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鷹の翼に乗って空高く

ワールド・ゾハール・コンベンションは新たなフェーズの始まりを示します。コンベンションは私達を著しく変化させました。私達は如何に世界が最近の出来事の光のなかで変化していることも感じます。その問題はただ激しさを増すだけでしょう。

私達は究極の目的地に到達しなければなりません。想像してください。人類がマラソンコースの上で痛めつけられる走者であって、これらの打撃が人類に力を与え、ゴールまで走り続かせるということを。人類は走ってゴールにたどり着かなくてはなりません。私達には時間制限があり、ゴールに到達する以外に選択肢はありません。私達に選べる事とは、ゴールにたどり着きたいという願望を持って走るか、打撃が来るのを待ってそれらを逃れようとゴールまで走るかだけです。

三番目の道もあります。私達は一つになることで、私達の内部にある力を誘発させ、ゴールまでの上昇を簡単にさせます。それは鷹がヒナを運ぶように私達をその翼に乗せて引き上げてくれます。

しかし、私達は自分たち自身で鷹―Bina―の翼に乗ってこの世界を置き去りにすることはできません。私達は全世界と繋がった状態を保たなくてはなりません。私達が全ての人々のことを考え、自分たちを全ての人々に捧げない限り、私達が上昇することはないでしょう。これは矛盾しているようにも思えます。しかし、世界は崖っぷちに立たされていて、私達は世界が鷹の翼に乗るよう助けなくてはならないのです。

Post Zohar Convention Lesson 5/11/10


どのようにして人類は統一できるのか?

私達の全作業は、私達の間の空間を満たしているクリエーターによって実行されています。それゆえ、人類が自分たちの力だけで統一しようという全ての試みが、どれだけ無駄か想像できます。

現在、人類の世界的な問題は明らかであり、私達は共に縛られた状態にあります。それによって私達は上層システム—私達のつながり—が啓示されるのを目の当たりにします。私達は何らかの合意に達しよう、この段階で一定の関係を確立しようと努力していますが無駄です。妥協の成立が可能だったのは、世界システムが明らかになった時まででした。今日それはもう機能しません。

この理由から、私達の間の空間を満たしているものが誰なのか明かさねばならないのです。この“媒介者”—クリエーター—なしには、誰も他者との関係確立を達成できないでしょう。これゆえに私達は、家族関係、子供や親戚との関係、そして事実上すべての人との関係において危機感を抱いているのです。そして、これらの問題は単にいっそう深まるだけでしょう。


カバラの集会は世界の是正にどう影響を及ぼすのか

受け取った質問:私たちがカバラの集会に参加することは、どうように世界の是正に影響を及ぼすことができますか?

私の答え:それは必ず世界の是正に影響を及ぼします。なぜならそれは統一の行為であるからです。私たちの間のどんな統一の行為も、クリエーターとの接触に近づかせる新たな一歩になります。そのような行為のすべては、私たちを引っ張り彼により近づけさせる包む光を引き寄せます。そして私たちを通して、その光は全世界に広がります。

私たちの使命と責任について私たちが考えれば考えるほど、それはますます効果的に働きます。その理由は、それがクリエーターに満足をもたらし、創造物のよい未来に貢献することになるからです。私たちの間の統一の箇所が強ければ強いほど、私たちはますますクリエーターの近くに引き寄せられます。

カバラなくして世界の問題解決は可能か?

受取った質問:カバラの科学に頼ることなく、単に人類が団結およびE.U.(ヨーロッパ連合)や世界政府のような組織の確立の必要性を認識することで人類の問題解決は可能でしょうか?

私の答え:全ての物を全ての人がシェアできるように、私達が1つの心をもつ1人の人間のように団結しなくてはならないと、自分達と他者が納得しはじめたと仮定してみて下さい。そのような目標を私達に達成できるでしょうか? ナチス政権のドイツや共産主義のロシアがした同じ事の繰り返しになるでしょう。

こうした理由でカバリスト達は世界を変えるためには是正する力を引き寄せなくてはならないと警告するのです。言い換えると、世界の改善は高級な力を世界に啓示するカバラを使うこと以外には不可能ということです。この上位の力の助けをかりて世界は正しい状態になれるのです。

こうした理由で、政府やG20サミットが解決策を見つけるのを待つことには、その価値がないのです。だれも解決策を有していません。世界は発展するにつれて、救済の手段がないことを認識するようになります。人類はその発展、追求、無数の口実といった過程のなかで、人類には解決策がなく世界が壊滅寸前であることを発見する一方で、私達はカバラの科学を広めていきます。まさに崖っぷちに立たされた状態になったとき、私達カバリストは世界と共になるでしょう。

私達の完全な世界は始まりも終わりもない円形です

受取った質問:同時に他人を憎むことなくして、どのようにして人は自己のエゴイズムを憎むようになれますか?

