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嫉妬は欠点ではない

質問:カバリストは嫉妬を、人がこの世界から脱出してスピリチュアルな世界に入ることを助ける性質のものとしています。本当に、なぜ私は他者を妬むべきなのですか? 結局、誰もが特別で誰もがその人独自の道をたどっています。なぜ他の人のユニークさ(唯一性)が私を嫉妬させ、私の道において私を力づけるべきなのですか?

答え:私は、嫉妬や肉体的欲望や尊敬への欲求を、目的を持って自分の内に呼び起こします。それは他者の成功を妬んだり尊敬を追い求めるような、普通の人についてのことではありません。この世界では私達はあらゆる種類のナンセンスに嫉妬し、つまらない物を本当に欲しています。私は、その反対に、生活に必要なものだけを手に入れ、残り全ては無視します。私が全ての基本的必要物を持っているとき、私はスピリチュアルな仕事のために自分を構築し、このフレームワークの中で私は嫉妬のような道具を使います。

もしそうでなければ、私は前進のための何ものも持たないでしょう。嫉妬、肉体的欲望、尊敬は3つのエゴイスティック・アプローチです。そして私の内にそれらなしで、私に何の仕事ができるでしょうか? この世界から私を連れ出すのは、これらの3つの特質なのです。それはBYA世界を脱してアツィルート世界に入るようなものです。

それで、もし私がスピリチュアルな仕事をしたいと思うなら、私は他人の仕事を見て、彼らの前に自分を無にします。それから私は、彼らを私達の世代の最も偉大な人々として見ます。彼らは、はるか先まで進んでおり、彼らは(すでに)是正の終わりを達成しており、そして私は彼らを妬みます。もし私が妬まないなら、私に力はなく、動くことができません。私は前進するためのすべての力を自分のエゴから受け取ります。正しい意図を伴う正しい前進、それは物質の中に包まれた形態が光によって私の元にもたらされることを意味します。そしてその物質によって私は上昇するのですが、その物質自体とは私自身のエゴのことです。

質問:しかし、どのようにして私は正しい意図を嫉妬から守ることができますか?

答え:それは、その意図が築かれる、嫉妬、肉体的欲望、そして尊敬への欲求によります。あなたはその嫉妬をクリエイターへの嫉妬に転換し、尊敬への欲求をクリエイターのための尊敬に転換し、衝動への肉体的欲求を彼(クリエイター)への密着に転換します。そうでなければ、あなたは何を是正するのですか? あなたは何を建てるのですか、雲の中に空想的なお城ですか?

質問:しかし依然、私が嫉妬すると、その(嫉妬の)火が私を焼き尽くします。

答え:そうではありません。あなたは制限の後に、嫉妬、肉欲、尊敬欲求が起こるのを許すのです。その制限とは、もはやあなたのためではなく、理解し「作業場」を決めるためです。全てがコントロール下になければなりません。そうでなければ、あなたは始めることさえすべきではありません。

手短に言えば、やってみなさい。嫉妬に陥ることを恐れてはなりません。それに取り組み始めなさい。もしあなたが友達を嫉妬するなら幸運なことです。それは良いことです。結局、私達は前進のための他の力を持っていません。もし私が環境なしに一人だけで生きるのなら、私は一匹の動物のようなものでしょう。他方、もし社会が、私に欠けているものを友達が持っていることを、私に常に見せつけ続けることによって、私を駆り立て刺激するなら、それは人生において私の前進を助けます。私はまさに、私に良い例を提供し私が嫉妬するような、特別な環境を必要としているのです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 9/12/12, “Peace in the World”

微かな光が射し込む壁の裂け目をお見逃しなく

「涙の門」に至るとは、あなたが自分を、持ち上げることのできない重い石、すなわち自分自身の力では動かすことのできない欲求として、そしてそれ以外の何者でもないと見るようになることを意味します。その動きのすべては外部から来るエネルギーによってのみ可能になります。それで、私達の仕事の全ては、外部の環境から、この状態に対する助けを誘導する手段を見つけることです。

