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トーラーを授かるための準備:是正の光

トーラーとは是正の力で、それは私たちを変え、クリエーターと等しくします。私たちがクリエーターと類似することが出来たとき、私たちは“Adam”(アダム)と呼ばれ、各自は“Ben-Adam”(人間)と呼ばれます。アダムとはクリエーターと“類似する”(ヘブライ語 ‐Edame)という意味です。従って、“人間”とは私たちの世界に存在する何十億人の一人のことではなく、クリエーターとの同一化を成し遂げた者のことなのです。

しかしながら自分自身をクリエーターのレベルへと昇進させる、トーラーを実施するには、充分な欲求が必要です。私たちは、俗界的な関心事に飲み込まれています。私たち自身を次の次元へと昇進させるスピリチュアリティへの欲求を、どうしたら重要視できるのでしょうか? これはトーラーを授かる準備の一部です。クリエーターはトーラーを毎日与えていると書かれています。この意味は、それはいつも使える準備が整っていて、私たちの欲求次第であるということです。

従って、まず私は動物の段階から霊的世界という新しい世界へ上昇する欲求を育てなければいけません。しかしながら、もし私にこの欲求がないなら、私は動物のように生き、この手段にも気づかないでしょう。何故なら私はそれに対する必要性を感じないからです―私はこの世界の領域を超えた何かを欲しくも、理解もしたくありません。さもなければ、私はもう既に霊的世界へと前進していることでしょう。現時点では未だに、私は充分な欲求を持ち合わせていないがために、上層次元に入り込む、この方法を利用できないのです。従って私はトーラーを授かるための、自分の準備をしなければならないのです。

もし私が自分の中の「邪悪な性向」を明らかにし、クリエーター(愛と授与の特質および力)に達するために何を是正しなければならないのかを明白にできてのみ、私はこのトーラーという手段を授かる準備ができるのです。トーラーに従事するという意味は、それから是正する光を抽出するという意味です。私はそれを熱望し、それが私を是正することを要求する必要があります。私はまるで、救命の薬を授かるように本を開く必要があります。それが無ければ死んでしまう運命にあるように。このようにトーラーを勉強する人は私たちの世界で多くいるでしょうか?

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 5/17/10, “What is the Preparation for Receiving the Torah?”

ラビ・シモンとの旅

受けた質問: なぜゾハールの著者たちは何度も同じ事を繰り返し説明するのですか?基本を説明したら先へと進んでも良いんじゃないですか?なぜ彼らは私たちにはっきりしている事、例えば、各要素は四つの部分から成り、それを三本の線でかけると、やがては十二の部分となる事をあんなに書くのですか?

私の答え: 何度も繰り返す事によって、ゾハールの著者たちは既にスクリーンと霊的な器(Kelim)を所持する者たちに、彼らがそれを読んでいる間、本書に記述してある働きを行う機会を与えるのです。人はこれらの働きを明らかにし、ラビ・シモンと一緒に、後者がゾハ-ルを書いていた時に行うのです。スピリチュアリティに時間は存在しないので読者は著者と繋がり、子供が大人を掴むように彼の手をしっかり握り、彼と一緒に歩みます。

ラビ・シモンは人を導き、彼に一つずつ働きと特性を見せ、説明し、同じ働きをさまざまな場所で繰り返します。なぜでしょう?その理由は私たちは毎回、自らの快楽を受け取る願望の一定の特性を是正しなければならないからです。

私たちにしてみれば既に充分だと思われます。一体、何回同じ事を復習すればいいのでしょうか?しかしそれは単に私たちがこれらの実際の違いが分からない、そしてまた知覚できないからなのです。名称や題名は同じに見えますが、毎回それらは内面的な定義の新たな見解なのです。こうゆう訳から、私たちはただゾハールの著者に付き添い、何が起こっているのかをより理解する為に彼らと繋がる努力を可能な限りすべきなのです。

From the Evening Zohar Lesson 5/5/10

聖なる書物の各文字に生きる

文字は欲求の形態です。クリエーターは楽しみたいという欲求だけを創造しました。そしてその欲求は受け取りと授与の様々な形態を習得します。それにもかかわらず、受け取りの形態はスピリチュアリティーのなかで存在する権利がありません。授与の形態については、クリエーターに類似するもの、すなわちBinaからMalchutまでの様々な授与の種類だけを私達は扱います。