私の答え:今日の世界における問題は、誰もが責任を他人のせいにすることです。しかし閉鎖した完全な体系に関していうのなら、その中にいるすべての人に責任があります。誰も正しくもないし、間違ってもいません。もし悪が存在するのなら、その原因は私達全員にあるのです。

もし全ての歯車が互いにかみ合っているなら、賞罰を免れる歯車は1つもありません。全てが繋がっています。誰かが回転しなければならないとは言えないのです。または他人の理由でその他の人の回転を強いることもできません。すべてが同時に動いているのです。したがって私達の是正は相互的でなくてはいけません。これが意味することは、私達の皆が同時に決心するということ:「逆方向に回転することを止めよう。他人のために一丸となって同じ方向に回転しはじめよう。」

世界で起きていることの責任は全員にあります。そこには加害者も被害者もいません。私達全員に全ての悪い事と良い事におけるまったく同じ責任があります。この理由は、私達が完全な世界に住んでいて、完全な世界は始まりも終わりもない“円形”で表現されるからです。よって誰々に責任があるということはありません。すべての人が人間社会で起きている全出来事に加担しているのです。

私達は何も欠けていることのない全部がそろった完全な体系における属性(特性・特質・性質)を獲得し、すべての人に対する扱い方を変えなくてはいけません。もし私が自分自身の“悪の認識”に到達したのなら、自分だけが世界における犯罪者だと実感するようになるでしょう。

世界危機の責任は私達の皆にあります

現在の世界情勢はすべての人とあらゆる事柄が相互的に繋がっていることを示しています。全世界が完全化(グローバル化)したことにより、全ての人のする行為はまさに全世界からの影響の結果です。私達が正しい社会を築くまで各個人も是正されません。ゆえに行為もです。

これから推論できることは、銀行家、政治家、テロリスト、又はその他の人々の行為を非難することはできないということです。なぜなら私達がこの世界情勢を作った張本人だからです! 私達は起きている全ての出来事における共犯者です。なぜなら私達の一人一人が世界の仕組みを作っている必然的な一部であるからです。私達は、各自に責任があって与えられるべき懲罰を受けます。

個人の利益と社会全体の利益の間には何の違いもありません。それらは同じです。私達全員が閉鎖体系の構成部分であり、皆が家族の一員として共通の感覚を共有しています。私達は皆お互いに繋がっているのです。そして私達の閉鎖体系を支配している法則について無知であることは、それらの法則を破ることから受ける罰から私達を守ってはくれません。

世界に罪があるかぎりあなたは高潔になることができません。なぜならあなたも世界の一部であるからです。全ての人が与えられるべき罰を受けるのです。この先、誰かの損失で勝ち組になれる人は誰もいません!

ジョー・スミスの物語と世界の相互依存

ジョー・スミスの一日は目覚まし時計(日本製)の音に目を覚まし始まった。コーヒー沸かし器(中国製)でコーヒー入れている間に、カミソリ(香港製)を使いひげを剃った。その後にボクサーパンツ(スリランカ製)とジーンズ(シンガポール製)を着てランニングシューズ(韓国製)を履いた。

電気調理器(インド製)で朝食を作ったあと、彼は今日の生活費がいくらなのか計算するために計算機(メキシコ製)を取り出した。腕時計(台湾製)の時間をラジオ(インド製)で確認したあと、彼は自動車(ドイツ製)に乗り、ガソリン(サウジアラビア製)を満タンにし、米国での給料の高い仕事を探しにいった。

今日も仕事が見つからなかったジョーは帰宅後、すこしリラックスするためコンピューター(マレーシア製)の前にすわり、スリッパ(ブラジル製)を履き、ワイン(フランス製)を一杯注いだ。そしてテレビ(インドネシア製)をつけながら、米国にいる自分がなぜよい仕事を見つけれないのか不思議に思った。しかし彼はアメリカの大統領 – ケニヤ製 – が救ってくれることを願うのであった。

