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どのように世界をコントロールできるのか?

質問:私たちはしばしば、人々の間の特定の心の状態がどのようになっているのかを観察します。変わりたい、やせたいという願望や、幸せまたは憂鬱な感情は、それらの飛沫によって伝染します。人はどのようにして、このような感覚が個人的な感覚なのか、それとも環境から押し付けられたものなのかを知覚することができますか?

答え:私たちがシステムの性質を探求すればするほど、私たちは全てが他のみんなに依存していることに気づきます。これは深く相互的な関係であり、私たちの間の幾千もの関係性から成っています。もちろん、私たちはそれを実感していませんが、そのつながりは変わらずあります。それは絶えず続くものであり、無視することはできません。

私は砂漠の島や深い森に隠れ、切り離すこともできますが、それでは自分と社会の距離が大きくなるので、私は自分自身に限りのある、みじめな人生を強いることになります。たとえば、もし私が一人でこの宇宙にいるのなら、私の全ての感覚が体から切り離された細胞や肉の小さな破片のように萎縮することに、私はすぐに気づくでしょう。

私たちがお互いにコミュニケーション手段を学ぶことは、とても重要です。なぜならそれは真の環境に関連する立場に私たちを据えるからです。第一にそれは人間社会、そしてそこにどのように結びつくべきなのかということに関連しています。

人はどのようにそのようなつながりを発見することができますか? どのようにそれらの感じ方を学べるのでしょうか? どういう形で、私たちは与え受け取るべきですか? 原則としてそれが私たちのゴールであり、この意味は、私たちが統合されたシステム、つまり幸せな人生へ到達する方法を勉強しなければならないということです。

コメント:私たちの中の何かが間違っていて、私たちがその理由を感じる時、私たちは直感的に自分自身に注意を払い始めます。

答え:私たちには生理学的、精神的ないかなる病気、または個人的、家族的な問題、もしくは共通の全世界的な問題はありません。私たちが自分自身を見つけるシステムの欠点があるだけです。それゆえ私たちには、政治、経済、金融、そして各国々や人々の生活が混ざり合ってお互いに依存していることがわかります。

もし私が誰かを統治しようとするなら、私は間違いなく真逆の反応を得ることになります。かつて、ヨーロッパはアフリカやアジアを治めたいと思っていましたが、今や移民に翻弄されています。

質問:だとすると、もし私が何か間違っているのなら、私は自分自身のなかにその原因を探すべきなのでしょうか?

答え:興味深いことは、“私”はこの理由にはならないということです。私は私が誰であるのかによって、もしくは全システムがそうであるからといって自分自身を責めません。しかしながら、私はそのシステムが変化することに力を与えることができ、それは私に変化をもたらします。実際、インテグラル・エデュケーション(統合的教育)の手法は人々に世界がどのように働きそれを管理しているかについて理解を与えます。

質問:自分の状態はシステムの一般的な状態によって起こされていると気づくということですか。このような理解に対しどうしたらいいのでしょうか?

答え:あなたのように人生の質を向上させたいと思っている人々から成るグループに、あなたは加わります。例えば、私たち10人がいます。そして私たちは様々なエクササイズやゲームを通してお互いにコミュニケーションを始めます。

もし私たちが適切につながるのなら、私たちは自分たちのエゴや個人的目的、習慣を超えてつながりを感じ始めます。共通の使命で結ばれた人々のグループや、個人的利益が共同体の利益よりも下にある家族で、時々この感情が起こります。

私たちがつながって一つになるその瞬間、その“一つ”は統合された感覚を生み出します。このような感覚を通して、私たちはこの世界に含まれる一体化した力を、まるで衛生配列が宇宙からの信号を吸収するように掴み始めます。

質問:そのような情報は人生においてどのように私を助けますか?

