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カバラに於けるイエス・キリストの居場所

受け取った質問:あなたが世界に提供する情報は強く心を捕らえます。私の家族全員はキリスト教正教徒で、私は子供の時から聖書と新約聖書を読んできました。私の質問は:あなたの科学の中のどこにイエス・キリストは居るですか? これは何よりも私を心配させ、あなたの方法に於いて唯一懸念を引き起こすものです。

私の答え:彼(イエス・キリスト)は不在です。なぜなら私の教えは3人の主要なカバリストに基づいているからです:ラシビ(ゾハールの書)、アリ、バール・ハスラム。他の科学と同様、カバラはどんな宗教とも関係がありません。カバラは第六感、つまり是正された欲求、を通じて知覚され調査される力の物理学です。

その一方で宗教は、上層の光を用いて自身のエゴイズムを是正することについてではなく、ある特定の行為および儀式を私達の世界で実行することについて言及します。しかしながら、全ての宗教はこの行為(上層の光を用いて自身のエゴイズムを是正すること)がその宗教のおかげであると望んでいます。

終わりのない道

バール・ハスラム「ゾハールの書の序章 第55項」:これは彼が、彼自身の受け取る意志の純粋さの程度に従って、NRNHYと呼ばれる、光と魂の段階を達成するからである。そして彼が達成する段階それぞれにおいて、その段階の光が彼の浄化を助ける。このようにして、彼は、創造の思想の最終目的の楽しさを達成するまで、各段階を上昇する。

質問:「与えるために受け取る」レベルは、全ての魂にとって重要ですか?

答え:イエスでもありノーでもあります。それは(魂の)合体によって間接的に達成されることも可能です。なぜなら私達は、完全で統合された一つのアナログなシステムについて話をしているからです。そのシステムの中では、全ての人が他の全ての人に繋がっており、ホログラフィー画像のように全ての人の中にシステム全体のパターンが存在しています。

重要な点は、この画像の中で私の役割は何か、ということです。私はこの全体的な「身体」において、「脚」なのか「頭」なのか「心臓」なのか、それとも他の器官なのでしょうか?私は確実に全てを達成するでしょう、しかしまた私は独立して操作することにより、このシステムの私の役割部分を活発に達成します。

私は私自身の欠乏を持っており、また他の全ての人から獲得する欠乏もあります。私の要因に由来する私自身があり、そして他の全員が存在します。そのため私達の達成は全く同じものではありません。全ての人が、一個の全体として、システム全体を達成し、アイン・ソフ(無限)の中に存在します。しかし同時に、全ての人が、誰もが異なる開始点にいるために、他者を「妬み」ます。このことも仕事と是正を要求します。

その後、私達は、しばらくの間私達はそれについて何も知らない、あるレベルに上昇します。発達は続き、どこかで消えます。器は成長し私達の知らない何かへ変化しなければならないでしょう...

質問:なぜ人は創造の思想を達成しなければならないのでしょうか?

答え:なぜなら、それが上層のクリエイターの欲求だからです。創造の思想とはクリエイターです。

私達の言葉は不正確ですが、私達はそれを使わなければなりません。クリエイターと呼ばれる、達成不可能なリアリティがあると言われています。彼は達成不可能です。しかし創造の思想が存在し、それは私達に対する彼の態度を意味します。

彼の私達についての思想の結果として、何かが成されました。彼は受け取る欲求を創造し、それについて様々異なる事を成しました。しかしポイントは私達はこの受け取る欲求に留まるべきということではありません。欲求と光は唯一の2つの属性-受け取りと授与-です。彼は、最終的にはそれら両者の上に私達を上昇させるために、それらを選択しました。

これは私達が受け取りの上に上昇するだけでなく、授与の上にも上昇することを意味しています。なぜなら誰も他者無しには存在できないだろうからです。私達は彼の創造の思想を理解し、今日私達が語ることができないものまでより高く上昇しなければなりません。なぜなら私達はそれが何か知らないからです。

これは私達を未知の終わりへ導く達成の道です。私達の欲求において、それより高い何ものも達成することはできません。ここで私達はギマール・ティクン(是正の終了)を超えたものについて話しています。そうだとしても、私達はこれが真にクリエイターに相応しいゴールの場所であることを理解しなければなりません。私達が通過するプロセスを明らかにすることによって、私達は、彼の私達に対する態度は彼の存在するレベル以下ではなく、それについて私達は何も知らない、と言わなければなりません。というのも私達の枝が派生するところの根でさえ、それから引き出されてはいないからです。