私のコメント:もしジョーが上記の製品の部品のことまで調べたとしたら、彼はそれらの生産に全世界の国が係っていることがわかるでしょう。

新しい現実とはユートピアではなく自然法則のことです

受取った質問:あなたの描く世界はユートピアのように聞こえます。いくら人が他者の利益のために働きたいとしても、その人は自分が搾取されることを心配します。

私の答え:私はユートピアについて語っているのではありません。私は人々が相互に繋がった新しい世界に住んでいることを理解しはじめていると提言しているだけです。

あなたは完全な世界における法則について精通していますか? 閉鎖体系の機能の仕方、その中に存在する調和、その体系を構成する全ての部分が従っているプログラムについて、どんな科学者にも聞いてください。

自然は私達に自然及び互いにおける完璧な調和に即刻に達しなさいと要求しているのではありません。そうではなく自然は今私達に覚醒させるための影響を及ぼしているのです。そして自然はこのことについてもっと研究できる機会を提供しているのです。

子どもは人生の最初の20年間、この世界のなかで意識的に正しい人生を送るための準備過程を経験します。もし子どもがまだ世界がどのような法則にしたがって働いているのかについて学んでいないとしたら、私達はその子をこの大きな世界の中に置き去りにすることができますか? もちろんできません。こうした理由で保育園、学校、大学等があるのです。そしてこれら全ては子どもが私達の知る古い世界を理解するためだけのものです。

今日の私達は皆、子供のようです。そのため人類を教育することから始めることが重要なのです。今までの人類は”最小限の努力で最大限の収穫を得ること”という利益の法則 に支配された世界での生活の仕方について学んできました。しかしながら今日では、古い自然法則が新しい法則 – 相互連結(インターコネクション)の法則 – に取って代わりました。これは以下のことを意味します。私達が1つの体系に存在していること。よってあなたは利益を私よりも多く得ることはできないこと。またどちらか一人が苦しめば、私達の両方が苦しむことになること。

こういった理由であなたは相互連結された[格子状にお互いが繋がっている]体系を学んで、新しい行動規範を自分のものにしなくてはならないのです。唯一その後になってこの新しい世界での生活の準備が整います。そしてこれはあなただけに対してのことではありません。世界全体がこの学習過程を経験しないといけないのです。

経済危機とは実際は上層の光の欠如です

人が自身のエゴに奴隷化されていると感じるとき、この感覚のことを“追放(exile)”と呼びます。追放とは人生のなかでプレッシャーを感じる時のことです。それはこの世の人生から上層の人生に行く時に起こる陣痛によく似ているものです。

今日、私達が人類における様々な問題を直視するに従い、私達はこの偏在する追放の感覚が、近い将来のうちに全世界に広がり、すべての人の中で現れるようになると理解しておくべきです。これは徐々に起こります。その理由は、各自が自身の個人的な成長段階と心理段階にいるというなか、大多数の人々に起きるためです。人々が自分の欲しいものすべてを手にしていたとしても、喜びを貰いたいという利己的な願望は各自のなかで膨張し、すべての人が人生において悲惨な憂鬱、暗闇、そして不満を経験するようになります。その間、私達が直面する不幸は徐々に質的なものになっていきます。

しかしがら、それらの不幸は失業と食料不足というものではなく、その全く逆で、それらは私達の心理的な部分で生じます。人は自身に新しい活力を与える手段を失い、常に不満を抱えるようになり、絶望感に襲われます。

現在の諸問題はすべて物質的なレベルで起きているように映っているかもしれませんが、実際のところ、これらはスピリチュアルな問題であることが後に明らかになります。結局のところ、創造の目的とは全ての人をクリエーター(授与と愛における特質または力)と類似するレベルまで発達させることなどです。

もし個人の中で“心の中の点”―スピリチュアリティに対する欲求(授け与えることに対する欲求です。他の“スピリチュアリティ”の定義と混同しないでください)―が目覚めていないのなら、その人は全ての現象を自分の肉体の存在を通じることでしか理解できません:食べ物、家族、社会の状態など。よってそのような人は現在の諸問題がスピリチュアルなものだとは認識できません。

たとえ個人に欠けている喜びがスピリチュアルなものであったとしても、それが自分に欠けているものだとその人が理解することは不可能です。唯一、肉体的な人生において何か悪いことが起きたときに、その人はスピリチュアリティの欠如が自分の気分がよくないことの原因だと理解しはじめます。このようにしてエゴイズムは私達の中で4段階(無生物、植物、動物、人間)にそって徐々に膨張し、動物の段階がスピリチュアルな段階を出現させるのです。

これは、なぜ世界全体が経済危機状況にあるのかということの理由です。なぜ危機が特に経済的なものなのでしょうか。これら全てのことと経済に何の関係があるというのでしょうか。実際のことを述べると、私達の全員が理解できる言葉はまさに経済のことしかないからです。しかし実際には、それは「ひかり」の欠如です。