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どのように世界をコントロールできるのか?

質問:私たちはしばしば、人々の間の特定の心の状態がどのようになっているのかを観察します。変わりたい、やせたいという願望や、幸せまたは憂鬱な感情は、それらの飛沫によって伝染します。人はどのようにして、このような感覚が個人的な感覚なのか、それとも環境から押し付けられたものなのかを知覚することができますか?

答え:私たちがシステムの性質を探求すればするほど、私たちは全てが他のみんなに依存していることに気づきます。これは深く相互的な関係であり、私たちの間の幾千もの関係性から成っています。もちろん、私たちはそれを実感していませんが、そのつながりは変わらずあります。それは絶えず続くものであり、無視することはできません。

私は砂漠の島や深い森に隠れ、切り離すこともできますが、それでは自分と社会の距離が大きくなるので、私は自分自身に限りのある、みじめな人生を強いることになります。たとえば、もし私が一人でこの宇宙にいるのなら、私の全ての感覚が体から切り離された細胞や肉の小さな破片のように萎縮することに、私はすぐに気づくでしょう。

私たちがお互いにコミュニケーション手段を学ぶことは、とても重要です。なぜならそれは真の環境に関連する立場に私たちを据えるからです。第一にそれは人間社会、そしてそこにどのように結びつくべきなのかということに関連しています。

人はどのようにそのようなつながりを発見することができますか? どのようにそれらの感じ方を学べるのでしょうか? どういう形で、私たちは与え受け取るべきですか? 原則としてそれが私たちのゴールであり、この意味は、私たちが統合されたシステム、つまり幸せな人生へ到達する方法を勉強しなければならないということです。

コメント:私たちの中の何かが間違っていて、私たちがその理由を感じる時、私たちは直感的に自分自身に注意を払い始めます。

答え:私たちには生理学的、精神的ないかなる病気、または個人的、家族的な問題、もしくは共通の全世界的な問題はありません。私たちが自分自身を見つけるシステムの欠点があるだけです。それゆえ私たちには、政治、経済、金融、そして各国々や人々の生活が混ざり合ってお互いに依存していることがわかります。

もし私が誰かを統治しようとするなら、私は間違いなく真逆の反応を得ることになります。かつて、ヨーロッパはアフリカやアジアを治めたいと思っていましたが、今や移民に翻弄されています。

質問:だとすると、もし私が何か間違っているのなら、私は自分自身のなかにその原因を探すべきなのでしょうか?

答え:興味深いことは、“私”はこの理由にはならないということです。私は私が誰であるのかによって、もしくは全システムがそうであるからといって自分自身を責めません。しかしながら、私はそのシステムが変化することに力を与えることができ、それは私に変化をもたらします。実際、インテグラル・エデュケーション(統合的教育)の手法は人々に世界がどのように働きそれを管理しているかについて理解を与えます。

質問:自分の状態はシステムの一般的な状態によって起こされていると気づくということですか。このような理解に対しどうしたらいいのでしょうか?

答え:あなたのように人生の質を向上させたいと思っている人々から成るグループに、あなたは加わります。例えば、私たち10人がいます。そして私たちは様々なエクササイズやゲームを通してお互いにコミュニケーションを始めます。

もし私たちが適切につながるのなら、私たちは自分たちのエゴや個人的目的、習慣を超えてつながりを感じ始めます。共通の使命で結ばれた人々のグループや、個人的利益が共同体の利益よりも下にある家族で、時々この感情が起こります。

私たちがつながって一つになるその瞬間、その“一つ”は統合された感覚を生み出します。このような感覚を通して、私たちはこの世界に含まれる一体化した力を、まるで衛生配列が宇宙からの信号を吸収するように掴み始めます。

質問:そのような情報は人生においてどのように私を助けますか?

答え:社会は閉ざされたシステムです。もし私たちが話題にしている10人のグループのように、小さな各部分のバランスがとれるのなら、それは確実に人間社会をより健全にします。人々は徐々にこのアプローチでそれに気づくようになり、すべての人類の欠点を正すことが可能なのです。

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From KabTV’s “A New Life” 11/12/13

木から降りてくるだけでは不十分 ー あなたは自分自身の上に登らなければならない

質問:今日の人々は、今や世界の物事はますます悪くなっていくだけであろうと、理解しています。しかしカバラの教えは、そのような一般大衆から、今もずっと離れたところにあります。私達はこの距離をどうカバーすることができますか? そして何故、そのような距離があるのですか?

