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私達はカバラを広めるだけで、残りは上層の光がしてくれます

受け取った質問:現在世界中で多くの人が、私達のカバラの学習に加わっています。新たなグループが様々な都市で雨後のマッシュルームのように育っています。彼らの世話をどのようにすべきですか?

私の答え:私達はただ彼らに模範を示し、一緒に成長しなくてはならないだけです。私はこれにおいて何の困難も心配してません。生命を止めることは不可能です。私達は皆、木が石の中を押し進むのを見たことがあります。それは光への道を見つけ出し成長するのです。

それと同じことが私達の状況にも適応します。もしも人が真正なカバラの情報源から少しでも光を受け取ったのなら、それは突破し成長し始めます。人々は自分自身で学習センターとスタディグループを見つけるでしょう。彼らは私達を手本にして進化するでしょう。

私達がしなくてはならないことは、カバラの知識をできるだけ多くの人に届くように広めることだけです。それに続いて起こるその発達の形は私達が決めるのではありません。これは自主的な発達です。私達に課せられた唯一の仕事とは、人を発育させてグループを築き上げるカバラの原理に従うことだけです。私達は単にその資料を広めるだけでよいのです。残りはすべて上層の光がしてくれます。

私達は人々に本を与えることで上層の光とのつながりを作り出します。これらの本は改善する光を通させ、人々は成長し始めます。それは全世界で起こるでしょう。それが指数曲線のように急成長することを願いましょう。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 4/14/10, Article “Exile and Redemption”


全世界は自分を補助する為に創造された

受け取った質問:もし私がレッスン後、一日中スピリチュアリティに集中出来ない場合、どうすればいいでしょうか?

私の答え:人は色々な時期を経験します。カバラを何時間勉強しても充分と感じない時もあれば、それから離れ、努力する事を止めてしまう時もあります。

しかしながら、長期的には全てが私たちの為に可能なかぎり最良な方法で手配されているという事が見えてきます。そしてもし私たちが自分の自由時間を正しく使えば、クリエーターは私たちが勉強した事を現実化するための時間を更に用意してくれます。私たちはあらゆる問題に遭遇します:私たちの作業から気を散らすもの、上司との問題、共感しない環境、さらには私たちの思考や欲求の中に於いて気を散らすものも。これらの困難にもかかわらず、なおまた私たちはスピリチュアリティと繋がっていなければならないと感じます。

クラスが終わると、私たちはスピリチュアリティから得た印象をぬぐい消し困惑させる「大きな世界」に戻らなければなりませんが、これらの環境は私たちの向上に最も効果的なのです。私たちはスピリチュアルな世界と繋がり続ける努力をし、これら全ての問題の根源を心に焼き付けておく必要があります。それらがなぜ私たちに送られてくるのか、それに加えて、私たちは何に付着する事になっているのか、そしてその理由、つまり「善をする善である、彼以外に他は在らん」ということを覚えておくことです。私たちは愛する大切な人とまめに連絡取り合うように、常にクリエーターとの内なる繋がりを感じなければなりません。

この状態を保持する努力をして下さい。あなたはこれら全ての不運な状況はクリエーターがあなたへ、仮想的世界の中での苦しみと幻想を通じて彼と繋がる機会を与えてくれていると感じ始めるでしょう。

あなたはこの世界が「作り上げられたもの」で、それが単なる外側にある殻であるという事を理解し始めるでしょう。困難は自分の中で常に変化する欲求の形態であるという事を感じようになるでしょう。それらはクリエーターに「接続」しなくてはならない欲求であり、もしそうしたなら、それらの欲求はスピリチュアルな形態に変化します。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 4/13/10, The Zohar

永遠の呼吸のフィーリング

受け取った質問:あなたは、カバラが人を永遠の命に至らせると言いましたが、カバリストは死にます。ならば、これがどうして可能なのですか?

