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アルベルト・アインシュタインはカバリストだったのか?

質問:アルベルト・アインシュタインは物理学者なのか、哲学者なのか、あるいはカバリストなのか。あなたの意見をきかせてください。

答え:アインシュタインはややカバリストに近いところがある、と言えると思います。だから、アインシュタインは相対性理論、正確には人である観察者に相対する概念を取り入れ、それを科学の中へ持ち込み、私たちの知覚や知識、人生における相対性の概念を世界へ向けて紹介したのです。

すべては観察者の特性によって決まる——これは、まさにカバラ的な評価です。完成されたコミュニケーション特性(愛による授与)や、(私たちとは反対の)構成要素の総計、自然の特質。そういったものを持つ絶対的なクリエーター(創造主)に敬意を払っている人は、そのように評価しています。

さらに、私たちが知覚することはすべて、人が、人との関係性の中で知覚するものであり、人の外側に何が存在しようとも全く構わないかのようでもあります。カバラの知恵は私たちが到達するところについて述べています。カバラはすべての科学の基礎をなす科学なのです。

カバラと7つの外側の科学

カバラの科学はスピリチュアル・ワールドと自然の中で働いている力について述べています。これらの力は私たちの世界の事象に影響を及ぼして、そこに様々なイメージを生み出し、結果としてそこにある全てを含むひとつの完全なる宇宙になりました。鉱物、植物、動物、そして人々です。しかし私たちは脳内で反転したスクリーン上でこれら全てを見ています。そのため私たちには、これが私たちの目の前にあるように思えるのです。これが、私たちが現実を想像する方法です。

だからたとえこのイメージが、創造の深遠さや、その意図、そしてクリエイターの性質を獲得させてくれるものであったとしても、カバラの科学はこの完全に間違ったイメージとは隔離されています。しかし本質的にカバラの科学は、この外面的イメージから内的なもの、クリエイターの力と被造物の力という2つの力のみが残る真の状態へと向かう方法を教えています。

もちろん、そのそれぞれがもっと多くの部分、特定の力や行為に分類されます。しかし基本的に話されていることは、力についてのみです。受け取る意志や楽しむ意志、それらの間で起こることについてです。これが全ての科学を作っています。

もし、ある科学がこの2つの基礎的な力の相互作用について話すなら、その時私たちはカバラの科学を用いています。そしてもしそれが、鉱物、植物、動物、人間という物質の異なるレベルにおける、それらによる様々な結果について話すなら、その時私たちはこの世界の科学を用いています。

もちろんこれらの科学は真実であり、外側の動きについての知識を与えてくれます。この2つ内的な力の動きは、この外側の動きを通して表現されています。しかしこれらの科学はかなり制限されていて、私たちの狭い世界の境界内でしか頼りになりません。

自然の中で働いている2つの基礎的な力を説明するカバラの科学が、他の全科学の基礎であるということが分かります。そしてそれは物理学や化学、生物学、動物学のように自然や外側の世界を研究する自然科学だけでなく、音楽やダンス、芸術といった人が直接関わるものも含んでいます。

この全てはまた、この世界を知覚し感じとる人間の能力についての知識を私たちに与えるため、“7つの基礎的な外側の科学”の一部なのです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/21/11, “Introduction to the book Panim Meirot uMasbirot”

スピリチュアルな歓びの秘密

質問:なぜあなたはスピリチュアル・ワールドに到達した喜びについて、ほとんど話さないのですか?

答え:喜びについて話そうとしても、残念ながらそれを言葉にして伝えるのは不可能です。

「もし常に人類が経験してきたか、もしくは経験している、これから経験するであろうこの世界のすべての喜びを合算しても、最も低いスピリチュアルレベルにおけるその10億倍素晴らしい上層の光と比べるなら、それはただの小さな火花にすぎない」と、カバリストは書いています。

私はそれを信じませんでしたが、それをよく調べて照合した結果、確信するようになりました。私はあなたにも同じようにすることを望みます。

コメント:人がいかに全人類の歴史上の喜びに対抗する準備ができているか、想像することしかできないのですね!