答え:それは(カバラを学ぶ)私達と人類に努力する機会を提供するために、そこにあります。この分離が私達と外部社会とに、お互いに相互作業をすることを可能にします。この距離はある目的のために創造されました。あなたは自分の知識、認識、理解をここに投入しなければなりません。

それはまるで、自然の発達過程が続くことを阻止しているかの様に見えます。かつてサルが木々から降りると、それは時の経過とともに原始人となりました。これに続いて奴隷の時代、中世、そして資本主義時代が来ました。そして今日この発達は崩壊に終わってしまい、人々は(次には)よい統一が必要であると認識するに至りました。それでは、なぜこの発達は自動的に続かないのでしょうか? 

なぜなら、もし自動的に続くとすれば、人間という存在は決して現れることはなかったでしょう。それはエゴイズムによって突き動かされ、木々から降りてきた霊長類と同じままだったでしょう。私達は自分達が完全に自己愛のコントロール下にあることに気づいていません。もし私が、私達すべてが存在しているこのシステムを見せられたなら、私は自分自身の管理下でしていることは何もないことを見るでしょう。この状況においては、クリーチャー(創造物・生命)は現れません。誰かをとって、独立性を遮断するフィルターに掛けてみましょう。すると彼には上層の力以外に何も残りません。その上層の力は初めからそこにあったものです。

「どのように人間をつくるのか?」これが問題です。人間は、暗闇と、僅かな知識と、僅かな力を与えることによってのみ、つくることが可能です。この僅かな力はその人に、自分の生来の性質に打ち勝つ道を見つける機会を与えます。そして多くの知識や理解なしでも、その暗闇の外へ彼を連れ出す、(彼の生来の性質とは)反対の力を築く機会を与えます。それから、彼はクリエイターの必要な部分になりたいと思うようになり、自分自身を喜んでその環境に従属させます。その環境もまた、彼がそうすることを義務付けるようになります。そして彼は、この相互的な仕事を通して、超自然的な形態、つまり自分の生来の性質を超えた形態、を獲得することができるようになります。この形態のことを「人間(アダム)」と呼びます。それは、彼が一匹のサルだった時代からずっと彼の中に残されていたレシモット(情報遺伝子)を使わずに創造した形態です。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 9/19/12, “Introduction to the Book, Panim Meirot uMasbirot

未来の雇用の特徴

バール・ハスラム「ラスト・ジェネレーション」:失業者は、雇用者と等しく、その必要物を受け取るでしょう。

原則的に、これは今日でも、いくらかそうあるべきものです。結局、都市に住む人々は、収入源を失ってしまえば、自分たちは食べていくことができません。彼らは家畜も土地も持たず、土地の耕し方も知りません。しかしながら、どのような場合でも、人には食べるものがなければなりません。それは自然な、差し迫った必要です。

質問:もし私達が人類という一つのシステムについて話しているなら、体の中の一個の細胞のように、一人一人が何らかの仕事をしなければなりません。そのとき、失業者はどこから来るのでしょうか?

答え:私達は社会を組織しなければなりません。それは誰もが為すべき何かを持つ社会です。しかし実際的には、それはスピリチュアルな「雇用」についての話です。物質的な面では、雇用は最小化することができます。

過去の世代の人々はとても簡素に暮らしていました。例えば、市場の売り手は一日かけて一つの壺を売ることができ、それで十分でした。車はなく、オートメーションもなく、生産性は低いものでした。しかし人々は一日に数時間働くだけで、それ以上の労働を必要としませんでした。今日では、そのような多くの労働者は必要とされていません。そのかわりに、人々は勉強し、全てのことにおいてお互いに助け支えるようになるでしょう。

私達の仕事は、人々の自由時間を生産的に満たすことです。今日、様々な種類の仕事・活動の約90%は余計なものです。もしこのバブルを破裂させ、全てを健康的で、良い、合理的な生活のレベルまで減少させるとすると、全員で取り組むだけの分量の仕事は存在しなくなるでしょう。結局、私達は修理や交換を必要とする短命の製品ではなく、より大きな耐久性を持つ信頼出来る製品を生産するようになるでしょう。最大でも労働人口の10%だけが働く必要があるようになることが分かるでしょう。

