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アダムとその著書『天使ラジエルの書』

質問:科学者たちは、アダムの時代には文字はまだ発明されていなかったと考えていますが、『天使ラジエルの書が彼によって書かれたという証拠はありますか?

答え:『天使ラジエルの書はアダムによって板に書かれ、世代から世代へと受け継がれました。エジプトの象形文字は、アダムの時代ですら存在していた古代ヘブライ語のアルファベットから作成されたということが、長い年月の中で発見されています。

今でもその書は購入することができますが、その最初のページには、伝承によると、それがアダム・ハリション(最初の人間)、つまり地上で最初の人間ではなく、クリエーター(創造主)まで到達した最初の人間によって書かれたことが示されています。

備考:私が知る限り、宗教信者は世界がアダムから始まったと信じており、無神論者は何も信じていないため、カバリストのみがそのように述べています。

私のコメント:クリエーターは約2000年前から信仰されており、最近になって無神論者が現れました。すべてがどこから来ているのかを理解し、世代を通して歴史がどのように存続し、機能してきたかを確認する必要があります。

マイモニデス(ランバン)[Maimonides(Rambam)]またはラシ(Rashi)など、11世紀のヨーロッパのカバリストが書いた本を読むと、彼らが確かにそれらの本を書いたと承認する文書が見つかります。

4世紀に書かれたタルムードは、その著者らについて語り、今日私たちが読んだり話したりする、理解できる言語で書かれています。トーラーはタルムードの1500年前に出現しました。3700年前の古代バビロンで、アブラハムは『セーフェル・イェツィーラー(Sefer Yetzira、形成の書)』を書き、紀元前1600年に「偉大な解説」が書かれました。この情報は広範囲にわたって文書化および認定されており、世代から世代へと受け継がれています。

備考:しかし、世界には何も信じない人と、アダム・ハリションというのは、クリエーターによって創造された最初の人間(アダム・ハリション)そのものであると信じる人の2つのタイプが存在します。いずれのタイプも、「アダム」が最初にスピリチュアリティに到達した人物だと言っているのはカバリストだけだ、と主張しています。

私のコメント:カバラは、アダムの創造の時間を一般的に受け入れられているものとは異なる方法で計ります。アダムの創造は、クリエーターが私たちの中にいるという感覚の出現であり、私たちが存在の次のレベルを達成して初めて、私たちはアダムと呼ばれることができます。その前は、私たちは動物のレベルで存在しています。

人間は、アダムが誕生する数万年前の世界にも存在していましたし、実際アダムには、両親や親戚もいました。しかし彼は自然の隠された力を最初に感じ、それらのルーツを発見したため、「アダム」、つまりクリエーター(創造主)に類似した(ドメ、Domeh)、と呼ばれました。なぜなら、クリエーターに到達したことで、ある程度、彼(クリエーター)に類似することができたからです。

質問:私はアダムの本を読みましたが、何も理解できませんでした。アダムの『天使ラジエルの書は何を説明しているのでしょうか?

答え:本に書かれていることを理解するには、カバラの知恵を学ぶ必要があります。単純な本ではありません。彼の言語は、スピリチュアル的なルーツを持っているので変化しませんし、私たちもその言語を話しているにもかかわらず、理解するのは困難です。また、私たちの世界を動かすスピリチュアル的な力は何千年も変わっていないので、その言語と文法の法則は同じままです。

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人が死ぬと魂はどうなるのか?

「人が死ぬと魂はどうなりますか?」
私がかつて、我が師、ラバシにこの質問をしたところ、彼はこう答えました。
「それは、一日の終わりに汚れたシャツを脱いで、洗濯機に投げ入れるようなものだよ……」

これと同じように、人生の終わりにも魂から体を脱ぎ捨てます。身体は朽ちてなくなりますが、魂は生き続けます。古いシャツを脱いでも生きたままなのと同じように、肉体を脱いでも生きたままなのです。

質問:ならば、身体なしで魂はどのように存在するのでしょう?

答え:今も魂は体なしで存在しています。身体に伴ってはいますが、それに触れてはいません。魂はあなたが感じることができない別の次元に存在しています。

バール・ハスラムは『平和』という記事でこう書いています。
「このように我々の世界では、身体は新しくなっても新しい魂というものはなく、(形態変化の輪の上で)実体化するある決まった量の魂だけが存在する。そのために魂に関して言えば、創造の始まりから是正の終わりまでのすべての世代は、魂が発達しあるべき姿に是正されるまで続く数千年にわたる人生を生きるひとつの世代である……」

この世で魂が発達する期間は6000年です。この発達は5775年前に生きていたアダム・ハリション(最初の人)から始まり、6000年が終わるまで続きます。つまり、私たちにはあと225年残されているということです。この間に、私たちは全員で自らの魂を発達させなければなりません。それは集合的な魂における私たちの役割であり、私たち全員で全員をひとつの魂につなげるということです。

カバラの知恵はその全過程を説明しています。140億年前、ひとつの火花から私たちの宇宙の物質的進化が始まりました。ひとつの火花が「ビッグバン」の始まりとして用いられたのです。こうして、無生物の進化が始まりました。そして、20億年前、最初の植物が地球に現れ、次に動物が現れ、その後人類が現れると、人類はその次の段階、つまり上層の世界、生命の源を獲得したいという欲求が芽生えるところまで発達してきました。

無生物から始まり、植物、動物、人間へと続いた発達の中で、人間は、魂の発達と呼ばれるより高い段階へ至らなければなりません。次の段階、その上の世界へと上がっていくということです。上の世界にも、無生物、植物、動物、人間という発達段階があります。しかし、その上に、私たちが成長しさらに高い世界へ上っていくのに必要なスピリチュアル段階があります。私たちはこうやって5つの世界を通過していくのです。

質問:アダム・ハリションは5775年前に生きていて、彼は自分の内で魂を発達させたのですよね?

