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彼らはメシアから何を期待するのか

質問:世界の何百万という人々がメシア(救世主)を待っています。なぜカバリスト達は初めから「メシア」概念の意味について説明しなかったのですか?

答え:人々にそれを説明することは不可能です。(それでも何とか)私はあなたにそれを説明してみましょう。そうすれば、あなたも他の人達にそれを伝えようとするでしょう。

私達は大きな世界、巨大な現実の中にいます。しかし私達はその小さな部分だけを掴(つか)んで「この世」と呼びます。生と死、全てのことが「宇宙」と呼ばれるこの小さなエリアの中で起こります。

全ては認識(気づき)に依存します。概して言えば、私達の身体は動物レベルに属しているのですが、今日私達はそれを自分自身と同一認しています。それに食べさせ、それを洗い、それをベッドに寝かせます。要するに、私達は四六時中それに関心があります。

私の身体が生きて健康である限り、そのように私は築きあげられています。そしてもし私が病気になり、気分が悪くなり、そしてもし身体が死ぬならば、そのとき「私」もまたそれと共に死ぬことになります。なぜなら私にとっては身体をおいて他には、何も存在しないように見えるからです。

しかし(ついに)時は到来しました。すなわち私達が認識を発達させ身体を乗り越えることができる時代です。その時もはや生命を身体の中だけで感じ、また身体を通してのみ世界を見ることはなくなります。この新しい、拡大された、高位の知覚は身体のフレームワーク(枠組み)によって限定されません。これが「インテグラル・アウェアネス」(統合的認識・全体的な気づき)」と呼ばれます。他者とのつながりという助けによって、私は自分の物理的身体を乗り越え、そして私達の間のつながりを通して、私はより拡大された感覚で現実を感じ始めます。それは私の身体の内側で感じられるだけではなく、私達のつながりの中で、いくつかの(他者の)身体の内側でも一緒に感じられるもので、私は私達全員を一つの新しい体のように感じます。

かつては「私」だけだったものが、今や私達は自分たちの間に異なった種類のつながりを築き上げつつあります。そうして私達は、私達全てが一緒に、一つのシステムの中で一つの新しい相互的な生命を生きはじめる地点に至ります。分離され限定された自己存在の代わりに、各自が私達の全体的でスピリチュアルな身体、つまり魂、を感じます。

そして、このことを感じる道はようやく今、私達の前に開かれています。もし私が私の物理的身体の中に存在しているもの以上に、この魂の中に存在しているものを感じるならば、そのとき私は自分自身をこの新しいスピリチュアルな身体の中にあるものとして感じます。実際、(物理的・霊的)どちらの場合も私達は欲求(願望・欲望)について話しています。ただこれらの(スピリチュアルな)欲求は相互的であり、「理性の上で」見出されます。これらは、はじめから既に授与の欲求です。このような理由により、マサッフ(スクリーン)で覆われた私の身体の上に見出される誰もが(授与の欲求という点で)私と似ているのです。

このようにして、私達は新しい現実、新しい世界に入り、新しい価値を獲得し、そして生と死に対する評価も異なるものとなり、健康や病気などについても同様になります。

この移行、つまり内部の「私自身」感覚から、外部からの「私自身」感覚への移行は、単純からは程遠い(プロセス)であり、ある特別な力(フォース)の助けによって実行されます。それが私を(自己の)内部認識から外部認識へと引き上げます。(この引き抜きをヘブライ語で「モシェフ」と言います。)これがメシア(マシアフ)と呼ばれるものです。そしてそれを達成するために、人は本当に努力する必要があります。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/7/13, “A Speech for the Completion of The Zohar”

どうすれば自分のことだけを考えることをやめれるのか?

 質問:人はどの器の中でスピリチュアリティを見つけるのですか?

答え:“戻る光”(Returning Light)の中です。その意味は授与(与えること)の中ということです。それは自分のことよりも他者のことについて心配する時のこと、自分にとって自分より他者のほうが大切な時のことです。

質問:人はスピリチュアルな器を獲得するために何を無にしないといけないのですか?

答え:自分のことだけについて考えることを無にしないといけません。どうやって自分のことしか考えない私が、他者の利益のために自分自身を完全に変える状態に切り替えられるのでしょうか? どこでそのような欲求や願望を得ることができるのでしょうか? どこでそのような努力をするための力を見つけられるのでしょうか?

