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最も難しい事は助けを求めること

thumbs_laitman_239バール・ハスラム「トーラーの授与」:我々はトーラーにおける残りの612のミツヴォット(戒律)が、それらのすべての解釈と共に、ただ一つのミツヴァ(ミツヴォットの単数形)、すなわち「汝の友を愛せよ」の中に挿入され、含まれている詳細の合計以上でも以下でもないことを理解すべきである。

613の「戒律」、すなわち是正に至らせる613の行いがあります。私たちは受け取りたいという欲求に関連する意図を、利己的なもの(受け取るために)から利他的なもの(与えるために)に改めるべきです。私たちがそうするとき、それは私たちが「戒律を果たした」ことを意味します。

戒律の数は、魂の器に含まれている個人の受け取りたいという欲求の総計で定義されます。それは2つの部分に分かれています。

上部  ガルガルタ・ヴェ・エイナイム (Galgalta Ve Eynaim <G’E>)248の欲求
下部  アハップ(AHP)365の欲求

受け取りのためという意図は邪悪な性向と呼ばています。一方で与えるためという意図は、善い性向と呼ばれています。行為自体は同じです。それらの背後にある意図によってのみ、私たちは良い行為と悪い行為を識別することができます。そのため、是正のプロセスは実際には意図を変更することです。意図が自己中心的なら邪悪な性向とみなされ、その中心が隣人に向けられているなら善い性向なのです。

結局、私たちは248と365の欲求を是正しなくてはなりません。全部で613です。しかし、最後の戒律(愛についてのもの)は「問題をはらんだ」ままなので、私たちは実際612の欲求しか是正しません。カバリストたちが言うように、612の欲求を改善することによって、我々は愛を達成します。 言い換えれば、友への愛から、私たちは創造主を愛するようになります。

 

総体のシステムの中には、欲求の特別な部分があります。それはグループと呼ばれるそれ自身を是正しなくてはならない部分で、当然ながら残りの欲求と相互的につながっています。最初、私はそこにいません。 しかし、グループで友と一緒に作業を始めて、友とのつながりを望み、現実にそうするやいなや、自分の性質がすべてこれに反していると分かります。つまり、「できない」「不可能だ」「したくない」 「しない」ということ。これが邪悪な性向というものです。つまり統合したくないということ。それは私を妨げます。

その後で私はそれを私の中に存在する「憎む人」と呼び、至る所にいる友からその是正を要求します。私はどこを是正するのか、どのように是正を実現化するのか、そしてどのように自分の性向に打ち勝つことができるのかを発見します。そして、クリエイターの方を向く必要を感じるまで私はそうします。

それはすぐに起こりません。私は今、叫ぶことができますが、その後で利己的な欲求は高まり、クリエーターの考えに我慢できなくなります。私はクリエーターを憎んでいて、いつでもクリエーターを滅ぼす準備ができています。クリエーターに向かうこと以外なら何でも喜んでするのです。私は不可能なことをするよう要求されていると思います。まるで敵を滅ぼす代りに敵を愛して助けなければならないかのように。それは非常に難しいことです。その後で、絶望を感じ、何よりも授与の獲得を欲する時、私はクリエーターの方に向くのです。

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From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 10/21/12, “Matan Torah (The Giving of the Torah)”

あなた自身ではなく、あなたの友達を信頼しなさい

質問:「あなたが死ぬその日まであなた自身を信頼するな」と書かれています。それなら、もし私が私自身あるいは友達を信頼できないなら、アルヴット(相互保証)の意味とは何ですか?

答え:当然私は私自身を信頼できません。しかしこれは友達について言及しているのではありません。グループとは単にレッスンに来た人々の集まりではありません。グループとは彼らの魂と魂の内なる和合・統一です。

クリエーターは魂たちが住む「無限の世界」と呼ばれる欲求(喜びを受け取る意志、すなわちクリ)を創造しました。これらの魂たちはお互いに結合し、無限の光で満たされている1つの集合したシステム、すなわち1つの魂の状態にあります。

しかしこのシステムは、それを隠すスクリーン、すなわちフィルターによってあなたから遮断されています。このシステムはフィルターを通じることで幾分堕落した又は壊れたようにあなたに映ります。その内側は完全で無限の光によって満たされていますが、現在あなたはそれを歪んだものとして見ています。さらに進んで、その次のフィルターの後ろでは、あなたにとってそれがさらにいっそう堕落しているように見えます。

