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天国と地獄とは内的状態のこと

質問:魂は発達する間、さまざまな変容を遂げます。宗教的な観点では、天国と地獄は魂の発達のある段階です。私はカバラ的な観点から、その意味を知りたいのですが。

答え:宗教が述べていることとは違います。

天国は、他者への授与に喜びがある状態です。地獄は、まさに恥ずかしさで火照っている状態です。

地獄とは恥の感覚のことです。天国とは愛からの喜びです。しかし、これはすべて、スピリチュアル段階でのことです。それ以外ではありません。

質問:恥の原因は何ですか?

答え:恥は、クリエーター(創造主)がどれだけ自分と反対であるかを見たときに起こります。

『カバラの知恵の前書き』では、クリ(器)がクリエーター(創造主)と反対であることを見つけたとき、恥を感じ、それ自体を制約して、第一制約(ツィムツムアレフ)が起こった、と私たちは学んでいます。

[251420]
From the Kabbalah Lesson in Russian 6/23/19

バール・ハスラム

私のFacebookページ Michael Laitman 10/10/19より(英語)

イェフダ・レイブ・ハレヴィ・アシュラグは、『ゾハールの書』の解説書である『スラム(梯子)』から、バール・ハスラム(梯子の所有者)として知られています。バール・ハスラムはその生涯を、カバラの智恵の解釈と革新のために捧げ、それをイスラエル中に、また世界中に広げていきました。バール・ハスラムが展開したカバラの研究に関する独特のメソッドにより、誰もが現実を深く掘り下げ、その根と存在の目的を明かせるようになったのです。

バール・ハスラムは、1884年9月24日、ポーランドのワルシャワ生まれ。19歳のとき、ワルシャワで最高位のラビによってラビに任命されました。16歳のときには、ダヤン(正統派ユダヤ裁判官)として仕え、またワルシャワで教師をしていました。

ポーソブのラビ・イェホシュアに師事し、1921年にイスラエルに移住。エルサレムの旧市街に居をかまえました。バール・ハスラムが来たといううわさは、ポーランドから移住したユダヤ人たちの間ですぐに広まり、ただちにカバラの権威として知られるようになります。その周りには徐々に生徒たちのグループができ、夜明け前のカバラのレッスンに参加しました。後には、旧市街から引っ越して、エルサレムの新しい居住区であるギバト・シャウルに落ち着き、そこで数年間、その地区のラビを務めています。

1926年から1928年まではロンドンで過ごし、その間、アリの『生命の樹』の解説書『パニム・メイロット・ウマスビロット』をしたため、 1927年に出版。また、その滞在中、イスラエルの生徒たちと頻繁に手紙を交わし、それは1985年に『イギロット・コデシュ(神聖なる手紙)という本にまとめられています。

1933年には、論文『マタン・トーラー(トーラーの授与)』『ハアルヴット(相互保障)』『ハシャロム(平和)』を出版。

バール・ハスラムの長きにわたる仕事の成果として、2つの主な作品があります。それは、アリの著作に関する解説『タルムド・エセル・セフィロト(10個のセフィロトの研究)』と、『ゾハールの書』の解説『ペルシュ・ハスラム(スラムの解説書)』です。16章(6巻)からなる『タルムド・エセル・セフィロト(10個のセフィロトの研究)』の出版は、1937年に開始。1940年には、アリの著作を厳選しその解説を添えた、『ベイト・シャアル・ハカヴァノット意図の門)』を上梓しました。ゾハールの解説である『ペルシュ・ハスラム』18巻は、1945〜1953年にわたって印刷されています。 後に、さらなる解説を含む3巻、『新ゾハール』が、バール・ハスラムの死後、1955年に刷られました。

バール・ハスラムはゾハールの書への手引きで次のように書いています。「私がその解説をスラム(梯子)と名付けた理由は、この書の目的があらゆる梯子と同様であり、もしも屋根裏部屋に山ほどの素晴らしいものがあるならば、必要なものはそこにいくための梯子だけであり、その時世界中のすべての恵みはあなたの手の中にある、ということを示すためである(第58項)」。

バール・ハスラムは、カバラの原典を正当に学ぶための準備として、一連の解説を書いています。その一部には、『ゾハールの書の前書き』『ゾハールの書への手引き』『カバラの知恵への前書き』『スラムの解説書の前書き』『生命の樹への一般的前書き』『タルムード・エセル・セフィロトへの手引き』などがあります。

1940年には『ハウマー(国家)新聞』を初刊行。しかし、結局それが最終刊となりました。この新聞は、英国の委任当局が共産主義を広めたという悪意のある情報を受け取ったことで、廃刊とされたのです。

バール・ハスラムは、自分の本の出版で途方もない困難に直面しています。2003年のイスラエル賞を受賞したシュロモ・ギオラ・ショハム教授が1950年代初頭にバール・ハスラムと会談した際の記述から、バール・ハスラムが出版とカバラの普及に帰した重要性を知ることができます。

