'心の点'

新しい世界への窓

人は生まれつき自分のみを愛します。これが私たちの本性であり、どうすることもできません。私たちはその中で生き、それから踏み出すことはできないのです。私たちの全ての行いは自分のみのためです。さもなければ前に進めません。そのため、私は自分の本性に逆らい、それを変えてくれる外からの力が必要なのです。

私の全ての思考やエネルギーは自分を満たし、安楽を得るために働いています。しかし、私の中に自分の本性から外へと押す一点があり、動物のレベルから上昇し、クリエーターへと到達、つまり人間のレベルを獲得させるのです。私の中のこの点のみが人間のレベル、クリエーターのレベルに属しています。なぜなら“人”はクリエーターと同類であるからです。

私は完全に物質的世界に属していますが、この一点だけはスピリチュアルに属しています。もしそれが目覚めなかったら人間はただこの世界で生き、それ以上の何かに感づきません。彼はこの物質的な人生で満足します。しかし、もしこの点が彼のハートで目覚めると、この世界に居心地の悪さを感じ、それから上昇しようと努力するのです。彼は二つの力から影響を受けます:一つは物質的世界から外へと彼の背中を押し、片方は前から、霊的世界から引き寄せられるのです。

自分自身(人のエゴイズム)を放棄し、自分の本性を乗り越えなければクリエーターとの結合には到達できません。私はどちらかの性質と関わりたいのかを決めなければなりません:クリエーターの性質か、それとも創造物のそれか、つまり、授与か受け取るかをえらぶのです。

与えることは私たちの性質とは正反対なため、物質的から霊的へと移行する方法は一つしかありません;それがカバリスティック・グループです。グループは計りしれない力をもっています。なぜなら私たちは一緒に努力して、全員が人が生まれてきた目的を成し遂げるのを妨げる、利己的な願望を取り消すからです。その目的とはクリエーターに似通うことです。クリエーターとは授与の力、愛、そして自己の無効です。これがために私は、自らの性質を反転させることを可能にしてくれる“こて”のような働きをするグループを、外面的な異質の力として必要とするのです。

この力が偉大になり活気づくには、グループは団結して、スピリチュアルな目的を果たす願望に燃えなければなりません。そうしたら、その中の全員がこの力を使うことができ、自己愛への服従から自由になれるのです。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 5/20/10, Article “The Purpose of the Association –2”

魂は私達の内側にあるのか、それとも外側にあるのか?

受け取った質問:あなたはゾハールの書に記されているすべてのものを、私達自身の内側で発見しなさいと述べました。しかし、ゾハールは魂の是正についてしか述べていなく、また、私達はスピリチュアル・ワールドに入った時にしか魂を獲得しません。なら、どうすれば外側にあるものを、自分自身の内側で是正できるのですか?

私の答え:本当ですね。私達は時々スピリチュアリティーが私達の外側に存在しているといいます。その時の“私達の外側”とは“私達の欲望・願望の外側”という意味です。実際に、自己のすべては受け取りたいという欲望、自己満足したいという欲望です。したがって私はスピリチュアリティーが喜びを受け取りたいという欲望の外側に存在すると言うのです。

私達は距離や空間について述べているのではなく、特質について述べているのです。受け取りの特質に関していうと、そこにはスピリチュアリティーはありません。スピリチュアリティーはその外側にあるのです。したがって、私が“私達の外側”と言うとき、私は“現在の欲望の外側”を意味してます。

一方、私達はスピリチュアリティーが私達の内側に存在すると言います-現在の欲望よりもずっと深いところです。もし私が、食べ物、セックス、家族、お金、名声、そして権力に対するつかの間の欲望を貫通するなら -内側へどんどん深く行き、より内面的で、個人的で、重要で、永遠で果てしない欲望の中に入るのなら- 私はそこでスピリチュアルな世界とスピリチュアルな欲望を見つけます。

