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グローバルな教育について

質問:グローバルな教育とは何ですか?誰がそれを管理するのでしょうか?全世界のためのたった一つの教育委員会ですか?

答え:これは世界全体の教育問題に専念する国連の専門機関であるユネスコの任務です。

グローバルな教育とは自然法則の説明を意味します。私達は、皆が互いに繋がっていること、皆が唯一の上層の力によって支配されていること、そして、皆がそれ相応に行動しなくてはならないことを説明する必要があります。

一つの統一体になるということは、お互いの利益を熟考することを意味します。さもなければ、私達が団結する以外に選択肢が無いということを理解するまで、私達は自然からの打撃(自然災害)を受け続けるでしょう。その打撃によって、人はやむを得ずエゴイズム(利己主義)を捨てるでしょう。人は苦しみを避けるためなら、何をしても構わないと思うでしょう。しかし、これらのすべては是正する光の力を用いる良いやり方で達成することができるのです。

もちろん、ユネスコの事務局長とのミーティングの間、それについては説明しませんでしたが、いつか説明しなければならなくなるでしょう。これはマルクスがしたがっていたことです。彼は、人々が団結し始め、社会主義を築き始める時、それが実行できないことを目の当たりにするだろうと考えていました。人々は探求し始め、一つの是正手段―上層の力—しかないことに気付くでしょう。これはマルクスが無神論者であった理由です。彼は授与という上層の力以外にどんな神々も信じていませんでした。

単純に自然を観察することで、私達も繋がらないとならないということが学べます。そしてその後、団結を試みることにより、それが不可能であることを発見します。その時に、答えが明かされます。そのためにカバラを積極的に広めなくてはならないのです。世界はますますそれを必要としていくばかりでしょう。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/11/2011, “The Freedom”

新しい世界への移行

新聞記事(TheMarker.com):我々は全く知らない、進化における新しいフェーズに突入している。我々が唯一知ることは、その変化が何よりも問題をはらむ状態であり、それがいつかよりよい将来に導かせるとしても、途方もなく大きい損失と苦難を伴うかもしれないということである。ならば、どのようにして我々はこのフェーズを過ごせばよいのだろうか?

私のコメント:人々は正しく考え始めています。実際に私達は利己的な受け取りに基づいた世界から、愛他的な授与に基づいた世界に向かって移行しています。私達はこの新しい種類の世界が必要であるという理解に向かって移行しています。そして、それは私達が終わる事のない苦しみの道を通ってそこに至るか、又は、自然の計画を理解することを通じてそこに至るのかには関係しません。前者の苦難の道とは、私達が出発し始めたものです。

生じている出来事の理由を人々に説明することにより、私達は自分たち自身と社会を変える必要性と、世界に対する私達の態度を変える必要性があるという認識を早めることができます。しかし、私達がこの地球上で生き続ける為には、エゴ(利己)が害悪であり、それを利他、愛、授与に変えなくてはならないという単なる理解だけでは足りません。私達には私達自身を変化させる力が必要であり、この力は私達の世界には存在していないのです。

現段階では、私達はなぜ人間性の是正方法を有するカバラの科学が、とても特異な方法で私達に与えられたのか理解し始めます。私達はこの方法なしに、なぜ本当の内面的変革が不可能であり、よって生き延びることも不可能であるのかを理解し始めます。過去における変革への全試みは、宗教や様々な信仰体系の出現を導かせました。その結果はあまりにも明らかです:悪は残存した。そして、それらと共に発達し続ける。


エゴイズムのブラックホールの中への最後の転落

受取った質問:どうすれば現在の危機に直面している人が、それは霊的に上昇する転換期であって終わりのない危機の深刻化ではないと理解することができますか?

