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スピリチュアルな発達は赤ちゃんから学べます


受け取った質問:私がゾハールで説明されている内面的特質を少しも理解していなく、それと繋がることもできない場合、私はどうそれを見つけることができますか?

私の答え:私達は、自分がどんな世界に存在しているのか知らないが、成長に必要なものすべてを提供する母親や身内の愛情を抱いた手の中にいる赤ちゃんに似ています。赤ちゃんはただ成長したいと思わなくてはならないだけで、自然はこの欲求を赤ちゃんに与え助けてくれます。

私達の世界において、つまり動物レベルにおいて、この欲求は赤ちゃんに自然に備わっています。この世界の中における人間の身体的発達を含む動物レベルに加えて、無生物と植物レベルにおいてでさえ、成長したいという自然的欲求が存在しています。しかしながら、もし私達が人間レベル-スピリチュアリティ-において成長したいのなら、その欲求は私達から生じなくてはなりません。

無生物レベル、植物レベル、そして動物レベルの発達は自然に起きます。この程度まで、私達-この世界の中にいる人々-はこれらすべてのレベルにおいて発達し終えました。そして、過去から現在において私達の欲求も同じレベルにおいて発達しました。しかし、今や私達は“スピーキング(言葉を話す)”レベル、または“人間”レベルへと上昇しなくてはなりません。人間レベルとは、私達が自分たちの力で発達して目標を達成しなくてはならないという意味です。私達の身体的欲求(食べ物、セックス、家族)と社会的欲求(富、権力、知識)のすべてに基づきながら、私達は自分たちの力でスピリチュアリティに対する強い欲求を発達させなくてはなりません。私達は心の点(the point in the heart)によって始まりますが、そのあとは、環境からの助けを借り、その発達を押し進め続けなくてはなりません。

これを行うには、私達にはグループが必要です。なぜなら、それしか心の点を発達させる欲求を与えることができないからです。この欲求で“武装”しながら、私達はグループと一緒にゾハールの書を読み始めるのです。読んでいる間、私達は発達したいと思わなくてはなりません。そこでの“発達”とは、未来の状態または感覚をゾハールの書の中で見つけることを意味します。私達が現在探しているものはこれだけです。

この他に私達がしなくてはならないのは、待つことだけです。したがって、だた成長したいと願ってください。大人になりたいと自然に思う赤ちゃんのように。赤ちゃんを落ち着かせて、彼に成長しないよう、または成長したいと要求しないよう説得させることができるか試してみてください。あなたはそれが不可能であることに気づくでしょう。なぜなら、自然は彼に成長するよう打ち勝ちがたい力で駆り立てるからです。私達はこのように根気強くスピリチュアリティに対して努力しなくてはなりません。私達は常に私達自身の内側で捜し求めていなくてはなりません。そしてどんなときも落ち着つくことなく、変化し続けなくてはなりません。そうすれば、私達は確かに成長するでしょう。これが私達に求められている唯一の条件です。

そのシステムは存在していますが、私達は欲求で、つまり内面の強い願望でそれを動かさなくてはなりません。この内面的圧力が私達から生じないかぎり、そのシステムは私達を感化しません。言い換えると、それは私達を目覚めさせるために、苦しみを通して私達を感化するでしょう。しかしこの方法で私達は一歩も前進することはありません。上層から送られてくる苦しみを手段として。私達は、下から、つまり私達から、生じる私達自身の欲求を手段にすることでしか進歩できません。

私達は絶え間ない困難と問題を受け取っているかもしれませんが、同じ場所で動けなくなっていることの理由は、これらの問題が私達にとって、正しいグループと融合して発達したいという欲求を獲得するのに十分でないからです。困難にもかかわらず、私達は同じ場所で立ち続けるでしょう。困難があるというだけでは、それは発達の兆候ではありません。それどころか、それは私達がまだ一歩も前進していないことの兆候なのです。

自然は万物のバランスを支配しています


受取った質問:あなたは人間の是正について話します。しかし自然界の動植物段階には何が起きているのですか? どのようにしてそれらは創造主との合一に至らさられるのですか?

