Entries in the 'グループ作業' Category

非個人的な生(せい)

質問:どのようにして正しいつながりを感じればよいのでしょうか?

答え:正しいつながりとは、つながりのみを感じて、われわれ自身を感じない時のことです。それは今起きていることとは正反対なことです。

もし我々の皆が自分自身を切り離すのなら、我々は我々の間にあるつながりだけを感じるでしょう。すなわち、生きていて存在している全員から成る体のことです。各自は自身の個人的な細胞を感じるのではなく、全員から成る体の中に含まれて、自分自身ではなく全員から成る体のみを感じるまで自分自身を捧げるでしょう。これが、つながりを達成(獲得)したことを意味するのです。

個人的に誰かに属しているのではなく、我々のつながりの結果である、全員から成る体における生命の集団的感覚、この感覚のことをクリエーターと呼びます。

この器をアダム(人間)と呼び、それを満たしているものをクリエーター・生命の光・授与の相互的な力と呼ぶのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/20/12, Writings of Rabash

相互保証は霊的誕生の必要条件

ミューチュアル・ギャランティ(相互保証)のおかげで、人は、その人の必要物全てを提供するために皆がサポートしてくれている、と感じる状態に達します。そしてその状態において、人は他者について考えることが可能になります。人が自分のエゴを乗り越えるのは、この条件においてのみです。

エゴを乗り越えさせる他の力はありません。このエゴは私達を支配する唯一の力であり、それはグループの中でのみ中性化することができます。

もしグループが私のエゴを中性化せず無効化しないならば、私は自分自身の力だけで中性化することは決してできないでしょう。私はその中に永遠に埋もれたままで、そこから誕生して脱出することはできないでしょう。それゆえ、この相互保証は私にとって生命の法則であり、私の霊的誕生の必要条件となります。

もし私がグループから、十分な保護と必要な物全ての供給という、この安全の感覚を受け取らなかったならば、私は自分自身を越えて上ることはできないでしょう。実際、私の中にこの感覚を生むものは相互保証です。この感覚は全く私個人に起因するものではありません。もし友人達が彼らの相互保証によって私に影響を与えるならば、私が彼らについて考えることを止めることはありません。相互保証はそのように働きます。

それは母の両腕の中にいる赤ん坊に似ています。そこでは赤ん坊はいかなる問題も持ちません。赤ん坊は本能的に安全を感じ、そして必要な物は何でも与えられるであろうと感じています。私もまた、グループの両腕の中にあって、この赤ん坊のように感じることになります。全ての問題、全ての心配、全ての疑問が去ったように感じるのです。

私個人につながっているものは何もありません。それはまるで私が空中に浮かんでいるかのようです。私が他者について考え始めることが可能になるのは、まさにこのような瞬間からです。

私達は、不変の法則について、私達に作用する力について、話しています。それは私のファンタジーや推測ではありません。もし、この相互保証の力が私に作用するなら、そのとき私は自分自身を切り離し、そして私個人の欲する・欲しないには何の違いもなくなります。もし友人達がこの力で私に作用するなら、私は自分のエゴの支配から自由になります。そして、その瞬間から、私は他者について考えることが可能になるのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/24/12, Writings of Baal HaSulam

ゲームのルールを変更せよ

変化は改善する光によってのみ起こり得ます。この光は我々がいる状態を実現することを促進させるために勝手に訪れます。それは絶え間なく我々を照らしながらその照度を強めます。言い換えれば、それは絶え間なく明るくなり、レシモット(思い出すこと・回想)を明らかにし、変化させ、強めます。そして、こうして我々は自分たちが変化していると感じます。

我々が何かをしたいとき、何かを明きらかにするとき、技術を開発するとき、そして、進展するとき、それらはすべてレシモットに従っています。レシモットが我々をやむを得ず行動させるのです。突如としてニュートンは重力の法則を発見し、突如としてアインシュタインは相対性理論を展開し、さらにまた他の科学者が現れては新しい発見をし、そのように世界は進展します。良い人や悪い人、異なる人々が現れ、あたかも彼らが世界を進展させているように思えます。そのように我々は光の影響下でレシモットが発達するさなか暮らしているのです。