第一状態、すなわち無限の世界から、最終状態、すなわち私達の物質世界まで、全部で125個のそのような段階あるいはフィルター、すなわち無限の状態を隠すものが存在します。したがって、あなたはグループをあなたの物質的な視覚で見て考えます、「そもそも彼らは誰なんだ? 私は彼らより低くない! 彼らは本当に統合しているのか? いや、彼らは統合していない。彼らは本当に統合することを望んでいるのか? いや、彼らはそれを望んでない。彼らは本当に何かを理解しているのか? ラビ・シモンのグループを私にくれ。そこでなら私は彼らの腕の中の赤ちゃんになることに同意するだろう! そしてこれらの・・・ 彼らは私にとって誰なんだ?」

しかしこれは間違いです。すべては友達に対するあなたの態度によって決定されます。もし人が彼らを「貫通」し、つながりたいと思うなら、隠れた状態にあり、参加していて理解するこれらの物質的な身体とではなく、むしろ彼らを完全な結合状態で無限の中に住むグループとして扱うなら、仕事は終わりです:彼はこの完全な状態に接着します。

なので、ラビ・ヨスィ・ベン・キスマは彼のビギナーの弟子たちなしでは居ることができなかったのです。彼らは小さな段階でいくらかスピリチュアリティを求めていたのでしょうか?彼らを通して彼が、彼ら自身がそのことに気付いていないにもかかわらず、彼らが1つの心を持つ1人の人間のように、皆1つになっている場所であるスピリチュアルな状態に入るのにそれで十分でした。

これは環境、すなわちグループと呼ばれます。しかしながら、私自身は、私が私自身を想像できる場所の中に住んでいます。そして、私は私自身を、何でも受け取ることができる理想的で完全な環境に照らし合わせて想像します。そして唯一それを通じて私は力を獲得します。

したがって、グループとは身体的な人々の集まりではなく、むしろ私の内なるスピリチュアルな特質なのです。

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From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 12/24/10, “Perfection in Life”

ハートとはレモンを搾るようなこと

より近づくことには、いくつかのフェーズがあります。第一フェーズでは、スピリチュアルワールドに到達するためにつながることを切望すればするほど、つながることができないと知ります。人は他者とつながってクリエーター(つながりの中に存在する授与の特質)を明らかにすることはできません。

その人は自分ではできないと分かるまで努力します。最初に発見することは、クリエーターの力がその人をすぐに助けることができるということです。だからその人は「彼以外に他は在らん」、これだけが自分に唯一必要なことだと言います。それに至る(そのことを悟る)ためには、一番目に、自分には選択肢がない、次に、なので創造された存在に対する愛という指示に従うことに自発的に同意し、それ故に、クリエーターに対する愛に達します。

創造された存在に対する愛の条件は、常にどのくらいクリエーターが明かされなくてはならないかによって働きます。カバリスト達だけにクリエーターが明かされていて、その他の人からは隠されていた時代もありました。よってこの作業は今日のとは違っていました。これは、時代によって一般の知恵と個人の知恵の間の結合に違いがあったことを意味し、このことについて「トーラーの意見は地主の意見と反対である」と書き記されています。

今日私たちは完全なる啓示(クリエーターが完全に明らかになること)に近づいていて、カバリスト達がそのことを私たちに告げています。その理由は私たちが自分たちでそのことを見付けることができないからです。単に外面的兆候からでは誰もそのことを特定できません。とはいえ日々世界は完全なる危機に向かって突き進んでいます。その危機とは人間社会の危機、つまり人と人のつながり(人間関係)の危機です。しかし、この世界には人間のつながり(関係)を正せる力は存在しません。

だからこそ私たちはカバリスト達が言うことに耳を傾けるべきなのです。まず私たちは、私たちがつながって一つのハートを持つ一人の人間になることをクリエーターが助けてくれることを理解しなければなりません。私たちのハートは異なるので、一つのハートになるようにつながるためには努力が必要です。それはあたかもレモンの果汁のすべてを搾りだすようなことです。つまりハートから出てくる邪悪な性向のすべてを搾り出すということです。そして残ったものに、お互いに与え合うという意図を加えます。そうすることによってクリエーターに与えます。

