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霊的発見までの9つの段階

私たちの目標は光との同等性と調和に到達すること、言い換えると、是正の完了、つまり永遠の愛と授与に到達することです。この状態は、光に似るために何が欠如しているのか理解するのに必要とされる特性に対する私たちの気付きと感覚、そして上昇を必要とします。それには内なる変化を経験しなくてはなりません。

すなわち、私たちの作業のすべては、いま自分が感じていることと、自分が正された状態で感じているであろうことを理解することです。いかなる状態でも私は光のように反応しなければなりません。

自分の人生の全瞬間において、私は光と釣り合った状態、つまり形態の同等性を切望しなければなりません。このためには、まず第一に光の特性を知ることが必要です。しかしそれまでは、私たちは隠されている状態(in concealment)に在り、光との同等性に到達してないかぎり、光を感じません。光を感じないなら、どうやって私は光に似ることが出来るのでしょうか?

ここで私たちを助けてくれるのが私たちのために創造された、この世という状態です。この世という状態が他の諸世界のいずれにおいても存在しないことは驚きです。ここ、この世では、たとえ私が完全に砕け散っている状態、つまり光と完全に正反対の状態にあるにせよ、そのすべてにもかかわらず、私のように光との同等性を探し求めている願望を発見する可能性があります。彼らは私のように上層からこの強い願望、この精子の1滴、つまりこの“心の点”を授かります。それなしには、この強い願望は呼び覚まされないでしょう。

この時点から、もう私たちは光に似た行為を始めることができます。つまり、私たちがお互いに交流する時に、私たち自身から光の行為と呼ばれるものの手本を作ることができるのです:授与、愛、相互扶助、相互協力、そして目覚め(気付き)。お互いを少し暖めるために、煽動するために、つまり友のなかに願望と羨望を起こさせるために、光が私たちにするそれらの行為をする機会があるのです。

光つまりクリエーターの代わりに、私たちにはグループが与えられます。クリエーターが人に幸運をもたらし「うけとりなさい!」と言うのです。言い換えると、クリエーターがその人を実験室へと連れて行き、私たちの砕け散った破壊された状態にも関わらず、それを通じて友だちの助けを借りて前進することができる型(モデル)に入れるのです。クリエーターがあなたを彼らのところに連れてくるのです。そして、今やあなたは行動しだします!

それ以外の全てはあなたにかかっています。つまり、あなたの作業の仕方と、あなたに授与するクリエーターと同じようにグループに対して関わることによって決まるのです。クループとの対話や相互作業を始める時、あなたはグループがどのようにあなたに影響を及ぼし、また、あなたがグループに影響を及ぼすのか明らかにするでしょう。それなら、一緒に上昇することが可能です。

そのように、私たちはグループの全員のために相互扶助と相互に影響し合うことを全員に義務付けるアーヴット(Arvut:お互いに保証しあうこと・相互保証)とよばれる状態に至らなくてはなりません。私たちは、友だち全員の前で光の授与を演じます。つまり友にクリエーターの授与を示すのです。そして友は、自分自身を正して光に似ることを望む被造物(創造物)のように、私たちに反応を示さなければなりません。

言い換えると各自が、グループと一体になること、グループとつながること、グループにくっつくこと、1つのハートとマインドを持つ一人の人に成ることを望むのです。つまり、私の何もかもがなくなるように、完全に友だちのなかに溶け込まなければなりません。私はグループの中に没入することを望むのです。それが各自がしなくてはならないことです。そして、このことに対して皆が皆を助けています。

この結果として、努力の最後の1滴の後に、私たちは1つのハートを持つ1人の人に本当になります。この1滴は食事の最後の一口に似ており、その後になって満腹状態が生じ、私たちは私たち自身を満たしたと感じるのです。こんなふうに私たちは完全なハヴァヤー(HaVaYaH, יהוה‎)、つまり10個のセフィロトを全部そろえます。ほら、最後のフェーズ、つまりマルフト・デ・マルフト(Malchut de Malchut)だけが、誰を相手にしているのか、なぜ、そして、どのようにふるまわなくてはならないのか、どのように構成されているのか、どのようにクリエーターが構成されているのか、もしクリエーターからすべてのもの(光と願望の両方)をもらうなら、それに応じて何をしなくてはならないのか、を感じ、理解し、知っているのです。

