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病気とは我々とクリエーターとの違いの表現

生徒からの質問:インフルエンザ(あるいはどんな病気でも)に掛って半分死んでいるように感じている間、集まった友達に「元気?」「気分はどう?」と聞かれたら、どのように答えるべきでしょうか? 脱力感を覚えるとき、友達の気分を沈ませないようグループを避けるほうがよいでしょうか?

私は全成人期を通じて不健康に悩んできました。また他にも私のように、単にエゴに原因があると伝えられるだけではなく、もう少し深く健康問題について本当に理解する必要のある人はいるはずです。なぜなら、ほとんどの人が、あらゆる種類のより具体的だが相容れないアドバイスを、スピリチュアル的に、心理的に、医学的に与えられたことがおそらくあるからです。私はブネイ・バルーフと一緒に学んで現在で二年間になります。もしブネイ・バルーフにより多くのレメディー(治療・療法)または原因についての記事があったなら、ブネイ・バルーフは慢性疾患に悩む人々をターゲットにして売り込むことができると思います。

私の答え:たった一つの答えしかありません。これは我々とクリエーターとの違いから生じています。人の是正のレベルによって特定の違いが明らかになります。なぜなら是正は、次の是正だけでなくクリエーターと違っているという感覚も含むためです。

病気として現れる、あなたとクリエーターとの違いを、友達の前で見せびらかす必要はありません。しかし、あなたに代わってクリエーターに是正と癒やしを求めるために、友達はそれらのことを知らなくてはなりません。

なぜ人とクリエーターとの違いの現れ方が異なる人によって違うのでしょうか? なぜ一人はこれを病気の形で外面的に経験し、もう一人は個人的な問題あるいは他の現れの形として経験するのでしょうか? あなたがあなた自身を是正するにしたがい、この全ての答えをあなたは見つけるでしょう。手短に言えば、あなた自身に取り掛かりなさい!

世界の全ての恐怖を吸収する

現在の世界状況は、我々が感じて、見て、そして知っているよりもずっと悪いです。確かに我々がそれについて話さないのは、政治家たちや経済学者らがパニックを引き起こしたくないからです。彼らには危機についての問題の解決策がありません。彼らには解決策がなく、どうあがいても仕方がありません。なぜ無駄に慌てるべきなのでしょうか?  彼らは正しいです。

しかし我々は、飢え、干ばつ、寒さ、ショック、そして現在あらゆる面から近づきつつある予期せぬ出来事に対する恐怖に陥っている人々に提供する必要があります。我々は世界における全ての動物的な恐怖、つまり生き延びることの恐怖を吸収しようと努力すべきです。それらはあの力、すなわち包む光(オアー・マキフ)を引き寄せて明かすことの手助けになります。包む光は我々を通り抜け、世界へと行き渡り、あらゆることが沈静化するでしょう。全ての国々、社会、そして人々は交流し始めるでしょう。なぜなら彼らはこれが世界を均衡にもたらす唯一の方法であると理解するからです。つまり、自然における無生物でも植物でも動物でもなく、唯一人間だけが調和を乱していて、人間の利己的な行為が他のすべての妨げになっているということです。

我々には不安が欠けています。内面的ヒステリーに欠けています。それがあれば、より簡単でしょう。

我々の問題は、我々がこの世から切り離されていて、より高い場所のどこかで静かな片隅を見つけようとしていることです。これはよくありません。そうではなく我々は、一方でゴールの重要性、他方で内面的な恐怖といった精神状態を見つけるべきです。なぜならこれらだけが、我々のエゴイズムをかきたてるからです。恐怖とゴールの重要性は、我々を後ろから押し(恐怖)、 前へ引き寄せる(ゴールの重要性)二つの大きな力です。それらは我々が1つになることを助けます。