全部を合わせて27個の文字があります:ZAT de Binaからの9個(アレフからテットまで)、Zair Anpinからの9個(ヨッドからツァディックまで)、Malchutのなかに含まれる4個(コフ、レーシュ、シン、タヴ)、そして語末に使われるParsaの上の5文字MaNTZePaCH。これらはクリエーターに、又は正しい行動の手本に似ている物質の形態です。

したがって、私達が本、語、又は文について話すとき、私達はパン生地のように常に変化して様々な形を習得する楽しみたいという欲求について話しているのです。このようにして、クリエーターのようになりたいと切望しながら、私達の欲求はその形態を変化させます。

トーラーの全ての文字を追い、その最初の言葉(はじめに―Beresheet)から最後の言葉(イスラエル)までの文字の並べ替えの全連なりの繰り返しを完了させるとき、人はこれらの形態の全てを獲得し、クリエーターと完全に類似するようになり、最終是正(Final Correction)に到達します。したがって「トーラーの全部をあなたの心に刻みなさい」と言われるのです。心(ハート)とは欲求のことです。トーラーの書、存在している創造物に対するクリエーターの授与の形態のすべて。私達はそれらを自分たちの欲求のうえに書き写さなくてはなりません。そうすれば、私達はクリエーターに類似するでしょう。

“目には目、歯には歯”

受け取った質問:全世界で知られるようになったトーラーのなかのことわざがあります:「命には命、目には目、歯には歯」です。 カバラの見地からすると、この意味は何ですか?

私の答え:同じ度合い、同じ段階、そして同じ形で今や破壊があった場所に是正が必要です。今私達は願望の堕落した場所を是正し、使用するのにふさわしくしなくてはなりません。破壊が起きた場所を正しく識別し、正確に同じ場所を是正する必要があります。何故なのでしょうか? 私達はそうすることにより以下を学びます。クリエーターが行ったこと、彼の計画の抜け目なさ、そして、私が彼の助けを要求し彼の作業から学ぶようになるために如何にして彼が全状態で私をつまづかせるのかということです。

是正における全作業はクリエーターの作業と呼ばれます。なぜなら、私が自分の堕落した場所を識別し、彼の手を引いてその場所に連れてきて、それを是正するよう彼に頼むからです。私は事前に、どうやってこの状態が是正されなくてはならないのか想像します。ひとたび彼がそれを是正してくれれば、私は彼を補完し、それによって彼と私が一緒に歩むのです。この様にクリエーターと私達は繋がっています。

もし私が自分の力だけでこの是正ができたなら、私が上層の力との繋がりを持つことはありません。もしクリエーターが私なしにそれをすることができたなら、私は誰なのでしょう? 私の存在の意味とは何なのでしょう? 彼と私がパートナーとして一緒に作業するには、このやり方しかないのです。

クリエーターは壊れた願望(Kelim)を嘆いています。一方では彼はそれを直したいのですが、他方では私の依頼、私の要求、そして何を直すのかそしてどこを直すのかといった正確な指示なしに彼にそうすることはできません。したがって彼と私はこの作業において真のパートナーになるのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 5/4/10, The Zohar


朝のゾハールレッスン:2010/5/2 梗概

ゾハール』16~21節(梗概):トーラーの物語は、器の破壊を既に経た魂に対してなされる行為から始まります。それは破壊された破片の混合、そして、憎しみと拒絶への転落です。言い換えれば、トーラーは是正の準備が整った魂について述べているのです。

隠されている状態に居ることから、我々の世界の人は、自分に欠点があり惨めで、自分が敵意と憎しみで満ちていることを感じません。上層の光の影響だけが、即時の満足と喜びに完全に支配されている私達の真の性質を暴き、それを理解することを助けるのです。

それ自体からエゴイズムを取り除き、永続的な喜びの状態に至るには、クリーチャー(被造物・創造物)、Malchutは、その意図を「自身の為に受け取ること」から「与える為に受け取ること」というものに変えなくてはなりません。このことがBinaの属性を生じさせ、如何に受け取りたいという願望が与えることになるのかを明示します。

クリーチャーが願望(又は欲望)を“制限”し、それ自身を無にするとき、それはBinaの力の支配下に来ます。Binaとは母親であり、自分の娘であるMalchutに、授与という働きを教えているのです。MalchutBinaの中に含まれるようになればすぐに、母親は自分の娘に“衣類と貴重な装飾品”を譲ります。それらはHassadimの属性のことです。その影響下でクリーチャーは段々とクリエーターと似るようになるのです。

彼女(Malchut)が霊的成長をさらにすることにより、MalchutBinaの上に昇り、“Elokim(エロヒム)”の属性を獲得します。これは、彼女が自分のルーツに到達し始め、共通の魂の体系の中での彼女の居所、働き、義務を理解するようになることを意味します。

The Zohar Lesson in Russian 5/2/2010


一体化までの長い道のり

受け取った質問:人が一体化の必要性を認識し始めるまで、時々、何年もかかるのは、何故ですか?