従って、アーヴットが第一段階です:つながってたった1つの統一体になること。そしてもうこれ以上することがないように思われます。しかしながら、それまでは、これらが単なる言葉にすぎないと私たちは知っています。「行為の結果は最初の考えの中にある」と言われるように。思いの上では既に私たちは最終結果に到達したいのですが、長くなりうる道を通らなくてはなりません。ほら、私は私自身を作り上げなくてはなりません。そして、そのとき初めて私はクリエーターを知るのです。

すべては上層から完璧な形に創造されますが、被造物(創造物)は、この完璧さを獲得し、クリエーターに気づき、クリエーターのようになり、クリエーターの深遠さの全部を理解し、すべての行為においてクリエーターに似なければなりません。ほら、もし被造物の状態がクリエーターとの完全なる同等性以下なら、クリエーターが被造物にとって有益であるとは考えられないのです。

私たちは、これらの段階のすべてを通らなければならなく、前の段階を終えない限り次の段階を経ることは出来ません。したがって、最初からアーヴットについて、つまりクリエーターとの形態の同等性について、つまり自然との調和について話しているのです:交接、抱擁、口づけ、クリエーターとの形態の同等性の表現のすべて、そして、それらすべてにもかかわらず、これらはすべてまだ言葉でしかなく、私たちは今やこの状態を築き始めるのです。すなわち、私たちは第二段階以降に入るのです。全般的に見て、霊的発見に至る9つの段階を発見することは可能です。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 1/7/14, Lesson on the Topic: “Preparation for the Convention”

 

私達の唯一の選択肢はユニティ(統合・和合)

特別号:イスラエル南部の出来事

私達の国は分断されています。イスラエル南部の人々は差別待遇されていると感じています。そして多くの人々が「南からの難民」を受け入れる意志を表明していますが、実際のところ、南部の人々が経験していることを全ての人が理解しているわけではありません。子供と大人の両方が、砲撃に上手く対処することは困難であることが分かっています。私達の社会はこの打撃を経験している人々に向けて現実的なサポートを提供しなければなりません。

全ての干渉の上には温かさと相互の共感があるべきです。ミサイルやお金は今日助けになりません。

超大国の膨大な資源の崩壊はまだ起きておりませんが、事実、私達はすべて同じ「小さな惑星」におり、同じ「勢力圏」におり、全てが相互接続してします。そのためグローバルなバランスなしには、ホメオスタシスなしには、私達は完全な崩壊へ達するでしょう。

しかしながら、今日でさえ、私達の間の相互保証によって、私達は世界全体に向けて(模範的な)例を示すことで、この危機を克服することを助けることができます。結局、この危機はテロや経済・財政危機のみでは終わりません。それは例えば大自然災害など、戦争よりも悪いものになりえます。今日、世界は痛切に、相互保証の原理を必要としています。それは私達の間に調和をもたらし、大自然との調和をもたらします。

ユニティ(統合・和合)は自然法則です。しかし私達はどこで、お互いに近づくための最初のステップを踏み出す力を見つけることができるのでしょうか? 今日のすべての「解決法」は崩壊を遅らせるための一時的な努力です。誰もがこのことをよく知っています。単純にいえば、つながること以外の選択肢はありません。イスラエルはそのことにおいて秀でた例になることができます。私達がまだ一つの国家とみなされず、私達の状態が「形成のプロセスにある」状態と見られていることは偶然ではありません。これは実際に真実です。なぜなら私達はまだ一つの統合された国家ではないからです。私達はまだ、遥か昔に与えられた条件を満たしておりません。全ては私達の手の中にあります。

余計なものは全てフィルターする

カバリストはその独自の経験からグループの法則を定めました。グループを創る目的はつながること、そしてクリエイターのようになることです。グループはこの状態を達成したいと望む人々が集まることで形成されます。そしてもちろん、グループは何故自分たちが存在しているかを理解すべきです。グループにはまだそのことを理解せず知覚しない新しいメンバーも含まれますが、しかし短期間の内に、私達はグループが存在している理由を説明し、そして非強制的に、私達は次第に彼らをこの状態へと導きます。

このグループは一つに統合されるべきです。そしてそのことにおいて、いかなる歪みもあってはなりません。それは管理者と、管理者に従う労働者からなる工場ではありません。カバラを勉強するグループにそのようなものはありません。全てが集合的・共同体的です。

私達は様々な異なる委員会をつくります。それらは奉仕と助け、グループの維持と組織、勉強・研究、祭日、食事の為のものなどです。これらすべては正確に、全ての個人と集団の基本的統合に適合するものであるべきです。私達は皆異なりますが、私達は全体として平等であるべきです。ある人が賢くてもう一人が愚かであることに違いはありません。誰もがあるがままに自然で、その固有な形態は必要不可欠なのです。

