Entries in the '愛' Category

愛の定義とは?(Quora)

Quoraでの記事「愛の定義とは?」より

カバラの知恵によれば、愛とは他者の欲求を満たそうとする意志です。

他者の欲求を本当に満たすためには、相手を理解する必要があります。習慣や性格、思考、知覚などの同じところを共有すると、相手の欲求を理解し始めます。すると、相手を満足させる方法、つまり愛の表現方法がわかるのです。

こうして、愛は「形態の同等性の法則 」という、現実世界の重要な法則にのっとって感じられます。人はそれぞれ異なる欲求を持っています。共通の理解を築き上げるには、つまりお互いの間の愛へと続く土台を築くには、欲求に対するそれぞれの意図を同じにする必要があります。

それぞれの欲求を超えて、お互いにとっての共通の愛に到達したいと願うならば、お互いを満足させる方法を知ることで、共通の内なるひな形を作りだします。そうすれば、お互いの欲求を自分の中でイメージし、その満たしを得たらどんな感じがするかを知ることができます。

同じ意図を共有していれば、お互いの欲求を満たすことができ、それによって愛を経験することになるのです。

この記事はカバリスト マイケル・ライトマンの生徒によって編集・執筆されました。

バレンタインズ・デイ

私のFace bookページ Michael Laitman 2/14/19 より

愛とは何でしょうか?  一般的に愛の定義とは、非常に曖昧なものです。 愛は音楽や文学、詩のひらめきの源ですが、基本的に多くの人にとって、その本当の意味は知られていません。今、私たちが知覚している現実というのは、実のところ「汝の隣人を汝のごとく愛せ(周りにいる人を自分のように愛しましょう)」という全体的な力に支配されているのですが、愛とは本当は何を意味するのでしょうか?

私たちが動物的、物質的、利己的にお互いを楽ませるような愛、肉体の世界で手にすることのできる愛は、愛ではありません。親は本能的に自分の子を愛し、子も本能的に親を愛しますが、そこには、お互いに求めるものを受け取りたいという期待があります。

一方、男女の間の愛は、単にホルモンによるものです。それは突然消えたり、逆にどこからともなく降って湧いてきたりと、動物レベルで引きつけあっているにすぎません。

それとは対象的に、真実の愛とは永遠であり、この地上の欲望を超えたところに根付いています。私たちはいつも自分の利益を利己的に計算していますが、それを超えて互いに依存しあう自然と人類を統合した一つの世界の、一つのシステムに自分たちが属していることを知り、それを悟ったとき、真実の愛は生まれます。つまりそれは、相互に関連しあったシステムであり、私たちはその一部なのです。そして、さまざまな違いの上で、まるで一つの家族のような一つの統一体として、そのシステムは維持されていきます。

家族の中では、お互いに大きいも小さいもありません。それぞれが同じように重要です。これこそが私たちが人類をどうみるかに必要なものです。そこでは、お互いに感謝し、良さを認め支えあい、自然の完璧な完成図を得るために各自が不可欠であり、それがあらゆる関係性を成功させる鍵になるのです。

この形をとっていても、私たちが持つ傾向や欠陥がなくなるわけではありません。私たちはただ、それをどう超えていけるかについて関わっていきます。私たちを分離しているすべての憎しみと拒絶を覆うような、真実の愛という空の下でつながるために……。その空の覆いを創ることが、いつなんどきも、無限の愛という新しい感覚に到達するための条件なのです。

 

死ぬと魂はどうなるのか?

質問:人は死ぬとどうなるのですか? 魂はどうなってしまうのでしょうか?

答え:魂を知覚できている人々は、その中に生きます。なぜなら、魂は身体の死とは無関係だからです。

魂を獲得しなかった人々には、レシモット(ヘブライ語の“roshem”:記録)だけが残ります。これはDNAのような情報の一片であり、人がこれまでに構成した全情報を含む特定のコードです。

身体が死ぬと、この情報(レシモット)はこの世で新たな身体に結びつかねばならず、そしてもう一度最初からやり直すのです。皆、このレシモットを持っています。これは、最終的に私たちが魂を発達させる小さなかけらです。

発言:魂を構築した人だけが、魂を持っているということですか?

