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それをして下さいとクリエーターに頼みなさい

私達は、私達がクリエーターにそれをしてくださいと求める以外に、何もしてはならないということを忘れます! それどころか、私達は、どうやってが自分のハートを強制して開くべきか、どうやってが他者と繋がることが出来るのか、または、どうやって他者が自分に繋がることが出来るのか、と考えます。しかしながら、私達はこれについてまったく考えるべきではないのです!私達は繋がりを私達の利己的な頭(知性)の中で想像します。けれども、私達の考えていることとそれは、全く似ていないのです。

これは上層の世界の段階です―私達は新しい現実を明らかにしているのです!私達は、求めることだけ、それだけをしなくてはならないのです!私達は、すべてが要求・依頼の理由で起こることを学びます。私達は祈り―マン(MAN)―を上げ、その反応として包む光―マッド(MAD)―がやって来てすべてを是正するのです。そして一方、私達はその是正の間にただ居るだけでよいのです。すべては上層からやってきます。私達に関しては、要求、嘆願、そして強い願望が必要なのです。

この点に問題があります:私達はクリエーターに頼るのか、それとも、すべてを独立して(自主的に)行うのか?これが、私達が過ちをおかし、何年も行き詰まり、呼びかけ、要求、依頼以外にはなにもないということを理解するために方向を、少しさえも変えることが出来なくなる点なのです!

この依頼を達成するために私達は努力しなくてはなりませんが、それはこれだけを遂行するためです。もし私達が独立して愛と友情に基づく正しい社会システムを構築しようと試みようとしても、これは、私達がゴールから遠ざかっていること、つまり私達が本心を表していなく、お互いを嫌っていて、ユニティーに全然近づかないということ、を理解させる長い道のりになるでしょう。

カバラは私達をとても正確な分析にもたらさなくてはなりません:もう一人の人と繋がろうとするな、これはあなたには出来ません、あなたも彼もエゴイストです。上層の光のみが、それを出来るのです。上層の光はやって来て私達を一緒に結合しなくてはなりません。上層の光だけです!

したがって、お互いの繋がりを探さないでください。なぜなら「夫と妻と彼らの間のシェヒナ」と記されているからです。その意味は、私が居て、私の友が居て、私達の間にクリエーターがいるということです。「上層の中で和解する彼は、我々の中で和解する」(Oseh Dhalom BeMromav, Hu Yaseh Shalom Aleinu)。

私達を一緒に繋げる力を持たないで、私達がお互いに向き合うときは、いつでも偽の呼びかけです。私達がハグするとき、私達はハグしたくありません。あるいは、この世界のレベルでそれをするのです。私達は本当にお互いから、愛、ユニティー、または友情を要求してますか?それはこの世界の段階においてだけです。私達の誰が、もう1人の人の保証人、またはその彼自身のでさえに、成れることが出来るのでしょうか?そのための力は私達のどこにあるのでしょうか?私達は、私達の間の空間のすべてを満たす上層の者を通じてでしか、お互いのことを切望することが出来ないのです。

もし私達が彼に空虚を満たし、私達をつなげ、そしていつも私達の間に居て下さいと要求するなら、それは簡単に起こるでしょう。カバラの科学は、私達をこの正しい姿勢・心構え・態度に至らすことを意図されて作られています。一方、私達は自分らの利己的な性質の内側に居るため、そのことから常に逃げてしまいますが。

「彼以外にはなにもない」ということを忘れずにいましょう!クリエーターが行為を実行するのです。しかし、それが起きるためには、私達が彼の行為よりも先に願望を持たないといけないのです。これを「契約を行う」と呼びます。私達がクリエーターとの契約を締結するのです:私達が要求し、そして、彼がそれ実行します。

小さな子供が歩いて大人を彼らの後ろに引くのと同様に、私達は、上層の力が創造した性質を是正するよう、上層の力を引いているのです。そうすれば、私達はクリエーターと同等に成れます。私達は相互保証を達成することも、それを本当に願うことでさえもできません。私達がユニティーについて話し始めるや否や、私達はその条件を覚えておかなくてはいけません:「イスラエル、光、そしてクリエーターはひとつである。」私自身、私の隣人、そして私達の間のクリエーター。私達三人が一緒になってでしか、真の和解と完成は達成できません。

まさに、グループに於ける1つになりたいという強い願望がすぐに、私達がすべての助けをクリエーターに頼まなくてはならないという理解を、私達にもたらすでしょう!