今日、広告によって消費者をだます余分な物の過剰生産が十分に確立されてしまっていることから、これらの過剰生産物は放り出されては、新しい物に取って代わられます。これは製造業や医薬他すべてに当てはまります。人がすることは何でも、その人自身の損害になっています。製薬業は余分な薬を生産し、防衛産業は軍事兵器を生産します。要するに、全てがそのあるべき姿の裏返しになっています。

それで最終的には、5億人が働くことになるでしょう。または全ての人が働くことができるように仕事を分割するでしょう。その場合も一日あたり2時間といったところです。そして残りの時間はスピリチュアルな仕事に捧げられるでしょう。人々は勉強し、お互いを助けることを学ぶ等します。人が働いている・いないに関わらず、全ての人に同じ生活レベルを保証することが必要です。なぜならポイントは、人が働いているかどうかではなく、彼に仕事を提供できるかどうかにあるからです。もし誰かを非難しなければならないなら、彼ではなく自分自身を非難してください。

それゆえ、すべての人に同じ生活水準を創る必要があります。他者からの尊敬や、コミュニティの利益への寄与競争も、それに付け加えることができます。共通の大義への貢献や、社会への賞賛に値する奉仕のために競争できるし、すべきです。

−見て、私のコンサートで、どれだけ人々が幸せかを!
−見て、私がどれだけ完全に会社を経営しているかを!

さらに、それは会社のディレクターだけではなくオーナーにも当てはまります。私達はソビエト・ロシアで行われたような所有物の公的収用を必要としません。もしある人が工場を所有しているなら、絶え間ない生産に注意し、従業員の適正な就業条件に注意をはらい、そして同時に従業員が勤勉に義務を果たすことを要求します。オーナーは彼がしていることに誇りを持ち、彼の部下や失業者と同じ給料を受け取ります。喜びの残りの部分は、他者からの尊敬によって満たされます。それ以上はありません。

実際、ディレクターの体は、他人の体以上に物を必要とするものなのでしょうか? いいえ、です。彼は社用車とお抱え運転手を持っていますが、これは仕事のためです。そして他の全てのことにおいては、彼は他の人達と似ています。

このようにして、私達は全ての人のポテンシャルを最大限まで活用します。この場合、「動物」レベルにおいては、全員が他の全員と等しく受け取ります。しかし人間レベルでは名誉と尊敬を獲得します。この全ては、人々がインテグラル・エデュケーションのシステムに参加したときのみ機能するでしょう。

このようにして、私達は正しい道を選択し、全体の是正へ向けて努力するでしょう。なぜなら私達のゴールは「動物」的な存続ではなく、人間発達の頂点であるからです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/27/12, Writings of Baal HaSulam, “Last Generation”

未来社会の経済

質問:未来社会の経済がどのようなものになるべきか、我々が至る必要がある状況の一例を示してください?

答え:これはとても簡単なことです。そして、この点には考えることが本当に沢山あります。初めに、我々はより抽象的なコミュニケーションと定義に近づくことを徐々に助けてくれる実際にあるものを持っていく必要があります。

我々の経済が深刻な危機に瀕していることが見られます。それは「収縮」して妥当な消費経済にならなくてはなりません。望もうと望むまいとこれは起きるでしょう。もし我々がそれを本当に望むなら、我々は徐々に消費を制限し、自分たち自身を過剰消費や必要のないものから解放し始めるでしょう。

最初は全ての広告を排除するでしょう。人生を楽にする普通なものがここにあると人々が知るために、広告ではなく、人々が必要とする妥当で有益なものの告知があるべきです。

現在でさえどんな国や社会にも、全ての人が自身を養うのに必要な消費のバスケット(まとめたもの)があります。たとえば食料、医療、なくてはならない付属品など。このようなバスケットも維持しなくてはなりませんが、それは最小量のものというのではなく、標準的で妥当に生活するために必要な幅のある消費のバスケットです。その他の生産は全て制限される必要があります。