我々は危機に関連して発生する世界の否定的な感情のすべてを世界から吸収し、それを我々の発達の力に変えようと試みるために、我々自身にプレッシャーをかけるべきです。実際、発達は「否定の否定」という法則に従って生じます。我々がいくらか通常に感じるまでは、次の状態には達しないでしょう。苦しみ、または、ゴールの重要性だけが、それが自分に無くて苦しむ時、我々を前方に進ませます。

苦しみには二種類あります:感情の欠如による苦しみと満たされていない愛からくる苦しみです。

From the Preliminary Lesson 8/16/12, Kharkov Convention “Uniting to Ascend”

エゴよ、私はお前のものではない

質問:どうやって私たちはゾハールを読んでいるときに自分たちの意図を確認できますか?

答え:もし私たちがゾハールの書を正しく使うことを願うのなら、ゾハールの書は私たちにやって来る光の源です。したがってカバラの本を勉強している間、私は常にいくらかのイルミネーションを呼び出していますが、それは私の努力の、そして、用意ができていることの激しさに応じてやって来ます。もし私が肉体上の何かを手に入れるために、または、来世を個人的な特権として勝ち取るために勉強するなら、光はその影響によって私の中によりいっそうの暗闇を作り出します。私は、何のためにこのシステムが私に与えられたのか、私は何をしなくてはならないのか、そして、どのように私は他者を扱うべきなのかということの理解からだんだん離れていきます。愛とつながりについての素晴らしい言葉を読む時でさえ、私はもはや帰属感を感じず、つながりを目にせず、文章を読み取る方法が分かりません:それを私のハートに入れさせるのかどうか。これは、夜に養われ夜明けを予期しないコウモリのように私が勉強することを意味します。

しかし、もし私が他者とつながろうとし、これがその方法論を学ぶ理由であって、シナイ山でそれを受け取るための条件を保持して守ることによって、皆と一緒に「一つのハートを共有する一人の人間」に成ることを切望し、相互保証に参加するために、兄弟愛を達成するために、そして、それを通じることでクリエーターへの愛を達成するためにということなら、光は私を前進させ始めます。これはもう段階ごとに克服するという普段の道ではありませんが、私は徐々にその中に悪い粉々になった状態を発見し始めます。

利己的な勉強は私から私のエゴを隠し、私は自分自身を高潔として見ます。一方、正しい勉強によって、私は自分が悪の中にどっぷり浸かっていることを発見します。光が私に明らかにする最初のものは私の悪い性質であり、私はそれに応じて作業しなくてはなりません。悪を発見することによって、私は前よりもさらに悪い気持ちを感じます。では、私には何ができるのでしょうか? 結局のところ、私は私の性質に従って気分が悪い時は逃げたいのです。

もしかすると私は勉強を止めて、グループから離れるべきかもしれない? もしかすると私は絶望を感じるべきかもしれない? あるいは、もしかすると私は悪の認識を知ることを許されて喜ぶべきかもしれない? それは私にとって法則、招待であるべきです:もし私がこの不快感(気分の悪さ)を乗り越えられるのなら、私は受け取ることを超えて授与を切望するでしょう。

私のエゴの中で明かされる苦しみが、私がエゴために作業していないことを示すので、私は打撃を受けることを好みます。私は不快感を感じますが、それらを克服してユニティーを目指します。私は苦痛を和らげるために逃げることはしません:私は自分自身を閉ざさない、私は落ち込まない、私は勉強をやめない。それどころか、私は友達と一体になる途中にて、あらゆる方向からやって来る全ての困難を、クリエーターによって送られているものとして受け入れます。彼(クリエーター)以外には何も存在しないのです。

私はどんな状態も私の前進のためになるものとして受け入れます。私はそれらを無効にしたくありません。そして私は不快感を中和するために勉強し続けます。私は実のところそれを望んでいるのです。それがその乗り越え方、理性よりも上になることに私を正確に集中させるので、私はそれが継続することを望みます。全てはゴールに正しく集中することを助け、それらの中で作業することによって明らかに前進するといった制約や枠組みを作るので、私は喜んで全ての問題や妨害、状況の圧力、外的な嘲り、様々な苦しみを受け入れます。

