Entries in the '教育' Category

お互いの願望と共に生きる

質問:子供時代、私はロマンス(恋愛)小説が大好きでした。その結果、私は理想的なロマンティックな関係の概念をつくりあげました。大人に成長したとき、私はこの理想を実現させようと努力しましたが、いつも上手くいかなかったように思われます。そのようなわけで、このかつて抱いた理想的な男女関係の形も、今や私が本当に必要なものとは何の関係もないものになりました。

答え:確かにその通りです。なぜなら、これらのロマンスは完全に空想的であり、真の内なるつながりを記述するものではないからです。あなたの仕事の全ては、これらの偽りの形態やイメージから離れることでなければなりません。「自然」は意図的に私達がこれらに占領されることを強いてきます。それは私達が後に失望し、この嘘から逃れて、それを相対化することで、真の愛の見つけ方を発見するようになるためです。さもなければ私達は真の愛を発見する可能性を持たないでしょう。

それまでの間は、私達は依然としてこの嘘に心を奪われ、空想の人工的なイメージに囚われ続けます。そして私達がこの外部のクリパー(Klipa)から自分自身を洗浄し、徐々に私達の「真味」の純粋な自己、願望、性格を発見した後で、私達は真の内的なつながり(コネクション)を獲得します。そこではもはやどんな恋に落ちることもありませんが、しかし、そこには真の愛があります。なぜなら、お互いのスピリチュアルな特質に従って、私達は魂(ソウル)と魂(ソウル)をつなぐことを願うようになるからです。

その時、私達は、どのようにすればお互いに相互的に授与し、与え合うことが可能なのかを理解するでしょう。私の幸福と感動の全ては、これによって支えられます。つまり私はどうすれば妻を満たせるかを感じとり、そして彼女もまた私を満たしてくれます。私達お互いが他者の内側に生きるようになるのです。

From a Talk on Integral Upbringing 6/20/13

発達したエゴイズムのレベルにおける欲求の「リセット」

質問:仕事場での良い関係が会社に対する従業員の忠誠心を高め、早死にのリスクさえも防ぐと統計は示します。しかし同僚たちは、争い合い、お互いに腹を立て、自分の立場を堅持し、自分の利益のために闘い続けています。何故これらの対立を中和することができないのですか?

答え:この20~30年間に現代世界が試みたすべてのこととは、どうにかして全体をつなげて1つの統一体にさせようという試みです。人々に優しさ、調和、協調の感覚を与え、チームをある共通の土台、共通の計画と解決策に至らせ、仕事に活気を与えるといった試みです。しかし、すべては無駄でした。

以前は、経営者が何らかのアイデアを「投げ」た時に、人々はワクワクしその人に従いましたが、今では誰も何も欲しくないのです。お金でさえも。

人々は「ゾンビ」のように仕事に来ます。その理由はただ単に明日のホームレスにならないよう、生計を立てなくてはならないからです。彼らはお互いに意思疎通を図ることができず、半分眠りながら仕事に時間を費やし、一日を終えて職場を後にします。

人々は働くことに対する愛好を失いました。彼らには目的がありません。熱意のある人も、熱意をそそげるものもありません。エゴイズム(利己主義)がまだ発達過程にあった以前のように新しいアイデアを生み出す社会集団はもはやなくなりました。

しかし現在はエゴイズムの進んだ段階の時であり、エゴイズムは完全体(総体)に成りつつあります。そしてこれが、かつてあった目的、満足感、興味が失われていることの理由なのです。今日ではそのどれ一つもありません。

これこそが、上司や経営者にとって従業員の関心を抱かせ続けることがとても難しいことの理由です。従業員はいやいや働かなくてはならないので、関心を抱くことはできません。従業員のモチベーションは年々、そして、日ごとに減少し退行し続けます。

人には何かをするモチベーションが少しもありません:何のために?-私は無理やり自分自身にムチを打って働いています。もちろん私は哀れな「ほんのわずかなお金」を喜んで受け取り続けて、それ以外のことには関心がありません。私には、生産、チーム、仕事そのもの、地位、または内なる呼び声なんかどうでもいいのです。人々は働くためのどんなモチベーションをも失ってしまいました。彼らは金銭的報酬さえにも関心がありません。

それはただ単に、私たちの内的な真の構成要素である欲求がとても深刻な「リセット」を経験しているためです。欲求が個人のものから集合的なものへと変化しつつあるのです。しかし、私たちは集合的な欲求を満たす方法を知りません。

