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世界ではなく自分自身を変える

質問:外の世界から来る騒乱に、私達は内的に同意(肯定)すべきでしょうか?

答え:一般的に、世界で起きていることに対する人の最初の反応は、全てを変えたいという願望です。世界を新しく再編したい、国境を変えたい、経済を健康にしたい、といった願望です。これは私達のエゴ(自我)の自然な反応です。それはまた、ある日突然それらの反応が全てナンセンスだと理解し始めるまで見られる、私達の姿です。

あなたは今まで、ある一つのシステムから他のシステムへの変化が状況を改善する手助けとなったことを見たことがありますか? 反対に、いつも結局はもっと悪くなるのです。最初のうちは全てが上手く行っているように見えます。私達が何事かを達成したのは明らかであり、万事が順調に運びます。しかし時が経つにつれて、事態は以前よりもずっと悪くなったことが分かります。これは当然です。なぜなら私達は是正・修復の方向へ進んでいないからです。

そこで今や私達に残されている手段は、唯一、私達の世界に対する間違った関係を認識することのみです。

世界で起こる全てのことは、クリエーター(創造主)への私達のアプローチ(接近)を通してのみ、是正することができます。なぜなら、全てのことは、私達を彼(クリエーター)により近づける目的で、彼からやってきているからです。私達は常にクリエーターから離れようとしています。もし私達がクリエーターを熱心に求める必要性を理解していれば、そのとき本当の意味で善なるものにアプローチし始めることでしょう。しかし、それでも結局、彼は、私達がエゴ(自我)の完全な認識に到達できるように、より遠くへ遠くへと私達を押しやります。

私達がいくらか自分自身を是正し始めるとき、私達は自分のエゴのより内部へと進みます。それはいわゆる「右の線」と「左の線」をたどる道であり、どのように歩むべきか私達は既によく理解しています。それは私達の内側に現れる危機にどう取り組むかの方法であり、この方法で私達は危機を修復します。これが私達のクリエーターへのアプローチの仕方です。

このアプローチ方法を通して、私達は私達自身(世界)を是正します。つまり、外部の経済や教育や情報やテクノロジーその他何ものにも手を触れることなく、私達はこの危機を取り除き一掃します。経済、教育、テクノロジー等々に手を加えることは、すべてナンセンスです。なぜならこれら全ての領域における変化や新組織は、事態が本質的に善くなることを保証しないからです。

しかし、私達がクリエーターに強くアプローチすればするほど、彼は私達をより遠くへ引き離しますが、その引き離しを通して、今まで隠れていた私達のエゴの悪が発見されます。そして、これに内的に対処することにより、私達は速やかに(世界の危機を引き起こしている)全ての悪を善へ移行させることができます。それゆえ世界や社会や生活すべての領域を外的に変えようと願う必要はありません。

私達に必要なことは、世界を変える基礎として人を変えることです。これが特別に私達が自ら学び、世界に説明し、他者に教える必要のあることです。

霊的発見までの9つの段階

私たちの目標は光との同等性と調和に到達すること、言い換えると、是正の完了、つまり永遠の愛と授与に到達することです。この状態は、光に似るために何が欠如しているのか理解するのに必要とされる特性に対する私たちの気付きと感覚、そして上昇を必要とします。それには内なる変化を経験しなくてはなりません。

すなわち、私たちの作業のすべては、いま自分が感じていることと、自分が正された状態で感じているであろうことを理解することです。いかなる状態でも私は光のように反応しなければなりません。

自分の人生の全瞬間において、私は光と釣り合った状態、つまり形態の同等性を切望しなければなりません。このためには、まず第一に光の特性を知ることが必要です。しかしそれまでは、私たちは隠されている状態(in concealment)に在り、光との同等性に到達してないかぎり、光を感じません。光を感じないなら、どうやって私は光に似ることが出来るのでしょうか?

ここで私たちを助けてくれるのが私たちのために創造された、この世という状態です。この世という状態が他の諸世界のいずれにおいても存在しないことは驚きです。ここ、この世では、たとえ私が完全に砕け散っている状態、つまり光と完全に正反対の状態にあるにせよ、そのすべてにもかかわらず、私のように光との同等性を探し求めている願望を発見する可能性があります。彼らは私のように上層からこの強い願望、この精子の1滴、つまりこの“心の点”を授かります。それなしには、この強い願望は呼び覚まされないでしょう。

この時点から、もう私たちは光に似た行為を始めることができます。つまり、私たちがお互いに交流する時に、私たち自身から光の行為と呼ばれるものの手本を作ることができるのです:授与、愛、相互扶助、相互協力、そして目覚め(気付き)。お互いを少し暖めるために、煽動するために、つまり友のなかに願望と羨望を起こさせるために、光が私たちにするそれらの行為をする機会があるのです。

光つまりクリエーターの代わりに、私たちにはグループが与えられます。クリエーターが人に幸運をもたらし「うけとりなさい!」と言うのです。言い換えると、クリエーターがその人を実験室へと連れて行き、私たちの砕け散った破壊された状態にも関わらず、それを通じて友だちの助けを借りて前進することができる型(モデル)に入れるのです。クリエーターがあなたを彼らのところに連れてくるのです。そして、今やあなたは行動しだします!