条件はとても簡単ではありますが、その条件を満たすのは不可能です。しなければならないことは明白です。自分のハートから利己的な性向をすべて搾り出したあとに、グループと、そして友達の一人一人と、そしてクリエーターとも同様に、良い関係を結ぶことができます。しかし、それはその人が友達で、私たちにそのようにつながる準備ができている場合のみのことです。そうなら私たちは一緒に私たちの間にある共通する一つのハートの中にクリエーターを発見します。

私たちの一人一人が上層の力そのものと同じくらい重要です。私たち一人一人が自身を愛と授与の力に変化する準備ができています。もし私たちがそのことを切に願い、そのことを日中に忘れないなら、習慣が第二の天性になり、自分たちだけではすることができなくクリエーターの助けが必要であるということに気がつきます。唯一彼(クリエーター)の助けを借りて私たちは自分たちの性質を無にし、それを超えてつながることができるのです。

From the Preparation for the Daily Kabbalah Lesson 6/3/14

霊的発見までの9つの段階

私たちの目標は光との同等性と調和に到達すること、言い換えると、是正の完了、つまり永遠の愛と授与に到達することです。この状態は、光に似るために何が欠如しているのか理解するのに必要とされる特性に対する私たちの気付きと感覚、そして上昇を必要とします。それには内なる変化を経験しなくてはなりません。

すなわち、私たちの作業のすべては、いま自分が感じていることと、自分が正された状態で感じているであろうことを理解することです。いかなる状態でも私は光のように反応しなければなりません。

自分の人生の全瞬間において、私は光と釣り合った状態、つまり形態の同等性を切望しなければなりません。このためには、まず第一に光の特性を知ることが必要です。しかしそれまでは、私たちは隠されている状態(in concealment)に在り、光との同等性に到達してないかぎり、光を感じません。光を感じないなら、どうやって私は光に似ることが出来るのでしょうか?

ここで私たちを助けてくれるのが私たちのために創造された、この世という状態です。この世という状態が他の諸世界のいずれにおいても存在しないことは驚きです。ここ、この世では、たとえ私が完全に砕け散っている状態、つまり光と完全に正反対の状態にあるにせよ、そのすべてにもかかわらず、私のように光との同等性を探し求めている願望を発見する可能性があります。彼らは私のように上層からこの強い願望、この精子の1滴、つまりこの“心の点”を授かります。それなしには、この強い願望は呼び覚まされないでしょう。

この時点から、もう私たちは光に似た行為を始めることができます。つまり、私たちがお互いに交流する時に、私たち自身から光の行為と呼ばれるものの手本を作ることができるのです:授与、愛、相互扶助、相互協力、そして目覚め(気付き)。お互いを少し暖めるために、煽動するために、つまり友のなかに願望と羨望を起こさせるために、光が私たちにするそれらの行為をする機会があるのです。

光つまりクリエーターの代わりに、私たちにはグループが与えられます。クリエーターが人に幸運をもたらし「うけとりなさい!」と言うのです。言い換えると、クリエーターがその人を実験室へと連れて行き、私たちの砕け散った破壊された状態にも関わらず、それを通じて友だちの助けを借りて前進することができる型(モデル)に入れるのです。クリエーターがあなたを彼らのところに連れてくるのです。そして、今やあなたは行動しだします!

それ以外の全てはあなたにかかっています。つまり、あなたの作業の仕方と、あなたに授与するクリエーターと同じようにグループに対して関わることによって決まるのです。クループとの対話や相互作業を始める時、あなたはグループがどのようにあなたに影響を及ぼし、また、あなたがグループに影響を及ぼすのか明らかにするでしょう。それなら、一緒に上昇することが可能です。

そのように、私たちはグループの全員のために相互扶助と相互に影響し合うことを全員に義務付けるアーヴット(Arvut:お互いに保証しあうこと・相互保証)とよばれる状態に至らなくてはなりません。私たちは、友だち全員の前で光の授与を演じます。つまり友にクリエーターの授与を示すのです。そして友は、自分自身を正して光に似ることを望む被造物(創造物)のように、私たちに反応を示さなければなりません。

言い換えると各自が、グループと一体になること、グループとつながること、グループにくっつくこと、1つのハートとマインドを持つ一人の人に成ることを望むのです。つまり、私の何もかもがなくなるように、完全に友だちのなかに溶け込まなければなりません。私はグループの中に没入することを望むのです。それが各自がしなくてはならないことです。そして、このことに対して皆が皆を助けています。