答え:社会は閉ざされたシステムです。もし私たちが話題にしている10人のグループのように、小さな各部分のバランスがとれるのなら、それは確実に人間社会をより健全にします。人々は徐々にこのアプローチでそれに気づくようになり、すべての人類の欠点を正すことが可能なのです。

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From KabTV’s “A New Life” 11/12/13

正当化しなければならない頭金

世界はスピリチュアルな上昇に関して二つの部分に分かれています。1の部分は“心の点(・)”が既に目覚めた人々です。従って彼らはスピリチュアルな上昇への憧れを感じます。

彼らは人生の意味(彼らの根源を直接獲得したいという欲求)に興味があります。

これらの人々は私たち(ブネイ・バルーフ(BB))のところに来ます。一部の人々は私たちと共に留まり、一部の人々は去ってしばらくしてから戻ってきます。

両者は絶えず揺さぶられます。揺さぶられずして前進することができないためです。

まるでポンプが1つの場所から別の場所へと空気を送り込むように、まるで自動車の中のピストンのように、私たちも前進運動においてそのように前へ進み、行ったり来たり、行ったり来たりしているのです。

これは私たちがどこかに行っているという意味ではありません。私たちはどんどん高く上がるに連れ、少し高くなったり少し低くなったりして動くのです。

従って私たちは絶えず前へ進み、エゴを下から“すくい取り”、そのエゴを上げて是正します。それをなお一層深くすくい取り、上げて是正するのです。このように私たちは螺旋(らせん)のように徐々に前進します。しかし、その螺旋は上がったり下がったり、上がったり下がったりして徐々に広くなります。

上から下へ移動しない者は、なにも上に持ってくるものがありません。私たちはカバラの知恵でこう学びます:創造物の欲求は粉々に割れ、全ての欲求はベリア(Beria)、イェツィラ(Yetzira)、この世を含むアシィア(Assiya)と呼ばれる諸世界に分散しました。

よって、“心の点”(アジィルットのマルフート(Malchut of Atzilut))を持つ全ての人々は、下降して器を上げ、そして再び下降し、さらに大きな器をまたまた持ってこなければならなく、それ故、この動作を何度も繰り返すのです。

この全ては全部私たちのケリム(複数の器)、つまり私たちの欲求です。したがって是正の最後(完全なグマー・ティクン(Gmar Tikkun))までは、下の方への動きが常にあり、その動きは交互に始まっては止まり、是正されてないケリムがある場所へと徐々に戻ります。それは常にマイナスがプラスの反対側にあることを意味します。

従って、私たちは欲求を引き寄せ、それを上げて是正します。 私たちは知らずに下にある殆どの欲求を是正します。

様々な変化が世界にいる全ての人に起き、私たちは絶えず是正することで忙しいのです。

全ての変化、この世界で起きる全てのこと、誰もに起きること全ては、下方へ降りることと上方へ昇ること、つまり下降と上昇のおかげで起きるのです。

従って、この世の全ての人々は、したい、したくないに関わらず、無意識に是正のために働きます。

私たちは既に上層の器に属している“心の点”があるため、意識的に働いています。それから立ち去る時、私たちは螺旋のように絶えず下がったり上がったり、下がったり上がったり円を描きはじめます。

意識的な働きと無意識的な働きの間には大きな違いがあります。結局のところ、無意識に働く者は痛みを経験します。彼らは後ろからの圧力によって前へ押され、自分達が前進しているようには感じません。彼らは単に人生の様々な状況(痛みや苦しみ)の影響を受けて動かなければなりません。

私たちはそうではありません。私たちはこれを意識的に、はるかに効率的に行うのです。結局のところ、私たちは、他の人を押すように私たちを下から押す苦しみを超越し、私たちを最初から押すポジティブな力をこのネガティブなベクトルに加えようと試みます。

ポジティブな力の助けを借りて前進するためには、グループ内でつながらなければなりません。それに加え、私たちは共に勉強し、事前にグループの中に上層の世界(Upper World)に存在する全ての条件を設ける必要があります。

グループの規則、全てのグループの規範は、私達がまだエゴイズムの中にいる間に少なくともある程度、従おうと努力している上層世界の法です。私たちはそれが全てゲームであると把握しています。

私達はあたかもお互いを愛し、お互い、1つになること、つながりを切に求めているかのようにただ演じているのです。私たちはゲームをしています。恥じることは何もありません。ある者は「もしこれが本当でないなら、それをしない」と言いますが、これは誤りです。子供を考えてみてください。彼らにとって遊びはとても真剣なことです。他者との接触の中にスピリチュアルな世界を形成しようと試みるとき、それはとても真剣なことです。

