祝福と呪い
『トーラー』「申命記 第11章26−28節」見よ、私は、今日、あなたがたの前に祝福と、呪いとを置く。もし、今日、私があなたがたに命じるあなたがたの神、主の命令に聞き従うならば、祝福を受けるであろう。もしあなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、今日、あなたがたに命じる道を離れ、あなたがたの知らなかった他の神々に従うならば、呪いを受けるであろう。
もし人がクリエーター、つまり唯一無二である自然の上層の力との付着へと導く道から離れるなら、言うまでもなく、彼は間違いを犯し、「他の神々」、つまり自然の他の力へと向かいます。
「あなたがたの知らなかった他の神々に従うならば」とは、すなわち、あなたがそれまでそれらの神々を、きわめて重大で決定的で、根本的なものとして考慮に入れていなかったということです。もしあなたがいま、それらの神々を選択し、支配者として見るならば、言うまでもなく、あなたは呪いを受けます。
人は唯一無二の真の支配する上層の力に背を向けることによって自分自身に非難を招きます。上層の力の派生物であるすべての他者がその支配下にいるのです。
これが呪いです。私たちに上層からの特別な何かを送ってくれる神はいません。私たちはただそのような比喩的な方法でそれについて話すだけです。私たちの行為を通じて、私たちは共通のシステムの歪みを引き起こします。それ故、私たちは自分たち自身の上ですべての結果を感じるのです。
質問:なぜ『トーラー』のこの部分はレヘ(見ること)と呼ばれるのですか?
答え:なぜなら、私たちがスピリチュアルなシステムに至る必要があるからです。結局のところ、視覚は人間の最も強い感覚であり、私たちがどこにいるのか、何者なのかという知識と理解の最も力強い源です。それゆえ、私たちは視覚、つまり最も高い認識を通じてすべてを知覚する必要があるのです。信じたり、単純に認めたりするのではなく、その本質を本当に理解するために。裁判所においてさえ、証人は見た人だけがなりうるのであって、聞いただけの人はなれないのです。
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From KabTV’s “Secrets of the Eternal Book” 6/22/2016
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