私の答え:創造のすべては“ひかり”(喜び、授与のエネルギー)と“うつわ”(“ひかり”で満たされたいという願望)から構成されています。“ひかり”は私達の利己的な願望をその最終段階にまで発達させ、願望は“ひかり”によって直接的に満たされることがもう不可能になったと感じるようになります。その理由は喜びが願望を打ち消してしまうからです。例えると、喉が渇いているときに水を飲んだとき、その喜びが水を欲する願望が満たされることによってなくなるということです。

現在の危機は私達の利己的な発達が終わりにきたことを示しています。私達は“ひかり”を自分達のエゴイズムに奉仕さようと使い続けることができなくなりました。言い換えると、私達は自分のエゴが満たされなくなったことに気づきつつあるということです。そして私達は未だに欲望を満たそうと自分のエゴイズムに突き動かされながら、心の中ではそれが無駄なことであると気がついているのです。

しかしながら私達は充足がないと生きていくことは不可能です。よって私達は自分のエゴの命令に従うざるを得えません。たとえ自分の意に反してそうしているのだとしてもです。私達は好きでそうしている訳ではありませんが、自分のいる環境の影響がそれを余儀なくさせています。私達は自分の意に反してそうすることを余儀なくされ、惨めで暗い気持ちになります。これは麻薬や酒などに溺れることの原因にもなっています。

実際これは人生の全側面における危機を招いています。結局のところ私達の人生は“ひかり”を使うことで自分の利己的な欲望を満たすことをベースにしています。願望が“ひかり”の影響によって発達していた期間、私達は発達することを切望していました。私達は新たな渇きをいやすことによって充足されるとずっと信じてきました。そしてこの嘘は私達の発達を促進させてきました。

しかし願望の利己的な発達が止まるやいなや、私達はそれが空っぽであることに気がつきました。このやり方で充足を得ることは不可能であると“ひかり”は私達に啓示しています。これが私達の呼ぶ危機というものです。よって私達は自分達を誤った方向に導くことを止め、その代わりに人生を感じさせる唯一の方法は“ひかり”の特質 – 与えようとすることと愛そうとすることの意向・意図・決意 – を自分のものにすることしかないと理解しなくてはなりません。

私達の地上での発展は終焉を迎えました。そしてその証明として多くの工場は閉鎖されています。なぜなら役に立たない余計な商品はもう必要なくなったからです。ヨットの大きさや銀行預金残高の桁数が羨望の的ではなくなったのです。

人々はこの世界で自分に喜びを与えてくれるものがもう見つけられなくなりました。結局のところ、どんな星も明るさに関係なくいつかは薄暗くなります。そしてエゴイズムの最終段階というブラックホールのなかに吸い込まれながら私達も衰えつつあります。このエゴイズムは何もかもを飲み込み、なにもそれから逃がれることはできません。そのなかには暗闇だけがあるのです。

カバラの英知を広めることだけが私達に自分の性質を改善する能力を与えます。「そして暗闇は“ひかり”のように輝くだろう。」と記されているように。

人生の波乱には目的があります

今日私達は極めてまれな苦境に立たされています。自然は私達が分裂していてお互いを憎んでいることを示しています。私達のエゴイズムが破壊的なものだと。また私達は地球レベルでお互いに頼らなくては生きていけなく、私達の意に反しながらも誰もがお互いに繋がっていることも示しています。

私達にはお互いから逃避できる場所などありません。私達は自然の法則に従うしかなく、自然そのものがそれを強要しています。人間による現在の人工的状況がそうさせているのではないのです。もし私達が自然法則に従わないのなら状況はもっと酷くなり、自然との不和がより強い打撃と苦しみを人類に与えて人類絶滅の危機にさえ落入るでしょう。これら全てが起こる理由は私達のエゴイズムにあります。

私達は自然から追放されている状態にいます。この状況から解放してくれるものはあるのでしょうか。それはあります:私達の救いは、正しい人間関係を結ぶことと私達を取り囲む自然環境との正しい関係(繋がり)をつくることにあります。これは私達に自然との調和がとれた不可欠な一部になる機会を与えてくれます。

もっとも重要で急がねばならないことは、各々が私達の生存 – 食糧、水、気候、健康、精神状態、スピリチュアル状態 – がもっぱら自然との調和だけにかかっていることを理解し実感することです。実際に、これが私達の人生における波乱の目的なのです。私達が経験するすべての出来事、状況、状態は、私達を押し動かす内面的な力 – クリエーター – の発見を助けるために意図されているものなのです。苦労とストレスはクリエーターを知覚することを学ばせて、全てのことにおける隠れた理由がクリエーターにあることを気づけるようにさせます。