この結果として、努力の最後の1滴の後に、私たちは1つのハートを持つ1人の人に本当になります。この1滴は食事の最後の一口に似ており、その後になって満腹状態が生じ、私たちは私たち自身を満たしたと感じるのです。こんなふうに私たちは完全なハヴァヤー(HaVaYaH, יהוה‎)、つまり10個のセフィロトを全部そろえます。ほら、最後のフェーズ、つまりマルフト・デ・マルフト(Malchut de Malchut)だけが、誰を相手にしているのか、なぜ、そして、どのようにふるまわなくてはならないのか、どのように構成されているのか、どのようにクリエーターが構成されているのか、もしクリエーターからすべてのもの(光と願望の両方)をもらうなら、それに応じて何をしなくてはならないのか、を感じ、理解し、知っているのです。

従って、アーヴットが第一段階です:つながってたった1つの統一体になること。そしてもうこれ以上することがないように思われます。しかしながら、それまでは、これらが単なる言葉にすぎないと私たちは知っています。「行為の結果は最初の考えの中にある」と言われるように。思いの上では既に私たちは最終結果に到達したいのですが、長くなりうる道を通らなくてはなりません。ほら、私は私自身を作り上げなくてはなりません。そして、そのとき初めて私はクリエーターを知るのです。

すべては上層から完璧な形に創造されますが、被造物(創造物)は、この完璧さを獲得し、クリエーターに気づき、クリエーターのようになり、クリエーターの深遠さの全部を理解し、すべての行為においてクリエーターに似なければなりません。ほら、もし被造物の状態がクリエーターとの完全なる同等性以下なら、クリエーターが被造物にとって有益であるとは考えられないのです。

私たちは、これらの段階のすべてを通らなければならなく、前の段階を終えない限り次の段階を経ることは出来ません。したがって、最初からアーヴットについて、つまりクリエーターとの形態の同等性について、つまり自然との調和について話しているのです:交接、抱擁、口づけ、クリエーターとの形態の同等性の表現のすべて、そして、それらすべてにもかかわらず、これらはすべてまだ言葉でしかなく、私たちは今やこの状態を築き始めるのです。すなわち、私たちは第二段階以降に入るのです。全般的に見て、霊的発見に至る9つの段階を発見することは可能です。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 1/7/14, Lesson on the Topic: “Preparation for the Convention”

 

他者のために求める

質問:私の人生で最も重要なものとして何を識別しないといけませんか? 最初は何に注目すべきですか?

答え:あなたの注目すべき唯一のことは、他者のために祈るということです。そのことだけに集中すべきです。人々に1つになることで気持ちよくなってもらうこと(善を感じてもらうこと)です。なぜならクリエーターが人々を善へともたらし、クリエーターがそれを楽しむからです。

質問:私の人生の他の部分の問題はどうなのですか?

答え:あなたの祈りがまだ完全ではないように思われます。クリエーターはあなたにそれを完全なものにしてもらいたいのです。だからクリエーターはあなたをあちこちで「つつき」、あなたを目的地の方に向けるのです。もしあなたが、十分に敏感でない、あるいは無神経、または頑固であるなら、望まれる進路・軌道を与えるために「絵に修正」を加える必要があります。確かに、目的地に向ってさらに先へ前進するほど、是正もより正確であるべきです。だから一歩前進するたび、正確に正しい方向に導くために「突き」がより細かくなるのです。

質問:どうやってそれら(突き)を利用することができますか?

答え:私たちは愛を持ってそれらを受け入れる必要があります。結局のところ、それらは進路に沿ってあなたを導く航海者の指示のようなものです。それらなしで、どうやってなんとか成し遂げることができるのですか? あなたはどこで次に曲がるのか理解していますか、または感じますか? あなたにはこれらの痛い感覚が必要なのです:震え、フラストレーション、そして拒絶。

毎回あなたは友だちを通し、グループを通し、そして世界を通し、それらの助けを借りて目的地を目指して努力します。クリエーターのところへこの器全体を持っていくために、クリエーターだけに向って進路を維持しながら。その器は是正することができ、そのおかげで、その器はクリエーターに喜びをもたらすためという意図だけを持ち、クリエーターの喜びによって完全に満たされます。クリエーターが世界全体を善良さで満たすように世界全体がそれ自身を開きたいと望み、私たちはすべてのものをクリエーターに対する授与へと変化させることができるようになるでしょう。

どうやって私たちはこの授与に向って前進できるのでしょうか? これをどうやって学ぶことが出来るのでしょうか?―不快な物事を乗り越えて。もし現在あなたが自分にとって気持ちよいことをしないようにすることができなく、受け取りたいという欲求(願望)の中における心地よさの度合いを減らすことが出来ないならば、後でどうやって楽しみをやめることが出来ますか? だから私たちは発達の段階を経る必要があるのです。

質問:これが意味することは、楽しいことをやめることがより簡単になるように困難が私に生じるということですか?

