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人が死ぬと魂はどうなるのか?

「人が死ぬと魂はどうなりますか?」
私がかつて、我が師、ラバシにこの質問をしたところ、彼はこう答えました。
「それは、一日の終わりに汚れたシャツを脱いで、洗濯機に投げ入れるようなものだよ……」

これと同じように、人生の終わりにも魂から体を脱ぎ捨てます。身体は朽ちてなくなりますが、魂は生き続けます。古いシャツを脱いでも生きたままなのと同じように、肉体を脱いでも生きたままなのです。

質問:ならば、身体なしで魂はどのように存在するのでしょう?

答え:今も魂は体なしで存在しています。身体に伴ってはいますが、それに触れてはいません。魂はあなたが感じることができない別の次元に存在しています。

バール・ハスラムは『平和』という記事でこう書いています。
「このように我々の世界では、身体は新しくなっても新しい魂というものはなく、(形態変化の輪の上で)実体化するある決まった量の魂だけが存在する。そのために魂に関して言えば、創造の始まりから是正の終わりまでのすべての世代は、魂が発達しあるべき姿に是正されるまで続く数千年にわたる人生を生きるひとつの世代である……」

この世で魂が発達する期間は6000年です。この発達は5775年前に生きていたアダム・ハリション(最初の人)から始まり、6000年が終わるまで続きます。つまり、私たちにはあと225年残されているということです。この間に、私たちは全員で自らの魂を発達させなければなりません。それは集合的な魂における私たちの役割であり、私たち全員で全員をひとつの魂につなげるということです。

カバラの知恵はその全過程を説明しています。140億年前、ひとつの火花から私たちの宇宙の物質的進化が始まりました。ひとつの火花が「ビッグバン」の始まりとして用いられたのです。こうして、無生物の進化が始まりました。そして、20億年前、最初の植物が地球に現れ、次に動物が現れ、その後人類が現れると、人類はその次の段階、つまり上層の世界、生命の源を獲得したいという欲求が芽生えるところまで発達してきました。

無生物から始まり、植物、動物、人間へと続いた発達の中で、人間は、魂の発達と呼ばれるより高い段階へ至らなければなりません。次の段階、その上の世界へと上がっていくということです。上の世界にも、無生物、植物、動物、人間という発達段階があります。しかし、その上に、私たちが成長しさらに高い世界へ上っていくのに必要なスピリチュアル段階があります。私たちはこうやって5つの世界を通過していくのです。

質問:アダム・ハリションは5775年前に生きていて、彼は自分の内で魂を発達させたのですよね?

答え:そうです。だから彼はアダム・ハリションと呼ばれています。

質問:つまり、あと225年の間に、すべての人がその内側に魂を発達させなくてはいけないということですか?

答え:そうです。あと225年、もしくはそれよりも前にです。誰一人例外はありません。だから、私たちはこの発達が速度をあげていくさまを目にすることになります。時間はその濃さを増し、一見すると縮小して圧迫されていきます。私たちが自分たちの内側に魂を発達させないならば、そして発達に向かって自分自身を押しやらないならば、自然の力はあらゆる災害やさまざまな問題で私たちを圧迫し、私たちをすさまじい重圧のもとにさらします。自然の力が私たちを魂の発達へと向かわせるのです。

魂の発達はなによりこの世でしか起こりません。そして、それは人々の間のつながりを通してのみ改めていけます。私たちの間のつながりを通して、私たち全員にとっての全体であり共通であるたった一つの魂に形を与えるのです。

カバラと7つの外側の科学

カバラの科学はスピリチュアル・ワールドと自然の中で働いている力について述べています。これらの力は私たちの世界の事象に影響を及ぼして、そこに様々なイメージを生み出し、結果としてそこにある全てを含むひとつの完全なる宇宙になりました。鉱物、植物、動物、そして人々です。しかし私たちは脳内で反転したスクリーン上でこれら全てを見ています。そのため私たちには、これが私たちの目の前にあるように思えるのです。これが、私たちが現実を想像する方法です。

