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動きなしに目覚めること

私達の仕事の全ては、現実に確固として存在している永遠で全体的な状態を発見することです。私達はその中に存在しています。私達は、今感じているこの世界のかわりに、それを感じるように感情と思考を喚起しなければなりません。私達はクリエイターとの密着を達成するまで、いつでも、動くことではなくより目覚めることのみによって、ハートとマインドを開かなければなりません。

もしこのように状態をイメージするならば、そのとき私達は、自分達に起こる全てのことは特別な注意を払うべき場所の合図である、ということを明確に理解します。私達は、それらの場所において、自分達の感情、思考、意図、性質について態度を明らかにしなければなりません。それは一連の出来事でそれらをより発達させるためであり、また私達が、クリエイターと持続的に密着している状態を啓示されるに相応しい者になるためです、

それで、逃げ場所はどこにもありません。私達はいつでも「心の点」(point in the heart)から始まった同じ内的地点まで戻らねばなりません。そしてその絶え間ない発達を確かなものにしなければなりません。全てのリアリティの中で私達が発見できるものは一つの力(フォース)を除いてありません。その力は私達の中にあり、私達を支え、いつでも私達を世話してします。

もしある人がこの方法で自分自身の動きを停止させるなら、(彼は)「心の点」の中にある上層の力の啓示へ導くような発達をするために、唯一正しい方向を見ることによって、そして同時に、その方向から離れずに、彼が発達し、見て、確認し、感じることを可能にするように見える他のやり方全てを意図的に止めて制限すること、つまり強くそれらを締め出すことによって、彼は自分の諸力をゴール達成に向けていることを意味します。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 2/19/13, Writings of Baal HaSulam

彼らはメシアから何を期待するのか

質問:世界の何百万という人々がメシア(救世主)を待っています。なぜカバリスト達は初めから「メシア」概念の意味について説明しなかったのですか?

答え:人々にそれを説明することは不可能です。(それでも何とか)私はあなたにそれを説明してみましょう。そうすれば、あなたも他の人達にそれを伝えようとするでしょう。

私達は大きな世界、巨大な現実の中にいます。しかし私達はその小さな部分だけを掴(つか)んで「この世」と呼びます。生と死、全てのことが「宇宙」と呼ばれるこの小さなエリアの中で起こります。

全ては認識(気づき)に依存します。概して言えば、私達の身体は動物レベルに属しているのですが、今日私達はそれを自分自身と同一認しています。それに食べさせ、それを洗い、それをベッドに寝かせます。要するに、私達は四六時中それに関心があります。

私の身体が生きて健康である限り、そのように私は築きあげられています。そしてもし私が病気になり、気分が悪くなり、そしてもし身体が死ぬならば、そのとき「私」もまたそれと共に死ぬことになります。なぜなら私にとっては身体をおいて他には、何も存在しないように見えるからです。

しかし(ついに)時は到来しました。すなわち私達が認識を発達させ身体を乗り越えることができる時代です。その時もはや生命を身体の中だけで感じ、また身体を通してのみ世界を見ることはなくなります。この新しい、拡大された、高位の知覚は身体のフレームワーク(枠組み)によって限定されません。これが「インテグラル・アウェアネス」(統合的認識・全体的な気づき)」と呼ばれます。他者とのつながりという助けによって、私は自分の物理的身体を乗り越え、そして私達の間のつながりを通して、私はより拡大された感覚で現実を感じ始めます。それは私の身体の内側で感じられるだけではなく、私達のつながりの中で、いくつかの(他者の)身体の内側でも一緒に感じられるもので、私は私達全員を一つの新しい体のように感じます。

かつては「私」だけだったものが、今や私達は自分たちの間に異なった種類のつながりを築き上げつつあります。そうして私達は、私達全てが一緒に、一つのシステムの中で一つの新しい相互的な生命を生きはじめる地点に至ります。分離され限定された自己存在の代わりに、各自が私達の全体的でスピリチュアルな身体、つまり魂、を感じます。

