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疎外と離別はイルージョンにすぎない

受取った質問:全宇宙が1つの体系ということを知る人は自己の是正をはじめることができます。しかしそのことについて何も知らなく、体系内で誤った行動をしつづけ、その他全員に危害を加えている人々はどうなのでしょうか?

私の答え:私達はそれらのことを説明する努力を続けなくてはなりません。そして正しい行為に必要なものが何なのかについて彼らが理解をすればするほど、私達の全員がより幸せになります。

あなたは世界のことを、まだ是正されていない自分の一部として見なさないといけません。だから世界は自分の外にあるように見えるのです。しかしもしあなたがそれを是正したならば、あなたは自分自身を世界に付着させ、それが自分の一部であると感じるようになります。それはそのようにあなたに啓示されます。

もしあなたがどれだけ深く自分が他者に依存していことを本当に感じたのなら、それと同時にあなたは他者の全員が自分の構成部分であり、まだそれらが自分の管轄外であるということを発見するでしょう。あなたは彼らが自分の子供のようであり、分離することができない自分の一部として感じます。たとえ彼らがあなたの言うことを聞かず、あなたと一緒に居たいとも思ってないとしてもです。

こうしてあなたは全ての魂、全ての人間が自分自身の魂の構成部分であることを明らかにします。しかし、彼らが離れていて彼らは他人だという感覚によって、あなたは意図的に誤った方向に先導されています。もしそうでなかったら是正は不可能です。もし私達が初めから全世界が自己の構成部分として感じていたとしたら、私達に是正することは何も無かったでしょう。彼らは他人だというあなたの感覚(私達を遠ざける距離が私達の間に存在していること)が、自分にとって彼らを是正することは簡単であるということの正確な理由です。もし私がこれらの部分を自己の中に感じていたなら、それは極めてひどいことで、遂行することが難しいことです。それらに触れることさえもできないでしょう。

これらの理由で、創造主は彼らを私の外側に”引っ張り”だし、彼らとの関係づけが他者となる機会を与えたのです。もし私が彼らをもっと自分に近づけて、反対に彼らから良い影響を受取りたいと望むのなら、それは私が彼らを是正しているということを意味します。私が他人と分離しているというイルージョン(幻影・幻想・錯覚)は自己を是正することの目的を果たします。でも実際は、彼らは分離できない自己の部分なのです。

知覚範囲を広げる方法

この世界は私達が内面で想像しているものであり、内面の物質的イメージと内的感覚(思考と願望)が作り出しているものです。赤ちゃん又は未発達な人は、物理的なイメージ又は身体的なイメージによって影響を受けます。しかし発達した大人は、時空的に離れている出来事によって動かされることができます。

このことから私達は、なぜ自然に危害を加えている人々が自分自身を直接的に傷つけていると感じないのかということについて、理解ができます。その理由は人間における世界の知覚が非常に狭く制限されたものであるためです。

しかしこれらの人々がより敏感で発達した人々と団結すれば、彼らの知覚が自分のものになり、自分自身で引き起こしている危害を未然に防げるようになります。また、正しい環境には人々を親切にする力がり、たとえ私達の性質と世界の知覚がこの態度に反したものであってもそれに係らず互いを優しく扱うようになります。

私達の感じる現実は夢に似てます

受取った質問:動物、植物、および(実体としての)物質も存在していないと、あなたが言うとき、あなたは何を意味しているのですか? 唯一人間だけが存在しているのですか? クリエーターの獲得は人間の魂のみを通じて起こるのですか? 私は、私達がここで知覚する全てのもの – 樹木、星空、高い山々、風景 – は現実の”印象”であると理解しています。では、これら全ては私達の想像の中だけに在るのですか?

私の答え:唯一創造されたものは願望(欲望)だけです。そこにはエゴイズムが「私」と「私を取り囲むもの」に分離した感覚が含まれています。その感覚はエゴイズムを是正することによって、「私」という1つの総体と自分のソース(源)の感覚に統合されます。それらは追加されるクリエーターの感覚のことです。

あなたが知覚する外側の全てのものは、あなたの意識の内側で知覚されています。実際に、これが「現実」です。全てのものは個人の意識の中だけに存在しているのです。夢と同じように。私達が「この世界」の知覚しか知らないことによって感覚の客観的比較ができないということは、私達を制限しています。しかし、とても近いうちに人類は眠りから「目覚め」はじめ、人々は他のかたちで存在している人生を発見するでしょう。

“あの世”へ旅行する方法

新聞記事(Horizon Research Foundationから“体外離脱体験とは何か?” スイス人医師のグループは、治療の難しいてんかん患者によく行われる処置を実施した。電極を脳に刺し、電気刺激を脳の異なる箇所に与えるのである・・・。患者は、「上から、ベッドに寝ている自分を見た」、「天井近くまで浮いていた」と報告した。

スイス人の医師たちは、人に体外離脱のような体験を誘発することができた。これが示唆していることは、報告される死に瀕したときに体を離れるといった感触は、単に脳の右側にある角回(angular gyrus)と称される部分におきた異常電気刺激が生じさせる幻覚ということだ。スイス人の研究者は、体外離脱や臨死体験はストレスを感じた脳の一部が誤って発する電気信号が影響を及ぼしているのかもしれないという結論に達した。

私のコメント:今や誰もが脳の刺激を受ける申し込みをし、“あっち側の世界”に旅行にいけます。もしかしたら、どのような冒険をしたいのかさえ選べるのかもしれません。

私達は未来について“甘い”希望を持ちたいと思うと同様に、レイモンド・ムーディの『Afterlife(死後生)』についての理論、そしてその他の研究者による理論とも、お別れする時がきました。今は真実を知るときです。あなたの体が死んだ後に残るものは、肉体での人生の間に、あなたが明らかにした“あっち側の世界”の部分だけです。

あるカバラの文献には、「あなたは生きている間に、あなたの世界を見るであろう」と記されてます。もしあなたが上層世界を明かさないのなら(カバラを使うことでしかできませんが)、あなたは動物と同じように死ぬことになります。そしてその後、新たな(タンパク質ベースの)人生を授かります。これはあなたの生涯で上層世界を明かすためのもう一つの機会です。よって「もし人がカバラの勉強に従事しないのなら、彼は再びこの世界に戻ってこなければならない」のです。(Baal HaSulam,”Introduction to the book Fruits of Wisdom”)

人はあらゆる点において動物に似ています。そして動物と同じように、死は誰もの最後を意味します。しかし、そこには代替手段が1つだけあります。それは創造主の特質を獲得することです。それは隣人にたいする愛です。人はこの特質を通して上層での「生」を感じます。なぜなら、その人は自己の外側に出て、他者の内側に入ることができるからです。

宗教で“死後の人生”(宗教の違いによってその解釈は異なりますが)が現実になることを約束するものはありません。“ここ”でしたことのご褒美が、“そこ”で待っていることはありません。私達は“ここ”で生きている間にしか、すべての創造を達成して、創造主に到達することはできません。

よって「誰もがカバラを勉強しなければならない。もしその人がトーラーの複雑さを習得し、世界中にいる高潔な人を超えたとしても、もしカバラを学んでいなかったとしたら、カバラを勉強するためにまたこの世界に戻ってこなければならない」のです。(Baal HaSulam,”Introduction to the Book Fruits of Wisdom”)