答え:まったく違います。私たちはそれら(困難)を何か他のことに利用するのです。それらはあなたの感覚の中に生じます。それらはクリエーターの重要性(偉大さ)に気づいていない欲求(願望)のなかに現れるのです。もしあなたがをそれらの中にクリエーターの重要性を感じていたなら、痛みは感じていなかったでしょう。すべての不快な感覚は、ただクリエーターの重要性の欠如だけを隠します。あなたがクリエーターが重要であると感じれば、すぐにどんな不快感も消えてなくなります。同様に、自分の子供の体の調子がよいならば、母親にとって自分自身の状態は重要ではありません。「愛はすべての罪を覆う」と書き記されているように。

したがって、私たちは友だちのために、そして全世界のために祈らなければならないのです。しかしながら、ただ座って祈ることはできません。私はグループの中で作業して、必要な祈りに達しなければなりません。祈りは自分の全ての行為と全ての努力の結果です。私は自分の出来る唯一の手助けは、他者を唯一の目的地の方向に誘導することだけであると理解して、友だちと社会を助けるのです。

身体的な努力は、最終的に人々とのつながりを築いて、彼らを正しいアプローチを与えるメソッド(方法)に連れて来ることを目的としています。慈善行為それ自体は世界を良い方向へ変えません。そして政府もこのことにおいては無力です。だから私たちは宇宙のシステム(体系)を研究しなければならないのです。そして本当に効果的な手段が唯一1つだけあることを理解しなければなりません。それは人々ために祈るために彼らを結び付けることです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 1/9/14, Writings of Baal HaSulam

 

 

 

うぬぼれからの脱却

エゴイズムに対する取り組みは基本的にうぬぼれとの闘いです。すべては段階形式に配列されていて、人は自分の本当の位置と行為に気付いていません。エゴイズムは人が見ることを許さず、光の各行為をまるで存在しないかのように人から隠します。したがって、私たちは世界が勝手に回っていて、その管理者または計画者が存在しないと思います。すべては自由に、偶然に、どんな理由も目的も持たずに、ぐるぐる回っていると考えられています。

完全に隠された状態にいることから、人は自分がすべてを自分でしていると思うことに慣れています。環境からの助けを受けること以外に、より強くなって自分自身(自分の利己的な欲望)を少し超越し、外側から起きていることを見る機会はありません。そのあとで自分が実行しなかったこと、そして起きることのすべてに自分の努力や計画や自主性が含まれていなかったことを目にします。

したがって、私たちは絶えず誰が支配するのかをめぐって争っています:私たちのエゴイスティックな欲望、つまりファラオ(パロ)か、それともクリエーターか。この葛藤は、最も小さな境遇と人生に対する全態度に関することの両方で生じています。不純な力(クリパー)と神聖の間の議論はこのことのみに関してです。

不純な力の兆候は、うぬぼれです。すなわち自分自身が自分でどんなこともできると思う時です。実際のところ人には自由に選べることが1つしかありません。それは毎回正しい環境の中に含まれることです。人生において膨大な数の機会があるなかで、1つのことを除けば、行動の自由を与えるものは何もありません:まず第一に正しい環境の中に含まれること、そしてそのあとにそれを通じて、その中に含まれて自分が消えた、環境の活動を続けることです。

これが、うぬぼれ、慢心、そして間違った行為を回避する唯一の方法です。そしてそのあとにグループに加えて、神性にマルフートをつなげるために実際に何かをすることが出来るようになります。また、ただ自分を分析して裁くことは少しも助けになりません。環境の中に含まれることによってのみ、最も小さな行為でさえもスピリチュアルなものになるのです。

From the Preparation for the Daily Kabbalah Lesson 9/27/13

“労働は果てし無い、しかし報酬は大きい”