さらに、私たちはこれらの欲求が集合的なのものであるとは気づいていません。しかし私たちはかつてないほどお互いに依存し合っていると感じ続け、その状況から逃れようとします。各々が各自の適所へと逃れるのです。人が自分に近づこうものなら、私は今すぐにでもその人を目で焼き殺す構えでいます。事前に私はその人を押しやる準備ができているのです。

こうしたことは至るところで問題となっています。しかし、それは私たちの責任ではありません。経営者たちはこのことを理解する必要があります。そして同時に、自分たち自身の内に存在しているこれらの問題と闘う必用もあります。

唯一の解決策は、会社の従業員にこの事態を説明し、統計を見せ、インテグラル養育の方法をある程度説明することです。私たちが人々をワークショップに参加させる時、人々は全く新しい欲求を発達させます:集合的で丸く、個人的でも直線状でもない、分離していない完全にそろった欲求です。そして、私たちはまったくの別人を手にします。

この人は自分自身とチームが1つの統一体であると認識します。彼は自分のチームに参加するときに自分が呼吸をし始め、目を開き、より明晰に考えることができ、聞こえ始め、すべてがより鋭くなることを見始めます-彼は目覚めるのです。彼は人生に活気があると感じ始めます。熱意があるのです。

一度私たちが、他者と一緒になることが、熱意と共通の人生と共通の満足が体験できる、新たな共通の集合した欲求を明らかにするのに必要であると説明するなら、人はチームへの依存にも関わらず、それを楽しいと感じます。その理由はこの依存が丸く、包括的であるためです。私たちは軽くて自由であると感じて、人生が喜びになり、まるで翼を持ったように高く舞い上がるので、全員にそれは必要なことなのです。

今日、こうしたことが世界中で最大の問題であるため、人々は喜んで何でもやる準備ができています。むなしさや空虚感そして空白感が原因で自殺、薬物依存(麻薬中毒)、うつ病、離婚、犯罪、テロ、そしてその他すべてのことが起きているのです。私たちには、自分たち自身から身を隠す場所などありません。人々に満足感を与えなさい。そうすれば、こうしたことはすべてなくなります。

この世界の外にある物事について話しましょう

質問:インテグラル・エデュケーション(統合的教育)のグループでは、何を議論するのがベストですか?また何を議論しないのがベストですか?

答え:比喩的に言えば、私達は愛と友情についてのみ語るべきです。私達は今の自分たちの状態を調べたりはしません。なぜなら、それらはすべて動物レベルに存在しているからです。

はじめに私達は「人間」レベルに上がらなければなりません。そしてその全体的なイメージを創りあげなければなりません。それは私達に共通する授与と愛の特質であり、そのようなお互いに対する私達の態度です。私達は議論を、私達の間の正しい相互関係ネットワークのレベルにのみ保つことができます。また私達の集合的状態を強める物事についてのみ議論することができます。

なぜそうするのでしょうか?なぜなら、その状態でより強くなることによって、私達は確かな力を生成させ始めます。そしてその力が私達の現在の動物状態を照らして変化させ始めます。より高い状態からのみ私達はより低い状態を変えることができます。私達の衝突・争いのすべては次第に消えてしまうか消える前にエスカレートするかでしょう。そしてこの背景のもとで、私達は私達のコネクション(つながり)を発達させているのです。

From a Talk on Integral Upbringing 3/4/12

未来の雇用の特徴

バール・ハスラム「ラスト・ジェネレーション」:失業者は、雇用者と等しく、その必要物を受け取るでしょう。

原則的に、これは今日でも、いくらかそうあるべきものです。結局、都市に住む人々は、収入源を失ってしまえば、自分たちは食べていくことができません。彼らは家畜も土地も持たず、土地の耕し方も知りません。しかしながら、どのような場合でも、人には食べるものがなければなりません。それは自然な、差し迫った必要です。

質問:もし私達が人類という一つのシステムについて話しているなら、体の中の一個の細胞のように、一人一人が何らかの仕事をしなければなりません。そのとき、失業者はどこから来るのでしょうか?

