Entries in the '毎日のカバラレッスン' Category

エゴよ、私はお前のものではない

質問:どうやって私たちはゾハールを読んでいるときに自分たちの意図を確認できますか?

答え:もし私たちがゾハールの書を正しく使うことを願うのなら、ゾハールの書は私たちにやって来る光の源です。したがってカバラの本を勉強している間、私は常にいくらかのイルミネーションを呼び出していますが、それは私の努力の、そして、用意ができていることの激しさに応じてやって来ます。もし私が肉体上の何かを手に入れるために、または、来世を個人的な特権として勝ち取るために勉強するなら、光はその影響によって私の中によりいっそうの暗闇を作り出します。私は、何のためにこのシステムが私に与えられたのか、私は何をしなくてはならないのか、そして、どのように私は他者を扱うべきなのかということの理解からだんだん離れていきます。愛とつながりについての素晴らしい言葉を読む時でさえ、私はもはや帰属感を感じず、つながりを目にせず、文章を読み取る方法が分かりません:それを私のハートに入れさせるのかどうか。これは、夜に養われ夜明けを予期しないコウモリのように私が勉強することを意味します。

しかし、もし私が他者とつながろうとし、これがその方法論を学ぶ理由であって、シナイ山でそれを受け取るための条件を保持して守ることによって、皆と一緒に「一つのハートを共有する一人の人間」に成ることを切望し、相互保証に参加するために、兄弟愛を達成するために、そして、それを通じることでクリエーターへの愛を達成するためにということなら、光は私を前進させ始めます。これはもう段階ごとに克服するという普段の道ではありませんが、私は徐々にその中に悪い粉々になった状態を発見し始めます。

利己的な勉強は私から私のエゴを隠し、私は自分自身を高潔として見ます。一方、正しい勉強によって、私は自分が悪の中にどっぷり浸かっていることを発見します。光が私に明らかにする最初のものは私の悪い性質であり、私はそれに応じて作業しなくてはなりません。悪を発見することによって、私は前よりもさらに悪い気持ちを感じます。では、私には何ができるのでしょうか? 結局のところ、私は私の性質に従って気分が悪い時は逃げたいのです。

もしかすると私は勉強を止めて、グループから離れるべきかもしれない? もしかすると私は絶望を感じるべきかもしれない? あるいは、もしかすると私は悪の認識を知ることを許されて喜ぶべきかもしれない? それは私にとって法則、招待であるべきです:もし私がこの不快感(気分の悪さ)を乗り越えられるのなら、私は受け取ることを超えて授与を切望するでしょう。

私のエゴの中で明かされる苦しみが、私がエゴために作業していないことを示すので、私は打撃を受けることを好みます。私は不快感を感じますが、それらを克服してユニティーを目指します。私は苦痛を和らげるために逃げることはしません:私は自分自身を閉ざさない、私は落ち込まない、私は勉強をやめない。それどころか、私は友達と一体になる途中にて、あらゆる方向からやって来る全ての困難を、クリエーターによって送られているものとして受け入れます。彼(クリエーター)以外には何も存在しないのです。

私はどんな状態も私の前進のためになるものとして受け入れます。私はそれらを無効にしたくありません。そして私は不快感を中和するために勉強し続けます。私は実のところそれを望んでいるのです。それがその乗り越え方、理性よりも上になることに私を正確に集中させるので、私はそれが継続することを望みます。全てはゴールに正しく集中することを助け、それらの中で作業することによって明らかに前進するといった制約や枠組みを作るので、私は喜んで全ての問題や妨害、状況の圧力、外的な嘲り、様々な苦しみを受け入れます。

こうして私の内側に授与の器を受け取りの器よりも上に構築します。それらは成長し続けます。そして、苦しみ続けます。その間、私は、それらよりも1つ上の段階に在り、完全な信仰、ビナーの属性を達成し、私の受け取りの器を授与するために使い始めるまで、クリエーターとのつながりを持ち続けたいのです。