しかし、我々は、この光が我々の利己的な欲求を強めるために照らすのではなく、利己的な欲求を変え、是正し、授与したいという欲求に変化させるために照らすよう、この光を呼び起こすことを望みます。我々は自分たち自身の力で「努力」というものをしなくてはなりません。我々が自分たち自身の欲求を変えなくてはならないので、この行為は自発的なものです。我々の中で、つまり我々の欲求の中で隠されているスピリチュアルなスパークを用いて我々は我々の変化を起こしており、それは、物事が違った形になれること、我々が自分たちの欲求の異なった使い方ができること、そして、他者を利用するのではなく他者のために行動して他者への愛と授与を達成できることの理解を助けます。

光は我々のレシモットを照らし続け、我々にできることは自分たちに対するその影響を変えることだけです。もし我々がなんとかしてこの問題を理解して取り上げるのなら、我々の中で引き起こされるレシモ(レシモットの単数形)を我々が受け取りの形ではなくて授与の形で使うために実現させる程度にまで、我々のために明るくなる光は、我々の中に変革を遂行することによって、そのような結果をもたらします。

したがって、すべては我々次第です。たとえ我々が、どのような状態にあろうと、つまり絶えず我々の中で明かされるレシモットの内にあろうと、どれくらい我々が受け取りではなく授与の形でレシモットを本能的に実現したいのかによって決まるのです。

もし我々がレシモットを本当に実現したいなら、我々の行為は少なくとも二つの部分に分かれます。まずは、我々が自分たち同士のつながりに取り組むために集合します。我々が達成したい我々同士のつながりは、全体魂を作るための粉々になった魂たちのつながりに似ています。これが私たちのゴールであるためです。これは欲求からの見方、つまり器からの見方です。光の見地からすると、我々は1つの光に我々の中で明るくなること、我々をつなげること、我々のためにクリエーターを明らかにすることを望みます。すなわち、我々のあいだで明かされる、授与の総体的に集合した力のことです。

これが、なぜ我々がカバラの本の中でつながろうとする人々から成るグループ内で実行される行為について読むのかということの理由です。ゾハールの書がこれらの行為、このシステムについて最も完璧な方法で言い表すので、全ての本のなかで最も効果的なのはゾハールの書です。

From the 2nd part of the Daily Kabbalah Lesson 8/26/12, The Zohar

嫉妬は欠点ではない

質問:カバリストは嫉妬を、人がこの世界から脱出してスピリチュアルな世界に入ることを助ける性質のものとしています。本当に、なぜ私は他者を妬むべきなのですか? 結局、誰もが特別で誰もがその人独自の道をたどっています。なぜ他の人のユニークさ(唯一性)が私を嫉妬させ、私の道において私を力づけるべきなのですか?

答え:私は、嫉妬や肉体的欲望や尊敬への欲求を、目的を持って自分の内に呼び起こします。それは他者の成功を妬んだり尊敬を追い求めるような、普通の人についてのことではありません。この世界では私達はあらゆる種類のナンセンスに嫉妬し、つまらない物を本当に欲しています。私は、その反対に、生活に必要なものだけを手に入れ、残り全ては無視します。私が全ての基本的必要物を持っているとき、私はスピリチュアルな仕事のために自分を構築し、このフレームワークの中で私は嫉妬のような道具を使います。

もしそうでなければ、私は前進のための何ものも持たないでしょう。嫉妬、肉体的欲望、尊敬は3つのエゴイスティック・アプローチです。そして私の内にそれらなしで、私に何の仕事ができるでしょうか? この世界から私を連れ出すのは、これらの3つの特質なのです。それはBYA世界を脱してアツィルート世界に入るようなものです。

それで、もし私がスピリチュアルな仕事をしたいと思うなら、私は他人の仕事を見て、彼らの前に自分を無にします。それから私は、彼らを私達の世代の最も偉大な人々として見ます。彼らは、はるか先まで進んでおり、彼らは(すでに)是正の終わりを達成しており、そして私は彼らを妬みます。もし私が妬まないなら、私に力はなく、動くことができません。私は前進するためのすべての力を自分のエゴから受け取ります。正しい意図を伴う正しい前進、それは物質の中に包まれた形態が光によって私の元にもたらされることを意味します。そしてその物質によって私は上昇するのですが、その物質自体とは私自身のエゴのことです。

質問:しかし、どのようにして私は正しい意図を嫉妬から守ることができますか?

