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新年前の畏れの日々

人がスピリチュアリティに目覚めさせられた後、以後の上昇は(その人の)欠乏に依存します。これが彼がなすべく要求される唯一のことです。すなわち、MANと呼ばれる祈り、欠乏を持つことです。

これは、人がそのような切望を受け取ったことに感謝するときのみ可能です。それ後で彼は自分自身でゴールの重要性を強めます。つまり次のレベルの重要性です。加えていえば、何よりも彼が、自分の中にもう一つ別の欠乏を発達させ、自分自身のためではなくクリエイターに満足をもたらすために上昇しようとするなら、それは可能です。それはホスト(主人)を喜ばせようとするゲスト(客)の有名な例に似ています。

このようにして、彼は上層からの助けを受け取れるように自分を準備します。そしてその助けが彼の欲求を正しいものに作り上げるでしょう。たとえ人が、どれほど私達の取引が実際エゴイスティックなものかを理解していなくても違いはなく、しばらくはそれでも十分です。あとから彼は、彼の取引がクリーンではないことを知るでしょう。こういうわけで、この準備の時期はロー・リシマ(彼女のためではない)と呼ばれます。

それは自然なエゴイスティックな取引であり、私達のエゴを一度に全てスキップすることは不可能です。それは私達が努力できる程度により、そして、どの程度(自分の習性に)反対して仕事ができるかにより、徐々に開いていくものです。(その仕事は)私達が通常喜びを見つけるものとは反するものであり、私達の習慣に反するものであり、そして私達が他者とつながるために、自分のプライドを踏みつける準備ができている程度によるものです。

このすべては単純ではありません。しかし、もし人がそれに常に注意を払い続けるのなら、彼は前進します。私達の問題は、誰もが自分のコーナー(片隅)に逃げて隠れようとすることです。いわゆる「勉強」の背後に隠れ、何が書かれているのか知りたいという欲望の背後に隠れます。しかし、それはスピリチュアルな前進とも、内的な是正・修正とも関係がありません。人は、頭脳を乾いた事実で満たし、心の中の作業は無視します。

心の中の作業とは、その心に反して作業をすることです。「石の心」を「肉の心」に換えるためです。しかし私達は主な努力を置くべき場所を忘れています。誰もが何らかの快適なスポットを見つけ、自分の道を見つけたと考えます。このようにして彼はロー・リシマからさえ落ちます。なぜならロー・リシマとは、自分のエゴの範囲内にも関わらず、依然として上に登るための何らかの努力をしているときのことだからです。

他者とつながり、他者の要望を認め、自分自身を踏みつけ、自分の「セルフ」を無にし、グループの意見の重要性を受け入れ、その使命の奴隷となるような、日々の仕事はどこにあるのでしょうか? 私は自分自身を調査し、私がいる状態を見ることができるでしょうか? これがロー・リシマと呼ばれます。

エジプトでのモーセの仕事の全ては、ロー・リシマにおける仕事の例です。彼は奴隷状態から逃れたいと思いましたが、恐れていました。なぜなら彼は、自分がファラオ(つまりエゴ)の支配下におり、彼にどう話をすればよいか分からないことを、理解していたからです。そしてそこから、クリエイター自身がモーセをつかみ、ファラオのもとに連れていき、モーセがする全てのことにおいて彼を助ける状態に至ります。

クリエイター自身がファラオと戦います。彼は言います。「ファラオのもとへ来なさい!」しかししばらくの間、人は恐れます。彼は、エゴが全体的に彼を支配しており、その前に立つとき彼がいかに弱いかを知っています。彼は恒常的なジレンマの中にいます。一方では、彼は準備ができており、他方では、準備ができていません。もし彼が少なくとも、クリエイターに彼の前に行くようにお願いすることができたなら、そして、ちょうどクリエイターの背後に隠れ、そのようにしてファラオの前に立つことができたなら、と思います。しかし彼は実際には行くことは望まず、彼のエゴだけでなく、「イスラエルの国家」と呼ばれる自分自身の属性にも、立ち向かうガッツを持ちません。

