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未来の雇用の特徴

バール・ハスラム「ラスト・ジェネレーション」:失業者は、雇用者と等しく、その必要物を受け取るでしょう。

原則的に、これは今日でも、いくらかそうあるべきものです。結局、都市に住む人々は、収入源を失ってしまえば、自分たちは食べていくことができません。彼らは家畜も土地も持たず、土地の耕し方も知りません。しかしながら、どのような場合でも、人には食べるものがなければなりません。それは自然な、差し迫った必要です。

質問:もし私達が人類という一つのシステムについて話しているなら、体の中の一個の細胞のように、一人一人が何らかの仕事をしなければなりません。そのとき、失業者はどこから来るのでしょうか?

答え:私達は社会を組織しなければなりません。それは誰もが為すべき何かを持つ社会です。しかし実際的には、それはスピリチュアルな「雇用」についての話です。物質的な面では、雇用は最小化することができます。

過去の世代の人々はとても簡素に暮らしていました。例えば、市場の売り手は一日かけて一つの壺を売ることができ、それで十分でした。車はなく、オートメーションもなく、生産性は低いものでした。しかし人々は一日に数時間働くだけで、それ以上の労働を必要としませんでした。今日では、そのような多くの労働者は必要とされていません。そのかわりに、人々は勉強し、全てのことにおいてお互いに助け支えるようになるでしょう。

私達の仕事は、人々の自由時間を生産的に満たすことです。今日、様々な種類の仕事・活動の約90%は余計なものです。もしこのバブルを破裂させ、全てを健康的で、良い、合理的な生活のレベルまで減少させるとすると、全員で取り組むだけの分量の仕事は存在しなくなるでしょう。結局、私達は修理や交換を必要とする短命の製品ではなく、より大きな耐久性を持つ信頼出来る製品を生産するようになるでしょう。最大でも労働人口の10%だけが働く必要があるようになることが分かるでしょう。

今日、広告によって消費者をだます余分な物の過剰生産が十分に確立されてしまっていることから、これらの過剰生産物は放り出されては、新しい物に取って代わられます。これは製造業や医薬他すべてに当てはまります。人がすることは何でも、その人自身の損害になっています。製薬業は余分な薬を生産し、防衛産業は軍事兵器を生産します。要するに、全てがそのあるべき姿の裏返しになっています。

それで最終的には、5億人が働くことになるでしょう。または全ての人が働くことができるように仕事を分割するでしょう。その場合も一日あたり2時間といったところです。そして残りの時間はスピリチュアルな仕事に捧げられるでしょう。人々は勉強し、お互いを助けることを学ぶ等します。人が働いている・いないに関わらず、全ての人に同じ生活レベルを保証することが必要です。なぜならポイントは、人が働いているかどうかではなく、彼に仕事を提供できるかどうかにあるからです。もし誰かを非難しなければならないなら、彼ではなく自分自身を非難してください。

それゆえ、すべての人に同じ生活水準を創る必要があります。他者からの尊敬や、コミュニティの利益への寄与競争も、それに付け加えることができます。共通の大義への貢献や、社会への賞賛に値する奉仕のために競争できるし、すべきです。

−見て、私のコンサートで、どれだけ人々が幸せかを!
−見て、私がどれだけ完全に会社を経営しているかを!

さらに、それは会社のディレクターだけではなくオーナーにも当てはまります。私達はソビエト・ロシアで行われたような所有物の公的収用を必要としません。もしある人が工場を所有しているなら、絶え間ない生産に注意し、従業員の適正な就業条件に注意をはらい、そして同時に従業員が勤勉に義務を果たすことを要求します。オーナーは彼がしていることに誇りを持ち、彼の部下や失業者と同じ給料を受け取ります。喜びの残りの部分は、他者からの尊敬によって満たされます。それ以上はありません。

実際、ディレクターの体は、他人の体以上に物を必要とするものなのでしょうか? いいえ、です。彼は社用車とお抱え運転手を持っていますが、これは仕事のためです。そして他の全てのことにおいては、彼は他の人達と似ています。

