私が望むたった一つのこと

私は自分の感覚や心に働きかけることはしません。私が望むことはたった一つ。それは他者に含まれることを通して、新しい視覚や聴覚、味覚、臭覚、触覚を受け取ることです。友とのつながりを通して、今私は、クリエーターと類似した「アダム」という人間を作っています。私は自分の今の感情を気にかけることはしません。なぜならそれらはすべて、動物的レベルのものだからです。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 1/9/19, Writings of Baal HaSulam,“The Essence of the Wisdom of Kabbalah,”

1 Minute 33:10

クリエーターの言葉は理解できるのか?

質問:クリエーターの言葉とはどういうものですか?

答え:クリエーターの言葉とは授与の言語、いわば「聖なる言語」であり、パルツーフ(Partzuf)の中間線を意味します。

質問:クリエーターはどうやって人に話しかけているのでしょうか? それを理解することはできるのですか?

答え:中間線においては可能です。受け取りと授与の特質の間に正しい交流があれば、授与の言語を獲得します。利己的から利他的に、その特質が変わり始めるからです。すると、獲得した授与の特質を通して、自分自身(利己主義者)の内側でクリエーターの言葉を理解し始め、「彼」(クリエーター)と話し始めます。

そして、この世に起こることすべてを、どういった理由や結果に基づいて起こっているのか、と見るようになるのです。

質問:たとえば、温暖化や危機などの地球規模の変化もすべてクリエーターからの言葉ですか?

答え:もちろん、すべてそうです。

質問:どうしたら「彼」(クリエーター)が私に話したいことを理解できるのでしょうか?

答え:そのためには、クリエーターのレベルにいなければなりません。この世界で人々の言うことが聞こえているのは、その波動を捕えているからです。一方で、スピリチュアル世界で波動を捕えるとは、その波動の周波数にいることを意味します。

クリエーターの行為を理解したいのなら、「彼」(クリエーター)の段階に上がらなければならないのです。

質問:クリエーターは私たちが「彼」(クリエーター)を理解できるように、私たちと話すことはできないのでしょうか?

答え:ではなぜ、重力の法則は5千年前ではなく、18世紀に明かされたのでしょう? クリエーターを理解するために発達は不可欠なのです。そして今、そこに到達できるところにあなたはいます。すべては人次第です。もし人がそのレベルを上げるのであれば、今日にもそこに到達し、時間を超越することになります。今日、あなたは人々があともう200年かけて到達する状態に生きることもできるのです。

そこは私たちのこの世界と同じで、子どもや大人、賢い人々など、さまざまな人がそれぞれ異なった理解をしています。

質問:最終是正というのは、私が自分に起こることをすべて理解したときということですか?

答え:理解するだけではありません。最終是正はあなたのすべて、あなたの中のすべてです。

 

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From the Kabbalah Lesson in Russian 8/12/18

 

 

 

死んだら世界はどうなるのか?

質問:私は前世や来世を知らないし、何も覚えていません。私が今存在しているから、この世は存在しています。そこで質問ですが、私は死ぬとどうなってしまうのですか?

答え:あなたがもし、魂の啓示――最も小さいスピリチュアルな特質であり、点から発生した魂の最も小さな発達、真の存在たるもの――を獲得するのなら、体が死んでもあなたは魂を知覚し続けるでしょう。それは、魂がその内側に量と光を獲得したからです。そして、これまでとは違う体を、女性から生まれる体を再びまといます。その体に存在している間に発達の全125段階を達成していくためにです。なぜならそれは、私たちの世界に肉体として存在している間にしか成し遂げられないものだからです。

しかし、もしあなたがその点から発生する魂の啓示を獲得しないのなら、今回と同じようにあなたは再びこの世に現れて、魂を明らかにし発達させる機会(心の点)をもう一度持つことになります。

死ぬと魂はどうなるのか?

質問:人は死ぬとどうなるのですか? 魂はどうなってしまうのでしょうか?

答え:魂を知覚できている人々は、その中に生きます。なぜなら、魂は身体の死とは無関係だからです。

魂を獲得しなかった人々には、レシモット(ヘブライ語の“roshem”:記録)だけが残ります。これはDNAのような情報の一片であり、人がこれまでに構成した全情報を含む特定のコードです。

身体が死ぬと、この情報(レシモット)はこの世で新たな身体に結びつかねばならず、そしてもう一度最初からやり直すのです。皆、このレシモットを持っています。これは、最終的に私たちが魂を発達させる小さなかけらです。

発言:魂を構築した人だけが、魂を持っているということですか?

答え:そうです。真実、そうなのです。情報の一片であるレシモットは、魂を築くように人々を強いる欲求の内側で機能しているのですが、魂を構築する人は、そのレシモットに基づいた利己的な欲求の外側に魂を築きあげます。

質問:私は何を持っていて、何を逃しているのでしょうか? 私が本当にしなければならないのは、何なのでしょうか?

