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人生の最適化

人間は常に、最小の投資で最大のパフォーマンスを得たいと考えています。何事も自然はすべてにおいてそのように機能しています。それは、自然の一般的な法則です。私たちが、受け取りたいという欲求、与えたいという欲求、発展や吸収の法則などに対処すると、常に自然は最適化しようとすることがわかります。

カバラは、自然の統合性を考慮に入れた普遍的な自然の法則を私たちに明らかにします。原則として、エゴは残りますが、それを取り巻くすべてを考慮するようになります。そして、自分が望むかどうかにかかわらず、他人について、つまり他人との正しい相互作用について、考える必要があります。そうしないと、すべてがブーメランのように自分に返ってくるからです。

したがって、エゴイズム(利己主義)は、望む望まないにかかわらず、利他的になり、他の人に配慮するようになります。そうでなければ、自分は存在できないからです。

このような形の相互活動は、私たちが自分たちの統合性を見始めて、共通の目標に向かって、すべてのレベルにおいて自分たちの人生を完璧にしようとして一緒に取り組むとき、団結や相互的な包含関係に辿り着きます。そこでは、自分は相手を自分として理解し、自分を相手として理解しなければなりません。

このようにして、私たちは、私たち全員と、無生物、植物、動物の自然の形態を含む、ユニークなコミュニティとなります。

その結果、思考が変化していく状態となります。私たちは、狭くて直接的なエゴイズムではなく、すべてが私たちのものだと見なすことのできる、拡大された統合的な形で理解することができます。

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Kabtv「マネジメント・サイエンス」より

コロナウイルス〜社会インフラを変化させる機会(Thrive Global) 

Thrive Globalが掲載した私の新しい記事「コロナウイルス〜社会インフラを変化させる機会」より

もし私たちが、互いに助け合い、支え合えば、この過渡期を通して、まったく新しいバランスと調和のとれた世界がやってきます

コロナウイルス(COVIDー19)の発生によって、人気がなくなったタイムズスクエア
2020年3月18日、ニューヨ—ク、米国。ロイター/Jeenah Moon

コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)が始まってから、生活の中に起こった混乱に、私たちは多くの不平・不満を持っています。しかし、よく見ると、今は社会インフラをよりよく変化させるための、めったにない機会の最中であることが分かります。

世界中に広がったコロナウイルスの波紋。その効用として、私たちにユニークな認識テストが提供されました。コロナウイルスのパンデミックは危機かチャンスか、病気や薬か、ウイルスかワクチンか、自宅隔離か人のつながりの新しいステージか。それをどう見るかは、私たちの態度にだけかかっています。

自然はすべてのもの、すべての人を、さらにさらにとつなげていきます。そもそも自然本来の性質が、その内部の涙や裂け目のすべてを、修復して改善させることを目的としています。

過度の消費や物質社会での地位、搾取的な権威のために走り続けた、平行線上のレース。そこで私たちはそのうちの一つ、ないしは全部で他者と競り合い、人生を作ってきました。それが、突如、コロナウイルスの発症により停止したのです。

一歩下がって、一瞬でも人類を一つの生命体として見るのなら、いかにコロナウイルスが病気ではなく、治療薬として現れたか分かるはずです。エゴや消費中毒、物質依存症が細胞に染み込んだ人間、つまり私たちを治癒させるための薬です。

しかし、私たちは各自が他者を犠牲にして自己利益を追求し、それに応じて機能する社会インフラを構築し遵守しています。その中で利己的なレンズを通して見ることに慣れてしまってるため、コロナウイルスが生活に加えた制限に、プラスの効果を見ることがとても難しいのです。

私たちは自然と反対の物の見方をするため、自然のプラスの影響をマイナスに捉えます。自然が相互連結した一つのものとして、全体的に機能している一方で、私たちは個々に知覚し、自分を他者や自然とは切り離されたものとして認識しています。

また、自然が創造物を注意深くじわじわと、完全でホメオスタシス(恒常性)の状態へ導きながら、いかなる時も創造全体に利益をもたらすよう作用している場所で、私たちは真逆の方法で行動します。誰であろうと何であろうと、身勝手に、自分の利益や快適さに必要なものだけを計算し考えています。