大変重要なポイントは、私達が自由意志を与えられていることです。ちょうど人が力を失い、もはや何もすることができないように見えるとき、また人が絶望、あるいは、ただの弱さを感じるとき、また人がモチベーションと未来の希望を失うとき、そのようなとき、その人は突然、自分自身では全く身動きできないことを感じます。その人をゴールへ向けて引っ張ってゆく意志の力は存在せず、ただわずかに、彼を背後から駆り立て、強制的に動かす小さな針がいくつか存在するだけです。

しかしながら、自分自身の力によって前進する自由意志が現れるのは、まさにそのような死んだ状態の中においてなのです。それは、ポジティブであろうとネガティブであろうと、何か見知らぬ異質な力によってではなく、自分自身でその前進する力を見つけることにかかっています。そしてその人はこれらの力をその人自身の内側に探し求めるのではなく、むしろ環境と共に働き始めるべきであり、そしてその力によってクリエイターの元へ登っていきます。

しかし人は、そのような惨めで灰色の状態の中で、光が開示される瞬間を見分けるために、とても敏感であるべきです。その時にあなたは光の中に入ることができ、そして行動することができます。

突然、多くの欲求の中に光の窓口が現れ、人はその中に貫通し突破することができるようになります。人は、最も死んだような状態にあるとき、無力感を感じスピリチュアリティの全ての味わいを失ってしまったときには、常にそのような瞬間を待たなければなりません。そのような状態においてすら敏感であることは可能です。

絶望や無関心を感じるとき、人は、この状態の中でも外へ飛び越えることができる日が来ることを心待ちにしながら、依然として鋭い知覚を維持しなければなりません。それはあたかも、あなたの目の前に堅固な壁があって、ある日突然そこに小さなひび割れがあることに気づくようなものです。あなたはそれを貫き通し、そこから脱出する道を発見します。この暗闇の状態の中にあって充実と達成の獲得方法を見つけるのは、まさにその場所なのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 9/6/12, Writings of Rabash 

エゴよ、私はお前のものではない

質問:どうやって私たちはゾハールを読んでいるときに自分たちの意図を確認できますか?

答え:もし私たちがゾハールの書を正しく使うことを願うのなら、ゾハールの書は私たちにやって来る光の源です。したがってカバラの本を勉強している間、私は常にいくらかのイルミネーションを呼び出していますが、それは私の努力の、そして、用意ができていることの激しさに応じてやって来ます。もし私が肉体上の何かを手に入れるために、または、来世を個人的な特権として勝ち取るために勉強するなら、光はその影響によって私の中によりいっそうの暗闇を作り出します。私は、何のためにこのシステムが私に与えられたのか、私は何をしなくてはならないのか、そして、どのように私は他者を扱うべきなのかということの理解からだんだん離れていきます。愛とつながりについての素晴らしい言葉を読む時でさえ、私はもはや帰属感を感じず、つながりを目にせず、文章を読み取る方法が分かりません:それを私のハートに入れさせるのかどうか。これは、夜に養われ夜明けを予期しないコウモリのように私が勉強することを意味します。

しかし、もし私が他者とつながろうとし、これがその方法論を学ぶ理由であって、シナイ山でそれを受け取るための条件を保持して守ることによって、皆と一緒に「一つのハートを共有する一人の人間」に成ることを切望し、相互保証に参加するために、兄弟愛を達成するために、そして、それを通じることでクリエーターへの愛を達成するためにということなら、光は私を前進させ始めます。これはもう段階ごとに克服するという普段の道ではありませんが、私は徐々にその中に悪い粉々になった状態を発見し始めます。