私の答え:人間のエゴイズムは全ての悪における唯一の原因です。人間と自然との正しい相互関係とは、その人の文化に沿った普通の生活を営むのに必要なものだけを自然から摂取し、それ以上はしないことです。普通の生活に必要な分量を超える余剰は皆のものになります。

このルールは1つの生物を構成している部分間の繋がり方に似ています:心臓、肺、肝臓、腎臓、その他全ての部分が生きるのに必要なエネルギーをもらいます。それにもかかわらず、それらは存続するのに必要な量を超えて消費することはなく、全ての部分が全体に利益があるように働いて機能しています。

人間社会 – 私達が構成している”生物” – の中でも、私達はこれと同じように行動しなくてはなりません。もし一人の人間が必要以上に消費すれば、その人は自分自身とその他の全員に被害を与えることになります。必要なもの以上に消費することをエゴと呼ぶのです。

自然のなかにおける”人間”としての段階がどのように自然との調和を達成できるのか、私達は他の段階 – 無生物、植物、動物 – から学ぶ必要があります。

人には家族、住居、仕事、収入、余暇、年金、保険が必要です。しかし必要なものを超えて余計に取得することは自然とのバランスを崩し、世界を破壊することになります。どうなろうとも、自然が依然として私達にそれとのバランスの達成を強要しつづけることに変わりありません。

家族全員が自分以外のみんなに頼っています


受取った質問:個人の福祉が社会の福祉にかかっているという概念は、あらゆる子供教育の基本です。残念ながら、結局のところこの規則は決して守られません..。

私の答え:“完全にそろった人類、グローバルな人類”、”バタフライエフェクト”、”相互保証”、”相互授与”といった概念の混同を避ける為にも、1つのイメージを思い描くことがベストです:私達の皆が1つの家族であるということ。家族の中の全員が自分以外のみんなに頼っています。もし家族の一員の気分が悪くなれば、その気分も家族全員によって共有されます。

同じように、今日の各個人の福祉もすべての人にかかっています。このような理由から私達は他者のケアに自分を捧げなければならないのです。なぜなら私達の一人一人が1つの家族の一員であるためです。

人類とは閉鎖系です


受取った質問:私達の魂はお互いに繋がっていて1つの体系を成しています。しかし、どのようにして私達はポジティブな影響を憎悪に満ちている集合意識に与えることができるのですか?

私の答え:それを実現させるには、私達には選択肢がなく、私達が自己消滅の危機および死んだのほうがましな人生に近づいていて、その回避ができないことを実感する必要があります。このように実感することが人々に団結したいと思わせるのです。人間の性質 – 快楽を求める利己的な願望 – がそうすることを促し私達をそこに差し向けます。それが気分のよくなる唯一の方法なので人々は団結を願うようになります。

私達は現在でもすでに”何かを得るために与えること”ができます。例えば、お店で必要なものを手に入れるためにお金を払うことです。このような単純な売買もちいさな犠牲です。動物界または幼い子供にはこのようなことはありません。言い換えると、これは人間の本能から発生したことではないということです。

しかし、すべての人が自分に他者との正しい関係を築く責任があると理解しなくてはなりません。そして人との正しい繋がり(関係)とは何なのかを学ぶために可能なかぎりどんな努力もすべきです。人類とは閉鎖系(クローズドシステム)であり、すべての閉鎖系のように、すべてのものが和合と均衡と調和を維持し、サポートする方向に向かなくてはなりません。もしもそれらが崩れれば、その体系のなかの全員が被害を被り苦しむことになります。そのような体系の一部がそれ以外の部分を犠牲にしてよい気分になるということは、不可能です。

これが私達の有している英知であり、この英知を人々に教えて広めなくてはなりません。私たちが現在住んでいる世界でどのようにふるまうことが正しいのか、世界のすべての人が新しい行動のルールを学ばなくてはならないのです。

創造主のひかりは無限です


創造主について2つ質問が寄せられました:

質問:個人の魂で創造主と一体化した段階に到達することはできますか? 又、これは他者全員の魂の助けがないと無理なことですか?

私の答え:創造主と1つになるということは、創造主との類似性を獲得することを意味します。創造主は授与をしたいおよび愛したいという願望なので、人がどれくらい創造主と同じ特質を獲得するかによって創造主との一体化の度合いが決まります。人のなかで発達する授与をしたいおよび愛したいという願望(または性質)を魂と呼びます。

質問:なぜ創造主を”ひかり”や喜びとして描くのですか? こうすることは創造主を制限された不完全なものとして見なすことになりませんか?

私の答え:“ひかり”そのものは無限ですが、全ての制限はこの”ひかり”を受取りたいという私達の願望のなかにだけ存在しているものです。

エゴイズムのブラックホールの中への最後の転落


受取った質問:どうすれば現在の危機に直面している人が、それは霊的に上昇する転換期であって終わりのない危機の深刻化ではないと理解することができますか?