自然にはマイナスな作用も姿勢もありません。私たちがマイナスと知覚するのは、自然のプラスで利他的な形とは反対の、マイナスで利己的な私たちの形のせいです。

コロナウイルスは自然が私たちに与えた治療薬、つまり互いにもっと前向きにつながるための機会。また、新しく発見された国際的な相互依存の関係を、互いを促進させる方法で実現するための機会。そのように見るのなら、私たち皆にとって幸せで健康的な世界を築くことができます。

当然、最初は私たちの間に確立されたバリアを破ることは難しいと思われます。しかし、互いに助け合い、支え合うなら、この過渡期を乗り越えて、まったく新しい調和のとれた世界を作るために必要なものを手にするでしょう。

— 2020年3月19日に公開

ひきこもり

発言:日本にはひきこもりと言われる人たちがいます。自分の殻に閉じこもり、自らを孤立させ、自分で自分を家の中に監禁しています。どこかへ出かけることはありません。家から決して出ずに、インターネットを通してフリーランスで収入を得ている人たちもいます。日本では、そういう人たちが、ますます増えています。

私のコメント:よいことだと思います。その人たちは生きていますし、バーチャルなアイデンティティーを獲得しています。彼らにはバーチャル・アイデンティティーを通して、いろいろな手段での発達の機会が与えられるべきです。それぞれが、自分自身の利己主義(エゴイズム)に応じて、自分にとって何がベストでより快適かを決めていくのです。

彼らは、国費に何も負担をかけていませんし、誰も傷つけていません。人殺しも盗みも、そういったことは何もしていません。すべて、よいことです。夜間にこっそり家を抜け出して、何か悪さをすることもありません。

すべての人がこの「ダイエット」なライフスタイルにしたらいいのではないでしょうか。

より高い人生や目的への到達、それを感じる能力の獲得。自分自身から出て、鉱物、植物、動物、人間の体という、脆弱な集団の上へと行く。そういうアセンションのため、人は自分と言う独房を出て、統合していかなければなりません。ただし、正しい方法での統合です!

質問 :その人たちはそのうち、その状況を打ち破り、成長していけるのですか? 一人ぼっちで座って、表へ出ることなしに、何を獲得するのでしょうか? 彼らはどうなるのですか?

答え:彼らには、人生の意味についての問いがやってきます。彼ら一人ひとりにそれが起きます。

猛烈に忙しく荒れ狂う人々の塊、この「マンハッタン」から離れていく人々が、世界中に広がっていくことを、私は確信しています。最新の科学技術のおかげて、オフィスへ、仕事への通勤はすべてなくなっていくでしょう。人類はコンピュータの助けで内面的な仕事に従事し、より内的、知的な製品を生み出していきます。

そのため、日本人だけでなく、多くの人々が家に閉じこもっていきます。これはエコロジー的にもよく、人々にとってよりクリーンで楽な、心地よい状況です。『トーラー』でさえ、「幸せとは、家を出ることなく、 暮らしを立てている人たちのことだ」と、述べています。

質問:それは何につながっていきますか?

答え:人々は、もともと上層から意図されているとおりに発達し続け、その欲求は大きくなり続けています。人々は感じ始めているのです。「すべては何のためであるのか」と。

自分たちにどんな種類の問いが立ちこめているのか。現時点ではそれに気付くことなく、人類は自分たちの「ゲーム」に心を奪われています。彼らは人生の意味にやってきます。本当です。

質問:人生の意味へ向けて突破していくのですか? 何からですか? 大衆の怒りの声からですか?

答え:内的な必要性が起こり、膨張していくことからです。実際、これは甘い苦しみです。自分が人間であることの探求。それについて教えてくれるものだからです!

質問:つまり、どこか向こうにすごい喜びがあって、私はまだそれを発見していない、ということですか?