利己的な勉強は私から私のエゴを隠し、私は自分自身を高潔として見ます。一方、正しい勉強によって、私は自分が悪の中にどっぷり浸かっていることを発見します。光が私に明らかにする最初のものは私の悪い性質であり、私はそれに応じて作業しなくてはなりません。悪を発見することによって、私は前よりもさらに悪い気持ちを感じます。では、私には何ができるのでしょうか? 結局のところ、私は私の性質に従って気分が悪い時は逃げたいのです。

もしかすると私は勉強を止めて、グループから離れるべきかもしれない? もしかすると私は絶望を感じるべきかもしれない? あるいは、もしかすると私は悪の認識を知ることを許されて喜ぶべきかもしれない? それは私にとって法則、招待であるべきです:もし私がこの不快感(気分の悪さ)を乗り越えられるのなら、私は受け取ることを超えて授与を切望するでしょう。

私のエゴの中で明かされる苦しみが、私がエゴために作業していないことを示すので、私は打撃を受けることを好みます。私は不快感を感じますが、それらを克服してユニティーを目指します。私は苦痛を和らげるために逃げることはしません:私は自分自身を閉ざさない、私は落ち込まない、私は勉強をやめない。それどころか、私は友達と一体になる途中にて、あらゆる方向からやって来る全ての困難を、クリエーターによって送られているものとして受け入れます。彼(クリエーター)以外には何も存在しないのです。

私はどんな状態も私の前進のためになるものとして受け入れます。私はそれらを無効にしたくありません。そして私は不快感を中和するために勉強し続けます。私は実のところそれを望んでいるのです。それがその乗り越え方、理性よりも上になることに私を正確に集中させるので、私はそれが継続することを望みます。全てはゴールに正しく集中することを助け、それらの中で作業することによって明らかに前進するといった制約や枠組みを作るので、私は喜んで全ての問題や妨害、状況の圧力、外的な嘲り、様々な苦しみを受け入れます。

こうして私の内側に授与の器を受け取りの器よりも上に構築します。それらは成長し続けます。そして、苦しみ続けます。その間、私は、それらよりも1つ上の段階に在り、完全な信仰、ビナーの属性を達成し、私の受け取りの器を授与するために使い始めるまで、クリエーターとのつながりを持ち続けたいのです。

しかしその一方では、また、私は独り善がりの考えがあってはならない段階に上がったので気持ちを落ち着かせるつもりはありません。それどころか、私はますます上向きに切望し、喜びを受け取る準備でさえできていますが、それは私自身を満たすためではなく、クリエーターの願望を満たすためです。

これはすべて私たちの作業です。私はこの道に沿って本当の源、私に授与の力を与える利己的な欲求が必要です。それは利己的な欲求の中で明らかになる問題や苦悩を私が克服した結果です。そして、私はそれが全てクリエーターによってもたらされることをはっきり分かっています。

From the 2nd part of the Daily Kabbalah Lesson 8/16/12, The Book of Zohar

620倍に拡大する顕微鏡下の自分の悪意

全ての出来事が人に明かされる理由は、その人の不完全な知覚、まだ是正されていない感覚のせいです。世界はその人の知覚と理解に従って不完全なものとして描かれます。しかし我々は、この不完全状態(欠陥)が外の世界にあるのではなく、自分たち自身の中にあると理解すべきです。

現在の世界危機は我々の周囲ではなく、我々の知覚の中だけにおいて生じます。しかし我々が自分たち自身を是正すれば、途端に外の問題の全ては消えて無くなります。その理由は、世界がそれ自体で存在しているのではなく、我々の感覚の中においてのみ存在しているためです。世界は我々の内側にあるのです。我々が私たち自身の性質を是正すればすぐに全ての災害や問題、あらしや危機は消えて無くなります。この何1つも存在していません。上層の光は単に現実の全てを満たしているだけなのです…。

真実と偽りの違いは、人の内側だけにあります。最初は与えられたすべての打撃(不慮の災害・不意の衝撃)を明確にすることにより、その人はそれらに目的と理由があると理解すべきです。その理由を意味する「わたしは初めである」、そしてその目的を意味する「わたしは終わりである」と記されているように。これらの打撃は、自分自身を是正することを可能にし、現実に対する自分の知覚が正しくないことを悟らせるためにやってくるのです。