答え:そうです。真実、そうなのです。情報の一片であるレシモットは、魂を築くように人々を強いる欲求の内側で機能しているのですが、魂を構築する人は、そのレシモットに基づいた利己的な欲求の外側に魂を築きあげます。

質問:私は何を持っていて、何を逃しているのでしょうか? 私が本当にしなければならないのは、何なのでしょうか?

答え:私たちの利己的な受け取りたいという意志は、私たちが今持っているすべてです。しかし、突然、私たちの中に特別な欲求が浮かびあがることがあります。これは魂を知覚し、私たちが生きる理由や存在の目的、命の源を理解したいという欲求です。

つまり、レシモットが目覚めたのです。それは小さなちいさな火花であり、言うなれば私たちの内側の心の点です。このときはじめて、私たちは次に何をすべきかを熟考するに至ります。心の点が私たちを切望させ、押し進め、そのままにはさせないからです。

こうして、私たちは自分の利己的な欲求に取り組み、この火花が何かを知れる場所を探し始めます。そしてやがて、本物のカバラの知恵を教える場所、魂の築き方の説明を受け取れる場所へと行き着きます。魂を築くということ。それは、自分たちのために受け取りたいという、その意志を、他者のためへと変化させることを意味しているのです。

 

クリエイターの特質

質問:クリエイターの特質を挙げてもらえますか?

答え:これほど簡単なものはありません。それは授与と愛の本質であり、クリエイターに他のいかなる特質も存在しません。
人間の体の各細胞や各臓器のつながりのごとく、授与は私たちの間の正しい関係です。例としてこれを想像してみてください。全臓器のように1つの体の中で私たちが共につながっている必要があることを。

この世界の外にある物事について話しましょう

質問:インテグラル・エデュケーション(統合的教育)のグループでは、何を議論するのがベストですか?また何を議論しないのがベストですか?

答え:比喩的に言えば、私達は愛と友情についてのみ語るべきです。私達は今の自分たちの状態を調べたりはしません。なぜなら、それらはすべて動物レベルに存在しているからです。

はじめに私達は「人間」レベルに上がらなければなりません。そしてその全体的なイメージを創りあげなければなりません。それは私達に共通する授与と愛の特質であり、そのようなお互いに対する私達の態度です。私達は議論を、私達の間の正しい相互関係ネットワークのレベルにのみ保つことができます。また私達の集合的状態を強める物事についてのみ議論することができます。

なぜそうするのでしょうか?なぜなら、その状態でより強くなることによって、私達は確かな力を生成させ始めます。そしてその力が私達の現在の動物状態を照らして変化させ始めます。より高い状態からのみ私達はより低い状態を変えることができます。私達の衝突・争いのすべては次第に消えてしまうか消える前にエスカレートするかでしょう。そしてこの背景のもとで、私達は私達のコネクション(つながり)を発達させているのです。

From a Talk on Integral Upbringing 3/4/12

あなたの隣人を愛せよ - カバラモーメント 2011.4.15

愛についてもう一度

質問:友達への愛とは何ですか?

答え:愛とは1つの共通の欲求に於けるユニティーです。カバラは以下の例を挙げます:ビナーがハフェツ・ヘセド(Hafetz Hesed-自分自身のために何も求めないこと)の状態に達する時、ビナーはマルフトに降りて来て一体化し、ビナーの全ての力をもってマルフトの欲求を満たすために、マルフトの欲求を吸収する。

それが愛と呼ばれるものです:誰か他の人の欲求を吸収し、何でもあなたに出来ることでそれを満たすこと。人は1つしかない枕を譲らなくてはならないと記されています。それは私達が到達する必要のある愛の顕示です。