そして、このことを感じる道はようやく今、私達の前に開かれています。もし私が私の物理的身体の中に存在しているもの以上に、この魂の中に存在しているものを感じるならば、そのとき私は自分自身をこの新しいスピリチュアルな身体の中にあるものとして感じます。実際、(物理的・霊的)どちらの場合も私達は欲求(願望・欲望)について話しています。ただこれらの(スピリチュアルな)欲求は相互的であり、「理性の上で」見出されます。これらは、はじめから既に授与の欲求です。このような理由により、マサッフ(スクリーン)で覆われた私の身体の上に見出される誰もが(授与の欲求という点で)私と似ているのです。

このようにして、私達は新しい現実、新しい世界に入り、新しい価値を獲得し、そして生と死に対する評価も異なるものとなり、健康や病気などについても同様になります。

この移行、つまり内部の「私自身」感覚から、外部からの「私自身」感覚への移行は、単純からは程遠い(プロセス)であり、ある特別な力(フォース)の助けによって実行されます。それが私を(自己の)内部認識から外部認識へと引き上げます。(この引き抜きをヘブライ語で「モシェフ」と言います。)これがメシア(マシアフ)と呼ばれるものです。そしてそれを達成するために、人は本当に努力する必要があります。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/7/13, “A Speech for the Completion of The Zohar”

どうすれば自分のことだけを考えることをやめれるのか?

 質問:人はどの器の中でスピリチュアリティを見つけるのですか?

答え:“戻る光”(Returning Light)の中です。その意味は授与(与えること)の中ということです。それは自分のことよりも他者のことについて心配する時のこと、自分にとって自分より他者のほうが大切な時のことです。

質問:人はスピリチュアルな器を獲得するために何を無にしないといけないのですか?

答え:自分のことだけについて考えることを無にしないといけません。どうやって自分のことしか考えない私が、他者の利益のために自分自身を完全に変える状態に切り替えられるのでしょうか? どこでそのような欲求や願望を得ることができるのでしょうか? どこでそのような努力をするための力を見つけられるのでしょうか?

ここで私を助けるのが“改善する光”(the Light that Reforms)です。それは“エジプトからの脱出の奇跡”と呼ばれています。私は自分の感情(heart)と知性(mind)を、自分のことを心配するという欲求から取り出し、それらを他者の中に入れます。もちろんこれを自分の力ですることはできません。囚人は自分自身を牢獄から釈放することはできません。自分で自分の髪の毛を引っ張り、沼地から抜け出すことはできないのです。

しかし、光が来てその欲求からこの心配を取り出し、それを他の誰かの中に入れてくれます。そしたら私はその人のことを心配しだします。母親が自分の赤ちゃんの心配をするように。結局のところ、同じ事が彼女にも起こりますが、それは利己的なレベルです:それはまるで彼女が自分の赤ちゃんの心配をするように催眠術をかけられ、赤ちゃんを一日中見て心配をしているようなことです。もし私たちがこの世に於けるそのようなプロセスについて知らなかったなら、彼女が気でも狂ったのかと思うことでしょう。

これも光の働きですが、母親は自分の赤ちゃんを愛すことができるようになりたいと頼む必要はありません。彼女はこの愛を上層から単に与えられるのです。しかし私たちの場合は違います。人には選択肢が与えられます。「“動物”のレベルのままでいたいのですか?  ならどうぞいてください。しかし、もしスピリチュアルなレベルに上がりたいなら、この力を起動させる必要があります。」

あなたは常に上達し、より賢くなる必要があります。要するに、クリエーターを起動させるためにクリエーターの知性を獲得する必要があるということです。これがその二つのレベルの違いです―あなたがクリエーターを起動するという事実。このことについてタルムードは「我が息子たちは私を負かした」と伝えます。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/6/13, A Speech for the Completion of The Zohar”

痛みを感じる丸太

バール・ハスラム、「ゾハールの完成のためのスピーチ」:あなたがクリエーターとの形態の等価(同等性)を達成する時―彼の全行為は与えることそして他者に利益を与えること、そのようにあなたも、全ての行為が与えることそして他者に利益を与えることだけになる。これが完全なるディヴィクット(密着)である。

質問:“形態の等価(同等性)”とは何ですか? もし私が“受け取る意志”ならば、どうやって私は形態において等しくなれますか?