私の答え:私達は歴史が始まった時からずっとこの過程の中に生きています。世代から次の世代へといった私達の全ての転生に於ける全ての発達は、私達が一体化(結束、団結、協調、統一、合一、和合)しなくてはならない状態にまで追いやるためにあります。私達の歴史の全体は、共通の魂(私達の霊的な器)の破壊から始まりました。この時以降、これらの破片はお互いにぶつかり合い、お互いを憎しむようになり、それらが誰で何処からきたのか、そして何故存在しているかも分からなくなりました。これらの破片にとって最も重要なことは、絶え間なく争い合うことです。

私達は徐々にそして段々と、私達のエゴイズム及び憎しみが原因で、私達が多くのものを逃しており、それがあまりにも多いので一体化しなくてはならないという完全な理解にまで来なくてはなりません。なぜでしょうか? その理由は、私達の発達過程において、私達が繋がっているということを、徐々に発見するからです。私達に可能なこととは、お互いに殺し合うことか、平和の中で一緒に暮らすことのどちらかしかないのです。

しかし、スピリチュアリティーに対して憧れを感じる人々にとって一つの問題があります。全世界はBeito(することになっている時間)の道に沿って一体化に前進しています。人は絶望的な状態に陥り、論理的に考えてから、世界が協調しなくてはならないことを悟ります。しかし一方では、私達にそれが不可能であることも明らかになります。これは全世界が感じていることです。これに対して、心の中の点が目覚めた人々は、私達が一つにならなくてはならないことと、そうしない限りスピリチュアリティーに到達することができないことを認識し始めますが、一体化の必要性は感じません。つまり、一体化の必要性を明らかにするが、その手段が欠けているためにその方法を知らない人々と、一体化を助ける手段を持っていても、そして、全世界に一体化の必要性が明らかになっても、その必要性を内面で感じない人々がいるということなのです。

これらの二つのグループ、外部と内部の部分、は一緒になって互いを拡大させる必要があることは明らかです。私達は彼らに一体化の方法を与え、彼らはちょうど赤ちゃんが親に自分に必要なものを伝えるように一体化の必要性を私達に与えます。そしてこれは親が赤ちゃんに必要なものを手にすることの手助けになります。

したがって、外部社会は一体化に対する内面的必要性の運搬人であり、私達は一体化の方法の所有者なのです。このようにして私達はお互いを補完します。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 4/28/10, The Zohar


全てを備えた繋がりのシステム

私が授与の為の是正を切望する事ができるのは、唯一環境がこの事において私を支援してくれるときだけです。授与をしたいという欲求は、唯一自分が他者と繋がっている時に顕現して機能します。よって私には彼らの支援が、「相互保証(mutual garantee)」という形で必要になります。私が彼らを支援する程度にまで、彼らは私を支援します。これは一つのシステムです。わたしがそれを稼働する程度にまで、私はそれから得るのです。

グループに加わって他者と繋がりたいと望む事で、私は反対に自分に向けられた反応を誘発します。その他者が私達の繋がりに於ける正しい形を、私がそれに気づく事さえもないまま、私に受け取らせてくれます。私達が一つのネットワークの中に住んでいるという理由から、彼らは私に、私達が有する繋がりのタイプを示してくれるのです。

この繋がりは、授け与えたいという単なる欲求ではありません。それはむしろ、私達の絆を強固にする保証です。これは私の依頼によって生じるのです。そのあとで、私は自分が用意した器(Kli)- 613(Taryag)の要素から成る、用意された繋がりのシステム – を持って、彼らに依頼します。私はそのことを知らないまま、その全システムを起動させます。したがって、私達はお互いに繋がることにより、私達の間にシステムの全体を受け取ります。

「相互保証(mutual guarantee)」とは、とても深い概念です。それは生命と、私達の繋がりに於ける内面的なシステムについて言及しているのです。私達がしなくてはならないこととは、単にそれを私達の内側から取り出して、使い始めるということです。

そうでないなら、自分は他者と繋がりたいと叫ぶことはできますが、そのやり方をどうやって知る事ができるのでしょうか? 自分は全ての人とその一人一人に繋がる方法を理解しているのでしょうか? その訳は、自分が彼らを目覚めさせることによって、彼らが自分に対して影響を及ぼし、我々の繋がりの形態を自分に受け取らせるからです。彼らはその事について気づいているかもしれませんが、それは重要な事ではありません。どっちにせよ私達は、この繋がりのシステムを起動させるのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 4/25/10, The Zohar

全世界は自分を補助する為に創造された

受け取った質問:もし私がレッスン後、一日中スピリチュアリティに集中出来ない場合、どうすればいいでしょうか?