これが危機が波状的に起きる理由です。危機の目的とは、私達の世界に存在する悪いことのすべては私達の間にある憎しみによるものということを啓示することです。そのあとに私達はこの憎しみとは完璧からの追放と同じことであり、憎しみを乗り越えることが私達をこの追放からときはなしてくれことを理解するのです。

利己的な交換の時代は終わりました

現在の危機的状況は、私達を互いから利己的に孤立させるピークの段階に達しました。そしてこのために私達はどんな集団的行動もできなくなっています。今日の私達は、何かを与えその代わりに何かを受取るという交換をすることさえできなくなっています。すなわち、私達は何かを得る為に与えることさえもできなくなったのです。

私はお金を銀行に預けその預金を取り戻すことができない。私は誰かの為に働いて給料を貰うことができない。ビジネスの所有者は商品を売って利益を得ることができない。このような相互的な交換がもう機能しなくなったということです。

こういった理由で私達は他者のためにケアするという態度に移行せねばならないのです。快適な暮らしに必要なものをすべて手に入れる為にはこうする以外に方法がありません。

以前の私達は、他者に配慮することも何かを代わりに与えることもしないで獲得することができた世界に住んでいました。言い換えると盗んでいたということです。旧約聖書に「行って、お互いから得るのだ」と語られているように、数千年にもわたる私達の文明の歴史のすべては、交換と交流の歴史でした。

しかしながら今日、この利己的な交換の時代は終わりました。あなたは何かを受取る目的で与えたり受取ったりすることはもうできません。ではどうすれば生活できるのでしょうか? 何をすればよいのでしょうか?

人類はまだ自分達の新しい状態を実感していません。人々は未だに古い規定(レギュレーター)が使えなくなったことを理解していません。今後は全ての人々が世界と相互的に完全に繋がることでしか生きていくことができないことも理解していません。これはグローバル世界、完全な世界の必要条件です。この必要条件は「相互保証」と呼ばれるものです。

人々は唯一他者を通じることによって繁栄を獲得できるのです。そしてその決めては私達が他者にどれくらい親切に配慮をするのか、そしてどれくらい他者に与えることを望むのかによります。今日の危機はこうすることを私達に余儀なくしています。

自然は私達を相互連結なかに閉じ込めている

受取った質問:現在の危機は私達の悪行に対する自然からの罰ですか?

私の答え:自然の中に罰のようなものは存在しません。危機とは現在明かされている私達の関係における新体系と私達が相違していることの反映です。これが、どんな危機解決策も経済に対して何の効果もないことの理由です。これらの試みは人間のエゴイズムが悪であるという認識を加速するだけです。

私達に必要なものは全く新しい手段です。それは人間の意識を変革させる利他的なものです。全世界の人々は私達が人間関係における新体系に突入したことを理解しなくてはなりません。

自然は私達を一緒に縛り上げ、閉じ込め、錠を掛けたのです。それだけです。私達は互いに連結されたのです。私達は数千年をかけて私達のエゴイズムの発達における頂点に達し、今日の私達が完全にお互いに結ばれていることに気がつきました。

これは人類の存在における次なるスピリチュアル段階の啓示です。その段階の中で私達は全体を含んだ1つの体をつくります。私達はそれに逆らうことはできません。[単細胞生物が多細胞生物に進化したように、自然進化には万物を統一に向かわせる指針があります。宇宙の塵が引力によって集まり恒星や惑星が形成され、またそれらが集まり太陽系、そして銀河系を形成することも同じ理由です。人間に一般自然法則を変えることはできません。よってそれを学び、それに調和して生きていくことが最も懸命なのです。]

これが、単に世界の一部ではなく全世界の全員が苦しんでいることの理由です。結局のとこ私達は一体であり、一体の中に存在しているので、足が痛い時に頭がその痛みに気がつかないということはありえません。

株式市場の上昇は嵐の前の静けさ

受取った質問:先々週からの二週間でNASDAQは20%の上昇を見せました。これは経済危機の終わりを示唆しています。どう思われますか?

