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現代の世の中に家族は必要か?

Facebook質問昔は経済的な理由で家族が形成されました。現代は、人が生きて人生を楽しむために家族を必要としません。むしろ、邪魔になり、問題を起こすだけです。では、何のために家族を持つのでしょうか?

答え:確かに、かつて人は自分に仕えてくれる妻、老後を助けてくれる子ども、住む家、親族、つまり一般的に最も近い輪が必要でした。

人は、困ったとき、病気のとき、そして最終的には葬儀の世話をしてもらうためのサポートが必要でした。そして今日、それを必要としていません。これを引き受けてくれるさまざまな社会福祉が存在しています。

妻は必要でしょうか? いや、必要ではありません。毎日新しい妻を持つことができます。子どもはどうでしょうか? 成長し、10歳を過ぎるとほとんど会わなくなり、お金をせびるときだけ会うようになります。彼らは親を顧みないし、老後も助けてもらうことはありません。

今日、人は家族、妻、子ども、両親、家庭という自然のルーツから切り離されています。職場さえも強制ではなくなりました。昔は一つの職場で一生働き続けましたが、今はどうでしょうか?

質問:社会の主要な細胞である家族は、もはや存在しないのでしょうか?

答え:残念ながら、誰も何も望んでいません。女性は本来、子どもや夫、家族、家庭を望んでいながらも、結婚しようとせず、子どもを産もうとしません。

質問:では、長期的には家族は必要ないのでしょうか?

答え:必要かどうかは、目標によって異なります。目標が手段を正当化するならば、手段は必要であり、そうでないならば必要性はありません。

質問:現代の人類が持っている目標は、家族を必要としないということでしょうか?

答え:もちろんです。でも、目標を達成するためには家族が必要だとわかっていれば、家族を作って大事にするでしょう。

人類は目標を得ることで、どのように生きるべきか、生きる必要があるのかがわかるようになるのです。今、世の中の多くの人々が、生きることに価値があるのかどうか、疑問を抱いています。

子どもと親の分離は、無意識のうちに行われているのです。子どもも次のような質問に悩まされます。「なぜ親は私をこの世に生んで、人生を歩ませ、苦しめたのだろう。私は役に立たない。誰も私を必要としていない。また、私は他人を必要としていない。死ぬのを待つだけか? そのために生まれてきたのか? 彼らは楽しんで、自分の喜びのために行ったけれど、私は人生を楽しめない。だから、薬をくれれば、なんとか存在できる」と。

質問:家族を必要とするには、人生の目標は何であるべきでしょうか?

答え:家族を必要とするための目標は、次のレベルの存在、つまり完全で、永遠で、無限の、授与の達成に至ることです。こんなことは想像もできないし、想像すらしたくありません。もう、すべてがうんざりです。だから、人に説明するのが難しいのです。

私たちは自分の利益のための人生から抜け出さなければなりません。それが私たちを制限しているのです。別の存在方法があることを感じればすぐに、はるかに楽になるはずです。

この場合、家族が必要となりますが、それは自然という上層のシステムと類似したシステムの一つだからです。より高い目標に進むためには、結婚し、家庭を持ち、子どもを持つことが必要であり、特に男性はそうです。

そして、利己的な存在を利他的な存在に置き換えたとき、次のレベルに到達することが目標となります。それにより、まったく異なる自然の奥深さ、異次元における存在が明らかになります。そこでは、宇宙は私たちの住む場所ではなく、まったく異なる宇宙なのです。

質問:では、家族内の人間関係はどのように調整されるのでしょうか?

答え:その人がより高い存在の目標として何を見るかによってのみ、調整されます。それに導かれて、家族が守られ、子どもが育てられます。そうでなければ、何も存在しないことになります。

質問:目的を持っている家族には、愛という概念が存在するのでしょうか?