答え:そうです。だから彼はアダム・ハリションと呼ばれています。

質問:つまり、あと225年の間に、すべての人がその内側に魂を発達させなくてはいけないということですか?

答え:そうです。あと225年、もしくはそれよりも前にです。誰一人例外はありません。だから、私たちはこの発達が速度をあげていくさまを目にすることになります。時間はその濃さを増し、一見すると縮小して圧迫されていきます。私たちが自分たちの内側に魂を発達させないならば、そして発達に向かって自分自身を押しやらないならば、自然の力はあらゆる災害やさまざまな問題で私たちを圧迫し、私たちをすさまじい重圧のもとにさらします。自然の力が私たちを魂の発達へと向かわせるのです。

魂の発達はなによりこの世でしか起こりません。そして、それは人々の間のつながりを通してのみ改めていけます。私たちの間のつながりを通して、私たち全員にとっての全体であり共通であるたった一つの魂に形を与えるのです。

死ぬと魂はどうなるのか?

質問:人は死ぬとどうなるのですか? 魂はどうなってしまうのでしょうか?

答え:魂を知覚できている人々は、その中に生きます。なぜなら、魂は身体の死とは無関係だからです。

魂を獲得しなかった人々には、レシモット(ヘブライ語の“roshem”:記録)だけが残ります。これはDNAのような情報の一片であり、人がこれまでに構成した全情報を含む特定のコードです。

身体が死ぬと、この情報(レシモット)はこの世で新たな身体に結びつかねばならず、そしてもう一度最初からやり直すのです。皆、このレシモットを持っています。これは、最終的に私たちが魂を発達させる小さなかけらです。

発言:魂を構築した人だけが、魂を持っているということですか?

答え:そうです。真実、そうなのです。情報の一片であるレシモットは、魂を築くように人々を強いる欲求の内側で機能しているのですが、魂を構築する人は、そのレシモットに基づいた利己的な欲求の外側に魂を築きあげます。

質問:私は何を持っていて、何を逃しているのでしょうか? 私が本当にしなければならないのは、何なのでしょうか?

答え:私たちの利己的な受け取りたいという意志は、私たちが今持っているすべてです。しかし、突然、私たちの中に特別な欲求が浮かびあがることがあります。これは魂を知覚し、私たちが生きる理由や存在の目的、命の源を理解したいという欲求です。

つまり、レシモットが目覚めたのです。それは小さなちいさな火花であり、言うなれば私たちの内側の心の点です。このときはじめて、私たちは次に何をすべきかを熟考するに至ります。心の点が私たちを切望させ、押し進め、そのままにはさせないからです。

こうして、私たちは自分の利己的な欲求に取り組み、この火花が何かを知れる場所を探し始めます。そしてやがて、本物のカバラの知恵を教える場所、魂の築き方の説明を受け取れる場所へと行き着きます。魂を築くということ。それは、自分たちのために受け取りたいという、その意志を、他者のためへと変化させることを意味しているのです。

 

太陽の光と夜の闇

トーラー「出エジプト記」第22章1−2節:もし、夜、泥棒が押し入るところを見つけられて、打たれて死んだならば、打ち殺した者にはその血の責任はない。もし、太陽が人の上に輝いていたならば、打ち殺す者には血の責任がある。彼は必ず償わなければならない。

この泥棒とは私達のエゴのことです。この泥棒は常にいつでも人の内面に掘り進み、奪っていこうとします。もしエゴ(泥棒)が無意識に、「夜」に、つまりこれら全てのことがその人には理解されず明らかでない時に、これを為すならば、そのとき、その人はこの泥棒(自分のエゴ)を殺す権利を持ちます。何故ならこのようにして、その人自身の是正(correction)が果たされるからです。

しかし「輝く太陽」が共にあるとき、あなたはエゴを殺す必要はありません。あなたに必要なのはエゴを是正することです。もしあなたが不適切にそれと関係するならば、あなたは今の段階から落ちることになります。それはあなたが(霊的に)死ぬことを意味します。あなたは殺されます。この為、あなたにはあなたのエゴを殺す権利はなく、その泥棒を是正・矯正する必要があるのです。利己的な行為から利他的な行為へとです。ただ殺すだけというのではありません。

2つの偉大な是正期間、または行為の2分類というものがあります。

・「あなたがされることを欲しないことを他人にしてはならない。」
これは利己的な状態にある人が(エゴ(利己心)の抑制された)中立的な状態へ移行する期間です。

・「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」
これはあなたがすでに他者のために良い行為をしている期間であり、あなたが自分自身のために望んでいることを他者のためにも願っている状態です。

このようなわけで、もし人が「夜」に行動するのなら、彼は依然として本当の是正の準備はまだできておらず、そのための力もありません。しかし、もし彼が(自分の)エゴと格闘する場合には、彼はそれを殺す権利を持っています。その意味はエゴを単純に無力化するということです。そのとき私はそのエゴを持たなくなります。しかし、もし彼が「真昼間」、すなわち上層の光が彼の上に輝き、彼に力を与える時に働こうとするならば、彼はエゴを是正する必要があります。エゴを殺すのではありません。この昼の状態でエゴを殺す場合は、彼は夜に振る舞えたと同じようには振る舞えません。これによって彼は自分自身を(霊的に)殺します。つまりより低い段階へと落ちるという意味です。

From KabTV’s “Secrets of the Eternal Book” 5/20/13