次のようなメカニズムを想像してみましょう。ある部分は速く動き、他の部分はゆっくり動き、右へ動くものあれば、左へ動くものあり、他は軸の周りを回っていたりします。誰もが彼独自の役割を持ち、重要なことは誰もが全体的なユニティ(統合・統一)のために彼のベストを尽くすべきであるということです。グループにおける他の条件は、その結果としてつくられます。

主要な条件とは相互援助であり、これが私達をつながりへと導くものです。なぜなら一人の人間には是正する箇所がないからです。私たちの一人一人は絶対的な全体であり、他者とのつながりという一つのもの以外に、堕落している箇所は何もありません。そのような訳で、私はある個人の性格や外見や、嫌な習慣や、他の何であろうと、それに注意を払うことはしません。このすべては私の関心ではありません。私はある種の「フィルター」を使い、これらすべてを見ないようにします。つまり誰々が赤毛であるとか、誰々がうんざりさせるとかイライラさせるとか、彼らが私を思い通りにしようとしても、しかし私は気にしません。私は「フィルター」の背後で、たった一つのことだけを見なければなりません。それはその人物が持つ、つながりやユニティに向かう態度です。というのも、これこそ私達が彼において是正すべき唯一のことだからです。もし彼がその線において働くならば、彼は私の友人です。しかしもし彼がそうでなければ彼は私にとって見知らぬ人です。

私達は他者とのつながり(コネクション)を除いて、私達の中にある何ものも変えようとすべきではありません。これは大変重要なことです。私達はこれに対して多くの時間と力とを浪費しています。私達は不必要なことに取り組むことは止めるべきです。なぜならこのようなやり方では、私たち自身を破壊し腐敗させるだけだからです。あなたはあなた自身の道に留まるべきです。1グラムのエネルギーたりとも無駄にすべきではありません。ただコネクションに投資しなさい。

このことが明らかになるとき、この仕事は柔和で相互的になります。それは食事になり、相互関係と愛の希求となります。私達は他の何ものにも注意を払うべきではありません。ただ一つの条件だけが存在します。私たちの間のつながりです。そしてグループは常にその注目をここに置くべきです。

私達の行く先には長い道のりが待っています。そしてそのはじめには多くの歪曲、間違った理解、苛立ち、爆発などが起こるかもしれません。しかし大切なことはたった一つです。それは人が真にユニティを希求しているか否かです。もしその人が自分の中のこの衝動を強めようと試みているなら、そのとき私は彼の他の問題すべてを自分自身に引き受けて彼を助けます。

From the Georgia Convention 11/06/12, Lesson 2

非個人的な生(せい)

質問:どのようにして正しいつながりを感じればよいのでしょうか?

答え:正しいつながりとは、つながりのみを感じて、われわれ自身を感じない時のことです。それは今起きていることとは正反対なことです。

もし我々の皆が自分自身を切り離すのなら、我々は我々の間にあるつながりだけを感じるでしょう。すなわち、生きていて存在している全員から成る体のことです。各自は自身の個人的な細胞を感じるのではなく、全員から成る体の中に含まれて、自分自身ではなく全員から成る体のみを感じるまで自分自身を捧げるでしょう。これが、つながりを達成(獲得)したことを意味するのです。

個人的に誰かに属しているのではなく、我々のつながりの結果である、全員から成る体における生命の集団的感覚、この感覚のことをクリエーターと呼びます。

この器をアダム(人間)と呼び、それを満たしているものをクリエーター・生命の光・授与の相互的な力と呼ぶのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/20/12, Writings of Rabash

相互保証は霊的誕生の必要条件

ミューチュアル・ギャランティ(相互保証)のおかげで、人は、その人の必要物全てを提供するために皆がサポートしてくれている、と感じる状態に達します。そしてその状態において、人は他者について考えることが可能になります。人が自分のエゴを乗り越えるのは、この条件においてのみです。

エゴを乗り越えさせる他の力はありません。このエゴは私達を支配する唯一の力であり、それはグループの中でのみ中性化することができます。

もしグループが私のエゴを中性化せず無効化しないならば、私は自分自身の力だけで中性化することは決してできないでしょう。私はその中に永遠に埋もれたままで、そこから誕生して脱出することはできないでしょう。それゆえ、この相互保証は私にとって生命の法則であり、私の霊的誕生の必要条件となります。