私の答え:創造のすべては“ひかり”(喜び、授与のエネルギー)と“うつわ”(“ひかり”で満たされたいという願望)から構成されています。“ひかり”は私達の利己的な願望をその最終段階にまで発達させ、願望は“ひかり”によって直接的に満たされることがもう不可能になったと感じるようになります。その理由は喜びが願望を打ち消してしまうからです。例えると、喉が渇いているときに水を飲んだとき、その喜びが水を欲する願望が満たされることによってなくなるということです。

現在の危機は私達の利己的な発達が終わりにきたことを示しています。私達は“ひかり”を自分達のエゴイズムに奉仕さようと使い続けることができなくなりました。言い換えると、私達は自分のエゴが満たされなくなったことに気づきつつあるということです。そして私達は未だに欲望を満たそうと自分のエゴイズムに突き動かされながら、心の中ではそれが無駄なことであると気がついているのです。

しかしながら私達は充足がないと生きていくことは不可能です。よって私達は自分のエゴの命令に従うざるを得えません。たとえ自分の意に反してそうしているのだとしてもです。私達は好きでそうしている訳ではありませんが、自分のいる環境の影響がそれを余儀なくさせています。私達は自分の意に反してそうすることを余儀なくされ、惨めで暗い気持ちになります。これは麻薬や酒などに溺れることの原因にもなっています。

実際これは人生の全側面における危機を招いています。結局のところ私達の人生は“ひかり”を使うことで自分の利己的な欲望を満たすことをベースにしています。願望が“ひかり”の影響によって発達していた期間、私達は発達することを切望していました。私達は新たな渇きをいやすことによって充足されるとずっと信じてきました。そしてこの嘘は私達の発達を促進させてきました。

しかし願望の利己的な発達が止まるやいなや、私達はそれが空っぽであることに気がつきました。このやり方で充足を得ることは不可能であると“ひかり”は私達に啓示しています。これが私達の呼ぶ危機というものです。よって私達は自分達を誤った方向に導くことを止め、その代わりに人生を感じさせる唯一の方法は“ひかり”の特質 – 与えようとすることと愛そうとすることの意向・意図・決意 – を自分のものにすることしかないと理解しなくてはなりません。

私達の地上での発展は終焉を迎えました。そしてその証明として多くの工場は閉鎖されています。なぜなら役に立たない余計な商品はもう必要なくなったからです。ヨットの大きさや銀行預金残高の桁数が羨望の的ではなくなったのです。

人々はこの世界で自分に喜びを与えてくれるものがもう見つけられなくなりました。結局のところ、どんな星も明るさに関係なくいつかは薄暗くなります。そしてエゴイズムの最終段階というブラックホールのなかに吸い込まれながら私達も衰えつつあります。このエゴイズムは何もかもを飲み込み、なにもそれから逃がれることはできません。そのなかには暗闇だけがあるのです。

カバラの英知を広めることだけが私達に自分の性質を改善する能力を与えます。「そして暗闇は“ひかり”のように輝くだろう。」と記されているように。

世界を救済し自分を治す


受取った質問:私達自身が病気で、他者の助け方も知らないのに、どうやって他者を治すことができるのですか?

私の答え:私達は全員がお互いに連結している完全な社会のなかに住んでいます。したがって全員が治らないかぎり誰も治ることはありません。他者を治そうと努力することのみが、あなたのことも健康にするのです。

人類の結束は自然界に類がありません


受取った質問:なぜ人間社会は動物的段階にいる間に体の細胞のような相互保証的な状態に至ることができないのですか?

私の答え:人間はとても複雑な生物なので細胞のように他と結束することはありません。以下がその理由です。

エゴイズムは無生物段階から、植物段階、動物段階、人間段階になるにしたがって質的に大きくなります。物体のエゴイズムが大きいほどその物体は個性的(個人主義的)なものになり、他と一体化することがより困難になります。よって人は発達するに従い他者から分離していることをもっと感じるようになります。

今日では、心理学者や社会学者だけでなく経済学者や政治家も世界がお互いに繋がっていることを理解するようになり、人類が統一しなくてはならないと考えるようになりました。しかしながら、彼らは物理的な手段で統一が達成できると信じています。世界銀行、世界政府、世界教育、世界規模の関係を築けば全てが解決すると考えているのです。