だからたとえこのイメージが、創造の深遠さや、その意図、そしてクリエイターの性質を獲得させてくれるものであったとしても、カバラの科学はこの完全に間違ったイメージとは隔離されています。しかし本質的にカバラの科学は、この外面的イメージから内的なもの、クリエイターの力と被造物の力という2つの力のみが残る真の状態へと向かう方法を教えています。

もちろん、そのそれぞれがもっと多くの部分、特定の力や行為に分類されます。しかし基本的に話されていることは、力についてのみです。受け取る意志や楽しむ意志、それらの間で起こることについてです。これが全ての科学を作っています。

もし、ある科学がこの2つの基礎的な力の相互作用について話すなら、その時私たちはカバラの科学を用いています。そしてもしそれが、鉱物、植物、動物、人間という物質の異なるレベルにおける、それらによる様々な結果について話すなら、その時私たちはこの世界の科学を用いています。

もちろんこれらの科学は真実であり、外側の動きについての知識を与えてくれます。この2つ内的な力の動きは、この外側の動きを通して表現されています。しかしこれらの科学はかなり制限されていて、私たちの狭い世界の境界内でしか頼りになりません。

自然の中で働いている2つの基礎的な力を説明するカバラの科学が、他の全科学の基礎であるということが分かります。そしてそれは物理学や化学、生物学、動物学のように自然や外側の世界を研究する自然科学だけでなく、音楽やダンス、芸術といった人が直接関わるものも含んでいます。

この全てはまた、この世界を知覚し感じとる人間の能力についての知識を私たちに与えるため、“7つの基礎的な外側の科学”の一部なのです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/21/11, “Introduction to the book Panim Meirot uMasbirot”

人生のゴールへの理解

質問:今日、私たちは無意識的に存在すると言う科学者がいます。スピリチュアルと物質的な世界の違いは意識的、無意識的に存在することにあると言えますか?

答え:私たちは完全に無意識な仕方で自動的に存在し、自分たちが誰であるかまったく知りません。私たちは何であり、なぜ生きているの分かりません。私たちの体のすべての臓器と細胞、私たちをとりまく全てが私たちを刺激し、私たちは生きる瞬間を感じます。

ですから、私たちには何かを変える機会が少しもありません。自由意志は全くないのです。全てはあらかじめ決められていて、私たちの発達におけるある時点で、自分たちの存在の実状に失望し、その無価値さ、無意味さ、そして空虚感を悟り、人生の意味を見つけることを切望し始めるように、私たちは様々な状況で“操作”されているのです。

私たちの世界の意味は、次のスピリチュアルな次元へ向けてそれを超えて意識的に上昇することを、私たちに可能にするということなのです。

質問:意識的にとはどういう意味ですか? 様々な欲求が絶えずあがってきて、私はその欲求を喜びで満たすために走り回っています。スピリチュアリティにおけるこれらの欲求を、自分自身で作らなければならないのでしょうか?

答え:ある時点で、人は欲求の満たしを追い求めることに疲れてきて、もはやそれらの欲求に感情移入することがなくなります。彼はこれらが彼の欲求の意図であり、絶えず欲求を満たさなければならないのだと悟ります。人はその中に喜びを感じますが、もはやそれにコントロールされたくないと思います。彼は自立し、これらの喜びの感覚にふけたくないと思うようになります。

そして人は考え始めます。「どうしたらこの生き方より崇高なものへ向上することができるのか。なぜ私は絶えず様々な喜びを追い求めなければならないのか。なぜ私はいつもこれらの喜びに身を売るのか。私の人生はこれで十分なのか。これは私を満足させるのか。私はこれらすべてが何のために必要かどうか考えるべきか。これらは刻々と変わるつかの間の喜びで、結局のところ私の全人生は喜びと最小限の痛みを追い求めることを余儀なくさせる」と。

質問:スピリチュアルな世界では、何がその代わりになりますか?