答え:仮にあなたが私に似たいとします。私はあなたと遊び、あなたに対してある形で現れ、あなたは私のようになろうとします:あなたは私がすることをし、私のように考え、私のように話します。翌日に私はより進歩した形で現れ、あなたは話し方と振る舞い方と考え方において私にもっと適応しなければなりません。私はあなたに模範を示し、あなたはそれらに従わないといけないのです。これを「形態の等価(同等性)」といいます。

ここであなたはこう尋ねるかもしれません:「しかし、クリエーターが見えないなら、どうやって彼に似ることができますか?それ(旧約聖書)は「汝の神、主に立ち帰れ」と伝えます。どうやって彼のもとへ帰れますか?どうやって彼にますます似ることができますか?せめて模範を示して下さい・・・。」

頼みなさい。あなたがクリエーターのようになることができるように、彼に模範を示すよう、そして、彼が誰で何であるか示すよう頼みなさい。もし頼まないなら、あなたは彼のようになりたくないことを意味します。あなたにとって本当に必要なものが模範だけの時、あなたはそれを受け取るでしょう。

質問:私は猫を飼っています。私は猫に私の知る全てのことを教えることができますが、猫はいずれ私のようになるでしょうか?

答え:猫に「心の点」はありません。猫に教えることはできません。あなたは猫を手なずけることしかできません。猫を何らかにすることはできますが、猫を人間にすることはできません。なぜなら“人間”(アダム)とは“クリエーターと似ている”(ドメー)を意味するからです。猫にはそのための出発点、初めのスパーク、つまり「心の点」がないのです。

もし器の破壊の間に受け取る意志の中に入った心の点がなかったとしたら、私たちも動物のレベルまでしか発達しなかったでしょう。しかし、私たちがこのフェーズを完了させるとき、スピーキングのレベルの点が私たちの中で吹き出すように現れます。これが今日人類に起きていることなのです:人類は“動物”のレベルにおいて進化の終わりに到達したのです。

全てはゼロから、カオス(混沌)から始まりました。そして自然において静物のレベル(still nature)が現れ、その後に植物のレベル(vegitative nature)が現れ、そしてその後に動物のレベル(animate nature)が現れました。もしスピーキングの点が動物のレベルになかったとしたら、スピーキングのレベルに属する人間(Adam)は、どこへも進化せず、全てはここで終わるでしょう。

これが世界での驚きと問題なのです:人々は彼らが新たなレベルに直面していることを理解していません。彼らが理解しない理由は彼らにそれが見えないからです。それは触れられません。それはスピリチュアルなのです。前のレベルの全ては具象的なのに、スピーキングのレベルは具象的ではありません。

もし私が自然における静物のレベルであるなら、自分のより高いレベルを認識することはできません:植物のレベルと動物のレベルのことです。下位と上位の両方に見ることのできるつながりはありますが、人間のレベルが何なのか私には全くわかりません。また、人間のレベルに上昇することは私にとって大きな謎です。私に何ができるのでしょうか?私にはそれをつかむ方法も模範もなく、それはまさに未知なのです。

これこそが、世界中の人々が何が起きているのか理解できない理由および将来の上昇のメッセージをを受け入れることのできない理由なのです。

最初、クリエーターによって創造された欲求(または願望)は、心の点(・)、ガルガルタ・ヴェ・エインアイム(GE)としての機能を果たす部分でした。これを“イスラエル(Israel)”といい、それは“ヤシャー・エル”(クリエーターへ真っ直ぐ)ということを意味します。アブラハム(Abraham)はこの部分に属す人々を古代のバベル(Babel)から連れていきましたが、心の点のない(without (・))他のバビロニア人はバベルに残りました。

そしてその後に、粉々に砕け散ること(shattering)、つまり破壊(destruction)により複数のイスラエルの点は陥落し、欲求の物質とミックスされました。これがイスラエルの人々の国外追放(exile)です。つまり特質の相互的な取り入れ(mutual incorporation)によって今日の全ての人が心の点を持つようになったことです。