それ以外の全てはあなたにかかっています。つまり、あなたの作業の仕方と、あなたに授与するクリエーターと同じようにグループに対して関わることによって決まるのです。クループとの対話や相互作業を始める時、あなたはグループがどのようにあなたに影響を及ぼし、また、あなたがグループに影響を及ぼすのか明らかにするでしょう。それなら、一緒に上昇することが可能です。

そのように、私たちはグループの全員のために相互扶助と相互に影響し合うことを全員に義務付けるアーヴット(Arvut:お互いに保証しあうこと・相互保証)とよばれる状態に至らなくてはなりません。私たちは、友だち全員の前で光の授与を演じます。つまり友にクリエーターの授与を示すのです。そして友は、自分自身を正して光に似ることを望む被造物(創造物)のように、私たちに反応を示さなければなりません。

言い換えると各自が、グループと一体になること、グループとつながること、グループにくっつくこと、1つのハートとマインドを持つ一人の人に成ることを望むのです。つまり、私の何もかもがなくなるように、完全に友だちのなかに溶け込まなければなりません。私はグループの中に没入することを望むのです。それが各自がしなくてはならないことです。そして、このことに対して皆が皆を助けています。

この結果として、努力の最後の1滴の後に、私たちは1つのハートを持つ1人の人に本当になります。この1滴は食事の最後の一口に似ており、その後になって満腹状態が生じ、私たちは私たち自身を満たしたと感じるのです。こんなふうに私たちは完全なハヴァヤー(HaVaYaH, יהוה‎)、つまり10個のセフィロトを全部そろえます。ほら、最後のフェーズ、つまりマルフト・デ・マルフト(Malchut de Malchut)だけが、誰を相手にしているのか、なぜ、そして、どのようにふるまわなくてはならないのか、どのように構成されているのか、どのようにクリエーターが構成されているのか、もしクリエーターからすべてのもの(光と願望の両方)をもらうなら、それに応じて何をしなくてはならないのか、を感じ、理解し、知っているのです。

従って、アーヴットが第一段階です:つながってたった1つの統一体になること。そしてもうこれ以上することがないように思われます。しかしながら、それまでは、これらが単なる言葉にすぎないと私たちは知っています。「行為の結果は最初の考えの中にある」と言われるように。思いの上では既に私たちは最終結果に到達したいのですが、長くなりうる道を通らなくてはなりません。ほら、私は私自身を作り上げなくてはなりません。そして、そのとき初めて私はクリエーターを知るのです。

すべては上層から完璧な形に創造されますが、被造物(創造物)は、この完璧さを獲得し、クリエーターに気づき、クリエーターのようになり、クリエーターの深遠さの全部を理解し、すべての行為においてクリエーターに似なければなりません。ほら、もし被造物の状態がクリエーターとの完全なる同等性以下なら、クリエーターが被造物にとって有益であるとは考えられないのです。

私たちは、これらの段階のすべてを通らなければならなく、前の段階を終えない限り次の段階を経ることは出来ません。したがって、最初からアーヴットについて、つまりクリエーターとの形態の同等性について、つまり自然との調和について話しているのです:交接、抱擁、口づけ、クリエーターとの形態の同等性の表現のすべて、そして、それらすべてにもかかわらず、これらはすべてまだ言葉でしかなく、私たちは今やこの状態を築き始めるのです。すなわち、私たちは第二段階以降に入るのです。全般的に見て、霊的発見に至る9つの段階を発見することは可能です。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 1/7/14, Lesson on the Topic: “Preparation for the Convention”

 

正当化しなければならない頭金

世界はスピリチュアルな上昇に関して二つの部分に分かれています。1の部分は“心の点(・)”が既に目覚めた人々です。従って彼らはスピリチュアルな上昇への憧れを感じます。