しかし、自分をファラオやクリエイターや国家につなげる、ひとつのシステムの中に入ることによって、彼はこれら全てのつながりを明らかにしなければなりません。彼は何らかの理論の背後に隠れることも、ただの手段である何らかの仕事の背後に隠れることもできません。ロー・リシマが何を意味するか明らかにすることはとても重要です。

人がリシマ(彼女のため)の状態に入るとき、物事はより明白になり、より疑う余地のないものになります。物事がより易しくなると言うことはできませんが、人はその体験から利益を得ます。しかし当面の間、つまり準備期間の間は、人は彼の最後の日まで、座る用意のできた片隅に身を避けます。もしグループが彼を駆り立てず案内しないなら、それは大きな問題です。彼は、彼ら(グループ)が言うことを聞くために、彼らよりも低いと感じなければなりません。

助けがないという感じが一方にあり、他方には前進する必要性があります。この状態をヤミーム・ノライーム(畏れの日々)と呼びます。人は不安な状態にあります。というのも彼はクリエイターの欲求を満たすことができず、創造主が全ての創造物に顕現させることができず、創造主と創造物の収束(コンバージェンス)のために自分自身を捧げることができない、という恐れを持つからです。

このすべてが彼の中に畏れを呼び起こします。それで、この期間が彼にとっての新年の始まりと呼ばれるように、彼はこの段階を実際に実現したいと願います。

From the Preparation to the Daily Kabbalah Lesson 9/14/12

ゲームのルールを変更せよ

変化は改善する光によってのみ起こり得ます。この光は我々がいる状態を実現することを促進させるために勝手に訪れます。それは絶え間なく我々を照らしながらその照度を強めます。言い換えれば、それは絶え間なく明るくなり、レシモット(思い出すこと・回想)を明らかにし、変化させ、強めます。そして、こうして我々は自分たちが変化していると感じます。

我々が何かをしたいとき、何かを明きらかにするとき、技術を開発するとき、そして、進展するとき、それらはすべてレシモットに従っています。レシモットが我々をやむを得ず行動させるのです。突如としてニュートンは重力の法則を発見し、突如としてアインシュタインは相対性理論を展開し、さらにまた他の科学者が現れては新しい発見をし、そのように世界は進展します。良い人や悪い人、異なる人々が現れ、あたかも彼らが世界を進展させているように思えます。そのように我々は光の影響下でレシモットが発達するさなか暮らしているのです。

しかし、我々は、この光が我々の利己的な欲求を強めるために照らすのではなく、利己的な欲求を変え、是正し、授与したいという欲求に変化させるために照らすよう、この光を呼び起こすことを望みます。我々は自分たち自身の力で「努力」というものをしなくてはなりません。我々が自分たち自身の欲求を変えなくてはならないので、この行為は自発的なものです。我々の中で、つまり我々の欲求の中で隠されているスピリチュアルなスパークを用いて我々は我々の変化を起こしており、それは、物事が違った形になれること、我々が自分たちの欲求の異なった使い方ができること、そして、他者を利用するのではなく他者のために行動して他者への愛と授与を達成できることの理解を助けます。

光は我々のレシモットを照らし続け、我々にできることは自分たちに対するその影響を変えることだけです。もし我々がなんとかしてこの問題を理解して取り上げるのなら、我々の中で引き起こされるレシモ(レシモットの単数形)を我々が受け取りの形ではなくて授与の形で使うために実現させる程度にまで、我々のために明るくなる光は、我々の中に変革を遂行することによって、そのような結果をもたらします。

したがって、すべては我々次第です。たとえ我々が、どのような状態にあろうと、つまり絶えず我々の中で明かされるレシモットの内にあろうと、どれくらい我々が受け取りではなく授与の形でレシモットを本能的に実現したいのかによって決まるのです。

もし我々がレシモットを本当に実現したいなら、我々の行為は少なくとも二つの部分に分かれます。まずは、我々が自分たち同士のつながりに取り組むために集合します。我々が達成したい我々同士のつながりは、全体魂を作るための粉々になった魂たちのつながりに似ています。これが私たちのゴールであるためです。これは欲求からの見方、つまり器からの見方です。光の見地からすると、我々は1つの光に我々の中で明るくなること、我々をつなげること、我々のためにクリエーターを明らかにすることを望みます。すなわち、我々のあいだで明かされる、授与の総体的に集合した力のことです。