答え:それは、その意図が築かれる、嫉妬、肉体的欲望、そして尊敬への欲求によります。あなたはその嫉妬をクリエイターへの嫉妬に転換し、尊敬への欲求をクリエイターのための尊敬に転換し、衝動への肉体的欲求を彼(クリエイター)への密着に転換します。そうでなければ、あなたは何を是正するのですか? あなたは何を建てるのですか、雲の中に空想的なお城ですか?

質問:しかし依然、私が嫉妬すると、その(嫉妬の)火が私を焼き尽くします。

答え:そうではありません。あなたは制限の後に、嫉妬、肉欲、尊敬欲求が起こるのを許すのです。その制限とは、もはやあなたのためではなく、理解し「作業場」を決めるためです。全てがコントロール下になければなりません。そうでなければ、あなたは始めることさえすべきではありません。

手短に言えば、やってみなさい。嫉妬に陥ることを恐れてはなりません。それに取り組み始めなさい。もしあなたが友達を嫉妬するなら幸運なことです。それは良いことです。結局、私達は前進のための他の力を持っていません。もし私が環境なしに一人だけで生きるのなら、私は一匹の動物のようなものでしょう。他方、もし社会が、私に欠けているものを友達が持っていることを、私に常に見せつけ続けることによって、私を駆り立て刺激するなら、それは人生において私の前進を助けます。私はまさに、私に良い例を提供し私が嫉妬するような、特別な環境を必要としているのです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 9/12/12, “Peace in the World”

「心の賢者」とは誰?

質問:バール・ハスラムが書いている「心の賢者」とは誰を指しているのですか?

答え:「心の賢者」とは、より高い「知恵」−「ホフマー」に向けて、心を開く道を探し求めている人のことです。それはユニティ(統一)の知恵であり、他者とつながることによって得られます。

私達は心(ハート)でつながることを望み、様々な願望をつなげることを望み、そして全ての心と全ての願望の総計の中から、つながる準備のできたものだけを選びます。そしてそれらの願望の間にコネクションをつくることによって、その中で私達が行動し始めることを望むところの共通のネットワークを創造します。

このネットワークの内側にいる間は、私達はどの願望が誰のものだったかについて忘れます。なぜならそれは今や私達に共通のシステムだからです。それから私達はその中に、ホフマーの光を感じ始め、それゆえ「心の賢者」と呼ばれます。結局、私達は心(ハート)のつながりの中でホフマー(知恵)の光を明らかにします。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/11/12, Panim Meirot UMasbirot

一つのボルトが世界の破壊を引き起こす

バール・ハスラム著「世界における平和」:そして社会における一人一人すべての個人は、一つの機械の中で幾つもの他の歯車につながっている一つの歯車のようなものです。そしてこの一つの歯車は機械の中にもそれ自身にも運動の自由は持っていません。それはただ、その機械が機械本来の役割を果たそうとする方向へ向けて、他の歯車達の動きに合わせて回り続けるのです。

あなたがエンジンの中の一つのボルトであると考えてみましょう。そのあなたが壊れるとします。その結果、あなたと一緒にエンジン全体も故障します。それで、その自動車と中の乗客は動くことができません。また他の乗客を乗せた自動車の道まで塞いでしまいます。ただ一つの小さなボルトが原因でこの全てが引き起こされます。似たような出来事が、かつてイギリス軍にありました。乗馬の馬蹄が壊れたために王様が戦闘に負けてしまったのです。その馬は片足を引きずって歩き、これが戦士達の士気を挫き、敗北へ導いたのでした。後になって彼らは、爪がひとつ割れたことが、彼らの敗北と何千という死の理由であることが分かりました。

それで、一つのボルトの価値とは何でしょうか? それは、もしそれが壊れたり適切に機能しなかったときに引き起こしうる、全てのダメージ分の価値があります。ここから、あなたは、自分の価値・特質に従って、世界にとって価値があることが分かります。なぜなら私達はあなたによって苦しむからです。しかしながら、もしあなたが自分の仕事をするのなら、そのとき私達は是正の終わりに到達するでしょう。これは、あなたが私達にとって大切な存在であり、実際、値を付けられない程であることを意味します。というのも全ての物が(小さなボルトである)あなたに依存しているからです。別の言葉で言えば、誰もが、その貢献と、起こしうる損害に応じて、世界全体の価値があるのです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 9/10/12, “Peace in the World”