答え:人が受け取りの意図でなく、与える意図を持って動くとき、彼は、彼自身を通して世界の全ての喜びを受け渡すことができます。そして、その人は受信機ではなく導線になるため、「電気ショック」を受けることはありません。

彼は自分を通して他者に全てを受け渡すパイプのようなものなので、光そのものではなく、他者を満たすことで得られるものを楽しんでいます。これが秘密の全てです。

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From the Kabbalah Lesson in Russian 2/28/16

カバラの叡智の類いまれな素晴らしさ

カバラの叡智と自然科学を比べるとき、私たちは多くの類似点と相違点を発見します。カバラでは「目に見えるものしか判断することはできない」と言われています。これは完全に科学的なアプローチであるため、物質的科学とスピリチュアル的科学の両方に全く同じ方法でアプローチする必要があり、それはつまりカバラの叡智に従う必要があるということです。

一般の科学が用いるものは全て、カバラの叡智でもよくある典型的なものです。それは到達、統計データの再現性、グラフなどです。カバラの叡智はやみくもな信仰ではなく、到達です。カバラの叡智によれば、信仰とは上層世界の感覚であり、世界を満たし、聡明に動かしている力の感覚です。これがまたカバラの叡智と他の科学との違いであり、他の科学では霊的に動きのない世界とみなされる段階で、上層の力の結果のみを知覚しています。

カバラの叡智はこの世界の一般の人々が、感じないかもしくは気づいていない真の支配する力を探求しています。そのためには、この力に類似した同様の特性を獲得する必要があります。形態の同等性における自然界の法則では、人は彼の感覚に一致したもののみを感じることができます。その時だけ、彼はただ唯一の上層の自然の力を探求することができるのです。

カバリストたちは自分たちの研究を、データやスケッチ、グラフなどで記録し処理します。彼らはまた、ヘブライ語のアルファベットは、様々なつながりを伝える信号であり、ポジティブとネガティブという2つの自然の力を結ぶ特別なシンボルでできていると主張します。

実際、ヘブライ語とアラム語は互いに互いを補完し、与えることと受けとることという2つの自然の特質を研究した結果として現れています。それらはポジティブとネガティブなど、この世界のすべての動きと現象の根底にあるものです。

カバラの叡智は主に根本的な自然の力の獲得を目的としているので、それはより正確で、より広大で、他の全ての科学よりもはるかに深遠です。これは普遍的な智恵なのです。

これは古代哲学者や中世の哲学者、科学者、そしてカバリストによっても述べられています。さらに、最近出版されたニュートンの日記によると、彼はヘブライ語とカバラを勉強して、そこから彼が書いた法則を突きとめました。

カバラの智恵の類いまれなところは、私たちがすでに定義している感覚を使って自然を研究する物質的な科学とは違い、人がさらなる新しい感覚を創造することを求めるところにあります。カバラはその人自身のなかにさらなる感覚を発達させる人のための科学なのです。

自然のなかには授与の力、相互的なつながりの力がありますが、それを知覚する内的なセンサーやレシ—バーを持っていないため、私達はそれらに気づくことができません。私たちが知っているのは創造のほんの一部のみで、それもかなり一方的なものです。

カバラの叡智は、受け取りという1つの力がある私たちの世界についてだけではなく、2つの力で作られた創造の全てについて私たちへ伝える科学です。2つの力とは、与える力と受け取る力のことです。科学者は今のところこれを理解せず、そのほんのわずかしか認めていません。問題は小さなエゴの力に仕えるという人の心ではなく、全創造を感じる必要性であり、それが私たちの範囲内で明かされたのです。

実際この必要性が人を前に押し進めるのです。人は、自分が人生の意味やその理由、その根源、そして目的に到達しなければならないと理解します。それらなしでは、人生の意味はありません。

科学者は人間の状態での獲得について述べていますが、一方でカバラの叡智はその根源について私たちに伝えています。何が人を操っているのか、なぜ、何のために、何に向かっているのか。また同時に、私たちは上層の力に類似する範囲においてのみそれを研究することができるので、カバラは私たちが内面を変える必要があると説明しています。