これが、なぜ我々がカバラの本の中でつながろうとする人々から成るグループ内で実行される行為について読むのかということの理由です。ゾハールの書がこれらの行為、このシステムについて最も完璧な方法で言い表すので、全ての本のなかで最も効果的なのはゾハールの書です。

From the 2nd part of the Daily Kabbalah Lesson 8/26/12, The Zohar

嫉妬は欠点ではない

質問:カバリストは嫉妬を、人がこの世界から脱出してスピリチュアルな世界に入ることを助ける性質のものとしています。本当に、なぜ私は他者を妬むべきなのですか? 結局、誰もが特別で誰もがその人独自の道をたどっています。なぜ他の人のユニークさ(唯一性)が私を嫉妬させ、私の道において私を力づけるべきなのですか?

答え:私は、嫉妬や肉体的欲望や尊敬への欲求を、目的を持って自分の内に呼び起こします。それは他者の成功を妬んだり尊敬を追い求めるような、普通の人についてのことではありません。この世界では私達はあらゆる種類のナンセンスに嫉妬し、つまらない物を本当に欲しています。私は、その反対に、生活に必要なものだけを手に入れ、残り全ては無視します。私が全ての基本的必要物を持っているとき、私はスピリチュアルな仕事のために自分を構築し、このフレームワークの中で私は嫉妬のような道具を使います。

もしそうでなければ、私は前進のための何ものも持たないでしょう。嫉妬、肉体的欲望、尊敬は3つのエゴイスティック・アプローチです。そして私の内にそれらなしで、私に何の仕事ができるでしょうか? この世界から私を連れ出すのは、これらの3つの特質なのです。それはBYA世界を脱してアツィルート世界に入るようなものです。

それで、もし私がスピリチュアルな仕事をしたいと思うなら、私は他人の仕事を見て、彼らの前に自分を無にします。それから私は、彼らを私達の世代の最も偉大な人々として見ます。彼らは、はるか先まで進んでおり、彼らは(すでに)是正の終わりを達成しており、そして私は彼らを妬みます。もし私が妬まないなら、私に力はなく、動くことができません。私は前進するためのすべての力を自分のエゴから受け取ります。正しい意図を伴う正しい前進、それは物質の中に包まれた形態が光によって私の元にもたらされることを意味します。そしてその物質によって私は上昇するのですが、その物質自体とは私自身のエゴのことです。

質問:しかし、どのようにして私は正しい意図を嫉妬から守ることができますか?

答え:それは、その意図が築かれる、嫉妬、肉体的欲望、そして尊敬への欲求によります。あなたはその嫉妬をクリエイターへの嫉妬に転換し、尊敬への欲求をクリエイターのための尊敬に転換し、衝動への肉体的欲求を彼(クリエイター)への密着に転換します。そうでなければ、あなたは何を是正するのですか? あなたは何を建てるのですか、雲の中に空想的なお城ですか?

質問:しかし依然、私が嫉妬すると、その(嫉妬の)火が私を焼き尽くします。

答え:そうではありません。あなたは制限の後に、嫉妬、肉欲、尊敬欲求が起こるのを許すのです。その制限とは、もはやあなたのためではなく、理解し「作業場」を決めるためです。全てがコントロール下になければなりません。そうでなければ、あなたは始めることさえすべきではありません。

手短に言えば、やってみなさい。嫉妬に陥ることを恐れてはなりません。それに取り組み始めなさい。もしあなたが友達を嫉妬するなら幸運なことです。それは良いことです。結局、私達は前進のための他の力を持っていません。もし私が環境なしに一人だけで生きるのなら、私は一匹の動物のようなものでしょう。他方、もし社会が、私に欠けているものを友達が持っていることを、私に常に見せつけ続けることによって、私を駆り立て刺激するなら、それは人生において私の前進を助けます。私はまさに、私に良い例を提供し私が嫉妬するような、特別な環境を必要としているのです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 9/12/12, “Peace in the World”

「心の賢者」とは誰?

質問:バール・ハスラムが書いている「心の賢者」とは誰を指しているのですか?