それは「協力者・仲間」のように働きます。この悪(不正)が人の中に残ったとしたら、それがその人によって明らかにされることが決してないからです。しかし、悪が外側で明かされる理由から、あたかもそれがその人に反しているようであり、その結果その人がそれを認識することができるのです。我々のエゴは、この悪を最も目立つ形で他人の中に見る能力を与えることにより、この悪を何倍も拡大して見せるのです。

我々は自分たちの悪をまるで虫眼鏡を通すかのように620倍も拡大して見ています。これが悪を明らかにすることを手助けし、それを「協力者・仲間」と呼ぶのです。

私はこの悪を他人の中で明らかにします。しかしそれは反対であって、自分の中にあり、それゆえに自分自身を是正できると私は理解します。人は正しい知覚を有しているのか常に自分自身をチェックしなくてはなりません:その人はすぐに外側に見えるすべての悪をひっくり返し、自分自身の中でその悪を見て、是正しなくてはならないのです。

したがって私が自分自身の外側にあるものと自分を同一視するとき、この特質が自分にとって良いと分かります。私はそれを受け入れ、自分自身を是正することによってその中に参加しています。そのおかげで、私は自分自身をグループ、他者、そしてクリエーターに照らし合わせてチェックできるのです。

外側の現実を知覚することは、内観して自分の中にある悪を見つけることと、破壊されたのは世界ではなく自分であると理解することに役立つということが判明します。このようにして自分の悪が明かされるからです。私は自分自身を是正することによって全世界を是正するのです。このことを「自分自身と全世界を価値のある天秤の皿の方へ判決すること」と呼びます。

我々がこのことを理解し消化できるようになることを願いましょう。この実態に気付いて、この正しくて健全なアプローチを世界全体、全ての人々に伝えれるように。それなら、人間の是正によってすべての問題を解決することができます。最初の難しさは、自分のアプローチを変えることです。我々は、世界を是正する代わりに、自分たち自身を是正すべきだと理解すべきなのです。

カバラの知恵によると、我々の周囲に見える全世界は我々の内面的な性質をまるで鏡のように映し出しているということです。しかし、そのことをシンプルにするために我々は人々に、後で世界を正すことができるように最初に自分自身を正すべきだと説明すべきです。その理由は、不正な人は不正な世界を築き、正された人は正された世界を築くためです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 8/2/12, Writings of Baal HaSulam

終わりのない道

バール・ハスラム「ゾハールの書の序章 第55項」:これは彼が、彼自身の受け取る意志の純粋さの程度に従って、NRNHYと呼ばれる、光と魂の段階を達成するからである。そして彼が達成する段階それぞれにおいて、その段階の光が彼の浄化を助ける。このようにして、彼は、創造の思想の最終目的の楽しさを達成するまで、各段階を上昇する。

質問:「与えるために受け取る」レベルは、全ての魂にとって重要ですか?

答え:イエスでもありノーでもあります。それは(魂の)合体によって間接的に達成されることも可能です。なぜなら私達は、完全で統合された一つのアナログなシステムについて話をしているからです。そのシステムの中では、全ての人が他の全ての人に繋がっており、ホログラフィー画像のように全ての人の中にシステム全体のパターンが存在しています。

重要な点は、この画像の中で私の役割は何か、ということです。私はこの全体的な「身体」において、「脚」なのか「頭」なのか「心臓」なのか、それとも他の器官なのでしょうか?私は確実に全てを達成するでしょう、しかしまた私は独立して操作することにより、このシステムの私の役割部分を活発に達成します。

私は私自身の欠乏を持っており、また他の全ての人から獲得する欠乏もあります。私の要因に由来する私自身があり、そして他の全員が存在します。そのため私達の達成は全く同じものではありません。全ての人が、一個の全体として、システム全体を達成し、アイン・ソフ(無限)の中に存在します。しかし同時に、全ての人が、誰もが異なる開始点にいるために、他者を「妬み」ます。このことも仕事と是正を要求します。

その後、私達は、しばらくの間私達はそれについて何も知らない、あるレベルに上昇します。発達は続き、どこかで消えます。器は成長し私達の知らない何かへ変化しなければならないでしょう...