答え:私達は社会を組織しなければなりません。それは誰もが為すべき何かを持つ社会です。しかし実際的には、それはスピリチュアルな「雇用」についての話です。物質的な面では、雇用は最小化することができます。

過去の世代の人々はとても簡素に暮らしていました。例えば、市場の売り手は一日かけて一つの壺を売ることができ、それで十分でした。車はなく、オートメーションもなく、生産性は低いものでした。しかし人々は一日に数時間働くだけで、それ以上の労働を必要としませんでした。今日では、そのような多くの労働者は必要とされていません。そのかわりに、人々は勉強し、全てのことにおいてお互いに助け支えるようになるでしょう。

私達の仕事は、人々の自由時間を生産的に満たすことです。今日、様々な種類の仕事・活動の約90%は余計なものです。もしこのバブルを破裂させ、全てを健康的で、良い、合理的な生活のレベルまで減少させるとすると、全員で取り組むだけの分量の仕事は存在しなくなるでしょう。結局、私達は修理や交換を必要とする短命の製品ではなく、より大きな耐久性を持つ信頼出来る製品を生産するようになるでしょう。最大でも労働人口の10%だけが働く必要があるようになることが分かるでしょう。

今日、広告によって消費者をだます余分な物の過剰生産が十分に確立されてしまっていることから、これらの過剰生産物は放り出されては、新しい物に取って代わられます。これは製造業や医薬他すべてに当てはまります。人がすることは何でも、その人自身の損害になっています。製薬業は余分な薬を生産し、防衛産業は軍事兵器を生産します。要するに、全てがそのあるべき姿の裏返しになっています。

それで最終的には、5億人が働くことになるでしょう。または全ての人が働くことができるように仕事を分割するでしょう。その場合も一日あたり2時間といったところです。そして残りの時間はスピリチュアルな仕事に捧げられるでしょう。人々は勉強し、お互いを助けることを学ぶ等します。人が働いている・いないに関わらず、全ての人に同じ生活レベルを保証することが必要です。なぜならポイントは、人が働いているかどうかではなく、彼に仕事を提供できるかどうかにあるからです。もし誰かを非難しなければならないなら、彼ではなく自分自身を非難してください。

それゆえ、すべての人に同じ生活水準を創る必要があります。他者からの尊敬や、コミュニティの利益への寄与競争も、それに付け加えることができます。共通の大義への貢献や、社会への賞賛に値する奉仕のために競争できるし、すべきです。

−見て、私のコンサートで、どれだけ人々が幸せかを!
−見て、私がどれだけ完全に会社を経営しているかを!

さらに、それは会社のディレクターだけではなくオーナーにも当てはまります。私達はソビエト・ロシアで行われたような所有物の公的収用を必要としません。もしある人が工場を所有しているなら、絶え間ない生産に注意し、従業員の適正な就業条件に注意をはらい、そして同時に従業員が勤勉に義務を果たすことを要求します。オーナーは彼がしていることに誇りを持ち、彼の部下や失業者と同じ給料を受け取ります。喜びの残りの部分は、他者からの尊敬によって満たされます。それ以上はありません。

実際、ディレクターの体は、他人の体以上に物を必要とするものなのでしょうか? いいえ、です。彼は社用車とお抱え運転手を持っていますが、これは仕事のためです。そして他の全てのことにおいては、彼は他の人達と似ています。

このようにして、私達は全ての人のポテンシャルを最大限まで活用します。この場合、「動物」レベルにおいては、全員が他の全員と等しく受け取ります。しかし人間レベルでは名誉と尊敬を獲得します。この全ては、人々がインテグラル・エデュケーションのシステムに参加したときのみ機能するでしょう。

このようにして、私達は正しい道を選択し、全体の是正へ向けて努力するでしょう。なぜなら私達のゴールは「動物」的な存続ではなく、人間発達の頂点であるからです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/27/12, Writings of Baal HaSulam, “Last Generation”

未来社会の経済

質問:未来社会の経済がどのようなものになるべきか、我々が至る必要がある状況の一例を示してください?