こうして私の内側に授与の器を受け取りの器よりも上に構築します。それらは成長し続けます。そして、苦しみ続けます。その間、私は、それらよりも1つ上の段階に在り、完全な信仰、ビナーの属性を達成し、私の受け取りの器を授与するために使い始めるまで、クリエーターとのつながりを持ち続けたいのです。

しかしその一方では、また、私は独り善がりの考えがあってはならない段階に上がったので気持ちを落ち着かせるつもりはありません。それどころか、私はますます上向きに切望し、喜びを受け取る準備でさえできていますが、それは私自身を満たすためではなく、クリエーターの願望を満たすためです。

これはすべて私たちの作業です。私はこの道に沿って本当の源、私に授与の力を与える利己的な欲求が必要です。それは利己的な欲求の中で明らかになる問題や苦悩を私が克服した結果です。そして、私はそれが全てクリエーターによってもたらされることをはっきり分かっています。

From the 2nd part of the Daily Kabbalah Lesson 8/16/12, The Book of Zohar

光の形を採用する

質問:我々は、まだ外界の痛みを十分に感じません。 どのように我々はグループ内で働くことによって、この状況を是正することができますか?

答え: できるだけ早くこの痛みを感じる方がよいです。 それは病気のようなものであり、初期の段階でそれを見つける方がよいのです。 世界はちょうど危機に陥り始めたところですが、今日の問題が誰にでも影響を及ぼすという理由から、世界はすでにそれに恐れを抱いています。 我々はその時が来たことを目にしており、危機の原因とその解決を説明する資料を広めなければなりません。

アメリカ、ヨーロッパ、中国と日本を含む全世界は問題を抱えています。 全員が起こっていることに恐怖を感じており、誰しも明日に何が起こるのかを知りません。 何人かは、遠くから危機を見ています。例えばドイツです。 しかし、彼らこそより怖がらなくてはなりません。 より高く上がった者は、より低く落ちるのです。 もし明日にすべての証明されたメカニズムが突然に機能停止するならば、我々は何が起こるのか想像することさえできません。

どうしてそんなことが可能なのだろうか?人々は朝起きて、仕事へ行き、その他もろもろ・・・。

しかし違います。そういうわけにはいかないのです。我々は自然の統合されたシステムに位置していることをまだ理解していないのと同時に、我々自身も統合していません。我々はまるで四角いものを丸い穴にに挿入しようとしているかのようです。実際は、我々の形は、システムのそれに似ていなければなりません。この形は簡単ではありません。なぜなら、我々は幾何学について話しているのではなく、我々の性質について話しているからです。

今日、全人類は新しい形(光と一致する正しいフォーマット)を徐々に採用していかなければなりません。これは非常に大きな問題です。我々のために是正を実行する光を引きつけた場合に限り、我々はそれを解決することが可能です。これがこう言われる理由です:「私は邪悪な性向を創った、私はスパイスとしてトーラーを創った、なぜならその中の光が改心させるからだ。」

我々がこれを理解し、それを他者に回すことができることを望みましょう。

From Lesson 1, the Germany Convention 8/5/2011

完全性、骨の髄までしみ込む

質問:大衆が完全に確信するように、どのように我々は新しい世界の完全性(インテグラリティ)を説明することができますか?