それを切望する程度にまで、私は自分の中に新しいベクトル(絵の中の赤い矢印)を発達させ、後ろからの圧力を受けることなく、前方に魅力を感じはじめます。私は、例えば世界を前に押す危機や、私たち一人一人を押す様々な個人的問題のような周囲の様々な状況を待ちません。私はグループの力を装着し、グループの力はそれ自身に強い光を上層から引き寄せます。

実はこの強い光は、私たちの唯一のスピリチュアルな構造を構築します。そして今回、それは本当です。私たちが皆1つになるとき、私たちは光と同等になります。その理由は光も1つであるからです。

性質のつながり(関連性)、つまり形態の等価に従って光は私たちに入り、上層世界、次なる段階、次なる次元が私たちに明かされます。これが自分達自身で前進したいという欲求を受け取る人々とそれ以外の人々との違いです。

最初の部分(図1の黄色い部分)が私たち、“心の点”のある人々で、他の部分(下側)がその他の人々です。

近頃、これらの2つの部分の相互依存関係が明らかになっています。その理由は二番目の部分が最初の部分に無意識に引き込まれ、それ故に人間の歴史を通してその欲求の多くを無意識に是正したからです。

“心の点”を持たない人々は歴史を通して様々な状態を経験し、それ故に今日私たちにつながる程度にまで達しました。私たちは、上方への動き、上方への引き寄せを受け取り、彼らは私たちのとても近く、私たちの周りに居て、私たち皆が一緒に危機に瀕しています。これは全く同じ危機、クリエーターの不在の危機、上層の摂理の啓示の欠如です。しかし私たちにとって、この上層の摂理の欠如は深刻な問題で、私たちは「彼」を見つけたいと思い、前方へ引き寄せられます。しかし、私たちは世界がどんな状態に陥っているのかを見るので、彼らにとってそれはとても不愉快な後ろからの突きなのです。

まさにこれが、創造の目的(器の中で光を明かすこと)に魅力を感じる人々のために用意された唯一無二の機会です。彼らの有利な点は、もし彼らが光とのつながりを持たない世界の部分の是正のために働くならば、光が彼らの中を通って他者に渡るので、彼らが光に速く近づく機会を得るということです。

私たちの各々は、どういうふうに特別なのでしょうか? 私たちはどんな特別なことを人生でしたのでしょうか? 私たちにどんな特別な性質があるのでしょうか? 私たちに、そしてまた私にも、特別なことなど何もありません。“心の点”、つまり上層の光を明らかにしたいという欲求は、“前提条件”として、“頭金”として私たちに与えられたのです。もし私たちが他の人々のために働くならば、上層の光は必ず私たちに現れ、私たちの中を通って全人類に渡るでしょう。

従って、私たちはその条件が何なのか理解することが出来きます:「汝の隣人を汝自身のように愛せよ」と「1つの心を持つ1人の人のように」、私たちの間のつながりに達することなどなど。これらが光を明かすこと、つまり複数の器の是正に必要な正確な条件なのですが、それは様々な言葉で表現されます。

前の世代のカバリストたちはカバラの知恵を自分たちの是正に合わせて変え、私たちがいかなる場所において広くそれを利用できる準備をするために、それを彼らの著書の中に書き表しました。従って、彼らの著書は全て私たちに向けたものです。全ての前の世代には、ごく少数のカバリストたち(実際のところ数十人)しかいなかったからです。例えば16世紀の偉大なカバリストであるアリ(The Ari)には6~7人しか生徒がいませんでした。後に、イタリアのパドヴァに現れたもう1人の偉大なカバリストであるラムハル(Ramchal)には2~3人の生徒しかいませんでした。

現在、全世界で数千人の人々がカバラの知恵に興味をもっており、彼らはそれを必要としています。それなしでは、人生が単なる肉体の人生であるからです。実は私はそんなにも多くの人々がカバラを学んでいるとは思っていませんでした。人類全体に対して10~20人といった小さなブループしかないと思っていました。