彼らは人生の意味(彼らの根源を直接獲得したいという欲求)に興味があります。

これらの人々は私たち(ブネイ・バルーフ(BB))のところに来ます。一部の人々は私たちと共に留まり、一部の人々は去ってしばらくしてから戻ってきます。

両者は絶えず揺さぶられます。揺さぶられずして前進することができないためです。

まるでポンプが1つの場所から別の場所へと空気を送り込むように、まるで自動車の中のピストンのように、私たちも前進運動においてそのように前へ進み、行ったり来たり、行ったり来たりしているのです。

これは私たちがどこかに行っているという意味ではありません。私たちはどんどん高く上がるに連れ、少し高くなったり少し低くなったりして動くのです。

従って私たちは絶えず前へ進み、エゴを下から“すくい取り”、そのエゴを上げて是正します。それをなお一層深くすくい取り、上げて是正するのです。このように私たちは螺旋(らせん)のように徐々に前進します。しかし、その螺旋は上がったり下がったり、上がったり下がったりして徐々に広くなります。

上から下へ移動しない者は、なにも上に持ってくるものがありません。私たちはカバラの知恵でこう学びます:創造物の欲求は粉々に割れ、全ての欲求はベリア(Beria)、イェツィラ(Yetzira)、この世を含むアシィア(Assiya)と呼ばれる諸世界に分散しました。

よって、“心の点”(アジィルットのマルフート(Malchut of Atzilut))を持つ全ての人々は、下降して器を上げ、そして再び下降し、さらに大きな器をまたまた持ってこなければならなく、それ故、この動作を何度も繰り返すのです。

この全ては全部私たちのケリム(複数の器)、つまり私たちの欲求です。したがって是正の最後(完全なグマー・ティクン(Gmar Tikkun))までは、下の方への動きが常にあり、その動きは交互に始まっては止まり、是正されてないケリムがある場所へと徐々に戻ります。それは常にマイナスがプラスの反対側にあることを意味します。

従って、私たちは欲求を引き寄せ、それを上げて是正します。 私たちは知らずに下にある殆どの欲求を是正します。

様々な変化が世界にいる全ての人に起き、私たちは絶えず是正することで忙しいのです。

全ての変化、この世界で起きる全てのこと、誰もに起きること全ては、下方へ降りることと上方へ昇ること、つまり下降と上昇のおかげで起きるのです。

従って、この世の全ての人々は、したい、したくないに関わらず、無意識に是正のために働きます。

私たちは既に上層の器に属している“心の点”があるため、意識的に働いています。それから立ち去る時、私たちは螺旋のように絶えず下がったり上がったり、下がったり上がったり円を描きはじめます。

意識的な働きと無意識的な働きの間には大きな違いがあります。結局のところ、無意識に働く者は痛みを経験します。彼らは後ろからの圧力によって前へ押され、自分達が前進しているようには感じません。彼らは単に人生の様々な状況(痛みや苦しみ)の影響を受けて動かなければなりません。

私たちはそうではありません。私たちはこれを意識的に、はるかに効率的に行うのです。結局のところ、私たちは、他の人を押すように私たちを下から押す苦しみを超越し、私たちを最初から押すポジティブな力をこのネガティブなベクトルに加えようと試みます。

ポジティブな力の助けを借りて前進するためには、グループ内でつながらなければなりません。それに加え、私たちは共に勉強し、事前にグループの中に上層の世界(Upper World)に存在する全ての条件を設ける必要があります。

グループの規則、全てのグループの規範は、私達がまだエゴイズムの中にいる間に少なくともある程度、従おうと努力している上層世界の法です。私たちはそれが全てゲームであると把握しています。

私達はあたかもお互いを愛し、お互い、1つになること、つながりを切に求めているかのようにただ演じているのです。私たちはゲームをしています。恥じることは何もありません。ある者は「もしこれが本当でないなら、それをしない」と言いますが、これは誤りです。子供を考えてみてください。彼らにとって遊びはとても真剣なことです。他者との接触の中にスピリチュアルな世界を形成しようと試みるとき、それはとても真剣なことです。

それを切望する程度にまで、私は自分の中に新しいベクトル(絵の中の赤い矢印)を発達させ、後ろからの圧力を受けることなく、前方に魅力を感じはじめます。私は、例えば世界を前に押す危機や、私たち一人一人を押す様々な個人的問題のような周囲の様々な状況を待ちません。私はグループの力を装着し、グループの力はそれ自身に強い光を上層から引き寄せます。

実はこの強い光は、私たちの唯一のスピリチュアルな構造を構築します。そして今回、それは本当です。私たちが皆1つになるとき、私たちは光と同等になります。その理由は光も1つであるからです。