しかしその一方では、また、私は独り善がりの考えがあってはならない段階に上がったので気持ちを落ち着かせるつもりはありません。それどころか、私はますます上向きに切望し、喜びを受け取る準備でさえできていますが、それは私自身を満たすためではなく、クリエーターの願望を満たすためです。

これはすべて私たちの作業です。私はこの道に沿って本当の源、私に授与の力を与える利己的な欲求が必要です。それは利己的な欲求の中で明らかになる問題や苦悩を私が克服した結果です。そして、私はそれが全てクリエーターによってもたらされることをはっきり分かっています。

From the 2nd part of the Daily Kabbalah Lesson 8/16/12, The Book of Zohar

世界の守護者達

質問:今までカバリストに耳を傾け、彼らの助言に従った人々はいましたか?

答え:古(いにしえ)の時代、カバリスト個人という意味ではなく、一つの発達の期間として、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア等の時代がありました。それは、その人々というよりは期間のことです。それぞれの時代、各人物に体現される精神が活動的になり物事を創りあげていきました。例えば、モーセは国家を建設し、その時期に表れつつあった諸々の欲求に対して、是正の方法論を提供しました。その結果、彼は国民をイスラエルの地、つまりクリエイターの啓示へと、連れて行きました。

私達が流浪の間には見えないことですが、全てはカバリスト達によって為し遂げられます。カバリスト達とは、この世界を「(エネルギー)チャージ」している者ものであり、それによって世界は存在しています。光のきらめき無しには、この世界はそもそも現れることは決してなかったでしょうし、物質も存在できなかったでしょう。彼ら自身のケリーム(器)に従って、彼らが特定の霊的段階に属するのと同じように、人類一般に所属するカバリスト達が常に存在してきました。

それは「獅子の尾」と言われています。それはアツィルート世界の9つの低位セフィロートであり、ホフマーの光と一緒になってBYA世界に降りてきます。そして「狐の頭」(シュアリム)になります。言い換えると、質問をする人々(ショアリム)です。結局、ここが壊れた器達が位置する場所で、それで質問が上がります。どうやって私達はこれらを修復するのか?

私達は(スピリチュアル)レベル間を移行するために、永遠の機会と同様に、このつながりを必要とします。この世界では、これはカバリスト達により保証されます。一方では、彼らは私達に教えることができるように、カバリストではない他の人達と全く同じ姿形を取ります。他方では、彼らはより高位の段階の一部です。(霊的)達成のための他の道はありません。なぜなら私達は厳密な法則の中に生きている全体システムの一部だからです。

質問に戻りましょう。長い流浪の後で、ユダヤの人々は偉大なカバリスト達の助言に耳を傾けるようになりました。それはバール・シェム・トヴと弟子達の時代です。彼らは国民を導き、前方へ案内し、スピリチュアルな達成と一致した生活をする世代を産み出しました。アイン・ソーフ(無限)の高みからこの世界の「基盤」に接続した人々です。それはこの世界と霊的な世界の両方を同時に操っていた、偉大なカバリスト達の時代でした。

そして、ここ100年で作り出された、スピリチュアルな接続への深刻な無関心(中断)について言えば、それはおそらく、起こるべくして起きた何かです。今のこの状況は本当に危険なものです。しかしこうも言われています。「私はイスラエルを見捨てることはなかった。」 つまり今日でさえ、霊的世界から私達の世界へとイルミネーション(照明)を運ぶ、カバリスト達が存在しています。

私達の世界は、スピリチュアルな宇宙の中心にある、小さな暗い場所(スポット)です。その中に光をもたらすことは必要不可欠です。さもないと私達の世界は存続できません。全ての諸世界を通って、光は真っ直ぐにこの次元、私達の堕落した願望の次元、に降下してきます。そしてカバリスト達がこの光線の保護者達です。