答え:これはとても簡単なことです。そして、この点には考えることが本当に沢山あります。初めに、我々はより抽象的なコミュニケーションと定義に近づくことを徐々に助けてくれる実際にあるものを持っていく必要があります。

我々の経済が深刻な危機に瀕していることが見られます。それは「収縮」して妥当な消費経済にならなくてはなりません。望もうと望むまいとこれは起きるでしょう。もし我々がそれを本当に望むなら、我々は徐々に消費を制限し、自分たち自身を過剰消費や必要のないものから解放し始めるでしょう。

最初は全ての広告を排除するでしょう。人生を楽にする普通なものがここにあると人々が知るために、広告ではなく、人々が必要とする妥当で有益なものの告知があるべきです。

現在でさえどんな国や社会にも、全ての人が自身を養うのに必要な消費のバスケット(まとめたもの)があります。たとえば食料、医療、なくてはならない付属品など。このようなバスケットも維持しなくてはなりませんが、それは最小量のものというのではなく、標準的で妥当に生活するために必要な幅のある消費のバスケットです。その他の生産は全て制限される必要があります。

まず第一に、不必要な生産を徐々に制限することによって、我々は豊富なエネルギーを受け取ります。それはとても良いことです。なぜそれを無駄にするのでしょうか? 我々は豊富な天然資源を持つことになるのです。それらを我々の子供たちと孫たちに残しましょう。言い換えると、我々は実際的に全人類に服、食べ物、そして設備を妥当な程度与えることができるというところまで行き着くでしょう。

これが我々が徐々に至らなくてはならない未来の経済です。言い換えると、一方で過剰消費の収縮、そしてもう一方で全人類を普通の生活水準まで引き上げることです。このレベルを達成することが我々の最初の目的です。このようにして、我々は肉体的な暮らしの面倒を見ます。それが全ての人にとって平等であることを確実にしながら。

人々の中に引き起こさなくてはならない心理的な革命を想像してください。しかし、これは人々のインテグラルな養育(しつけ)なしには不可能です。我々は経済に対処する前に、次なるレベルに上がる必要性を人々に示す必要があります。我々が社会を形成するこの次なるレベル ―人間レベル・人・アダムと呼ばれるもの― は我々が妥当な消費水準にまで自発的に下降することを決定します。

我々はこれに向かって段階的に移行するプログラムを作る必要があります。なぜなら最も重要なことは最終的な結果ではなく、複数の段階から成る、順調な(なめらかな)な移行であるためです。この際、同時にインテグラル養育、インテグラル教育、不必要な生産の段階的減少、そして全住民に対するインテグラル養育と教育の提供が徐々に増えることがなくてはなりません。言い換えると、教育業務をするために全てのマスメディアを構造改革することです。人類が自分たち自身を変えることに専念するとき、それは巨大な世界的な機械に似ています。

最後に、人類は自分自身のことで夢中になりますが、それは自分が10億より多く持っている、あるいは、自分の方が強いと示して誰かに屈辱を与えるなど、隣人の前で目立とうとすることではなくて、インテグレーション(統合・調和・融合)を達成するという目的があるのです。

From a “Talk on Integral Upbringing” 2/29/12

世界の教師

質問:コンベンションの休み時間の間、書籍やインターネット等のプレゼンテーションが行われる予定です。これはコンベンションの内的流れから気を散らせないでしょうか?

答え:事実は、私達が世界へ公表しつつある事について、常に考え続けなければならないということです。ある人がコンベンションを去り、帰宅し、次は何をするのでしょうか?

私達の上昇は、幅広い方法による普及活動に依存しているため、全ての人に、私達がしていることが一般的に何であるのかについて、いくらかの知識を与える必要があります。それはインターネット、書籍、講義、ワークショップ、ラウンドテーブル等です。私達はこの全てを皆に示さなければなりません。そのような理由で、休み時間の間、短い15分のプレゼンテーションがあるべきなのです。

何を持って私達はコンベンションを去るのでしょうか? 私達は、世界の中に更に持ち込む必要のある物を持って去ります。私達それぞれが講師となったり、ワークショップのオーガナイザーになったり、情報の配送人などになるよう試みるべきです。私は、あなた達ひとりひとり全てに対して話しています! これから世界はインテグラル(統合・全体的)な手法を必要とするでしょう。今でもそれは必要とされていますが、まだその必要性に気づいていません。そして数ヶ月もすると、あなた達は彼らがあなた達の後を追って走ってくるのを見るでしょう。あなた達は必要とされるでしょう。なぜならあなた達を除いて誰も、どんな場合でも正しい結果を得るためには何がなされるべきであるか、感じ取れる人はいないからです。あなた達にそれができる理由は、インテグラル(統合・全体的)に考えるからです。