答え:そうです。まだ発見していません。しかし、それは遠くからあなたを照らしています。つまり、あなたはすでにそれにつながれているのです。しかし今は、それに向かって動いていかなければならない、ということです。

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From KabTV’s “News with Dr. Michael Laitman” 7/2/19

最も難しい事は助けを求めること

thumbs_laitman_239バール・ハスラム「トーラーの授与」:我々はトーラーにおける残りの612のミツヴォット(戒律)が、それらのすべての解釈と共に、ただ一つのミツヴァ(ミツヴォットの単数形)、すなわち「汝の友を愛せよ」の中に挿入され、含まれている詳細の合計以上でも以下でもないことを理解すべきである。

613の「戒律」、すなわち是正に至らせる613の行いがあります。私たちは受け取りたいという欲求に関連する意図を、利己的なもの(受け取るために)から利他的なもの(与えるために)に改めるべきです。私たちがそうするとき、それは私たちが「戒律を果たした」ことを意味します。

戒律の数は、魂の器に含まれている個人の受け取りたいという欲求の総計で定義されます。それは2つの部分に分かれています。

上部  ガルガルタ・ヴェ・エイナイム (Galgalta Ve Eynaim <G’E>)248の欲求
下部  アハップ(AHP)365の欲求

受け取りのためという意図は邪悪な性向と呼ばています。一方で与えるためという意図は、善い性向と呼ばれています。行為自体は同じです。それらの背後にある意図によってのみ、私たちは良い行為と悪い行為を識別することができます。そのため、是正のプロセスは実際には意図を変更することです。意図が自己中心的なら邪悪な性向とみなされ、その中心が隣人に向けられているなら善い性向なのです。

結局、私たちは248と365の欲求を是正しなくてはなりません。全部で613です。しかし、最後の戒律(愛についてのもの)は「問題をはらんだ」ままなので、私たちは実際612の欲求しか是正しません。カバリストたちが言うように、612の欲求を改善することによって、我々は愛を達成します。 言い換えれば、友への愛から、私たちは創造主を愛するようになります。

 

総体のシステムの中には、欲求の特別な部分があります。それはグループと呼ばれるそれ自身を是正しなくてはならない部分で、当然ながら残りの欲求と相互的につながっています。最初、私はそこにいません。 しかし、グループで友と一緒に作業を始めて、友とのつながりを望み、現実にそうするやいなや、自分の性質がすべてこれに反していると分かります。つまり、「できない」「不可能だ」「したくない」 「しない」ということ。これが邪悪な性向というものです。つまり統合したくないということ。それは私を妨げます。

その後で私はそれを私の中に存在する「憎む人」と呼び、至る所にいる友からその是正を要求します。私はどこを是正するのか、どのように是正を実現化するのか、そしてどのように自分の性向に打ち勝つことができるのかを発見します。そして、クリエイターの方を向く必要を感じるまで私はそうします。

それはすぐに起こりません。私は今、叫ぶことができますが、その後で利己的な欲求は高まり、クリエーターの考えに我慢できなくなります。私はクリエーターを憎んでいて、いつでもクリエーターを滅ぼす準備ができています。クリエーターに向かうこと以外なら何でも喜んでするのです。私は不可能なことをするよう要求されていると思います。まるで敵を滅ぼす代りに敵を愛して助けなければならないかのように。それは非常に難しいことです。その後で、絶望を感じ、何よりも授与の獲得を欲する時、私はクリエーターの方に向くのです。

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From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 10/21/12, “Matan Torah (The Giving of the Torah)”

なぜ今日恐竜はいないのか?

もし私達が、クリエイター(創造主)に授与し「彼」に満足を与えるために、私達の利己的な願望の上に一つの共有されたつながりを造り、自分自身をその中に無化するならば、そしてまた私達が一般の人々との仕事、その仕事の中で私達は、クリエイターが私達を通して彼らに授与できるよう彼らを私達に近づけて、私達を通して彼らをクリエイターに近づけることを望んでいるのですが、そのような仕事のためにこの全て(つながり)を使うならば、そのとき私達は全ての高位の「諸世界」、全体システムを発見するでしょう。それは人間の外側には存在せず、むしろ私達の間にのみ存在します。

そして同時に、自然界の鉱物、植物、動物もまた私達の内側にあることを発見します。突然、私達は自分達の内側にキリン、ライオン、全ての野生動物、あらゆる植物、そして全ての人間たちを発見します。これら全ては私達の属性のただの複製(コピー)です。

かつて昔、私達は今とは異なる他の属性を持っていました。その時には、見たところ世界には恐竜たちが生息していました。しかし今ではその属性は変わってしまい、その恐竜たちは姿を消してしまいました。私達の時代においては、私達の中の属性は急速に変換しつつあり、多くの植物や動物の種が絶滅しかかっているのを目撃しています。世界では毎日150種消えていると言われています。つまりそのような速いペースで私達の「受取りたい願望」は変化し、発達し、進歩しているということです。

私達には、植物や動物のレベルでは何も変化していないように見えます。しかし本質的には自然の中で毎日たいへん大きな変化が起こっています。なぜなら、それら全体は一人の人間の中に包含されているからです。自然それ自体は私達の内的な特質の複製にすぎないのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 8/21/13, Writings of Baal HaSulam

ヴァーチャルな授与

質問:何が人をビナーの状態(ハフェツ・ヘセド)から外へ押し出すのですか?