それで、これを知ることで、私達はまた今日私達がどこにいるかを理解すべきです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/01/12, “Introduction to the Book of Zohar

いくつかの基礎概念

クリエーターは、アダム・ハリション(Adam HaRishon)の共通魂(common soul)と私達が呼ぶ、全魂の繋がりの内側に存在しています。その共通魂の各部である私達が、お互いに繋がりはじめるとき、私達はその破壊された魂のシステムを是正してよみがえらせます。そうすることで私達は、人体の中の臓器が無数の繋がりを通じて繋がっているのとまったく同じように、すべての部分が相互に連結する多次元のネット(網)を作りあげます。

魂の繋がりは、かつて、クリエーターに与えることのために存在していました。その状態のなかで、すべての魂は“1つの心を持った1人の人(one man with one heart)”として、1人のクリエーターのために繋がっていました。これが次の節の意味です。「彼と彼の名前は1つである。」これは、無限の世界のなかでクリエーターと創造物が1つの総体を成していた状態を指しています。しかし、この繋がりは破壊されました。すべてのひとが愛他的な意図を失ってしまったからです。この結果としてクリエーターは消え去り、光の感覚も同様になくなりました。

魂が互いとの繋がりを失ってしまったこの状態が、“破壊・崩壊(the breaking)”または、(スピリチュアリティーからの)“追放(the exile)”と呼ばれるものです。これが私達の現在の状態です。このシステムの内部にいるすべての人は分断された個人であり、自分の小さな世界しか知覚できません。その人はスピリチュアル・ワールド(霊的な世界・精神世界)を知覚しません。なぜなら、それは私達の繋がり(絆)のなかでしか知覚できないからです。私たちのあいだに繋がりがないとき、私達は物質世界だけしか知覚しません。

上記から読み取れる基礎概念:

・魂がお互いに利己的に-自分自身のために-繋がっているとき、彼らはこの世界を知覚します。

・魂がお互いに授与(与えること)をするために繋がっているとき、その繋がりの内側にスピリチュアル・ワールド-来世-を明かします。

・お互いとの利己的な繋がりの内側で私達が明かす生が、私達の現在の物質的な人生です。

・お互いとの正しい繋がりの内側で私達が明かす生が、クリエーターの啓示と呼ばれるものです。私達は自分たちの周りにある空気を感じるのと同じように、上層の力-クリエーター-を感じるでしょう。彼は私達を宇宙の他の部分と繋げるでしょう。

したがって、すべては私達の互いとの繋がりにかかっています:それが利己的なものであるのか、それとも授与(与えること)のためであるのかということです。

私達は約一ヶ月後にイスラエルで開催される大規模なコングレスに集まる予定です。イスラエルはまさに破壊が起きた場所であり、最初に是正されることが必要な場所です。したがって、このコングレスは私達全員と全世界に影響をもたらすほどの、非常に強力なものになることができます。なぜなら、私達は授与の特質をもたらし、それを利己的な欲望により近づけさせるからです。

現在私達が学習しているゾハールの助けを借りて私達が結びつくことを願いましょう。ゾハールとは手段であり、それを通じて私達は改善させる上層の光を呼び寄せ、私達を繋げることができるのです。

ネガティブをポジティブにする

カバラの道を歩みはじめるとき、現実に対する私達の知覚が、内面の世界と外面の世界に分かれていることを徐々に理解するようになります。その外面の世界または外側の世界は自分たちと無関係であるように見えます。私達はその結果、例えば自分の子供を見る母親のように、外側の世界に対して優しい目を持ってすべてがすばらしいとは見ません。

しかし実際には、私達が二重の知覚をもつように創造されたことは有益であり、私達に自分たちのエゴイズムを外側に在るものとして扱かえるようにさせます。こうして、私達のエゴイズムに関連する過ちと堕落を、私達は知るようになり、突然それすべてが私達の内側にあるものと認識します。私達の外側で見られるすべての悪が、実は私達自身のものであると実感することは、本当に驚くべきことです。なぜなら、それは私達の焦点を、外側を是正しようとすることから、私達自身を是正したいと思うことへと、向けなおさせるからです。