答え:私たちの利己的な受け取りたいという意志は、私たちが今持っているすべてです。しかし、突然、私たちの中に特別な欲求が浮かびあがることがあります。これは魂を知覚し、私たちが生きる理由や存在の目的、命の源を理解したいという欲求です。

つまり、レシモットが目覚めたのです。それは小さなちいさな火花であり、言うなれば私たちの内側の心の点です。このときはじめて、私たちは次に何をすべきかを熟考するに至ります。心の点が私たちを切望させ、押し進め、そのままにはさせないからです。

こうして、私たちは自分の利己的な欲求に取り組み、この火花が何かを知れる場所を探し始めます。そしてやがて、本物のカバラの知恵を教える場所、魂の築き方の説明を受け取れる場所へと行き着きます。魂を築くということ。それは、自分たちのために受け取りたいという、その意志を、他者のためへと変化させることを意味しているのです。

 

一人ひとりのスピリチュアルな作業

私たちは魂、つまりクリエーターとの類似性に到達していたとされる「アダム」のシステムが粉砕した結果です。

粉砕の本質は、他者から切り離されていると感じている各部分が、個々の堕落した状態とは何であるかを理解し始め、他者との対立を研究し、人々を隔てている矛盾を超えて互いにつながるための努力が必要であると認識することにあります。

これは壊れた魂(欲求)を内側に負っている者たち皆がおこなうスピリチュアル的な作業です。

これらの欲求をつなげることで、私たちはこの欲求や精神、そこにそなわるものを創造する力、つまりクリエーターを獲得し始めます。これは単なる作業ではありません。私たちの存在の意味、私たちがこの世にいる意味です。つまり、すべては全世界のつながりによってのみ解決するのです。

生と死の境界線を通り抜ける

質問:人類が抱える問題の一つに自殺があります。世界では40秒毎に誰かが自殺し(年間80万人)、米国での自殺者の割合は1999年から30%上昇しています。ここ最近、自ら命を断った有名人の中には、著名なシェフでCNNの番組司会者であったアンソニー・ボーディンさん、そしてオランダ女王の妹がいます。これについて何か説明してもらえますか?

答え:そこにあるのは空虚さ、と言えるでしょう。打ち砕かれ、涙し、眠らせないといった空虚さです。薬物でさえ、それを和らげるには役立ずです。人はただ、もう他には選択肢がないかのように感じています。私たちに必要なのは、人生を正しく見つめ、私たち自身を教育しはじめることです。

質問:何に向かえばいいのでしょうか?

答え:人生の意味です。生と死の間にある境界線を渡るとき、人は人生の意味を理解します。あなたにとって、人生がそれそのものよりも価値を持たないときだけ、何のために生きるかということを適切に測ることができます。そして、エゴや利己的な人生の上へと昇るのです。

質問:それは、執着しないということですか? どんな欲望も抱かないということですか?

答え:欲望を抱かないだけではありません。一瞬一瞬、エゴを放棄し、その上へと昇る。その人生を生きるのです。その瞬間ごとにあなたは、まるで死を体験したかのように、死を超えます。これは、私たちの世界から離れ、上層の世界へ入るということです。

発言:それは、とても難しいです。

答え:難しくはありません。これは私たち皆にとって、幸せの機会です。

質問:つまり、利己的な人生に価値を置くべきではないということですか?

答え:人の真の存在を理解したい人は、この人生を嫌悪し、それの真価を認める必要があります。ただそれだけが、今の人生の上により高い人生を築くための基礎であるからです。そして、それは死よりも高い人生であり、あなたが動物の形で死ぬ瞬間瞬間に、スピリチュアル的な成長をします。

スピリチュアルな形での成長とは、自分自身のためではなく、自分の外にあるもののための人生です。クリエーターのための、システムのための、人類のための。それが何であるかは問題ではなく、肝心なのは、あなたのなかの「私」から出るということなのです。

 

 

過ぎ越しの祭り──出エジプトのレベル

thumbs_laitman_749_01トーラー「レビ記23:4 – 23:8」以下は主の祝日であり、その日あなたたちはイスラエルの人々を聖なる集会に召集しなければならない。 第一の月の14日の夕暮れが主の過越である。同じ月の15日は主の除酵祭である。あなたたちは7日の間、酵母を入れないパンを食べる。初日には聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。7日の間、燃やして主にささげる献げ物を続けて、7日目に聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。

質問なぜ過ぎ越しの祭りの最初と最後の日に働くことが禁じられているのですか?