答え:愛とは、この究極の目標を達成するための正しい関係なのです。それだけです。

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Kabtv「マイケル・ライトマン博士のニュース」より

どうすれば人生の目的を見つけることができるか?(Quora)

Quoraの記事「どうすれば人生の目的を見つけることができるか?」より

常に人生の目的に向かって成長させるようなプログラムと、自然の上層のプランを学べば、人生の目的を見つけることができます。

自然のプランを学ぶと、この人生で何ができるのか、前の人生での運命は何だったのか、自然はどのように作用するのか、なぜ私たちはこのように創られたのか、環境からの影響を受けてどのように発展していくのかを、徐々に感じるようになります。

そうすることで、自然のシステムに適合させて、コントロールする方法を理解することができるようになります。欲求と意図、そして自然の上層のプランを研究することに基づいたガイダンスを使用して、自然のコントロールルームに入り、すべてのものがどのようにして、またなぜそのように作られたのかを発見することができます。

人生の目的を問うことは、その発見への第一歩です。歴史や個人の人生の中で、私たちは、食べ物、セックス、家族、お金、名誉、支配、知識など、現在の知覚や感覚のレベルに応じた欲求を抱くようになります。

意味や目的への欲求は、より高いレベルの知覚や感覚に属しています。人生の意味や目的を問うことが、その発見の種となります。この欲求を、永遠で完全な人生の目的に向ける方法を学ぶことで、私たちは物理的な存在のレベルを超えて上昇することを学び、すべてがどのように、そしてなぜ操作されているのかを知覚できる上層の現実に生きることになります。さらに、そのレベルに達すると、自分の運命に影響を与えることができるようになります。

動画は英語でご覧いただけます。

この記事は、カバリスト、マイケル・ライトマン博士の生徒により、2015年9月20日のカバラの授業から執筆・編集されました。

個人意識と集団意識、その違いは何か?(Quora)

Quoraの私の記事、「個人意識と集団意識、その違いは何か?」より

カバラの知恵によると、個人意識と集合意識の定義は、現実を知覚する際の生まれもった自然な性質を、新しい知覚方法へと変換するかどうかにかかっています。

自分にとって良いことだけを楽しみたいという、もともとの利己的な知覚方法を超えて、現実の捉え方を変えていく人は、全現実の各部をつなぐ愛と授与という単一の力として、現実を知覚します。

一方、現実の捉え方をエゴの上にあるものに変えない人は、かなり限定された利己的なフィルターを通して現実を知覚します。

このようにして、現実は欲求や欲求の変換具合、欲求の欠如の程度に応じて、私たちの中でモデル化されます。

この2つの知覚の仕方には大きな違いがあります。カバラの知恵が格別な点は、一方から他方へと知覚方法を移行するために、私たちの性質を変える必要性やその際にたどる過程を説明し、そのメソッドを描写しているところにあるのです。

この記事は2019年3月29日に放送されたKabTVの番組、カバリストであるマイケル・ライトマン博士の「カバラとの出会い」から、マイケル・ライトマン博士の生徒が執筆・編集しました。

歴史が証明する皆が一つになる方法

Quoraの記事「歴史が証明する皆が一つになる方法」より

カバラの知恵は歴史が証明するメソッドであり、約4,000年前の古代バビロンの時代に、違いや争いの上で人々を一つにするためにはじめて用いられました。

カバラの知恵が効果を発揮するには、私たち人間はもともと壊れていて、分裂状態であるという前提があります。そして、私たちがつながるために自ら集まり始めた時、そのためのメソッドなしには積極的につながることはできないと気づきます。

積極的につながることができない理由は、私たちがもともとエゴイスト(利己主義者)であり、本能的に他者よりも自分のためになることを優先させるからです。積極的につながるためには、他者のためになることを優先させる必要があります。

第一にカバラの知恵は、他者の意見に反する方向ではなく、分離の力(利己的な性質)と学びによって引き出されるつながりの力を、いわばサンドイッチにする方法を説いたものです。これについては「愛はすべての罪をおおう」と書かれています。つまり、私たちは利己的な性質のために隔てられ、ひたすら互いを批判し、無関心から憎しみまで、さまざまなレベルで拒絶感を抱いていると知っているということ。しかし、私たちはこの生まれもっての拒絶感に目もくれていません。

その代わりとして、カバラの知恵が、エゴの上で一つになるよう全力をそそぐメソッドを差し出しています。違いはすべて残して、その上で互いが積極的につながるため、全精力を傾けます。違いを保ったまま、その上に第二のレベルを構築していくのです。

さらに、カバラの知恵は、人類はすべての人が隔たりを超えて一つになる段階に達するとしています。しかし、今のところ、そのためにこの知恵に引き寄せられている人は、必要十分な数しかいません。その人たちがこのメソッドを自分たちに現実化することで、その調和が人類全体に作用し始めます。言い換えれば、今はその一団が、人々を一つにする方法を自分たちに適用させている時なのです。それは、小さな科学者のグループが人間の生活を向上させる新技術を発見しようと、研究室でいくつもの実験を行うのと同じです。ひとたび新技術が発見されれば、それは特許化されて大々的に流布され、人類は簡単な説明でそれを使えるようになるのです。

この記事は、カバリストのマイケル・ライトマン博士とオーレン・レビ氏によるTVプログラム『New Life』の第1145回「イスラエルという人々の姿」に基づいています。カバリストのマイケル・ライトマン博士の生徒により、執筆・編集されました。

苦しみに感謝するとは?