ここで私を助けるのが“改善する光”(the Light that Reforms)です。それは“エジプトからの脱出の奇跡”と呼ばれています。私は自分の感情(heart)と知性(mind)を、自分のことを心配するという欲求から取り出し、それらを他者の中に入れます。もちろんこれを自分の力ですることはできません。囚人は自分自身を牢獄から釈放することはできません。自分で自分の髪の毛を引っ張り、沼地から抜け出すことはできないのです。

しかし、光が来てその欲求からこの心配を取り出し、それを他の誰かの中に入れてくれます。そしたら私はその人のことを心配しだします。母親が自分の赤ちゃんの心配をするように。結局のところ、同じ事が彼女にも起こりますが、それは利己的なレベルです:それはまるで彼女が自分の赤ちゃんの心配をするように催眠術をかけられ、赤ちゃんを一日中見て心配をしているようなことです。もし私たちがこの世に於けるそのようなプロセスについて知らなかったなら、彼女が気でも狂ったのかと思うことでしょう。

これも光の働きですが、母親は自分の赤ちゃんを愛すことができるようになりたいと頼む必要はありません。彼女はこの愛を上層から単に与えられるのです。しかし私たちの場合は違います。人には選択肢が与えられます。「“動物”のレベルのままでいたいのですか?  ならどうぞいてください。しかし、もしスピリチュアルなレベルに上がりたいなら、この力を起動させる必要があります。」

あなたは常に上達し、より賢くなる必要があります。要するに、クリエーターを起動させるためにクリエーターの知性を獲得する必要があるということです。これがその二つのレベルの違いです―あなたがクリエーターを起動するという事実。このことについてタルムードは「我が息子たちは私を負かした」と伝えます。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/6/13, A Speech for the Completion of The Zohar”

痛みを感じる丸太

バール・ハスラム、「ゾハールの完成のためのスピーチ」:あなたがクリエーターとの形態の等価(同等性)を達成する時―彼の全行為は与えることそして他者に利益を与えること、そのようにあなたも、全ての行為が与えることそして他者に利益を与えることだけになる。これが完全なるディヴィクット(密着)である。

質問:“形態の等価(同等性)”とは何ですか? もし私が“受け取る意志”ならば、どうやって私は形態において等しくなれますか?

答え:仮にあなたが私に似たいとします。私はあなたと遊び、あなたに対してある形で現れ、あなたは私のようになろうとします:あなたは私がすることをし、私のように考え、私のように話します。翌日に私はより進歩した形で現れ、あなたは話し方と振る舞い方と考え方において私にもっと適応しなければなりません。私はあなたに模範を示し、あなたはそれらに従わないといけないのです。これを「形態の等価(同等性)」といいます。

ここであなたはこう尋ねるかもしれません:「しかし、クリエーターが見えないなら、どうやって彼に似ることができますか?それ(旧約聖書)は「汝の神、主に立ち帰れ」と伝えます。どうやって彼のもとへ帰れますか?どうやって彼にますます似ることができますか?せめて模範を示して下さい・・・。」

頼みなさい。あなたがクリエーターのようになることができるように、彼に模範を示すよう、そして、彼が誰で何であるか示すよう頼みなさい。もし頼まないなら、あなたは彼のようになりたくないことを意味します。あなたにとって本当に必要なものが模範だけの時、あなたはそれを受け取るでしょう。

質問:私は猫を飼っています。私は猫に私の知る全てのことを教えることができますが、猫はいずれ私のようになるでしょうか?

答え:猫に「心の点」はありません。猫に教えることはできません。あなたは猫を手なずけることしかできません。猫を何らかにすることはできますが、猫を人間にすることはできません。なぜなら“人間”(アダム)とは“クリエーターと似ている”(ドメー)を意味するからです。猫にはそのための出発点、初めのスパーク、つまり「心の点」がないのです。

もし器の破壊の間に受け取る意志の中に入った心の点がなかったとしたら、私たちも動物のレベルまでしか発達しなかったでしょう。しかし、私たちがこのフェーズを完了させるとき、スピーキングのレベルの点が私たちの中で吹き出すように現れます。これが今日人類に起きていることなのです:人類は“動物”のレベルにおいて進化の終わりに到達したのです。