From Lesson 8 , World Kabbalah Convention 2010,  11/11/10

ワンネスの125段階

私達はどうすればお互いと結束し合うことが出来るのでしょうか?それは人が自分の欲求を持ちながら友人の中で存在し、[同時に]その人の中にその友人が存在する場合に限り可能なのです。皆が他人の欲求を吸収し、それに取り組まなければなりません。そうする事により彼らは結ばれるのです。彼らの欲求は同じ目標に向っている為、彼らの相互的な作業により、前進する為の共同的な力を作るのです。この力は彼らの向上を保証し、それはArvut(相互責任・相互保証)と呼ばれます。

結束は、私があなたの欲求の一部を授かり、それを私のものとして経験し、私の欲求の全てがそれを満たす為に仕える時に起こります。更に、あなたの欲求は目標に辿り着くことである為、私はあなたをそれに導き、同時にあなたが私を導くことになります。このように私達の欲求は共通の目標の中で結束するのです。このゆえに「あなたの欲求を彼のものにせよ、そうすれば彼はあなたの欲求を彼のものにする。」と書かれているのです。

これが私達の繋がりの度合いを確かめる為の基準です。私達の間の隔たりは125の度合い(階段)、私の利己的な欲求の125の部分に達しています。しかし徐々に、それを「あなたの為」の行為を通じて是正して行くにつれ、私は授与の為の作業の中であなたに近づくのです。

これが「自分を愛するように他人を愛す」と呼ばれるものです。言い換えれば、私はあなたの欲求を使用し、それの前で私の欲求を無効にするのです。そうする事により私は自分の欲求を是正します。私の欲求は残存しますが、あなたに辿り着く為にこれほどの距離を行ったので、私は自分の欲求を授与的なものにしたのです。何も変わってはいません;私は単に意図を追加しただけです。そして、私達の間の距離は消えたのです。私が自分の意図によりそれを一掃した為です!

そして、この「他人」は何が欲しいのでしょう?彼はあなたと全く同じようにクリエーターとの結合を達成したいのです。なので、あなたが彼に手伝うべき事は一つしかありません:クリエーターと一つになる事です(あなたと一緒に)。このたった一つの意図が私達皆を一つに結合するのです。

このゆえに、私達は皆一つのボートに乗っていて、それは一つの方向に向かう、と言うのです。私があなたに近づくほど、私はクリエーターに近づくのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/3/10, Shamati #50

全てを備えた繋がりのシステム

私が授与の為の是正を切望する事ができるのは、唯一環境がこの事において私を支援してくれるときだけです。授与をしたいという欲求は、唯一自分が他者と繋がっている時に顕現して機能します。よって私には彼らの支援が、「相互保証(mutual garantee)」という形で必要になります。私が彼らを支援する程度にまで、彼らは私を支援します。これは一つのシステムです。わたしがそれを稼働する程度にまで、私はそれから得るのです。

グループに加わって他者と繋がりたいと望む事で、私は反対に自分に向けられた反応を誘発します。その他者が私達の繋がりに於ける正しい形を、私がそれに気づく事さえもないまま、私に受け取らせてくれます。私達が一つのネットワークの中に住んでいるという理由から、彼らは私に、私達が有する繋がりのタイプを示してくれるのです。

この繋がりは、授け与えたいという単なる欲求ではありません。それはむしろ、私達の絆を強固にする保証です。これは私の依頼によって生じるのです。そのあとで、私は自分が用意した器(Kli)- 613(Taryag)の要素から成る、用意された繋がりのシステム – を持って、彼らに依頼します。私はそのことを知らないまま、その全システムを起動させます。したがって、私達はお互いに繋がることにより、私達の間にシステムの全体を受け取ります。

「相互保証(mutual guarantee)」とは、とても深い概念です。それは生命と、私達の繋がりに於ける内面的なシステムについて言及しているのです。私達がしなくてはならないこととは、単にそれを私達の内側から取り出して、使い始めるということです。

そうでないなら、自分は他者と繋がりたいと叫ぶことはできますが、そのやり方をどうやって知る事ができるのでしょうか? 自分は全ての人とその一人一人に繋がる方法を理解しているのでしょうか? その訳は、自分が彼らを目覚めさせることによって、彼らが自分に対して影響を及ぼし、我々の繋がりの形態を自分に受け取らせるからです。彼らはその事について気づいているかもしれませんが、それは重要な事ではありません。どっちにせよ私達は、この繋がりのシステムを起動させるのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 4/25/10, The Zohar

70億人の子供たちの責任はあなたにあります

受取った質問:どのように人が全体として団結の願望を持つようになりますか? 苦しみ以外で人々の中にその願望を生じさせるものはありますか?

