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質問:インターネットを見ると、ほとんどの人は、どうやって自分の銀行口座の残高不足から抜け出せるのかという質問の答えを探しています。コメントをいただけますか。
答え:まず第一に、我々は故意に残高不足という負の状態に置かれています。この負の状態とは一種の奴隷制度であり、一種の人間同士の繋がりでもあります。このような繋がりが人を混乱させ、奴隷化するのです。私たちはそれが理解できずに自分達が自由だと思い込んでいます。しかし、あなたはいかなる意味においても自由ではありません。もし現在あなたが自分自身と自分の家族を自由に養うことができていないのなら、あなたは『自由に養うことができない』という同じ程度に鉄の鎖によって縛り付けられた奴隷の状態にいるのです。そして、さらにあなたの銀行口座が残高不足の状態になっているのであれば、あなたは完全に奴隷にされている状態なのです。
全ての税金や支払いや借金は、現代的な奴隷制の一種です。全ては大丈夫のように見えます。お金ももう少し借りれるし、状況はそこまで悪くない…..
借金をかかえて暮らしているこの新しい時代は、最近始まったばかりです。全ての国が負の状態で暮らしています。ある国は数千億ドルの借金に達しています。その国の口座は残高不足の状態です。そして、多くのことはできません。あなたの口座が止められ、借金を支払うまで何も得ることができなくなるかもしれません。つまり国全体は、食べ物を得る為に働く奴隷のように「何でもするから、食べ物をくれ!」と乞うまで奴隷化にさせられます。これこそが人と全ての国に起こっていて、その負の状態から抜け出す方法がありません!
From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 3/1/11, Lesson on Money
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質問:グローバルな教育とは何ですか?誰がそれを管理するのでしょうか?全世界のためのたった一つの教育委員会ですか?
答え:これは世界全体の教育問題に専念する国連の専門機関であるユネスコの任務です。
グローバルな教育とは自然法則の説明を意味します。私達は、皆が互いに繋がっていること、皆が唯一の上層の力によって支配されていること、そして、皆がそれ相応に行動しなくてはならないことを説明する必要があります。
一つの統一体になるということは、お互いの利益を熟考することを意味します。さもなければ、私達が団結する以外に選択肢が無いということを理解するまで、私達は自然からの打撃(自然災害)を受け続けるでしょう。その打撃によって、人はやむを得ずエゴイズム(利己主義)を捨てるでしょう。人は苦しみを避けるためなら、何をしても構わないと思うでしょう。しかし、これらのすべては是正する光の力を用いる良いやり方で達成することができるのです。
もちろん、ユネスコの事務局長とのミーティングの間、それについては説明しませんでしたが、いつか説明しなければならなくなるでしょう。これはマルクスがしたがっていたことです。彼は、人々が団結し始め、社会主義を築き始める時、それが実行できないことを目の当たりにするだろうと考えていました。人々は探求し始め、一つの是正手段―上層の力—しかないことに気付くでしょう。これはマルクスが無神論者であった理由です。彼は授与という上層の力以外にどんな神々も信じていませんでした。
単純に自然を観察することで、私達も繋がらないとならないということが学べます。そしてその後、団結を試みることにより、それが不可能であることを発見します。その時に、答えが明かされます。そのためにカバラを積極的に広めなくてはならないのです。世界はますますそれを必要としていくばかりでしょう。
From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/11/2011, “The Freedom”
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質問:友達への愛とは何ですか?