全てはゼロから、カオス(混沌)から始まりました。そして自然において静物のレベル(still nature)が現れ、その後に植物のレベル(vegitative nature)が現れ、そしてその後に動物のレベル(animate nature)が現れました。もしスピーキングの点が動物のレベルになかったとしたら、スピーキングのレベルに属する人間(Adam)は、どこへも進化せず、全てはここで終わるでしょう。

これが世界での驚きと問題なのです:人々は彼らが新たなレベルに直面していることを理解していません。彼らが理解しない理由は彼らにそれが見えないからです。それは触れられません。それはスピリチュアルなのです。前のレベルの全ては具象的なのに、スピーキングのレベルは具象的ではありません。

もし私が自然における静物のレベルであるなら、自分のより高いレベルを認識することはできません:植物のレベルと動物のレベルのことです。下位と上位の両方に見ることのできるつながりはありますが、人間のレベルが何なのか私には全くわかりません。また、人間のレベルに上昇することは私にとって大きな謎です。私に何ができるのでしょうか?私にはそれをつかむ方法も模範もなく、それはまさに未知なのです。

これこそが、世界中の人々が何が起きているのか理解できない理由および将来の上昇のメッセージをを受け入れることのできない理由なのです。

最初、クリエーターによって創造された欲求(または願望)は、心の点(・)、ガルガルタ・ヴェ・エインアイム(GE)としての機能を果たす部分でした。これを“イスラエル(Israel)”といい、それは“ヤシャー・エル”(クリエーターへ真っ直ぐ)ということを意味します。アブラハム(Abraham)はこの部分に属す人々を古代のバベル(Babel)から連れていきましたが、心の点のない(without (・))他のバビロニア人はバベルに残りました。

そしてその後に、粉々に砕け散ること(shattering)、つまり破壊(destruction)により複数のイスラエルの点は陥落し、欲求の物質とミックスされました。これがイスラエルの人々の国外追放(exile)です。つまり特質の相互的な取り入れ(mutual incorporation)によって今日の全ての人が心の点を持つようになったことです。

そうはいっても、人々の目の前に進化のもう一つのフェーズ、“動物”のレベルよりも質が高く本質的で強力なもう一つのレベルがあることを心に描くことはとても難しいことです。地球の表面に植物しか見ることができないと想像してみてくだい。この光景に次なる動物のレベルである鳥や魚、そして人とその文明を加えると、なんという違いでしょう。

現在、私たちは新しいレベルに直面しているのに、誰もそれを理解していなく、誰もそこへと上昇する必要性に気づいてません。

質問:心の点が全てのことを決めるなら、私を今日のピノキオに例えることは可能ですか?

答え:心の点がなければ、あなたは“丸太”になるでしょう。しかし、この丸太の中には何か他のものがあります。したがってゼペットがそれを斧で切り始めた時にそれが大声を上げるのです。これが“心の点”で、それが人間の声を出すのです。私たちの中の他の全てのものはまさに“丸太”にすぎません。

次なるレベルは無からは形成されません。したがって発達する必要を感じる人々が我々、ブネイ・バルーフ(BB)に来るのです。上昇する性向を持ち、愛(love)によって前進するために。他の人々(others)はこのレベルに達するために「苦難の道」に沿って発達しなくてはならないでしょう。

もし心の点が目立たなく、人々がその存在に気づかないなら、苦しみだけが彼らを前に進ませるでしょう。心の点は人々を前に引き寄せますが、苦しみ(suffering)は人々を後ろから押します。それはダイポール(双極子)に似ており、全ては何があなたを動かすかによります―それがトーラー(Torah)なのか、それとも苦しみ(suffering)なのかということです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/3/13A Speech for the Completion of The Zohar”

変化の公式

質問:私は仕事の中で、最近何人かの大学教授に接触し、他の事柄とともにカバラについて話しました。彼らは原理は理解していると言わなければなりません。しかし(カバラを)信じません。

答え:その通りです。彼らは(次のような)合理的アプローチをします。

「我々は今まで様々な科学により世界を相当研究してきたので、世界の全体像は明らかである。しかし今ここに(狂っているようにも見えない)男がやってきて、どこから持ってきたのか我々には分からない概念について話し始めている。彼が言うには、これが全ての科学の基礎であり、全ての物事は光(Lights)と器(vessels)に結びつけられるという。」

