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夜明けをもたらすもの


『ゾハール』Ve’Eleh Toldot Itzhak(これらはイサクの世代たちだ)章165節:Sitra Achraの支配は夜にしかないことから、エサウの統治は亡命の間だけである、それは夜、我々にとって夜と同じように暗いということを意味する。これが何故天使がヤコブと戦い、夜に彼と争ったのかということの理由だ、そして朝がきたとき天使の力は衰え、彼は彼に勝つことができなかった。そしてそれからすぐにヤコブは圧倒した、なぜならヤコブの支配は日中であるからだ。

私達は日中のHochmaの光の存在が夜明けをもたらすと思っています。しかしそうではありません。正確に言うと、日中にはHassadimの光が存在していて、したがってHochmaの光が啓示されるのです。夜の場合、Hochmaの光はHassadimの光に覆われずに輝いています。一方、日中の場合、それはHassadimの光に覆われて輝いています。日中とはHassadimの付加であり、だから光があるのです。夜にはHassadimは存在しません、よって闇があるのです。Hassadimの光はHochmaの光の存在を出現させるのです。

治癒のプロセスのかぎは忍耐である


私達の利己的な願望を克服させる上層の光は、常に私達に影響を及ぼしています。しかし、そのうち私達は自分たちの力でその願望の外への脱出を続けなくてはならなくなります。光が私達を上昇させるとき、私達はそれをエジプトからの脱出のように感じます。しかし、もしエジプト(利己的な願望)が自分たちの中にあり、それが私達の真の性質であるとしたら、私達は本当にエジプトから脱出できるのでしょうか?

これは私達に疑問を投げかけます:私達が砂漠のなかにいるということの意味とは何なのか? それはエジプトが自分に戻ってきて、私がその全部分から外へと脱出しなくてはならないときのことです。これが砂漠の中での40年間の旅のことです。それは私が順次的に自分の願望を大きくさせて、それを認識するときのことです。1つそしてまた1つと順次的に臓器が発達する人間の胎児のように。最初の一部が発達し、そのあとにもう1つの部分がというように、発達は次から次へと一つの方向へと向かいます。様々な障害と問題を克服しながら。魂の成長プロセスは、母親の子宮のなかの胎児の成長プロセスに似ています。

私達は『ゾハールの書』があるという事実に感謝しなくてはなりません。なぜなら、それは毎日のように私達を変化させてくれる救済手段であるからです。しかし、私達はこの手段がフルに作用しだすまで、その結果を感じないでしょう。それは、数週間後になってやっと気分がよくなるような、毎日摂取しなければならない病人に処方された薬のように徐々に作用するのです。

 

エゴイズムがそれ自体の苦しみを引き起こしている


クリエーターが苦しみを送ることはありません。上層の光に似ていない願望が私の中で目覚め、私はこの相違(似ていないこと)を、健康、お金、名誉、権力、安心、配偶者、子供、そして世界全体に関する苦しみとして感じます。私は圧力と困苦と様々な問題を感じます。

誰に、または、何に責任があるのでしょうか? 光と反対である自分の願望にあるのです。それは苦しみの感覚を私の中で生じさせます。この感覚は光から送られてきているのではないのです。光は完全な静止状態(不変状態)にありますそれは善であり、悪人と高潔な人の両方に善をもたらします。光と似ていないのは自分です。自分の特質が光と異なっているのです。

例えば、もし私の中で10kgの願望が目覚めたとしたら、私は光とその10kg分同等にならなくてはなりません。つまり私は与えるためという意図をその願望の上に築かなくてはならないのです。そうすれば、私は自分の小さな無限世界の中に自分自身を見つけるでしょう。その後、願望は12kgに増大し、私は与えるための意図をさらに2kg分是正しなくてはならなくなります。そうすれば私は自分自身をもっと大きな無限世界で見つけることになります。このように是正プロセスは行われていきます。