答え:「心の賢者」とは、より高い「知恵」−「ホフマー」に向けて、心を開く道を探し求めている人のことです。それはユニティ(統一)の知恵であり、他者とつながることによって得られます。

私達は心(ハート)でつながることを望み、様々な願望をつなげることを望み、そして全ての心と全ての願望の総計の中から、つながる準備のできたものだけを選びます。そしてそれらの願望の間にコネクションをつくることによって、その中で私達が行動し始めることを望むところの共通のネットワークを創造します。

このネットワークの内側にいる間は、私達はどの願望が誰のものだったかについて忘れます。なぜならそれは今や私達に共通のシステムだからです。それから私達はその中に、ホフマーの光を感じ始め、それゆえ「心の賢者」と呼ばれます。結局、私達は心(ハート)のつながりの中でホフマー(知恵)の光を明らかにします。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/11/12, Panim Meirot UMasbirot

一つのボルトが世界の破壊を引き起こす

バール・ハスラム著「世界における平和」:そして社会における一人一人すべての個人は、一つの機械の中で幾つもの他の歯車につながっている一つの歯車のようなものです。そしてこの一つの歯車は機械の中にもそれ自身にも運動の自由は持っていません。それはただ、その機械が機械本来の役割を果たそうとする方向へ向けて、他の歯車達の動きに合わせて回り続けるのです。

あなたがエンジンの中の一つのボルトであると考えてみましょう。そのあなたが壊れるとします。その結果、あなたと一緒にエンジン全体も故障します。それで、その自動車と中の乗客は動くことができません。また他の乗客を乗せた自動車の道まで塞いでしまいます。ただ一つの小さなボルトが原因でこの全てが引き起こされます。似たような出来事が、かつてイギリス軍にありました。乗馬の馬蹄が壊れたために王様が戦闘に負けてしまったのです。その馬は片足を引きずって歩き、これが戦士達の士気を挫き、敗北へ導いたのでした。後になって彼らは、爪がひとつ割れたことが、彼らの敗北と何千という死の理由であることが分かりました。

それで、一つのボルトの価値とは何でしょうか? それは、もしそれが壊れたり適切に機能しなかったときに引き起こしうる、全てのダメージ分の価値があります。ここから、あなたは、自分の価値・特質に従って、世界にとって価値があることが分かります。なぜなら私達はあなたによって苦しむからです。しかしながら、もしあなたが自分の仕事をするのなら、そのとき私達は是正の終わりに到達するでしょう。これは、あなたが私達にとって大切な存在であり、実際、値を付けられない程であることを意味します。というのも全ての物が(小さなボルトである)あなたに依存しているからです。別の言葉で言えば、誰もが、その貢献と、起こしうる損害に応じて、世界全体の価値があるのです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 9/10/12, “Peace in the World”

微かな光が射し込む壁の裂け目をお見逃しなく

「涙の門」に至るとは、あなたが自分を、持ち上げることのできない重い石、すなわち自分自身の力では動かすことのできない欲求として、そしてそれ以外の何者でもないと見るようになることを意味します。その動きのすべては外部から来るエネルギーによってのみ可能になります。それで、私達の仕事の全ては、外部の環境から、この状態に対する助けを誘導する手段を見つけることです。

大変重要なポイントは、私達が自由意志を与えられていることです。ちょうど人が力を失い、もはや何もすることができないように見えるとき、また人が絶望、あるいは、ただの弱さを感じるとき、また人がモチベーションと未来の希望を失うとき、そのようなとき、その人は突然、自分自身では全く身動きできないことを感じます。その人をゴールへ向けて引っ張ってゆく意志の力は存在せず、ただわずかに、彼を背後から駆り立て、強制的に動かす小さな針がいくつか存在するだけです。

しかしながら、自分自身の力によって前進する自由意志が現れるのは、まさにそのような死んだ状態の中においてなのです。それは、ポジティブであろうとネガティブであろうと、何か見知らぬ異質な力によってではなく、自分自身でその前進する力を見つけることにかかっています。そしてその人はこれらの力をその人自身の内側に探し求めるのではなく、むしろ環境と共に働き始めるべきであり、そしてその力によってクリエイターの元へ登っていきます。