「我々はこれについて何も知らない。また彼が語るものについていかなる証拠も見ない。彼の説明は大変論理的でもっともに聞こえるが、彼はその知恵を仮想の仮定の上に築いている。「それがそうであると仮定して」と彼は言い、この仮定を根拠に、全体的で完全な哲学を築いているのだ。」

「しかし、もし我々の基準でそれを科学と呼べないのなら、何故それを一つの科学として受け入れねばならないのか? 科学とは(対象について)研究・思考されうるものである。(ところが)彼が言うには、彼の科学とは、それに従って生き、内的に変化することのみを要求するという。我々は今までそのようなものについて聞いたことがない。「人間の性質を変化させる」とは何を意味するのか? 我々は文化を持ち、教育を持ち、人々に親切に共感的になるように教えている。他に何ができようか? これが科学に何の関係があるというのか?」

科学者は認識・知覚の相対性を認知することができません。彼らは、ある人物の(内的)変化が彼の現実(リアリティ)を変えるということを理解しません。なぜなら(その人にとって)現実とは全て彼の内的な反応によって創造されるからです。

カバラの知恵はこの精密な相互連結を説明します。私が自分自身を変える程度に応じて、私が感じる世界が変化します。これ(下図)が鍵となる公式です。ひとつの固定された係数とひとつの変化するパラメータがあります。このパラメータは器、私の願望、私の感受性、私の意図、私の考えなどを反映します。これらが変化すると、そのとき世界が変化します。

Xは「私」です。Kは固定係数であり、Yが世界です。私はこれを聞きたいという人には話します。しかし科学者はこの準備ができていません。彼らには彼らをこの世界から引き出す新しい願望が欠けています。もし彼らがそこまで発達していなければ、彼らは聞こうとしないでしょう。(カバラを学ぶには)人はこの現実世界の現象に敏感であるだけでなく、霊的世界の現象にも敏感である必要があります。

質問:それは何を意味するのでしょうか? そのような知的な人々、学者達は私達を理解できないのですか?

答え:彼らは実際、最も「抵抗する」人々です。なぜなら彼らは既に確固たる基礎を持っていると確信しているからです、

質問:それでは私達は誰を振り向かせることができますか?

答え:あるカバラの寓話があります。プタヒヤという名の男が町にやってきて、全ての「虚しい」人々を砂漠に連れて行きました。結局、もし人生の味について新しい疑問が起きたならば、その人は自分が惨めで虚しいと感じます。

しかし、もしその人がそのように感じなければ、つまり彼がそれに合う器、願望を持っていなければ、それは彼がまだ特定の知覚レベルには達していないということを意味します。

私達はもちろん普及活動を止めません。しかし心の点(point in the heart)を持つ人だけが、カバラの知恵のメッセージを聞くことができます。(そうでない場合)代わりとなるものは、自分が鞭打たれた動物であると感じることです。彼を打つ終わりのない暴風から逃げ場のない動物です。その後で、まさにその困難を取り除くために、私達の後を追う準備ができるようになります。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 1/2/13, “Body and Soul”

上層世界へ逃亡したい

質問:この世界には多くの立派で聡明な人々や力などが存在します。そして、スピリチュアリティにおいては「彼以外に他は在らず」と素っ気なく簡単にいわれます。スピリチュアルな世界に急いで行きたくなるためにどうすれば私はスピリチュアルな世界への興味を感じて、それを味わい、それから喜びを得れるのでしょうか?

答え:どのようにして上層世界への興味を感じれるのか?もしあなたが今以上に興味を感じるのなら、あなたは自分のエゴイズムによって動かされて、エゴイズムを超えて克服し、上層世界へと急ぐことは絶対にないでしょう。故に、上層世界は私益のためではなくエゴを超えて努力するという機会を私たちに与えるために隠されているのです。

もし私たちがエゴイズムを通じて上層世界に移動したなら、私たちは永遠に私たちの身勝手さの中に留まり、エゴイスティックな殻の外へ出る見込みは全くなくなり、その中で生き埋めになるでしょう。私たちがエゴイスティックな領域を超えることは絶対にないでしょう。

もし上層世界がたった今あなたに明かされたなら、あなたはこの物質領域に何の価値もないことをすぐに理解するでしょう!私たちは、人々が自分自身に食べ物を与えるためだけに生きている動物であると明確に認識するでしょう。私はこの人生を哀れに思います。この時点で、努力する価値のあるものは何もなくなり、子どもを産んで苦しみ続けることには意味がなく・・・どうでもよくなります。その後には何があるのでしょう?

