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完全性、骨の髄までしみ込む

質問:大衆が完全に確信するように、どのように我々は新しい世界の完全性(インテグラリティ)を説明することができますか?

答え:それを経験するために、世界は多くのトラブルを経験しなければなりません。知的に全体的な相互関連性(連結性・結合性)に同意することは、難しくありません。「確かに私はこれについて何かを読んで聞きました。地震が日本で起こり、私たちは予備部品の問題を抱えています。戦争がリビアで起き、デンマークが境界を閉鎖しています。私は同意します:世界は欠けるところがなく、完全にそろっており、統合している、つまりインテグラル(完全体)です。」

しかし、我々自身を他の皆と別であると思いたいという一つの願望や考えも人類全員にあってはならないように、この完全性は骨の髄で感じられなければなりません。それは我々の中に絶えず置かれてなければなりません、そして、我々は単に頭でそれを認めるのではなく、それを考えただけで震えなくてはならないのです。

私は身体的に「内臓で」それを感じなければなりません。私は飢えに私をひどく苦しめさせます。同じ一口が皆に約束される確信がないならば、私は食べることができません。それが統合された完全な世界(インテグラル・ワールド)なのです:他が持っていないものを食べることは、毒を飲み込むようなことです。

そのようなことを想像するのは、難しいことです。我々はそれを実行していないし、単にある種の繋がり・関係性を耳にしただけです。毒に変わる個人の食事、そして、すべてが提供される状態にある全員からの祝福は、まだここから遠いのです。我々がこの経路で経験しなければならない苦しみを思い浮かべて下さい。

質問:しかし、我々は苦しみを防ぎたいのです。これは、我々が人に、その人がこの完全性を染み込まさなければならないという具体的な証拠を提供しなければならないことを意味します。さもなければ、それは痛みをともなうでしょう。我々は、このメッセージを伝えるために、その人の感情に触れなければなりません。

答え:正しいです。しかしその一方、もし我々が光に助けを求めないならば、社会的影響の方法によってでさえこの深い知識を伝達することは不可能です。あなたは、進展を速めなければなりません。さもなければ「進展の押し」が、後ろから接近し、あなたのためにそれをしてくれるでしょう。

そして、それが教育が必要とされる理由なのです。我々は広告から採取した事実について話しません。これらの事実がその人を囲み、「形作り」、「フォーマット化する」ように、人はこれらの事実を「掘り下げて調査」しなければなりません。客観的な、抽象的なプレゼンテーションは、ここでは助けになりません。我々は人間の本質に達しなければなりません。そして、あなたがこれをすることは不可能です。

人は家が焼け落ちた隣人の記事を読み、舌を鳴らします:「かわいそうに。おそらく、今や政府は彼を助けるかもしれない。」そして、その人はそれ以上動こうとしません。我々のエゴイズム(利己主義)の障壁は、光を持ってしてのみ破ることができるのです。どんな証拠も光なしでは助けになりません。ものすごい苦しみでさえ、人々を変えないのです。

苦しみで前進することは、実質的に不可能です。苦しみは、我々を是正ではなく、スピリチュアリティの必要性にしか向かわせません。光だけが、是正そのものを実行するのです。

From the 5th part of the Daily Kabbalah Lesson 7/28/2011, “The Peace”

光とは何か?

質問:カバリストが語る光とは正確に何ですか?

答え:私達の現実には「光」と呼ばれる力が存在します。この力は隠されていて、それを感じる事は出来ません。しかし、もしあなたがカバラの英知を勉強するなら、あなたはこの光を呼び覚ます事が出来るようになり、それはあなたに作用し始めます。

“カバラの英知を勉強する”という意味は何でしょう?既にクリエーターに到達した人々、すなわち彼との特質の同等性を獲得した人々が存在し、彼らは、彼らが上層の世界の中で上層の力との関係性に於いて発見した存在の様々な状態を説明しました。

