後、それは地獄に変わりました。よって、与えることから受け取りに変わった人間の意図が、楽園を地獄に変化させるのです。

これが現在私達に啓示されていることです。私達が救済策で未然にそれらを防がなければ、いくつもの大災害が私達を待ち受けています。私達がこの遂行に成功することを願いましょう。

濾過された現実


私達の利己的な願望は、その目的に現実をふさわしくするためにそれを濾過します。事実上、私達はフィルターを通して世界を見ています。言い換えると、私達は、世界、自然、社会、そして人々におけるその本当の姿を客観的に見ていません。もっと正確に言うと、私達はただ自分たちのエゴにとって利益になるもの、何がエゴにとって有益か又は有害かというようにしか見ていません。したがって私達は無限の現実の非常に小さい部分、“この世”しか感じません。なぜなら私達のエゴにとってそれ以上のものを知覚することは不可能であるためです。

願望の一体化がすべてを決める

受け取った質問:皆と一緒に『ゾハール』を勉強することを願わなくてはならないとは、どういう意味ですか?これをどう行うべきですか? または、どう感じるべきですか?

私の答え:是正とは全ての願望が一体化することを意味します。私達の願望が互いに分断しているとき、私達はその中にこの現実またはこの世界を感じます。私達が願望を一体化するとき、私達はその中に“スピリチュアルワールド”を感じます。スピリチュアルワールドのすべてはとてもシンプルで、それには空間も時間も伴いません。願望が一体化して1つの総体になること、または、それらが互いから分断することによって、すべてが決まります。

現在、私達がこの現実を感じている理由は、私達の願望に互いとの繋がりがなく、個々がそれ自体で独立していることによります。自分だけにとってよい事に向けられた個人の小さな願望の中で、あなたはその中で感じれることを感じます。あなたは光を感じますが、その光はこの願望の中では、今あなたが目にしていることのように映ります。あなたは何か違うものを見たいと思いますか?是正の最後に至るまで、あなたはこれらの地上的な願望に対してできることは何もありません。

この地上的な願望が私達の内面で啓示されるとき、私達は生きていると感じ、その願望は大きくなります。その後、それはだんだん小さくなり、私達は死を感じます。そのあとで、それは再び生を受け、そして死にます。まるでそれがただ使われてまた隠された状態にもどるために生き返されたかのように。しかし、それに加えて、それとは別のスピリチュアルなレベルから送られてくる“心の中の点”と呼ばれるもう1つの願望があります。この願望は他の願望につなげることができます。この世界にある願望―無生物、植物、動物レベルの願望―はつなげることができません。それらの願望は定まった形で存在しており、すべての人は他者と自然が個人に強要する程度にしか繋がっておらず、それ以上ということはありません。

しかし、私達は“心の中の点”と呼ばれる願望なら一体化することができ、そうすればその中にスピリチュアルワールドを感じとることができます。個人が何故この共通の願望(Kli・器)を想像しなくてはならないのかということの理由がこれです。それはとても実在的なもので、本当に私達の手中にあります。もし私達が互いに助け合ってスピリチュアリティーに対する願望、心の中の点を互いにつなげるなら、スピリチュアルワールドを感知します。しかし、その感覚は相互的なものでなくてはなりません。それは分断した各自の中では生じることができません。なぜなら、それは願望の一体化を通じて啓示されるものであるからです。

何が啓示されるようになるのでしょうか?それは願望の間のつながりです。このつながりが、充足、クリエーター、または願望を満たす光と呼ばれるものです。私達は光をそれ自体で明らかにすることはできません。私達が明らかにするものとは私達の中に入り込む、光の印象、与えるということの特質です。それは私達の互いに対する愛と授与の関係の中に潜り込むのです。

私達を団結させ、お互いに与え合うようにさせる力が存在します。自分がもう1人に対して与えることが“光”と呼ばれるものです。そして、自分が明らかにするすべての人の間での相互的な与え合いを“クリエーター”と呼びます。これが以下の節の意味です。「創造されたものに対する愛から、クリエーターに対する愛へ。」