思い出しました、上層世界があります!まず何よりも、それはどんな限界をも超える永遠です。時間、動き、情報、全てのものが開かれるようになります。時間は存在しなくなります。時間はこの世だけに存在します。光速を下回る速度においてのみ時間は存在すると物理学者が言及するように。そこでは情報が完全に入手できるようになります。人は自分自身が無限の空間に存在していると気付き始めます。人は諸世界の全システム、つまり宇宙全体のなかで起こっている全てのことについての完全なる知識を獲得します。このシステムがアナログであるためです。システム・クロックは存在しません。それはパルスでは動作しないのです。それは常に連続動作し、同時に静けさの中で静止しています。あなたはそれの中に居ると感じます。そしてそれと同時にそれがどういうわけかあなたの内側に存在していることを知っています。それは、あなたが、存在している全てのものであるということを意味しているのです!

仮にあなたが偶然その様相の最も小さな部分でさえ、その1グラムでさえ見たとするなら、あなたはその感覚の奴隷となるでしょう。バール・ハスラムは、もし私たちの欲求の収縮(その時、人は自分のエゴイズムを自分の胸に秘めて、それを超越することさえもできるようになります。)の前に上層世界の啓示が私たちに起きたなら、たった一生に一度だけその感覚を経験するために、この計り知れない喜びの啓示の1滴でさえ、人に自分の手足を一日に七回切断することを余儀なくさせると書いています。

分かりますか?あなたは奴隷となり、この喜びを追い求める以外に全く何もできなくなるでしょう。あなたはグループ内でも他のどこでも、この種の喜びを受け取るためだけに多大な努力をするでしょう。言い換えれば、あなたはそれを利己的に切望し、そのために自分自身をそれからなおさら遠ざけてしまうでしょう。

質問:もし私たち自身の力が無いなら、どうやってその状態になんとかして到達したいと思うことができるのですか?

答え:友達に訊きなさい。彼らだけがあなたの将来を保証することができるのです。彼らが目標に向かって努力するなら、あなたは達成します。もし彼らがしないのなら、あなたは達成しません。

From the Kharkov Convention “Uniting to Ascend” 8/17/12, Lesson 1

私自身のエゴの鏡のなか

質問:グループの友達が、何のためにエゴが必要なのかと伝えました。私は何のために外側(外の世界)で感じる、つまり路上や街頭で感じるエゴが必要なのですか?

答え:これはすべてあなたの魂の一部です。マルクト、魂、人類、それをどのように呼んでも構いませんが、実のところすべてはあなたです。したがって、残りのすべての人は誰なのでしょうか? 彼らはすべてあなたの一部です。あなただけについての。

これは、それが全ての個人の魂がつながるところの、70億人の多層構造であり、平面ではなく球体になることを意味します。それで、あなたは100%すべてのものが必要なのです。したがって、この世におけるどんな人に対する皮肉な、そして、失礼な態度もあなたのスピリチュアルな前進を著しく遅らせます。

それどころか、あなたは世界の全ての人々、完全にネガティブな人と完全にポジティブな人を、自分自身の切り離すことのできない部分と同じくらい身近に感じる状態に到達しなくてはなりません。彼らは実際は誰でもないのです。あなたにとって、彼らは操り人形であり、彼らはあなたがクリエーターに近づくための正しい背景を与えるためだけに動いています。

質問:私は自分のエゴに耐えることができません。私には選択肢がありません。それは本来備わっている私の一部です。しかし、別の人のエゴをはぐらかすこと、または、追い払うことはできます。

答え:あなたは他の誰かのエゴをどこで目にするのですか? もしあなたがそれをあなたのエゴの中で感じるなら、実際にあなたは何を感じるのでしょうか? それはあなた自身のエゴです。世界は多数の人に分けられているように見えますが、今でさえあなたはあなた自身と話をしているのです。

From the Kharkov Convention “Uniting to Ascend” 8/17/12, Lesson 2

この世界の外にある物事について話しましょう

質問:インテグラル・エデュケーション(統合的教育)のグループでは、何を議論するのがベストですか?また何を議論しないのがベストですか?