答え:スピリチュアリティにおいて、人は自分が存在していることの意味を獲得し始め、この獲得でその人は、上層世界の存在における説明がつかない感覚、言語に絶する感覚、そして調和への到達、真実、真のゴールなど、つまり物質世界には存在しない全てのもので満たされます。

もし人が私たちの世界に不快を感じるなら、彼は今すぐそれをよい気分に変えなければなりません。そして、そのようにして何度も繰り返し、これが彼の人生のゴールになるのです。スピリチュアルな世界において、起こること全ての意味と自分を超えることに到達した人は、完全なる調和の感覚と彼の中の平静と永遠性を生み出します。

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From the Kabbalah Lesson in Russian 2/21/16

なぜ今日恐竜はいないのか?

もし私達が、クリエイター(創造主)に授与し「彼」に満足を与えるために、私達の利己的な願望の上に一つの共有されたつながりを造り、自分自身をその中に無化するならば、そしてまた私達が一般の人々との仕事、その仕事の中で私達は、クリエイターが私達を通して彼らに授与できるよう彼らを私達に近づけて、私達を通して彼らをクリエイターに近づけることを望んでいるのですが、そのような仕事のためにこの全て(つながり)を使うならば、そのとき私達は全ての高位の「諸世界」、全体システムを発見するでしょう。それは人間の外側には存在せず、むしろ私達の間にのみ存在します。

そして同時に、自然界の鉱物、植物、動物もまた私達の内側にあることを発見します。突然、私達は自分達の内側にキリン、ライオン、全ての野生動物、あらゆる植物、そして全ての人間たちを発見します。これら全ては私達の属性のただの複製(コピー)です。

かつて昔、私達は今とは異なる他の属性を持っていました。その時には、見たところ世界には恐竜たちが生息していました。しかし今ではその属性は変わってしまい、その恐竜たちは姿を消してしまいました。私達の時代においては、私達の中の属性は急速に変換しつつあり、多くの植物や動物の種が絶滅しかかっているのを目撃しています。世界では毎日150種消えていると言われています。つまりそのような速いペースで私達の「受取りたい願望」は変化し、発達し、進歩しているということです。

私達には、植物や動物のレベルでは何も変化していないように見えます。しかし本質的には自然の中で毎日たいへん大きな変化が起こっています。なぜなら、それら全体は一人の人間の中に包含されているからです。自然それ自体は私達の内的な特質の複製にすぎないのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 8/21/13, Writings of Baal HaSulam

世界の知覚を変える反転

質問:もし私達がひっきりなしに物質的な圧力、消費社会の圧力にさらされているならば、どのようにして私達はスピリチュアルに前進することができるのでしょうか?

答え:誰があなた達にこれを与えているのでしょうか? それは上層の力(フォース)、自然の統合された力です。この力が全てをコントロールし、私達共通の運命における全ての紆余曲折を満たしています。

人はこのことを忘れて、クリエーターの代わりに他の誰かを非難しようとする時があります。社会は批判されるべきものではありません。彼(クリエーター)だけが批判されるべきです。しかしながら、私達はどうやって彼を批判することができるというのでしょうか? いかにして絶対的な愛と授与の状態にある上層の力が悪でありうるでしょうか? 事実は「あなた」がこのように知覚しているということです。なぜならあなたのエゴイスティックな意図が(世界を)反転させているからです。それで、あなたはあなたを取り巻く世界全体を悪として知覚するのです。

実際は、私達を取り巻く世界全体は無限の優しさと愛です。あなたの意図(インテンション)を変えてごらんなさい。そうすればどこにも何も問題はなくなるでしょう。

他方で、私達は、私達が抱えているその問題に感謝しなければなりません。何故ならそれらはあなたが変化するために必要な物が何かを、正確に示してくれるからです。

From the Convention in St. Petersburg 7/11/13, “Preparatory Lesson”

最終結果を見る

バール・ハスラム、『Introduction to the Book of Zohar(ゾハールの書の序章)』項目4:これらの質問と疑問を理解するために、その唯一の戦術は行為の終わり、すなわち創造の目的を調べることである。唯一その終わりで以外に、プロセスの途中で理解されることは何もないためである。

これはルールです、行為の終わり(結末)をよく見ることだけによって、すべての詳細、様相、すべての理由、そして、プロセス全体が理解できます。その理由は、唯一その終わりで、あらゆる詳細がどれぐらい重要であって、どの程度これらすべての詳細がこの順序で次々とアレンジされなくてはならないのかが明確になるからです。唯一その終わりで、すべてが完全だと分かります。すべての詳細が正しくアレンジされる時にだけ、完全なる終わりが可能なのです。しかし、私たちが道の途中にいるのなら、どのように終わりに達するのでしょうか?