私の答え:株式市場はゲームです。それはなんの現実的な根拠または理由なしに急上昇することがあります。ピラミッドスキームを作った人達はそのスキーム作りを止めましたか? すべての人が彼らは破綻すると思っている間に、彼らは政府からの何十億ドルもの資金をむさぼり食いながら、もっと巧妙な手口でピラミッドを構築しつづけています。

今のところエゴは勝利を祝っています。しかし本当の解決策やどんな是正案も何もなされていません。エゴは前と同じように続行していて、次の大惨事をゆっくりと作っています。ですから、もしあなたが全てが直されて普通に戻ったと考えているのなら、あなたは可能な限り最悪な状況にいます。それは攻撃を始める準備をすすめている敵に包囲されながら、その状況に気がついていないようなことです。

あなたはエゴが最終的に浮上し状況が前回よりもさらに悪くなることを確信するでしょう。しかし今のところはすべてが良好にみえます。結局皆がもうけて、誰も何も失わなかったというように。

増大する人間のエゴを調整するものが何もないということは事実です。経済学は科学ではなく、単に人間のエゴイズムの追求です。よって経済の全体は、最小限を与えて最大限を獲得すること、もしくは可能ならこっちの支払いなしに相手に請求するということに基づいています。よって経済とは合法的な盗みに近いのです。考えて下さい。私達の関係にある合意や契約とは何ですか? 単に相手から力ずくで財産を奪えないという理由で、財産の交換をするのです。他に選択肢がないので相手に何かを代わりに与えないといけないのです。

経済とは私達のエゴイズムの反映です。そして私達のエゴイズムは常に増大しています。それはどんなものとの結束や協調も好まず、全ての人を搾取するために私達をはねつけます。ではどのような調整がありえるのでしょうか?

エゴイズムを調整するものを作るには、人間関係において守らなくてはならない2つのルールがあります。”自分にされたくない事を他者にしないこと”。そしてその後に”自分のように隣人を愛すること”です。しかしながら、調整案を探しているエコノミストの向かっている方向は確かにこれらとは違います。よって何も見つけることができないでいるのです。その間、次の大惨事は遥かに質的なものになるでしょう。それは必ずしも金融システム、株式市場、銀行から来るものではありません。それは、流行性の病気や異常気象などの形で訪れるかもしれないのです。

何の是正も行っていないのにもかかわらず、危機が一時的に収まったという事実は、次の大惨事が近いことを示唆しています。現在の株式市場の上昇は問題の中断でも終わりでもなく、それはプロセスの速度を証明しているだけで、危機の第二波がそう遠くないことを意味しています。

経済危機とは実際は上層の光の欠如です

人が自身のエゴに奴隷化されていると感じるとき、この感覚のことを“追放(exile)”と呼びます。追放とは人生のなかでプレッシャーを感じる時のことです。それはこの世の人生から上層の人生に行く時に起こる陣痛によく似ているものです。

今日、私達が人類における様々な問題を直視するに従い、私達はこの偏在する追放の感覚が、近い将来のうちに全世界に広がり、すべての人の中で現れるようになると理解しておくべきです。これは徐々に起こります。その理由は、各自が自身の個人的な成長段階と心理段階にいるというなか、大多数の人々に起きるためです。人々が自分の欲しいものすべてを手にしていたとしても、喜びを貰いたいという利己的な願望は各自のなかで膨張し、すべての人が人生において悲惨な憂鬱、暗闇、そして不満を経験するようになります。その間、私達が直面する不幸は徐々に質的なものになっていきます。

しかしがら、それらの不幸は失業と食料不足というものではなく、その全く逆で、それらは私達の心理的な部分で生じます。人は自身に新しい活力を与える手段を失い、常に不満を抱えるようになり、絶望感に襲われます。

現在の諸問題はすべて物質的なレベルで起きているように映っているかもしれませんが、実際のところ、これらはスピリチュアルな問題であることが後に明らかになります。結局のところ、創造の目的とは全ての人をクリエーター(授与と愛における特質または力)と類似するレベルまで発達させることなどです。

もし個人の中で“心の中の点”―スピリチュアリティに対する欲求(授け与えることに対する欲求です。他の“スピリチュアリティ”の定義と混同しないでください)―が目覚めていないのなら、その人は全ての現象を自分の肉体の存在を通じることでしか理解できません:食べ物、家族、社会の状態など。よってそのような人は現在の諸問題がスピリチュアルなものだとは認識できません。