性質のつながり(関連性)、つまり形態の等価に従って光は私たちに入り、上層世界、次なる段階、次なる次元が私たちに明かされます。これが自分達自身で前進したいという欲求を受け取る人々とそれ以外の人々との違いです。

最初の部分(図1の黄色い部分)が私たち、“心の点”のある人々で、他の部分(下側)がその他の人々です。

近頃、これらの2つの部分の相互依存関係が明らかになっています。その理由は二番目の部分が最初の部分に無意識に引き込まれ、それ故に人間の歴史を通してその欲求の多くを無意識に是正したからです。

“心の点”を持たない人々は歴史を通して様々な状態を経験し、それ故に今日私たちにつながる程度にまで達しました。私たちは、上方への動き、上方への引き寄せを受け取り、彼らは私たちのとても近く、私たちの周りに居て、私たち皆が一緒に危機に瀕しています。これは全く同じ危機、クリエーターの不在の危機、上層の摂理の啓示の欠如です。しかし私たちにとって、この上層の摂理の欠如は深刻な問題で、私たちは「彼」を見つけたいと思い、前方へ引き寄せられます。しかし、私たちは世界がどんな状態に陥っているのかを見るので、彼らにとってそれはとても不愉快な後ろからの突きなのです。

まさにこれが、創造の目的(器の中で光を明かすこと)に魅力を感じる人々のために用意された唯一無二の機会です。彼らの有利な点は、もし彼らが光とのつながりを持たない世界の部分の是正のために働くならば、光が彼らの中を通って他者に渡るので、彼らが光に速く近づく機会を得るということです。

私たちの各々は、どういうふうに特別なのでしょうか? 私たちはどんな特別なことを人生でしたのでしょうか? 私たちにどんな特別な性質があるのでしょうか? 私たちに、そしてまた私にも、特別なことなど何もありません。“心の点”、つまり上層の光を明らかにしたいという欲求は、“前提条件”として、“頭金”として私たちに与えられたのです。もし私たちが他の人々のために働くならば、上層の光は必ず私たちに現れ、私たちの中を通って全人類に渡るでしょう。

従って、私たちはその条件が何なのか理解することが出来きます:「汝の隣人を汝自身のように愛せよ」と「1つの心を持つ1人の人のように」、私たちの間のつながりに達することなどなど。これらが光を明かすこと、つまり複数の器の是正に必要な正確な条件なのですが、それは様々な言葉で表現されます。

前の世代のカバリストたちはカバラの知恵を自分たちの是正に合わせて変え、私たちがいかなる場所において広くそれを利用できる準備をするために、それを彼らの著書の中に書き表しました。従って、彼らの著書は全て私たちに向けたものです。全ての前の世代には、ごく少数のカバリストたち(実際のところ数十人)しかいなかったからです。例えば16世紀の偉大なカバリストであるアリ(The Ari)には6~7人しか生徒がいませんでした。後に、イタリアのパドヴァに現れたもう1人の偉大なカバリストであるラムハル(Ramchal)には2~3人の生徒しかいませんでした。

現在、全世界で数千人の人々がカバラの知恵に興味をもっており、彼らはそれを必要としています。それなしでは、人生が単なる肉体の人生であるからです。実は私はそんなにも多くの人々がカバラを学んでいるとは思っていませんでした。人類全体に対して10~20人といった小さなブループしかないと思っていました。

カバラは私たち自身に光を引き寄せる知恵です。それをするために私たちは、上層の世界の構造、どのようにその全部分が整えられているのか、どのようにエゴイスティックな(利己的な)欲求がアツィルットのマルフートの是正に上昇するのか、どのようにそれらが一体になり、後にイェシスット(YESHSUT)のパーツフィム(Partzufim)、アバ・ヴェ・イマ(Abba ve Ima)、アリッフ・アンピン(Arich Anpin)、アティック(Atik)、それ故にエイン・ソフ(Ein Sof)の世界にまで上昇するのか学ばなければなりません。

しかし、それは私たちのためのものです。私たちは上層の光を引き寄せてそれと共に相互的に働き、それに頼り、それから受け取るためにカバラの知恵を必要としています。

一般大衆は上層の光を受け取るためにカバラの知恵を必要としていません。彼らは光と共に相互に働かないからです。しかし、それでも彼らは1つにならなければなりません。彼らはあらゆる面に圧力を与える全問題を取り除くものが1つである状態だと理解しなければなりません。彼らが知る必要のあることは1つだけです:もし私たちが1つになれば、私たちは全ての問題、全てのネガティブな状態(−)から脱するということです。