答え:それを経験するために、世界は多くのトラブルを経験しなければなりません。知的に全体的な相互関連性(連結性・結合性)に同意することは、難しくありません。「確かに私はこれについて何かを読んで聞きました。地震が日本で起こり、私たちは予備部品の問題を抱えています。戦争がリビアで起き、デンマークが境界を閉鎖しています。私は同意します:世界は欠けるところがなく、完全にそろっており、統合している、つまりインテグラル(完全体)です。」

しかし、我々自身を他の皆と別であると思いたいという一つの願望や考えも人類全員にあってはならないように、この完全性は骨の髄で感じられなければなりません。それは我々の中に絶えず置かれてなければなりません、そして、我々は単に頭でそれを認めるのではなく、それを考えただけで震えなくてはならないのです。

私は身体的に「内臓で」それを感じなければなりません。私は飢えに私をひどく苦しめさせます。同じ一口が皆に約束される確信がないならば、私は食べることができません。それが統合された完全な世界(インテグラル・ワールド)なのです:他が持っていないものを食べることは、毒を飲み込むようなことです。

そのようなことを想像するのは、難しいことです。我々はそれを実行していないし、単にある種の繋がり・関係性を耳にしただけです。毒に変わる個人の食事、そして、すべてが提供される状態にある全員からの祝福は、まだここから遠いのです。我々がこの経路で経験しなければならない苦しみを思い浮かべて下さい。

質問:しかし、我々は苦しみを防ぎたいのです。これは、我々が人に、その人がこの完全性を染み込まさなければならないという具体的な証拠を提供しなければならないことを意味します。さもなければ、それは痛みをともなうでしょう。我々は、このメッセージを伝えるために、その人の感情に触れなければなりません。

答え:正しいです。しかしその一方、もし我々が光に助けを求めないならば、社会的影響の方法によってでさえこの深い知識を伝達することは不可能です。あなたは、進展を速めなければなりません。さもなければ「進展の押し」が、後ろから接近し、あなたのためにそれをしてくれるでしょう。

そして、それが教育が必要とされる理由なのです。我々は広告から採取した事実について話しません。これらの事実がその人を囲み、「形作り」、「フォーマット化する」ように、人はこれらの事実を「掘り下げて調査」しなければなりません。客観的な、抽象的なプレゼンテーションは、ここでは助けになりません。我々は人間の本質に達しなければなりません。そして、あなたがこれをすることは不可能です。

人は家が焼け落ちた隣人の記事を読み、舌を鳴らします:「かわいそうに。おそらく、今や政府は彼を助けるかもしれない。」そして、その人はそれ以上動こうとしません。我々のエゴイズム(利己主義)の障壁は、光を持ってしてのみ破ることができるのです。どんな証拠も光なしでは助けになりません。ものすごい苦しみでさえ、人々を変えないのです。

苦しみで前進することは、実質的に不可能です。苦しみは、我々を是正ではなく、スピリチュアリティの必要性にしか向かわせません。光だけが、是正そのものを実行するのです。

From the 5th part of the Daily Kabbalah Lesson 7/28/2011, “The Peace”

あなたの魂の最も深い領域での津波

質問:私達が目の当たりにしている自然災害、また他の問題に対してどのような態度や姿勢で臨むべきでしょうか?

答え:私達は、自分たちの利己的な欲望が私達に自然の全レベルにおける不均衡を示し始めている特別な時期を生きています。

自然の最も低いレベルは静物レベルであり、現在私達は自然全体との不均衡と不調和を静物レベルで明らかにしつつあります。以下のレベルにおいても同じです:自然の植物レベルと動物レベル。今のところ私達はそれに気付いていないだけです。

私達は大きな危機状態にあります。「Domem」(静物)と呼ばれる天使との関係の危機に陥っているのです。同様に「Tzomeah」(植物)と呼ばれる天使、そして「Hai」(動物)と呼ばれる天使との関係でも危機に陥っています。これらすべての自然形態には非常に大きく調和が欠けおり、私達と対立しています。私達の義務はそれらを正すことです。なぜなら人間だけが自分自身を正すことで、残りすべての自然を正せるからです。

したがって私達の周りで目にする災害は私達自身の反映なのです。全ての責任は私達にあります。世界の静物レベル、植物レベル、そして動物レベルから何も求めることはありません。それらは人間と共に上昇したり下降したりするのです。