そして最も重要なのは、なぜカバラを勉強するのかということです。これは大きな障害でもあります。他者をケアすること、他者の利益のために他者を助けること、カバリストはこれらのために研究しています。これは原則として、一般の科学では扱いません。一般の科学は何が存在するかを研究しており、それをどのように適用するのかには興味がありません。カバラは自分たちが欲する方法で科学的成果をねじまげる政治家や富裕層へその働きを提供します。カバリストは彼の中の世界を研究し変化させますが、一方、政治家や富裕層はその使い方を知らないのです。

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From the Kabbalah Lesson in Russian 2/28/16

自然活動における異常は人間に責任があります

新聞記事(Naukanewsから翻訳):近年に観測されるようになった異常な太陽活動は、現存するどんなモデルとも一致せず、結果が予測できないという問題をはらんでいる。この異常には終わりがないようにもみえる。特に太陽においてだが、一般的な恒星活動について現代科学の解釈が基本的に誤っているとの証拠は増え続けている。

私のコメント:自然のなかの最も高い存在としての人間は、その願望と思考を使って自然界の無生物段階と動植物段階の活動に影響を及ぼします。太陽活動と自然活動の全体は人間活動のなかに根源があります – したがって良い結果は期待しないほうが懸命です!

上層の光とは何か?

受け取った質問:カバラは科学であるとあなたは言います。これは妥当でしょう。授与と受け取りという2つの自然の力。すべての自然は授与以外の何ものでもなく、人間が均衡を崩壊させる自然の中の唯一の要素であって、不均衡をつくりだし、これが私達の苦しみの原因になっている。

ここまでは全ていいとしましょう。しかし、ついに私達がその均衡を修復するという箇所になると、あなたは「Ohr Makif(包む光・Surrounding Light)」と言います。ふうむ・・・。なんらかの光がどこからともなく来て私を是正する。そして、私が最も困惑するのは、この光が書物から来るということです。お願いします、「ひかり」が何であるのか、明確かつ現実的に説明又は定義してくれませんか? 私はカバラが、力、自然、願望等々についての科学であると考えていました。私の認識では、「上層の光(Upper Light)」とは科学的な専門用語ではなく、何か奥義的なものに直結します。この概念をもっと理にかなったもの、理解可能なものにしてくれませんか? 私達を是正するこの力とは何ですか? これは授与の力ですか? そうなら、何故それは「Ohr Makif」と呼ばれるのですか? どうしてこの「光」が私達の発展(進化・発達)の道において、苦しみを回避させることができるのですか? それは物理的な光と何か関係がありますか?

私の答え:もしも私が、科学好きのあなただったら、“Preface to the Wisdom of Kabbalah”(Pticha:カバラの英知の序論)を勉強するか、又は、Talmud Eser Sefirot(10個のセフィロートの研究)でさえも勉強し始めるかもしれません! これらのテキストは、スピリチュアルな概念を科学的な言葉で説明します。第一に、 願望・欲望について。第二に、「自分自身の為」という意図を「クリエーターの為」という意図に成るように是正することについて。第三に、 意図の是正された程度にまで、光・喜び・クリエーターによって満たされるということについて。カバラには、これら以外に何もありません。

Ohr Makif(包む光・Surrounding Light)とは力であり、それは私達の切望する、より是正された状態から私達に影響を及ぼします。それは以下のようにあなたの切望に反応します:それに対するあなたの切望の強さと同じ程度にまで、あなたをより高く、より愛他的な状態に引き寄せるのです。これはあなたの願望にある2つのベクトルの相互作用です。私達の世界にも、これと同じような力の相互作用は、人が新しいものを切望するときに存在します。その違いとは、スピリチュアルな切望の場合では、あなたを新しい状態に引き寄せる力が、「光」と呼ばれるものであるということです。その理由は、それがあなたに対する影響を通じてただあなたを引き寄せるのでなく、あなたを変化させ、スピリチュアルで愛他的な新たな状態のように成らせるからです。この光の力と、この世で見られる新たな状態に引き寄せる力の違いは、私達の世界の力には、あなたを何かに引き寄せるのに、あなたを変化させる必要がないということです。