彼らを「人々」と呼びます。それは体には何も関係はありません。むしろ特定の願望や状態(ケリーム)に関係しています。彼らは慎重に行動します。彼らは低いところまで降りてきて私達のより近くまで来ることができます。例えば、バール・ハスラムは、彼より下のレベルで生きている人々に向けて、書いたり助けることができるように、彼自身が低くされることを求めました。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/12/12, “The Nation”

アナログシステムで「ほとんど」は数えない

質問:カバリストは言います。次のように書かれています。「世界は多数により判断される、そして個人も多数により判断される。そのため、もし人が一つのミツヴァを実行するなら、彼は幸せである。というのも彼は、彼自身と世界全体に対して(天秤上)価値のある目盛の方向へ、判決を下したからである。」どうしてこのようなことが可能でしょうか?

答え:システム全体では、個人と全体は等しいものです。私達はそれを理解しません。なぜなら私達はいつも量的データによって操作されているからです。しかしアナログでインテグラル(統合・完全)なシステム全体では、そのようなことはなく、最も小さい部分ですら決定的な意味を持ちます。

もしその小さい部分が壊れると、システム全体が壊れます。それは半分の力でも99%の力でも作動できません。たった一つでも欠陥がある限り、システム全体は作動しません。

魂の間には相互連結の法則がいくつもあります。それが一緒になって一つの願望をつくります。ここから連結のための条件が出てきます。つまり「一つのハートにおける一つの人間」です。それは全ての人が「理性の上に」エゴを超越する時です。

もちろん、私達はこの目標に向かって、完全な連結に至るまでの125段階のレベルを通過しながら、徐々に進みます。しかしその過程の中でさえ、個人と全体の等価原理は物事に影響します。そのため、私の1グラムが、この円形の全体システムに加えられると、そのシステム全体が正しいレベルへ上がることも可能になります。私達はこの原理を使わなければなりません。それはつまり、それぞれの個人が行うもっとも小さな行為ですら重要なものとして見ることを意味します。

質問:これは私の堕落もまた、システムに転移されることを意味していますか?

答え:そうです。バール・ハスラムがこれについて書いています。しかし重要な点は、私達のシステムが既にほとんど全体的に腐敗しているということです。私達は底から、最低の状態から上昇を始めます。そしてはじめに、最も純粋で最も軽い器、願望を是正します。

質問:このインテグラル(統合・完全)の法則はすべての人に作用するのですか?それともそれに気付いている人たちだけですか?

答え:はじめに、グループが明らかにされることで、人はこのシステムに入り、システムの仕事に参加します。加えて、外部には、全イスラエルからなるシステムと、世界の諸国家からなるシステムがあります。それぞれの部分がその重さに従ってシステムに所属しています。

ユニティ(統一・結束)そのものは隠されています。そして今現在私達に明かされているものは、その硬い外皮(表面)だけです。それは最も是正しやすい部分です。私達各自が世界を(秤の上で)価値ある目盛へと動かせる、というメカニズムが機能するのはこの部分です。

なぜなら、当面の間は、これが私達の世界だからです。これが今日明かされ、そこで仕事が出来るように私達に与えれている部分です。私達はまだ十分な強さで、アイン・ソーフマルフートの中に入っていません。私達はいつでも、そこで仕事ができるように、その一部である薄い層を発見するだけです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 8/16/12, “The Arvut (Mutual Guarantee)”

量ではなく質

質問:今のところ、僅かな人々だけが、カバラの知恵に惹き付けられています。私達は普及活動を続けることで、新しい心の点(複数)の目覚めを期待すべきでしょうか?