質問:なぜ人は創造の思想を達成しなければならないのでしょうか?

答え:なぜなら、それが上層のクリエイターの欲求だからです。創造の思想とはクリエイターです。

私達の言葉は不正確ですが、私達はそれを使わなければなりません。クリエイターと呼ばれる、達成不可能なリアリティがあると言われています。彼は達成不可能です。しかし創造の思想が存在し、それは私達に対する彼の態度を意味します。

彼の私達についての思想の結果として、何かが成されました。彼は受け取る欲求を創造し、それについて様々異なる事を成しました。しかしポイントは私達はこの受け取る欲求に留まるべきということではありません。欲求と光は唯一の2つの属性-受け取りと授与-です。彼は、最終的にはそれら両者の上に私達を上昇させるために、それらを選択しました。

これは私達が受け取りの上に上昇するだけでなく、授与の上にも上昇することを意味しています。なぜなら誰も他者無しには存在できないだろうからです。私達は彼の創造の思想を理解し、今日私達が語ることができないものまでより高く上昇しなければなりません。なぜなら私達はそれが何か知らないからです。

これは私達を未知の終わりへ導く達成の道です。私達の欲求において、それより高い何ものも達成することはできません。ここで私達はギマール・ティクン(是正の終了)を超えたものについて話しています。そうだとしても、私達はこれが真にクリエイターに相応しいゴールの場所であることを理解しなければなりません。私達が通過するプロセスを明らかにすることによって、私達は、彼の私達に対する態度は彼の存在するレベル以下ではなく、それについて私達は何も知らない、と言わなければなりません。というのも私達の枝が派生するところの根でさえ、それから引き出されてはいないからです。

それで、これを知ることで、私達はまた今日私達がどこにいるかを理解すべきです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/01/12, “Introduction to the Book of Zohar

ゴール地点のエゴイズム

質問: カバラの科学は、現在の時期について何と言っていますか?この重要な過渡期に、それはどのように私たちを助けることができますか?

答え:私たちは特別な時期に生きています。私たちの世界は、新しくて内面的で霊的な、私たちの心の中の“人間”の成長段階への上昇の出発点に立っています。

カバラの科学が説明するように、これまで私たちはエゴイズム(利己主義)の衝動に従いながら自然に成長してきました。社会の変化、家族生活の変化、テクノロジー開発、国と構造の再構築、そして、教育と文化における変化の導入を、利己主義は私たちに強制しました。私たちは生まれながらの内面的な衝動が引っ張る方向に常に向かっていたのです。

しかし、今日私たちは一定の満足に達しました。まるで世界は喜びを私たちにもたらすのをやめているかのようです。それはもはや私たちを経済的に満足させません:私たちはある障壁が私たちの前進を阻んでいると感じます。輸出と輸入における無限の成長と、無限の技術能力と生産能力を伴う消費者社会についてのアメリカの理論は底を尽きました。さらに、私たちは下降傾向つまり衰退に移行しました。経済学者によると、それは長期に渡るだろうとし、誰もそれがいつ終わるのか知りません。

今日私たちがカバラの科学を理解するに、カバラの科学は危機が決して終わらないことを告げています。私たちは、現発展段階で、私たちの利己主義に対しひどい苦悩を引き起こしている人間を取り巻く自然の潜在能力だけでなく、私たちの利己主義そのものも認識しました。その結果、人間開発、社会的発展、教育、そして、エコロジーの分野が崩壊寸前なのです。

この状況下において、私たちは何が私たちに起こったのか考える必要があります。私たちはこのように続けることを望んでいるのでしょうか?私たちは明らかに私たちの目的と目標におけるミスを犯し、文字通り私たち自身を破滅したのです。私たちは消費を増やして、環境を破壊することを望んでいるのでしょうか?私たちは「機械の」レースで身動きがとれなくなりたいのでしょうか?