このようにして、私達は全ての人のポテンシャルを最大限まで活用します。この場合、「動物」レベルにおいては、全員が他の全員と等しく受け取ります。しかし人間レベルでは名誉と尊敬を獲得します。この全ては、人々がインテグラル・エデュケーションのシステムに参加したときのみ機能するでしょう。

このようにして、私達は正しい道を選択し、全体の是正へ向けて努力するでしょう。なぜなら私達のゴールは「動物」的な存続ではなく、人間発達の頂点であるからです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/27/12, Writings of Baal HaSulam, “Last Generation”

エゴよ、私はお前のものではない

質問:どうやって私たちはゾハールを読んでいるときに自分たちの意図を確認できますか?

答え:もし私たちがゾハールの書を正しく使うことを願うのなら、ゾハールの書は私たちにやって来る光の源です。したがってカバラの本を勉強している間、私は常にいくらかのイルミネーションを呼び出していますが、それは私の努力の、そして、用意ができていることの激しさに応じてやって来ます。もし私が肉体上の何かを手に入れるために、または、来世を個人的な特権として勝ち取るために勉強するなら、光はその影響によって私の中によりいっそうの暗闇を作り出します。私は、何のためにこのシステムが私に与えられたのか、私は何をしなくてはならないのか、そして、どのように私は他者を扱うべきなのかということの理解からだんだん離れていきます。愛とつながりについての素晴らしい言葉を読む時でさえ、私はもはや帰属感を感じず、つながりを目にせず、文章を読み取る方法が分かりません:それを私のハートに入れさせるのかどうか。これは、夜に養われ夜明けを予期しないコウモリのように私が勉強することを意味します。

しかし、もし私が他者とつながろうとし、これがその方法論を学ぶ理由であって、シナイ山でそれを受け取るための条件を保持して守ることによって、皆と一緒に「一つのハートを共有する一人の人間」に成ることを切望し、相互保証に参加するために、兄弟愛を達成するために、そして、それを通じることでクリエーターへの愛を達成するためにということなら、光は私を前進させ始めます。これはもう段階ごとに克服するという普段の道ではありませんが、私は徐々にその中に悪い粉々になった状態を発見し始めます。

利己的な勉強は私から私のエゴを隠し、私は自分自身を高潔として見ます。一方、正しい勉強によって、私は自分が悪の中にどっぷり浸かっていることを発見します。光が私に明らかにする最初のものは私の悪い性質であり、私はそれに応じて作業しなくてはなりません。悪を発見することによって、私は前よりもさらに悪い気持ちを感じます。では、私には何ができるのでしょうか? 結局のところ、私は私の性質に従って気分が悪い時は逃げたいのです。

もしかすると私は勉強を止めて、グループから離れるべきかもしれない? もしかすると私は絶望を感じるべきかもしれない? あるいは、もしかすると私は悪の認識を知ることを許されて喜ぶべきかもしれない? それは私にとって法則、招待であるべきです:もし私がこの不快感(気分の悪さ)を乗り越えられるのなら、私は受け取ることを超えて授与を切望するでしょう。

私のエゴの中で明かされる苦しみが、私がエゴために作業していないことを示すので、私は打撃を受けることを好みます。私は不快感を感じますが、それらを克服してユニティーを目指します。私は苦痛を和らげるために逃げることはしません:私は自分自身を閉ざさない、私は落ち込まない、私は勉強をやめない。それどころか、私は友達と一体になる途中にて、あらゆる方向からやって来る全ての困難を、クリエーターによって送られているものとして受け入れます。彼(クリエーター)以外には何も存在しないのです。

私はどんな状態も私の前進のためになるものとして受け入れます。私はそれらを無効にしたくありません。そして私は不快感を中和するために勉強し続けます。私は実のところそれを望んでいるのです。それがその乗り越え方、理性よりも上になることに私を正確に集中させるので、私はそれが継続することを望みます。全てはゴールに正しく集中することを助け、それらの中で作業することによって明らかに前進するといった制約や枠組みを作るので、私は喜んで全ての問題や妨害、状況の圧力、外的な嘲り、様々な苦しみを受け入れます。