しかし、どうやってそれを達成できるのでしょうか?私達は物質世界の中で一人一人に全ての基本的生活必需品があるようにしなくてはならず、そしてスピリチュアルな世界の中において一人一人が私達の共通の欲求(Kli、器)のなかにある全てのものを受け取ることを確実にしなくてはなりません。

私達全員を1つの欲求として見なし、それを生き生きした状態に保つために全てのことをすることがとても重要です。各自はそれが自分にかかっていて、しかも、この世界のための天秤を罪の皿から慈悲の皿へと傾かせることが自分の手の内にあると感じなくてはなりません。このように私達はマルフトと呼ばれる上層の光、すなわちクリエーターが明かされる場所を作り出します。しかし、その究極的な目的がクリエーターに満足を与える事であると忘れないようにしなくてはなりません。

しかし、クリエーターに対してそれをする事は容易ではありません。私達にはまだ彼の光の確かな感覚がありません。よって私達は最低限、どうやって彼が隠れている場所に、彼を求める欲求の全てが集合した場所に、喜びをもたらすのかということについて考えるべきなのです。「創造物への愛からクリエーターへの愛へ」と記されているように。創造物への愛は、実際は、最も総合的な一体化した欲求です。

私達が復活させたいと望む私達の魂の関係を友達への愛と呼びます。友達とは、スピリチュアルな内なる繋がりに達するために物質レベルで集まった個人たちなのです。私達は既にそれについての全てを知っています。今はそれをただ実行するときなのです。

それについての無数の言葉が語られてきましたが、それらの言葉はその人のいる状態に従って毎回新しく知覚されます。私達はそれらを私達自身の内側へとより深く吸収する必要があるだけなのです。そうするとそれは明確になるでしょう。

この事において根気が必要とされます。それは私が待つことに賛成し、全てのことを後回しにする、明日にするということではありません。今日できる全ての努力をする根気を持って下さい。しかし、もし成功の兆候が見られないなら、それは今にも起きるという自信を持ってください。

From the Daily Kabbalah Lesson 12/10/2010, Baal HaSulam, Letter 13, 1925

真実の授与または利己的な授与

質問:この世で私たちは、与えることから利己的な喜びを受け取ります。もし上層の世界でまたしても授与から喜びを受け取るとするなら、上層の世界にいることの利点とはなんですか?

答え:もしこの世の中で授与を喜ぶことが許されていたならば、私たちはいつも与えていたでしょう。問題になるのは、なぜこの世の中で私たちが与えるのかということです。それは喜びを受け取るためです。これがこの物質界とスピリチュアルな世界の違いなのです。

この世において人々は、たった一瞬の喜びのためだけにすべてを捨てても構いません。私たちにとって喜びや楽しみはすべてであり、行為それ自体は重要ではありません。誰かを愛する時、私たちは人生をも含むすべてを彼または彼女に与える用意があります。この理由は私たちの内部に愛と喜びの「麻薬」が分泌されるメカニズムがあるからです。しかし、もし愛を感じないなら、進んで与えようとはしません。なぜならそのことから何の喜びも感じないからです。

さて、ここで問題です:与えるために、または、喜びを感じるために、私たちにはが必要なのでしょうか?

これがその二つの世界の違いです。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 5/4/10, Article “Matan Torah”

上層の愛の法則

質問:私は受け取るためにカバラの科学(受け取りの科学)にやって来ました。しかし突如私は、カバラの科学が人の欲求を高める方法を教えるとわかりました。このことにおいて受け取ることはどこですか?