そして、目的(意図)のない行為がないことは明白である。今日、この事を近代科学で見ます。近代科学では確かにすべては因果関係と絶対的法則に従って動きます。少なくとも自然の中の静物レベル、植物レベル、動物レベルにおいて、私は偉大な知恵、論理、常識を発見します。そこには余計なものはなく、すべては、あらゆる小さな詳細がその他すべての無数の詳細に連結できるようにアレンジされています。だから私は「スピーキング」レベルに関して結論に達することができます:私がその中に見る堕落は、私の堕落した個人的な知覚から生じていて、それが私に「スピーキング」レベルにも存在する素晴らしい秩序を見させなくしていて、それどころか、真実と逆の様相や光景を私に見せているということです。人間社会の中で堕落や大混乱を実際に見ますが、それは私たちがそれを生じさせているからです。

もちろん、この現象に対する他の説明もあり得ます:クリエーターは善良で慈悲深い、彼はすべてを包含していてすべてを行う、しかし、彼は彼の創造物を見捨てたと言うことができます。バール・ハスラムは彼の記事『The Peace(平和)』のなかで、このアプローチについての様々な検証を提示します。しかし、私がすでに人生で目にするものに反応して異なるアプローチを使うならば、最終結果を見るほうが望ましいということをよりよく理解します。私たちの研究における経験から、自然が一定のゴールに向かって発達することが分かります。だからバール・ハスラムは、唯一最終結果を見ること以外に、中間(途中)で理解できることが何もないため、最初に創造のゴールに目を向けるべきだと言うのです。

私は、クリエーターがすべての現実を創造してその後にそれを放っておいたと言って、トーラーとミツヴォット(ミツワーの複数形)の重荷を背中の上に投げる者たちがいることを知っている。ここでバール・ハスラムは、すべてが人間のために創造されたこと、人間が創造物の中心に位置していること、そして、この地点からしか私たちが正しく成長できないことを信じない人々について言及しています。すべては私のために創造された-私たちの世界全体とすべての諸世界-そして、私はこのことを受け入れなくてはなりません。それを明らかにしないといけません。状況を制しなくてはならないのです。「私のため」とは、私がそれを是正でき、それを利用することができるということを意味します。この利用のことは「ミツヴォットを尊守する」と呼ばれ、“改善する光”または“トーラー”の助けを借りて行います。こうして私たちは創造のゴールに達するのです。

確かに、彼らが話した知識なしに、私たちが私たちの堕落した極めて不快な性質の全部で私たち自身を創造したと決める前に、私たちの低さ(卑しさ)と無価値についてコメントすることは不可能であるため。私たちが完全でないことは明白です。しかし、どういうふうに世界の中のすべてのものが徐々にその完全性をあらわにすることを目にしないなら、世界が低いと決めることは不可能です。

問題は:もしクリエーターが完全なら、最初から完璧なやり方で進化を創造したのではないのかということです。 しかし、そんなことはあり得ません。創造された存在の中にも現実がなくてはならないためです。この現実はクリエーターと正反対です。従って、それは二つの反対の部分が組み込まれなくてはなりません:クリエーターの性質と創造された存在の性質です。その二つの性質は創造物の中で成長し、その内部でお互いに向かい合います。それはその二つの性質の中間にあり、それ自身を二つの力から作り上げます:授与の力と受け取りの力です。

この意味は、もしゴールが分からないなら、当然創造を正当化できるようにはならなく、以下のような様々な正当化の理由を見つけるということです:完全であるクリエーターは私たちに失望している、私たちを置き去りにした、彼の完全性の中のどこかで見つかる。他の意見には、クリエーターは善の力と悪の力これら二つの力の中にはまったく見つからない、または、多くの善の力と多くの悪の力があるなどがあります。