カバラは私たち自身に光を引き寄せる知恵です。それをするために私たちは、上層の世界の構造、どのようにその全部分が整えられているのか、どのようにエゴイスティックな(利己的な)欲求がアツィルットのマルフートの是正に上昇するのか、どのようにそれらが一体になり、後にイェシスット(YESHSUT)のパーツフィム(Partzufim)、アバ・ヴェ・イマ(Abba ve Ima)、アリッフ・アンピン(Arich Anpin)、アティック(Atik)、それ故にエイン・ソフ(Ein Sof)の世界にまで上昇するのか学ばなければなりません。

しかし、それは私たちのためのものです。私たちは上層の光を引き寄せてそれと共に相互的に働き、それに頼り、それから受け取るためにカバラの知恵を必要としています。

一般大衆は上層の光を受け取るためにカバラの知恵を必要としていません。彼らは光と共に相互に働かないからです。しかし、それでも彼らは1つにならなければなりません。彼らはあらゆる面に圧力を与える全問題を取り除くものが1つである状態だと理解しなければなりません。彼らが知る必要のあることは1つだけです:もし私たちが1つになれば、私たちは全ての問題、全てのネガティブな状態(−)から脱するということです。

一般大衆向けの知恵はインテグラル・エデュケーションと呼ばれています。インテグラル・エデュケーションは、全てのマイナス効果(悪影響)を無力化する力が、1つである状態の中で明らかになるよう、1つになることの必要性について説きます。したがって、一般大衆にもグループが必要です。しかし、違う立場、違う形、違うスタイル、違う切望をもつグループです。単に人々の結束です。

彼らが1つになれば、より気持ちがよくなり、様々な弊害の全てが消えてなくなるということを彼らが理解する時、これが起きるでしょう。これがカバラの知恵とインテグラル・エデュケーションの違いです。

全体的に見ると、これらは地球上での人々の結束における同じ知恵の2つの部分です。それらは同じことについて説いているのです。“心の点”を持っているということから、上層の光を引き寄せ、それと共に相互に働ける人々だけが、その構造、相互の働き、上層の世界、光の上昇と光の下降を求める要求のレベルについて説明できます。彼らは上層の光の引き寄せを促すためにこれを必要とします。

他の人たちにそれは必要ありません。彼らは単に、1つになることを切望することだけが彼らに平和とよい暮らしをもたらすということを知る必要があるのです。これが彼らの欲求の中で彼らが感じることなのです。最終的に、両方が同じ状態に到達します。パーサ(Parsa)の下にある全ての欲求が上昇するからです。それが意味することは、それらがパーサの上にある光の中に組み込まれるということです(図2)。

これが私たちの将来の在り方、私たちの次なる次元、上層の世界です。従って人類は2つの部分に分かれており、各部分に独自の是正方法があるのです。

従って1つになること(インテグラル(統合)の方法を受け入れてそれを実行すること)は今日の世界にとって非常に重要です。私たちは、どれほど人類がそれを必要としているのかを理解し、それ(一般大衆に適しているカバラの知恵の主要部分)を広めなければなりません。

創造物の1つになる方法は、クリエーターが創造物の中で明かされることに向けられています。「彼」は私たちの中を通って一般大衆の中で明かされるのです。

私たちの中を通って(図1の赤い矢印)上層の光は彼らへ伝えられます。『ゾハールの書の前書き』は私たちにこのことについて伝えます。

インテグラル(統合)の方法を広めることはヨーロッパ(世界の他の部分よりも発達していることから、非常に多くの緊張を経てきた、多国間の危機の重圧が感じられる大陸)においても必要です。

もし私たちがここで危機を是正し、なんとかして人間の結束の知恵の普及を一般大衆に適している方法で促進できるなら、それはインテグラル・エデュケーションとインテグラル協力の形でという意味で、それは第一に私たちの前進を助けるでしょう。