私の答え:カバリストはあなたの視覚の中で死にます。なぜならあなたは彼の命をカバリストが見るようには見ていないからです。あなたは彼の一部しか見てません – 他の動物がそうであるように必ず死に至る彼の肉体のことです。しかし、彼の中で発達した神のようなスピリチュアルな部分は、永遠に生き続けます。人がこの部分を獲得すると、その瞬間からその人はそれを所有し、それは永遠の存在の感覚を与えます – その人が獲得した授与の特質は永遠なのです。

私達はMachsomに近づきながらでしか、これを理解し始めません。それは授与の徴候が私達の中で現れるときのことです。人に届き始める光(the Light)は、彼に、物体を超越して授与の視点から他者に関わるといった考え方の変化が意味することの感覚を与えます。人はまだ授与のなかには存在していませんが、彼は既になんとかしてそれに接することができるのです。そのあとに、彼は、この永遠性に属している感覚といった特質に順応する徴候を得ます。

これが起きる前には、人に理解する能力はありません。光がまだ彼に十分に近づいていなく、語句に意味がないからです。人は食べて休みたいと思いまが、永遠はあまりにも遠くにあるように思え、彼はそれを感じません。人が、はためく風のように、光の呼吸を遠くから感じ始めるときにだけ、彼はカバラに死の天使からの解放があることを理解し始めます。もっと光が人に近づくとき、それは永遠が存在するといった感覚をその人にもたらすのです。

これは私達が行える自由な行為の最初の条件です。そうでなかったら、なぜあなたに自由が必要なのですか? 動物的な肉体の人生のなかで、それ以外にあなたがすることはあるのでしょうか? 他の全ての物事は、あなたの為に上層からなされています- あなたはそれを自分でしているのではありません。自分の力であなたができる唯一のことは永遠に到達することだけです。授与(与えること・授けること)は永遠ですが、受け取ることは一時的であり、つかの間です。Hochmaの光は永遠に私達に訪れることはありません。それは唯一Hassadimの光の内部でしか知覚されないのです。したがって、私達が永遠を手にする為には、まずは、授け与えたいという願望を獲得する必要があります。そして、そのあとに、この願望の内部で私達は人生が永遠として感じれるようになるでしょう。

毎日のカバラレッスン 2010年4月15日 第三部 論説『自由』より)

自由:永遠を獲得する

バール・ハスラムの論文「The Freedom(自由)」は以下の言葉で始まります。「石にHarut(彫られている);それをHarut(彫られている)ではなく、Herut(自由)と発音せよ。彼らが死の天使から解放されることを示すために。」この世でスピリチュアルな上層世界をまだ感じることができなく、単に他の動物のように自分の人生の心配しかしないとき、その人には何が必要なのでしょうか? この時の人の主な心配事は生と死です。自由が死の天使からの解放を意味すると記されたことには理由があります。その理由は、カバラの科学が永遠を獲得する方法であり、それは根本的にすべての人にとって重要であるということです。

人類は無意識に自分たちから死の問題を隠します―この問題に解決策はないが、それは私達の全員を無価値な存在にまで縮小します。この世における私達の全行為(文化、教育、仕事)は、死の必然性に目を向けないためになされます。私達はそれを遠くに追い払い、まるでそれが存在しないかのように、それについて考えないようにします。しかしながら、この問いが現れるとき、死を止めることに対してできることがないため、人は完全なる無力感に陥ります。私達はどんな事も対処すること及び達成することが可能です、一つのこと以外―永遠の命。

死の必然性は自分という人間を打ち消します。したがって、人類が無意識に従事する全てのことは、一つの考えから来ています。仮に私達が死ぬことがなかったとしたら、どのぐらい私達が人生に対し違った見解を持つのか、私達は理解していません。私達の存在、現実、そして他者に対する感じ方や態度は、全く違うものになることでしょう。

毎日のカバラレッスン 2010年4月15日 第三部 論説『自由』より)

私を捜すものは、私を捜しだす

受け取った質問: もし私がゾハールのレッスン中、5分間も集中出来なかったらどうすればいいでしょうか?それらの全てを自分の中の何処を探せばいいのかが分かりません。

私の答え: あらゆる手段を使ってゾハ-ルに説明してある全ての特質を自分の中で捜し続けましょう。もし病気の人にこの本文にはどうすれば健康になり、心配事、破産など他の問題らから逃れられるかの情報が記載されてると告げたなら、彼は貪欲に本文を“飲み込もう“とし、語句を全て吸収しようと努力するでしょう。もし彼が脅えていて本文に救済を 捜し求めていたのであれば、彼はもし本が外国語で書いてあってもそれを理解しようと努力するでしょう。

しかし、スピリチュアリティの欠乏は私たちを脅かせません。環境のみがこの願望を私たちの中にもたらしてくれます。

なので、もしあなたが自分の中の何処を探していいのかが分からなくても、とにかく探し続けましょう。想像してください、あなたは新たな、暗い知らない場所に入り込んでいて、何も見えないのです。あなたにはフラッシュライトがあり、毎回何かが聞こえるたびにあなたはフラッシュライトを向け、何かを見つけ出す事を期待しています。