こうして私の内側に授与の器を受け取りの器よりも上に構築します。それらは成長し続けます。そして、苦しみ続けます。その間、私は、それらよりも1つ上の段階に在り、完全な信仰、ビナーの属性を達成し、私の受け取りの器を授与するために使い始めるまで、クリエーターとのつながりを持ち続けたいのです。

しかしその一方では、また、私は独り善がりの考えがあってはならない段階に上がったので気持ちを落ち着かせるつもりはありません。それどころか、私はますます上向きに切望し、喜びを受け取る準備でさえできていますが、それは私自身を満たすためではなく、クリエーターの願望を満たすためです。

これはすべて私たちの作業です。私はこの道に沿って本当の源、私に授与の力を与える利己的な欲求が必要です。それは利己的な欲求の中で明らかになる問題や苦悩を私が克服した結果です。そして、私はそれが全てクリエーターによってもたらされることをはっきり分かっています。

From the 2nd part of the Daily Kabbalah Lesson 8/16/12, The Book of Zohar

未来社会の経済

質問:未来社会の経済がどのようなものになるべきか、我々が至る必要がある状況の一例を示してください?

答え:これはとても簡単なことです。そして、この点には考えることが本当に沢山あります。初めに、我々はより抽象的なコミュニケーションと定義に近づくことを徐々に助けてくれる実際にあるものを持っていく必要があります。

我々の経済が深刻な危機に瀕していることが見られます。それは「収縮」して妥当な消費経済にならなくてはなりません。望もうと望むまいとこれは起きるでしょう。もし我々がそれを本当に望むなら、我々は徐々に消費を制限し、自分たち自身を過剰消費や必要のないものから解放し始めるでしょう。

最初は全ての広告を排除するでしょう。人生を楽にする普通なものがここにあると人々が知るために、広告ではなく、人々が必要とする妥当で有益なものの告知があるべきです。

現在でさえどんな国や社会にも、全ての人が自身を養うのに必要な消費のバスケット(まとめたもの)があります。たとえば食料、医療、なくてはならない付属品など。このようなバスケットも維持しなくてはなりませんが、それは最小量のものというのではなく、標準的で妥当に生活するために必要な幅のある消費のバスケットです。その他の生産は全て制限される必要があります。

まず第一に、不必要な生産を徐々に制限することによって、我々は豊富なエネルギーを受け取ります。それはとても良いことです。なぜそれを無駄にするのでしょうか? 我々は豊富な天然資源を持つことになるのです。それらを我々の子供たちと孫たちに残しましょう。言い換えると、我々は実際的に全人類に服、食べ物、そして設備を妥当な程度与えることができるというところまで行き着くでしょう。

これが我々が徐々に至らなくてはならない未来の経済です。言い換えると、一方で過剰消費の収縮、そしてもう一方で全人類を普通の生活水準まで引き上げることです。このレベルを達成することが我々の最初の目的です。このようにして、我々は肉体的な暮らしの面倒を見ます。それが全ての人にとって平等であることを確実にしながら。

人々の中に引き起こさなくてはならない心理的な革命を想像してください。しかし、これは人々のインテグラルな養育(しつけ)なしには不可能です。我々は経済に対処する前に、次なるレベルに上がる必要性を人々に示す必要があります。我々が社会を形成するこの次なるレベル ―人間レベル・人・アダムと呼ばれるもの― は我々が妥当な消費水準にまで自発的に下降することを決定します。

我々はこれに向かって段階的に移行するプログラムを作る必要があります。なぜなら最も重要なことは最終的な結果ではなく、複数の段階から成る、順調な(なめらかな)な移行であるためです。この際、同時にインテグラル養育、インテグラル教育、不必要な生産の段階的減少、そして全住民に対するインテグラル養育と教育の提供が徐々に増えることがなくてはなりません。言い換えると、教育業務をするために全てのマスメディアを構造改革することです。人類が自分たち自身を変えることに専念するとき、それは巨大な世界的な機械に似ています。

最後に、人類は自分自身のことで夢中になりますが、それは自分が10億より多く持っている、あるいは、自分の方が強いと示して誰かに屈辱を与えるなど、隣人の前で目立とうとすることではなくて、インテグレーション(統合・調和・融合)を達成するという目的があるのです。

From a “Talk on Integral Upbringing” 2/29/12

世界の守護者達

質問:今までカバリストに耳を傾け、彼らの助言に従った人々はいましたか?

