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世界の全ての恐怖を吸収する

現在の世界状況は、我々が感じて、見て、そして知っているよりもずっと悪いです。確かに我々がそれについて話さないのは、政治家たちや経済学者らがパニックを引き起こしたくないからです。彼らには危機についての問題の解決策がありません。彼らには解決策がなく、どうあがいても仕方がありません。なぜ無駄に慌てるべきなのでしょうか?  彼らは正しいです。

しかし我々は、飢え、干ばつ、寒さ、ショック、そして現在あらゆる面から近づきつつある予期せぬ出来事に対する恐怖に陥っている人々に提供する必要があります。我々は世界における全ての動物的な恐怖、つまり生き延びることの恐怖を吸収しようと努力すべきです。それらはあの力、すなわち包む光(オアー・マキフ)を引き寄せて明かすことの手助けになります。包む光は我々を通り抜け、世界へと行き渡り、あらゆることが沈静化するでしょう。全ての国々、社会、そして人々は交流し始めるでしょう。なぜなら彼らはこれが世界を均衡にもたらす唯一の方法であると理解するからです。つまり、自然における無生物でも植物でも動物でもなく、唯一人間だけが調和を乱していて、人間の利己的な行為が他のすべての妨げになっているということです。

我々には不安が欠けています。内面的ヒステリーに欠けています。それがあれば、より簡単でしょう。

我々の問題は、我々がこの世から切り離されていて、より高い場所のどこかで静かな片隅を見つけようとしていることです。これはよくありません。そうではなく我々は、一方でゴールの重要性、他方で内面的な恐怖といった精神状態を見つけるべきです。なぜならこれらだけが、我々のエゴイズムをかきたてるからです。恐怖とゴールの重要性は、我々を後ろから押し(恐怖)、 前へ引き寄せる(ゴールの重要性)二つの大きな力です。それらは我々が1つになることを助けます。

我々は危機に関連して発生する世界の否定的な感情のすべてを世界から吸収し、それを我々の発達の力に変えようと試みるために、我々自身にプレッシャーをかけるべきです。実際、発達は「否定の否定」という法則に従って生じます。我々がいくらか通常に感じるまでは、次の状態には達しないでしょう。苦しみ、または、ゴールの重要性だけが、それが自分に無くて苦しむ時、我々を前方に進ませます。

苦しみには二種類あります:感情の欠如による苦しみと満たされていない愛からくる苦しみです。

From the Preliminary Lesson 8/16/12, Kharkov Convention “Uniting to Ascend”

皆で一緒に求めよう

我々の状態におけるクリエーターへの訴え、つまり祈りは集団でのみありえます。さもなければクリエーターは聞き入れません。人々が集まり、一つのハートを共有する一人の人間のように同じ意見になり、心一つに団結するときにおいてのみ、彼(クリエーター)は聞き入れるのです。その理由は、そうして彼らが集団的欲求を創り出すからです。

彼らの求めるものは何でしょうか? それは、彼(クリエーター)が彼らを是正し、持ち上げ、満足させることなどです。

一人は何の価値もなく、何の意味もありません:そのような祈りは存在しません。あなたは好きなだけ叫ぶことができますが、それは荒野で泣き叫ぶ者の声になるでしょう。もし10人が集まるのなら、彼らがどのように叫んだとしても、また、偽ってでさえも、彼らの訴えは考慮に入れられます。なぜなら彼らがお互いにつながろうと努力しているからです。

From the Kharkov Convention “Uniting to Ascend” 8/17/12, Workshop 3

世界の教師

質問:コンベンションの休み時間の間、書籍やインターネット等のプレゼンテーションが行われる予定です。これはコンベンションの内的流れから気を散らせないでしょうか?

答え:事実は、私達が世界へ公表しつつある事について、常に考え続けなければならないということです。ある人がコンベンションを去り、帰宅し、次は何をするのでしょうか?

私達の上昇は、幅広い方法による普及活動に依存しているため、全ての人に、私達がしていることが一般的に何であるのかについて、いくらかの知識を与える必要があります。それはインターネット、書籍、講義、ワークショップ、ラウンドテーブル等です。私達はこの全てを皆に示さなければなりません。そのような理由で、休み時間の間、短い15分のプレゼンテーションがあるべきなのです。