ラバシの記事『信仰』より:「ラビ・タルフォンは “日は短い、労働は果てしない、精をだして働く者は怠けている、しかし報酬は大きい、そして家の「主」は強要する(ピルケイ・アヴォット 2:20)。”と言っていた。」もし人が、「統治者」がいない首都はないということを信じ、「主」が存在することを確信しているなら、その人は強要されていると感じます。

クリエーターが私たちを目覚めさせない限り、私たちが自力で目覚めることはできません。その理由は私たちが、生命力を少しも持っていない物質からできているからです。よって私たちは創造物と呼ばれます。つまり私たちは上から支配されているということです。クリエーターが私たちを目覚めさせて初めて私たちは、“日は短い、労働は果てしない、精をだして働く者は怠けている、しかし報酬は大きい、そして家の「主」は強要する”ということを目にします。そのあとに私たちは働き始めます。

この時点で私たちの自由意志が“オン”になります。クリエーターは人の手を良い運命の上に置かせ、言います:「受け取りなさい!」言い換えれば、クリエーターの行為が最初なのです。その次に私たちが仕事を継続する番になります。その意味とは、クリエーターが私たちに与えるものを、私たちが受け取るということです。一方と他方、両方に対して努力することを許す構造を日常生活に与えるために、私たちは環境と勉強を整えなければなりません。

普段の仕事量と普及活動に対する責任に関係なく、私たちは決して原文の情報源とのつながりを断つべきではありません。絶えず情報源とのつながりをどうにかして維持する場合に限り、私たちは望ましくて予想された結果に至ります。労働は果てしない、しかし報酬は大きい、従って私たちはそれを受け取るための複数の器を用意しなければならないのです。

この全ては私たちに時間をいくつかに区分することを要求します:通常の生活、勉強、普及活動です。私たちは常にこの3つのこと全てに精を出し、それらのいずれに対しても決して避けたり見過ごすべきではありません。私たちがそれらの1つでさえおろそかにすれば、中間の線(middle line)から離れてしまいます。たとえ私たちがそれらに均等な時間を割り当てないとしても、依然、3つの部分すべての世話をしなければなりません。

私たちはこれらの問題点に個別の注意を払うべきです。とても重要な普及の任務があるときでさえ、勉強することを忘れるべきではありません。ただ普及活動で忙しいというだけで、授業を休むことに対する弁明の余地はありません。それは本当に悪いです。なぜなら「もしあなたが「私」を一日置き去りにするなら、「私」はあなたを二日間放置する」と言われているからです。それは危険です。普及活動の理由で勉強を止めれば、私たちの前進はいずれ損失になるでしょう。

From the preparation to the Daily Kabbalah Lesson 9/10/13

過去を後悔するより悪いことはない

恥と愛は私達の発達の主要な動力です。それらは互いに正反対の同じ力であり、マイナスの無限とプラスの無限に似ています。

もしあなたが自分自身を恥じて過去を後悔するなら、それは不浄な活動、すなわちクリパーです。なぜなら、それはあなたが、クリエーターの他に存在するものはない、という事実に賛同しないことを意味するからです。

クリエーターの他に存在するものはない、とは物事の最終的な結果が「彼」に依存していることを意味するだけではなく、あなたの経験する全ても「彼」が始めから計画していた、ということを意味します。それは、あなたが自分に訪れる全ての状態をどのように通過し、その後どのように後悔するかまでも含みます。

今のあなたは、過去の全てを行ったのは「私」でありクリエーターではないと考えたこと自体を後悔する代わりに、起こったことをただ後悔しています。これは、あなたがクリエーターとの固着状態にないということです。

もしあなたが何か過去を修正したいと望むなら、そのとき、あなたはクリエーターに固着していません。つまり、あなたは「彼」のみが世界を支配していることを受け入れていません。あなたに唯一必要なことは、悪い出来事に対しても良い出来事と同じように感謝することです。そしてあなたが、たとえ一瞬でもこれに対処(感謝)できるようになると、次の瞬間には、あなたはその過去について(自分がクリエーターを除外していたことに)より大きく後悔するようになるでしょう。

私達は最後にはこの恥の属性を調査しなければなりません。私達がこの調査を完了するまで、次の段階へ移行することはありません。人は常に自分自身を責めすぎていますが、これは、その計画、その行為、その行為の結果、そしてあらゆる事柄が、一つの源から来ることを理解することに失敗した結果です。あなたはクリエーターの業(わざ)には同意すべきです。あなたは「彼」があなたに対して行うことの印象を感じるべきです。そうすればこれら全ての経験において、あなたは、利己的な願望の感覚を越えて、「彼」との固着状態に留まることができるでしょう。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/11/13, Writings of Baal HaSulam

正しい意図による小さな善行為

質問:私達はどのようにしてクリエーターに満足をもたらすことができますか?