答え:私達は決してビナーハフェツ・ヘセドの状態から去りません。ただそれに加えるだけです。スピリチュアリティにおいては、私達はある状態を失うことはなく、いつも梯子をより高く昇ります。もし私がハフェツ・ヘセド、つまり「授与のための授与」の状態に留まるなら、私は「自分自身のために受け取る」意図に落ちることになるでしょう。「授与のための授与」は私がいるべき最低限のレベルです。

私は「授与のための授与」の無限の状態への願望をより増やし厚く(アヴィユート)して、その上に「ハフェツ・ヘセド」のより高い状態を築き上げます。私はこのハフェツ・ヘセドの状態に追加の授与を着せ始めます。その中では私は何も必要とせず、私は森の中で、シャツ一枚すらなくとも何の心配もなく暮らし、幸せです。

ハフェツ・ヘセドの状態では、私はどのようなやり方でも授与しません、これは「授与のための授与」と呼ばれますが、私は授与するものを何ももっていないのです、それはまるで私が、自分のエゴを諦めることで、自分自身を授与する者と見なすかのようです。それは母親が子供に「お願いだから、静かにして」と言って、騒ぎを止めるようなものです。子供は何も役に立つものは生み出していませんし、他者に何も与えていません。彼はただ静かになっただけです。しかしこれは子供が母親を手助けしたことを意味します。

これがハフェツ・ヘセドの状態です。それは私がエゴイズムと戯れることを止めることを意味します。私はそれを欲せず、完全に裸のままで、全く自分自身を母親にゆだねて、彼女が言うことを全て聞くことを欲します。私は、母親が私に期待するところの何も良いことはしませんが、彼女が願う通り、悪いことは既に止めています。これが「授与のための授与」と呼ばれます。

全体として見れば、私は母親に「ヴァーチャルな」喜び以外何も与えていません。私は騒いだり、物を壊したり、叫んだり、いたずらをしたりすることを止めましたが、それだけです。これは私がハフェツ・ヘセドの状態に到達したことを意味します。これはエイン・ソフ(無限)に到るまでの最低限の願望の厚みの上でのみ可能です。

しかしこの上では、私は既に授与のため受け取りを始めています。母親が欲することを何かします。家事を手伝ったりします。これは既に授与のための授与の上にいることで、これが本当の授与です。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 4/8/13, The Study of the Ten Sefirot

憎しみのX線下のエゴの悪

私達は、人の中で起きる悪の源への憎しみに関連して、愛を調査します。つまり彼はその気分の悪さにも関わらず、自分の苦しみの源を愛することができるかどうかということです。それによって、彼は自分自身を、まるでそれが彼の性質ではないかのように、悪から隔離し、彼が苦しみを感じているその場所から離れさせなければなりません。

これは大変デリケートな点です。普通のエゴイスティックな性質では、私は私に苦しみをもたらす人、悪の源を憎みます。それはちょうど私達がしばしば、頭をテーブルにぶつけて怪我をした子供にテーブルを叩き返すように言って落ち着かせるようなものです。それは自然な本能的な動物的反応です。

しかしスピリチュアルな仕事は人間の是正を意味します。そしてすべての是正は、誰かが私を不快にさせたときでも、私に起きたことはただ愛と善のみであると自覚するときにのみ可能です。それで全ての痛みのサインがあるとき私の焦点は、この不快の源ではなく、私の中の悪の源そして私がこの悪を感じる場所、私の悪の傾向にあるべきです。そこが私が苦しみや悪い関係を感じるところであり、私が自らを引き離すべきものであり、マサッフ(スクリーン)で覆うべきものであり、制限があるべきところです。そのようにして、ついにはそれが悪をその反対の形に引っくり返します。