何を持って私達はコンベンションを去るのでしょうか? 私達は、世界の中に更に持ち込む必要のある物を持って去ります。私達それぞれが講師となったり、ワークショップのオーガナイザーになったり、情報の配送人などになるよう試みるべきです。私は、あなた達ひとりひとり全てに対して話しています! これから世界はインテグラル(統合・全体的)な手法を必要とするでしょう。今でもそれは必要とされていますが、まだその必要性に気づいていません。そして数ヶ月もすると、あなた達は彼らがあなた達の後を追って走ってくるのを見るでしょう。あなた達は必要とされるでしょう。なぜならあなた達を除いて誰も、どんな場合でも正しい結果を得るためには何がなされるべきであるか、感じ取れる人はいないからです。あなた達にそれができる理由は、インテグラル(統合・全体的)に考えるからです。

あなた達は世界の教師になるでしょう。首相達や銀行家達、そして普通の労働者達のアドバイザーになるでしょう。なぜなら、あなた達は、何故(社会の)この出来事が起こり、他の場合には起こらないのか、見ることができるようになるからです。これは「祝福を取りに来なさい」と呼ばれます。あなた達は要求され、必要とされるでしょう。それゆえ、あなた達は依然として、普及活動に取り組まなくてはなりません。

From a Virtual Lesson 7/29/12

私よりも達成して!

質問: 誰もが自分自身を超えることができるよう、どのようにして私達はこのコンベンションで互いに助け合うことができますか?

答え: まず第一に、もし自分が自分自身を超えることについて考えているのならば、私はそうして他者を助けています。 自分の個人的な「ボートの底の穴」を「ふさぐ」ことで十分なのです。これが1つ目。

第二に、もし自分が他者について考え、彼らのことを気にかけるならば、私は彼らを助けます。第三に、自分の他者に対する心配は、友人たちが多くの障害に立ち向かって、多大な努力、時間、力、そしてお金を費やしたことを見て、彼らのほうが私よりもスピリチュアルな達成にふさわしいので、自分の努力が彼らのスピリチュアルな達成に貢献するような状態に達したいと思うという事実で表現されます。

彼らが正しい意図(真の欲求、私達の繋がり)から離れないことを、私は心配します。私は自分の欲求の中でとても心配しているので、彼らは「落下」しません。それだけについて考えてください。

この心配は私達の状態で実行できる最高の保護(防御)であり、それは誰一人として私達の間のこの相互保証を止めないことを確実とし、私達は常に私達自身のエゴを超越します。自分のすべての子供たちを大切に思う母親のように、自分の友人たちのことだけを考える気持ちを失わないよう、全員が警戒すべきです。

From Lesson 1, Arvut Convention at the Arava Desert 11/18/2011

光の形を採用する

質問:我々は、まだ外界の痛みを十分に感じません。 どのように我々はグループ内で働くことによって、この状況を是正することができますか?

答え: できるだけ早くこの痛みを感じる方がよいです。 それは病気のようなものであり、初期の段階でそれを見つける方がよいのです。 世界はちょうど危機に陥り始めたところですが、今日の問題が誰にでも影響を及ぼすという理由から、世界はすでにそれに恐れを抱いています。 我々はその時が来たことを目にしており、危機の原因とその解決を説明する資料を広めなければなりません。

アメリカ、ヨーロッパ、中国と日本を含む全世界は問題を抱えています。 全員が起こっていることに恐怖を感じており、誰しも明日に何が起こるのかを知りません。 何人かは、遠くから危機を見ています。例えばドイツです。 しかし、彼らこそより怖がらなくてはなりません。 より高く上がった者は、より低く落ちるのです。 もし明日にすべての証明されたメカニズムが突然に機能停止するならば、我々は何が起こるのか想像することさえできません。

どうしてそんなことが可能なのだろうか?人々は朝起きて、仕事へ行き、その他もろもろ・・・。

しかし違います。そういうわけにはいかないのです。我々は自然の統合されたシステムに位置していることをまだ理解していないのと同時に、我々自身も統合していません。我々はまるで四角いものを丸い穴にに挿入しようとしているかのようです。実際は、我々の形は、システムのそれに似ていなければなりません。この形は簡単ではありません。なぜなら、我々は幾何学について話しているのではなく、我々の性質について話しているからです。

今日、全人類は新しい形(光と一致する正しいフォーマット)を徐々に採用していかなければなりません。これは非常に大きな問題です。我々のために是正を実行する光を引きつけた場合に限り、我々はそれを解決することが可能です。これがこう言われる理由です:「私は邪悪な性向を創った、私はスパイスとしてトーラーを創った、なぜならその中の光が改心させるからだ。」

我々がこれを理解し、それを他者に回すことができることを望みましょう。

From Lesson 1, the Germany Convention 8/5/2011

猛犬に注意!

質問:私は他者に憎しみを感じながら、まるで自分より強い「動物」が自分の内側に隠れているように感じます。どうやってそれを支配する力を得ることができますか?