私の答え:人は色々な時期を経験します。カバラを何時間勉強しても充分と感じない時もあれば、それから離れ、努力する事を止めてしまう時もあります。

しかしながら、長期的には全てが私たちの為に可能なかぎり最良な方法で手配されているという事が見えてきます。そしてもし私たちが自分の自由時間を正しく使えば、クリエーターは私たちが勉強した事を現実化するための時間を更に用意してくれます。私たちはあらゆる問題に遭遇します:私たちの作業から気を散らすもの、上司との問題、共感しない環境、さらには私たちの思考や欲求の中に於いて気を散らすものも。これらの困難にもかかわらず、なおまた私たちはスピリチュアリティと繋がっていなければならないと感じます。

クラスが終わると、私たちはスピリチュアリティから得た印象をぬぐい消し困惑させる「大きな世界」に戻らなければなりませんが、これらの環境は私たちの向上に最も効果的なのです。私たちはスピリチュアルな世界と繋がり続ける努力をし、これら全ての問題の根源を心に焼き付けておく必要があります。それらがなぜ私たちに送られてくるのか、それに加えて、私たちは何に付着する事になっているのか、そしてその理由、つまり「善をする善である、彼以外に他は在らん」ということを覚えておくことです。私たちは愛する大切な人とまめに連絡取り合うように、常にクリエーターとの内なる繋がりを感じなければなりません。

この状態を保持する努力をして下さい。あなたはこれら全ての不運な状況はクリエーターがあなたへ、仮想的世界の中での苦しみと幻想を通じて彼と繋がる機会を与えてくれていると感じ始めるでしょう。

あなたはこの世界が「作り上げられたもの」で、それが単なる外側にある殻であるという事を理解し始めるでしょう。困難は自分の中で常に変化する欲求の形態であるという事を感じようになるでしょう。それらはクリエーターに「接続」しなくてはならない欲求であり、もしそうしたなら、それらの欲求はスピリチュアルな形態に変化します。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 4/13/10, The Zohar

私を捜すものは、私を捜しだす

受け取った質問: もし私がゾハールのレッスン中、5分間も集中出来なかったらどうすればいいでしょうか?それらの全てを自分の中の何処を探せばいいのかが分かりません。

私の答え: あらゆる手段を使ってゾハ-ルに説明してある全ての特質を自分の中で捜し続けましょう。もし病気の人にこの本文にはどうすれば健康になり、心配事、破産など他の問題らから逃れられるかの情報が記載されてると告げたなら、彼は貪欲に本文を“飲み込もう“とし、語句を全て吸収しようと努力するでしょう。もし彼が脅えていて本文に救済を 捜し求めていたのであれば、彼はもし本が外国語で書いてあってもそれを理解しようと努力するでしょう。

しかし、スピリチュアリティの欠乏は私たちを脅かせません。環境のみがこの願望を私たちの中にもたらしてくれます。

なので、もしあなたが自分の中の何処を探していいのかが分からなくても、とにかく探し続けましょう。想像してください、あなたは新たな、暗い知らない場所に入り込んでいて、何も見えないのです。あなたにはフラッシュライトがあり、毎回何かが聞こえるたびにあなたはフラッシュライトを向け、何かを見つけ出す事を期待しています。

大人として、私たちは知性を満たしながら勉強します。しかし、知覚は知性では発達しません。しかしながら子供の頃、私たちは聞く事と見る事によって発達してきました。見た事、聞いた事を理解せぬままです。これがなぜ私たちが知覚と知性を発達させて来たかの理由です。私たちは物語を聞かされたり、色々な物を見せられてきましたがそれらを理解する事は出来ませんでした。物事の関連の説明されましたが、私たちは把握できませんでした。しかしながら、まさに私たちの理解しようとする努力により、私たちは動物から人間になったのです。