一般大衆向けの知恵はインテグラル・エデュケーションと呼ばれています。インテグラル・エデュケーションは、全てのマイナス効果(悪影響)を無力化する力が、1つである状態の中で明らかになるよう、1つになることの必要性について説きます。したがって、一般大衆にもグループが必要です。しかし、違う立場、違う形、違うスタイル、違う切望をもつグループです。単に人々の結束です。

彼らが1つになれば、より気持ちがよくなり、様々な弊害の全てが消えてなくなるということを彼らが理解する時、これが起きるでしょう。これがカバラの知恵とインテグラル・エデュケーションの違いです。

全体的に見ると、これらは地球上での人々の結束における同じ知恵の2つの部分です。それらは同じことについて説いているのです。“心の点”を持っているということから、上層の光を引き寄せ、それと共に相互に働ける人々だけが、その構造、相互の働き、上層の世界、光の上昇と光の下降を求める要求のレベルについて説明できます。彼らは上層の光の引き寄せを促すためにこれを必要とします。

他の人たちにそれは必要ありません。彼らは単に、1つになることを切望することだけが彼らに平和とよい暮らしをもたらすということを知る必要があるのです。これが彼らの欲求の中で彼らが感じることなのです。最終的に、両方が同じ状態に到達します。パーサ(Parsa)の下にある全ての欲求が上昇するからです。それが意味することは、それらがパーサの上にある光の中に組み込まれるということです(図2)。

これが私たちの将来の在り方、私たちの次なる次元、上層の世界です。従って人類は2つの部分に分かれており、各部分に独自の是正方法があるのです。

従って1つになること(インテグラル(統合)の方法を受け入れてそれを実行すること)は今日の世界にとって非常に重要です。私たちは、どれほど人類がそれを必要としているのかを理解し、それ(一般大衆に適しているカバラの知恵の主要部分)を広めなければなりません。

創造物の1つになる方法は、クリエーターが創造物の中で明かされることに向けられています。「彼」は私たちの中を通って一般大衆の中で明かされるのです。

私たちの中を通って(図1の赤い矢印)上層の光は彼らへ伝えられます。『ゾハールの書の前書き』は私たちにこのことについて伝えます。

インテグラル(統合)の方法を広めることはヨーロッパ(世界の他の部分よりも発達していることから、非常に多くの緊張を経てきた、多国間の危機の重圧が感じられる大陸)においても必要です。

もし私たちがここで危機を是正し、なんとかして人間の結束の知恵の普及を一般大衆に適している方法で促進できるなら、それはインテグラル・エデュケーションとインテグラル協力の形でという意味で、それは第一に私たちの前進を助けるでしょう。

こうして私たちは「彼」の粉々に割れた複数の器を是正するので、クリエーターに大きな満足をもたらします。そしてこれらの是正された複数の器の中で、創造の目的である「者(One)」を明らかにすることができます。従って、全ての人にとってインテグラル(統合)の方法はとても重要です。私たちはそれを子供たち、大人たち、そして高齢者のために開発します。私たちは一般の人々のために講座を開き、ワークショップや様々なイベントを開催します。私たちはそれが私たちにとっても、非常に重要であると考えます。なぜならもし私たちがそれに従事しないなら、私たち、つまりブネイ・バルーフが前進することは許されないからです。なぜなら私たちは残りの世界の人々のことを考えるという条件で、それを“頭金”として、単に受け取ったにすぎないからです。

From the 2nd Lesson of the European Convention In Germany 3/22/13

 

世界の知覚を変える反転

質問:もし私達がひっきりなしに物質的な圧力、消費社会の圧力にさらされているならば、どのようにして私達はスピリチュアルに前進することができるのでしょうか?

答え:誰があなた達にこれを与えているのでしょうか? それは上層の力(フォース)、自然の統合された力です。この力が全てをコントロールし、私達共通の運命における全ての紆余曲折を満たしています。

人はこのことを忘れて、クリエーターの代わりに他の誰かを非難しようとする時があります。社会は批判されるべきものではありません。彼(クリエーター)だけが批判されるべきです。しかしながら、私達はどうやって彼を批判することができるというのでしょうか? いかにして絶対的な愛と授与の状態にある上層の力が悪でありうるでしょうか? 事実は「あなた」がこのように知覚しているということです。なぜならあなたのエゴイスティックな意図が(世界を)反転させているからです。それで、あなたはあなたを取り巻く世界全体を悪として知覚するのです。

実際は、私達を取り巻く世界全体は無限の優しさと愛です。あなたの意図(インテンション)を変えてごらんなさい。そうすればどこにも何も問題はなくなるでしょう。

他方で、私達は、私達が抱えているその問題に感謝しなければなりません。何故ならそれらはあなたが変化するために必要な物が何かを、正確に示してくれるからです。

From the Convention in St. Petersburg 7/11/13, “Preparatory Lesson”