まず第一に、不必要な生産を徐々に制限することによって、我々は豊富なエネルギーを受け取ります。それはとても良いことです。なぜそれを無駄にするのでしょうか? 我々は豊富な天然資源を持つことになるのです。それらを我々の子供たちと孫たちに残しましょう。言い換えると、我々は実際的に全人類に服、食べ物、そして設備を妥当な程度与えることができるというところまで行き着くでしょう。

これが我々が徐々に至らなくてはならない未来の経済です。言い換えると、一方で過剰消費の収縮、そしてもう一方で全人類を普通の生活水準まで引き上げることです。このレベルを達成することが我々の最初の目的です。このようにして、我々は肉体的な暮らしの面倒を見ます。それが全ての人にとって平等であることを確実にしながら。

人々の中に引き起こさなくてはならない心理的な革命を想像してください。しかし、これは人々のインテグラルな養育(しつけ)なしには不可能です。我々は経済に対処する前に、次なるレベルに上がる必要性を人々に示す必要があります。我々が社会を形成するこの次なるレベル ―人間レベル・人・アダムと呼ばれるもの― は我々が妥当な消費水準にまで自発的に下降することを決定します。

我々はこれに向かって段階的に移行するプログラムを作る必要があります。なぜなら最も重要なことは最終的な結果ではなく、複数の段階から成る、順調な(なめらかな)な移行であるためです。この際、同時にインテグラル養育、インテグラル教育、不必要な生産の段階的減少、そして全住民に対するインテグラル養育と教育の提供が徐々に増えることがなくてはなりません。言い換えると、教育業務をするために全てのマスメディアを構造改革することです。人類が自分たち自身を変えることに専念するとき、それは巨大な世界的な機械に似ています。

最後に、人類は自分自身のことで夢中になりますが、それは自分が10億より多く持っている、あるいは、自分の方が強いと示して誰かに屈辱を与えるなど、隣人の前で目立とうとすることではなくて、インテグレーション(統合・調和・融合)を達成するという目的があるのです。

From a “Talk on Integral Upbringing” 2/29/12

量ではなく質

質問:今のところ、僅かな人々だけが、カバラの知恵に惹き付けられています。私達は普及活動を続けることで、新しい心の点(複数)の目覚めを期待すべきでしょうか?

答え:この質問への正確な答えを私は持っていません。私はカバリスト達によって書かれなかった事柄を決め付けたいと思いません。

あなたは、一部の者は量的に強く、他の者は質的に強いということを理解すべきです。このように言われています。「あなた達は国々の間で少数である。」将来でさえ、世界中のグループの友人達はそれほど多くならないでしょう。またサポーターも多くはならないでしょう。(サポーターである)より広範囲の人々のサークルは、カバラの知恵を志向することはなく、私達と全く同じように感じることはありませんが、しかし私達に近く、耳を傾け、従います。

私達の強みは、数ではなく、高さであり、理解であり、神性の認知とつながりにあります。私達を通して、まるで稲妻のジグザグのように、広大な講堂向けの、様々な忠告、プログラム、イベント計画が、天から地に降りてくるでしょう。それから、おそらくは他に選択肢がないために、または人々が私達を信じ始めるために、または他の理由によって、彼らは私達のメッセージに馴染み、受け入れるでしょう。

バール・ハスラムが言ったように、もし盲目の人々の列の先頭に、少なくとも一人、目の見える人がいれば、彼らは、最後には必ずゴールに到達するという完全な信頼を持って、彼の後に従うべきです。私はここに深刻な変化があるだろうとは思いません。私達はレクチャーを提供し、ラウンドテーブルをセットし、キャンパスをオープンします。しかし、私達がこれをするのは、人々を自分の組織に引っ張り込みたいからではありません。反対に、私達は「彼らのテリトリー」で仕事をしなければならず、特殊な事柄ではなく、一般的で通常の是正メソッドを伝えなければなりません。

「スクリーン」、「光」、「器」、「パルツフィーム」そして「制限」などの言葉は一般向けではありません。人々は、物質生活を楽なものにする、ユニティ(団結)について知る必要があります。