私達を取り巻く自然の静物レベル、植物レベル、そして動物レベルにおける問題によって、如何に私達が是正されていないのかを見ることが出来ます。これら全ての災害は私達自身の欠陥の反映または実演です。もちろん自然の“スピーキング”レベルである人間社会もです。世界で何が起きているのかを見て下さい。

私達にはこの地球上で自分たちのために真の楽園の生活をつくる機会があるというのに、私達が行っていることを見て下さい。もしも宇宙からの訪問者が私達が地球上で行っていることを見たとしたら、彼は私達の頭がおかしいと思うことでしょう。私達人間の心と感情はどこですか?本当にこれが高い知能をもち思考する人間の人生の整え方なのでしょうか?まったくの愚か者か自己をひどく嫌う人だけがそのようなことをするのです。

言い換えると、現在私達は徐々に自分たちの本当の内面状態(内部状態)を明らかにしているということなのです。そして、私達は内面の是正を通じることでしか外面世界(外部世界)との調和を達成することはないでしょう。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 3/13/11

エゴイズムがそれ自体の苦しみを引き起こしている

クリエーターが苦しみを送ることはありません。上層の光に似ていない願望が私の中で目覚め、私はこの相違(似ていないこと)を、健康、お金、名誉、権力、安心、配偶者、子供、そして世界全体に関する苦しみとして感じます。私は圧力と困苦と様々な問題を感じます。

誰に、または、何に責任があるのでしょうか? 光と反対である自分の願望にあるのです。それは苦しみの感覚を私の中で生じさせます。この感覚は光から送られてきているのではないのです。光は完全な静止状態(不変状態)にありますそれは善であり、悪人と高潔な人の両方に善をもたらします。光と似ていないのは自分です。自分の特質が光と異なっているのです。

例えば、もし私の中で10kgの願望が目覚めたとしたら、私は光とその10kg分同等にならなくてはなりません。つまり私は与えるためという意図をその願望の上に築かなくてはならないのです。そうすれば、私は自分の小さな無限世界の中に自分自身を見つけるでしょう。その後、願望は12kgに増大し、私は与えるための意図をさらに2kg分是正しなくてはならなくなります。そうすれば私は自分自身をもっと大きな無限世界で見つけることになります。このように是正プロセスは行われていきます。

私の利己的な願望は毎日大きくなっています。しかし、もしも私がその大きくなった願望を、他者とつなげ共通の魂の他の部分と一緒にクリエーターに与えようとするのではなく、ただ自分の利益のために他者を搾取することにもっと使いたいと思うのなら、私はその願望のなかに苦しみを感じます。エゴイズムはそれを包んでいる光に対する自分の反対状態に苦しむのです。私達は自ら自分たちに苦しみを生じさせているのです—それはクリエーターではありません。彼は完璧なので変わることができません。

今私は光の海に浸かっています。しかし、もし私が彼に類似しようと努力しないなら、私は今自分に明かされている考えと願望の程度にしたがって気分が悪くなります。そして明日は今日よりもさらにもっと気分が悪くなるでしょう。

自分を光に似させることをすべての瞬間において試みてください。光とは授与(与えること)および他者への愛ですそれは総結合状態です。私的な願望と個人の魂のすべては一つになり、この一つの大きな願望が光に類似するようになります。

どうやって私はこれを達成できるのでしょうか?どうやって私はこの過程の中で援助することができるのでしょうか? そのことについて考えはじめればよいのです。そうすればあなたの苦しみは解消されるでしょう。突然あなたは、光を切望していた自分の願望が本当に光に似ていることに気づくでしょう。あなたはこの点において、自分自身が光、クリエーターになったと感じるでしょう。あなたにはそのための方法と手段のすべてがあるのです。

スピリチュアルな発達は赤ちゃんから学べます

受け取った質問:私がゾハールで説明されている内面的特質を少しも理解していなく、それと繋がることもできない場合、私はどうそれを見つけることができますか?