答え:古(いにしえ)の時代、カバリスト個人という意味ではなく、一つの発達の期間として、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア等の時代がありました。それは、その人々というよりは期間のことです。それぞれの時代、各人物に体現される精神が活動的になり物事を創りあげていきました。例えば、モーセは国家を建設し、その時期に表れつつあった諸々の欲求に対して、是正の方法論を提供しました。その結果、彼は国民をイスラエルの地、つまりクリエイターの啓示へと、連れて行きました。

私達が流浪の間には見えないことですが、全てはカバリスト達によって為し遂げられます。カバリスト達とは、この世界を「(エネルギー)チャージ」している者ものであり、それによって世界は存在しています。光のきらめき無しには、この世界はそもそも現れることは決してなかったでしょうし、物質も存在できなかったでしょう。彼ら自身のケリーム(器)に従って、彼らが特定の霊的段階に属するのと同じように、人類一般に所属するカバリスト達が常に存在してきました。

それは「獅子の尾」と言われています。それはアツィルート世界の9つの低位セフィロートであり、ホフマーの光と一緒になってBYA世界に降りてきます。そして「狐の頭」(シュアリム)になります。言い換えると、質問をする人々(ショアリム)です。結局、ここが壊れた器達が位置する場所で、それで質問が上がります。どうやって私達はこれらを修復するのか?

私達は(スピリチュアル)レベル間を移行するために、永遠の機会と同様に、このつながりを必要とします。この世界では、これはカバリスト達により保証されます。一方では、彼らは私達に教えることができるように、カバリストではない他の人達と全く同じ姿形を取ります。他方では、彼らはより高位の段階の一部です。(霊的)達成のための他の道はありません。なぜなら私達は厳密な法則の中に生きている全体システムの一部だからです。

質問に戻りましょう。長い流浪の後で、ユダヤの人々は偉大なカバリスト達の助言に耳を傾けるようになりました。それはバール・シェム・トヴと弟子達の時代です。彼らは国民を導き、前方へ案内し、スピリチュアルな達成と一致した生活をする世代を産み出しました。アイン・ソーフ(無限)の高みからこの世界の「基盤」に接続した人々です。それはこの世界と霊的な世界の両方を同時に操っていた、偉大なカバリスト達の時代でした。

そして、ここ100年で作り出された、スピリチュアルな接続への深刻な無関心(中断)について言えば、それはおそらく、起こるべくして起きた何かです。今のこの状況は本当に危険なものです。しかしこうも言われています。「私はイスラエルを見捨てることはなかった。」 つまり今日でさえ、霊的世界から私達の世界へとイルミネーション(照明)を運ぶ、カバリスト達が存在しています。

私達の世界は、スピリチュアルな宇宙の中心にある、小さな暗い場所(スポット)です。その中に光をもたらすことは必要不可欠です。さもないと私達の世界は存続できません。全ての諸世界を通って、光は真っ直ぐにこの次元、私達の堕落した願望の次元、に降下してきます。そしてカバリスト達がこの光線の保護者達です。

彼らを「人々」と呼びます。それは体には何も関係はありません。むしろ特定の願望や状態(ケリーム)に関係しています。彼らは慎重に行動します。彼らは低いところまで降りてきて私達のより近くまで来ることができます。例えば、バール・ハスラムは、彼より下のレベルで生きている人々に向けて、書いたり助けることができるように、彼自身が低くされることを求めました。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/12/12, “The Nation”

アナログシステムで「ほとんど」は数えない

質問:カバリストは言います。次のように書かれています。「世界は多数により判断される、そして個人も多数により判断される。そのため、もし人が一つのミツヴァを実行するなら、彼は幸せである。というのも彼は、彼自身と世界全体に対して(天秤上)価値のある目盛の方向へ、判決を下したからである。」どうしてこのようなことが可能でしょうか?