全ての瞬間が新しければ

バール・ハスラムや他の偉大なカバリスト達が書いているように、最も重要なことは毎日を新しいものとして生きることです。この「日」は瞬間を意味し、日中のことではありません。そのような訳であなたの全ての瞬間は新しくあるべきです! そしてこれが大切なことです。

眼を覚まし、起きて、昼も夜もどんな時も自分を揺さぶりなさい。まるで自分が生まれ変わったかのように。以前のもの全てを削除しなさい。それは全ての古い問題や古い関係です。過去の問題は要りません!感情の重荷も要りません!

どのグループも、そしてグループ同士の間でも、全ての悪いことは忘れなさい。全てのグループと私自身の関係も同様です。リセットし、リスタートしなさい!

From the European Convention in Germany 3/24/13, Lesson 6

コールあるところエコーあり

質問:ヨーロッパにおける統一の力は、私達が来(きた)るアメリカのコンベンションで次のレベルに到達するために、どのような助けになるでしょうか?

答え:ヨーロッパとアメリカは互いに強く影響し合っています。しかし実際アメリカの危機はより小さく感じられます。アメリカには政府は一つ、力も一つ、誰かと交渉する必要はありません。彼らは欲することを何でもでき、実際そうしています。彼らはさらに1兆ドル刷ることを決めて、実際印刷しました。印刷機は回転し続けています。

ヨーロッパでは事態はより難しいものです。なぜなら全ての国々の協調が必要とされるからです。そういうわけでヨーロッパでは危機はより大きく感じられます。もしヨーロッパが統一してたなら、この危機も容易に処理できたことだと思います。まず、この場合、EU市民がエゴイズムを越えて統一しているため、この危機は速やかに鎮まっていたことでしょう。一般的に言って、ヨーロッパは今日のバビロンです。

しかし加えて、彼らはたった一つの解決法を採用し始めて、アメリカ人たちのように同じことができたかもしれません。危機の全体が拡がったのはただヨーロッパが分割されているからです。ベルギーのブリュッセル(EU拠点)から、ヨーロッパの一部が他のヨーロッパの部分に指示を出しますが、他の部分はこれを望みません。キプロスのニコシア(首都)では、議会が彼らの意思決定を受け入れることを拒絶しています。

これはどんな種類の結合でしょうか? 彼らは真に統一するか、または分解しなければならなくなるでしょう。

アメリカの状況は、彼らが単純に「我々には危機はない」と決心している観点で言えば、よりよいものです。彼らはこのように決めつけ、何事も起こらなかったかのように生活しています。しかし、もちろん後には全てが「崩壊」するでしょう。

From the European Convention in Germany 3/24/13, Lesson 6

余計なものは全てフィルターする

カバリストはその独自の経験からグループの法則を定めました。グループを創る目的はつながること、そしてクリエイターのようになることです。グループはこの状態を達成したいと望む人々が集まることで形成されます。そしてもちろん、グループは何故自分たちが存在しているかを理解すべきです。グループにはまだそのことを理解せず知覚しない新しいメンバーも含まれますが、しかし短期間の内に、私達はグループが存在している理由を説明し、そして非強制的に、私達は次第に彼らをこの状態へと導きます。

このグループは一つに統合されるべきです。そしてそのことにおいて、いかなる歪みもあってはなりません。それは管理者と、管理者に従う労働者からなる工場ではありません。カバラを勉強するグループにそのようなものはありません。全てが集合的・共同体的です。

私達は様々な異なる委員会をつくります。それらは奉仕と助け、グループの維持と組織、勉強・研究、祭日、食事の為のものなどです。これらすべては正確に、全ての個人と集団の基本的統合に適合するものであるべきです。私達は皆異なりますが、私達は全体として平等であるべきです。ある人が賢くてもう一人が愚かであることに違いはありません。誰もがあるがままに自然で、その固有な形態は必要不可欠なのです。

次のようなメカニズムを想像してみましょう。ある部分は速く動き、他の部分はゆっくり動き、右へ動くものあれば、左へ動くものあり、他は軸の周りを回っていたりします。誰もが彼独自の役割を持ち、重要なことは誰もが全体的なユニティ(統合・統一)のために彼のベストを尽くすべきであるということです。グループにおける他の条件は、その結果としてつくられます。