そうはいっても、人々の目の前に進化のもう一つのフェーズ、“動物”のレベルよりも質が高く本質的で強力なもう一つのレベルがあることを心に描くことはとても難しいことです。地球の表面に植物しか見ることができないと想像してみてくだい。この光景に次なる動物のレベルである鳥や魚、そして人とその文明を加えると、なんという違いでしょう。

現在、私たちは新しいレベルに直面しているのに、誰もそれを理解していなく、誰もそこへと上昇する必要性に気づいてません。

質問:心の点が全てのことを決めるなら、私を今日のピノキオに例えることは可能ですか?

答え:心の点がなければ、あなたは“丸太”になるでしょう。しかし、この丸太の中には何か他のものがあります。したがってゼペットがそれを斧で切り始めた時にそれが大声を上げるのです。これが“心の点”で、それが人間の声を出すのです。私たちの中の他の全てのものはまさに“丸太”にすぎません。

次なるレベルは無からは形成されません。したがって発達する必要を感じる人々が我々、ブネイ・バルーフ(BB)に来るのです。上昇する性向を持ち、愛(love)によって前進するために。他の人々(others)はこのレベルに達するために「苦難の道」に沿って発達しなくてはならないでしょう。

もし心の点が目立たなく、人々がその存在に気づかないなら、苦しみだけが彼らを前に進ませるでしょう。心の点は人々を前に引き寄せますが、苦しみ(suffering)は人々を後ろから押します。それはダイポール(双極子)に似ており、全ては何があなたを動かすかによります―それがトーラー(Torah)なのか、それとも苦しみ(suffering)なのかということです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/3/13A Speech for the Completion of The Zohar”

変化の公式

質問:私は仕事の中で、最近何人かの大学教授に接触し、他の事柄とともにカバラについて話しました。彼らは原理は理解していると言わなければなりません。しかし(カバラを)信じません。

答え:その通りです。彼らは(次のような)合理的アプローチをします。

「我々は今まで様々な科学により世界を相当研究してきたので、世界の全体像は明らかである。しかし今ここに(狂っているようにも見えない)男がやってきて、どこから持ってきたのか我々には分からない概念について話し始めている。彼が言うには、これが全ての科学の基礎であり、全ての物事は光(Lights)と器(vessels)に結びつけられるという。」

「我々はこれについて何も知らない。また彼が語るものについていかなる証拠も見ない。彼の説明は大変論理的でもっともに聞こえるが、彼はその知恵を仮想の仮定の上に築いている。「それがそうであると仮定して」と彼は言い、この仮定を根拠に、全体的で完全な哲学を築いているのだ。」

「しかし、もし我々の基準でそれを科学と呼べないのなら、何故それを一つの科学として受け入れねばならないのか? 科学とは(対象について)研究・思考されうるものである。(ところが)彼が言うには、彼の科学とは、それに従って生き、内的に変化することのみを要求するという。我々は今までそのようなものについて聞いたことがない。「人間の性質を変化させる」とは何を意味するのか? 我々は文化を持ち、教育を持ち、人々に親切に共感的になるように教えている。他に何ができようか? これが科学に何の関係があるというのか?」

科学者は認識・知覚の相対性を認知することができません。彼らは、ある人物の(内的)変化が彼の現実(リアリティ)を変えるということを理解しません。なぜなら(その人にとって)現実とは全て彼の内的な反応によって創造されるからです。

カバラの知恵はこの精密な相互連結を説明します。私が自分自身を変える程度に応じて、私が感じる世界が変化します。これ(下図)が鍵となる公式です。ひとつの固定された係数とひとつの変化するパラメータがあります。このパラメータは器、私の願望、私の感受性、私の意図、私の考えなどを反映します。これらが変化すると、そのとき世界が変化します。

Xは「私」です。Kは固定係数であり、Yが世界です。私はこれを聞きたいという人には話します。しかし科学者はこの準備ができていません。彼らには彼らをこの世界から引き出す新しい願望が欠けています。もし彼らがそこまで発達していなければ、彼らは聞こうとしないでしょう。(カバラを学ぶには)人はこの現実世界の現象に敏感であるだけでなく、霊的世界の現象にも敏感である必要があります。

質問:それは何を意味するのでしょうか? そのような知的な人々、学者達は私達を理解できないのですか?