当然、彼らの書物を読んでいる間、そこに書かれたことは何も理解できません。なぜなら、あなたが同じ世界の中に居なく、そのことについて何も知らないからです。たとえその文書がこの世界と全く異なるスピリチュアルな世界について伝えていても、あなたはあなた自身の世界の中で想像できることだけを聞きます。

カバリストの文書を読んでいる間、もしあなたが上層の世界に行きたいと、あなたの中にある全てを持ってして願うのなら、あなたは強い欲求を通じて上層の世界から特殊な力を呼び起こします。この力が「光」と見なされているものです。

あなたがそれを呼び起こす事ができる理由は、あなたには上層からのスパーク(火花)があり、それがあなたが生まれた時に植え付けられたからです。その後、上層の世界から光が訪れ、それを照らします。

したがって、もし光を呼び起こし、スパークにそれを作用させたいと望むのなら、カバラの文書を読み、これに専念してください。それ以外には何も必要ありません。あなたには、書物に書かれている事を理解することも、抜け目のない頭脳を有することも、特別に幸運であることも、必要ないのです。必要なのは、あなたが普通の人であり、カバリストが説明する世界が常にあなたのスパークに作用してほしいという願いを持っていることだけです。そうすれば、彼らの語っている事をあなたが急に感じ始めるまで、スパークは徐々に成長するでしょう。

ゾハールの書を勉強している間に、私達に必要な事が、まさにこれなのです。しかし、この光の力が人に訪れるのは、彼が上層の世界の中にありたいと努力する場合だけです。つまり授与のなかに居たいと切望したらの話です。

しかし、どうやって私は授与の中にいるという意味を知るのでしょうか? カバリストは言います:もしあなたがグループのなかでゾハールの書を読み、あなたが、お互いに何の違いもない、1つの生物として、他者と繋がっていると心に描くのなら、また、もしあなたが、あなたを照らす力に対する、1つの願い、1つの意図、1つの強い欲求を持っているのなら、この唯一無二の分割されない力が、あなたの1つに統合された欲求に作用し、あなたは、あなたに作用してあなたを助長している、この上層の力を本当に明らかにするでしょう。これが、創造物に対するクリエーターの啓示と呼ばれるものです。

したがって、光が私達に作用できるよう、私達を是正できるよう、そして私達の内部で現れるように、光を明らかにしたいという私達の欲求の中で、私達が一体となっているという意図を持ち、私達はグループでゾーハルを読んでいるのです。

From the 2nd part of the Daily Kabbalah Lesson 10/8/10, The Zohar


エゴイズムがそれ自体の苦しみを引き起こしている

クリエーターが苦しみを送ることはありません。上層の光に似ていない願望が私の中で目覚め、私はこの相違(似ていないこと)を、健康、お金、名誉、権力、安心、配偶者、子供、そして世界全体に関する苦しみとして感じます。私は圧力と困苦と様々な問題を感じます。

誰に、または、何に責任があるのでしょうか? 光と反対である自分の願望にあるのです。それは苦しみの感覚を私の中で生じさせます。この感覚は光から送られてきているのではないのです。光は完全な静止状態(不変状態)にありますそれは善であり、悪人と高潔な人の両方に善をもたらします。光と似ていないのは自分です。自分の特質が光と異なっているのです。

例えば、もし私の中で10kgの願望が目覚めたとしたら、私は光とその10kg分同等にならなくてはなりません。つまり私は与えるためという意図をその願望の上に築かなくてはならないのです。そうすれば、私は自分の小さな無限世界の中に自分自身を見つけるでしょう。その後、願望は12kgに増大し、私は与えるための意図をさらに2kg分是正しなくてはならなくなります。そうすれば私は自分自身をもっと大きな無限世界で見つけることになります。このように是正プロセスは行われていきます。