この二重の知覚は、“無から”発生した創造の点と、光との間にある最初の対立から起こります。この対立が私達の知覚を二つの部分-内部と外部-に分裂させるのです。言い換えると、私達は自分たちを(あたかもそれが自分たちではないように)外側から見ているのです。そしてすべてを自分たちの内側で吸収するのです。しかし、自分たちの外側にあるものとして知覚された憎しみと悪が、実は私達自身のものであると認めるとき、私達はそれを魂の最も小さな閃き(心の中の点)に繋げ、その結果、クリ(Kli-器・容器)が是正されます。

それはネガをポジにする写真の現像と似ています。私達の見解を変えるほかに必要なことはありません。そしてこれによって、私達は“反射される光(the Reflected Light)”と呼ばれるものの中にすべてのものを見始めます。

私達の知覚は、音、味、視覚的映像、におい、そして他の身体的センサーを用いて造られます。さらに、私達の知覚は、食べ物、セックス、お金、権力、そして知識にたいする欲望のレベルも明示します。これらは私達の内側で明らかにしなければならない“外的な充足”です。したがって、私達のケリム(Kelim-Kliの複数形)だけでなく、光に対しても同じ原理を応用することができます。今のところ、これを理解することは困難ですが、スピリチュアリティーを感じはじめるにしたがって、このように世界を感じることができます。そうすればすべてが明白になります。

ゾハールの書は皿洗いしながらでも作用します

私達はゾハールをただ読むだけで、正しい感覚と必要な要求に到達します。なぜでしょうか?

私達は一方でその光の源にたいして正確に照準を定めないかぎり、また、この光線の中に入って集団の願望に到達する為に他のすべてのひとと団結しないかぎり、成功することはないと学びました。その条件に関しこれは正しいことです。しかし、もう一方で私達が学習し努力し様々な状態を体験する時、その間に光が私達に働き影響を及ぼします。

私達は“浄化すること”で時間を加速することができ、これがベストです。しかし、どんな場合やどんな状況、たとえ主婦が家での雑用に仕えてお皿洗い(ヘブライ語のお皿のことも“ケリム”と呼びます)をしながらでも、その間に私達のテレビチャンネルかインターネットのゾハールの放送を聞いているのなら、その人は自分のスピリチュアルなケリムの世話もしてることになります。

このようにこの本は作用するのです。私達に必要なものは辛抱だけです!

一人で達成できることは何もない

私は自分一人では、存在していません。全魂の単一体と呼ばれるメカニズムに自ら自分自身を注ぎ込んでやっと存在するのです。この理由から私はゾハールの書を通して自分自身を開きたいと思っているのです。なぜならゾハールの書の力が、まだ私に無縁に見える自分の全部分を繋げるために送られてくるからです。

ゾハールの書は厳密にこの為に意図されたものであり、この使い方以外に自分がその一筋の光の下に来ることはできません。この光線はレーザーのようにとても細く、1ミリでも向きを変えればそれを見ることはできません。その光線を影響を受けるには、この光線のなかに正確に居なくてはなりません。

カバリストは私達にこの条件についてつぎのように説明します。もし私達がすべての魂と正しい方法で繋がったなら、私達は私達自身をこの光線のなかに置くことになる。団結が崩壊すれば、すぐにすべての人が崩壊し、全方向に散らばる。この光線の他に私達を団結させれるものはない。

これはスピリチュアルな梯子のすべての階で起きることであり、私達はこの光線に沿ってでしか、それを登ることができません。私達がお互いのことを離してしまえば、すぐにすべてのものは崩壊し、その一筋の光は私達を団結できなくなります。私達の団結を保存できる力はこれにしかないのです。よって、この団結の為に私達はこの光を引き寄せることを願うのです。私達が繋がるにはクリエーターが必要であり、これはこの“改善する光”を引き寄せなくてはならないことを意味します。

どのようにして私達はこの団結を感じることができるのでしょうか? 私達はゾハールを読んでいるあいだにこの団結を要求しなくてはならず、ゾハールはこの団結を私達に与えなくてはなりません。これが、なぜカバリストがこの書物を書いたのかということの理由です。そして私達には次のことを尋ねる権利があります。「私達は望もうが望むまいが、団結することになっています。しかしその団結とはどこにあるのでしょうか? なぜゾハールは私達に効果をおよぼしていないのでしょうか?」と。もし私達の全員がこのことを一緒になって考えたなら、それは大きな関心事になり、私達はひと時も忘れることができなくなるでしょう。そうすればそれは成功します。しかし一人では、私達のだれもがなにも達成することはありません。

自分の質問の答えをどう見つけるのか

受け取った質問:なぜ私達はカバラの知恵の(勉強の)ために選ばれたのですか?また、なぜそれが他の人達ではないのですか?