主要な条件とは相互援助であり、これが私達をつながりへと導くものです。なぜなら一人の人間には是正する箇所がないからです。私たちの一人一人は絶対的な全体であり、他者とのつながりという一つのもの以外に、堕落している箇所は何もありません。そのような訳で、私はある個人の性格や外見や、嫌な習慣や、他の何であろうと、それに注意を払うことはしません。このすべては私の関心ではありません。私はある種の「フィルター」を使い、これらすべてを見ないようにします。つまり誰々が赤毛であるとか、誰々がうんざりさせるとかイライラさせるとか、彼らが私を思い通りにしようとしても、しかし私は気にしません。私は「フィルター」の背後で、たった一つのことだけを見なければなりません。それはその人物が持つ、つながりやユニティに向かう態度です。というのも、これこそ私達が彼において是正すべき唯一のことだからです。もし彼がその線において働くならば、彼は私の友人です。しかしもし彼がそうでなければ彼は私にとって見知らぬ人です。

私達は他者とのつながり(コネクション)を除いて、私達の中にある何ものも変えようとすべきではありません。これは大変重要なことです。私達はこれに対して多くの時間と力とを浪費しています。私達は不必要なことに取り組むことは止めるべきです。なぜならこのようなやり方では、私たち自身を破壊し腐敗させるだけだからです。あなたはあなた自身の道に留まるべきです。1グラムのエネルギーたりとも無駄にすべきではありません。ただコネクションに投資しなさい。

このことが明らかになるとき、この仕事は柔和で相互的になります。それは食事になり、相互関係と愛の希求となります。私達は他の何ものにも注意を払うべきではありません。ただ一つの条件だけが存在します。私たちの間のつながりです。そしてグループは常にその注目をここに置くべきです。

私達の行く先には長い道のりが待っています。そしてそのはじめには多くの歪曲、間違った理解、苛立ち、爆発などが起こるかもしれません。しかし大切なことはたった一つです。それは人が真にユニティを希求しているか否かです。もしその人が自分の中のこの衝動を強めようと試みているなら、そのとき私は彼の他の問題すべてを自分自身に引き受けて彼を助けます。

From the Georgia Convention 11/06/12, Lesson 2

上層世界へ逃亡したい

質問:この世界には多くの立派で聡明な人々や力などが存在します。そして、スピリチュアリティにおいては「彼以外に他は在らず」と素っ気なく簡単にいわれます。スピリチュアルな世界に急いで行きたくなるためにどうすれば私はスピリチュアルな世界への興味を感じて、それを味わい、それから喜びを得れるのでしょうか?

答え:どのようにして上層世界への興味を感じれるのか?もしあなたが今以上に興味を感じるのなら、あなたは自分のエゴイズムによって動かされて、エゴイズムを超えて克服し、上層世界へと急ぐことは絶対にないでしょう。故に、上層世界は私益のためではなくエゴを超えて努力するという機会を私たちに与えるために隠されているのです。

もし私たちがエゴイズムを通じて上層世界に移動したなら、私たちは永遠に私たちの身勝手さの中に留まり、エゴイスティックな殻の外へ出る見込みは全くなくなり、その中で生き埋めになるでしょう。私たちがエゴイスティックな領域を超えることは絶対にないでしょう。

もし上層世界がたった今あなたに明かされたなら、あなたはこの物質領域に何の価値もないことをすぐに理解するでしょう!私たちは、人々が自分自身に食べ物を与えるためだけに生きている動物であると明確に認識するでしょう。私はこの人生を哀れに思います。この時点で、努力する価値のあるものは何もなくなり、子どもを産んで苦しみ続けることには意味がなく・・・どうでもよくなります。その後には何があるのでしょう?

思い出しました、上層世界があります!まず何よりも、それはどんな限界をも超える永遠です。時間、動き、情報、全てのものが開かれるようになります。時間は存在しなくなります。時間はこの世だけに存在します。光速を下回る速度においてのみ時間は存在すると物理学者が言及するように。そこでは情報が完全に入手できるようになります。人は自分自身が無限の空間に存在していると気付き始めます。人は諸世界の全システム、つまり宇宙全体のなかで起こっている全てのことについての完全なる知識を獲得します。このシステムがアナログであるためです。システム・クロックは存在しません。それはパルスでは動作しないのです。それは常に連続動作し、同時に静けさの中で静止しています。あなたはそれの中に居ると感じます。そしてそれと同時にそれがどういうわけかあなたの内側に存在していることを知っています。それは、あなたが、存在している全てのものであるということを意味しているのです!