こうして私たちは「彼」の粉々に割れた複数の器を是正するので、クリエーターに大きな満足をもたらします。そしてこれらの是正された複数の器の中で、創造の目的である「者(One)」を明らかにすることができます。従って、全ての人にとってインテグラル(統合)の方法はとても重要です。私たちはそれを子供たち、大人たち、そして高齢者のために開発します。私たちは一般の人々のために講座を開き、ワークショップや様々なイベントを開催します。私たちはそれが私たちにとっても、非常に重要であると考えます。なぜならもし私たちがそれに従事しないなら、私たち、つまりブネイ・バルーフが前進することは許されないからです。なぜなら私たちは残りの世界の人々のことを考えるという条件で、それを“頭金”として、単に受け取ったにすぎないからです。

From the 2nd Lesson of the European Convention In Germany 3/22/13

 

健康はスピリチュアルな必要物

質問:偉大な思想家であり医者であったラムバム(マイモニデス、12世紀の著名なユダヤ人哲学者)はいくつかの仮定を設定しました。その一つが「健康的に生活することはスピリチュアルな必要物である」というものです。これについて説明して頂けますか?

答え:私達の健康とは、人間と自然の間の全体的均衡の条件の一つです。またその人自身とクリエイターへの固着のバランスの条件の一つでもあります。そのような訳でメンタル、モラル、フィジカル、エシカル(倫理的)、スピリチュアル、サイコロジカルの全てのレベルでのバランスは、皆一つのことであり、同じ完全な均衡のシステムなのです。人は未来においては、世界全体とともに完全な是正に至り、あらゆる側面からポジティブ・フィードバックのみを受け取り、総体のバランスによって、絶対的な健康にいたることに疑いはありません。

私達は永遠、無限、永遠の命について話すことができますが、これらすべては今のところ私達のことではありません。私達は人間の中に起こりうるこれらすべての美しい変化をまだ理解しません。なぜなら現在の私達が抱いている観念は、この物質的肉体は永遠に存在することはできない、というものだからです。しかしポイントはそこではありません。

事実は、人間が全体システムの中に包含されるときにのみ、それは可能だということです。その時世界の全ての人々は正しくつながり、相互に補い合い、誰もの健康が、他の皆の是正された健康によって決定されるようにお互いをバランスさせるでしょう。

質問:ラムバムが、肉体の健康がスピリチュアルな必要物であると言うとき、「スピリチュアル」という言葉で何を意味しているのでしょうか?

答え:スピリチュアルという言葉は、人の未来のスピリチュアルな状態を意味しています。人が自分の動物部分の上に昇り、自分のスピリチュアルな部分を健康にし始める時のことです。その時点では、この部分のことはカバリスト以外によっては誰にも感じられません。全ての人が一種の内的な潜在的な胎芽を持っています。それは小さな子供でも未来の可能性としては自分の未来の子供が組み込まれていることに似ています。つまりある人のスピリチュアルな部分はまだどのようにも顕現していない状態です。

From KabTV’s “The Medicine of the Future” 4/7/13

発達したエゴイズムのレベルにおける欲求の「リセット」

質問:仕事場での良い関係が会社に対する従業員の忠誠心を高め、早死にのリスクさえも防ぐと統計は示します。しかし同僚たちは、争い合い、お互いに腹を立て、自分の立場を堅持し、自分の利益のために闘い続けています。何故これらの対立を中和することができないのですか?

答え:この20~30年間に現代世界が試みたすべてのこととは、どうにかして全体をつなげて1つの統一体にさせようという試みです。人々に優しさ、調和、協調の感覚を与え、チームをある共通の土台、共通の計画と解決策に至らせ、仕事に活気を与えるといった試みです。しかし、すべては無駄でした。

以前は、経営者が何らかのアイデアを「投げ」た時に、人々はワクワクしその人に従いましたが、今では誰も何も欲しくないのです。お金でさえも。

人々は「ゾンビ」のように仕事に来ます。その理由はただ単に明日のホームレスにならないよう、生計を立てなくてはならないからです。彼らはお互いに意思疎通を図ることができず、半分眠りながら仕事に時間を費やし、一日を終えて職場を後にします。

人々は働くことに対する愛好を失いました。彼らには目的がありません。熱意のある人も、熱意をそそげるものもありません。エゴイズム(利己主義)がまだ発達過程にあった以前のように新しいアイデアを生み出す社会集団はもはやなくなりました。