もし私がグループから、十分な保護と必要な物全ての供給という、この安全の感覚を受け取らなかったならば、私は自分自身を越えて上ることはできないでしょう。実際、私の中にこの感覚を生むものは相互保証です。この感覚は全く私個人に起因するものではありません。もし友人達が彼らの相互保証によって私に影響を与えるならば、私が彼らについて考えることを止めることはありません。相互保証はそのように働きます。

それは母の両腕の中にいる赤ん坊に似ています。そこでは赤ん坊はいかなる問題も持ちません。赤ん坊は本能的に安全を感じ、そして必要な物は何でも与えられるであろうと感じています。私もまた、グループの両腕の中にあって、この赤ん坊のように感じることになります。全ての問題、全ての心配、全ての疑問が去ったように感じるのです。

私個人につながっているものは何もありません。それはまるで私が空中に浮かんでいるかのようです。私が他者について考え始めることが可能になるのは、まさにこのような瞬間からです。

私達は、不変の法則について、私達に作用する力について、話しています。それは私のファンタジーや推測ではありません。もし、この相互保証の力が私に作用するなら、そのとき私は自分自身を切り離し、そして私個人の欲する・欲しないには何の違いもなくなります。もし友人達がこの力で私に作用するなら、私は自分のエゴの支配から自由になります。そして、その瞬間から、私は他者について考えることが可能になるのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/24/12, Writings of Baal HaSulam

「心の賢者」とは誰?

質問:バール・ハスラムが書いている「心の賢者」とは誰を指しているのですか?

答え:「心の賢者」とは、より高い「知恵」−「ホフマー」に向けて、心を開く道を探し求めている人のことです。それはユニティ(統一)の知恵であり、他者とつながることによって得られます。

私達は心(ハート)でつながることを望み、様々な願望をつなげることを望み、そして全ての心と全ての願望の総計の中から、つながる準備のできたものだけを選びます。そしてそれらの願望の間にコネクションをつくることによって、その中で私達が行動し始めることを望むところの共通のネットワークを創造します。

このネットワークの内側にいる間は、私達はどの願望が誰のものだったかについて忘れます。なぜならそれは今や私達に共通のシステムだからです。それから私達はその中に、ホフマーの光を感じ始め、それゆえ「心の賢者」と呼ばれます。結局、私達は心(ハート)のつながりの中でホフマー(知恵)の光を明らかにします。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/11/12, Panim Meirot UMasbirot

努力なしには学べない

バール・ハスラム、「ラスト・ジェネレーション(最後の世代)」:文字通りの意味で隣人愛に基づく利他主義の法律の採択。各自が能力に応じて働き、必要性に応じて受け取れるよう、利益の公平な分配

我々はバール・ハスラムがこれらの原理をマルクスから取ってないことを明確に理解しなくてはなりません。一般的に、彼の方法は例えばマルクス、アインシュタイン、そしてフロイトなどの科学者の概念に基礎を置きません。彼は、器たち(魂たち)の是正された完璧な形態を見るだけで、我々がゴール(是正の終わりと完璧さ)へと向かって前進しながら、この世で通過すべき段階が何であるのかを目にするのです。

我々は、身体、社会構造、人々の関係、国々、様々な政党および政治運動について話しているのではありません。そうではなく、我々は魂たちについて話しているのです。すなわち、魂たちがどのようにして一体化し、一つの魂になり、ゴール(無限の世界での是正の終わり)へと辿り着くのかについて。

どうやって我々は、この世における連続的な物理的行為の助けを借りて、スピリチュアルな是正をもたらすことができるのでしょうか。「あなた(クリエーター)の行為から我々はあなたを知ります」と言われています。我々はまずはじめに行為を遂行し、そしてその後にそれを理解するのです。現実の世界でもそうです。例えば、新しい職場で私はまず盲目的に管理者の指示を遂行し、自分の職務を学びます。

同様に、子どもは大人をまねます。そして、この本能のおかげで、後に子どもは何が起きているのか理解し始めます。別のやり方ではなく、あるやり方で行動する必要があるという理由です。子どもは常に練習によって勉強し始めます:彼は見た手本を何回か繰り返し、その後になって初めて、我々は彼にその状況の道理を説明できるのです。そして、彼はもしかすると彼の理解から何かを加えて、そのタスクを我々がするよりもさらに上手く遂行するでしょう。