あなた達は世界の教師になるでしょう。首相達や銀行家達、そして普通の労働者達のアドバイザーになるでしょう。なぜなら、あなた達は、何故(社会の)この出来事が起こり、他の場合には起こらないのか、見ることができるようになるからです。これは「祝福を取りに来なさい」と呼ばれます。あなた達は要求され、必要とされるでしょう。それゆえ、あなた達は依然として、普及活動に取り組まなくてはなりません。

From a Virtual Lesson 7/29/12

愛は人生を飾り台無しにもする

私の妻は私の鏡です。結局、私はパートナーを決して見ません。むしろ彼または彼女の中に、私の特質の反映を見ます。例えば、私は中国で受け入れられている美の基準を理解しません。私は真に美しいという評判を持っている女性を見て不思議に思います。私なら彼女を美しいと呼ぶことはないでしょう。私のセンスでは、彼女の顔は丸過ぎ、彼女の眼は狭過ぎ、彼女の髪はストレート過ぎです。私には全て魅力的には見えません。

しかし、かつて私は中国人記者による「ミス・アジア」国際美人コンテストについての記事を読んだ時、そこでは眼が大き過ぎるという理由で、中国ではその女性は勝利できないであろうと書かれていました。私は、私達の美の知覚は何と異なるのだろうと、ただ唖然としました。全く逆なのです。こういうわけで私達はお互いを理解することができません。

当然の結果として、私は目の前の女性を見て、全ての私の美に関するアイデアを彼女に投影します。そして、もし私がそれらの上に上昇しないならば、それは私達の全ての関係に影響するでしょう。私は彼女を、彼女の本当の特質と共に、ありのままに知覚しようとせず、彼女の中に私の特質、私のセンスの反映を見るでしょう。

人がある人物をバイアス無しに見るとき、彼または彼女が美しいかどうか決めることは全く不可能です。どんな母親にでも聞いてみなさい、彼女は自分の子供以上にかわいい子供は世界にはいないと言うでしょう。「愛は全ての罪を覆う」と言われている通りです。

そして反対に、私達のエゴ、憎しみは全ての美を損なうでしょう。私が憎む人物は外観も耐えられないものになります。そして客観的になって、私の基準に従って、彼や彼女が綺麗な顔に見えるということを認める準備ができても、私は別の理由でそれを憎んだりします。

人間だけがそのような態度を示します。動物は美を見ません。動物は、それぞれの他の力を重んじます、生殖能力や、健康な子供を産み、彼らが独り立ちするまで育て上げることです。

しかしながら人間は、美の観念によって台無しにされます。真実は、これは美ではなく私のエゴの実演です。反対側(相手)に提示する特別な条件です。それは物理的肉体の必要最小限の要求を超過しています。

もし私達がお互いを合理的に自然に見たならば、私は自分の前に健康的な力強い女性を見て、結婚しようと思うでしょう。結局、私は彼女が家を良く保つだろうことを見ます。過去において、人々はこの単純な利己的な原理に基いて伴侶を選んだものでした。または社会的立場や富を検討に入れました。人々は美には十分な注意を払いませんでした。しかし単純な実際的な理由、すなわち人生にとって価値あるもの、に基いて伴侶を選択したものでした。

更にしばしば、若い人々ではなく、両親でさえカップルの相手選びや仲人役をしたものでした。これは多くの文化で習慣となっていました。また若い人々は助言を求めて、賢く尊敬されている人物の元へ向かったりしました。そして私達の時代になって、私達は突如、特有なやり方で修正を行うように強いる、歪んだ状況に至っています。

今日私達はお互いを愛しているかどうかだけ考えます。全ての映画はそのような愛についてだけ語ります。以前はそのようなものではありませんでした。私達は100年、200年前人々がどのように生きていたか理解しません。愛や相互の魅力は視界にありませんでした。性的魅力は役割を果たしましたが、それは今日の私達がいう愛の概念で意味するものではありません。それはまさにごく最近に発達してきたものであり、私達の人生全体を台無しにしました。それゆえ、もし私達がそれを正しく使用し、「愛で全ての罪を覆う」のならば、そしてもし私達が、他者を愛したり憎んだりする衝動を特定の方法で扱うならば、私達は成功するでしょう。

From a “Talk on Integral Upbringing” 7/31/2012 

健康管理

質問:私はあなたがグループ内の日課と生徒たちの健康管理の方法に細心の注意を払うことを知っています。

答え:はい、そうです。もしグループの人々が環境を汚染することしかしない不要な仕事から解放されて、全体の社会の利益のために2〜3時間働くなら、彼らは日中に時間がたっぷりあることになり、絶対に運動やスポーツをすることでしょう。