答え:この質問への正確な答えを私は持っていません。私はカバリスト達によって書かれなかった事柄を決め付けたいと思いません。

あなたは、一部の者は量的に強く、他の者は質的に強いということを理解すべきです。このように言われています。「あなた達は国々の間で少数である。」将来でさえ、世界中のグループの友人達はそれほど多くならないでしょう。またサポーターも多くはならないでしょう。(サポーターである)より広範囲の人々のサークルは、カバラの知恵を志向することはなく、私達と全く同じように感じることはありませんが、しかし私達に近く、耳を傾け、従います。

私達の強みは、数ではなく、高さであり、理解であり、神性の認知とつながりにあります。私達を通して、まるで稲妻のジグザグのように、広大な講堂向けの、様々な忠告、プログラム、イベント計画が、天から地に降りてくるでしょう。それから、おそらくは他に選択肢がないために、または人々が私達を信じ始めるために、または他の理由によって、彼らは私達のメッセージに馴染み、受け入れるでしょう。

バール・ハスラムが言ったように、もし盲目の人々の列の先頭に、少なくとも一人、目の見える人がいれば、彼らは、最後には必ずゴールに到達するという完全な信頼を持って、彼の後に従うべきです。私はここに深刻な変化があるだろうとは思いません。私達はレクチャーを提供し、ラウンドテーブルをセットし、キャンパスをオープンします。しかし、私達がこれをするのは、人々を自分の組織に引っ張り込みたいからではありません。反対に、私達は「彼らのテリトリー」で仕事をしなければならず、特殊な事柄ではなく、一般的で通常の是正メソッドを伝えなければなりません。

「スクリーン」、「光」、「器」、「パルツフィーム」そして「制限」などの言葉は一般向けではありません。人々は、物質生活を楽なものにする、ユニティ(団結)について知る必要があります。

これが一般聴衆への私達のメッセージです。私達はカバラや「上層の物事」を彼らに注入してはなりません。私達は「人々の心臓の鼓動」に合わせて、人々と「同じ目線」で話さなければなりません。それは彼らを心配させる事についてであり、子育てや他の日常生活の問題といった、彼らの「欠乏」部分について話をすることです。私達は少しだけ彼らの欲求を強調し、「それらを静める」ツール ー私達の方法論ー があることを示すべきです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/1/12, “Introduction to The Book of Zohar

620倍に拡大する顕微鏡下の自分の悪意

全ての出来事が人に明かされる理由は、その人の不完全な知覚、まだ是正されていない感覚のせいです。世界はその人の知覚と理解に従って不完全なものとして描かれます。しかし我々は、この不完全状態(欠陥)が外の世界にあるのではなく、自分たち自身の中にあると理解すべきです。

現在の世界危機は我々の周囲ではなく、我々の知覚の中だけにおいて生じます。しかし我々が自分たち自身を是正すれば、途端に外の問題の全ては消えて無くなります。その理由は、世界がそれ自体で存在しているのではなく、我々の感覚の中においてのみ存在しているためです。世界は我々の内側にあるのです。我々が私たち自身の性質を是正すればすぐに全ての災害や問題、あらしや危機は消えて無くなります。この何1つも存在していません。上層の光は単に現実の全てを満たしているだけなのです…。

真実と偽りの違いは、人の内側だけにあります。最初は与えられたすべての打撃(不慮の災害・不意の衝撃)を明確にすることにより、その人はそれらに目的と理由があると理解すべきです。その理由を意味する「わたしは初めである」、そしてその目的を意味する「わたしは終わりである」と記されているように。これらの打撃は、自分自身を是正することを可能にし、現実に対する自分の知覚が正しくないことを悟らせるためにやってくるのです。

それは「協力者・仲間」のように働きます。この悪(不正)が人の中に残ったとしたら、それがその人によって明らかにされることが決してないからです。しかし、悪が外側で明かされる理由から、あたかもそれがその人に反しているようであり、その結果その人がそれを認識することができるのです。我々のエゴは、この悪を最も目立つ形で他人の中に見る能力を与えることにより、この悪を何倍も拡大して見せるのです。

我々は自分たちの悪をまるで虫眼鏡を通すかのように620倍も拡大して見ています。これが悪を明らかにすることを手助けし、それを「協力者・仲間」と呼ぶのです。

私はこの悪を他人の中で明らかにします。しかしそれは反対であって、自分の中にあり、それゆえに自分自身を是正できると私は理解します。人は正しい知覚を有しているのか常に自分自身をチェックしなくてはなりません:その人はすぐに外側に見えるすべての悪をひっくり返し、自分自身の中でその悪を見て、是正しなくてはならないのです。

