Entries in the 'マクソム' Category

マフソムを渡る

受けた質問:“マフソムを渡る”とはどういう意味ですか?

私の答え:マフソム(私たちを霊性から隔てている障壁)を渡るという意味は内側の現実を感じることです。“ハートの中の点”が現れ、最小限の“量”(10個のセフィロート)を手に入れます。これらのセフィロートの中で私は新しい現実を知覚して感じます。私は光がどのように自分に入り出ていき様々な感覚を引き起こすのか感じます。それは意識と理解の中の最小の変化に始まりますが、私は“内側”で何が起こっているのかを見ることが出来るのです。私達の世界に関しては、私はそれを新しい(霊的)世界の背景に見始めます。

そのような存在における二元性は障害になりません。それどころか、それは私に二つの世界、つまり枝と根の関係性を感じさせて理解させてくれます。自分のハートの中の点の内側で私は様々な行為、それがどんなに小さな行為であろうとも感じます。私は未だ光が入り、出て行くという意味を理解できませんが、私は何かが何度も来て去ることを感じます。感じるけど何が起きているのか分からない新生児のように、私は未だ正確に何が起こっているのかを理解しません。

光がついたり、消えたりしていると仮定してみましょう。新生児はそれが光と闇と呼ばれていることを知らずにただある現象を観察します。私には、光が入り、出て行くにつれ、それは(光が入るにつれて)上層の世界の感覚を与え、そして私たちの世界は(光が出て行くにつれておこる)単なるそれの印象なのです。さらにいうと、私は類似した特質を発達させる私の能力の度合いまで、その中でどんどん順応し始めます。

From Mega Congress Lesson 5, 7/25/10

授与への道の、心理的な障壁

スピリチュアルの目標を目指す道には、心理的な障壁があります。もし私が授与を獲得したいのであれば、私は授与の仕方、それ以外のことを尋ねてはなりません。尚又、これは自分のエゴイスティックな思考と願望で定義された授与ではありません。つまり、私は自分の現在の理解力の内から何かを要求することは出来ないのです;それは本当の授与と霊的状態の正反対となるからです。私が霊的状態へ移行し、霊的な特性を受理してのみ、私は新しい思考と、新しいハートでそこを調査し始めることが出来るのです。そうしたら、私は授与の願望の内で感じ、理解するのです。

私は単純に、授与のことを自分の利己的な願望の中からでは知ることが出来ないのです;それは無理です。実際に、霊性に入る第一の段階を“Machsomを渡る”(マクソム:霊的世界の前にある障壁)と呼ぶのは、正にこの理由からです。授与の性質の認識は、現在私の願望の中で起こっていることから全く切り離されていています。それなので、私が授与の性質を要求することは、理性を超えている(自分の現在の理解力を超える)のです。私はただ、この特性を、それの意味を分からなくても、どうしたら受け取れるのかを知りたいのです。現在、私はそれとの繋がりが全くありません、接点もなければそれを試す能力もありません。私は単にそれを、どのような形態であっても、上層から与えられるがままに受け取るのです。

そのような態度は真面目で、発達した、知性のある人に相応しくないと思われますが、しかしながら、それは全くの反対です。高度な知覚力、思考を持ち、私たちが体験するする全てのプロセスを会得している者たちは、自分のエゴイズムを調査し、私たちがそれに、どれだけ完全に制御され、奴隷にされているのかを分かっています。彼らは、自分たちの現在の願望と利己的な、制限された認識力と知力を切り離し、それを超越する以外に選択はないと理解しているのです。

そのため、レッスンの間、私は光が自分に作用することだけを求めるのです。それが私に何をするのかは構いません。私はまるで、何も理解しないで母親の腕の中に横たわり、彼女に完全に身を任せる幼児のようなのです。私は、このような上層の者への献身と無効を成し遂げなければいけません。“私を治して!”私は懇願します。これ以外、私は何も頼みません。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 6/2/10, The Zohar

マクソム(障壁)への攻撃は精神界の中への誕生です

受け取った質問:あなたは何度か“攻撃”の概念について言及しました。私達は誰を、または、何を攻撃しているのですか? この状態に今ここで、特にこのコングレスで到達できますか?また、それをするためにどう互いを助け合うことができますか?

私の答え:実際、スピリチュアル・ワールドは攻撃を通じて達成されます。それは上層からの圧力の直後に下層からの圧力が生じるときのことです。スピリチュアル・ワールドの中へと渡ることは、子供の誕生に似ています。胎児は成長すると、頭を逆さにして生まれてきます。

逆さにするということは、人の自分自身と世界に対する観念を完全に変えることを意味してます。より重要なことと余り重要でないことの位置が入れ替わるのです。逆さまにするという意味は、人が価値観を変えるということです。これを行う覚悟ができれば、すぐにスピリチュアルな誕生は起こります。言い換えると、人(胎児)と母親(クリエーター)の両方から、圧力(プレッシャー)がなくてはならないということです。

私達が上層の段階に似るようになろうとする試み、および友達との間に正しい結束状態を見つけようとする試みを通じて、私達は陣痛(Tsirey Lida)にも似た上層からの圧力を引き寄せます。ヘブライ語の“収縮・攣縮”という言葉(Tsar, Tsirei)は、“狭い”という言葉(Tsar)に語源があります。この意味は出産の攣縮(つまり陣痛)がとても狭くて苦しい状態をつくるので、私達がマハソン(障壁)から押し出されてスピリチュアル・ワールドの中に入るということです。

マハソンは狭い所で、そこを通って人が誕生します。よって、私達は“狭い”状態や苦しみを恐れるべきではありません。私達は単に自分達を逆さにして誕生すべきなのです。

(ユーラシア・コングレスにてのレッスンより 2009年10月23日)