質問:自分の痛みや苦悩のためクリエーターに感謝すること。これは正しいアプローチですか?

答え:人が本当にクリエイターへ感謝できるなら、正しいアプローチです。自分を正しく最終目的地へ向かわせるために、クリエーターが苦しみを起こしてくれたと感謝するなら、この苦しみは甘美であるに違いないからです。医者や生物学者の研究によれば、苦しみや喜びの感覚は、基本的に同じ結果をもたらします。それらが脳の中で同じ過程を経るからです。

質問:私には理解できません。どうしたら、苦しみに感謝できるのですか? 結局、これは傷つけられることで喜びを得る被虐的傾向ではないですか?

答え:被虐的傾向との違いは、苦しみの思考および目的と自分が感じていることを分けている点です。それはちょうど、痛みを伴う手術に同意すると同時に、病気から解放してくれる医者に感謝するようなものです。私たちの世界ではこれを、努力やエネルギー、苦しみを通して、すべての清算や代金の支払いがされる必要があると見ています。

しかし、カバリストはなぜ苦しんでいるのか、という最終目的地を見ます。だから、カバリストはもはやそれを苦しみとはみなしません。苦しみが自分の利己的な性質から自由になれるよう助けてくれるのだと、分かっているのです。しかし、そこから離れようとするならば、苦しむことになります。

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From the Kabbalah Lesson in Russian 1/3/16

 

授与するために受け取ること

thumbs_Laitman_712_03質問:私は普通の人間であり、ただ自分のために受け取りたいだけです。 「授与するために受け取ること」とはどういう意味ですか?

答え:確かに、普通の人は自分自身のためだけに受け取っています。しかし、カバラの知恵は、私たちの進化的発展の結果として、自分自身のために受け取ることが機能しなくなると言っています。

今日、世界は成熟し、円(サークル)になってきているため、単に自分自身のために受け取ることはもはや不可能な状態にあります。「獣」のレベルに落ちる時、私たちは自分自身に盗みを働いていることを知っています。

私たちは、肉体的存在の境界の外側にある人生の意味に到達することはできません。

この人生において、私たちはあらゆる種類の技術的な「おもちゃ」やファッション、そして人間社会がどうにかしてその存在を満たすために生産するこのようなことのすべてで遊んでいますが、実際は完全に空です。もし人がそれらに費やすエネルギー、力、苦しみと比べて人生で得る喜びの量を計算するならば、生きていない方が好ましいと気づくでしょう。

私たちは、人生において完全に異なる計算があることを理解しなければなりません。それは、自分の意志に反して生きるために私たちが創られたのではない、ということです。もし、私たちがその意味を発見するならば、私たちはこの世でも幸せになることができ、また、境界の外側でも無限に生きることができると気づくでしょう。

この幸福に到達するための方法はカバラの知恵と呼ばれています。それは、私たちの肉体が存在する限りの、一時的な地上での命からだけでなく、肉体を越えた、永遠の命における真の喜びに到達する方法の知恵であり、私たちはそれをこの世にいる間に獲得することができるのです。これが授与するために受け取ることと呼ばれるものです。この状態において、私は私の肉体の外に存在し続けるのです。

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From KabTV’s “News with Michael Laitman” 11/9/16

あなた自身ではなく、あなたの友達を信頼しなさい

質問:「あなたが死ぬその日まであなた自身を信頼するな」と書かれています。それなら、もし私が私自身あるいは友達を信頼できないなら、アルヴット(相互保証)の意味とは何ですか?