したがって私が自分自身の外側にあるものと自分を同一視するとき、この特質が自分にとって良いと分かります。私はそれを受け入れ、自分自身を是正することによってその中に参加しています。そのおかげで、私は自分自身をグループ、他者、そしてクリエーターに照らし合わせてチェックできるのです。

外側の現実を知覚することは、内観して自分の中にある悪を見つけることと、破壊されたのは世界ではなく自分であると理解することに役立つということが判明します。このようにして自分の悪が明かされるからです。私は自分自身を是正することによって全世界を是正するのです。このことを「自分自身と全世界を価値のある天秤の皿の方へ判決すること」と呼びます。

我々がこのことを理解し消化できるようになることを願いましょう。この実態に気付いて、この正しくて健全なアプローチを世界全体、全ての人々に伝えれるように。それなら、人間の是正によってすべての問題を解決することができます。最初の難しさは、自分のアプローチを変えることです。我々は、世界を是正する代わりに、自分たち自身を是正すべきだと理解すべきなのです。

カバラの知恵によると、我々の周囲に見える全世界は我々の内面的な性質をまるで鏡のように映し出しているということです。しかし、そのことをシンプルにするために我々は人々に、後で世界を正すことができるように最初に自分自身を正すべきだと説明すべきです。その理由は、不正な人は不正な世界を築き、正された人は正された世界を築くためです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 8/2/12, Writings of Baal HaSulam

クリエイターとタンゴを踊る

私達が達成しなければならない唯一のことは、「彼以外に誰も存在しない」という状態です。これはそれとは反対のことによってのみ、つまり、いわゆる「反対する助け」と呼ばれるものによってのみ達成されます。クリエイターは私達に様々に異なる妨害を送ってきます。それは異なる複数の力から来るように見え、見知らぬもの、クリエイターに反するものであり、偶然のように見えます。その妨害はランダムに見えます。それは不純の力、ファラオ、この世全体のことです。私達はこれら無関係の源が、全ての問題の原因であると考えます。

しかし私達はこの感情を克服し、私達は全ての出来事の中にクリエイターを明らかにしていかなければならない、という考えを常に抱かなければなりません。もし私達が、この世の全ての出来事の中に彼(クリエイター)を見るならば、私達はそれらの出来事の根源と、クリエイターの方法と態度を見始めます。このようにしてクリエイターは、とても秘密的で巧妙な方法で、彼が誰かを私達に示すことで、私達に教えます。

クリエイターは彼自身を隠したり現したり、交互に何度も繰り返しながら、私達と遊んでいます。彼が隠されたとき、私達はこの隠された状態を、この人生では不快な出来事として感じます。しかし私達は、これが単なる人形劇に過ぎず、全ては一人の偉大なディレクターによって運営されていることを発見しなければなりません。リアルに見えるものはただの人形です。自然の鉱物、植物、動物しかり、そしてこの世で生きている人々しかりです。彼らは生きており、自分自身で動くことができ、自由意志を持ち、独立して行動しているように見えます。しかしもし私達が、この世は生命のない包み紙のようなものであり、上層の力だけがそれに生命を与えているものとして見るならば、私達はクリエイターの啓示により近づくことでしょう。

この仕事は単純ではなく、幾多の困難を克服することによってのみ可能です。それを成し遂げるために私達は友人達からの支援、いわゆる相互保証を必要をします。相互保証とは、人がこの仕事を忘れることのないようにし、持続的に人を「彼以外に誰も存在しない」という考えに維持します。