答え:彼らは実際、最も「抵抗する」人々です。なぜなら彼らは既に確固たる基礎を持っていると確信しているからです、

質問:それでは私達は誰を振り向かせることができますか?

答え:あるカバラの寓話があります。プタヒヤという名の男が町にやってきて、全ての「虚しい」人々を砂漠に連れて行きました。結局、もし人生の味について新しい疑問が起きたならば、その人は自分が惨めで虚しいと感じます。

しかし、もしその人がそのように感じなければ、つまり彼がそれに合う器、願望を持っていなければ、それは彼がまだ特定の知覚レベルには達していないということを意味します。

私達はもちろん普及活動を止めません。しかし心の点(point in the heart)を持つ人だけが、カバラの知恵のメッセージを聞くことができます。(そうでない場合)代わりとなるものは、自分が鞭打たれた動物であると感じることです。彼を打つ終わりのない暴風から逃げ場のない動物です。その後で、まさにその困難を取り除くために、私達の後を追う準備ができるようになります。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 1/2/13, “Body and Soul”

非個人的な生(せい)

質問:どのようにして正しいつながりを感じればよいのでしょうか?

答え:正しいつながりとは、つながりのみを感じて、われわれ自身を感じない時のことです。それは今起きていることとは正反対なことです。

もし我々の皆が自分自身を切り離すのなら、我々は我々の間にあるつながりだけを感じるでしょう。すなわち、生きていて存在している全員から成る体のことです。各自は自身の個人的な細胞を感じるのではなく、全員から成る体の中に含まれて、自分自身ではなく全員から成る体のみを感じるまで自分自身を捧げるでしょう。これが、つながりを達成(獲得)したことを意味するのです。

個人的に誰かに属しているのではなく、我々のつながりの結果である、全員から成る体における生命の集団的感覚、この感覚のことをクリエーターと呼びます。

この器をアダム(人間)と呼び、それを満たしているものをクリエーター・生命の光・授与の相互的な力と呼ぶのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/20/12, Writings of Rabash

相互保証は霊的誕生の必要条件

ミューチュアル・ギャランティ(相互保証)のおかげで、人は、その人の必要物全てを提供するために皆がサポートしてくれている、と感じる状態に達します。そしてその状態において、人は他者について考えることが可能になります。人が自分のエゴを乗り越えるのは、この条件においてのみです。

エゴを乗り越えさせる他の力はありません。このエゴは私達を支配する唯一の力であり、それはグループの中でのみ中性化することができます。

もしグループが私のエゴを中性化せず無効化しないならば、私は自分自身の力だけで中性化することは決してできないでしょう。私はその中に永遠に埋もれたままで、そこから誕生して脱出することはできないでしょう。それゆえ、この相互保証は私にとって生命の法則であり、私の霊的誕生の必要条件となります。

もし私がグループから、十分な保護と必要な物全ての供給という、この安全の感覚を受け取らなかったならば、私は自分自身を越えて上ることはできないでしょう。実際、私の中にこの感覚を生むものは相互保証です。この感覚は全く私個人に起因するものではありません。もし友人達が彼らの相互保証によって私に影響を与えるならば、私が彼らについて考えることを止めることはありません。相互保証はそのように働きます。

それは母の両腕の中にいる赤ん坊に似ています。そこでは赤ん坊はいかなる問題も持ちません。赤ん坊は本能的に安全を感じ、そして必要な物は何でも与えられるであろうと感じています。私もまた、グループの両腕の中にあって、この赤ん坊のように感じることになります。全ての問題、全ての心配、全ての疑問が去ったように感じるのです。