私の答え:私達は、自分がどんな世界に存在しているのか知らないが、成長に必要なものすべてを提供する母親や身内の愛情を抱いた手の中にいる赤ちゃんに似ています。赤ちゃんはただ成長したいと思わなくてはならないだけで、自然はこの欲求を赤ちゃんに与え助けてくれます。

私達の世界において、つまり動物レベルにおいて、この欲求は赤ちゃんに自然に備わっています。この世界の中における人間の身体的発達を含む動物レベルに加えて、無生物と植物レベルにおいてでさえ、成長したいという自然的欲求が存在しています。しかしながら、もし私達が人間レベル-スピリチュアリティ-において成長したいのなら、その欲求は私達から生じなくてはなりません。

無生物レベル、植物レベル、そして動物レベルの発達は自然に起きます。この程度まで、私達-この世界の中にいる人々-はこれらすべてのレベルにおいて発達し終えました。そして、過去から現在において私達の欲求も同じレベルにおいて発達しました。しかし、今や私達は“スピーキング(言葉を話す)”レベル、または“人間”レベルへと上昇しなくてはなりません。人間レベルとは、私達が自分たちの力で発達して目標を達成しなくてはならないという意味です。私達の身体的欲求(食べ物、セックス、家族)と社会的欲求(富、権力、知識)のすべてに基づきながら、私達は自分たちの力でスピリチュアリティに対する強い欲求を発達させなくてはなりません。私達は心の点(the point in the heart)によって始まりますが、そのあとは、環境からの助けを借り、その発達を押し進め続けなくてはなりません。

これを行うには、私達にはグループが必要です。なぜなら、それしか心の点を発達させる欲求を与えることができないからです。この欲求で“武装”しながら、私達はグループと一緒にゾハールの書を読み始めるのです。読んでいる間、私達は発達したいと思わなくてはなりません。そこでの“発達”とは、未来の状態または感覚をゾハールの書の中で見つけることを意味します。私達が現在探しているものはこれだけです。

この他に私達がしなくてはならないのは、待つことだけです。したがって、だた成長したいと願ってください。大人になりたいと自然に思う赤ちゃんのように。赤ちゃんを落ち着かせて、彼に成長しないよう、または成長したいと要求しないよう説得させることができるか試してみてください。あなたはそれが不可能であることに気づくでしょう。なぜなら、自然は彼に成長するよう打ち勝ちがたい力で駆り立てるからです。私達はこのように根気強くスピリチュアリティに対して努力しなくてはなりません。私達は常に私達自身の内側で捜し求めていなくてはなりません。そしてどんなときも落ち着つくことなく、変化し続けなくてはなりません。そうすれば、私達は確かに成長するでしょう。これが私達に求められている唯一の条件です。

そのシステムは存在していますが、私達は欲求で、つまり内面の強い願望でそれを動かさなくてはなりません。この内面的圧力が私達から生じないかぎり、そのシステムは私達を感化しません。言い換えると、それは私達を目覚めさせるために、苦しみを通して私達を感化するでしょう。しかしこの方法で私達は一歩も前進することはありません。上層から送られてくる苦しみを手段として。私達は、下から、つまり私達から、生じる私達自身の欲求を手段にすることでしか進歩できません。

私達は絶え間ない困難と問題を受け取っているかもしれませんが、同じ場所で動けなくなっていることの理由は、これらの問題が私達にとって、正しいグループと融合して発達したいという欲求を獲得するのに十分でないからです。困難にもかかわらず、私達は同じ場所で立ち続けるでしょう。困難があるというだけでは、それは発達の兆候ではありません。それどころか、それは私達がまだ一歩も前進していないことの兆候なのです。

悪から善を学ぼうとすることを止めなくてはならない

人は常に自分が正しいと思っています。自分には良いことしか起きない、悪いことなどは決して起きないと予期します。これが今日における人間の人生観です。世界は次々に生じる危機や問題に苦しんでいますが、誰も「もしかするとそれらに何らかの意図があるのでは」とは全く考えません。すべての人はこれらの出来事は偶然だと思っています。