私の利己的な願望は毎日大きくなっています。しかし、もしも私がその大きくなった願望を、他者とつなげ共通の魂の他の部分と一緒にクリエーターに与えようとするのではなく、ただ自分の利益のために他者を搾取することにもっと使いたいと思うのなら、私はその願望のなかに苦しみを感じます。エゴイズムはそれを包んでいる光に対する自分の反対状態に苦しむのです。私達は自ら自分たちに苦しみを生じさせているのです—それはクリエーターではありません。彼は完璧なので変わることができません。

今私は光の海に浸かっています。しかし、もし私が彼に類似しようと努力しないなら、私は今自分に明かされている考えと願望の程度にしたがって気分が悪くなります。そして明日は今日よりもさらにもっと気分が悪くなるでしょう。

自分を光に似させることをすべての瞬間において試みてください。光とは授与(与えること)および他者への愛ですそれは総結合状態です。私的な願望と個人の魂のすべては一つになり、この一つの大きな願望が光に類似するようになります。

どうやって私はこれを達成できるのでしょうか?どうやって私はこの過程の中で援助することができるのでしょうか? そのことについて考えはじめればよいのです。そうすればあなたの苦しみは解消されるでしょう。突然あなたは、光を切望していた自分の願望が本当に光に似ていることに気づくでしょう。あなたはこの点において、自分自身が光、クリエーターになったと感じるでしょう。あなたにはそのための方法と手段のすべてがあるのです。

スピリチュアリティーは中間の線である


中間の線はありません、それは自然のなかに存在していません。クリエーターは単に、クリーチャー(創造物・被造物)が自分の力で二つの線の体系を駆使し中間の線を築くことによって魂が造れるよう、全ての条件を用意しただけです。したがって、二つの線から築かれる中間の線とは、完全に新しいものなのです。

私達は明闇や善悪の漸次的移行(グラデーション)がそれら二つの線の感覚を通じて私達のなかに生じることを理解しています。しかし、スピリチュアリティーは右の線でも左の線でもありません。スピリチュアリティーとは、私達が二つの線とそれを満たす光から造りだす中間の線、認知を可能にする臓器(Kli・器)です。それは前には存在していなかったものです。私達は二つの力からそれを造ることに成功します。

神秘的な力か、または進歩を促す触媒か?


受け取った質問:包む光(the Surrounding Light)とは何ですか?それは神秘的な力ですか?

私の答え:包む光とは、私達の間にあるつながりの中に存在している上層の光です。私達はたまたまこのつながりを感じませんそれどころか、分断していると感じています。私達はまるで寝ているか意識を失っているかのように、私達の正された状態を感じていません。私は他者とつながっているのですが、そのことにもう気づいていません。まるで頭に強打をうけて倒れてしまったかのように。

今現在でさえその光は私達のつながりの中に存在しています。失われた他者とのつながりを取り戻したいと思えば思うほど、その光はあなたに強く作用します。つまり、光の強さは自分の願望の強さに比例するのです。

私は依然として光で満たされた体系の中にいます。そしてその中ではすべてのひとがつながり1つの完全体を成しています。しかし私はそのことに気づいていません。そして私はこの体系のなかに戻るための努力をしはじめます。物質世界のなかで私はめまいを感じており今にも倒れそうです。私は自分自身を奮い立たせて頑張ろうとします。同様に私は他者とのつながりの感覚とスピリチュアルワールドの認知を取り戻すために、内面的な努力のすべてを費やします。

是正された状態を達成したいという願望に従って私に影響を及ぼす光は、包む光(the Surrounding Lightと呼ばれています。現在私は無限の世界のMalchutのなかにいて、完全にそれにつながれている状態です。問題は、私が既にいる本当の状態と比べ、私には失われた意識の125個の層または階段があるということです。

自分の意識を取り戻したいという状況にあるときにだけしか、この願望は影響を自分にあたえません。私達は早く大人になりたいと夢見る子供のようであり、まさにこの願望が私達を成長させるのです。