しかし人は、そのような惨めで灰色の状態の中で、光が開示される瞬間を見分けるために、とても敏感であるべきです。その時にあなたは光の中に入ることができ、そして行動することができます。

突然、多くの欲求の中に光の窓口が現れ、人はその中に貫通し突破することができるようになります。人は、最も死んだような状態にあるとき、無力感を感じスピリチュアリティの全ての味わいを失ってしまったときには、常にそのような瞬間を待たなければなりません。そのような状態においてすら敏感であることは可能です。

絶望や無関心を感じるとき、人は、この状態の中でも外へ飛び越えることができる日が来ることを心待ちにしながら、依然として鋭い知覚を維持しなければなりません。それはあたかも、あなたの目の前に堅固な壁があって、ある日突然そこに小さなひび割れがあることに気づくようなものです。あなたはそれを貫き通し、そこから脱出する道を発見します。この暗闇の状態の中にあって充実と達成の獲得方法を見つけるのは、まさにその場所なのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/6/12, Writings of Rabash 

自由な投影

スピリチュアリティには、GEAHPの2つの部分からなる器が存在します。全てのカバラ文献は、このスピリチュアルな「根」を正確に記述しています。その結果が私達の世界においては「枝」となって現れています。言い換えると、アツィルート世界からの根の行為が、目の前にそれらのレプリカを創造します。

分かりやすくするために、私達はそれをスクリーンに反映されるコンピュータ・グラフィックスにたとえることができます。私はスクリーン上に人々の姿形を見ます。彼らの内の何人かはGEの投影であり、また何人かはAHPの投影です。スピリチュアリティには、「アブラハム」と呼ばれるフォース(力)が存在します。それは様々な器、様々な欲求を2つのタイプに分類させます。そして結果として、私達の世界には2つのグループが存在することになります。イスラエル(ヤシャー・ケルつまり「クリエイターに向かって真直ぐ」の意)と世界の諸国民です。

全てが根から派生します。それらはスピリチュアルな「コンピュータ」の中で、そのプログラムが終わるまで、ある特別な「加算」によって処理されます。私達は、私達の世界という「スクリーン」上の処理をたどります。そしてこれら二つのグループの関係に従って、私達はそれらの根について学ぶことができます。また私達はそれらの根まで上昇し、それらの枝について学ぶこともできるようになります。

しかしスクリーン上の投影と「コンピュータ化されたソース」の間には、あるギャップ(Δ)が存在します。それが達成すべき私達の役割です。そのコンピュータの内部には、絶対的で全体的なコントロールと、スクリーンに責任のある存在がおり、その存在はゴール達成において自由意志(選択)を持っています。そして、この選択は「イスラエル」と呼ばれるグループに隠されています。

この問題のある要素に関する、2つの正しい主張はここから派生します。世界の諸国民の立場と、「ソース」の背後にいるクリエイターの立場です。イスラエルこそ、この世界を修正し、皆に何が善と悪かを示し、創造の計画を説明すべきなのです。

イスラエルはこの義務とこの特別な仕事、クリエイターの仕事に誇りを持つことができます。またこれを「無関係なもの」として投げ捨てることもできます。どちらの場合にしても、歴史を見れば分かる通り、全てがこれらの人々を中心に回ります。それが彼らにとって幸運か不運か、それはあなたの見方次第です。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/30/12, “A Handmaid That Is Heir to Her Mistress”

努力なしには学べない

バール・ハスラム、「ラスト・ジェネレーション(最後の世代)」:文字通りの意味で隣人愛に基づく利他主義の法律の採択。各自が能力に応じて働き、必要性に応じて受け取れるよう、利益の公平な分配

我々はバール・ハスラムがこれらの原理をマルクスから取ってないことを明確に理解しなくてはなりません。一般的に、彼の方法は例えばマルクス、アインシュタイン、そしてフロイトなどの科学者の概念に基礎を置きません。彼は、器たち(魂たち)の是正された完璧な形態を見るだけで、我々がゴール(是正の終わりと完璧さ)へと向かって前進しながら、この世で通過すべき段階が何であるのかを目にするのです。