しかし現在はエゴイズムの進んだ段階の時であり、エゴイズムは完全体(総体)に成りつつあります。そしてこれが、かつてあった目的、満足感、興味が失われていることの理由なのです。今日ではそのどれ一つもありません。

これこそが、上司や経営者にとって従業員の関心を抱かせ続けることがとても難しいことの理由です。従業員はいやいや働かなくてはならないので、関心を抱くことはできません。従業員のモチベーションは年々、そして、日ごとに減少し退行し続けます。

人には何かをするモチベーションが少しもありません:何のために?-私は無理やり自分自身にムチを打って働いています。もちろん私は哀れな「ほんのわずかなお金」を喜んで受け取り続けて、それ以外のことには関心がありません。私には、生産、チーム、仕事そのもの、地位、または内なる呼び声なんかどうでもいいのです。人々は働くためのどんなモチベーションをも失ってしまいました。彼らは金銭的報酬さえにも関心がありません。

それはただ単に、私たちの内的な真の構成要素である欲求がとても深刻な「リセット」を経験しているためです。欲求が個人のものから集合的なものへと変化しつつあるのです。しかし、私たちは集合的な欲求を満たす方法を知りません。

さらに、私たちはこれらの欲求が集合的なのものであるとは気づいていません。しかし私たちはかつてないほどお互いに依存し合っていると感じ続け、その状況から逃れようとします。各々が各自の適所へと逃れるのです。人が自分に近づこうものなら、私は今すぐにでもその人を目で焼き殺す構えでいます。事前に私はその人を押しやる準備ができているのです。

こうしたことは至るところで問題となっています。しかし、それは私たちの責任ではありません。経営者たちはこのことを理解する必要があります。そして同時に、自分たち自身の内に存在しているこれらの問題と闘う必用もあります。

唯一の解決策は、会社の従業員にこの事態を説明し、統計を見せ、インテグラル養育の方法をある程度説明することです。私たちが人々をワークショップに参加させる時、人々は全く新しい欲求を発達させます:集合的で丸く、個人的でも直線状でもない、分離していない完全にそろった欲求です。そして、私たちはまったくの別人を手にします。

この人は自分自身とチームが1つの統一体であると認識します。彼は自分のチームに参加するときに自分が呼吸をし始め、目を開き、より明晰に考えることができ、聞こえ始め、すべてがより鋭くなることを見始めます-彼は目覚めるのです。彼は人生に活気があると感じ始めます。熱意があるのです。

一度私たちが、他者と一緒になることが、熱意と共通の人生と共通の満足が体験できる、新たな共通の集合した欲求を明らかにするのに必要であると説明するなら、人はチームへの依存にも関わらず、それを楽しいと感じます。その理由はこの依存が丸く、包括的であるためです。私たちは軽くて自由であると感じて、人生が喜びになり、まるで翼を持ったように高く舞い上がるので、全員にそれは必要なことなのです。

今日、こうしたことが世界中で最大の問題であるため、人々は喜んで何でもやる準備ができています。むなしさや空虚感そして空白感が原因で自殺、薬物依存(麻薬中毒)、うつ病、離婚、犯罪、テロ、そしてその他すべてのことが起きているのです。私たちには、自分たち自身から身を隠す場所などありません。人々に満足感を与えなさい。そうすれば、こうしたことはすべてなくなります。

この世界の外にある物事について話しましょう

質問:インテグラル・エデュケーション(統合的教育)のグループでは、何を議論するのがベストですか?また何を議論しないのがベストですか?

答え:比喩的に言えば、私達は愛と友情についてのみ語るべきです。私達は今の自分たちの状態を調べたりはしません。なぜなら、それらはすべて動物レベルに存在しているからです。

はじめに私達は「人間」レベルに上がらなければなりません。そしてその全体的なイメージを創りあげなければなりません。それは私達に共通する授与と愛の特質であり、そのようなお互いに対する私達の態度です。私達は議論を、私達の間の正しい相互関係ネットワークのレベルにのみ保つことができます。また私達の集合的状態を強める物事についてのみ議論することができます。