しかし、つい最近開催されたG20サミットのような会合がさらに数回行われた後には、彼らに統一する手段がないことが理解され始めるでしょう。彼らがこの事を理解するまで人々は残念ながら、食糧難、精神的混乱、完全な無力感、世界的な悲しみなどを含む大きな災難を経験しなくてはならないかもしれません。人々は不安を抱えて暮らすような状況に耐えることはできません。なぜなら絶え間ない不安は死よりもひどいためです。そのような状況下で私達の精神は正しく機能しません。しかし、統一を達成する唯一の方法が私達のエゴイスティック(利己的)な性質を超越することでしかないことを私達に理解させる為、これらすべてのことが起こるかもしれないのです。

無生物段階、植物段階、動物段階における全ての性質や構成部分は自然的そして本能的に互いに連結しているため、それらの段階にはこのことは適用されません。それらの段階は自由選択や意思決定することなく相互的に補い合って調和しながら相互作用しています。

しかし、人々における統一は一人一人が意識的にそうしたときにだけ達成できます。他の自然段階と違い、創造主は私達に単に統一させる本能を与えそれを達成させるようなことはしませんでした。私達の統一は私達が与えることと愛の特質を獲得し、全員参加で全員が結束したときにだけ可能です。この達成には、私達が自分自身と自分のエゴイズムを克服して「自分のように隣人を愛しなさい」という聖書の戒律を守れるようになるしかありません。

このような方法で私達の間に創造主の特質が啓示され、私達は創造主に似た存在になります。その後になってはじめて、なぜ創造主が私達に対してこのように振舞ったのか、その理由を理解するようになります。

自然におけるバランスとは何か?


受取った質問:“相互バランス”や”相互保証”といった言葉は美しく賞賛すべきことですが、それらの意味が明白ではありません。具体的な例を使って説明していただけますか?

私の答え:自然におけるバランスの意味は、全部が同等でどんなものも全部に属しているということです。これには土地とその土地で見つかるものの全て(石油、ガス、鉱石、水など)が含まれます。バランスとは誰もが天然資源の消費に対して同じ姿勢を有しているときのことです。

天然物を消費するときにこのバランスを保つことは絶対に必要です。皆が普通の生活をする為に必要なものだけを受取らなくてはならないのです。また動物的な肉体の生存に必要なもの以外は何も生産すべきではありません。過剰なものはすべて有害であり、自然のバランスの法則に反します。

各自が自分の必需品に応じて受け取りをする時に人々の間でバランスの法則が正しく示されます。それは誰もが他者よりも多く持つことがなく、自分の自然的に欠かせないものに応じて摂取するときのことです。そしてこれに関しては私達は同等ではありません。なぜなら誰もが違う資質を持って生まれ、必需品も人によって違うからです。

自然または創造主は意図的に私達を違うように作りました。私達がお互いの必需品、願望、そして考えを感じ取れるようになる為です。それは私達のもっている他者の魂を感じたい、他者の内的な本質と願望を感じたいという願望を発達させる為なのです。よってもしあなたがすべての人に対して同等の資源供給を達成したいとおもうのなら、周りにいる人々を自分と同じように感じなくてはなりません。その後になり初めて私達は1つの体を構成する細胞になることができるのです。

人類は自然の網にかかった魚のよう


受取った質問:全人類が1つの家族として一緒になり、全資源を公平に70億人に分け合うと仮定してみて下さい。しかしその状態でも人々が発達するエゴの中に居続けたとしたらどうなりますか?

私の答え:あなたの述べていることは是正なくしての実現は不可能です。従ってその全てのことへの道を開くものは教育です。私が意味している「教育」とは、人における選択の自由、創造の目的地、人間の本質、現実に対する認知の仕方、利己的な発展を手段とする人類の発展について教え説明することです。その理由は一体化し相互連結した新しいシステムのなかでの暮らし方を私達が学ばないといけないからです。私達はこのシステムから逃げることはできません。よって他に選択肢がないのです。

あなたは網で捕まえられた魚のようであり、生き抜くためにはこの網の法則を学ばないといけません。今や私達は新しくなったグローバル世界の法則を学んで、それを全人類に知らせなくてはなりません。人々はこれらの法則と選択肢がないという事実を理解しなければなりません。さもなくば彼らは苦しみによって同じことを強いられ、ついにはいやいや一般自然法則を守るようになります。

このように自然法則は啓示されつつあります。カバラとブネイ・バルーフ(Bnei Baruch)は人々の行うべきことを命令しようとしているのではなく、これらの事柄を最低でも部分的に理解し、人々は同意しなくてはならないと言っているのです。しかしそこに行き着くには、人々に正しい模範的行為を教えるメディアを使った宣伝や啓蒙活動を常設する必要があります。これら全てが社会によって奨励されるべきです。そしてそれが起こりうるには人々がこれしか手立てがないことを本当に理解したときだけです。