我々は、身体、社会構造、人々の関係、国々、様々な政党および政治運動について話しているのではありません。そうではなく、我々は魂たちについて話しているのです。すなわち、魂たちがどのようにして一体化し、一つの魂になり、ゴール(無限の世界での是正の終わり)へと辿り着くのかについて。

どうやって我々は、この世における連続的な物理的行為の助けを借りて、スピリチュアルな是正をもたらすことができるのでしょうか。「あなた(クリエーター)の行為から我々はあなたを知ります」と言われています。我々はまずはじめに行為を遂行し、そしてその後にそれを理解するのです。現実の世界でもそうです。例えば、新しい職場で私はまず盲目的に管理者の指示を遂行し、自分の職務を学びます。

同様に、子どもは大人をまねます。そして、この本能のおかげで、後に子どもは何が起きているのか理解し始めます。別のやり方ではなく、あるやり方で行動する必要があるという理由です。子どもは常に練習によって勉強し始めます:彼は見た手本を何回か繰り返し、その後になって初めて、我々は彼にその状況の道理を説明できるのです。そして、彼はもしかすると彼の理解から何かを加えて、そのタスクを我々がするよりもさらに上手く遂行するでしょう。

したがって、何でも新しいものは古いものを模倣することから始まるのです。そのため、バール・ハスラムの作品を勉強しているとき、我々は彼が何を通して我々の状況を見ているのか理解しなくてはなりません。彼の視線は、諸世界における今日我々の目の前に現れている非常に外的な形態から、是正の終わりで彼が目にする様相までのすべてを貫きます。彼はすべての人がゴールに向かう途中で通過しなくてはならない全過程を目にします。そして、そのゴールとは、我々が、身体もない、この世もない、無限の世界で最終形態の自分たち自身を明らかにすることなのです。

したがって、重点はマルクスでも誰かの有名な引用文でも社会主義的な見解のなかでもありません。バール・ハスラムは、我々がどんな状態を通過しなくてはならないのか、そして、どのように振る舞うべきか説明するために、マルクスの理論や他の理論、定義、記号、そして名前をただ利用しているだけにすぎません。彼は、最後の是正に向かう途中で我々が持っていくものすべてを説明する、別の言葉を見つけることもできました。あなたは彼が社会主義者であるとみなすべきでも、彼に何か政治的な共感があると思うべきでもありません。是正の正しいステップを我々に示すために、存在する概念を用いることは、彼にとって都合がよいことなのです。

したがって、彼は他者への愛から始めます:最初、我々はこのやり方で、我々が破壊のあとの器たち(複数の欲求)の是正について話していることを知りつつ、自分たち自身を教育しなくてはなりません。一体化とは、是正された状態に我々を戻す唯一のツールです。したがって、この段階において我々が理解するところの文脈では、この一体化は以下の概念によって定義されます:「あなた自身としてあなたの隣人を愛せよ」そしてさらにもっとあります。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/26/12, Writings of Baal HaSulam, “Last Generation”

転落は獲得されねばならない!

あなたが上位のものを評価すればするほど、あなたはより光に近くなります。あなたがクリエイターを正当化し、崇敬するとき、その高みから、あなたは追加の願望(アヴィユート)、すなわち転落を獲得します。あなたが光に近づけば近づくほど、それがあなたに働きかける強度もより大きくなります。

光の効果は、あなたのアプローチ、より光に近づこうとするあなたの試みによって、増幅されます。そしてそのような訳で、あなたの願望に従って、情報遺伝子(レシモット)はより高い速度で現れ、光により近い特徴を持ちます。

そしてその途上で、あなたの願望の深さとネガティヴな感情が、あなたに明かされます。しかしこれは全て、同じポジティヴな傾向の中にあります。その状態は全く反対に見えるかもしれませんが。そのような訳であなたは暗闇の中でさえ是正を実行するのです。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 8/27/12, The Study of the Ten Sefirot

未来の雇用の特徴

バール・ハスラム「ラスト・ジェネレーション」:失業者は、雇用者と等しく、その必要物を受け取るでしょう。

原則的に、これは今日でも、いくらかそうあるべきものです。結局、都市に住む人々は、収入源を失ってしまえば、自分たちは食べていくことができません。彼らは家畜も土地も持たず、土地の耕し方も知りません。しかしながら、どのような場合でも、人には食べるものがなければなりません。それは自然な、差し迫った必要です。

質問:もし私達が人類という一つのシステムについて話しているなら、体の中の一個の細胞のように、一人一人が何らかの仕事をしなければなりません。そのとき、失業者はどこから来るのでしょうか?

