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エゴイズムのブラックホールの中への最後の転落

受取った質問:どうすれば現在の危機に直面している人が、それは霊的に上昇する転換期であって終わりのない危機の深刻化ではないと理解することができますか?

私の答え:創造のすべては“ひかり”(喜び、授与のエネルギー)と“うつわ”(“ひかり”で満たされたいという願望)から構成されています。“ひかり”は私達の利己的な願望をその最終段階にまで発達させ、願望は“ひかり”によって直接的に満たされることがもう不可能になったと感じるようになります。その理由は喜びが願望を打ち消してしまうからです。例えると、喉が渇いているときに水を飲んだとき、その喜びが水を欲する願望が満たされることによってなくなるということです。

現在の危機は私達の利己的な発達が終わりにきたことを示しています。私達は“ひかり”を自分達のエゴイズムに奉仕さようと使い続けることができなくなりました。言い換えると、私達は自分のエゴが満たされなくなったことに気づきつつあるということです。そして私達は未だに欲望を満たそうと自分のエゴイズムに突き動かされながら、心の中ではそれが無駄なことであると気がついているのです。

しかしながら私達は充足がないと生きていくことは不可能です。よって私達は自分のエゴの命令に従うざるを得えません。たとえ自分の意に反してそうしているのだとしてもです。私達は好きでそうしている訳ではありませんが、自分のいる環境の影響がそれを余儀なくさせています。私達は自分の意に反してそうすることを余儀なくされ、惨めで暗い気持ちになります。これは麻薬や酒などに溺れることの原因にもなっています。

実際これは人生の全側面における危機を招いています。結局のところ私達の人生は“ひかり”を使うことで自分の利己的な欲望を満たすことをベースにしています。願望が“ひかり”の影響によって発達していた期間、私達は発達することを切望していました。私達は新たな渇きをいやすことによって充足されるとずっと信じてきました。そしてこの嘘は私達の発達を促進させてきました。

しかし願望の利己的な発達が止まるやいなや、私達はそれが空っぽであることに気がつきました。このやり方で充足を得ることは不可能であると“ひかり”は私達に啓示しています。これが私達の呼ぶ危機というものです。よって私達は自分達を誤った方向に導くことを止め、その代わりに人生を感じさせる唯一の方法は“ひかり”の特質 – 与えようとすることと愛そうとすることの意向・意図・決意 – を自分のものにすることしかないと理解しなくてはなりません。

私達の地上での発展は終焉を迎えました。そしてその証明として多くの工場は閉鎖されています。なぜなら役に立たない余計な商品はもう必要なくなったからです。ヨットの大きさや銀行預金残高の桁数が羨望の的ではなくなったのです。

人々はこの世界で自分に喜びを与えてくれるものがもう見つけられなくなりました。結局のところ、どんな星も明るさに関係なくいつかは薄暗くなります。そしてエゴイズムの最終段階というブラックホールのなかに吸い込まれながら私達も衰えつつあります。このエゴイズムは何もかもを飲み込み、なにもそれから逃がれることはできません。そのなかには暗闇だけがあるのです。

カバラの英知を広めることだけが私達に自分の性質を改善する能力を与えます。「そして暗闇は“ひかり”のように輝くだろう。」と記されているように。

経済危機とは実際は上層の光の欠如です

人が自身のエゴに奴隷化されていると感じるとき、この感覚のことを“追放(exile)”と呼びます。追放とは人生のなかでプレッシャーを感じる時のことです。それはこの世の人生から上層の人生に行く時に起こる陣痛によく似ているものです。

今日、私達が人類における様々な問題を直視するに従い、私達はこの偏在する追放の感覚が、近い将来のうちに全世界に広がり、すべての人の中で現れるようになると理解しておくべきです。これは徐々に起こります。その理由は、各自が自身の個人的な成長段階と心理段階にいるというなか、大多数の人々に起きるためです。人々が自分の欲しいものすべてを手にしていたとしても、喜びを貰いたいという利己的な願望は各自のなかで膨張し、すべての人が人生において悲惨な憂鬱、暗闇、そして不満を経験するようになります。その間、私達が直面する不幸は徐々に質的なものになっていきます。