答え:愛とは1つの共通の欲求に於けるユニティーです。カバラは以下の例を挙げます:ビナーがハフェツ・ヘセド(Hafetz Hesed-自分自身のために何も求めないこと)の状態に達する時、ビナーはマルフトに降りて来て一体化し、ビナーの全ての力をもってマルフトの欲求を満たすために、マルフトの欲求を吸収する。
それが愛と呼ばれるものです:誰か他の人の欲求を吸収し、何でもあなたに出来ることでそれを満たすこと。人は1つしかない枕を譲らなくてはならないと記されています。それは私達が到達する必要のある愛の顕示です。
しかし、どうやってそれを達成できるのでしょうか?私達は物質世界の中で一人一人に全ての基本的生活必需品があるようにしなくてはならず、そしてスピリチュアルな世界の中において一人一人が私達の共通の欲求(Kli、器)のなかにある全てのものを受け取ることを確実にしなくてはなりません。
私達全員を1つの欲求として見なし、それを生き生きした状態に保つために全てのことをすることがとても重要です。各自はそれが自分にかかっていて、しかも、この世界のための天秤を罪の皿から慈悲の皿へと傾かせることが自分の手の内にあると感じなくてはなりません。このように私達はマルフトと呼ばれる上層の光、すなわちクリエーターが明かされる場所を作り出します。しかし、その究極的な目的がクリエーターに満足を与える事であると忘れないようにしなくてはなりません。
しかし、クリエーターに対してそれをする事は容易ではありません。私達にはまだ彼の光の確かな感覚がありません。よって私達は最低限、どうやって彼が隠れている場所に、彼を求める欲求の全てが集合した場所に、喜びをもたらすのかということについて考えるべきなのです。「創造物への愛からクリエーターへの愛へ」と記されているように。創造物への愛は、実際は、最も総合的な一体化した欲求です。
私達が復活させたいと望む私達の魂の関係を友達への愛と呼びます。友達とは、スピリチュアルな内なる繋がりに達するために物質レベルで集まった個人たちなのです。私達は既にそれについての全てを知っています。今はそれをただ実行するときなのです。
それについての無数の言葉が語られてきましたが、それらの言葉はその人のいる状態に従って毎回新しく知覚されます。私達はそれらを私達自身の内側へとより深く吸収する必要があるだけなのです。そうするとそれは明確になるでしょう。
この事において根気が必要とされます。それは私が待つことに賛成し、全てのことを後回しにする、明日にするということではありません。今日できる全ての努力をする根気を持って下さい。しかし、もし成功の兆候が見られないなら、それは今にも起きるという自信を持ってください。
From the Daily Kabbalah Lesson 12/10/2010, Baal HaSulam, Letter 13, 1925
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私が利己的な奴隷の境遇から出るときに入る「砂漠」が、グループです。
相互授与のなかに居ることと、みんなに授与するという事実から喜びを感じることが、自分にとって、真の「砂漠」および「苦しみのパン」(マッツァー:ユダヤ人が過越祭に食べる無酵母のパン)です。
もし私が授与から利己的な喜びを受け取ることができれば、私は受け取るために喜んで与えるでしょう。しかし、私は、何の個人利得なしに「授与するため」に与えることはできません。私はこのように振る舞うことが出来ません。私は“授与の燃料”で指の一本も動かすことができないのです。私はこのことからなんの栄養も受け取りません、よって、どのようにしてエンジンは、燃料なしに、電気なしに、動くことができるのでしょうか?
利己的な受け取りは、私にあらゆる種類の多大なエネルギー(カロリー、ワット、ジュール)を与えますが、授与は何も与えません。私は受け取るために自分の手を動かしますが、それが授与であると知ればすぐに、私は凍りつき、それいじょう動けません。その瞬間、その行為のまっ最中に、それが授与に向けられていることに私が気づくとき、私は凍りつき、動かなくなり何も出来ないのです。あなたは「頑張れ!やれ!あともう一歩だ!」と私に向かって叫ぶことができますが、私はそれを聞き入れることが出来ません。
したがって、私達のエジプト(エゴ)から私達がスピリチュアリティの世界の美しさを見て、それを望みはじめることが出来ないのです。グループだけが私達にスピリチュアリティの重要性をしみ込ませます。それは私達のエゴを欺き、スピリチュアリティの中が気持ちいいとエゴに信じさせるのです。
私達が内部的につながっていて、お互いに影響を及ぼし合っていることから、私はこのうそを真実であるとみなします。私の高慢と情欲と野望を巧みにあやつりながら、喜びを私に約束した肉体上の世界のうそを真実とみなしていたように。私は突然、自分の利己的な所有物の全て―魚やお肉の入っているかめでいっぱいの“ピトムとラムセスの開花している都市”―を捨てる覚悟があるほど強くスピリチュアリティを望み始め、1袋の小麦粉を背負い砂漠へと逃げるのです。
だから私達の作業のすべては、スピリチュアリティの世界が世の中で最善のものであると、お互いを納得させることにあるのです。これはその通りです。たとえ私達の現在の利己的な願望との関係上、スピリチュアリティが完全な砂漠で悲しみのパンであったとしても。
したがって、下降の諸状態のなかで絶望しないでください。なぜならそれらが本物の状態であり、突破の前に生じることになっているからです。一方では、私が状況を現実的に評価し、自分が授与したくないと実感します―私はそれが大嫌いであり、それに憤慨します。しかしながら、それは非常に重要なので、私はどんなことがあってもそれに到達したく、スピリチュアリティのない人生を、死よりも悪いと見ます。私 に於けるこの考え方(心構え・姿勢・態度)は、社会によって生み出されます。
From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 10/31/10, “This is for Judah”