これが一般聴衆への私達のメッセージです。私達はカバラや「上層の物事」を彼らに注入してはなりません。私達は「人々の心臓の鼓動」に合わせて、人々と「同じ目線」で話さなければなりません。それは彼らを心配させる事についてであり、子育てや他の日常生活の問題といった、彼らの「欠乏」部分について話をすることです。私達は少しだけ彼らの欲求を強調し、「それらを静める」ツール ー私達の方法論ー があることを示すべきです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/1/12, “Introduction to The Book of Zohar

マヤの暦の宿命的な日付まで

新聞記事News Junkie Postから):“様々な悲観的な予言や、あるいは黙示録(Apocalypse)でさえもが2012年に関連づけられています。 黙示録(語源はギリシャ語の「ベールを取り払うこと」または「啓示」)は、すべての終わりとしてよく誤って見なされますが、もちろんその語源そのものがこの考えを否定しています。 強烈な啓示としての黙示録は、全世界の決定的な時であり未知の領域への大飛躍です。 人類の歴史におけるこの特別な段階に世界全体がすでに入ったように思えます。

“マヤ人は2012年12月21日の宿命的な日付を「世界の終わり」と見なしませんでした。しかしそれどころか、彼らはそれを一つの世界時代からもう一つの世界時代への移行の時期であると考えました。 マヤ人の中心的メッセージは、我々の選択能力に関わることでした。それは我々が勇敢にこの新しい未来を受け入れるのか、または過去にしがみつき、起こりうる恐ろしい結果に直面するのかという選択です。 マヤ人によると、この移行が混乱と暴力的な激変で起こるのか、それとも平和と静穏で起こるのかは、このパラダイム・シフトに対する我々の抵抗または受け入れによって決まるということです。

“「マヤの暦の終わりが意識の変化をもたらすという直観が多くの人にあります。 それでも、何がそのような変化の根源であるのか、それがどのように起きて、その性質がどのようなものなのかは、はっきり述べられることも説明されることもめったにありません。」とCarl Johan Callemanが2010年3月に書きました。

“「最初は、コンシャス・コンバージェンス(意識の一点への集合:一体意識)のための呼びかけを広めるイニシアチブを取る人々の要求が、世界中で強まるでしょう。」とCallemanは書きました。

“意識の変化またはコンシャス・コンバージェンスとCallemanが説明するパラダイム・シフトは、どちらもすでに起こりつつあります。 歴史の列車は「駅を出ました」。そして実のところ、それは超特急列車なのです。 この世界的な人類の歴史のパラダイム・シフトは、アラブ世界で2011年の春に始まりました。 … しかし、アラブ革命の一連の出来事は、マヤの予言や他の水晶玉のどちらにも言及することなく、非常に予想出来るものでした。

“アラブの春以来、「占拠」運動(Occupy Movement)は注目に値する適応性と回復力を示し、今やそれはウイルスのように広まっています。それは 西ヨーロッパのギリシャ、イギリス、スペイン、イタリア、フランス、そしてドイツに広まりました。 しかし、さらに重要なことに、それは帝国主義の砦である米国でも今や侮れない力なのです。 「占拠」運動が米国で多大な牽引力を得ている主な理由は、米国勢調査局の新しいデータによるところ、アメリカ人のほぼ2人に1人が貧困に陥ったか、低い収入で苦労しているということにあります。

“「占拠」パラダイム・シフトは、超自然的な「起こるべくして起こった」勢力や奇妙な占星術的現象ではなく、公正さ、平等、そして社会的正義などの飾り気のない原理に基づく平凡な運動です。それは世界人口の99%の人々が資源を制御して自身の事柄を管理すべきであり、世界人口の1%の人々に我々をどん底へと楽しげに連れて行くといった容認できないやり方で世界を運営させるべきではないという信念に基づく運動です。

“金融界における暴君や独裁者や寡頭政治の支配者や「超空の覇者」は、99パーセントに通告されました。 彼らが抵抗するならば、ゆくゆくは「占拠」運動の津波が彼らを打倒するか、彼らの権力と豊富を完全に剥奪するでしょう。 それは時間の問題であり、結局のところ、マヤの暦の終わりまでに一年間しか残っていません。世界占拠運動(Global Occupy movement)がおそらく一番の頼みの綱です。それは99パーセントとしてではなく人間として、固く決心して我々の方向を変え、「食うか食われるか」の文明がはびこることのない世界を奨励することです。 公正さ、正義、そして世界人権宣言の尊敬に基づく生活様式です。”