答え:これは受け取りです。私は我々のまったく知らない「愛」と呼ばれる特別な力をクリエーターから受け取ります。この力の助けを借り、私は現実に存在する全ての欲求を自分自身に結びつけます。それらすべてが私の欲求になり、それらを満たすものと共にそれらを受け取るのです。

これをカバラの科学と呼びます。それは善良さでいっぱいの欲求を受け取る方法についての科学です。それらはすべてあなたのものです。必要なものは、それらに対する愛を感じることだけです。そうすれば、それらが是正の終わりの状態で、そのすべてがあなたのものであると悟るでしょう。

愛の力を獲得する時、あなたは隣人の欲求をその隣人本人よりも感じ始めます。そのあとに、あなたは自分の感覚にしたがってその隣人を満たします。それは母親が自分の子どもが必要とするものを感じ取るようなことです。

スピリチュアリティにおいて、上の者は下の者が必要とするものを一番よく知っています。下の者はただ泣き叫び、欲求をあなたに明かします。しかし、あなたは彼の欲求の構成要素すべてを知っています。たとえ下の者がそれらについて知らなくても。その理由は、あなたが上の者であるためです。もしあなたが授与する者であり、彼を満たすのなら、彼との関係上あなたは上の者であり、彼自身よりも彼のことを知っているのです。

これが上層の愛の法則です。この世の中で我々が「愛」という言葉の性質であると考える概念と共通なものは、それにはまったくありません。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 5/3/10, “Matan Torah”

動物の世界 vs 人間の世界

ラビ・アキヴァは「自分のようにあなたの隣人を愛しなさい。それはトーラーの偉大な規則である!」と言いました。なぜ隣人に対する愛が偉大なルール、つまり私達を動物か人間のカテゴリーに二分割する基礎を成しているのでしょうか?もし自分自身を愛しているのなら、私は動物ということになり、もし隣人を愛しているなら、私は人間ということになります。動物としての私はこの物質世界しか知覚しません。しかし隣人を愛し始めるとき、私はクリエーターとスピリチュアルワールドを知覚します。

スピリチュアリティーは、スピリチュアルな器、またはKliと呼ばれる、愛の力の中で感じられます。今の自分の器は、利己的な愛、自分自身を愛したいという願望です。現在知覚している世界とは、この願望の中で知覚されます。この利己的な現実の中で、私は自分に対して良いものか悪いものしか明らかにしません。

私は、世界及びその光を遮る様々なもの全部を、自分自身に関連させてしか明らかにしません。世界にある色や音のすべても、自分にとって有益か有害かによって決定されます。私は、ある一つのものに対して恐れをなし、それとは違う何かを求めるのです。私はあるものに反発し、その他のものを引き寄せるのです。すべての影響は、自分自身に対する愛を中心に機能している、自分の感覚の中で明かされます。したがって私は、自己愛に関連しないものに気づきません。私は単にその存在を認知しないのです。

事実、私は[今現在も]無限(Ein Sof)に直面していますが、それを感じません。それは自分に対しては存在していないように見えます。なぜなら、それが私を気持ち良くも悪くもしないからです。利己的な愛は自分の知覚する宇宙の大きさを決定します。よって、無限世界の外側で私はほんの小さな範囲、つまり自分の世界しか感じていないのです。

私が自分自身の外に出はじめるとき、私は自分の以前の願望の中で、他者に対して良いものと悪いものを感じます。言い換えると、自分の隣人を愛しはじめるということです。これを上層のスピリチュアルな世界と呼ぶのです。それを明かすとき、私は全く違う宇宙を明らかにします。

もし私が自分自身に対する利己的な考えに注意を払わなくなり、自分の友達について考え始めるのなら、たとえそれが全く物質的な意味であったとしても、私は全く違った世界と問題と解決策に気づくでしょう。私が自分以外の人に対して良い事を明らかにする時、それが自分と関連して「上層のスピリチュアルワールド」と呼ばれるようになります。人はその人の物質的で利己的な世界と同じものも見ますが、私がその人の現実の中に入り込んでそれに包まれ、その人の世界をその人の中から明らかにしたいと切望するとき、それは自分のスピリチュアルワールドに変わります。

この訓練が私を自分自身の外に出させ、クリエーターを感じさせます。私はクリエーターをあなたの中で感じるのです。「クリエーターは彼の国の中に存在する」と記されているように。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 4/26/10, “Matan Torah”