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死ぬと魂はどうなるのか?

質問:人は死ぬとどうなるのですか? 魂はどうなってしまうのでしょうか?

答え:魂を知覚できている人々は、その中に生きます。なぜなら、魂は身体の死とは無関係だからです。

魂を獲得しなかった人々には、レシモット(ヘブライ語の“roshem”:記録)だけが残ります。これはDNAのような情報の一片であり、人がこれまでに構成した全情報を含む特定のコードです。

身体が死ぬと、この情報(レシモット)はこの世で新たな身体に結びつかねばならず、そしてもう一度最初からやり直すのです。皆、このレシモットを持っています。これは、最終的に私たちが魂を発達させる小さなかけらです。

発言:魂を構築した人だけが、魂を持っているということですか?

答え:そうです。真実、そうなのです。情報の一片であるレシモットは、魂を築くように人々を強いる欲求の内側で機能しているのですが、魂を構築する人は、そのレシモットに基づいた利己的な欲求の外側に魂を築きあげます。

質問:私は何を持っていて、何を逃しているのでしょうか? 私が本当にしなければならないのは、何なのでしょうか?

答え:私たちの利己的な受け取りたいという意志は、私たちが今持っているすべてです。しかし、突然、私たちの中に特別な欲求が浮かびあがることがあります。これは魂を知覚し、私たちが生きる理由や存在の目的、命の源を理解したいという欲求です。

つまり、レシモットが目覚めたのです。それは小さなちいさな火花であり、言うなれば私たちの内側の心の点です。このときはじめて、私たちは次に何をすべきかを熟考するに至ります。心の点が私たちを切望させ、押し進め、そのままにはさせないからです。

こうして、私たちは自分の利己的な欲求に取り組み、この火花が何かを知れる場所を探し始めます。そしてやがて、本物のカバラの知恵を教える場所、魂の築き方の説明を受け取れる場所へと行き着きます。魂を築くということ。それは、自分たちのために受け取りたいという、その意志を、他者のためへと変化させることを意味しているのです。

 

太陽の光と夜の闇

トーラー「出エジプト記」第22章1−2節:もし、夜、泥棒が押し入るところを見つけられて、打たれて死んだならば、打ち殺した者にはその血の責任はない。もし、太陽が人の上に輝いていたならば、打ち殺す者には血の責任がある。彼は必ず償わなければならない。

この泥棒とは私達のエゴのことです。この泥棒は常にいつでも人の内面に掘り進み、奪っていこうとします。もしエゴ(泥棒)が無意識に、「夜」に、つまりこれら全てのことがその人には理解されず明らかでない時に、これを為すならば、そのとき、その人はこの泥棒(自分のエゴ)を殺す権利を持ちます。何故ならこのようにして、その人自身の是正(correction)が果たされるからです。

しかし「輝く太陽」が共にあるとき、あなたはエゴを殺す必要はありません。あなたに必要なのはエゴを是正することです。もしあなたが不適切にそれと関係するならば、あなたは今の段階から落ちることになります。それはあなたが(霊的に)死ぬことを意味します。あなたは殺されます。この為、あなたにはあなたのエゴを殺す権利はなく、その泥棒を是正・矯正する必要があるのです。利己的な行為から利他的な行為へとです。ただ殺すだけというのではありません。

2つの偉大な是正期間、または行為の2分類というものがあります。

・「あなたがされることを欲しないことを他人にしてはならない。」
これは利己的な状態にある人が(エゴ(利己心)の抑制された)中立的な状態へ移行する期間です。

・「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」
これはあなたがすでに他者のために良い行為をしている期間であり、あなたが自分自身のために望んでいることを他者のためにも願っている状態です。

このようなわけで、もし人が「夜」に行動するのなら、彼は依然として本当の是正の準備はまだできておらず、そのための力もありません。しかし、もし彼が(自分の)エゴと格闘する場合には、彼はそれを殺す権利を持っています。その意味はエゴを単純に無力化するということです。そのとき私はそのエゴを持たなくなります。しかし、もし彼が「真昼間」、すなわち上層の光が彼の上に輝き、彼に力を与える時に働こうとするならば、彼はエゴを是正する必要があります。エゴを殺すのではありません。この昼の状態でエゴを殺す場合は、彼は夜に振る舞えたと同じようには振る舞えません。これによって彼は自分自身を(霊的に)殺します。つまりより低い段階へと落ちるという意味です。

From KabTV’s “Secrets of the Eternal Book” 5/20/13