微かな光が射し込む壁の裂け目をお見逃しなく

「涙の門」に至るとは、あなたが自分を、持ち上げることのできない重い石、すなわち自分自身の力では動かすことのできない欲求として、そしてそれ以外の何者でもないと見るようになることを意味します。その動きのすべては外部から来るエネルギーによってのみ可能になります。それで、私達の仕事の全ては、外部の環境から、この状態に対する助けを誘導する手段を見つけることです。

大変重要なポイントは、私達が自由意志を与えられていることです。ちょうど人が力を失い、もはや何もすることができないように見えるとき、また人が絶望、あるいは、ただの弱さを感じるとき、また人がモチベーションと未来の希望を失うとき、そのようなとき、その人は突然、自分自身では全く身動きできないことを感じます。その人をゴールへ向けて引っ張ってゆく意志の力は存在せず、ただわずかに、彼を背後から駆り立て、強制的に動かす小さな針がいくつか存在するだけです。

しかしながら、自分自身の力によって前進する自由意志が現れるのは、まさにそのような死んだ状態の中においてなのです。それは、ポジティブであろうとネガティブであろうと、何か見知らぬ異質な力によってではなく、自分自身でその前進する力を見つけることにかかっています。そしてその人はこれらの力をその人自身の内側に探し求めるのではなく、むしろ環境と共に働き始めるべきであり、そしてその力によってクリエイターの元へ登っていきます。

しかし人は、そのような惨めで灰色の状態の中で、光が開示される瞬間を見分けるために、とても敏感であるべきです。その時にあなたは光の中に入ることができ、そして行動することができます。

突然、多くの欲求の中に光の窓口が現れ、人はその中に貫通し突破することができるようになります。人は、最も死んだような状態にあるとき、無力感を感じスピリチュアリティの全ての味わいを失ってしまったときには、常にそのような瞬間を待たなければなりません。そのような状態においてすら敏感であることは可能です。

絶望や無関心を感じるとき、人は、この状態の中でも外へ飛び越えることができる日が来ることを心待ちにしながら、依然として鋭い知覚を維持しなければなりません。それはあたかも、あなたの目の前に堅固な壁があって、ある日突然そこに小さなひび割れがあることに気づくようなものです。あなたはそれを貫き通し、そこから脱出する道を発見します。この暗闇の状態の中にあって充実と達成の獲得方法を見つけるのは、まさにその場所なのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/6/12, Writings of Rabash 

世界の全ての恐怖を吸収する

現在の世界状況は、我々が感じて、見て、そして知っているよりもずっと悪いです。確かに我々がそれについて話さないのは、政治家たちや経済学者らがパニックを引き起こしたくないからです。彼らには危機についての問題の解決策がありません。彼らには解決策がなく、どうあがいても仕方がありません。なぜ無駄に慌てるべきなのでしょうか?  彼らは正しいです。

しかし我々は、飢え、干ばつ、寒さ、ショック、そして現在あらゆる面から近づきつつある予期せぬ出来事に対する恐怖に陥っている人々に提供する必要があります。我々は世界における全ての動物的な恐怖、つまり生き延びることの恐怖を吸収しようと努力すべきです。それらはあの力、すなわち包む光(オアー・マキフ)を引き寄せて明かすことの手助けになります。包む光は我々を通り抜け、世界へと行き渡り、あらゆることが沈静化するでしょう。全ての国々、社会、そして人々は交流し始めるでしょう。なぜなら彼らはこれが世界を均衡にもたらす唯一の方法であると理解するからです。つまり、自然における無生物でも植物でも動物でもなく、唯一人間だけが調和を乱していて、人間の利己的な行為が他のすべての妨げになっているということです。

我々には不安が欠けています。内面的ヒステリーに欠けています。それがあれば、より簡単でしょう。

我々の問題は、我々がこの世から切り離されていて、より高い場所のどこかで静かな片隅を見つけようとしていることです。これはよくありません。そうではなく我々は、一方でゴールの重要性、他方で内面的な恐怖といった精神状態を見つけるべきです。なぜならこれらだけが、我々のエゴイズムをかきたてるからです。恐怖とゴールの重要性は、我々を後ろから押し(恐怖)、 前へ引き寄せる(ゴールの重要性)二つの大きな力です。それらは我々が1つになることを助けます。

我々は危機に関連して発生する世界の否定的な感情のすべてを世界から吸収し、それを我々の発達の力に変えようと試みるために、我々自身にプレッシャーをかけるべきです。実際、発達は「否定の否定」という法則に従って生じます。我々がいくらか通常に感じるまでは、次の状態には達しないでしょう。苦しみ、または、ゴールの重要性だけが、それが自分に無くて苦しむ時、我々を前方に進ませます。