製造された商品をほとんど使わずして、私たちは新しいものを買うために、それらを捨てます。そして、これが私たちの人生なのです。私たちは富や名誉や権力の似たようなゲームで私たち自身の存在を満たしたいのでしょうか?人生の意味とは、携帯機器やその他の消費の象徴を毎月買い換えることにあるのでしょうか?

今日私たちが経験している過程は、私たちのペースを落とさせて、反省するよう要求しています。明らかに自然の中には、組み込まれた異なるプログラムがあり、私たちはそれを調べなければなりません。

私たちが自然の中で発見する、普遍的な知恵、全体的なバランス、ホメオスタシス(恒常性)は、まだ人間の外側に留まったままです。自然にとって人間とは、異質な要素、つまりガン腫瘍であり、その環境とそれ自身をむさぼっているのです。

私たちは人間の社会を破壊し、私たち自身と私たちの子供たちをだめにし、すべてを歪めながら、私たち自身に正しい存在の機会を残していません。私たちが「脇から」世界を見るならば、人々は盲目のようであり、自殺的な道に沿って進んでいます。彼らは、彼ら自身、子供たち、社会、そして将来を破壊するために権力獲得競争をし続けており、このことに気付いていません。

こういった理由から、私たちは危機に瀕しているのです。しかし実際には、これは危機ではなく救済です。今日私たちが構築したすべてのシステムが崩壊しているときに、私たちは真実の核心へと導く、明らかな兆しを得ます。ついに私たちは、人生に対する態度を根本的に改めること以外に選択肢がないことを、目にすることができるのです。

自滅(つまり政治家、経済学者、そして実際、人類の大部分が未だに欲しているもの)へと転がり落ち続ける代わりに、異なる方向に進むために、何が起きているのか既に分かっているすべての人々、コミュニティ、そして組織は、世界と自然に対する新しいアプローチを一緒に考え出さなければなりません。

あなたの魂の最も深い領域での津波

質問:私達が目の当たりにしている自然災害、また他の問題に対してどのような態度や姿勢で臨むべきでしょうか?

答え:私達は、自分たちの利己的な欲望が私達に自然の全レベルにおける不均衡を示し始めている特別な時期を生きています。

自然の最も低いレベルは静物レベルであり、現在私達は自然全体との不均衡と不調和を静物レベルで明らかにしつつあります。以下のレベルにおいても同じです:自然の植物レベルと動物レベル。今のところ私達はそれに気付いていないだけです。

私達は大きな危機状態にあります。「Domem」(静物)と呼ばれる天使との関係の危機に陥っているのです。同様に「Tzomeah」(植物)と呼ばれる天使、そして「Hai」(動物)と呼ばれる天使との関係でも危機に陥っています。これらすべての自然形態には非常に大きく調和が欠けおり、私達と対立しています。私達の義務はそれらを正すことです。なぜなら人間だけが自分自身を正すことで、残りすべての自然を正せるからです。

したがって私達の周りで目にする災害は私達自身の反映なのです。全ての責任は私達にあります。世界の静物レベル、植物レベル、そして動物レベルから何も求めることはありません。それらは人間と共に上昇したり下降したりするのです。

私達を取り巻く自然の静物レベル、植物レベル、そして動物レベルにおける問題によって、如何に私達が是正されていないのかを見ることが出来ます。これら全ての災害は私達自身の欠陥の反映または実演です。もちろん自然の“スピーキング”レベルである人間社会もです。世界で何が起きているのかを見て下さい。