答え:当然私は私自身を信頼できません。しかしこれは友達について言及しているのではありません。グループとは単にレッスンに来た人々の集まりではありません。グループとは彼らの魂と魂の内なる和合・統一です。

クリエーターは魂たちが住む「無限の世界」と呼ばれる欲求(喜びを受け取る意志、すなわちクリ)を創造しました。これらの魂たちはお互いに結合し、無限の光で満たされている1つの集合したシステム、すなわち1つの魂の状態にあります。

しかしこのシステムは、それを隠すスクリーン、すなわちフィルターによってあなたから遮断されています。このシステムはフィルターを通じることで幾分堕落した又は壊れたようにあなたに映ります。その内側は完全で無限の光によって満たされていますが、現在あなたはそれを歪んだものとして見ています。さらに進んで、その次のフィルターの後ろでは、あなたにとってそれがさらにいっそう堕落しているように見えます。

第一状態、すなわち無限の世界から、最終状態、すなわち私達の物質世界まで、全部で125個のそのような段階あるいはフィルター、すなわち無限の状態を隠すものが存在します。したがって、あなたはグループをあなたの物質的な視覚で見て考えます、「そもそも彼らは誰なんだ? 私は彼らより低くない! 彼らは本当に統合しているのか? いや、彼らは統合していない。彼らは本当に統合することを望んでいるのか? いや、彼らはそれを望んでない。彼らは本当に何かを理解しているのか? ラビ・シモンのグループを私にくれ。そこでなら私は彼らの腕の中の赤ちゃんになることに同意するだろう! そしてこれらの・・・ 彼らは私にとって誰なんだ?」

しかしこれは間違いです。すべては友達に対するあなたの態度によって決定されます。もし人が彼らを「貫通」し、つながりたいと思うなら、隠れた状態にあり、参加していて理解するこれらの物質的な身体とではなく、むしろ彼らを完全な結合状態で無限の中に住むグループとして扱うなら、仕事は終わりです:彼はこの完全な状態に接着します。

なので、ラビ・ヨスィ・ベン・キスマは彼のビギナーの弟子たちなしでは居ることができなかったのです。彼らは小さな段階でいくらかスピリチュアリティを求めていたのでしょうか?彼らを通して彼が、彼ら自身がそのことに気付いていないにもかかわらず、彼らが1つの心を持つ1人の人間のように、皆1つになっている場所であるスピリチュアルな状態に入るのにそれで十分でした。

これは環境、すなわちグループと呼ばれます。しかしながら、私自身は、私が私自身を想像できる場所の中に住んでいます。そして、私は私自身を、何でも受け取ることができる理想的で完全な環境に照らし合わせて想像します。そして唯一それを通じて私は力を獲得します。

したがって、グループとは身体的な人々の集まりではなく、むしろ私の内なるスピリチュアルな特質なのです。

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From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 12/24/10, “Perfection in Life”

病気とは我々とクリエーターとの違いの表現

生徒からの質問:インフルエンザ(あるいはどんな病気でも)に掛って半分死んでいるように感じている間、集まった友達に「元気?」「気分はどう?」と聞かれたら、どのように答えるべきでしょうか? 脱力感を覚えるとき、友達の気分を沈ませないようグループを避けるほうがよいでしょうか?

私は全成人期を通じて不健康に悩んできました。また他にも私のように、単にエゴに原因があると伝えられるだけではなく、もう少し深く健康問題について本当に理解する必要のある人はいるはずです。なぜなら、ほとんどの人が、あらゆる種類のより具体的だが相容れないアドバイスを、スピリチュアル的に、心理的に、医学的に与えられたことがおそらくあるからです。私はブネイ・バルーフと一緒に学んで現在で二年間になります。もしブネイ・バルーフにより多くのレメディー(治療・療法)または原因についての記事があったなら、ブネイ・バルーフは慢性疾患に悩む人々をターゲットにして売り込むことができると思います。

私の答え:たった一つの答えしかありません。これは我々とクリエーターとの違いから生じています。人の是正のレベルによって特定の違いが明らかになります。なぜなら是正は、次の是正だけでなくクリエーターと違っているという感覚も含むためです。

病気として現れる、あなたとクリエーターとの違いを、友達の前で見せびらかす必要はありません。しかし、あなたに代わってクリエーターに是正と癒やしを求めるために、友達はそれらのことを知らなくてはなりません。

なぜ人とクリエーターとの違いの現れ方が異なる人によって違うのでしょうか? なぜ一人はこれを病気の形で外面的に経験し、もう一人は個人的な問題あるいは他の現れの形として経験するのでしょうか? あなたがあなた自身を是正するにしたがい、この全ての答えをあなたは見つけるでしょう。手短に言えば、あなた自身に取り掛かりなさい!

健康はスピリチュアルな必要物

質問:偉大な思想家であり医者であったラムバム(マイモニデス、12世紀の著名なユダヤ人哲学者)はいくつかの仮定を設定しました。その一つが「健康的に生活することはスピリチュアルな必要物である」というものです。これについて説明して頂けますか?

