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カバラには人間の利己的な性質を無にすることなく是正させる力があります

受取った質問:私達の利己的な願望からの脱却方法を教える多くのメソッド(方法論)があります。それらに対するカバラの見解はどのようなものですか?

私の答え:これらのメソッドのすべては近い将来に消えてなくなるでしょう。なぜならそれらには人々を利己的な性質から抜け出させる力がないからです。それらのできることは、利己的な願望を麻痺させることだけです。しかし、私達の願望は発達するものであり、これらすべてのメソッドはこの発達方向とは反対の行為であるため、人々を社会と人生から遠ざけます。その理由は、それらが人々に提供するものは、瞑想やその他の“トリック”をすることで、人々をすべての問題から完全に切り離すことであるからです。

さらに、これらのメソッドは人々の繋がりを築くことができません。一般的にこれらのメソッドを応用する人々はお互いに遠ざかります。しかし、自然は私達を一体化に向かわしています。こうした理由でこれらのメソッドには満足な効果がないと立証されてきています。

一方、カバラが残る理由には2つの要因があります。第一に、カバラは私達には逃れることのできない、人類の歴史を通じて発達してきた人の巨大な利己的願望を扱います。第二に、カバラのメソッドはこの巨大なエゴイズムを減少させるのではなく、むしろその応用を自分自身と他者の利益に方向転換させて利用する方法を説明します。これが、自己の性質やこの世界にあるどんなものも拒絶することなく、また自己のどんな資質も破壊することなく、人が自己のエゴイズムにたいして行う取り組みです。結局のところ、カバラは私たちに、与えられた全てのものを利用することが必要不可欠であると伝えます。

さらに、カバラの科学の助けをかりることで私達は効果的に人々の間にある隔たりを正すことができます。その他の全てのメソッドは私達がお互いを愛さなければならないことをただ語るだけです。例えばインドの現状です。インドに存在する人々を分割する為のカースト制は、人々が”他者への愛”を語ることをべつに妨げないということです。

私達の完全な世界は始まりも終わりもない円形です

受取った質問:同時に他人を憎むことなくして、どのようにして人は自己のエゴイズムを憎むようになれますか?

私の答え:今日の世界における問題は、誰もが責任を他人のせいにすることです。しかし閉鎖した完全な体系に関していうのなら、その中にいるすべての人に責任があります。誰も正しくもないし、間違ってもいません。もし悪が存在するのなら、その原因は私達全員にあるのです。

もし全ての歯車が互いにかみ合っているなら、賞罰を免れる歯車は1つもありません。全てが繋がっています。誰かが回転しなければならないとは言えないのです。または他人の理由でその他の人の回転を強いることもできません。すべてが同時に動いているのです。したがって私達の是正は相互的でなくてはいけません。これが意味することは、私達の皆が同時に決心するということ:「逆方向に回転することを止めよう。他人のために一丸となって同じ方向に回転しはじめよう。」

世界で起きていることの責任は全員にあります。そこには加害者も被害者もいません。私達全員に全ての悪い事と良い事におけるまったく同じ責任があります。この理由は、私達が完全な世界に住んでいて、完全な世界は始まりも終わりもない“円形”で表現されるからです。よって誰々に責任があるということはありません。すべての人が人間社会で起きている全出来事に加担しているのです。

私達は何も欠けていることのない全部がそろった完全な体系における属性(特性・特質・性質)を獲得し、すべての人に対する扱い方を変えなくてはいけません。もし私が自分自身の“悪の認識”に到達したのなら、自分だけが世界における犯罪者だと実感するようになるでしょう。

私達の考える愛とは変装したエゴイズムです

受取った質問:なぜあなたは私達が“他者に対する愛”を知らない、または理解していないと言うのですか?

私の答え:人々は“愛”がセックス、子どもの世話、病人と貧困者への手助けなどに関係しているものだと大抵考えています。今や私達はこの概念を本当に理解しなければなりません。それが現在の危機の起きた理由でもあるからです。この危機は、愛が何であるのか、そして愛を欠くことの意味が何なのかを私達に本当に理解させるために起きているのです。実際にこれが危機の本質です。

金融、産業、その他の分野で起きている全出来事の唯一の目的は、私達に真実の愛が本当に何であるのか示すことです。その後で私達は他の全てのことをこの概念に比較させ、今の私達の性質がエゴイズムでしかないことを実感するようになります。

人々は“悪の啓示”(悪が明らかになること)と呼ばれるプロセスを経験しなければならなくなります。私達の現在の愛の理解は悪であり、既に他者を愛していると考えているという事実もそれと同じことだと人々は理解しなければなりません。その後で人々は、お互いに対する扱い方を今と同じように続ければ、個人的にも集団的にも全員の気分が悪くなるということを理解するようになります。あなたは個人的に気分がよいかも知れません。しかし他者を愛さないかぎりあなたもまだ邪悪な段階にいるのです。

私達は“他者に対する愛”の本当の意味を定義しなくてはなりません。またそれと反対なもの – 憎しみ – も定義しなくてはなりません。なぜなら「光は暗闇よりも優れている」からです。私達が自分以外のすべての人を憎んでいるということを認識しないかぎり、私達は愛に転身できるようにはなれません。これが最初のステージであり、人類はその状態に近づきつつあります。

今のところ、人々は「そうですね。私達はお互いに対する愛を十分に持っていないのかも」と考えながらただ賛同しているだけです。しかしながら、人々は私達の間にはびこっている憎しみについてまだ理解し始めていないのです。

エゴイズムのブラックホールの中への最後の転落

受取った質問:どうすれば現在の危機に直面している人が、それは霊的に上昇する転換期であって終わりのない危機の深刻化ではないと理解することができますか?