どちらにせよ、人がトーラーを受け取らない限り、起きていることを正当化することは明らかに不可能です。「トーラーを受け取らない限り」の意味は、その人が堕落したシステムの中にいて、それがそうであるのは、その人がその部分になるため、そして、毎回システムを稼働させることをさらに目指すということへ自分自身を引き寄せながら光によってそれを是正するためということを理解している状態に到達しない限りということです。その後にその人は、すべてが自分のために創造されたことと、最初にそのシステムを是正することなしに、より正確には、それをインストールすることなしに、クリエーターのレベルに到達することが不可能だと悟ります。子供たちがおもちゃを集めておもちゃを組み立てるといったゲームを通じて自分自身を作り上げるのと同じように、私たちの作業においても、つまりパーツを接続する(つなげる)ことにおいても、それは同じです。だから私たちはゴールを理解するために、つながり、ユニティ、そして相互保証のゲームをしなくてはならないのです。

 

変化の公式

質問:私は仕事の中で、最近何人かの大学教授に接触し、他の事柄とともにカバラについて話しました。彼らは原理は理解していると言わなければなりません。しかし(カバラを)信じません。

答え:その通りです。彼らは(次のような)合理的アプローチをします。

「我々は今まで様々な科学により世界を相当研究してきたので、世界の全体像は明らかである。しかし今ここに(狂っているようにも見えない)男がやってきて、どこから持ってきたのか我々には分からない概念について話し始めている。彼が言うには、これが全ての科学の基礎であり、全ての物事は光(Lights)と器(vessels)に結びつけられるという。」

「我々はこれについて何も知らない。また彼が語るものについていかなる証拠も見ない。彼の説明は大変論理的でもっともに聞こえるが、彼はその知恵を仮想の仮定の上に築いている。「それがそうであると仮定して」と彼は言い、この仮定を根拠に、全体的で完全な哲学を築いているのだ。」

「しかし、もし我々の基準でそれを科学と呼べないのなら、何故それを一つの科学として受け入れねばならないのか? 科学とは(対象について)研究・思考されうるものである。(ところが)彼が言うには、彼の科学とは、それに従って生き、内的に変化することのみを要求するという。我々は今までそのようなものについて聞いたことがない。「人間の性質を変化させる」とは何を意味するのか? 我々は文化を持ち、教育を持ち、人々に親切に共感的になるように教えている。他に何ができようか? これが科学に何の関係があるというのか?」

科学者は認識・知覚の相対性を認知することができません。彼らは、ある人物の(内的)変化が彼の現実(リアリティ)を変えるということを理解しません。なぜなら(その人にとって)現実とは全て彼の内的な反応によって創造されるからです。

カバラの知恵はこの精密な相互連結を説明します。私が自分自身を変える程度に応じて、私が感じる世界が変化します。これ(下図)が鍵となる公式です。ひとつの固定された係数とひとつの変化するパラメータがあります。このパラメータは器、私の願望、私の感受性、私の意図、私の考えなどを反映します。これらが変化すると、そのとき世界が変化します。

Xは「私」です。Kは固定係数であり、Yが世界です。私はこれを聞きたいという人には話します。しかし科学者はこの準備ができていません。彼らには彼らをこの世界から引き出す新しい願望が欠けています。もし彼らがそこまで発達していなければ、彼らは聞こうとしないでしょう。(カバラを学ぶには)人はこの現実世界の現象に敏感であるだけでなく、霊的世界の現象にも敏感である必要があります。

質問:それは何を意味するのでしょうか? そのような知的な人々、学者達は私達を理解できないのですか?

答え:彼らは実際、最も「抵抗する」人々です。なぜなら彼らは既に確固たる基礎を持っていると確信しているからです、

質問:それでは私達は誰を振り向かせることができますか?