答え:システム全体では、個人と全体は等しいものです。私達はそれを理解しません。なぜなら私達はいつも量的データによって操作されているからです。しかしアナログでインテグラル(統合・完全)なシステム全体では、そのようなことはなく、最も小さい部分ですら決定的な意味を持ちます。

もしその小さい部分が壊れると、システム全体が壊れます。それは半分の力でも99%の力でも作動できません。たった一つでも欠陥がある限り、システム全体は作動しません。

魂の間には相互連結の法則がいくつもあります。それが一緒になって一つの願望をつくります。ここから連結のための条件が出てきます。つまり「一つのハートにおける一つの人間」です。それは全ての人が「理性の上に」エゴを超越する時です。

もちろん、私達はこの目標に向かって、完全な連結に至るまでの125段階のレベルを通過しながら、徐々に進みます。しかしその過程の中でさえ、個人と全体の等価原理は物事に影響します。そのため、私の1グラムが、この円形の全体システムに加えられると、そのシステム全体が正しいレベルへ上がることも可能になります。私達はこの原理を使わなければなりません。それはつまり、それぞれの個人が行うもっとも小さな行為ですら重要なものとして見ることを意味します。

質問:これは私の堕落もまた、システムに転移されることを意味していますか?

答え:そうです。バール・ハスラムがこれについて書いています。しかし重要な点は、私達のシステムが既にほとんど全体的に腐敗しているということです。私達は底から、最低の状態から上昇を始めます。そしてはじめに、最も純粋で最も軽い器、願望を是正します。

質問:このインテグラル(統合・完全)の法則はすべての人に作用するのですか?それともそれに気付いている人たちだけですか?

答え:はじめに、グループが明らかにされることで、人はこのシステムに入り、システムの仕事に参加します。加えて、外部には、全イスラエルからなるシステムと、世界の諸国家からなるシステムがあります。それぞれの部分がその重さに従ってシステムに所属しています。

ユニティ(統一・結束)そのものは隠されています。そして今現在私達に明かされているものは、その硬い外皮(表面)だけです。それは最も是正しやすい部分です。私達各自が世界を(秤の上で)価値ある目盛へと動かせる、というメカニズムが機能するのはこの部分です。

なぜなら、当面の間は、これが私達の世界だからです。これが今日明かされ、そこで仕事が出来るように私達に与えれている部分です。私達はまだ十分な強さで、アイン・ソーフマルフートの中に入っていません。私達はいつでも、そこで仕事ができるように、その一部である薄い層を発見するだけです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 8/16/12, “The Arvut (Mutual Guarantee)”

量ではなく質

質問:今のところ、僅かな人々だけが、カバラの知恵に惹き付けられています。私達は普及活動を続けることで、新しい心の点(複数)の目覚めを期待すべきでしょうか?

答え:この質問への正確な答えを私は持っていません。私はカバリスト達によって書かれなかった事柄を決め付けたいと思いません。

あなたは、一部の者は量的に強く、他の者は質的に強いということを理解すべきです。このように言われています。「あなた達は国々の間で少数である。」将来でさえ、世界中のグループの友人達はそれほど多くならないでしょう。またサポーターも多くはならないでしょう。(サポーターである)より広範囲の人々のサークルは、カバラの知恵を志向することはなく、私達と全く同じように感じることはありませんが、しかし私達に近く、耳を傾け、従います。

私達の強みは、数ではなく、高さであり、理解であり、神性の認知とつながりにあります。私達を通して、まるで稲妻のジグザグのように、広大な講堂向けの、様々な忠告、プログラム、イベント計画が、天から地に降りてくるでしょう。それから、おそらくは他に選択肢がないために、または人々が私達を信じ始めるために、または他の理由によって、彼らは私達のメッセージに馴染み、受け入れるでしょう。