したがって、何でも新しいものは古いものを模倣することから始まるのです。そのため、バール・ハスラムの作品を勉強しているとき、我々は彼が何を通して我々の状況を見ているのか理解しなくてはなりません。彼の視線は、諸世界における今日我々の目の前に現れている非常に外的な形態から、是正の終わりで彼が目にする様相までのすべてを貫きます。彼はすべての人がゴールに向かう途中で通過しなくてはならない全過程を目にします。そして、そのゴールとは、我々が、身体もない、この世もない、無限の世界で最終形態の自分たち自身を明らかにすることなのです。

したがって、重点はマルクスでも誰かの有名な引用文でも社会主義的な見解のなかでもありません。バール・ハスラムは、我々がどんな状態を通過しなくてはならないのか、そして、どのように振る舞うべきか説明するために、マルクスの理論や他の理論、定義、記号、そして名前をただ利用しているだけにすぎません。彼は、最後の是正に向かう途中で我々が持っていくものすべてを説明する、別の言葉を見つけることもできました。あなたは彼が社会主義者であるとみなすべきでも、彼に何か政治的な共感があると思うべきでもありません。是正の正しいステップを我々に示すために、存在する概念を用いることは、彼にとって都合がよいことなのです。

したがって、彼は他者への愛から始めます:最初、我々はこのやり方で、我々が破壊のあとの器たち(複数の欲求)の是正について話していることを知りつつ、自分たち自身を教育しなくてはなりません。一体化とは、是正された状態に我々を戻す唯一のツールです。したがって、この段階において我々が理解するところの文脈では、この一体化は以下の概念によって定義されます:「あなた自身としてあなたの隣人を愛せよ」そしてさらにもっとあります。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/26/12, Writings of Baal HaSulam, “Last Generation”

アナログシステムで「ほとんど」は数えない

質問:カバリストは言います。次のように書かれています。「世界は多数により判断される、そして個人も多数により判断される。そのため、もし人が一つのミツヴァを実行するなら、彼は幸せである。というのも彼は、彼自身と世界全体に対して(天秤上)価値のある目盛の方向へ、判決を下したからである。」どうしてこのようなことが可能でしょうか?

答え:システム全体では、個人と全体は等しいものです。私達はそれを理解しません。なぜなら私達はいつも量的データによって操作されているからです。しかしアナログでインテグラル(統合・完全)なシステム全体では、そのようなことはなく、最も小さい部分ですら決定的な意味を持ちます。

もしその小さい部分が壊れると、システム全体が壊れます。それは半分の力でも99%の力でも作動できません。たった一つでも欠陥がある限り、システム全体は作動しません。

魂の間には相互連結の法則がいくつもあります。それが一緒になって一つの願望をつくります。ここから連結のための条件が出てきます。つまり「一つのハートにおける一つの人間」です。それは全ての人が「理性の上に」エゴを超越する時です。

もちろん、私達はこの目標に向かって、完全な連結に至るまでの125段階のレベルを通過しながら、徐々に進みます。しかしその過程の中でさえ、個人と全体の等価原理は物事に影響します。そのため、私の1グラムが、この円形の全体システムに加えられると、そのシステム全体が正しいレベルへ上がることも可能になります。私達はこの原理を使わなければなりません。それはつまり、それぞれの個人が行うもっとも小さな行為ですら重要なものとして見ることを意味します。

質問:これは私の堕落もまた、システムに転移されることを意味していますか?

答え:そうです。バール・ハスラムがこれについて書いています。しかし重要な点は、私達のシステムが既にほとんど全体的に腐敗しているということです。私達は底から、最低の状態から上昇を始めます。そしてはじめに、最も純粋で最も軽い器、願望を是正します。

質問:このインテグラル(統合・完全)の法則はすべての人に作用するのですか?それともそれに気付いている人たちだけですか?

答え:はじめに、グループが明らかにされることで、人はこのシステムに入り、システムの仕事に参加します。加えて、外部には、全イスラエルからなるシステムと、世界の諸国家からなるシステムがあります。それぞれの部分がその重さに従ってシステムに所属しています。

ユニティ(統一・結束)そのものは隠されています。そして今現在私達に明かされているものは、その硬い外皮(表面)だけです。それは最も是正しやすい部分です。私達各自が世界を(秤の上で)価値ある目盛へと動かせる、というメカニズムが機能するのはこの部分です。

なぜなら、当面の間は、これが私達の世界だからです。これが今日明かされ、そこで仕事が出来るように私達に与えれている部分です。私達はまだ十分な強さで、アイン・ソーフマルフートの中に入っていません。私達はいつでも、そこで仕事ができるように、その一部である薄い層を発見するだけです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 8/16/12, “The Arvut (Mutual Guarantee)”