答え:あるカバラの寓話があります。プタヒヤという名の男が町にやってきて、全ての「虚しい」人々を砂漠に連れて行きました。結局、もし人生の味について新しい疑問が起きたならば、その人は自分が惨めで虚しいと感じます。

しかし、もしその人がそのように感じなければ、つまり彼がそれに合う器、願望を持っていなければ、それは彼がまだ特定の知覚レベルには達していないということを意味します。

私達はもちろん普及活動を止めません。しかし心の点(point in the heart)を持つ人だけが、カバラの知恵のメッセージを聞くことができます。(そうでない場合)代わりとなるものは、自分が鞭打たれた動物であると感じることです。彼を打つ終わりのない暴風から逃げ場のない動物です。その後で、まさにその困難を取り除くために、私達の後を追う準備ができるようになります。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 1/2/13, “Body and Soul”

上層世界へ逃亡したい

質問:この世界には多くの立派で聡明な人々や力などが存在します。そして、スピリチュアリティにおいては「彼以外に他は在らず」と素っ気なく簡単にいわれます。スピリチュアルな世界に急いで行きたくなるためにどうすれば私はスピリチュアルな世界への興味を感じて、それを味わい、それから喜びを得れるのでしょうか?

答え:どのようにして上層世界への興味を感じれるのか?もしあなたが今以上に興味を感じるのなら、あなたは自分のエゴイズムによって動かされて、エゴイズムを超えて克服し、上層世界へと急ぐことは絶対にないでしょう。故に、上層世界は私益のためではなくエゴを超えて努力するという機会を私たちに与えるために隠されているのです。

もし私たちがエゴイズムを通じて上層世界に移動したなら、私たちは永遠に私たちの身勝手さの中に留まり、エゴイスティックな殻の外へ出る見込みは全くなくなり、その中で生き埋めになるでしょう。私たちがエゴイスティックな領域を超えることは絶対にないでしょう。

もし上層世界がたった今あなたに明かされたなら、あなたはこの物質領域に何の価値もないことをすぐに理解するでしょう!私たちは、人々が自分自身に食べ物を与えるためだけに生きている動物であると明確に認識するでしょう。私はこの人生を哀れに思います。この時点で、努力する価値のあるものは何もなくなり、子どもを産んで苦しみ続けることには意味がなく・・・どうでもよくなります。その後には何があるのでしょう?

思い出しました、上層世界があります!まず何よりも、それはどんな限界をも超える永遠です。時間、動き、情報、全てのものが開かれるようになります。時間は存在しなくなります。時間はこの世だけに存在します。光速を下回る速度においてのみ時間は存在すると物理学者が言及するように。そこでは情報が完全に入手できるようになります。人は自分自身が無限の空間に存在していると気付き始めます。人は諸世界の全システム、つまり宇宙全体のなかで起こっている全てのことについての完全なる知識を獲得します。このシステムがアナログであるためです。システム・クロックは存在しません。それはパルスでは動作しないのです。それは常に連続動作し、同時に静けさの中で静止しています。あなたはそれの中に居ると感じます。そしてそれと同時にそれがどういうわけかあなたの内側に存在していることを知っています。それは、あなたが、存在している全てのものであるということを意味しているのです!

仮にあなたが偶然その様相の最も小さな部分でさえ、その1グラムでさえ見たとするなら、あなたはその感覚の奴隷となるでしょう。バール・ハスラムは、もし私たちの欲求の収縮(その時、人は自分のエゴイズムを自分の胸に秘めて、それを超越することさえもできるようになります。)の前に上層世界の啓示が私たちに起きたなら、たった一生に一度だけその感覚を経験するために、この計り知れない喜びの啓示の1滴でさえ、人に自分の手足を一日に七回切断することを余儀なくさせると書いています。

分かりますか?あなたは奴隷となり、この喜びを追い求める以外に全く何もできなくなるでしょう。あなたはグループ内でも他のどこでも、この種の喜びを受け取るためだけに多大な努力をするでしょう。言い換えれば、あなたはそれを利己的に切望し、そのために自分自身をそれからなおさら遠ざけてしまうでしょう。

質問:もし私たち自身の力が無いなら、どうやってその状態になんとかして到達したいと思うことができるのですか?

答え:友達に訊きなさい。彼らだけがあなたの将来を保証することができるのです。彼らが目標に向かって努力するなら、あなたは達成します。もし彼らがしないのなら、あなたは達成しません。

From the Kharkov Convention “Uniting to Ascend” 8/17/12, Lesson 1

私自身のエゴの鏡のなか

質問:グループの友達が、何のためにエゴが必要なのかと伝えました。私は何のために外側(外の世界)で感じる、つまり路上や街頭で感じるエゴが必要なのですか?