人が弱さや絶望を感じるときは、これらの感情もまたクリエイターから送られてきたことを理解しなければなりません。クリエイターは今彼と遊んでいるのです。人は直ちに彼(クリエイター)との対話を始めなければなりません。そして内的意味を解明し始めなければなりません。それが私達がクリエイターと直接対面する、より率直なやり方です。全てのこれらの努力は結局は人を「涙の門」に連れていきます。これは、彼が多くの他の欲求に支配されているにも関わらず、それらの欲求の中心のどこかで、彼自身に打ち勝ちクリエイターへの愛と畏怖に至らせるひとつの欲求が、一瞬現れることを意味します。クリエイターは実際、彼(クリエイター)を隠している全ての無関係の考えや状況の中で、明らかにされます。

人は、彼にとってはリアルで独立しているように見えても、実際は想像上のものである、全ての人生の形態の中に、クリエイターの力を見るようベストを尽くさなければなりません。そして何故クリエイターがそうしたのか理解するよう努めなくてはなりません。そうするために、彼は今起こっていることを調べ、この全てを発見しなければなりません。結局、クリエイターは、自分が人に明らかにされる、という唯一つの意図を持っています。

これらの努力のお陰で、人は、彼に対するクリエイターの態度の性質について学びます。彼はクリエイターの行為からクリエイターを知ります。クリエイターは隠蔽(concealment :隠すこと, 隠された状態)を通じて隠れます。それはあたかも、どのように人自身もまた自分を隠したり現したりすべきか教えるために、その人と遊んでいるようなことです。クリエイターが明らかにされるときは、人は自分の力によってこの啓示に達したと考えることのないように彼自身を隠さなければなりません。だから彼は自分をマサッフ(スクリーン)で覆わなければなりません。

クリエイターが隠されるとき、人は彼(クリエイター)を発見することをしきりに願わなければなりません。こうしてそれは、お互いに一歩前に出れば、一歩下がるというような相互の仕事になります。それはまるで一緒にタンゴを踊っているかのようです。一旦クリエイター側が動けば、創られた存在側も動く。そのように彼らは隠蔽(隠れた状態)と啓示(明かされた状態)を創造します。彼らはお互いの間に、安定したマサッフを構築します。

人のエゴはそのマサッフの後ろに隠されています。一方、彼、すなわち彼の心の複数の欲求はエゴを越えて昇り、マサッフを越えて昇り、クリエイターの前で明らかにされます。その時、クリエイターもまた同じように、その人の前に明らかにされます。

これが起こる瞬間、「涙の門」は開きます。その後、人はこのゲームを理解し、受け入れ、彼が接触しているクリエイターの大きな重要性を知り、幸せになります。そしてそれからは、人は、それがどれほど困難で、どれほど困惑させるものであっても、人生の全ての出来事を喜んで受け入れることが可能になります。結局、彼がコツコツと全ての努力を積み重ねて、ひとつの大きな総量まで築きあげることができるのも、これらのお陰なのです。

From the Preparation to the Daily Kabbalah Lesson 8/3/12

終わりのない道

バール・ハスラム「ゾハールの書の序章 第55項」:これは彼が、彼自身の受け取る意志の純粋さの程度に従って、NRNHYと呼ばれる、光と魂の段階を達成するからである。そして彼が達成する段階それぞれにおいて、その段階の光が彼の浄化を助ける。このようにして、彼は、創造の思想の最終目的の楽しさを達成するまで、各段階を上昇する。

質問:「与えるために受け取る」レベルは、全ての魂にとって重要ですか?

答え:イエスでもありノーでもあります。それは(魂の)合体によって間接的に達成されることも可能です。なぜなら私達は、完全で統合された一つのアナログなシステムについて話をしているからです。そのシステムの中では、全ての人が他の全ての人に繋がっており、ホログラフィー画像のように全ての人の中にシステム全体のパターンが存在しています。

重要な点は、この画像の中で私の役割は何か、ということです。私はこの全体的な「身体」において、「脚」なのか「頭」なのか「心臓」なのか、それとも他の器官なのでしょうか?私は確実に全てを達成するでしょう、しかしまた私は独立して操作することにより、このシステムの私の役割部分を活発に達成します。

私は私自身の欠乏を持っており、また他の全ての人から獲得する欠乏もあります。私の要因に由来する私自身があり、そして他の全員が存在します。そのため私達の達成は全く同じものではありません。全ての人が、一個の全体として、システム全体を達成し、アイン・ソフ(無限)の中に存在します。しかし同時に、全ての人が、誰もが異なる開始点にいるために、他者を「妬み」ます。このことも仕事と是正を要求します。

その後、私達は、しばらくの間私達はそれについて何も知らない、あるレベルに上昇します。発達は続き、どこかで消えます。器は成長し私達の知らない何かへ変化しなければならないでしょう...