仕事の奴隷

21世紀になり、世界は大いに変化しました。かつて人々はより自由でした。人々は仕事の渦の中に飲み込まれ、奴隷になったのです。これは、中流階級、ハイテク産業の従業員、政治家、経済学者、政治学者、社会学者、そして、全ての職業の人々にでさえ当てはまることです。働く人の全員は、完全に仕事に売られています。私たちは奴隷になったのです。

私たちの人生のすべては仕事を中心に回っています。現代人は、食事を取ることや、テレビの前に座りながら休むことにあまり時間を費やしません。現代人は時間のほとんどを仕事で浪費し、通勤に一、二時間、時間を無駄にします。このようにして現代人は仕事をし、丸一日を過ごすのです。

会社は自社のデイケア・センターや集団静養を手配してくれます。会社はあらゆる手を尽くし、従業員を職場にさらに強く所属させます。このようにして人は会社の奴隷になってしまうのです。その人は仕事以外に何か他のものがあることを理解することさえもしません。仕事が人生で最も重要なものになり、人生を完全に埋め尽くすのです。

私たちが知り合いに会う時に最初に尋ねることは、どこで働いているのか、何をしているのか、そして、どれぐらい稼いでいるのかといったことです。基本的に、私たちは知り合いを人としてではなく、職業人として扱います。それはあたかも私たちが自分たちの目の前に人を見ないかのようです。私たちは、その人が何に興味を持っているのか、何を見たことがあるのか、何を体験したことがあるのか、あるいは、どこに行ったことがあるのかとは尋ねません。それはまるでその人の職場が私たちにとってその人よりも重要であるかのようです。最も重要なことが勤めている場所と仕事の内容なのです。

人の主な心配とは、首にならないようにすることと、違う仕事を見つけることができるのかどうかということです。会社は従業員を職業訓練に送ります。すべては仕事だけを中心に回ります。人はこのことに少なくとも1日10時間は費やしています。これは全く健康的なライフスタイルではありません。

私たちは私たちの基盤を破壊しています。私たちの住んでいる地球、すべての天然資源、そして、生態環境。私たちは遊びながら時がたつのを忘れた子供のようです。今や、私たちの母は私たちを止める必要があります。彼女はゲームを止めに来たのです。そして、私たちに他のことをする時が来たことを伝えています。しかし、私たちはやめることができないでいます。

From the Talk “Lessons on the New World” 12/1/2011

今日の明快な事実

我々は、1つの明快な事実を理解しなければなりません。それは、現代の世界における我々の成功とは我々の正しい相互連結(相互接続)にかかっているということです。これは、全体的な危機によって我々に示されます。危機は、我々にメッセージを送っています:「あなたは、やることすべてにおいて成功を成し遂げたいと思っていますね? しかしながら、周りを見てみてください:あなたが今日までしたすべてのことが危機に瀕しています。今日この日から、我々が完全にそろった世界的なシステムと一致しない限り、何をしても成功することができないことは、あなたにとって明白であるに違いないでしょう。」

この一致のことを、相互的な保証と呼ぶのです!成功することと、何か良いものを生産することは、あなたが世界的なネットワークに適正に参加することにかかっており、これは相互保証なしでは不可能なことであると分かるようにならなくてはなりません。それができたなら、成功します。それができなければ、ただ時間を無駄にして、今の自分自身の状況をさらに悪化させるだけです。

成功を収めることは難しくありません。誰もが相互保証が何であるかを感じることができ、誰もが暖かくて愛情深い本当の家族を想像することができます。

それでもなお、相互保証を学ばなくてはなりません。最終的にすべての人は、カバラに対する意見を変えなければなりません。カバラはより崇高な知恵であり、自分自身が魂の是正に従事していると理解しなくてはならないのです。我々はカバラに関する恐れを払拭しなければならなく、この知恵が非常に自然的なことであると理解しなければなりません。その中で、我々は人間社会の中に存在する活性力について学びます。この力を知っておかなければ我々は単に存在できなくなります。

誰がこの事実に反論できるのでしょうか?結局のところ、この力を明かさない限り、我々は我々自身を維持することができなくなります。カバラのことを「この世のものとは思えない科学」だと思っている人は少なくありませんが、実際はカバラほど我々にとって身近なものはありません。

From the Daily Kabbalah Lesson 9/2/2011, Rabash’s article