『ゾハール』に書かれていることを理解するために

『ゾハール』は、スピリチュアル世界で起こること、創造の授与の行為について語っています。だから、私たちがそれを理解できないのは、まだそのような行為を行うことができないからなのです!

私たちは利己的な欲求の中にいて、充実感や喜びを得る方法と、その喜びを得るために行動する方法だけを知っているのです。『ゾハール』が語るすべての行為は、まるで秘密の暗号のように、理解しがたい言葉で、非現実的なもののように記述されています。つまり、カバラの言語で、「セフィロト」、「パルツフィム」、「世界」などの定義や、あるいは太陽、月、山、人間、動物がおとぎ話の中で登場するような、ある種の寓話で表現されています。

私たちは誰もそれを理解せず、感じもしません。なぜなら、私たちが(生まれ持った)授与の属性ではなく、(生まれ持った)受け取りの属性にあるためです。 

もし私たちが、地上の利己主義の資質ではなく、上層の資質、授与と愛のスピリチュアル的な資質を受け取るならば、『ゾハール』が語ることを直ちに理解し、それを読むことを通して、上層の世界を明らかにすることになるのでしょう。しかも、それは冒険小説のような幻想からではなく、現実から明らかにするでしょう。

しかし、私にはまだスピリチュアル的な資質がないので、『ゾハール』に書かれていることは非現実的なことなのです。だから、私たちが『ゾハール』を読むことは、「セグラ」として知られている、特別な技術なのです。それはどんなものなのでしょうか?

私たちは本を読んで、その世界の力、つまり本の中で語られているレベルを自分に引き寄せようとしているのです。たとえ文章が理解できなくても、それを変化させたい、感じたいと思うことで、「源に還る光」(オアー・マキーフ、周囲の光)をもって、自分を「照らす」のです。

この力は自分の中で作用し、自分の中で新たな資質を明らかにします。それが『ゾハール』に書かれている授与の資質です。結局、すべては「受け取り」の資質ではなく「授与」の資質であり、「授与」の資質によらなければ、そこに書かれていることは理解できないのです。

 

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