大人として、私たちは知性を満たしながら勉強します。しかし、知覚は知性では発達しません。しかしながら子供の頃、私たちは聞く事と見る事によって発達してきました。見た事、聞いた事を理解せぬままです。これがなぜ私たちが知覚と知性を発達させて来たかの理由です。私たちは物語を聞かされたり、色々な物を見せられてきましたがそれらを理解する事は出来ませんでした。物事の関連の説明されましたが、私たちは把握できませんでした。しかしながら、まさに私たちの理解しようとする努力により、私たちは動物から人間になったのです。

このゆえに現在、私が新たな感覚と心を発達させようと励んでいるとき、私は”それ“が何なのかを理解しないままゾハールを読みます。しかしながら、自分の努力が内在する新しい能力を明らかにし、やがて私は以前自分から隠されていた何かを知覚、理解し始めるのです。

上層世界は私たちの間にあります。私たちはこの世界の人間から、上層世界の“人間“へと発達し続ける事のみが必要です。それを知覚できる様になる為にあらゆる努力をしましょう。そうやって感覚は発達していきます。知覚でき始めるようになった後、思考も働き始めます。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 4/11/10, The Zohar

スピリチュアルな達成の波に乗る


受け取った質問:ゾハールを読んでる最中、次の瞬間に何も思い出せないとしたら、知識は私達に何を与えるのですか?

私の答え:知識は私達に何も与えません。現在私は何かを知っていますが、明日にはそのことを全て忘れます。なぜ忘れるのでしょうか? もし私の願望(KelimKli(器)の複数形)が変化するなら、私の新しい願望の内側で、以前に知っていたことを明日には思い出せないでしょう。なぜなら、私は以前の願望の内側に、その時はもう居ないからです。

私は唯一感覚だけを通じることによって、一つの段階からもう一つの段階へ知識を伝達できるのです。私達の状態には波のようなプロセスが含まれています:知識〜感覚〜知識〜感覚。私がある段階で自分の願望を是正したということにしましょう。私はこの段階での願望是正に従い、現実に対する何らかの感覚と知識を得ます。どの世界のどの段階に自分がいるのかということの実感を得るのです。

そのあとに、新たな願望が現れます。前の段階は消え、私は暗闇に包まれます。私に残るものとは何でしょうか? すべての人は、暗闇の感覚が自分に来る時、そのすぐ後に前の感覚のすべてが消え、もうそれらが扱えなくなることを知っています。しかし、もしあなたがこの新しい段階、この新たな暗闇を扱い始めるなら、あなたの努力が新しい光を呼び寄せ、その光があなたに来てあなたを是正します。その後にあなたは新たな状態に行き、そこでのあなたには、より高度な新しい知識に基づく、以前の知識に対するより深い理解があります。

したがって、あなたはどんなときでも知識を考慮に入れるべきではありません。それはいつもそこにあり、必ず是正された願望に入るのです。最も重要なのは、願望を是正することです。そうすれば、そのなかで明かされる必要のあるどんなものも、明かされるでしょう。しかし、このことについて心配することは、意味をなしません。

これが、なぜ正しく勉強する人が、何も覚えないでレッスンを後にするのかということの理由です。彼らは一般的な印象を持って教室から出て行きます。この印象は、彼らの理解の中ではなく、感覚の中に記録されるのです。それは感覚の記憶に残るのであり、知性に於ける記憶ではありません。

私は思考力を見下しているのではありません。実のところ、私は知識と真剣な研究に惹かれます。しかし、人が“心の中の点”を通じて勉強するとき、彼の感覚が十分に発達するまでは、彼が勉強している内容を理解することも覚えることもありません。感覚が十分に発達した後に、彼は自分の感覚で理解しはじめるのです。そのあとに、彼は“彼が感じていること”を理解するのです。

結局は、何年もかけて勉強してきたことは消え、“勉強結果”が見えないということになります。その結果とは、あなたの知識の中で示されるべきではなく、是正の光(Ohr Makif・包む光)があなたの特質を是正することに於いて示されるべきなのです。あなたの特質の中という意味です。