私の利己的な願望は毎日大きくなっています。しかし、もしも私がその大きくなった願望を、他者とつなげ共通の魂の他の部分と一緒にクリエーターに与えようとするのではなく、ただ自分の利益のために他者を搾取することにもっと使いたいと思うのなら、私はその願望のなかに苦しみを感じます。エゴイズムはそれを包んでいる光に対する自分の反対状態に苦しむのです。私達は自ら自分たちに苦しみを生じさせているのです—それはクリエーターではありません。彼は完璧なので変わることができません。

今私は光の海に浸かっています。しかし、もし私が彼に類似しようと努力しないなら、私は今自分に明かされている考えと願望の程度にしたがって気分が悪くなります。そして明日は今日よりもさらにもっと気分が悪くなるでしょう。

自分を光に似させることをすべての瞬間において試みてください。光とは授与(与えること)および他者への愛ですそれは総結合状態です。私的な願望と個人の魂のすべては一つになり、この一つの大きな願望が光に類似するようになります。

どうやって私はこれを達成できるのでしょうか?どうやって私はこの過程の中で援助することができるのでしょうか? そのことについて考えはじめればよいのです。そうすればあなたの苦しみは解消されるでしょう。突然あなたは、光を切望していた自分の願望が本当に光に似ていることに気づくでしょう。あなたはこの点において、自分自身が光、クリエーターになったと感じるでしょう。あなたにはそのための方法と手段のすべてがあるのです。

光の力で憎しみの山の上に登る

人間とは何なのか? 人間とは、エゴイズムとすべての人に向けられた憎しみの山です。もしも光がこの憎しみの山(シナイ山)に影響を与えたとしたら、光は人をその山の上に引き上げます。

 まさにエゴイズムがあるため、人には上に登れるものがあり、そして、光の影響下で、そのエゴイズムはそれ自身を授与のために用いて、喜びを受け取れる準備が整うのです。

 光がすべてのことをするのです。人は高い世界の段階に上昇した最も高潔な人になることができますが、もし光がその人への影響を止めたとしたら、その人は瞬く間に最初のエゴイズムの中に落下します。その他の代替手段はありません。私達は利己的な人間性に制御されるか、または光によって制御されるかのどちらかなのです。

 これは永遠に続きます。だから、どんな霊的状態にいようが、常に光が自分に影響を及ぼすために、その光を手放してはならないのです。

創造主のひかりは無限です

創造主について2つ質問が寄せられました:

質問:個人の魂で創造主と一体化した段階に到達することはできますか? 又、これは他者全員の魂の助けがないと無理なことですか?

私の答え:創造主と1つになるということは、創造主との類似性を獲得することを意味します。創造主は授与をしたいおよび愛したいという願望なので、人がどれくらい創造主と同じ特質を獲得するかによって創造主との一体化の度合いが決まります。人のなかで発達する授与をしたいおよび愛したいという願望(または性質)を魂と呼びます。

質問:なぜ創造主を”ひかり”や喜びとして描くのですか? こうすることは創造主を制限された不完全なものとして見なすことになりませんか?

私の答え:“ひかり”そのものは無限ですが、全ての制限はこの”ひかり”を受取りたいという私達の願望のなかにだけ存在しているものです。

エゴイズムのブラックホールの中への最後の転落

受取った質問:どうすれば現在の危機に直面している人が、それは霊的に上昇する転換期であって終わりのない危機の深刻化ではないと理解することができますか?

私の答え:創造のすべては“ひかり”(喜び、授与のエネルギー)と“うつわ”(“ひかり”で満たされたいという願望)から構成されています。“ひかり”は私達の利己的な願望をその最終段階にまで発達させ、願望は“ひかり”によって直接的に満たされることがもう不可能になったと感じるようになります。その理由は喜びが願望を打ち消してしまうからです。例えると、喉が渇いているときに水を飲んだとき、その喜びが水を欲する願望が満たされることによってなくなるということです。