仕事の奴隷

21世紀になり、世界は大いに変化しました。かつて人々はより自由でした。人々は仕事の渦の中に飲み込まれ、奴隷になったのです。これは、中流階級、ハイテク産業の従業員、政治家、経済学者、政治学者、社会学者、そして、全ての職業の人々にでさえ当てはまることです。働く人の全員は、完全に仕事に売られています。私たちは奴隷になったのです。

私たちの人生のすべては仕事を中心に回っています。現代人は、食事を取ることや、テレビの前に座りながら休むことにあまり時間を費やしません。現代人は時間のほとんどを仕事で浪費し、通勤に一、二時間、時間を無駄にします。このようにして現代人は仕事をし、丸一日を過ごすのです。

会社は自社のデイケア・センターや集団静養を手配してくれます。会社はあらゆる手を尽くし、従業員を職場にさらに強く所属させます。このようにして人は会社の奴隷になってしまうのです。その人は仕事以外に何か他のものがあることを理解することさえもしません。仕事が人生で最も重要なものになり、人生を完全に埋め尽くすのです。

私たちが知り合いに会う時に最初に尋ねることは、どこで働いているのか、何をしているのか、そして、どれぐらい稼いでいるのかといったことです。基本的に、私たちは知り合いを人としてではなく、職業人として扱います。それはあたかも私たちが自分たちの目の前に人を見ないかのようです。私たちは、その人が何に興味を持っているのか、何を見たことがあるのか、何を体験したことがあるのか、あるいは、どこに行ったことがあるのかとは尋ねません。それはまるでその人の職場が私たちにとってその人よりも重要であるかのようです。最も重要なことが勤めている場所と仕事の内容なのです。

人の主な心配とは、首にならないようにすることと、違う仕事を見つけることができるのかどうかということです。会社は従業員を職業訓練に送ります。すべては仕事だけを中心に回ります。人はこのことに少なくとも1日10時間は費やしています。これは全く健康的なライフスタイルではありません。

私たちは私たちの基盤を破壊しています。私たちの住んでいる地球、すべての天然資源、そして、生態環境。私たちは遊びながら時がたつのを忘れた子供のようです。今や、私たちの母は私たちを止める必要があります。彼女はゲームを止めに来たのです。そして、私たちに他のことをする時が来たことを伝えています。しかし、私たちはやめることができないでいます。

From the Talk “Lessons on the New World” 12/1/2011

豚インフルエンザ、生活水準、瞑想についての質問

質問:カバラは豚インフルエンザのような流行に対抗できますか?

私の答え:はい。それ以外の全てに対することと同様に。

質問:どのようにして適当な生活水準を測るのですか? それは人の是正されたエゴイズムのレベルによりますか? 生活水準以下の暮らしの条件とはなんですか?

私の答え:それはあなたが“人間”段階の存在に前進するにつれ、決定されるでしょう。この段階それ自体が、あなたに必要なものと必要でないものを明示します。それと同じことが全ての人に起こるでしょう。

質問:あなたはカバラには瞑想がないと言いました。しかし、最も重要なカバリストの一人であるラヴ アブラハム・アブラフィア(sec XIII)が何世代も越えて使われてきた瞑想のメソッドをもたらしたということを読みました。これに対するあなたの意見は?

私の答え:彼がそうしたとされているのとは反対に、アブラフィアは瞑想の創始者ではありませんでした。彼はとても現実的なカバリストでした。彼の記述、そして、他のカバリストの記述も同様に理解できないという無能が、そのような素人の印象を作り上げるのです。


インターネットはインターパーソナルな繋がりに取って代わるべきではない

新聞記事(USC Annenbergから):“インターネットの使用により家族時間が減少” 米国のインターネットに繋がれた家庭は、家族が一緒に過ごせる時間が減少している、ネットを使う家族のメンバーから無視されたと感じる、といった報告がますます多くなった。2008年までに一緒に過ごす時間が月に17.9時間まで、30%以上減少した。インターネットを使用する家族のメンバーから、少なくとも時々、無視されていると感じるとの報告は同時期に40%増えた。