これは、4年間から6年間かけて何らかの分野のエキスパートになり、そのあとにもう二三年間かけて博士論文を書くといった大学の勉強とは、とても異なることです。カバラを10年間学んだ人の明確な知識とは何処にあるのでしょうか? 彼は何を得たのでしょうか? 彼にはそれについて見せれるものが何もないようにみえます。その理由は、彼が啓示を達成するまで、新しい特質の中に毎日新しく生まれ変わるからです。

彼が啓示を達成するとき、すぐにそれは彼の段階に記録されます。そうすれば、彼が上昇状態のとき、彼は題材に於ける精通と知識を本当に有します。しかし下降状態のときには、彼は闇に包まれ、彼の経験だけが彼を持ちこたえさせます。(バール・ハスラムの論文”What Is Support in the Torah, in the Work“を参照してください。)

人は、私達が最後の是正(Final Correction)に到達するまでは、状態が大きく変化し、是正のレベル又は高さだけを考慮に入れるべきであるということを理解しなくてはなりません。知識はいつまでも人の段階に応じてその人に伴っています。

子供達はスピリチュアルな意味を自然に認知する

受け取った質問:トーラーに書かれている語句と物語を子供たちに説明する事は可能でしょうか?

私の答え:子供たちは、これに対し、大人たちよりも準備が整っています。彼らは知覚と知覚機能を発達させています。彼らが他の語句から成る言語を認知するのに、問題はありません。なぜなら、彼らはその語句を初めて耳にするからです。

あなたは子供にグラスを見せて「これはグラス」と言うことができます。あなたは、また、「グラス」とは人に於ける何らかの感覚(知覚)であると説明する事ができます。子供はこれらの概念を認知します。なぜなら、彼はこの世にある定義をまだ有していないからです。それか、あなたは、グラスとは私達が満たすガラスから成る器であり、それが彼または彼女が満たしたいと思っている人間の内面的な器であると言うこともできます。子供はこれを自然に認知し、彼がそれで困惑されることはありません。

この理由は、子供たちの認知(知覚)が大人たちのように二つに分かれてはいないからです。子供達は、私達が現在スピリチュアルワールドで発達することになっているのと同じように、この世で発達するのです。これは同じ道であり、同じ道筋です。

追放と救いの本当の意味を発見せよ


エジプトへの追放(エジプト捕囚、the Egyptian exile)とは何でしょうか? それは自分自身に対する愛が現れることです。したがって、エジプトからの脱出とは、初めて自分の隣人を愛することができるときなのです。

私が他者に対する愛を獲得したいと本当に切望すれば、私はエジプトの外に出て来れます。バール・ハスラムが『イェフダのため』という彼の論文のなかで書いたように、来るべき救いの本質は、人が依然として追放状態にいる間に、はっきりしなくてはなりません。あなたは自分が望んでいるものを理解しなくてはならないのです。あなたは何を追放状態と見なすのですか? あなたは何から追放されたのですか?

もし追放の意味が自分が自己愛の奴隷になることで、救いとは他者に対する愛の力——統一体の中でクリエーターを明かすために、一体化してアダムが破壊される前の一つの魂の状態になる能力——を獲得した時であるということが分かるのなら、あなたは本当に追放を感じ、救いの準備ができています。そして、そのあとに救いはあなたに訪れるのです!

もしあなたが自分の願望を準備したなら、改善する光があなたに訪れ、あなたをエゴイズムの外へと導きます。すべては自分の中の利己的な心配の外にある自由へと脱出したいというあなたの願望によります。これが追放の目的であり、これが何故私達がまだ救いの準備ができていないのかということの理由です——なぜなら、それはこの為だけに存在しているからです。スピリチュアリティーとは授与(与えること)です。もし私達がそれを望むのであれば、それは私達が自由になる準備ができていることを意味します。

現在私達は、私達自身の追放状態を長引かせています。なぜなら、私達はそれを異郷生活そして奴隷の境遇とは思わないからです。私達はその中に居ながらして、気持ちよいのです。私達は単に金、権力、そして他の充足源を、もっと欲しがっているだけなのです。私達は独りにさせてもらいたく、隣人に対する愛のことについて聞かされたくはありません。私達はこの愛を欲しくないのです!

地獄とは、授与する能力がないことです。天国と地獄とは、それらに対する人々の通常的な概念とはだいぶ異なります。人々はどちらも欲しくありません。そして、そのどちらも自分達の内面で感じません。これは人が邪悪でも高潔でもないことを意味します——その人は追放状態にいない単なる動物(獣類)です。

邪悪な人は自分がエゴイストであることを知っており、高潔——授与していること——になりたいと思います。したがって彼は自分の是正されてない状態のことを「地獄」と呼びます。高潔な人とは、授与と愛の特質を獲得した人であり、自分が天国にいると感じるのです。

困惑を恐れるな

受け取った質問: あなたがスピリチュアル世界の仕組みを説明すればするほど私は混乱してしまいます。 なぜこのような事が起こるのでしょうか?
 