身体を動かす活動の一部は野外で行われるでしょう:自然のある場所、海辺、ピクニックやキャンピングや様々な小旅行などの間。それらは一定の条件の下で数日間続くことがあります。私たちは既にこれらのことを実際に行なっています。 身体的発達の大切さを決して無視することはありません。

私たちのグループには優秀なマッサージ療法士、カイロプラクター、いろいろなダンス講師などがいます。グループ内には、友達がお互いに助けあって健康問題を解決するといった独自の生活スタイルがあることが見られます。私たちはこのことに多くの注意を払います。そして私はこのことが統合プロセスの切り離せない部分であると考えています。

私たちは食事休憩や他のイベントのほかに少なくとも一日30分、一日3回(またはそれ以上)は運動に時間を充てます。いつなんどきでもコーヒーを飲むこともできるし、もし望むのであればタバコを吸うこともできます。どんな制約もありません。しかし運動、ランニング、早歩き、マッサージなどは絶対に必要です。

From a “Talk on Integral Education” #11, 12/16/11

グローバルな教育について

質問:グローバルな教育とは何ですか?誰がそれを管理するのでしょうか?全世界のためのたった一つの教育委員会ですか?

答え:これは世界全体の教育問題に専念する国連の専門機関であるユネスコの任務です。

グローバルな教育とは自然法則の説明を意味します。私達は、皆が互いに繋がっていること、皆が唯一の上層の力によって支配されていること、そして、皆がそれ相応に行動しなくてはならないことを説明する必要があります。

一つの統一体になるということは、お互いの利益を熟考することを意味します。さもなければ、私達が団結する以外に選択肢が無いということを理解するまで、私達は自然からの打撃(自然災害)を受け続けるでしょう。その打撃によって、人はやむを得ずエゴイズム(利己主義)を捨てるでしょう。人は苦しみを避けるためなら、何をしても構わないと思うでしょう。しかし、これらのすべては是正する光の力を用いる良いやり方で達成することができるのです。

もちろん、ユネスコの事務局長とのミーティングの間、それについては説明しませんでしたが、いつか説明しなければならなくなるでしょう。これはマルクスがしたがっていたことです。彼は、人々が団結し始め、社会主義を築き始める時、それが実行できないことを目の当たりにするだろうと考えていました。人々は探求し始め、一つの是正手段―上層の力—しかないことに気付くでしょう。これはマルクスが無神論者であった理由です。彼は授与という上層の力以外にどんな神々も信じていませんでした。

単純に自然を観察することで、私達も繋がらないとならないということが学べます。そしてその後、団結を試みることにより、それが不可能であることを発見します。その時に、答えが明かされます。そのためにカバラを積極的に広めなくてはならないのです。世界はますますそれを必要としていくばかりでしょう。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/11/2011, “The Freedom”

自分の子供と通じ合い続ける方法

質問:つい最近、私の妻に男の子が産まれました。私は彼と霊的な道を分かち合うつもりです。しかし、同じく最近、男の子を産んだ私の隣人はカバラを学んでいません。彼は、親と子供が接触を失うのを見ており、自分の息子との繋がりを失うことを恐れています。もし彼がカバラを学ばずして、ただ子供との関係を維持するためのアドバイスが欲しい場合、私は彼に何を伝えればいいのでしょうか?

答え:従来、人々は利己的な形態の生活様式によって結ばれていました。家、家族、食物、そして健康に対する懸念が、人々を家庭内、国内、そして民族内にて繋いでいたのです。近頃、これらの“舞台環境”は取り払われ、誰もこれを食い止める方法や、次に何が起こるのか知りません。

何故でしょうか?物質的繁栄はもう人々を結びつけないのです。全ての人間は進化しはじめ、まるで水面から浮上するように、動物的で物質的なレベルの上に頭を上げるのです。そしてあなたは答えを彼又は彼女に霊的なレベルで提供しなければなりません。

したがって、あなたの隣人に選択肢はありません。彼は息子と霊的なレベルで繫がらなければならないのです。さもなければ、彼らの間に共通点は何も無くなるでしょう。この理由から、クリエーターについて(皆が授与の特性の中で他者と1つになることについて)“息子たちのハートを彼らの父親たちに、そして父親たちのハートを息子たちに返す者”と書かれているのです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/10/10, A Lesson On Current Events