答え:比喩的に言えば、私達は愛と友情についてのみ語るべきです。私達は今の自分たちの状態を調べたりはしません。なぜなら、それらはすべて動物レベルに存在しているからです。

はじめに私達は「人間」レベルに上がらなければなりません。そしてその全体的なイメージを創りあげなければなりません。それは私達に共通する授与と愛の特質であり、そのようなお互いに対する私達の態度です。私達は議論を、私達の間の正しい相互関係ネットワークのレベルにのみ保つことができます。また私達の集合的状態を強める物事についてのみ議論することができます。

なぜそうするのでしょうか?なぜなら、その状態でより強くなることによって、私達は確かな力を生成させ始めます。そしてその力が私達の現在の動物状態を照らして変化させ始めます。より高い状態からのみ私達はより低い状態を変えることができます。私達の衝突・争いのすべては次第に消えてしまうか消える前にエスカレートするかでしょう。そしてこの背景のもとで、私達は私達のコネクション(つながり)を発達させているのです。

From a Talk on Integral Upbringing 3/4/12

木から降りてくるだけでは不十分 ー あなたは自分自身の上に登らなければならない

質問:今日の人々は、今や世界の物事はますます悪くなっていくだけであろうと、理解しています。しかしカバラの教えは、そのような一般大衆から、今もずっと離れたところにあります。私達はこの距離をどうカバーすることができますか? そして何故、そのような距離があるのですか?

答え:それは(カバラを学ぶ)私達と人類に努力する機会を提供するために、そこにあります。この分離が私達と外部社会とに、お互いに相互作業をすることを可能にします。この距離はある目的のために創造されました。あなたは自分の知識、認識、理解をここに投入しなければなりません。

それはまるで、自然の発達過程が続くことを阻止しているかの様に見えます。かつてサルが木々から降りると、それは時の経過とともに原始人となりました。これに続いて奴隷の時代、中世、そして資本主義時代が来ました。そして今日この発達は崩壊に終わってしまい、人々は(次には)よい統一が必要であると認識するに至りました。それでは、なぜこの発達は自動的に続かないのでしょうか? 

なぜなら、もし自動的に続くとすれば、人間という存在は決して現れることはなかったでしょう。それはエゴイズムによって突き動かされ、木々から降りてきた霊長類と同じままだったでしょう。私達は自分達が完全に自己愛のコントロール下にあることに気づいていません。もし私が、私達すべてが存在しているこのシステムを見せられたなら、私は自分自身の管理下でしていることは何もないことを見るでしょう。この状況においては、クリーチャー(創造物・生命)は現れません。誰かをとって、独立性を遮断するフィルターに掛けてみましょう。すると彼には上層の力以外に何も残りません。その上層の力は初めからそこにあったものです。

「どのように人間をつくるのか?」これが問題です。人間は、暗闇と、僅かな知識と、僅かな力を与えることによってのみ、つくることが可能です。この僅かな力はその人に、自分の生来の性質に打ち勝つ道を見つける機会を与えます。そして多くの知識や理解なしでも、その暗闇の外へ彼を連れ出す、(彼の生来の性質とは)反対の力を築く機会を与えます。それから、彼はクリエイターの必要な部分になりたいと思うようになり、自分自身を喜んでその環境に従属させます。その環境もまた、彼がそうすることを義務付けるようになります。そして彼は、この相互的な仕事を通して、超自然的な形態、つまり自分の生来の性質を超えた形態、を獲得することができるようになります。この形態のことを「人間(アダム)」と呼びます。それは、彼が一匹のサルだった時代からずっと彼の中に残されていたレシモット(情報遺伝子)を使わずに創造した形態です。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 9/19/12, “Introduction to the Book, Panim Meirot uMasbirot

嫉妬は欠点ではない

質問:カバリストは嫉妬を、人がこの世界から脱出してスピリチュアルな世界に入ることを助ける性質のものとしています。本当に、なぜ私は他者を妬むべきなのですか? 結局、誰もが特別で誰もがその人独自の道をたどっています。なぜ他の人のユニークさ(唯一性)が私を嫉妬させ、私の道において私を力づけるべきなのですか?