言い換えると、私達は経験から学んでいないということです。自分達がこれらの出来事の原因であるとは認識していないのです。

現在この問題はますます深刻なかたちで現れつつあります。この先私達が発展するには全人類が1つに団結する以外に手立てはありません。

これを可能にするものは、上層の力 – 創造主 – を引き寄せることだけです。これが、自然の上層力の利用方法についての知識を広めることがとても重要だということの理由です。その後にようやくすべての人が、最初は悪く見えていたものの中に存在する善について学ぶことができるようになります。

エゴイズムのブラックホールの中への最後の転落

受取った質問:どうすれば現在の危機に直面している人が、それは霊的に上昇する転換期であって終わりのない危機の深刻化ではないと理解することができますか?

私の答え:創造のすべては“ひかり”(喜び、授与のエネルギー)と“うつわ”(“ひかり”で満たされたいという願望)から構成されています。“ひかり”は私達の利己的な願望をその最終段階にまで発達させ、願望は“ひかり”によって直接的に満たされることがもう不可能になったと感じるようになります。その理由は喜びが願望を打ち消してしまうからです。例えると、喉が渇いているときに水を飲んだとき、その喜びが水を欲する願望が満たされることによってなくなるということです。

現在の危機は私達の利己的な発達が終わりにきたことを示しています。私達は“ひかり”を自分達のエゴイズムに奉仕さようと使い続けることができなくなりました。言い換えると、私達は自分のエゴが満たされなくなったことに気づきつつあるということです。そして私達は未だに欲望を満たそうと自分のエゴイズムに突き動かされながら、心の中ではそれが無駄なことであると気がついているのです。

しかしながら私達は充足がないと生きていくことは不可能です。よって私達は自分のエゴの命令に従うざるを得えません。たとえ自分の意に反してそうしているのだとしてもです。私達は好きでそうしている訳ではありませんが、自分のいる環境の影響がそれを余儀なくさせています。私達は自分の意に反してそうすることを余儀なくされ、惨めで暗い気持ちになります。これは麻薬や酒などに溺れることの原因にもなっています。

実際これは人生の全側面における危機を招いています。結局のところ私達の人生は“ひかり”を使うことで自分の利己的な欲望を満たすことをベースにしています。願望が“ひかり”の影響によって発達していた期間、私達は発達することを切望していました。私達は新たな渇きをいやすことによって充足されるとずっと信じてきました。そしてこの嘘は私達の発達を促進させてきました。

しかし願望の利己的な発達が止まるやいなや、私達はそれが空っぽであることに気がつきました。このやり方で充足を得ることは不可能であると“ひかり”は私達に啓示しています。これが私達の呼ぶ危機というものです。よって私達は自分達を誤った方向に導くことを止め、その代わりに人生を感じさせる唯一の方法は“ひかり”の特質 – 与えようとすることと愛そうとすることの意向・意図・決意 – を自分のものにすることしかないと理解しなくてはなりません。

私達の地上での発展は終焉を迎えました。そしてその証明として多くの工場は閉鎖されています。なぜなら役に立たない余計な商品はもう必要なくなったからです。ヨットの大きさや銀行預金残高の桁数が羨望の的ではなくなったのです。

人々はこの世界で自分に喜びを与えてくれるものがもう見つけられなくなりました。結局のところ、どんな星も明るさに関係なくいつかは薄暗くなります。そしてエゴイズムの最終段階というブラックホールのなかに吸い込まれながら私達も衰えつつあります。このエゴイズムは何もかもを飲み込み、なにもそれから逃がれることはできません。そのなかには暗闇だけがあるのです。

カバラの英知を広めることだけが私達に自分の性質を改善する能力を与えます。「そして暗闇は“ひかり”のように輝くだろう。」と記されているように。