 私の答え:人がそれを知ることはありません。人が世界と魂の全体系を明かした後にならないかぎり、この体系での自分の役割と、なぜ自分のなかにクリエーターのようになりたいという願望がこの特定の時期に目覚めたのかということを理解するようにはなりません。この目覚めとは魂のことです。

 しかし、この意味は現実の全領域を明かした後にしか人に来ません。この理由から、カバリストは「いちど起こされたなら、目を覚ましなさい。いちど心の点を与えられたなら、それを実現しなさい。」というのです。その後になってあなたは質問の答を受け取るでしょう。

 私達の物質的な状況についても同じことが言えます。なぜ私は自分の両親のもとで生まれてきたのか?なぜ私はこの特定の肉体でこの時代に生まれてきたのか?というようなことです。これらの質問の答えも私達の人生にはありません。しかし、カバラは私達に全体系を到達させて答えを見つけさせる能力を授けます。

 (北米コングレス ニューヨーク州 バッファロー 子供達のレッスンより)

“召使い”が権力を握っているときの世界の運命

カバラの科学の知識が世界の国々に伝わったとき、それは世界の発展を奨励し、同時に多大な損害をもたらしました。今日までカバラはイスラエルの人々の中で特別に選ばれた人にだけ開示されてきました。しかしそれが世界に開示されたとき、人々は宇宙の構造体系を利己的に会得しはじめ、自然法則を研究し、自己の利益を得る為にそれらを使い、自然と隣人を残酷的に利用しはじめました。

カバリストがカバラの科学を封印したという事実にもかかわらず、これが世界を過去および現在においてもなお続いている全ての破壊に追いやったのです。それはまだ封印されています。勉強の準備ができていない人がカバラの書物について何も理解できないというかたちで。まず初めに人は自己の性質を隣人の為の授与と愛に是正しなくてはならず、その後になってのみ自然の大いなる力がその人に啓示されるようになります。

しかし、人類が知識を探求してきた期間、私達は自然の外的な力を研究する目的で従来の自然科学を使うことはできました。そして知識も得ました。これが技術進歩を導きましたが、それは私達の損失につながってきたと明白に見てとれます。

その結果、人類の歴史が作り上げてきた全世界におけるすべての発展が、私達のエゴイズムのために使われてきたという理由で人類の利益にはならなかったと見なされています。私達が獲得した自然についての全知識と、私達が獲得し自分達の利益の為に応用しようとしてきた全ての法則と手本は、最終的に私達に牙を向けるようになりました。これは蓄積的なプロセスであり、自然の全段階および人間活動の全域において生じている全般的で世界的な危機を導いてきました。

人間が数千年に渡って行ってきた全てのことが今日において、それらが悪行であったとして露呈されています。それはあたかも私達がかつての人間文明の発展と現在との間に線を引いているようなことです。これから先は今までしてきたことの全てを正直に総計し、将来どのように発展していくのかを決めなくてはなりません。

私達の将来の発展を何処に向かわせればよいのかはとても簡単なことです。結局のところ、自然法則についての全知識と全科学が、私達のエゴイズムのために利用しようとしたことによって危害しかもたらさなかったと証明されたのだから、全てを反対方向を変えようではないですか! もし私達が本当に人類の利益の為にという良い道に科学と全知識を使ったとしたら、それは私達のヘルパーになり本物の繁栄をもたらしてくれるでしょう。そうすれば私達は自然破壊、環境破壊、そして自分自身に対する破壊をもうすることを止め、自滅の危機から脱却して、反対に全く新しい段階に上がります。

これら2つの反対なものを – 自然の力とその手本を私達の損失か崇高な目的のどちらかで使うとき – 女主人ではなく召使いが権力を握っている、または女主人 が召使いの助けをかりて向上し彼女自身を顕示すると呼びます。”女主人”のほうがカバラの科学です。カバラはそれを正しく使うことにより私達に人間性の是正方法を教え、自然のもう1つの部分とその計り知れない力を啓示します。このすべては私達が永久に存在する為に与えられたものなのです。