私の答え:私達は不可分で絶対的な繋がりでお互いに結ばれています、完全な相互保証の状態にいるのです。この状態は私達の承諾なしに自然によってデザインされたもので、私達に[このことに対する]選択肢はありません。

想像して下さい。50世帯の隣人が住む分譲マンションの1戸を購入し、契約書にサインをしたとき、あなたは隣人の全員と相互保証をすることに同意をしたことに気がついていませんでした。しかし今やあなたにはこの50世帯の家族に起きる全てのことにたいして責任があります。

この意味は、もし彼らの一人が違法行為を犯したら、あなたがその責任をとり当人の代わりに刑務所に入るということです。あなたは全員の責任を取らされます。これが相互保証の実質です。

私達の全員に地球全体の責任があり、現在この絶対的で完全な相互保証の同意が私達に圧力をかけているということを、人類は本当に理解しなくてはなりません。この非常に難しい取り消せない同意に対して私達はどうやって反対できるのでしょうか? なぜなら全員の責任をとるなんて我慢のできないことですからね! 人々は自主的に正しい良い方法で他者と繋がるしか選択肢がないと考えるようになります。しかし全問題は私達がそうさせてはもらえないということにあります。

たとえ私達が融和の願望とその必要性の理解をもつようになり、すべての政府が何らかの(G20サミットのような)会議でそう承諾したとしても、その時でさえすべての人は個人的に、そして全国々も、自分たちに団結する能力が備わっていないことを発見するでしょう。たとえすべてのひとが現在の絶望的状況に本当に気づいたように見えたとしても、その時に団結する機会は私達にありません。これが私達に対するこの世にない力の啓示なのです。

それは私達の全努力にもかかわらず、全ての論理にも反して、あたかも上位の何者かが意図的に障害物をつくり、私達をころばせ、私達の願うものの達成を阻止しているようなことです。そしてその後に“彼らはこの作業から解放されたいと嘆願する”ようになります。これが起きるときに第三の力が啓示されます:この状態から脱したいと願う者は、自分の中の憎しみを愛と交換し、以前に憎んでいたものを愛し始められるようになるために“ソース”(万物の源)からの“ひかり”を使わなくてはなりません。

私達がどれだけクリエーター(自然)を憎んでいるのか、また、どれくらい“彼”から遠く離れていて性質が相反しているのか、私達は現在まったく気づいてさえもいません。“彼”にたいする愛が可能なのかさえ信じ難く思えます。結局のところ、“彼”がこの世における全ての悪をつくり、私達を最も低い状態に置いたのですから。

私達は明確には“彼”を憎んでおり、それ以外はありません。なぜなら”There is None Else Beside Him“(“彼”以外には何も[存在し]ない)からです。そして全ての人が正確にこの地点から個人的発達に到達する必要があるのです。私達はすべてを反対方向にむかせ、愛し始めなくてはなりません。

家族全員が自分以外のみんなに頼っています

受取った質問:個人の福祉が社会の福祉にかかっているという概念は、あらゆる子供教育の基本です。残念ながら、結局のところこの規則は決して守られません..。

私の答え:“完全にそろった人類、グローバルな人類”、”バタフライエフェクト”、”相互保証”、”相互授与”といった概念の混同を避ける為にも、1つのイメージを思い描くことがベストです:私達の皆が1つの家族であるということ。家族の中の全員が自分以外のみんなに頼っています。もし家族の一員の気分が悪くなれば、その気分も家族全員によって共有されます。

同じように、今日の各個人の福祉もすべての人にかかっています。このような理由から私達は他者のケアに自分を捧げなければならないのです。なぜなら私達の一人一人が1つの家族の一員であるためです。

寂しさは不健康

新聞記事(Mail Onlineより):“寂しさは、喫煙や肥満と同じくらい健康を害すると専門家が警告” 寂しいと感じることは血圧を上昇させ、ストレスや鬱病にかかる危険性を増やします。心理学者のJohn Caciopo氏は、寂しいと感じる人に友達をつくるように助言します。「寂しい人は空腹を感じます。その解決の鍵は、食べることではなく、他者のために料理をし、一緒に食事を楽しむことにあります。」

私のコメント:生物にとって健康になる方法はただ1つです。それは全生物を構成する各部分の間に、調和のとれた繋がりがあるときです。そしてそれは人間でも同じことです。私達が相互保証という手段をつかい結束するとき、私達はより上の段階の人生を見つけます。つまり、永遠で完全な認識とは、私達の繋がりの間に発見されるということです。

現在の危機とは、エゴイズムによって分断された私達の魂が、1つに戻ろうと変化している兆候です。私達が再び1つになる時、上層世界での人生をその中に発見することでしょう。