答え:スピリチュアルな作業の2つの状態、すなわち、下層からの目覚めと上層から目覚めという2つの状態を区別するからです。

下層からの目覚めの間、私たちは切望によって光と器の協調を呼び起こします。つまり光が器を是正し、正しい意図を与えるのです。 上層からの目覚めの間に、この作業は上層から遂行されますが、それは私たちが前もってそのための正しい状態を作り出す時のみ遂行されます。

私たちは祝日の最初と最後の日のために正しい状態を作り出すよう、努力をします。なぜなら、過ぎ越しの祭りの週は上層の光がすべての作業をするので、最後は何もしない状態で閉じられなければならないからです。祝日の最初の日は出エジプトの始まりです。 最後の日は出エジプトの終わりで、それを封じるのです。

世界の国々が異なる暦を持っているということは重要です。 キリスト教の暦は太陽の動きに基づいています。 イスラム教の暦は月の動きに基づいています。 それに対して、ユダヤ教の暦は太陽と月、そして地球の動きを考慮しています。なぜなら地球が太陽と月の間にある中心的な物体だからです。

一方で、私たちは太陽の周りを回っている地球の公転を意味する年を考慮に入れます。また一方で、地球の周りを回っている月の公転である月(マンス)を考慮に入れ、そしてその二つを比較します。ユダヤ教の暦は変わらないので、たとえば、35年後の過ぎ越しの祭りの初日の曜日を事前に計算することができます。

さらに、太陽、地球、月の動きの比較に基づくと、過ぎ越しは月(マンス)の特定の日にはできないと言うことができます。 つまり、すべては一般天文学系に正確に関連しているのです。

質問:トーラーは聖なる集会について何度も言及しています。なぜ私たちは過ぎ越しの祭りに集まらなければならないのですか?

答え:過ぎ越しの祭りの間の聖なる集会は、イスラエルの民にとって最も重要なことです。なぜなら、実際、彼らの統一したいという欲求のおかげで、エジプトから出る必要性を持つからです。

個人とグループ、社会、国家、あるいは全世界との統一は、実際、エジプト(エゴ)からの脱出のさまざまなレベルです。私たちが統一の力を獲得する時、ある緊張、つまりこの脱出、エゴからの分離が起こるのです。

それは常に私たちの間にあり、私たちを隔て、互いに拒絶を感じさせます。もし私たちがそれを圧縮し、凝縮し、統一し、互いにつながろうとし始めるなら、私たちが最初に統一を獲得する瞬間、エゴからの脱出が始まります。

過ぎ越し(出エジプト)の最初の日に、私たちはこのつながりを固く結び始めます。そして、週の間それに取り組み、出エジプトの最終日に完全に統一します。その瞬間から、私たちは統一した国家なのです。

しかし、その一方で、人々は何をすべきかを理解していません。エゴから逃げたいという欲求を駆り立てる方向があるにもかかわらずです。しかし、それは、適切な認識のない動物的な本能にすぎません。人々はシナイ山の麓に集まる時、その認識を獲得するでしょう。

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From KabTV’s “Secrets of the Eternal Book” 5/28/14

最も難しい事は助けを求めること

thumbs_laitman_239バール・ハスラム「トーラーの授与」:我々はトーラーにおける残りの612のミツヴォット(戒律)が、それらのすべての解釈と共に、ただ一つのミツヴァ(ミツヴォットの単数形)、すなわち「汝の友を愛せよ」の中に挿入され、含まれている詳細の合計以上でも以下でもないことを理解すべきである。

613の「戒律」、すなわち是正に至らせる613の行いがあります。私たちは受け取りたいという欲求に関連する意図を、利己的なもの(受け取るために)から利他的なもの(与えるために)に改めるべきです。私たちがそうするとき、それは私たちが「戒律を果たした」ことを意味します。

戒律の数は、魂の器に含まれている個人の受け取りたいという欲求の総計で定義されます。それは2つの部分に分かれています。

上部  ガルガルタ・ヴェ・エイナイム (Galgalta Ve Eynaim <G’E>)248の欲求
下部  アハップ(AHP)365の欲求

受け取りのためという意図は邪悪な性向と呼ばています。一方で与えるためという意図は、善い性向と呼ばれています。行為自体は同じです。それらの背後にある意図によってのみ、私たちは良い行為と悪い行為を識別することができます。そのため、是正のプロセスは実際には意図を変更することです。意図が自己中心的なら邪悪な性向とみなされ、その中心が隣人に向けられているなら善い性向なのです。

結局、私たちは248と365の欲求を是正しなくてはなりません。全部で613です。しかし、最後の戒律(愛についてのもの)は「問題をはらんだ」ままなので、私たちは実際612の欲求しか是正しません。カバリストたちが言うように、612の欲求を改善することによって、我々は愛を達成します。 言い換えれば、友への愛から、私たちは創造主を愛するようになります。