現在の危機は私達の利己的な発達が終わりにきたことを示しています。私達は“ひかり”を自分達のエゴイズムに奉仕さようと使い続けることができなくなりました。言い換えると、私達は自分のエゴが満たされなくなったことに気づきつつあるということです。そして私達は未だに欲望を満たそうと自分のエゴイズムに突き動かされながら、心の中ではそれが無駄なことであると気がついているのです。

しかしながら私達は充足がないと生きていくことは不可能です。よって私達は自分のエゴの命令に従うざるを得えません。たとえ自分の意に反してそうしているのだとしてもです。私達は好きでそうしている訳ではありませんが、自分のいる環境の影響がそれを余儀なくさせています。私達は自分の意に反してそうすることを余儀なくされ、惨めで暗い気持ちになります。これは麻薬や酒などに溺れることの原因にもなっています。

実際これは人生の全側面における危機を招いています。結局のところ私達の人生は“ひかり”を使うことで自分の利己的な欲望を満たすことをベースにしています。願望が“ひかり”の影響によって発達していた期間、私達は発達することを切望していました。私達は新たな渇きをいやすことによって充足されるとずっと信じてきました。そしてこの嘘は私達の発達を促進させてきました。

しかし願望の利己的な発達が止まるやいなや、私達はそれが空っぽであることに気がつきました。このやり方で充足を得ることは不可能であると“ひかり”は私達に啓示しています。これが私達の呼ぶ危機というものです。よって私達は自分達を誤った方向に導くことを止め、その代わりに人生を感じさせる唯一の方法は“ひかり”の特質 – 与えようとすることと愛そうとすることの意向・意図・決意 – を自分のものにすることしかないと理解しなくてはなりません。

私達の地上での発展は終焉を迎えました。そしてその証明として多くの工場は閉鎖されています。なぜなら役に立たない余計な商品はもう必要なくなったからです。ヨットの大きさや銀行預金残高の桁数が羨望の的ではなくなったのです。

人々はこの世界で自分に喜びを与えてくれるものがもう見つけられなくなりました。結局のところ、どんな星も明るさに関係なくいつかは薄暗くなります。そしてエゴイズムの最終段階というブラックホールのなかに吸い込まれながら私達も衰えつつあります。このエゴイズムは何もかもを飲み込み、なにもそれから逃がれることはできません。そのなかには暗闇だけがあるのです。

カバラの英知を広めることだけが私達に自分の性質を改善する能力を与えます。「そして暗闇は“ひかり”のように輝くだろう。」と記されているように。

経済危機とは実際は上層の光の欠如です

人が自身のエゴに奴隷化されていると感じるとき、この感覚のことを“追放(exile)”と呼びます。追放とは人生のなかでプレッシャーを感じる時のことです。それはこの世の人生から上層の人生に行く時に起こる陣痛によく似ているものです。

今日、私達が人類における様々な問題を直視するに従い、私達はこの偏在する追放の感覚が、近い将来のうちに全世界に広がり、すべての人の中で現れるようになると理解しておくべきです。これは徐々に起こります。その理由は、各自が自身の個人的な成長段階と心理段階にいるというなか、大多数の人々に起きるためです。人々が自分の欲しいものすべてを手にしていたとしても、喜びを貰いたいという利己的な願望は各自のなかで膨張し、すべての人が人生において悲惨な憂鬱、暗闇、そして不満を経験するようになります。その間、私達が直面する不幸は徐々に質的なものになっていきます。

しかしがら、それらの不幸は失業と食料不足というものではなく、その全く逆で、それらは私達の心理的な部分で生じます。人は自身に新しい活力を与える手段を失い、常に不満を抱えるようになり、絶望感に襲われます。

現在の諸問題はすべて物質的なレベルで起きているように映っているかもしれませんが、実際のところ、これらはスピリチュアルな問題であることが後に明らかになります。結局のところ、創造の目的とは全ての人をクリエーター(授与と愛における特質または力)と類似するレベルまで発達させることなどです。