苦しみには二種類あります:感情の欠如による苦しみと満たされていない愛からくる苦しみです。

From the Preliminary Lesson 8/16/12, Kharkov Convention “Uniting to Ascend”

皆で一緒に求めよう

我々の状態におけるクリエーターへの訴え、つまり祈りは集団でのみありえます。さもなければクリエーターは聞き入れません。人々が集まり、一つのハートを共有する一人の人間のように同じ意見になり、心一つに団結するときにおいてのみ、彼(クリエーター)は聞き入れるのです。その理由は、そうして彼らが集団的欲求を創り出すからです。

彼らの求めるものは何でしょうか? それは、彼(クリエーター)が彼らを是正し、持ち上げ、満足させることなどです。

一人は何の価値もなく、何の意味もありません:そのような祈りは存在しません。あなたは好きなだけ叫ぶことができますが、それは荒野で泣き叫ぶ者の声になるでしょう。もし10人が集まるのなら、彼らがどのように叫んだとしても、また、偽ってでさえも、彼らの訴えは考慮に入れられます。なぜなら彼らがお互いにつながろうと努力しているからです。

From the Kharkov Convention “Uniting to Ascend” 8/17/12, Workshop 3

アナログシステムで「ほとんど」は数えない

質問:カバリストは言います。次のように書かれています。「世界は多数により判断される、そして個人も多数により判断される。そのため、もし人が一つのミツヴァを実行するなら、彼は幸せである。というのも彼は、彼自身と世界全体に対して(天秤上)価値のある目盛の方向へ、判決を下したからである。」どうしてこのようなことが可能でしょうか?

答え:システム全体では、個人と全体は等しいものです。私達はそれを理解しません。なぜなら私達はいつも量的データによって操作されているからです。しかしアナログでインテグラル(統合・完全)なシステム全体では、そのようなことはなく、最も小さい部分ですら決定的な意味を持ちます。

もしその小さい部分が壊れると、システム全体が壊れます。それは半分の力でも99%の力でも作動できません。たった一つでも欠陥がある限り、システム全体は作動しません。

魂の間には相互連結の法則がいくつもあります。それが一緒になって一つの願望をつくります。ここから連結のための条件が出てきます。つまり「一つのハートにおける一つの人間」です。それは全ての人が「理性の上に」エゴを超越する時です。

もちろん、私達はこの目標に向かって、完全な連結に至るまでの125段階のレベルを通過しながら、徐々に進みます。しかしその過程の中でさえ、個人と全体の等価原理は物事に影響します。そのため、私の1グラムが、この円形の全体システムに加えられると、そのシステム全体が正しいレベルへ上がることも可能になります。私達はこの原理を使わなければなりません。それはつまり、それぞれの個人が行うもっとも小さな行為ですら重要なものとして見ることを意味します。

質問:これは私の堕落もまた、システムに転移されることを意味していますか?

答え:そうです。バール・ハスラムがこれについて書いています。しかし重要な点は、私達のシステムが既にほとんど全体的に腐敗しているということです。私達は底から、最低の状態から上昇を始めます。そしてはじめに、最も純粋で最も軽い器、願望を是正します。

質問:このインテグラル(統合・完全)の法則はすべての人に作用するのですか?それともそれに気付いている人たちだけですか?

答え:はじめに、グループが明らかにされることで、人はこのシステムに入り、システムの仕事に参加します。加えて、外部には、全イスラエルからなるシステムと、世界の諸国家からなるシステムがあります。それぞれの部分がその重さに従ってシステムに所属しています。

ユニティ(統一・結束)そのものは隠されています。そして今現在私達に明かされているものは、その硬い外皮(表面)だけです。それは最も是正しやすい部分です。私達各自が世界を(秤の上で)価値ある目盛へと動かせる、というメカニズムが機能するのはこの部分です。

なぜなら、当面の間は、これが私達の世界だからです。これが今日明かされ、そこで仕事が出来るように私達に与えれている部分です。私達はまだ十分な強さで、アイン・ソーフマルフートの中に入っていません。私達はいつでも、そこで仕事ができるように、その一部である薄い層を発見するだけです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 8/16/12, “The Arvut (Mutual Guarantee)”