なぜそうするのでしょうか?なぜなら、その状態でより強くなることによって、私達は確かな力を生成させ始めます。そしてその力が私達の現在の動物状態を照らして変化させ始めます。より高い状態からのみ私達はより低い状態を変えることができます。私達の衝突・争いのすべては次第に消えてしまうか消える前にエスカレートするかでしょう。そしてこの背景のもとで、私達は私達のコネクション(つながり)を発達させているのです。

From a Talk on Integral Upbringing 3/4/12

未来の雇用の特徴

バール・ハスラム「ラスト・ジェネレーション」:失業者は、雇用者と等しく、その必要物を受け取るでしょう。

原則的に、これは今日でも、いくらかそうあるべきものです。結局、都市に住む人々は、収入源を失ってしまえば、自分たちは食べていくことができません。彼らは家畜も土地も持たず、土地の耕し方も知りません。しかしながら、どのような場合でも、人には食べるものがなければなりません。それは自然な、差し迫った必要です。

質問:もし私達が人類という一つのシステムについて話しているなら、体の中の一個の細胞のように、一人一人が何らかの仕事をしなければなりません。そのとき、失業者はどこから来るのでしょうか?

答え:私達は社会を組織しなければなりません。それは誰もが為すべき何かを持つ社会です。しかし実際的には、それはスピリチュアルな「雇用」についての話です。物質的な面では、雇用は最小化することができます。

過去の世代の人々はとても簡素に暮らしていました。例えば、市場の売り手は一日かけて一つの壺を売ることができ、それで十分でした。車はなく、オートメーションもなく、生産性は低いものでした。しかし人々は一日に数時間働くだけで、それ以上の労働を必要としませんでした。今日では、そのような多くの労働者は必要とされていません。そのかわりに、人々は勉強し、全てのことにおいてお互いに助け支えるようになるでしょう。

私達の仕事は、人々の自由時間を生産的に満たすことです。今日、様々な種類の仕事・活動の約90%は余計なものです。もしこのバブルを破裂させ、全てを健康的で、良い、合理的な生活のレベルまで減少させるとすると、全員で取り組むだけの分量の仕事は存在しなくなるでしょう。結局、私達は修理や交換を必要とする短命の製品ではなく、より大きな耐久性を持つ信頼出来る製品を生産するようになるでしょう。最大でも労働人口の10%だけが働く必要があるようになることが分かるでしょう。

今日、広告によって消費者をだます余分な物の過剰生産が十分に確立されてしまっていることから、これらの過剰生産物は放り出されては、新しい物に取って代わられます。これは製造業や医薬他すべてに当てはまります。人がすることは何でも、その人自身の損害になっています。製薬業は余分な薬を生産し、防衛産業は軍事兵器を生産します。要するに、全てがそのあるべき姿の裏返しになっています。

それで最終的には、5億人が働くことになるでしょう。または全ての人が働くことができるように仕事を分割するでしょう。その場合も一日あたり2時間といったところです。そして残りの時間はスピリチュアルな仕事に捧げられるでしょう。人々は勉強し、お互いを助けることを学ぶ等します。人が働いている・いないに関わらず、全ての人に同じ生活レベルを保証することが必要です。なぜならポイントは、人が働いているかどうかではなく、彼に仕事を提供できるかどうかにあるからです。もし誰かを非難しなければならないなら、彼ではなく自分自身を非難してください。

それゆえ、すべての人に同じ生活水準を創る必要があります。他者からの尊敬や、コミュニティの利益への寄与競争も、それに付け加えることができます。共通の大義への貢献や、社会への賞賛に値する奉仕のために競争できるし、すべきです。

−見て、私のコンサートで、どれだけ人々が幸せかを!
−見て、私がどれだけ完全に会社を経営しているかを!