答え:エゴを支配する力の獲得は、一つの条件下においてのみ可能です:自分たちをコントロールするその「動物」のせいで失うものが、どれほど多いのか分かったとしたらという条件です。私達は自分たちのエゴによって支配されており、それは良くて優しい世界における永遠で完ぺきな人生を、私達に達成させません。

もし私が自分のエゴが自分からどれほど盗み、そして、自分からどれほど取り、自分に何も与えないことが分かったとしたなら、私はそれを憎むでしょう。しかし私はそれを嫌ってもいないし、愛してさえいるのです。私は自分をそれと同一視します。なぜなら実際に自分の全人生はそれを満たすことであるからです。どのようにして私は自分のエゴを自分の死であると感じることができるのでしょうか。

私にできる最も重要なことは、スピリチュアリティに対する重要性、つまり与えることと他者との一体化の重要性を高めてもらうために、グループ・環境に入ることです。なぜなら特にこのおかげで人間レベルの人生を明らかにするからです。もし私が環境から印象付けられ、環境が自分に影響を及ぼすことができるのなら、私は自分のエゴに打ち勝つために十分な力を獲得します。

私達の作業と努力のすべては、悪(私達の利己的な願望)の認識に達するために欠かせません。現在それは自分にとって有益に見えます:望めば望むほど、より多く稼げ、ますます権力を獲得し、もっと盗める。もっと、もっと、もっと・・・。私達の社会の中で大きなエゴを持っている者たちは、より成功しているように見えるのです。

この世の中で良い人生を手に入れることは、スピリチュアルな美しい人生を自身から奪い、ここ、この世界の中で良い人生を描いて私に嘘をつくのだと、自分自身に言い聞かせないといけません。これは、私を本当の意味で洗脳し、私に影響を及ぼし、私を説得することのできる環境の中でのみ可能なことです。環境の考えが私に強い影響を与えるため、私は自分のエゴイズムの力を超越したくなります。

その後、今まで感じたことのなかった異なるレベルで人生を経験し始めるでしょう。それは一瞬にして起きます。つまり移り変わりがないという意味です。私が絶えず自分自身をできる限り満たしたかったとき、私は自分の中ではなく自分の外側に人生が存在しているとすぐに感じます。それどころか、私は何も吸収することのできないこの“動物”から脱出するときに人生を感じるのです。

この第一歩を踏み出すことにより私は上層の世界をすぐに明らかにします。“上層の世界”とはいったい何でしょうか。現在私が生きている現実を“この世”と呼びます。私が自分自身の外側で感じる現実、私の友達とのつながりの中で感じる現実、人間同士とのつながりの中で感じる現実を“上層の世界”と呼ぶのです。なぜなら、それは動物レベルよりも高尚な人間レベルであるからです。

From Lesson 1, Convention in Spain, 6/3/2011

天秤のはかりを「結束」の方に傾ける

質問:カバラの勉強において、いつ何時でも、自分が正常に前進しているのかどうか、そしてその道から逸脱しなかったかどうかをどのようにして分かることが出来るのでしょうか?

答え:私はまるでつりあいの取れた天秤の上に乗っているかのように一瞬一瞬エゴイズムか心の中の核心(心の点)かを選ばなくてはなりません。そして毎回天秤のはかりを「心の核心(心の点)」と結束の方に傾かせなくてはなりません。結束するという行動以外には何もないのです。

我々は勉強、そして様々な行動をしたいと思います。我々はそうすることによって無意識のうちに結束から逃げてしまうのです。私自身もこれを経験しました。私にこれが聞こえ始めるようになるまで、かなりの時間がかかりました。

私は勉強することや資料を整理したり系統化することがとても好きでした。結束に向けて取り組む以外、想像できることは全てやりました。結束が私たちの責務であることを認識しはじめることと、この知覚を掘り下げて考えることに慣れることが早ければ早いほど、早くこの習慣は第の天性になります。

我々は友達の内面世界―結束とクリエーターを目指す強い願望―を感じることを求めるようになるために常に自分自身を訓練する必要があります。私の目標が彼らの内面であるなら、彼らの外見に気付くことがなくなります。

結局のところ、我々は自身の愛する家族の顔を重要視しません。我々は家族の魂と性格と情緒を感じるのです。同様に、私と同じ目標を目指している友人の願望を常に感じるようにしようとする必要があります。私はこの願望とつながりたいのです。