それはまるで私の前にフルコース料理のテーブルがあるかのようです。ただしどの皿も味は最悪で、匂いも臭く、見た目も腐っています。それはただ食べ物が少し塩っぽいとか辛すぎるとかいうものではなく、本当に有毒なものです。他方で私は、この食べ物を愛することができるように自分の知覚の器を是正しなければなりません。それは初めのうちは不可能に見えることです。同じようにして、私達もまた、私達が憎しみを感じる物事の中で私達の器を是正した上で愛に到達します。

From the Preparation to the Daily Kabbalah Lesson 4/3/13

カバラ、マルクス、そして大きな嘘について

 今日、私たちの発達の時代の間じゅうずっと伴ってきた傾向が終わりに近づいています。エゴは私たちを木から降ろし人類の進化を始めることを余儀なくさせました。私たちは生活における多くの様相と形態を経てきました:奴隷制度、偽りの自由、中世期、そして資本主義。私たちは利益を得るために、成功するために、そして、進歩するために常に働いてきました。しかしながら今日、私たちのエゴとの「パートナーシップ」はもうすぐ終わります。

この事にはいくつかの理由があります。その1つは、エゴそれ自体がもう満足しなくなったということです。私たちはあらゆる良いことを受け取りますが、それは私たちを満足させません。裕福な人々でさえ、まるで彼らが何もない状態で取り残されたようだとますます感じています。その理由は、その満たすものに対する欠乏がない状態でそれに満たされることが、何の喜びももたらさないためです。

全体的にエリートは世界を自分たちの所有物として扱い、自分たちのために「全世界」を作り上げます。彼らはメディアを通じて、朝から晩まで働くべきだ、流行を追うべきだ、製品やサービスを購入すべきだ、そしてまた働くべきだと私たちを納得させて混乱させています。混乱状態、戦争、そして「アラブの春」のような暴動は絶えず生じています。どうしてでしょうか? それは彼らが注目されずに静かに世界を支配して自分たちのために何十億という利益を得るためです。これこそが、ごく一握りの人々によって支配されている政府や他局の終わることのない仕事なのです。

しかしながら、彼らは自分たちが支配力を失いつつあると既に感じ始めています。エゴイスティックな進化の法則に従い、現在の世界形態はもうすぐ終わりを迎え、世界危機に直面します。大量消費社会を無期限に維持し継続させることに関心のあるエリートを含め、このことを望んだ人は誰もいません。しかし、これはうまくいかないのです。

今や私たちは何処に向かうのか決心しなくてはなりません。だから一方ではマルクスの著書が再びひもとかれていて、他方ではカバラの智慧が明かされているのです。

今日、受け取りたいという願望や欲求の異なる使い方についての話があります。次なる段階は、人々が週に約1時間ぐらい働く、1つに結ばれた社会を築くことです。なぜなら私たちが現在生産している全てのものは、私たちに必要ないからです。今日においてユニティー(統一・団結・和合)とは、人間社会にとって最も重要なモデルです。それなしでは、私たちは日々の糧さえも受け取ることができないでしょう。もし私たち同士がつながらないなら、基本的生活必需品の提供はありません。しかし、つながることこそが私たちのしなくてはならないことにもかかわらず、人類はつながり方を知りません。このため、一見したところ不可能な課題に直面する時、人類は滅亡に向かい、逃げ場がなくなります。

正確にこの時、カバラの智慧をその隠し場所から外に持ち出し、マルクスの『資本論(Das Kapital)』を背景にそれを「振る」のです。人々が私たちを聞き入れることを望みながら。

質問:どんな証拠を持っていけますか?

答え:これを証明する方法は二つあります:

  • 「賢者とは未来が見える人である」と書かれているように、理にかなった証拠があります。私たちのアプローチは実例に基づく実際どおりかつ効率的なもので、より大きな困難を待つ必要がないと人々を納得させることができます。
  • あるいは、その代わりに証拠が災いの形として現れることになりえます。

私たちは人々に不慮の災害が訪れる前にカバラの智慧を広めようと努力しなくてはなりませんが、それは容易ではありません。私たちはメディアを支配していません。エリートは人々を混乱させて大きな嘘を助長することを目的とする大勢のエコノミストと金融専門家と他分野の専門家を作り上げました。これはすべてピラミッドの頂点にいる人々が支配できるようにするためです。では何を支配するのでしょうか? 今日では彼らでさえ正確に分かっていません。その答えは全く彼らの支配下にないのです・・・。

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From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/15/13, “The Peace”

私自身のエゴの鏡のなか

質問:グループの友達が、何のためにエゴが必要なのかと伝えました。私は何のために外側(外の世界)で感じる、つまり路上や街頭で感じるエゴが必要なのですか?