もし個人の中で“心の中の点”―スピリチュアリティに対する欲求(授け与えることに対する欲求です。他の“スピリチュアリティ”の定義と混同しないでください)―が目覚めていないのなら、その人は全ての現象を自分の肉体の存在を通じることでしか理解できません:食べ物、家族、社会の状態など。よってそのような人は現在の諸問題がスピリチュアルなものだとは認識できません。

たとえ個人に欠けている喜びがスピリチュアルなものであったとしても、それが自分に欠けているものだとその人が理解することは不可能です。唯一、肉体的な人生において何か悪いことが起きたときに、その人はスピリチュアリティの欠如が自分の気分がよくないことの原因だと理解しはじめます。このようにしてエゴイズムは私達の中で4段階(無生物、植物、動物、人間)にそって徐々に膨張し、動物の段階がスピリチュアルな段階を出現させるのです。

これは、なぜ世界全体が経済危機状況にあるのかということの理由です。なぜ危機が特に経済的なものなのでしょうか。これら全てのことと経済に何の関係があるというのでしょうか。実際のことを述べると、私達の全員が理解できる言葉はまさに経済のことしかないからです。しかし実際には、それは「ひかり」の欠如です。

上層の光とは何か?

受け取った質問:カバラは科学であるとあなたは言います。これは妥当でしょう。授与と受け取りという2つの自然の力。すべての自然は授与以外の何ものでもなく、人間が均衡を崩壊させる自然の中の唯一の要素であって、不均衡をつくりだし、これが私達の苦しみの原因になっている。

ここまでは全ていいとしましょう。しかし、ついに私達がその均衡を修復するという箇所になると、あなたは「Ohr Makif(包む光・Surrounding Light)」と言います。ふうむ・・・。なんらかの光がどこからともなく来て私を是正する。そして、私が最も困惑するのは、この光が書物から来るということです。お願いします、「ひかり」が何であるのか、明確かつ現実的に説明又は定義してくれませんか? 私はカバラが、力、自然、願望等々についての科学であると考えていました。私の認識では、「上層の光(Upper Light)」とは科学的な専門用語ではなく、何か奥義的なものに直結します。この概念をもっと理にかなったもの、理解可能なものにしてくれませんか? 私達を是正するこの力とは何ですか? これは授与の力ですか? そうなら、何故それは「Ohr Makif」と呼ばれるのですか? どうしてこの「光」が私達の発展(進化・発達)の道において、苦しみを回避させることができるのですか? それは物理的な光と何か関係がありますか?

私の答え:もしも私が、科学好きのあなただったら、“Preface to the Wisdom of Kabbalah”(Pticha:カバラの英知の序論)を勉強するか、又は、Talmud Eser Sefirot(10個のセフィロートの研究)でさえも勉強し始めるかもしれません! これらのテキストは、スピリチュアルな概念を科学的な言葉で説明します。第一に、 願望・欲望について。第二に、「自分自身の為」という意図を「クリエーターの為」という意図に成るように是正することについて。第三に、 意図の是正された程度にまで、光・喜び・クリエーターによって満たされるということについて。カバラには、これら以外に何もありません。

Ohr Makif(包む光・Surrounding Light)とは力であり、それは私達の切望する、より是正された状態から私達に影響を及ぼします。それは以下のようにあなたの切望に反応します:それに対するあなたの切望の強さと同じ程度にまで、あなたをより高く、より愛他的な状態に引き寄せるのです。これはあなたの願望にある2つのベクトルの相互作用です。私達の世界にも、これと同じような力の相互作用は、人が新しいものを切望するときに存在します。その違いとは、スピリチュアルな切望の場合では、あなたを新しい状態に引き寄せる力が、「光」と呼ばれるものであるということです。その理由は、それがあなたに対する影響を通じてただあなたを引き寄せるのでなく、あなたを変化させ、スピリチュアルで愛他的な新たな状態のように成らせるからです。この光の力と、この世で見られる新たな状態に引き寄せる力の違いは、私達の世界の力には、あなたを何かに引き寄せるのに、あなたを変化させる必要がないということです。