友達の外見や性格のあり方は関係ありません。気にすることはたった一つだけです:友達の強い願望が何であるのかということ。これは男性にとって最も難しいことで、正確にこの部分に男性の作業の本質があるのです。女性はより簡単にそういう知覚に切り替えることができます。なぜなら女性は外面的な様子を男性ほど重要視しないからです。

From Lesson 2, WE! Convention 4/2/2011

それをして下さいとクリエーターに頼みなさい

私達は、私達がクリエーターにそれをしてくださいと求める以外に、何もしてはならないということを忘れます! それどころか、私達は、どうやってが自分のハートを強制して開くべきか、どうやってが他者と繋がることが出来るのか、または、どうやって他者が自分に繋がることが出来るのか、と考えます。しかしながら、私達はこれについてまったく考えるべきではないのです!私達は繋がりを私達の利己的な頭(知性)の中で想像します。けれども、私達の考えていることとそれは、全く似ていないのです。

これは上層の世界の段階です―私達は新しい現実を明らかにしているのです!私達は、求めることだけ、それだけをしなくてはならないのです!私達は、すべてが要求・依頼の理由で起こることを学びます。私達は祈り―マン(MAN)―を上げ、その反応として包む光―マッド(MAD)―がやって来てすべてを是正するのです。そして一方、私達はその是正の間にただ居るだけでよいのです。すべては上層からやってきます。私達に関しては、要求、嘆願、そして強い願望が必要なのです。

この点に問題があります:私達はクリエーターに頼るのか、それとも、すべてを独立して(自主的に)行うのか?これが、私達が過ちをおかし、何年も行き詰まり、呼びかけ、要求、依頼以外にはなにもないということを理解するために方向を、少しさえも変えることが出来なくなる点なのです!

この依頼を達成するために私達は努力しなくてはなりませんが、それはこれだけを遂行するためです。もし私達が独立して愛と友情に基づく正しい社会システムを構築しようと試みようとしても、これは、私達がゴールから遠ざかっていること、つまり私達が本心を表していなく、お互いを嫌っていて、ユニティーに全然近づかないということ、を理解させる長い道のりになるでしょう。

カバラは私達をとても正確な分析にもたらさなくてはなりません:もう一人の人と繋がろうとするな、これはあなたには出来ません、あなたも彼もエゴイストです。上層の光のみが、それを出来るのです。上層の光はやって来て私達を一緒に結合しなくてはなりません。上層の光だけです!

したがって、お互いの繋がりを探さないでください。なぜなら「夫と妻と彼らの間のシェヒナ」と記されているからです。その意味は、私が居て、私の友が居て、私達の間にクリエーターがいるということです。「上層の中で和解する彼は、我々の中で和解する」(Oseh Dhalom BeMromav, Hu Yaseh Shalom Aleinu)。

私達を一緒に繋げる力を持たないで、私達がお互いに向き合うときは、いつでも偽の呼びかけです。私達がハグするとき、私達はハグしたくありません。あるいは、この世界のレベルでそれをするのです。私達は本当にお互いから、愛、ユニティー、または友情を要求してますか?それはこの世界の段階においてだけです。私達の誰が、もう1人の人の保証人、またはその彼自身のでさえに、成れることが出来るのでしょうか?そのための力は私達のどこにあるのでしょうか?私達は、私達の間の空間のすべてを満たす上層の者を通じてでしか、お互いのことを切望することが出来ないのです。

もし私達が彼に空虚を満たし、私達をつなげ、そしていつも私達の間に居て下さいと要求するなら、それは簡単に起こるでしょう。カバラの科学は、私達をこの正しい姿勢・心構え・態度に至らすことを意図されて作られています。一方、私達は自分らの利己的な性質の内側に居るため、そのことから常に逃げてしまいますが。

「彼以外にはなにもない」ということを忘れずにいましょう!クリエーターが行為を実行するのです。しかし、それが起きるためには、私達が彼の行為よりも先に願望を持たないといけないのです。これを「契約を行う」と呼びます。私達がクリエーターとの契約を締結するのです:私達が要求し、そして、彼がそれ実行します。

小さな子供が歩いて大人を彼らの後ろに引くのと同様に、私達は、上層の力が創造した性質を是正するよう、上層の力を引いているのです。そうすれば、私達はクリエーターと同等に成れます。私達は相互保証を達成することも、それを本当に願うことでさえもできません。私達がユニティーについて話し始めるや否や、私達はその条件を覚えておかなくてはいけません:「イスラエル、光、そしてクリエーターはひとつである。」私自身、私の隣人、そして私達の間のクリエーター。私達三人が一緒になってでしか、真の和解と完成は達成できません。

まさに、グループに於ける1つになりたいという強い願望がすぐに、私達がすべての助けをクリエーターに頼まなくてはならないという理解を、私達にもたらすでしょう!

