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魂は私達の内側にあるのか、それとも外側にあるのか?

受け取った質問:あなたはゾハールの書に記されているすべてのものを、私達自身の内側で発見しなさいと述べました。しかし、ゾハールは魂の是正についてしか述べていなく、また、私達はスピリチュアル・ワールドに入った時にしか魂を獲得しません。なら、どうすれば外側にあるものを、自分自身の内側で是正できるのですか?

私の答え:本当ですね。私達は時々スピリチュアリティーが私達の外側に存在しているといいます。その時の“私達の外側”とは“私達の欲望・願望の外側”という意味です。実際に、自己のすべては受け取りたいという欲望、自己満足したいという欲望です。したがって私はスピリチュアリティーが喜びを受け取りたいという欲望の外側に存在すると言うのです。

私達は距離や空間について述べているのではなく、特質について述べているのです。受け取りの特質に関していうと、そこにはスピリチュアリティーはありません。スピリチュアリティーはその外側にあるのです。したがって、私が“私達の外側”と言うとき、私は“現在の欲望の外側”を意味してます。

一方、私達はスピリチュアリティーが私達の内側に存在すると言います-現在の欲望よりもずっと深いところです。もし私が、食べ物、セックス、家族、お金、名声、そして権力に対するつかの間の欲望を貫通するなら -内側へどんどん深く行き、より内面的で、個人的で、重要で、永遠で果てしない欲望の中に入るのなら- 私はそこでスピリチュアルな世界とスピリチュアルな欲望を見つけます。

このスピリチュアルな欲望は、“心の中の点(point in the heart)”と呼ばれ、それは現在の自分の中で明かされている最も内部にある欲望です。なぜそれは、最も親密で偉大な欲望なのでしょうか?それがそうである理由は、その崇高な水準にあります。結局のところ、私達は全人生の目標と目的、そして人生が終わった後に何が残るのかということについて語っているのです。これらの最も親密で深い問いはその一つの点の内側に隠されています。

カバリストは「現在、それは単なる点である」と伝えます。しかし、私達がゾハールの書を読み、この点の内側を“掘る”とき、その内側に世界の全部-クロコダイル、家、星、太陽、月、人々、邪悪な人、高潔な人-が存在することが明らかになりはじめます。

この点は広がりはじめ、突然私達はゾハールが最も多様なスタイル-カバラの言語、物語の言語、歴史小説の形式、または、法と戒律を描写する形式-で説明するすべてのものがその内側にあることを発見します。ゾハールの書の全部は、この点の内側で何が起きるのかということだけについて述べられており、それを毎回特別なスタイルで表現します。

したがって、私はゾハールの書を読み、それが語っているすべてのことを自分の内側で認知したいのです。結局のところ、カバリストは「この点の内側に人の永遠的な部分がある」と言います。肉体は死んで分解しますが、この点はなくならずに残ります。したがって、それを明らかにすることは報酬になります。さらに私は次のように教えられます。「もしこの点を認知し、広げ、スピリチュアルなものをその内側で少しだけでも明かしはじめたなら、人はこの感覚とともに留まり、生と死はその人にとってなくなる」と。

この理由は、あなたが今すぐにでもこの点で自分自身を確認しはじめることができ、その内側に生を見るからです。このスピリチュアルライフは、あなたの欲望と強い願望のすべてがそこに濃縮されているように、あなたを捕らえ、あなたの注意を引きます。このため、あなたはこの肉体的人生に対し、それをより発達させて、あなたの心の点を明かし広げられるという程度にまでにしか、重きをおきません。

その次に、あなたはこの点がどんどんと大きくなる様子を突然見はじめ、その内側に現実の全体を明かします-以前まで感知できていなかった内面的な次元です。最初あなたは自分の内側に心の中の点があるとは感じませんでした。そして、そのあとでそれを感じました。今やあなたはその内側に世界全体を突然明らかにします。そこはあなたが永遠に存在しているところです。

人生、死、そして魂について

魂(ソウル)についての質問:

質問:体が死ぬと魂はどうなるのですか。

私の答え:魂は“創造主の一部”です。そして創造主は授与(授け与えること)と愛の特質です。よって、この“隣人への愛”の特質が人に現れるとき、その人は魂を獲得するのです。しかし、その人がこの授与と愛の特質を獲得するまでは、彼には魂が無く、動物と同類です。これが、なぜカバラの文献に次のように記されたことの理由です。「あなた達皆が動物に似ている」、「ひとは小さな動物として生まれる」などなど。

人は上層の光の影響下でのみ授与と愛の特質を獲得できます。上層の光とは人のエゴイズムを是正する力です。この光は包む光(Ohr Makif)または創造主と呼ばれます。その理由はその光は私達を包み込み、私達はその中にいるからです。「創造主はイスラエルを浄化する水に似ている(Mklve Israel Hasham)」イスラエル(の語源)とはYashar-el。その意味は創造主を切望する人、授与と愛を切望する人です。

これは何を意味するのでしょう。人は自分の生まれもった様々なエゴイスティック(利己的)な性質で世界を見ているということです。人が授与と愛という愛他的(利他的)な特質を得ると、その特質の中に上層世界を感じます。これはその人が魂を獲得するという意味です。

いったんこの特質を獲得すれば、たとえその人のエゴイスティックな特質が消滅してもそれが失われることはありません。言い換えると、たとえその人の体(私達が感覚のなかで感じる物質)が死んだとしてもその特質は失われないのです。その理由は創造されたものはただ1つ、欲求(願望・欲望)しかないからです。すべて存在するものはこの欲求のなかで認知されます。もしもその欲求が“自己の為”という意図・意向(intention)を持つなら、人は“私達の世界”または“この世界”を認知します。もしもその欲求が“隣人の為”という意図・意向を持つなら、人は上層世界または創造主を認知します。

私達の肉体の誕生、人生、そして死は私達のエゴイスティックな欲求における光の出現と消失いがいのなにものでもありません。その一方で霊的な誕生は、授け与えたい欲求、そして自己の外側を愛したい欲求の出現です。(それは自己の為ではない行動をすること、または利己的に快感を得るためでないことです。)

授与したいという欲求は、私達が肉体やこの世界を感じることに使う利己的な欲求から独立して存在します。よって、体か死ぬときにこの世界の感覚も消えます。残るものは愛他的な欲求と上層世界の感覚です。

質問:どのようにして魂は、脳の機能なしに“見”たり、“感じ”たり、そして“認知”するのですか。

私の答え:私達はすべてのものを欲求のなかで感じます。脳は、私達が見るもの、むしろ私達が欲求するもの、を識別する手助けになるだけです。

質問:記憶と認知機能を失うアルツハイマー病に苦しむ人の魂が死後にそれらを取り戻すことは、本当に可能ですか。

私の答え:人がいったん授与の特質である魂を発達させれば、それが無くなることはありません。

質問:まだ魂を是正していない赤ちゃんや幼い子供たちが若くして亡くなることが起きるのは、なぜですか。

私の答え:その運命の期間だけを存在することでも、彼らは霊的発達の一部を是正します。