私達にはこの地球上で自分たちのために真の楽園の生活をつくる機会があるというのに、私達が行っていることを見て下さい。もしも宇宙からの訪問者が私達が地球上で行っていることを見たとしたら、彼は私達の頭がおかしいと思うことでしょう。私達人間の心と感情はどこですか?本当にこれが高い知能をもち思考する人間の人生の整え方なのでしょうか?まったくの愚か者か自己をひどく嫌う人だけがそのようなことをするのです。

言い換えると、現在私達は徐々に自分たちの本当の内面状態(内部状態)を明らかにしているということなのです。そして、私達は内面の是正を通じることでしか外面世界(外部世界)との調和を達成することはないでしょう。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 3/13/11

正しい態度の準備をする

私たちの全作業は、準備に向けられています。私たちの任務は、私たちの中で明かされるようになるエゴイズムを消すことではなく、常にそれが私たちの中で上層の光、クリエーターによって明かされているのだといつでも認知できるようになることです。私たちはすぐにそれを光の中で、私たちの成長の、苦いが嬉しい兆候なのだと判別すべきなのです。

私たちの魂(願望と光)は、段階的な下降を経験しました。そして今や私たちはその同じ段階(度合い)又は状態を下から上へと明かさねばなりません。私たちはそれらとそれらの全細部を経験しなくてはなりません。なぜなら、さもないと最後の是正(Final Correction:最終是正段階)で、総体の器に欠陥(ひび・きず)が生じてしまうからです。

それが上から下へと下降する際に、私たちが運命を変えることは出来ません。しかし、私たちはそれを違うように観ることと、認知することの準備をすることができます。エゴイズム―楽しもうという意志―の中の不愉快な感覚は、私が自分のエゴと同一視する事実によって生じているのです。

しかし、もし私がその上に上がり、クリエーターに由来する全てのものの中に、よい変化を観る準備をするのなら、エゴイズムの不愉快な感じが明かされた同じ状態が、よくてポジティブで役に立つと認知されるようになり、私はそれらをありがたく思うでしょう。

私がクリエーターの私に対する態度を違って認知し始めるとき、自分の全ての故意の違反および故意でない違反が、是正されて授与に到達するための自分の機会になり、その後、これらの違反は私の功績に変わります。したがって、すべては私と私の準備によるのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 10/7/10, “The Righteous Feels Good and the Righteous Feels Bad”

新しい要求の為の新しい充足

現代の人はこの世界の全ての快適さを得ていますが、私達は依然として満足していません-実際、以前よりももっとそうです。過去では、もし人が毎日、ひと塊のパンを得たなら、彼はそれ以上何も夢見ることができませんでした。それに比べ、現代の人が必要とするあらゆる物を見てください。けれども、その人は満足しているでしょうか?いいえ!そして誰もが皆尋ねているのです:何故だと。

充足は通常の人間のレベルでは見つかりません。そして私達が得るあらゆる新しいおもちゃはその助けになりません。私達は“物”で自分たち自身を酔わせたいのですが、私達の中で湧き上がる虚無感(むなしさ)は全く異なる場所から来るのです-それは私達のクリエーターとの類似の欠落からくる欠乏です。その為、私達はクリエーターを感じること以外でしかそれを充足することが出来ないのです!

この虚無感は徐々に私達の中で形成されていき、“爆発”する為に特定の度合いまで蓄積されていきます。その時になって人は、もはやその虚無感を抑える事が出来ないと悟るのです。彼はそれを満たさなければなりません。さもなければ彼の人生は死よりも悪いと思われるからです。この欲求の充足をこの世界で見つけることは不可能です。何故ならそれは上層世界、クリエーターを明らかにする欲求であるからです!