私個人につながっているものは何もありません。それはまるで私が空中に浮かんでいるかのようです。私が他者について考え始めることが可能になるのは、まさにこのような瞬間からです。

私達は、不変の法則について、私達に作用する力について、話しています。それは私のファンタジーや推測ではありません。もし、この相互保証の力が私に作用するなら、そのとき私は自分自身を切り離し、そして私個人の欲する・欲しないには何の違いもなくなります。もし友人達がこの力で私に作用するなら、私は自分のエゴの支配から自由になります。そして、その瞬間から、私は他者について考えることが可能になるのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/24/12, Writings of Baal HaSulam

値段の付けられない科学

バール・ハスラム「パニーム・メイロート・ウ・マシュビロート(歓迎と光照の啓示)の書の序論」p5:これがそうであるのは、もはや、自分の利点・価値を維持できなくなり、市場でこの「知恵」を取引することになるかもしれない、という恐れがないからである。群衆の中に、それを市場で買う者はいない。この知恵は、見返りとして名誉も本能的欲望も満たされないため、彼らの眼にはとても忌々(いまいま)しいものと映る。

それ故、(知恵の世界に)入りたいと望むすべての人は、来て入ることができる。そこには多くの放浪の旅路があり、知識はそれに相応しい人々の間で増すだろう。そしてそれによって、私達は速やかにメシアの到来という報いを受けるであろう。そして我々の時代において、速やかに魂の救済があるだろう。アーメン。

何世代にも渡って、カバラの科学は神秘主義と考えられてきました。タロットカード、祝福と呪い、黒魔術、精霊・亡霊、悪魔など、およそ人間の想像力の及ぶもの全てが、カバラと見なされてきました。何世紀もの間、人々は、これらの道具が、人に世界を支配する力を与え、勝利すること、富栄えること、優位を占めること等をもたらすと信じていました。それで、多くの人々が、おそらくそこに隠れているはずの、この超自然的な力を知り、理解し、習得することを欲しました。誰もが成功し他者に抜きん出ることを夢見ています。それは明らかです。

そのような訳で、カバラの知恵は、そのようなものとして扱われてきました。「ユダヤ人は力を与える秘密の知恵を所有している...」という言説や、フリーメイソン及びあらゆる種類のセクト(党派)の存在など、沢山の発明・創案がありました。しかしカバリストは真実を隠してきました。そのため、本当はカバラの本質とは、人々のユニティ(統一・和合)の科学であることを誰も知りませんでした。

今日、私達がカバラの科学をより理解するに従って、人類は次第にその神秘のオーラに別れを告げることになり、結果として、もはやそれを必要としなくなっています。「なぜ私にそれが必要なんだい?統合?私が期待しているのは、奇術や占いや、取引の成功や、全ての病気を治す薬や、奇跡を起こすことなんだ。でも、人々の統合だなんて、自分の胸にでもしまっておいてくれ。たとえ君がお金を出すと言ったって、私はそんなもの必要としていないよ。」

そうして、人々はこの知恵を拒絶します。ここに真実が現れています。なぜなら私達のエゴイズムは実際、この統一の科学を拒絶し、受け入れません。これは自然な態度です。人は他者を避け、統一のニュースを軽蔑し、それを何かむかむかさせるようなものとして憎み、蔑みます。しかしそれから彼は、他に選択肢がないことが分かってきます。彼は様々な要因によってその方向に導かれるようになります。その要因とは、私達の普及活動であり、様々な問題であり、現在の危機を脱することは統一を通してのみ可能である、という理解です。

「しかし、どのようにしてそれが可能なのか?どこで私達はその力を得ることができるのか?行動の手順は何か?」まさにその疑問が起きるとき、人々はカバラの科学を、本来の正しい真実のかたちである、統一の知恵として明らかにしてゆくでしょう。

この科学に結びついた革命は、今日起こらなければなりません。そして私達はその展開のペースを加速させなければなりません。そして現在のカバラに対する一般的な軽視は、むしろ(正統な)カバラを守るものであるため、真に統一を願い努力を捧げる者達だけが、各々の能力に従って、カバラに向かい関わってくるようになります。そのようにして、カバラの周りに外的なサークルが形作られます。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 9/20/12, “Introduction to the Book, Panim  Meirot  uMsbirot”

この世界の外にある物事について話しましょう

質問:インテグラル・エデュケーション(統合的教育)のグループでは、何を議論するのがベストですか?また何を議論しないのがベストですか?