 

総体のシステムの中には、欲求の特別な部分があります。それはグループと呼ばれるそれ自身を是正しなくてはならない部分で、当然ながら残りの欲求と相互的につながっています。最初、私はそこにいません。 しかし、グループで友と一緒に作業を始めて、友とのつながりを望み、現実にそうするやいなや、自分の性質がすべてこれに反していると分かります。つまり、「できない」「不可能だ」「したくない」 「しない」ということ。これが邪悪な性向というものです。つまり統合したくないということ。それは私を妨げます。

その後で私はそれを私の中に存在する「憎む人」と呼び、至る所にいる友からその是正を要求します。私はどこを是正するのか、どのように是正を実現化するのか、そしてどのように自分の性向に打ち勝つことができるのかを発見します。そして、クリエイターの方を向く必要を感じるまで私はそうします。

それはすぐに起こりません。私は今、叫ぶことができますが、その後で利己的な欲求は高まり、クリエーターの考えに我慢できなくなります。私はクリエーターを憎んでいて、いつでもクリエーターを滅ぼす準備ができています。クリエーターに向かうこと以外なら何でも喜んでするのです。私は不可能なことをするよう要求されていると思います。まるで敵を滅ぼす代りに敵を愛して助けなければならないかのように。それは非常に難しいことです。その後で、絶望を感じ、何よりも授与の獲得を欲する時、私はクリエーターの方に向くのです。

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From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 10/21/12, “Matan Torah (The Giving of the Torah)”

授与するために受け取ること

thumbs_Laitman_712_03質問:私は普通の人間であり、ただ自分のために受け取りたいだけです。 「授与するために受け取ること」とはどういう意味ですか?

答え:確かに、普通の人は自分自身のためだけに受け取っています。しかし、カバラの知恵は、私たちの進化的発展の結果として、自分自身のために受け取ることが機能しなくなると言っています。

今日、世界は成熟し、円(サークル)になってきているため、単に自分自身のために受け取ることはもはや不可能な状態にあります。「獣」のレベルに落ちる時、私たちは自分自身に盗みを働いていることを知っています。

私たちは、肉体的存在の境界の外側にある人生の意味に到達することはできません。

この人生において、私たちはあらゆる種類の技術的な「おもちゃ」やファッション、そして人間社会がどうにかしてその存在を満たすために生産するこのようなことのすべてで遊んでいますが、実際は完全に空です。もし人がそれらに費やすエネルギー、力、苦しみと比べて人生で得る喜びの量を計算するならば、生きていない方が好ましいと気づくでしょう。

私たちは、人生において完全に異なる計算があることを理解しなければなりません。それは、自分の意志に反して生きるために私たちが創られたのではない、ということです。もし、私たちがその意味を発見するならば、私たちはこの世でも幸せになることができ、また、境界の外側でも無限に生きることができると気づくでしょう。

この幸福に到達するための方法はカバラの知恵と呼ばれています。それは、私たちの肉体が存在する限りの、一時的な地上での命からだけでなく、肉体を越えた、永遠の命における真の喜びに到達する方法の知恵であり、私たちはそれをこの世にいる間に獲得することができるのです。これが授与するために受け取ることと呼ばれるものです。この状態において、私は私の肉体の外に存在し続けるのです。

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From KabTV’s “News with Michael Laitman” 11/9/16

どうすれば怠惰な人を尊重できるのか?

thumbs_laitman_564質問:怠惰で利己主義によって働くことを嫌がる人を、どのようにスピリチュアルな道に沿って尊重し、サポートをすることができますか?

答え:それは働くことへの恐れや怠惰ではなく、全体の器が粉砕した後で人が感じる特殊な抵抗です。粉砕は知恵の木の罪による結果として起きました。それはその中に女性の部分が組み込まれた結果という意味です。

女性のスピリチュアリティへの切望は男性よりもはるかに大きいですが、これは同じ切望を持っていないからといって、男性を低く評価して然るべきという意味では決してありません。

すべての欲求やすべての切望、すべての条件、そして内的、外的に起こること。それらすべては上層、クリエイターからやって来ます。だからもし興味をひく唯一のものがサッカーとビールという状態の人であっても、カバラの知恵を彼のすべての力を持って切望する人と比べて、あまり敬意を払わなくてよいという理由はありません。

この2つの状態はクリエイターから与えられています。もしクリエーターがサッカーファンに、カバラの知恵を切望する人と同じ欲求を与えたら、彼がどうやってこの欲求に対処し満たすのかは知る術(すべ)がありません。実際、彼はそのことにおいて、はるかに優れているかもしれないのです。私たちに人を評価して格付けする権利はないのです。

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From the Kabbalah Lesson in Russian 6/26/16