同じ道の上をゆく二人の天使


『ゾハール』Ve’Eleh Toldot Itzhak(これらはイサクの世代たちだ)章172節:ヤコブがクリエーターを信頼していたことと、彼の流儀がクリエーターの名前のためであったため、彼の敵は彼と講和した。そして、エサウの権威と力であったサムエル(Sam’el)はヤコブと講和した。そして、彼がヤコブと講和したことから、彼は彼に恩恵を感謝し、そのあとにエサウもまた彼と講和した。

しかしエサウが彼の上位に任命された任命を受けた人サムエルと講和してなかった同じ期間、エサウは彼と講和しなかった。これがそうである理由は、すべての場所において、下の力は上の力によって決まるからだ。そして、上にいる違反者上で任命を受けた彼らを支配する大臣たちが弱まらないかぎり、下のこの世界のなかの違反者を弱めることは不可能なのだ。

人が、自分に反して働く力、クリエーターの作業に抵抗する力、そして自分の創造の目的地の到達を阻止する力が存在していると思うことは禁じられています。そのようなものは存在しません。すべての力、右と左の線の両方は、同じ目的で共に働いています。私達は、害悪が私達にやってきて私達を滅ぼし道に迷わすと信じていますが、それは真実ではありません。害悪は私達に過ちを見せ、私達がいつ目的に反することをやっているのかを示すために存在しています。それは創造の目的地への道で人に同行する善と悪の両方の天使の使命です。

上層の法廷は1つの質問しかしない


受け取った質問:『ゾハール』を読んでいる全時間の間の数秒しか是正をもたらす包む光(the Surrounding Light)について考えられなかったとしたら、私はどうすべきですか?

私の答え:これはよくありません。人が死んで上層の審判の法廷に行く伝説があります。彼はそこで「あなたはトーラーに従事して救済を待ちましたか?」と尋問されます。そこで聞かれることはこれだけで、それ以外にはありません。トーラーとは改善する光(the Light that Reforms)のことです。あなたはこれを願いましたか、それともしませんでしたか?結局のところ、あなたがこの世界に送られてきたのは、これだけの理由からです。あなたの全人世で考慮されることはこれだけです。

あなたはカバラを勉強しながら、熱い願望を持っているのかもしれませんが、それはあなた自身の功績ではありません。それはクリエーターがあなたに与えたものです。彼があなたをカバラのグループにつれてきて、その手段を与えたのです。しかし、そのあとに何が起こりましたか?あなたに影響を及ぼしたシステムの中で、あなたは自分自身で何をしましたか?あなたは救済、是正を願いましたか?これはあなたがいずれ答えなくてはならないことです。

私達が『ゾハール』の朗読を終えた直後に、あなたは読み上げられていたことの内側にいたと言うことができますか?勉強している最中にこれについて考えても、それはもう手遅れです。なぜならすべてはその準備(カバラの勉強に臨むための心構え)によるからです。あなたは準備を終えた状態で願望と欲求を熱くさせてレッスンに来なくてはなりません。まるであなたが医者に行き、「先生、何でもいいのでお薬をください!そうでないと私は手遅れになります私はこのぐらい気分が悪いのです」と尋ねるかのように。あなたがこの心構えでレッスンにくれば、あなたは勉強中に救済を待つでしょう。しかし、もしあなたが隣人に対する愛を探していなく、また、あなたが自分の悪意、自分のエゴイズム、他者と一体になることに対するあなたの無力さを感じていないという理由で、初めから薬がほしいという欲求を持たないでそこに来るなら、あなたは勉強中にそのことについて思い出すこともないでしょう。