答え:私は、嫉妬や肉体的欲望や尊敬への欲求を、目的を持って自分の内に呼び起こします。それは他者の成功を妬んだり尊敬を追い求めるような、普通の人についてのことではありません。この世界では私達はあらゆる種類のナンセンスに嫉妬し、つまらない物を本当に欲しています。私は、その反対に、生活に必要なものだけを手に入れ、残り全ては無視します。私が全ての基本的必要物を持っているとき、私はスピリチュアルな仕事のために自分を構築し、このフレームワークの中で私は嫉妬のような道具を使います。

もしそうでなければ、私は前進のための何ものも持たないでしょう。嫉妬、肉体的欲望、尊敬は3つのエゴイスティック・アプローチです。そして私の内にそれらなしで、私に何の仕事ができるでしょうか? この世界から私を連れ出すのは、これらの3つの特質なのです。それはBYA世界を脱してアツィルート世界に入るようなものです。

それで、もし私がスピリチュアルな仕事をしたいと思うなら、私は他人の仕事を見て、彼らの前に自分を無にします。それから私は、彼らを私達の世代の最も偉大な人々として見ます。彼らは、はるか先まで進んでおり、彼らは(すでに)是正の終わりを達成しており、そして私は彼らを妬みます。もし私が妬まないなら、私に力はなく、動くことができません。私は前進するためのすべての力を自分のエゴから受け取ります。正しい意図を伴う正しい前進、それは物質の中に包まれた形態が光によって私の元にもたらされることを意味します。そしてその物質によって私は上昇するのですが、その物質自体とは私自身のエゴのことです。

質問:しかし、どのようにして私は正しい意図を嫉妬から守ることができますか?

答え:それは、その意図が築かれる、嫉妬、肉体的欲望、そして尊敬への欲求によります。あなたはその嫉妬をクリエイターへの嫉妬に転換し、尊敬への欲求をクリエイターのための尊敬に転換し、衝動への肉体的欲求を彼(クリエイター)への密着に転換します。そうでなければ、あなたは何を是正するのですか? あなたは何を建てるのですか、雲の中に空想的なお城ですか?

質問:しかし依然、私が嫉妬すると、その(嫉妬の)火が私を焼き尽くします。

答え:そうではありません。あなたは制限の後に、嫉妬、肉欲、尊敬欲求が起こるのを許すのです。その制限とは、もはやあなたのためではなく、理解し「作業場」を決めるためです。全てがコントロール下になければなりません。そうでなければ、あなたは始めることさえすべきではありません。

手短に言えば、やってみなさい。嫉妬に陥ることを恐れてはなりません。それに取り組み始めなさい。もしあなたが友達を嫉妬するなら幸運なことです。それは良いことです。結局、私達は前進のための他の力を持っていません。もし私が環境なしに一人だけで生きるのなら、私は一匹の動物のようなものでしょう。他方、もし社会が、私に欠けているものを友達が持っていることを、私に常に見せつけ続けることによって、私を駆り立て刺激するなら、それは人生において私の前進を助けます。私はまさに、私に良い例を提供し私が嫉妬するような、特別な環境を必要としているのです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 9/12/12, “Peace in the World”

「心の賢者」とは誰?

質問:バール・ハスラムが書いている「心の賢者」とは誰を指しているのですか?

答え:「心の賢者」とは、より高い「知恵」−「ホフマー」に向けて、心を開く道を探し求めている人のことです。それはユニティ(統一)の知恵であり、他者とつながることによって得られます。

私達は心(ハート)でつながることを望み、様々な願望をつなげることを望み、そして全ての心と全ての願望の総計の中から、つながる準備のできたものだけを選びます。そしてそれらの願望の間にコネクションをつくることによって、その中で私達が行動し始めることを望むところの共通のネットワークを創造します。

このネットワークの内側にいる間は、私達はどの願望が誰のものだったかについて忘れます。なぜならそれは今や私達に共通のシステムだからです。それから私達はその中に、ホフマーの光を感じ始め、それゆえ「心の賢者」と呼ばれます。結局、私達は心(ハート)のつながりの中でホフマー(知恵)の光を明らかにします。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/11/12, Panim Meirot UMasbirot