From Lesson 8 , World Kabbalah Convention 2010,  11/11/10

マフソムを渡る

受けた質問:“マフソムを渡る”とはどういう意味ですか?

私の答え:マフソム(私たちを霊性から隔てている障壁)を渡るという意味は内側の現実を感じることです。“ハートの中の点”が現れ、最小限の“量”(10個のセフィロート)を手に入れます。これらのセフィロートの中で私は新しい現実を知覚して感じます。私は光がどのように自分に入り出ていき様々な感覚を引き起こすのか感じます。それは意識と理解の中の最小の変化に始まりますが、私は“内側”で何が起こっているのかを見ることが出来るのです。私達の世界に関しては、私はそれを新しい(霊的)世界の背景に見始めます。

そのような存在における二元性は障害になりません。それどころか、それは私に二つの世界、つまり枝と根の関係性を感じさせて理解させてくれます。自分のハートの中の点の内側で私は様々な行為、それがどんなに小さな行為であろうとも感じます。私は未だ光が入り、出て行くという意味を理解できませんが、私は何かが何度も来て去ることを感じます。感じるけど何が起きているのか分からない新生児のように、私は未だ正確に何が起こっているのかを理解しません。

光がついたり、消えたりしていると仮定してみましょう。新生児はそれが光と闇と呼ばれていることを知らずにただある現象を観察します。私には、光が入り、出て行くにつれ、それは(光が入るにつれて)上層の世界の感覚を与え、そして私たちの世界は(光が出て行くにつれておこる)単なるそれの印象なのです。さらにいうと、私は類似した特質を発達させる私の能力の度合いまで、その中でどんどん順応し始めます。

From Mega Congress Lesson 5, 7/25/10

人生はいつもがピクニックという訳ではない

受け取った質問:ワールド・ゾハール・コンベンション(世界ゾハール集会)が終了したばかりです。私達は集会で千人を超える様々な人種と国籍の人を目にし、その多くが歴史上のステレオタイプを保持していました。意外な事でしたが、たったの20~30時間でこれらの違いは消え、繋がりと愛が現れました。この状態を継続する為に、何が私達には欠けているのでしょうか?

私の答え:集会にて人々は、一体化、インスピレーション、目標の重要性を感じました。しかし、集まりから20時間が過ぎた今、そこでのことがほとんど思い出せません。全ては私達の感覚と記憶から消え去ります。なぜ私達はこのように継続し、この状態のままで居られないのでしょうか?

人生に於ける他の全てのものと同じように、この状態も長く続きません。人のインスピレーションと熱狂はピークに達し、そのあとに鎮静化します。絶えず奮い立った状態で居続けることは不可能です。これは光と願望の反比例する関係によるものです:ある時は光が、またある時は願望が大きくなるのです。それらは交互に大きくなり、これを通じて私達はあたかも右と左の線を繋ぐ中間の線に沿って二つの脚で歩くように前進します。

その二つの線は前に押すという目的でしか繋がることがなく、その後、再び動き始めます。私達は最初に右へ動き、そこで目標の重要性、繋がり、そして継続したいという願望を獲得し、行きます。その後、左から“心の重さ”が現れ、こうして取り組むものができ、また中間の線に戻ります。このようにして私達は前進します。

この理由からこの状態が長く続かないのです。そうでないなら、それは自然に反する事になります。常に強い幸福感の状態でいること以上に好ましくないものはないとさえ言えます。人は、常に“雲の上”に居るというのではなく、自分が進歩し、努力し、そして何らかの内面的抵抗を克服することを感じなくてはなりません。

私達の作業とは、何かを与えて受け取り、そして再び与え、そしてまた受け取ることを敏感に感じる事です。私達は抵抗と行動と達成を感じなくてはなりません。この理由からきつい仕事には、そして、私達の努力の結果を見て達成した事を二三日楽しむ、そのような大きな集会で絶頂に達する困難な準備には、多くの喜びがあるのです。しかしながら、この後に、私達は再び苦労、克服、模索、明瞭化、そして是正の状態にもどらなくてはなりません。いつかまた別の美しい結果に至るために。

その理由は、クリエーターと創造物は二つの相反する属性として、お互いの反対側に立っているからです:受け取りたいという願望、そして、授け与えたいという願望。それらの同等性はそのような相互行為の手段でしか達成されません。べつのやり方で進歩することは不可能です。私達は小さな状態(Katnut)またはHafetz Hesedに留まってはいられません:私達は前に進まなければならないのです!

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