さらに、それは会社のディレクターだけではなくオーナーにも当てはまります。私達はソビエト・ロシアで行われたような所有物の公的収用を必要としません。もしある人が工場を所有しているなら、絶え間ない生産に注意し、従業員の適正な就業条件に注意をはらい、そして同時に従業員が勤勉に義務を果たすことを要求します。オーナーは彼がしていることに誇りを持ち、彼の部下や失業者と同じ給料を受け取ります。喜びの残りの部分は、他者からの尊敬によって満たされます。それ以上はありません。

実際、ディレクターの体は、他人の体以上に物を必要とするものなのでしょうか? いいえ、です。彼は社用車とお抱え運転手を持っていますが、これは仕事のためです。そして他の全てのことにおいては、彼は他の人達と似ています。

このようにして、私達は全ての人のポテンシャルを最大限まで活用します。この場合、「動物」レベルにおいては、全員が他の全員と等しく受け取ります。しかし人間レベルでは名誉と尊敬を獲得します。この全ては、人々がインテグラル・エデュケーションのシステムに参加したときのみ機能するでしょう。

このようにして、私達は正しい道を選択し、全体の是正へ向けて努力するでしょう。なぜなら私達のゴールは「動物」的な存続ではなく、人間発達の頂点であるからです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/27/12, Writings of Baal HaSulam, “Last Generation”

未来社会の経済

質問:未来社会の経済がどのようなものになるべきか、我々が至る必要がある状況の一例を示してください?

答え:これはとても簡単なことです。そして、この点には考えることが本当に沢山あります。初めに、我々はより抽象的なコミュニケーションと定義に近づくことを徐々に助けてくれる実際にあるものを持っていく必要があります。

我々の経済が深刻な危機に瀕していることが見られます。それは「収縮」して妥当な消費経済にならなくてはなりません。望もうと望むまいとこれは起きるでしょう。もし我々がそれを本当に望むなら、我々は徐々に消費を制限し、自分たち自身を過剰消費や必要のないものから解放し始めるでしょう。

最初は全ての広告を排除するでしょう。人生を楽にする普通なものがここにあると人々が知るために、広告ではなく、人々が必要とする妥当で有益なものの告知があるべきです。

現在でさえどんな国や社会にも、全ての人が自身を養うのに必要な消費のバスケット(まとめたもの)があります。たとえば食料、医療、なくてはならない付属品など。このようなバスケットも維持しなくてはなりませんが、それは最小量のものというのではなく、標準的で妥当に生活するために必要な幅のある消費のバスケットです。その他の生産は全て制限される必要があります。

まず第一に、不必要な生産を徐々に制限することによって、我々は豊富なエネルギーを受け取ります。それはとても良いことです。なぜそれを無駄にするのでしょうか? 我々は豊富な天然資源を持つことになるのです。それらを我々の子供たちと孫たちに残しましょう。言い換えると、我々は実際的に全人類に服、食べ物、そして設備を妥当な程度与えることができるというところまで行き着くでしょう。

これが我々が徐々に至らなくてはならない未来の経済です。言い換えると、一方で過剰消費の収縮、そしてもう一方で全人類を普通の生活水準まで引き上げることです。このレベルを達成することが我々の最初の目的です。このようにして、我々は肉体的な暮らしの面倒を見ます。それが全ての人にとって平等であることを確実にしながら。

人々の中に引き起こさなくてはならない心理的な革命を想像してください。しかし、これは人々のインテグラルな養育(しつけ)なしには不可能です。我々は経済に対処する前に、次なるレベルに上がる必要性を人々に示す必要があります。我々が社会を形成するこの次なるレベル ―人間レベル・人・アダムと呼ばれるもの― は我々が妥当な消費水準にまで自発的に下降することを決定します。

我々はこれに向かって段階的に移行するプログラムを作る必要があります。なぜなら最も重要なことは最終的な結果ではなく、複数の段階から成る、順調な(なめらかな)な移行であるためです。この際、同時にインテグラル養育、インテグラル教育、不必要な生産の段階的減少、そして全住民に対するインテグラル養育と教育の提供が徐々に増えることがなくてはなりません。言い換えると、教育業務をするために全てのマスメディアを構造改革することです。人類が自分たち自身を変えることに専念するとき、それは巨大な世界的な機械に似ています。

最後に、人類は自分自身のことで夢中になりますが、それは自分が10億より多く持っている、あるいは、自分の方が強いと示して誰かに屈辱を与えるなど、隣人の前で目立とうとすることではなくて、インテグレーション(統合・調和・融合)を達成するという目的があるのです。

From a “Talk on Integral Upbringing” 2/29/12