仮にあなたが偶然その様相の最も小さな部分でさえ、その1グラムでさえ見たとするなら、あなたはその感覚の奴隷となるでしょう。バール・ハスラムは、もし私たちの欲求の収縮(その時、人は自分のエゴイズムを自分の胸に秘めて、それを超越することさえもできるようになります。)の前に上層世界の啓示が私たちに起きたなら、たった一生に一度だけその感覚を経験するために、この計り知れない喜びの啓示の1滴でさえ、人に自分の手足を一日に七回切断することを余儀なくさせると書いています。

分かりますか?あなたは奴隷となり、この喜びを追い求める以外に全く何もできなくなるでしょう。あなたはグループ内でも他のどこでも、この種の喜びを受け取るためだけに多大な努力をするでしょう。言い換えれば、あなたはそれを利己的に切望し、そのために自分自身をそれからなおさら遠ざけてしまうでしょう。

質問:もし私たち自身の力が無いなら、どうやってその状態になんとかして到達したいと思うことができるのですか?

答え:友達に訊きなさい。彼らだけがあなたの将来を保証することができるのです。彼らが目標に向かって努力するなら、あなたは達成します。もし彼らがしないのなら、あなたは達成しません。

From the Kharkov Convention “Uniting to Ascend” 8/17/12, Lesson 1

ワークショップは心から心への会話です

ワークショップは特別な行為です。それは神聖なものであると言えるでしょう。我々は質問を明確にします。すなわち質問に答えるのではなく、質問が明らかになるように明確にするのです。そのあとで、数分後に私はそれについて説明するために話をします。そして、輪になって座り、我々の本に記述されていることではなくて、論理にかなった解決策、この問題の本当の解答の見つける方法について話し合います。どんな場合にも、カバリスト達の賢い格言に頼るべきではありません。むしろ、我々はお互いのつながりを持続させるために心から話し合います。

しかしながら、私は友人を絶対誤りがない、偉大な人として受け入れなくてはなりません。彼がどんなナンセンスを口にしようが問題ではありません。彼が愚かであるということは私の感覚なのです。私は、十分に彼とつながっていないから、それを目にすると感じます。もし私が彼を愛していたなら、私はクリエーターが彼を通して私に話をしていると感じていたでしょう。

したがって、10人のグループで座っている間、我々はお互いに対する関わり方(良い関係を結ぶ方法)を明確に理解しなくてはなりません。クリエーターの代表者たちが私の前に座っていて、彼らが私に絶対的真理を伝えます。私はどんな批判も、どんな不信感も、そして、彼らから私を遠ざけるどんなものも抑えなくてはなりません。彼らは、それに気づくことなく、私が同意できないことを発言しています。私はそれに反対です。私はそれを聞きたくないのです。私はすべてのものが、色あせていて、普通で、同一であるとして、くだらないと見なします。

したがって、この点において我々は巨大な内面的作業に立ち向かうのです。

From the Preliminary Lesson 8/16/12, Kharkov Convention “Uniting to Ascend”

私自身のエゴの鏡のなか

質問:グループの友達が、何のためにエゴが必要なのかと伝えました。私は何のために外側(外の世界)で感じる、つまり路上や街頭で感じるエゴが必要なのですか?

答え:これはすべてあなたの魂の一部です。マルクト、魂、人類、それをどのように呼んでも構いませんが、実のところすべてはあなたです。したがって、残りのすべての人は誰なのでしょうか? 彼らはすべてあなたの一部です。あなただけについての。

これは、それが全ての個人の魂がつながるところの、70億人の多層構造であり、平面ではなく球体になることを意味します。それで、あなたは100%すべてのものが必要なのです。したがって、この世におけるどんな人に対する皮肉な、そして、失礼な態度もあなたのスピリチュアルな前進を著しく遅らせます。

それどころか、あなたは世界の全ての人々、完全にネガティブな人と完全にポジティブな人を、自分自身の切り離すことのできない部分と同じくらい身近に感じる状態に到達しなくてはなりません。彼らは実際は誰でもないのです。あなたにとって、彼らは操り人形であり、彼らはあなたがクリエーターに近づくための正しい背景を与えるためだけに動いています。

質問:私は自分のエゴに耐えることができません。私には選択肢がありません。それは本来備わっている私の一部です。しかし、別の人のエゴをはぐらかすこと、または、追い払うことはできます。

答え:あなたは他の誰かのエゴをどこで目にするのですか? もしあなたがそれをあなたのエゴの中で感じるなら、実際にあなたは何を感じるのでしょうか? それはあなた自身のエゴです。世界は多数の人に分けられているように見えますが、今でさえあなたはあなた自身と話をしているのです。

From the Kharkov Convention “Uniting to Ascend” 8/17/12, Lesson 2