しかしがら、それらの不幸は失業と食料不足というものではなく、その全く逆で、それらは私達の心理的な部分で生じます。人は自身に新しい活力を与える手段を失い、常に不満を抱えるようになり、絶望感に襲われます。

現在の諸問題はすべて物質的なレベルで起きているように映っているかもしれませんが、実際のところ、これらはスピリチュアルな問題であることが後に明らかになります。結局のところ、創造の目的とは全ての人をクリエーター(授与と愛における特質または力)と類似するレベルまで発達させることなどです。

もし個人の中で“心の中の点”―スピリチュアリティに対する欲求(授け与えることに対する欲求です。他の“スピリチュアリティ”の定義と混同しないでください)―が目覚めていないのなら、その人は全ての現象を自分の肉体の存在を通じることでしか理解できません:食べ物、家族、社会の状態など。よってそのような人は現在の諸問題がスピリチュアルなものだとは認識できません。

たとえ個人に欠けている喜びがスピリチュアルなものであったとしても、それが自分に欠けているものだとその人が理解することは不可能です。唯一、肉体的な人生において何か悪いことが起きたときに、その人はスピリチュアリティの欠如が自分の気分がよくないことの原因だと理解しはじめます。このようにしてエゴイズムは私達の中で4段階(無生物、植物、動物、人間)にそって徐々に膨張し、動物の段階がスピリチュアルな段階を出現させるのです。

これは、なぜ世界全体が経済危機状況にあるのかということの理由です。なぜ危機が特に経済的なものなのでしょうか。これら全てのことと経済に何の関係があるというのでしょうか。実際のことを述べると、私達の全員が理解できる言葉はまさに経済のことしかないからです。しかし実際には、それは「ひかり」の欠如です。

苦しみの理由ともうひとつの道

私達が現在直面している危機と苦しみの原因について、多くの質問が寄せられています。以下が私の回答です。

カバラは現在起こっている全てのことについての理由は1つしかないと明言します。それは人間が自然との均衡の法則を守れていないことです。言い換えると、クリエーターとの同等性(等価・同値)の法則を守れていないことです。まさに「人間(Human)」と称される、最高位のレベルにおける不均衡(「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」という概念に基づいた人間関係が築けていないこと)が、より低いレベル(無生物、植物、動物)のバランスを崩しているのです。その結果として、動植物界は死に絶えていて、自然の無生物レベルにおける力のバランスも乱しているのです。これら全ては私達のエゴイスティック(利己的)な考え、願望、そして行為の結果なのです。

一流の財政家が経済危機の原因を正確に指摘したことは、偶然ではまったくありません:経済危機の原因は、倫理的価値の危機、そしてそこで欲望が無責任な利殖の雪崩を生じさせたのです。しかし見て取れるように苦しみというものは、人々や財政家にでさえも私達の災難についての原因を教えてくれます。結果的に酷い苦しみ(私達が餓えて、絶滅間近にまでなること)は、人々と世界に対する私達のエゴイスティックな態度を、強制的に改めさせるようになります。

カバラは、そのような危機が訪れる前に、私達が自発的にそして楽に変革を実行に移せることができるように、もう一つの「道」を教えてくれます。そうしなければ(出エジプト記に書かれている)エジプトで起きた“十の災い”のように、危機は徐々に増え続けるだけでしょう。

どのようにして私達のエゴイズム(利己主義)が自然災害や地球温暖化に影響を及ぼしているのかということを理解するのは困難です。しかしこの点においても苦しみが起きていることの原因を理解させる手助けになります。全世界で発生しているの嵐(台風やハリケーンなど)は勢いを増しつづけるでしょう。グリーンランドの氷河の溶解はトルネード(大規模な竜巻)を引き起こすでしょう。そして、それらの現象が起きた時に初めて、その原因が私達のエゴイズムとお互いにたいする“根拠のない憎しみ”だとすぐに分かるようになります。このようにしながら自然は人間(human)に、「人間(Human)」に成ることと同等性の法則に従うことと均衡を保つことを教えてくれるのです。