答え:これはすべてあなたの魂の一部です。マルクト、魂、人類、それをどのように呼んでも構いませんが、実のところすべてはあなたです。したがって、残りのすべての人は誰なのでしょうか? 彼らはすべてあなたの一部です。あなただけについての。

これは、それが全ての個人の魂がつながるところの、70億人の多層構造であり、平面ではなく球体になることを意味します。それで、あなたは100%すべてのものが必要なのです。したがって、この世におけるどんな人に対する皮肉な、そして、失礼な態度もあなたのスピリチュアルな前進を著しく遅らせます。

それどころか、あなたは世界の全ての人々、完全にネガティブな人と完全にポジティブな人を、自分自身の切り離すことのできない部分と同じくらい身近に感じる状態に到達しなくてはなりません。彼らは実際は誰でもないのです。あなたにとって、彼らは操り人形であり、彼らはあなたがクリエーターに近づくための正しい背景を与えるためだけに動いています。

質問:私は自分のエゴに耐えることができません。私には選択肢がありません。それは本来備わっている私の一部です。しかし、別の人のエゴをはぐらかすこと、または、追い払うことはできます。

答え:あなたは他の誰かのエゴをどこで目にするのですか? もしあなたがそれをあなたのエゴの中で感じるなら、実際にあなたは何を感じるのでしょうか? それはあなた自身のエゴです。世界は多数の人に分けられているように見えますが、今でさえあなたはあなた自身と話をしているのです。

From the Kharkov Convention “Uniting to Ascend” 8/17/12, Lesson 2

相互保証は霊的誕生の必要条件

ミューチュアル・ギャランティ(相互保証)のおかげで、人は、その人の必要物全てを提供するために皆がサポートしてくれている、と感じる状態に達します。そしてその状態において、人は他者について考えることが可能になります。人が自分のエゴを乗り越えるのは、この条件においてのみです。

エゴを乗り越えさせる他の力はありません。このエゴは私達を支配する唯一の力であり、それはグループの中でのみ中性化することができます。

もしグループが私のエゴを中性化せず無効化しないならば、私は自分自身の力だけで中性化することは決してできないでしょう。私はその中に永遠に埋もれたままで、そこから誕生して脱出することはできないでしょう。それゆえ、この相互保証は私にとって生命の法則であり、私の霊的誕生の必要条件となります。

もし私がグループから、十分な保護と必要な物全ての供給という、この安全の感覚を受け取らなかったならば、私は自分自身を越えて上ることはできないでしょう。実際、私の中にこの感覚を生むものは相互保証です。この感覚は全く私個人に起因するものではありません。もし友人達が彼らの相互保証によって私に影響を与えるならば、私が彼らについて考えることを止めることはありません。相互保証はそのように働きます。

それは母の両腕の中にいる赤ん坊に似ています。そこでは赤ん坊はいかなる問題も持ちません。赤ん坊は本能的に安全を感じ、そして必要な物は何でも与えられるであろうと感じています。私もまた、グループの両腕の中にあって、この赤ん坊のように感じることになります。全ての問題、全ての心配、全ての疑問が去ったように感じるのです。

私個人につながっているものは何もありません。それはまるで私が空中に浮かんでいるかのようです。私が他者について考え始めることが可能になるのは、まさにこのような瞬間からです。

私達は、不変の法則について、私達に作用する力について、話しています。それは私のファンタジーや推測ではありません。もし、この相互保証の力が私に作用するなら、そのとき私は自分自身を切り離し、そして私個人の欲する・欲しないには何の違いもなくなります。もし友人達がこの力で私に作用するなら、私は自分のエゴの支配から自由になります。そして、その瞬間から、私は他者について考えることが可能になるのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/24/12, Writings of Baal HaSulam