このスピリチュアルな欲望は、“心の中の点(point in the heart)”と呼ばれ、それは現在の自分の中で明かされている最も内部にある欲望です。なぜそれは、最も親密で偉大な欲望なのでしょうか?それがそうである理由は、その崇高な水準にあります。結局のところ、私達は全人生の目標と目的、そして人生が終わった後に何が残るのかということについて語っているのです。これらの最も親密で深い問いはその一つの点の内側に隠されています。

カバリストは「現在、それは単なる点である」と伝えます。しかし、私達がゾハールの書を読み、この点の内側を“掘る”とき、その内側に世界の全部-クロコダイル、家、星、太陽、月、人々、邪悪な人、高潔な人-が存在することが明らかになりはじめます。

この点は広がりはじめ、突然私達はゾハールが最も多様なスタイル-カバラの言語、物語の言語、歴史小説の形式、または、法と戒律を描写する形式-で説明するすべてのものがその内側にあることを発見します。ゾハールの書の全部は、この点の内側で何が起きるのかということだけについて述べられており、それを毎回特別なスタイルで表現します。

したがって、私はゾハールの書を読み、それが語っているすべてのことを自分の内側で認知したいのです。結局のところ、カバリストは「この点の内側に人の永遠的な部分がある」と言います。肉体は死んで分解しますが、この点はなくならずに残ります。したがって、それを明らかにすることは報酬になります。さらに私は次のように教えられます。「もしこの点を認知し、広げ、スピリチュアルなものをその内側で少しだけでも明かしはじめたなら、人はこの感覚とともに留まり、生と死はその人にとってなくなる」と。

この理由は、あなたが今すぐにでもこの点で自分自身を確認しはじめることができ、その内側に生を見るからです。このスピリチュアルライフは、あなたの欲望と強い願望のすべてがそこに濃縮されているように、あなたを捕らえ、あなたの注意を引きます。このため、あなたはこの肉体的人生に対し、それをより発達させて、あなたの心の点を明かし広げられるという程度にまでにしか、重きをおきません。

その次に、あなたはこの点がどんどんと大きくなる様子を突然見はじめ、その内側に現実の全体を明かします-以前まで感知できていなかった内面的な次元です。最初あなたは自分の内側に心の中の点があるとは感じませんでした。そして、そのあとでそれを感じました。今やあなたはその内側に世界全体を突然明らかにします。そこはあなたが永遠に存在しているところです。

“心の点”と向かい合う

誰でも、最低でも一生のうち一度は、“心の点”の目覚めを経験します。しかし、普通の人は、自分の嫌な気持ちや空しさが地上的な原因からきていると思っています。人はその原因が、自分の中で魂が目覚めていて、成長したいことを自分に要求しているのだとは理解しません。

 大抵の人々は、様々なライフサイクルで送られて来るこれらの瞬間に注意を払いません。彼らはこれらの瞬間が魂の成長をはじめるように彼らに促がしているとは理解しません。彼らはそれどころか、それらがありふれた現実的な原因によるものだと思っていて、高尚な目的によるものだとは思わないのです。

 しかしながら、人が何度もこのように呼び覚まされると、自分が嫌な気持ちでいる理由を理解するようになります。この気づきのことを“悪の認識”と呼びます。人は、自分の嫌な気持ちの原因が空しさにあるのではなく、自分の偽りと自分に真実が欠如していることにあると気づきます。人はあまりにも強くこれを感じ、真実を聞く準備ができます。それがどんなに苦しいことであったとしても。

 その後人は、不満に耐える覚悟ができ、真実に近づくために自分のエゴイズムを制限することを選ぶようになります。人が難しい疑問で頭を悩ませているとき、そして精神的な重荷や無力感を感じるときは、それが魂の啓示の始まりであると理解しなくてはいけません。この時点で人には魂を発達させること以外に、選択肢はなくなります。なぜなら、そうしないことが苦しみをただ長引かせることになるからです。