それにもかかわらず、身体の防衛力は私達に、自分たち自身を惑わす方法を探すように強いてきます。人々は麻薬、酒を使用したり、または中身のない流行の物や旅行で人生を満たします。このようにして、まるでダチョウのように、私達は問題から逃れる為に頭を砂の中に隠すのです。

私達のエゴの防衛力はこのように働き、それ自身にそれが満たされていると証明し、決して満たされることのできない虚無感を包み隠すことを望んでいるのです。なぜ決して得る事の出来ないものに対し考えを巡らせ、自分達の人生を台無しにする必要があるのだと言わんばかりに。

しかし、これは長く続きません!今のところ、私達は“人間”レベルでの欲求不満を感じるのを避ける為に“動物的”レベルにおいて自分達を惑わすことが出来ています。しかし、その覆い隠しが破裂することは避けられません。

歴史の異なる時期において同様の状態が革命、戦争、そして劇的で悲劇的な解決策をもたらしました。私達の場合において、解決策がそのように残酷にならない事を願いましょう。私達の場合、私達の世界のレベル、“動物”の段階から、上層世界のレベル、アダム、又はクリエーターのレベルへと上昇しなければならないのです。これは私達の力の範囲外であり、人類はそれ自体の無力さに気を狂わせ始めているのです。

私達の利己的なレベルでは、革命、戦争、新しい政体、又は宗教、そして本の印刷、蒸気エンジン、インターネットなど、一段階から次へと新たなテクノロジーによって上昇する事が可能でした。この全ては一定の期間充足を与えましたが、今エゴイズムはそれ自身を消耗し切っており、クリエーターを明らかにする欲求はまさに霊的な充足を要求しているのです。私達は新しい内なる欲求を明らかにしています:それは私達をコントロールする「者」を明らかにすることです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 9/2/10, “Introduction to the Book, Panim Meirot uMasbirot

新しい世界への窓

人は生まれつき自分のみを愛します。これが私たちの性質であり、それに対してどうすることもできません。私たちは常にその中に生き、そこから踏み出すことはできません。私たちの全ての行いは自分自身だけのためです。さもなければ前に進めません。したがって私には、自分の性質に逆らって振る舞う、その性質を変化させる外からの力が必要なのです。

私の全ての思考やエネルギーは、自分を満たして安楽を得るために働き続けています。しかし、私の中に自分の性質から外へと押す一点があり、動物のレベルから上昇し、クリエーターへと到達、つまり人間のレベルを獲得させるのです。私の中のこの点のみが人間のレベル、クリエーターのレベルに属しています。なぜなら“人”はクリエーターと類似しているからです。

私は完全に物質的世界に属していますが、この一点だけはスピリチュアルに属しています。もしそれが目覚めなかったら人間はただこの世界で生きて、何にもそれ以上のことを疑うことはないでしょう。彼はこの物質的な人生で満足します。しかし、もしこの点が彼のハートのなかで目覚めると、この世界に居心地の悪さを感じ、そこから上昇しようと努力します。彼は二つの力から影響を受けます:1つは物質的世界から外へと彼の背中を押す力。そしてもう1つは、前から、つまり霊的世界からその人を引っ張る力です。

自分自身(人のエゴイズム)を放棄し、自分の性質を越えないなら、クリエーターとの付着には到達できません。私はどちらかの性質と関わりたいのかを決めなければなりません:クリエーターの性質か、それとも創造物のそれか、つまり、授与か受け取りかを選ぶということです。

与えることは私たちの性質とは正反対なため、物質的なものから霊的なものへと移動する方法は1つしかありません:カバリスティック・グループです。グループは計りしれない力をもっています。なぜなら私たちは一緒に努力して、全員が人が生まれてきた目的を成し遂げることを妨げる、利己的な願望を取り消すからです。その目的とはクリエーターに類似することです。クリエーターとは授与の力、愛、そして自己の無化です。このために私は、自らの性質を反転させることを可能にしてくれる“てこ”のような働きをするグループを、外面的な異質の力として必要とするのです。

この力が大きくなって活気づくには、グループは強く団結して、スピリチュアルな目的を果たす願望をもって燃えなければなりません。そうしたら、その中にいる全員がこの力を利用することが可能になり、エゴイスティックな愛の服従の外に出ます。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 5/20/10, Article “The Purpose of the Association –2”