答え:これはすべてあなたの魂の一部です。マルクト、魂、人類、それをどのように呼んでも構いませんが、実のところすべてはあなたです。したがって、残りのすべての人は誰なのでしょうか? 彼らはすべてあなたの一部です。あなただけについての。

これは、それが全ての個人の魂がつながるところの、70億人の多層構造であり、平面ではなく球体になることを意味します。それで、あなたは100%すべてのものが必要なのです。したがって、この世におけるどんな人に対する皮肉な、そして、失礼な態度もあなたのスピリチュアルな前進を著しく遅らせます。

それどころか、あなたは世界の全ての人々、完全にネガティブな人と完全にポジティブな人を、自分自身の切り離すことのできない部分と同じくらい身近に感じる状態に到達しなくてはなりません。彼らは実際は誰でもないのです。あなたにとって、彼らは操り人形であり、彼らはあなたがクリエーターに近づくための正しい背景を与えるためだけに動いています。

質問:私は自分のエゴに耐えることができません。私には選択肢がありません。それは本来備わっている私の一部です。しかし、別の人のエゴをはぐらかすこと、または、追い払うことはできます。

答え:あなたは他の誰かのエゴをどこで目にするのですか? もしあなたがそれをあなたのエゴの中で感じるなら、実際にあなたは何を感じるのでしょうか? それはあなた自身のエゴです。世界は多数の人に分けられているように見えますが、今でさえあなたはあなた自身と話をしているのです。

From the Kharkov Convention “Uniting to Ascend” 8/17/12, Lesson 2

自由な投影

スピリチュアリティには、GEAHPの2つの部分からなる器が存在します。全てのカバラ文献は、このスピリチュアルな「根」を正確に記述しています。その結果が私達の世界においては「枝」となって現れています。言い換えると、アツィルート世界からの根の行為が、目の前にそれらのレプリカを創造します。

分かりやすくするために、私達はそれをスクリーンに反映されるコンピュータ・グラフィックスにたとえることができます。私はスクリーン上に人々の姿形を見ます。彼らの内の何人かはGEの投影であり、また何人かはAHPの投影です。スピリチュアリティには、「アブラハム」と呼ばれるフォース(力)が存在します。それは様々な器、様々な欲求を2つのタイプに分類させます。そして結果として、私達の世界には2つのグループが存在することになります。イスラエル(ヤシャー・ケルつまり「クリエイターに向かって真直ぐ」の意)と世界の諸国民です。

全てが根から派生します。それらはスピリチュアルな「コンピュータ」の中で、そのプログラムが終わるまで、ある特別な「加算」によって処理されます。私達は、私達の世界という「スクリーン」上の処理をたどります。そしてこれら二つのグループの関係に従って、私達はそれらの根について学ぶことができます。また私達はそれらの根まで上昇し、それらの枝について学ぶこともできるようになります。

Free-projection

しかしスクリーン上の投影と「コンピュータ化されたソース」の間には、あるギャップ(Δ)が存在します。それが達成すべき私達の役割です。そのコンピュータの内部には、絶対的で全体的なコントロールと、スクリーンに責任のある存在がおり、その存在はゴール達成において自由意志(選択)を持っています。そして、この選択は「イスラエル」と呼ばれるグループに隠されています。

この問題のある要素に関する、2つの正しい主張はここから派生します。世界の諸国民の立場と、「ソース」の背後にいるクリエイターの立場です。イスラエルこそ、この世界を修正し、皆に何が善と悪かを示し、創造の計画を説明すべきなのです。

イスラエルはこの義務とこの特別な仕事、クリエイターの仕事に誇りを持つことができます。またこれを「無関係なもの」として投げ捨てることもできます。どちらの場合にしても、歴史を見れば分かる通り、全てがこれらの人々を中心に回ります。それが彼らにとって幸運か不運か、それはあなたの見方次第です。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/30/12, “A Handmaid That Is Heir to Her Mistress”