私の答え:創造のすべては“ひかり”(喜び、授与のエネルギー)と“うつわ”(“ひかり”で満たされたいという願望)から構成されています。“ひかり”は私達の利己的な願望をその最終段階にまで発達させ、願望は“ひかり”によって直接的に満たされることがもう不可能になったと感じるようになります。その理由は喜びが願望を打ち消してしまうからです。例えると、喉が渇いているときに水を飲んだとき、その喜びが水を欲する願望が満たされることによってなくなるということです。

現在の危機は私達の利己的な発達が終わりにきたことを示しています。私達は“ひかり”を自分達のエゴイズムに奉仕さようと使い続けることができなくなりました。言い換えると、私達は自分のエゴが満たされなくなったことに気づきつつあるということです。そして私達は未だに欲望を満たそうと自分のエゴイズムに突き動かされながら、心の中ではそれが無駄なことであると気がついているのです。

しかしながら私達は充足がないと生きていくことは不可能です。よって私達は自分のエゴの命令に従うざるを得えません。たとえ自分の意に反してそうしているのだとしてもです。私達は好きでそうしている訳ではありませんが、自分のいる環境の影響がそれを余儀なくさせています。私達は自分の意に反してそうすることを余儀なくされ、惨めで暗い気持ちになります。これは麻薬や酒などに溺れることの原因にもなっています。

実際これは人生の全側面における危機を招いています。結局のところ私達の人生は“ひかり”を使うことで自分の利己的な欲望を満たすことをベースにしています。願望が“ひかり”の影響によって発達していた期間、私達は発達することを切望していました。私達は新たな渇きをいやすことによって充足されるとずっと信じてきました。そしてこの嘘は私達の発達を促進させてきました。

しかし願望の利己的な発達が止まるやいなや、私達はそれが空っぽであることに気がつきました。このやり方で充足を得ることは不可能であると“ひかり”は私達に啓示しています。これが私達の呼ぶ危機というものです。よって私達は自分達を誤った方向に導くことを止め、その代わりに人生を感じさせる唯一の方法は“ひかり”の特質 – 与えようとすることと愛そうとすることの意向・意図・決意 – を自分のものにすることしかないと理解しなくてはなりません。

私達の地上での発展は終焉を迎えました。そしてその証明として多くの工場は閉鎖されています。なぜなら役に立たない余計な商品はもう必要なくなったからです。ヨットの大きさや銀行預金残高の桁数が羨望の的ではなくなったのです。

人々はこの世界で自分に喜びを与えてくれるものがもう見つけられなくなりました。結局のところ、どんな星も明るさに関係なくいつかは薄暗くなります。そしてエゴイズムの最終段階というブラックホールのなかに吸い込まれながら私達も衰えつつあります。このエゴイズムは何もかもを飲み込み、なにもそれから逃がれることはできません。そのなかには暗闇だけがあるのです。

カバラの英知を広めることだけが私達に自分の性質を改善する能力を与えます。「そして暗闇は“ひかり”のように輝くだろう。」と記されているように。

運の悪い人に贈る言葉

エゴイズムは個人レベルで最高状態にまで達し、個人のエゴイズムは互いに合体するようになりはじめました。こうした理由で人々は自分達がお互いに繋がっていて相互依存していることを発見しはじめたのです。以下が運の悪いすべての人にたいする教えです:もしあなたが自分の願望と思考を、公益を目的とするものに向けるのなら、あなたはどんなことにおいても成功するでしょう。

成功のレシピはあなたが他者に与えることができるすべてを行うことです。この意味は、普通の生活を営むために必要なものしか受取らないということです。ビジネスの場合、”与える為に働くこと”は、必要経費を負担できるだけの収益しか得ないことです。このようにして商品とサービスの価格を決めるのです。誰も銀行口座のなかでただ”座っている”ような利益を得るべきではありません。

このアプローチは今日の営業方針とは正反対です。しかし、危機が終わるころまでには、すべての人がこのシステムに移行するでしょう。これと違う方法で機能できる企業は1つもなくなります。

その理由は、必要なものよりも多く取得することの全てが、自然とのバランスを壊すことになるからです。バランスを保つためには、他のどんな動物もするように人間も存続するのに必要な量だけを摂取すべきなのです。人々の苦しみとその原因についてのカバラの説明は、細胞や臓器など体の部分のように他者に対して奉仕することが最もよい生き方であると、人々の理解を助けます。

自然(創造主)はいかなる方法をつかってでも私達を支配するようになります。この生じ方は、力強い形 – この場合は私達だけが苦しむことになります – または、理解をともなった任意的な形のどちらかです。その理由は人々が調和の法則と自然に従わなくてはならないことを理解するようになるからです。

私達が自然と協力するようになれば、すぐにでも自然は私達の扱い方を変え状況も変化することになります。私達は十分な水、食糧、そしてすべての人が必要とする他のものも突然に有することになります。

ファラオは私達を創造主に近づかせます

人間どうしの関係は人間のエゴ – ファラオ – によって支配されています。私達はファラオを支配の座から追って彼から権力を奪わなくてはなりません。ではどのようにすればよいのでしょうか?

創造主の力によってでしか、これを遂行できることはありません。創造主は意図的にファラオ(エゴ)を人間の心の中に創りました。その理由は私達に創造主が必要だと理解させ、創造主と一緒にファラオを王座から引きずりおろすためです。このように協力的な過程をたどりながら私達は成長し創造主のようになります。