質問:なぜ人は創造の思想を達成しなければならないのでしょうか?

答え:なぜなら、それが上層のクリエイターの欲求だからです。創造の思想とはクリエイターです。

私達の言葉は不正確ですが、私達はそれを使わなければなりません。クリエイターと呼ばれる、達成不可能なリアリティがあると言われています。彼は達成不可能です。しかし創造の思想が存在し、それは私達に対する彼の態度を意味します。

彼の私達についての思想の結果として、何かが成されました。彼は受け取る欲求を創造し、それについて様々異なる事を成しました。しかしポイントは私達はこの受け取る欲求に留まるべきということではありません。欲求と光は唯一の2つの属性-受け取りと授与-です。彼は、最終的にはそれら両者の上に私達を上昇させるために、それらを選択しました。

これは私達が受け取りの上に上昇するだけでなく、授与の上にも上昇することを意味しています。なぜなら誰も他者無しには存在できないだろうからです。私達は彼の創造の思想を理解し、今日私達が語ることができないものまでより高く上昇しなければなりません。なぜなら私達はそれが何か知らないからです。

これは私達を未知の終わりへ導く達成の道です。私達の欲求において、それより高い何ものも達成することはできません。ここで私達はギマール・ティクン(是正の終了)を超えたものについて話しています。そうだとしても、私達はこれが真にクリエイターに相応しいゴールの場所であることを理解しなければなりません。私達が通過するプロセスを明らかにすることによって、私達は、彼の私達に対する態度は彼の存在するレベル以下ではなく、それについて私達は何も知らない、と言わなければなりません。というのも私達の枝が派生するところの根でさえ、それから引き出されてはいないからです。

それで、これを知ることで、私達はまた今日私達がどこにいるかを理解すべきです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/01/12, “Introduction to the Book of Zohar

無関心との闘い

質問:努力としてみなされるものは何ですか?

答え:主な努力は、無関心に、軽視に、そして、授与の重要性に欠ける気持ちに対抗する作業にあります。主な、そして、永久的な闘いは、授与に対する敬意の欠如に対して仕掛けられるべきです。そのことにおいて我々は、常に我々をより強くするものを探さなければなりません。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 7/12/12, Writings of Rabash

今日の明快な事実

我々は、1つの明快な事実を理解しなければなりません。それは、現代の世界における我々の成功とは我々の正しい相互連結(相互接続)にかかっているということです。これは、全体的な危機によって我々に示されます。危機は、我々にメッセージを送っています:「あなたは、やることすべてにおいて成功を成し遂げたいと思っていますね? しかしながら、周りを見てみてください:あなたが今日までしたすべてのことが危機に瀕しています。今日この日から、我々が完全にそろった世界的なシステムと一致しない限り、何をしても成功することができないことは、あなたにとって明白であるに違いないでしょう。」

この一致のことを、相互的な保証と呼ぶのです!成功することと、何か良いものを生産することは、あなたが世界的なネットワークに適正に参加することにかかっており、これは相互保証なしでは不可能なことであると分かるようにならなくてはなりません。それができたなら、成功します。それができなければ、ただ時間を無駄にして、今の自分自身の状況をさらに悪化させるだけです。