答え:私達の健康とは、人間と自然の間の全体的均衡の条件の一つです。またその人自身とクリエイターへの固着のバランスの条件の一つでもあります。そのような訳でメンタル、モラル、フィジカル、エシカル(倫理的)、スピリチュアル、サイコロジカルの全てのレベルでのバランスは、皆一つのことであり、同じ完全な均衡のシステムなのです。人は未来においては、世界全体とともに完全な是正に至り、あらゆる側面からポジティブ・フィードバックのみを受け取り、総体のバランスによって、絶対的な健康にいたることに疑いはありません。

私達は永遠、無限、永遠の命について話すことができますが、これらすべては今のところ私達のことではありません。私達は人間の中に起こりうるこれらすべての美しい変化をまだ理解しません。なぜなら現在の私達が抱いている観念は、この物質的肉体は永遠に存在することはできない、というものだからです。しかしポイントはそこではありません。

事実は、人間が全体システムの中に包含されるときにのみ、それは可能だということです。その時世界の全ての人々は正しくつながり、相互に補い合い、誰もの健康が、他の皆の是正された健康によって決定されるようにお互いをバランスさせるでしょう。

質問:ラムバムが、肉体の健康がスピリチュアルな必要物であると言うとき、「スピリチュアル」という言葉で何を意味しているのでしょうか?

答え:スピリチュアルという言葉は、人の未来のスピリチュアルな状態を意味しています。人が自分の動物部分の上に昇り、自分のスピリチュアルな部分を健康にし始める時のことです。その時点では、この部分のことはカバリスト以外によっては誰にも感じられません。全ての人が一種の内的な潜在的な胎芽を持っています。それは小さな子供でも未来の可能性としては自分の未来の子供が組み込まれていることに似ています。つまりある人のスピリチュアルな部分はまだどのようにも顕現していない状態です。

From KabTV’s “The Medicine of the Future” 4/7/13

ヴァーチャルな授与

質問:何が人をビナーの状態(ハフェツ・ヘセド)から外へ押し出すのですか?

答え:私達は決してビナーハフェツ・ヘセドの状態から去りません。ただそれに加えるだけです。スピリチュアリティにおいては、私達はある状態を失うことはなく、いつも梯子をより高く昇ります。もし私がハフェツ・ヘセド、つまり「授与のための授与」の状態に留まるなら、私は「自分自身のために受け取る」意図に落ちることになるでしょう。「授与のための授与」は私がいるべき最低限のレベルです。

私は「授与のための授与」の無限の状態への願望をより増やし厚く(アヴィユート)して、その上に「ハフェツ・ヘセド」のより高い状態を築き上げます。私はこのハフェツ・ヘセドの状態に追加の授与を着せ始めます。その中では私は何も必要とせず、私は森の中で、シャツ一枚すらなくとも何の心配もなく暮らし、幸せです。

ハフェツ・ヘセドの状態では、私はどのようなやり方でも授与しません、これは「授与のための授与」と呼ばれますが、私は授与するものを何ももっていないのです、それはまるで私が、自分のエゴを諦めることで、自分自身を授与する者と見なすかのようです。それは母親が子供に「お願いだから、静かにして」と言って、騒ぎを止めるようなものです。子供は何も役に立つものは生み出していませんし、他者に何も与えていません。彼はただ静かになっただけです。しかしこれは子供が母親を手助けしたことを意味します。

これがハフェツ・ヘセドの状態です。それは私がエゴイズムと戯れることを止めることを意味します。私はそれを欲せず、完全に裸のままで、全く自分自身を母親にゆだねて、彼女が言うことを全て聞くことを欲します。私は、母親が私に期待するところの何も良いことはしませんが、彼女が願う通り、悪いことは既に止めています。これが「授与のための授与」と呼ばれます。

全体として見れば、私は母親に「ヴァーチャルな」喜び以外何も与えていません。私は騒いだり、物を壊したり、叫んだり、いたずらをしたりすることを止めましたが、それだけです。これは私がハフェツ・ヘセドの状態に到達したことを意味します。これはエイン・ソフ(無限)に到るまでの最低限の願望の厚みの上でのみ可能です。

しかしこの上では、私は既に授与のため受け取りを始めています。母親が欲することを何かします。家事を手伝ったりします。これは既に授与のための授与の上にいることで、これが本当の授与です。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 4/8/13, The Study of the Ten Sefirot