答え:私達は社会を組織しなければなりません。それは誰もが為すべき何かを持つ社会です。しかし実際的には、それはスピリチュアルな「雇用」についての話です。物質的な面では、雇用は最小化することができます。

過去の世代の人々はとても簡素に暮らしていました。例えば、市場の売り手は一日かけて一つの壺を売ることができ、それで十分でした。車はなく、オートメーションもなく、生産性は低いものでした。しかし人々は一日に数時間働くだけで、それ以上の労働を必要としませんでした。今日では、そのような多くの労働者は必要とされていません。そのかわりに、人々は勉強し、全てのことにおいてお互いに助け支えるようになるでしょう。

私達の仕事は、人々の自由時間を生産的に満たすことです。今日、様々な種類の仕事・活動の約90%は余計なものです。もしこのバブルを破裂させ、全てを健康的で、良い、合理的な生活のレベルまで減少させるとすると、全員で取り組むだけの分量の仕事は存在しなくなるでしょう。結局、私達は修理や交換を必要とする短命の製品ではなく、より大きな耐久性を持つ信頼出来る製品を生産するようになるでしょう。最大でも労働人口の10%だけが働く必要があるようになることが分かるでしょう。

今日、広告によって消費者をだます余分な物の過剰生産が十分に確立されてしまっていることから、これらの過剰生産物は放り出されては、新しい物に取って代わられます。これは製造業や医薬他すべてに当てはまります。人がすることは何でも、その人自身の損害になっています。製薬業は余分な薬を生産し、防衛産業は軍事兵器を生産します。要するに、全てがそのあるべき姿の裏返しになっています。

それで最終的には、5億人が働くことになるでしょう。または全ての人が働くことができるように仕事を分割するでしょう。その場合も一日あたり2時間といったところです。そして残りの時間はスピリチュアルな仕事に捧げられるでしょう。人々は勉強し、お互いを助けることを学ぶ等します。人が働いている・いないに関わらず、全ての人に同じ生活レベルを保証することが必要です。なぜならポイントは、人が働いているかどうかではなく、彼に仕事を提供できるかどうかにあるからです。もし誰かを非難しなければならないなら、彼ではなく自分自身を非難してください。

それゆえ、すべての人に同じ生活水準を創る必要があります。他者からの尊敬や、コミュニティの利益への寄与競争も、それに付け加えることができます。共通の大義への貢献や、社会への賞賛に値する奉仕のために競争できるし、すべきです。

−見て、私のコンサートで、どれだけ人々が幸せかを!
−見て、私がどれだけ完全に会社を経営しているかを!

さらに、それは会社のディレクターだけではなくオーナーにも当てはまります。私達はソビエト・ロシアで行われたような所有物の公的収用を必要としません。もしある人が工場を所有しているなら、絶え間ない生産に注意し、従業員の適正な就業条件に注意をはらい、そして同時に従業員が勤勉に義務を果たすことを要求します。オーナーは彼がしていることに誇りを持ち、彼の部下や失業者と同じ給料を受け取ります。喜びの残りの部分は、他者からの尊敬によって満たされます。それ以上はありません。

実際、ディレクターの体は、他人の体以上に物を必要とするものなのでしょうか? いいえ、です。彼は社用車とお抱え運転手を持っていますが、これは仕事のためです。そして他の全てのことにおいては、彼は他の人達と似ています。

このようにして、私達は全ての人のポテンシャルを最大限まで活用します。この場合、「動物」レベルにおいては、全員が他の全員と等しく受け取ります。しかし人間レベルでは名誉と尊敬を獲得します。この全ては、人々がインテグラル・エデュケーションのシステムに参加したときのみ機能するでしょう。

このようにして、私達は正しい道を選択し、全体の是正へ向けて努力するでしょう。なぜなら私達のゴールは「動物」的な存続ではなく、人間発達の頂点であるからです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/27/12, Writings of Baal HaSulam, “Last Generation”