答え:比喩的に言えば、私達は愛と友情についてのみ語るべきです。私達は今の自分たちの状態を調べたりはしません。なぜなら、それらはすべて動物レベルに存在しているからです。

はじめに私達は「人間」レベルに上がらなければなりません。そしてその全体的なイメージを創りあげなければなりません。それは私達に共通する授与と愛の特質であり、そのようなお互いに対する私達の態度です。私達は議論を、私達の間の正しい相互関係ネットワークのレベルにのみ保つことができます。また私達の集合的状態を強める物事についてのみ議論することができます。

なぜそうするのでしょうか?なぜなら、その状態でより強くなることによって、私達は確かな力を生成させ始めます。そしてその力が私達の現在の動物状態を照らして変化させ始めます。より高い状態からのみ私達はより低い状態を変えることができます。私達の衝突・争いのすべては次第に消えてしまうか消える前にエスカレートするかでしょう。そしてこの背景のもとで、私達は私達のコネクション(つながり)を発達させているのです。

From a Talk on Integral Upbringing 3/4/12

木から降りてくるだけでは不十分 ー あなたは自分自身の上に登らなければならない

質問:今日の人々は、今や世界の物事はますます悪くなっていくだけであろうと、理解しています。しかしカバラの教えは、そのような一般大衆から、今もずっと離れたところにあります。私達はこの距離をどうカバーすることができますか? そして何故、そのような距離があるのですか?

答え:それは(カバラを学ぶ)私達と人類に努力する機会を提供するために、そこにあります。この分離が私達と外部社会とに、お互いに相互作業をすることを可能にします。この距離はある目的のために創造されました。あなたは自分の知識、認識、理解をここに投入しなければなりません。

それはまるで、自然の発達過程が続くことを阻止しているかの様に見えます。かつてサルが木々から降りると、それは時の経過とともに原始人となりました。これに続いて奴隷の時代、中世、そして資本主義時代が来ました。そして今日この発達は崩壊に終わってしまい、人々は(次には)よい統一が必要であると認識するに至りました。それでは、なぜこの発達は自動的に続かないのでしょうか? 

なぜなら、もし自動的に続くとすれば、人間という存在は決して現れることはなかったでしょう。それはエゴイズムによって突き動かされ、木々から降りてきた霊長類と同じままだったでしょう。私達は自分達が完全に自己愛のコントロール下にあることに気づいていません。もし私が、私達すべてが存在しているこのシステムを見せられたなら、私は自分自身の管理下でしていることは何もないことを見るでしょう。この状況においては、クリーチャー(創造物・生命)は現れません。誰かをとって、独立性を遮断するフィルターに掛けてみましょう。すると彼には上層の力以外に何も残りません。その上層の力は初めからそこにあったものです。

「どのように人間をつくるのか?」これが問題です。人間は、暗闇と、僅かな知識と、僅かな力を与えることによってのみ、つくることが可能です。この僅かな力はその人に、自分の生来の性質に打ち勝つ道を見つける機会を与えます。そして多くの知識や理解なしでも、その暗闇の外へ彼を連れ出す、(彼の生来の性質とは)反対の力を築く機会を与えます。それから、彼はクリエイターの必要な部分になりたいと思うようになり、自分自身を喜んでその環境に従属させます。その環境もまた、彼がそうすることを義務付けるようになります。そして彼は、この相互的な仕事を通して、超自然的な形態、つまり自分の生来の性質を超えた形態、を獲得することができるようになります。この形態のことを「人間(アダム)」と呼びます。それは、彼が一匹のサルだった時代からずっと彼の中に残されていたレシモット(情報遺伝子)を使わずに創造した形態です。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 9/19/12, “Introduction to the Book, Panim Meirot uMasbirot