バール・ハスラムが言ったように、もし盲目の人々の列の先頭に、少なくとも一人、目の見える人がいれば、彼らは、最後には必ずゴールに到達するという完全な信頼を持って、彼の後に従うべきです。私はここに深刻な変化があるだろうとは思いません。私達はレクチャーを提供し、ラウンドテーブルをセットし、キャンパスをオープンします。しかし、私達がこれをするのは、人々を自分の組織に引っ張り込みたいからではありません。反対に、私達は「彼らのテリトリー」で仕事をしなければならず、特殊な事柄ではなく、一般的で通常の是正メソッドを伝えなければなりません。

「スクリーン」、「光」、「器」、「パルツフィーム」そして「制限」などの言葉は一般向けではありません。人々は、物質生活を楽なものにする、ユニティ(団結)について知る必要があります。

これが一般聴衆への私達のメッセージです。私達はカバラや「上層の物事」を彼らに注入してはなりません。私達は「人々の心臓の鼓動」に合わせて、人々と「同じ目線」で話さなければなりません。それは彼らを心配させる事についてであり、子育てや他の日常生活の問題といった、彼らの「欠乏」部分について話をすることです。私達は少しだけ彼らの欲求を強調し、「それらを静める」ツール ー私達の方法論ー があることを示すべきです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/1/12, “Introduction to The Book of Zohar

終わりのない道

バール・ハスラム「ゾハールの書の序章 第55項」:これは彼が、彼自身の受け取る意志の純粋さの程度に従って、NRNHYと呼ばれる、光と魂の段階を達成するからである。そして彼が達成する段階それぞれにおいて、その段階の光が彼の浄化を助ける。このようにして、彼は、創造の思想の最終目的の楽しさを達成するまで、各段階を上昇する。

質問:「与えるために受け取る」レベルは、全ての魂にとって重要ですか?

答え:イエスでもありノーでもあります。それは(魂の)合体によって間接的に達成されることも可能です。なぜなら私達は、完全で統合された一つのアナログなシステムについて話をしているからです。そのシステムの中では、全ての人が他の全ての人に繋がっており、ホログラフィー画像のように全ての人の中にシステム全体のパターンが存在しています。

重要な点は、この画像の中で私の役割は何か、ということです。私はこの全体的な「身体」において、「脚」なのか「頭」なのか「心臓」なのか、それとも他の器官なのでしょうか?私は確実に全てを達成するでしょう、しかしまた私は独立して操作することにより、このシステムの私の役割部分を活発に達成します。

私は私自身の欠乏を持っており、また他の全ての人から獲得する欠乏もあります。私の要因に由来する私自身があり、そして他の全員が存在します。そのため私達の達成は全く同じものではありません。全ての人が、一個の全体として、システム全体を達成し、アイン・ソフ(無限)の中に存在します。しかし同時に、全ての人が、誰もが異なる開始点にいるために、他者を「妬み」ます。このことも仕事と是正を要求します。

その後、私達は、しばらくの間私達はそれについて何も知らない、あるレベルに上昇します。発達は続き、どこかで消えます。器は成長し私達の知らない何かへ変化しなければならないでしょう...

質問:なぜ人は創造の思想を達成しなければならないのでしょうか?

答え:なぜなら、それが上層のクリエイターの欲求だからです。創造の思想とはクリエイターです。

私達の言葉は不正確ですが、私達はそれを使わなければなりません。クリエイターと呼ばれる、達成不可能なリアリティがあると言われています。彼は達成不可能です。しかし創造の思想が存在し、それは私達に対する彼の態度を意味します。

彼の私達についての思想の結果として、何かが成されました。彼は受け取る欲求を創造し、それについて様々異なる事を成しました。しかしポイントは私達はこの受け取る欲求に留まるべきということではありません。欲求と光は唯一の2つの属性-受け取りと授与-です。彼は、最終的にはそれら両者の上に私達を上昇させるために、それらを選択しました。

これは私達が受け取りの上に上昇するだけでなく、授与の上にも上昇することを意味しています。なぜなら誰も他者無しには存在できないだろうからです。私達は彼の創造の思想を理解し、今日私達が語ることができないものまでより高く上昇しなければなりません。なぜなら私達はそれが何か知らないからです。