私のコメント:これは期待ができるようなことではありません! 私達のエゴイズムは、私達をお互いから離れさせ、テレビやインターネットに没頭させて自分と他者について忘却させることを強制しています。願望が満たされるはずだと思われる空間の中で、私達は空虚を感じます – こういった理由で私達は他者および自分自身から距離を置こうとするのです。人が間違った道を歩んでいる時に、間違えを識別し目的地に到達する為に必要な調整を行うには、2つの方法があります。

1)間違った方向への移動速度を速める! そうすることで人は自分の道が間違っていることを認知し時間を節約します。なぜなら間違った道で費やされる時間は苦しみに満ちているからです。

2)間違っている方向に移動するかわりに、私達をコントロールしているプロセスの研究を徹底的にする。そうすることで人間は、肉体的な苦しみを経験することで自分の悪を自ら露呈することなく自分の悪を認知できます。この行為は肉体的で感情的な苦しみを愛の苦しみに変換させ、間違った道で費やされる時間だけでなく、苦しみの量、度合い、強さも大いに減少させます。

このようにして私達は、自分自身のひどく不幸な状態と苦痛を感じているということに対する苦しみから、まだ達成していない永遠性と完璧性の欠如に対する苦しみに移行します。したがって二番目の方法のほうが望ましいのです!

70億人の子供たちの責任はあなたにあります

受取った質問:どのように人が全体として団結の願望を持つようになりますか? 苦しみ以外で人々の中にその願望を生じさせるものはありますか?

私の答え:私達は不可分で絶対的な繋がりでお互いに結ばれています、完全な相互保証の状態にいるのです。この状態は私達の承諾なしに自然によってデザインされたもので、私達に[このことに対する]選択肢はありません。

想像して下さい。50世帯の隣人が住む分譲マンションの1戸を購入し、契約書にサインをしたとき、あなたは隣人の全員と相互保証をすることに同意をしたことに気がついていませんでした。しかし今やあなたにはこの50世帯の家族に起きる全てのことにたいして責任があります。

この意味は、もし彼らの一人が違法行為を犯したら、あなたがその責任をとり当人の代わりに刑務所に入るということです。あなたは全員の責任を取らされます。これが相互保証の実質です。

私達の全員に地球全体の責任があり、現在この絶対的で完全な相互保証の同意が私達に圧力をかけているということを、人類は本当に理解しなくてはなりません。この非常に難しい取り消せない同意に対して私達はどうやって反対できるのでしょうか? なぜなら全員の責任をとるなんて我慢のできないことですからね! 人々は自主的に正しい良い方法で他者と繋がるしか選択肢がないと考えるようになります。しかし全問題は私達がそうさせてはもらえないということにあります。

たとえ私達が融和の願望とその必要性の理解をもつようになり、すべての政府が何らかの(G20サミットのような)会議でそう承諾したとしても、その時でさえすべての人は個人的に、そして全国々も、自分たちに団結する能力が備わっていないことを発見するでしょう。たとえすべてのひとが現在の絶望的状況に本当に気づいたように見えたとしても、その時に団結する機会は私達にありません。これが私達に対するこの世にない力の啓示なのです。

それは私達の全努力にもかかわらず、全ての論理にも反して、あたかも上位の何者かが意図的に障害物をつくり、私達をころばせ、私達の願うものの達成を阻止しているようなことです。そしてその後に“彼らはこの作業から解放されたいと嘆願する”ようになります。これが起きるときに第三の力が啓示されます:この状態から脱したいと願う者は、自分の中の憎しみを愛と交換し、以前に憎んでいたものを愛し始められるようになるために“ソース”(万物の源)からの“ひかり”を使わなくてはなりません。

私達がどれだけクリエーター(自然)を憎んでいるのか、また、どれくらい“彼”から遠く離れていて性質が相反しているのか、私達は現在まったく気づいてさえもいません。“彼”にたいする愛が可能なのかさえ信じ難く思えます。結局のところ、“彼”がこの世における全ての悪をつくり、私達を最も低い状態に置いたのですから。

私達は明確には“彼”を憎んでおり、それ以外はありません。なぜなら”There is None Else Beside Him“(“彼”以外には何も[存在し]ない)からです。そして全ての人が正確にこの地点から個人的発達に到達する必要があるのです。私達はすべてを反対方向にむかせ、愛し始めなくてはなりません。