あなたは『ゾハールの書』を開く前でさえ、これらの欠乏、あなたの邪悪な性向を明かさなくてはなりません。なぜなら、あなたが『ゾハール』を開くときには、何を変えるのにももう遅すぎるからです。私達の作業のすべては、準備をしているときに行われます。すべてのことは、ただそれだけにかかっています。『ゾハール』で苦痛を和らげたいという願望を満たすためには、あなたは既に苦痛を感じている状態でいなくてはなりません。勉強時間の最中にあなたは隣人とのつながりを求めることになっていると人為的にそれを思い出そうとするではなく。あなたはクリエーターを騙すことはできません。彼はあなたの心の中を読み、あなたがそこにあることを疑うことさえもしない、とても深い内面の願望を覗いているのです。それまでは、クリエーターはこう考えます。あなたにこの願望に対する答えを与えるべきか、それとも与えないべきかと。もしそれがあなたの霊的な進歩の援助になり、あなたの内面に中間線が作られるのなら、光はあなたを助けるでしょう。しかしそうでないなら、光はあなたを反対側から押して前に進ませ、あなたがついに正しくすべてをつなげて真の答えを受け取るまで、あなたは苦しまなくてはなりません。

ヘビから知恵を学ぶ


『ゾハール』 “Ve’Eleh Toldot Itzhak(これらはイサクの世代たちだ)”章30節:ヤコブはエサウがあの斜めのヘビ(Slant Serpent)を握りしめることを知っていた。この理由から、彼はもう一匹の斜めのヘビのように彼の全行為にならった、彼の反対側で、利口に抜け目なく。

まさに受け取りたいという願望が私達を抜け目なくさせます。それは私達に如何にその同じ願望を扱って、それを欺くかを教えます。結局のところ、与えたいという願望には知恵または知性がありません―Hochmaの光(知恵の光)がないのです。Hochmaの光は喜びを受け取りたいという願望に向けたものなのです。したがって、特にヘビは利口です。私達は右線のために知恵をヘビから学ぶ必要があります。これを“彼に逆らう助け”と呼びます。その理由は、ヘビそのものが私達に右線とその扱い方を教えてくれるからです。それは私達にその殺し方、その毒液から薬だけを抽出する方法、そしてこの薬を与えるという意図のためにどう扱えばよいのかを教えます。

すべての地震は私達の内面にある


受け取った質問:チリの地震と私達の意図の是正との関係は何ですか?

私の答え:それには最も直接的な関係があります。自然のすべての力(無生物レベル、植物レベル、動物レベル、人間レベルにおいての力)は人間の是正に向けられています。それらはすべて人間の中に含まれています。

バール・ハスラムは、無生物レベル、植物レベル、動物レベルは人間の中に含まれていて、人間に依存し、人間と共に上昇又は下降すると多くの論文に書き残しました。自然界の無生物レベル、植物レベル、動物レベルは私達の内面レベル(私達の中にある無生物レベル、植物レベル、動物レベル)の投影です。したがって、私達が私達の内面的な自然の力の是正を成し遂げないとき、私達はそれに相当する結果を外面世界に見ることになります。

アダム・ハリション(最初の人間)が罪を犯す前、世界はすばらしかった―真の楽園―であったと記されています。しかし、罪を犯した後、それは地獄に変わりました。よって、与えることから受け取りに変わった人間の意図が、楽園を地獄に変化させるのです。

これが現在私達に啓示されていることです。私達が救済策で未然にそれらを防がなければ、いくつもの大災害が私達を待ち受けています。私達がこの遂行に成功することを願いましょう。

濾過された現実


私達の利己的な願望は、その目的に現実をふさわしくするためにそれを濾過します。事実上、私達はフィルターを通して世界を見ています。言い換えると、私達は、世界、自然、社会、そして人々におけるその本当の姿を客観的に見ていません。もっと正確に言うと、私達はただ自分たちのエゴにとって利益になるもの、何がエゴにとって有益か又は有害かというようにしか見ていません。したがって私達は無限の現実の非常に小さい部分、“この世”しか感じません。なぜなら私達のエゴにとってそれ以上のものを知覚することは不可能であるためです。