これは私達を未知の終わりへ導く達成の道です。私達の欲求において、それより高い何ものも達成することはできません。ここで私達はギマール・ティクン(是正の終了)を超えたものについて話しています。そうだとしても、私達はこれが真にクリエイターに相応しいゴールの場所であることを理解しなければなりません。私達が通過するプロセスを明らかにすることによって、私達は、彼の私達に対する態度は彼の存在するレベル以下ではなく、それについて私達は何も知らない、と言わなければなりません。というのも私達の枝が派生するところの根でさえ、それから引き出されてはいないからです。

それで、これを知ることで、私達はまた今日私達がどこにいるかを理解すべきです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/01/12, “Introduction to the Book of Zohar

無関心との闘い

質問:努力としてみなされるものは何ですか?

答え:主な努力は、無関心に、軽視に、そして、授与の重要性に欠ける気持ちに対抗する作業にあります。主な、そして、永久的な闘いは、授与に対する敬意の欠如に対して仕掛けられるべきです。そのことにおいて我々は、常に我々をより強くするものを探さなければなりません。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 7/12/12, Writings of Rabash

健康管理

質問:私はあなたがグループ内の日課と生徒たちの健康管理の方法に細心の注意を払うことを知っています。

答え:はい、そうです。もしグループの人々が環境を汚染することしかしない不要な仕事から解放されて、全体の社会の利益のために2〜3時間働くなら、彼らは日中に時間がたっぷりあることになり、絶対に運動やスポーツをすることでしょう。

身体を動かす活動の一部は野外で行われるでしょう:自然のある場所、海辺、ピクニックやキャンピングや様々な小旅行などの間。それらは一定の条件の下で数日間続くことがあります。私たちは既にこれらのことを実際に行なっています。 身体的発達の大切さを決して無視することはありません。

私たちのグループには優秀なマッサージ療法士、カイロプラクター、いろいろなダンス講師などがいます。グループ内には、友達がお互いに助けあって健康問題を解決するといった独自の生活スタイルがあることが見られます。私たちはこのことに多くの注意を払います。そして私はこのことが統合プロセスの切り離せない部分であると考えています。

私たちは食事休憩や他のイベントのほかに少なくとも一日30分、一日3回(またはそれ以上)は運動に時間を充てます。いつなんどきでもコーヒーを飲むこともできるし、もし望むのであればタバコを吸うこともできます。どんな制約もありません。しかし運動、ランニング、早歩き、マッサージなどは絶対に必要です。

From a “Talk on Integral Education” #11, 12/16/11

私よりも達成して!

質問: 誰もが自分自身を超えることができるよう、どのようにして私達はこのコンベンションで互いに助け合うことができますか?

答え: まず第一に、もし自分が自分自身を超えることについて考えているのならば、私はそうして他者を助けています。 自分の個人的な「ボートの底の穴」を「ふさぐ」ことで十分なのです。これが1つ目。

第二に、もし自分が他者について考え、彼らのことを気にかけるならば、私は彼らを助けます。第三に、自分の他者に対する心配は、友人たちが多くの障害に立ち向かって、多大な努力、時間、力、そしてお金を費やしたことを見て、彼らのほうが私よりもスピリチュアルな達成にふさわしいので、自分の努力が彼らのスピリチュアルな達成に貢献するような状態に達したいと思うという事実で表現されます。

彼らが正しい意図(真の欲求、私達の繋がり)から離れないことを、私は心配します。私は自分の欲求の中でとても心配しているので、彼らは「落下」しません。それだけについて考えてください。

この心配は私達の状態で実行できる最高の保護(防御)であり、それは誰一人として私達の間のこの相互保証を止めないことを確実とし、私達は常に私達自身のエゴを超越します。自分のすべての子供たちを大切に思う母親のように、自分の友人たちのことだけを考える気持ちを失わないよう、全員が警戒すべきです。

From Lesson 1, Arvut Convention at the Arava Desert 11/18/2011