たとえ個人に欠けている喜びがスピリチュアルなものであったとしても、それが自分に欠けているものだとその人が理解することは不可能です。唯一、肉体的な人生において何か悪いことが起きたときに、その人はスピリチュアリティの欠如が自分の気分がよくないことの原因だと理解しはじめます。このようにしてエゴイズムは私達の中で4段階(無生物、植物、動物、人間)にそって徐々に膨張し、動物の段階がスピリチュアルな段階を出現させるのです。

これは、なぜ世界全体が経済危機状況にあるのかということの理由です。なぜ危機が特に経済的なものなのでしょうか。これら全てのことと経済に何の関係があるというのでしょうか。実際のことを述べると、私達の全員が理解できる言葉はまさに経済のことしかないからです。しかし実際には、それは「ひかり」の欠如です。

危機は自然のプログラムと是正方法を私達に受け入れさせる1つの手段です

受取った質問:もし自然の目的が人間を一般支配統制の認知に至らせることだとしたら、全社会システムと私達の個人的人生におけるコントロールの完全なる欠如およびの力の喪失という反対の状態にさせている危機の意図はなんですか。もし起きているすべての事が全く反対なら、この状況がどのように私達を一般支配統制の認知に至らすことができるのでしょうか。

私の答え:それ以外の方法でどのようにそれが起きるのですか。人々は財政面、軍事面、まったくのすべてにおいてコントロールを失っています。親は子供を、そして先生は生徒達をコントロールできなくなりました。人々は家族そして本能さえもコントロールできなくなりました。世界で起こっている事を見て下さい。私達はすべてを歪曲しました。私達は精神病に苦しんでいます、自殺や麻薬依存も増加しました。子づくりの自然的手段からも離れました。等々。世界で何が起きているのか見て下さい。これらすべては何について語っているのでしょうか。

それらは世界が制御不能になっていることを私達に示す自然の手段です。たとえ私達がこの危機を通じて何かポジティブなことを遂行できると思う理由で、互いとの関係を築きたいと望んだとしても、それが不可能なことであると発見するでしょう。すべてのひとはただ自分の地面の上に立ち、誰も他者との繋がりを探そうとはしないでしょう。たとえ「しかし、このように振舞ってては死んでしまう!」と言われても、自分達が完全に無力である事を発見し「でもそれ以外のやり方はできない!」とただ答えるだけでしょう。すべての人が自分の性質にはかなわないことを思い知らされるでしょう。言い換えると、私達の内面にある悪を露呈する為には、このような状況が必要ということです。

人々はカバラの科学 – 自然のプログラムと是正方法 – を明かさなくてはならなくなります。そこにある選択肢は、自然が非常に大きくて計り知れない苦難を私達に経験させてカバラの科学を強制することか、カバラの科学を世界に明かしているカバリストを受け入れることのどちらかしかありません。

村落生活に戻ることで危機から救われることはない

ニュースより(Newsland.ruの記事から):約百人からなるある集団が危機を乗り越える為にコミュニティー(村落共同体)を結成した。「私達は完全に自給自足しています!」とそのコミュニティーのメンバーが誇らしげに言います。「私達は自分達の家畜を飼育し、パンを焼き、自分達の食料を生産しています。クッキーでさえもです。私達は危機を気にしていません!」そのコミュニティーのメンバーにはお金の必要がない。そこには彼らが所有する学校と幼稚園もある。彼らは完全に自給自足の生活を営んでいる。

 私のコメント:彼らはあまりにも子供じみています。自然に近いかたちになって危機を乗り越えるほうがより簡単ということは誰から見ても明白なことですが、この傾向は実際には私達をグローバリゼーションに至らした自然に反することです。私達には私達を進化させる自然の力を見ることはできません。よって私達は、自然に対して、無生物、植物、動物といった自然環境における段階を関連づけます。自然には目的があり、それが私達を定められたゴールに向かわせているということを拒否しながら。

 保護主義になり社会から離れる傾向は、非社会的および非グローバルなことです。それが1つの国の中または全世界で起こっていることに関係なく、そのような傾向は社会の繋がり(結束)を弱めさせます。それは自然の摂理に反することであるという理由から、それが成功することはありません!