私の答え: 例えば、私が医師に行き、彼に自分の外面的な症状を告げている所を想像して下さい。 医師は私に医療検査を受ける事を求め、その結果を調べ、他の医師と論議します。 私は、彼らが私自身の事、自分の感覚、健康の事を話し合っているのでありながら、何も理解することが出来ません。 この理由は、彼らは私の内面的、複合的なレベルで、実際に私の中で起こっている事を論議しているからです。
 
その後、彼らは私にピルを与えてくれます;その中身も私には不明です。 私は単純に、彼らとその処方されたピルが自分を救うと信用して飲みます。 もちろん、彼らは専門的な医療的論議で私を困惑させ、私はそれらを決して聞くべきではなかった。 それにもかかわらず、私たちの世の中では、医師の言う事に対する自身の理解にかまわずピルは作用します。
 
ここ、勉強の間では私はカバリスティックな医師たちが自分の事について書いた事を読みます:一人のカバリストは同士に魂らが改善しなければいけないシステムの中で、内面的に何が起こっているかを説明しています。 もちろん私には一切理解できません! けれども私はこの物語とそれら自体に夢中になり、理解したい、感じたいと望む為、私はそれらと接続し、それに似通っていくのです。
 
もし私が彼らのような医師になりたいのであれば、私は私と彼らとのコネクションを利用して学びます。 もし私が混乱を感じながらもその本質を把握したいと望み、もし私がこの本が自分の魂の是正の事を説明していると感じるのであれば、私に選択の余地はありません。 私は彼らの言語(医療分野でラテン語が使われている様に)を学ばなければならず、その後に私は彼らの話している事を理解出来るようになるのです。
 
カバリストはこれらの本を他の同カバリストたちの為に書きました。 彼らは彼らの間で理解できる言語で話し合います。 なぜならこの言語は色々な世界の事や霊的概念を説明するからです。 現時点では、私は彼らが意味する事を全く理解できません。
 
しかし、もし私が彼らが教える事を理解したいと熱望し、その中に存在したい、感じたいと励むのなら、私はこれらの本を開き、入り込もうと試みるのです。 理解度のレベルは重要ではありません。 重要な事は、外面的な知性で理解しようとする試みではなく、むしろ感情と一緒に入り込みたいという私の望みです。 私は啓示を求めなければいけません。
 
私は彼らが書いている事を確かめなければいけません。 彼らは自らが見て感じた事を説明しているので、私はそれを感じる事を望まなければならないのです。 これが、なぜ自分の理解力、洞察力、感情らの不足が自分を前へと押し進めるだけか、の理由です。

全てのものは相対的である、追放と救いでさえも

追放と救いは相対的なものであり、それはその人が何処から落ちたのか、そして何処へ落ちたのかによります。私がスピリチュアリティーから追放されているということを感じることができるのは、私がスピリチュアルワールドを感じ、自分がそれから分断されていることを感じる時に限ってのことです。しかし、もし自分が何から分断されているのかについて感じないのであれば、これを追放と呼ぶ事はできません。なぜなら、何から自分は追放されたのでしょうか?

スピリチュアリティーに関して、バビロンの追放はエジプトからの脱出よりもさらに高い状態でした。しかしそれは追放と呼ばれています。それが多大なる苦しみを生じさせたためです。

私がスピリチュアルな階級から堕ちたことについて、いつ後悔するのでしょうか? それはまさに私がスピリチュアリティーのなかに存在するときです。なぜなら、それ以外に自分はそれを評価することができるのでしょうか? 私はいつになったら、愛、授与、正しい繋がり、そして他者に対する自分の愛におけるクリエーターとの類似性がある状態から、自分が堕落したことを後悔するのでしょうか? いつ私は自分が追放状態まで堕落したと言える事ができるのでしょうか? それは私が既にそれらすべての特質を会得しながらも、それらが十分ではなく、納得ゆかないものとして見るときです。

追放の感覚はとても高尚な状態です。なぜなら、それは私が他者に対する授与と愛の特質を欠いているということから苦しむ時であるからです。