このゆえに現在、私が新たな感覚と心を発達させようと励んでいるとき、私は”それ“が何なのかを理解しないままゾハールを読みます。しかしながら、自分の努力が内在する新しい能力を明らかにし、やがて私は以前自分から隠されていた何かを知覚、理解し始めるのです。

上層世界は私たちの間にあります。私たちはこの世界の人間から、上層世界の“人間“へと発達し続ける事のみが必要です。それを知覚できる様になる為にあらゆる努力をしましょう。そうやって感覚は発達していきます。知覚でき始めるようになった後、思考も働き始めます。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 4/11/10, The Zohar

スピリチュアルな達成の波に乗る

受け取った質問:ゾハールを読んでる最中、次の瞬間に何も思い出せないとしたら、知識は私達に何を与えるのですか?

私の答え:知識は私達に何も与えません。現在私は何かを知っていますが、明日にはそのことを全て忘れます。なぜ忘れるのでしょうか? もし私の願望(KelimKli(器)の複数形)が変化するなら、私の新しい願望の内側で、以前に知っていたことを明日には思い出せないでしょう。なぜなら、私は以前の願望の内側に、その時はもう居ないからです。

私は唯一感覚だけを通じることによって、一つの段階からもう一つの段階へ知識を伝達できるのです。私達の状態には波のようなプロセスが含まれています:知識〜感覚〜知識〜感覚。私がある段階で自分の願望を是正したということにしましょう。私はこの段階での願望是正に従い、現実に対する何らかの感覚と知識を得ます。どの世界のどの段階に自分がいるのかということの実感を得るのです。

そのあとに、新たな願望が現れます。前の段階は消え、私は暗闇に包まれます。私に残るものとは何でしょうか? すべての人は、暗闇の感覚が自分に来る時、そのすぐ後に前の感覚のすべてが消え、もうそれらが扱えなくなることを知っています。しかし、もしあなたがこの新しい段階、この新たな暗闇を扱い始めるなら、あなたの努力が新しい光を呼び寄せ、その光があなたに来てあなたを是正します。その後にあなたは新たな状態に行き、そこでのあなたには、より高度な新しい知識に基づく、以前の知識に対するより深い理解があります。

したがって、あなたはどんなときでも知識を考慮に入れるべきではありません。それはいつもそこにあり、必ず是正された願望に入るのです。最も重要なのは、願望を是正することです。そうすれば、そのなかで明かされる必要のあるどんなものも、明かされるでしょう。しかし、このことについて心配することは、意味をなしません。

これが、なぜ正しく勉強する人が、何も覚えないでレッスンを後にするのかということの理由です。彼らは一般的な印象を持って教室から出て行きます。この印象は、彼らの理解の中ではなく、感覚の中に記録されるのです。それは感覚の記憶に残るのであり、知性に於ける記憶ではありません。

私は思考力を見下しているのではありません。実のところ、私は知識と真剣な研究に惹かれます。しかし、人が“心の中の点”を通じて勉強するとき、彼の感覚が十分に発達するまでは、彼が勉強している内容を理解することも覚えることもありません。感覚が十分に発達した後に、彼は自分の感覚で理解しはじめるのです。そのあとに、彼は“彼が感じていること”を理解するのです。

結局は、何年もかけて勉強してきたことは消え、“勉強結果”が見えないということになります。その結果とは、あなたの知識の中で示されるべきではなく、是正の光(Ohr Makif・包む光)があなたの特質を是正することに於いて示されるべきなのです。あなたの特質の中という意味です。

これは、4年間から6年間かけて何らかの分野のエキスパートになり、そのあとにもう二三年間かけて博士論文を書くといった大学の勉強とは、とても異なることです。カバラを10年間学んだ人の明確な知識とは何処にあるのでしょうか? 彼は何を得たのでしょうか? 彼にはそれについて見せれるものが何もないようにみえます。その理由は、彼が啓示を達成するまで、新しい特質の中に毎日新しく生まれ変わるからです。

彼が啓示を達成するとき、すぐにそれは彼の段階に記録されます。そうすれば、彼が上昇状態のとき、彼は題材に於ける精通と知識を本当に有します。しかし下降状態のときには、彼は闇に包まれ、彼の経験だけが彼を持ちこたえさせます。(バール・ハスラムの論文”What Is Support in the Torah, in the Work“を参照してください。)

人は、私達が最後の是正(Final Correction)に到達するまでは、状態が大きく変化し、是正のレベル又は高さだけを考慮に入れるべきであるということを理解しなくてはなりません。知識はいつまでも人の段階に応じてその人に伴っています。