答え:クリエーターに満足をもたらす、とは「彼」を発見することを意味します。これが「彼」に満足をもたらし、また人類全てにも満足をもたらします。クリエーター(創造主)と被造物の満足とは器を満たす光のことです。それは受取りたいという願望が満たされることから来る喜びであり、また、授与の姿勢から来る喜びです。つまり第一段階は物質のレベルであり、第二段階はスピリチュアルなレベルです。これがクリエーターの目標 ―諸々の器を充分に満たすこと― であり、それが創造主と被造物双方に満足をもたらします。そしてその中で、双方はお互いに固着します。

正しい意図があれば、行動は少なくてもよいのです。それは量の問題ではありません。もしあなたがもっと心の準備に時間を掛ける必要があるなら、それは価値あることです。それにより人々はつなげられます。つまり、もしあなたが接触する一定の人々に話をし、影響を与え、スピリチュアルな感覚を運ぶ「内なる光」を伴って正しく事が為されるなら、それは後になって、私達から話を聞いた彼らから、更に彼ら自身が接触する他の人々に広がっていきます。そのようにして、その影響の広がりは全ての人に及びます。人々は自分で自覚することなく、そのように行います。

しかし、もしそれがただの物質的・外面的行為に過ぎないとき、人々は刺激され、声を上げて泣いたり、叫んだりすることが起こるかもしれませんが、それはポップスター(人気歌手)のパフォーマンスに熱狂するファンの群れと同じようなものです。また人々は、例えばトロツキーのような才能ある雄弁家の(共産主義による世界革命のような)スケールの大きい立派な言葉に影響されがちです。しかしこれはいかなる肯定的な結果にも導かず、むしろ破壊へと導くものです。それで、全ての行為の前には心の準備が最も大切なのです。その準備とはクリエーターに満足をもたらす意図のことです。

これが終日、私が考えるべき唯一のことです。どのようにして私の意図を自分の仕事に加えようかと考えることです。なぜならこれが成功の秘訣だからです。

From the Preparation to the Daily Kabbalah Lesson 8/26/13

なぜ今日恐竜はいないのか?

もし私達が、クリエイター(創造主)に授与し「彼」に満足を与えるために、私達の利己的な願望の上に一つの共有されたつながりを造り、自分自身をその中に無化するならば、そしてまた私達が一般の人々との仕事、その仕事の中で私達は、クリエイターが私達を通して彼らに授与できるよう彼らを私達に近づけて、私達を通して彼らをクリエイターに近づけることを望んでいるのですが、そのような仕事のためにこの全て(つながり)を使うならば、そのとき私達は全ての高位の「諸世界」、全体システムを発見するでしょう。それは人間の外側には存在せず、むしろ私達の間にのみ存在します。

そして同時に、自然界の鉱物、植物、動物もまた私達の内側にあることを発見します。突然、私達は自分達の内側にキリン、ライオン、全ての野生動物、あらゆる植物、そして全ての人間たちを発見します。これら全ては私達の属性のただの複製(コピー)です。

かつて昔、私達は今とは異なる他の属性を持っていました。その時には、見たところ世界には恐竜たちが生息していました。しかし今ではその属性は変わってしまい、その恐竜たちは姿を消してしまいました。私達の時代においては、私達の中の属性は急速に変換しつつあり、多くの植物や動物の種が絶滅しかかっているのを目撃しています。世界では毎日150種消えていると言われています。つまりそのような速いペースで私達の「受取りたい願望」は変化し、発達し、進歩しているということです。

私達には、植物や動物のレベルでは何も変化していないように見えます。しかし本質的には自然の中で毎日たいへん大きな変化が起こっています。なぜなら、それら全体は一人の人間の中に包含されているからです。自然それ自体は私達の内的な特質の複製にすぎないのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 8/21/13, Writings of Baal HaSulam