成功を収めることは難しくありません。誰もが相互保証が何であるかを感じることができ、誰もが暖かくて愛情深い本当の家族を想像することができます。

それでもなお、相互保証を学ばなくてはなりません。最終的にすべての人は、カバラに対する意見を変えなければなりません。カバラはより崇高な知恵であり、自分自身が魂の是正に従事していると理解しなくてはならないのです。我々はカバラに関する恐れを払拭しなければならなく、この知恵が非常に自然的なことであると理解しなければなりません。その中で、我々は人間社会の中に存在する活性力について学びます。この力を知っておかなければ我々は単に存在できなくなります。

誰がこの事実に反論できるのでしょうか?結局のところ、この力を明かさない限り、我々は我々自身を維持することができなくなります。カバラのことを「この世のものとは思えない科学」だと思っている人は少なくありませんが、実際はカバラほど我々にとって身近なものはありません。

From the Daily Kabbalah Lesson 9/2/2011, Rabash’s article

完全性、骨の髄までしみ込む

質問:大衆が完全に確信するように、どのように我々は新しい世界の完全性(インテグラリティ)を説明することができますか?

答え:それを経験するために、世界は多くのトラブルを経験しなければなりません。知的に全体的な相互関連性(連結性・結合性)に同意することは、難しくありません。「確かに私はこれについて何かを読んで聞きました。地震が日本で起こり、私たちは予備部品の問題を抱えています。戦争がリビアで起き、デンマークが境界を閉鎖しています。私は同意します:世界は欠けるところがなく、完全にそろっており、統合している、つまりインテグラル(完全体)です。」

しかし、我々自身を他の皆と別であると思いたいという一つの願望や考えも人類全員にあってはならないように、この完全性は骨の髄で感じられなければなりません。それは我々の中に絶えず置かれてなければなりません、そして、我々は単に頭でそれを認めるのではなく、それを考えただけで震えなくてはならないのです。

私は身体的に「内臓で」それを感じなければなりません。私は飢えに私をひどく苦しめさせます。同じ一口が皆に約束される確信がないならば、私は食べることができません。それが統合された完全な世界(インテグラル・ワールド)なのです:他が持っていないものを食べることは、毒を飲み込むようなことです。

そのようなことを想像するのは、難しいことです。我々はそれを実行していないし、単にある種の繋がり・関係性を耳にしただけです。毒に変わる個人の食事、そして、すべてが提供される状態にある全員からの祝福は、まだここから遠いのです。我々がこの経路で経験しなければならない苦しみを思い浮かべて下さい。

質問:しかし、我々は苦しみを防ぎたいのです。これは、我々が人に、その人がこの完全性を染み込まさなければならないという具体的な証拠を提供しなければならないことを意味します。さもなければ、それは痛みをともなうでしょう。我々は、このメッセージを伝えるために、その人の感情に触れなければなりません。

答え:正しいです。しかしその一方、もし我々が光に助けを求めないならば、社会的影響の方法によってでさえこの深い知識を伝達することは不可能です。あなたは、進展を速めなければなりません。さもなければ「進展の押し」が、後ろから接近し、あなたのためにそれをしてくれるでしょう。

そして、それが教育が必要とされる理由なのです。我々は広告から採取した事実について話しません。これらの事実がその人を囲み、「形作り」、「フォーマット化する」ように、人はこれらの事実を「掘り下げて調査」しなければなりません。客観的な、抽象的なプレゼンテーションは、ここでは助けになりません。我々は人間の本質に達しなければなりません。そして、あなたがこれをすることは不可能です。

人は家が焼け落ちた隣人の記事を読み、舌を鳴らします:「かわいそうに。おそらく、今や政府は彼を助けるかもしれない。」そして、その人はそれ以上動こうとしません。我々のエゴイズム(利己主義)の障壁は、光を持ってしてのみ破ることができるのです。どんな証拠も光なしでは助けになりません。ものすごい苦しみでさえ、人々を変えないのです。

苦しみで前進することは、実質的に不可能です。苦しみは、我々を是正ではなく、スピリチュアリティの必要性にしか向かわせません。光だけが、是正そのものを実行するのです。

From the 5th part of the Daily Kabbalah Lesson 7/28/2011, “The Peace”