「彼は老朽化したぼろぼろの建物、ほぼ掘っ立て小屋のようなところにいた。そこには古い印刷機があった。彼には植字技術者に支払う余裕がなく、 60代後半にして、自ら一文字ずつ組版し、何時間も通して印刷機の前に立っていた。 アシュラグはツァディック(義人)であることは明らかで、晴れやかな顔をした謙虚な男であった。 しかし、彼は完全に社会の本流から外れた人物であり、ひどく貧しかった。 後に聞いたところでは、彼は非常に多くの時間を植字に費やし、印刷過程で使用された鉛が健康を損ねたとのことだ」

この抜粋は、2004年12月17日にハアレツ新聞に掲載された、ミッカ・オデンハイメルによる記事です。

バール・ハスラムは、単に自分の考えを紙に著しただけにとどまらず、その推進活動にも精力的でした。 当時のイスラエルにおけるユダヤ人居住地の多くの指導者や労働運動の指導者ほか、多くの公人と会談しています。その中には、ダヴィド・ベン=グリオンやザルマン・シャザール、モシェー・サデー、ハイム・アーロゾロブ、 モシェー・アラム、メイル・ヤアリ、ヤアコブ・ハザン、ドブ・サダン、偉大な詩人であるハイム・ナフマン・ビアリクなどの人物がいます。

イェフダ・アシュラグと数度にわたり会談したベン・グリオンは、実に驚いたとのこと。

「私は彼とカバラについて話したかったが、彼は社会主義について話すことを望んでいた」

(ベン=グリオン・アーカイブ、1958年8月11日の日記より)。
ドブ・サダンは、そのエッセイ「3つの会議とその間に」(アモット、テルアビブ、1963、P.49)で次のように書いています。

「当時最も偉大なカバリストの一人であるラビ・イェフダ・レイブ・アシュラグは、カバラの基本を私たちの世代の歴史的なエンジンに変えることを目指していた。これに基づいた社会主義的な認識を通じて、彼はキブツ運動との接触を求めたのだ」

バール・ハスラムがヘブライ労働運動とその指導者たちとのつながりを求めたことは、両者にある精神的および教育的な食い違いを考慮すれば、驚くことかもしれません。しかし、彼の著作を深く研究すると、イスラエル国内でも世界でも、その両方でその時代の出来事に多大に関与していた博識者のうち魅力的で興味をそそる人物、そのアイデアが今日にあってなお画期的で大胆であると考えられている人物が明らかになります。

時間と空間、動きを超え、死者とコミュニケーションするには

Thrive Globalが公開した私の新しい記事:How to Rise Above Time, Space and Motion and Communicate With the Dead”(英語)

カバラの知恵によれば、私たちが自然や自然の法則にならって成長し、より高度な人間の状態を目指すならば、このような科学技術による方法は必要ありません。狭く限られた人間の脳が想像できる、科学技術的な手法によるどんなものよりも、完成された現実を経験することになります。

AIテクノロジーは、死者とのコミュニケーションを手助けする方向へ行きつつあります。ヒア・アフター(HereAfter)が、愛する人が亡くなった後も、会話を続けられるAI学習の提供を開始。愛する人の思い出ばなしで我慢するのではなく、AIテクノロジーに人の話し方、振る舞い方を学習させることを提供しています。

そうはいってもこれは、人々や世界、自然に対する態度といった面で、内面的な進歩のない方法であり、私たちが押し進めている科学技術の一例です。 私たちがもっと精神的、感情的に進歩すれば、亡くなった愛する人たちとコミュニケーションをとるというニーズは、単に子どもっぽく、人生の目的のなさから生じているように映るでしょう。

人々が温かさやサポート、守られる感覚を求めていること、この技術がそういった感覚の提供に役立つことは理解できます。しかし、そのような取り組みは人間の前向きな発展に、何も貢献しません。 精神に作用するドラッグをすぐに入手できるというような、今日の傾向と違いがありません。それは、落ち着いた泡の内に私たちを閉じ込めていきます。

全般的に、社会に人生の目的がないのです。かつて私たちの目の前で、努力に値する崇高な目標として光を放っていたものは、消えてしまいました。目標が欠如した中で、ドラッグなどの合法化と共にある開発。その線上にあるもののように、私には見えます。それらは、つかの間の代替品として現れているのです。

死者とコミュニケーションするための技術は必要ない

カバラの知恵によれば、私たちが自然やその法則にならって成長し、より高度な人間の状態を目指すならば、このような科学技術による方法は必要ありません。狭く限られた人間の脳が想像できる、科学技術的な手法によるどんなものよりも、完成された現実を経験することになります。

カバリストとは誰のことでしょうか?  カバリストとは、時間や空間、動きを超えて、相互に結びついた現実の知覚と感覚を獲得した人々です。時間や空間、動きを超えて上昇するため、身体的・物理的にコンタクトするしないにかかわらず、カバリストどうしや、少し昔の人・遠い昔の人ともコミュニケーションが可能です。

想像力や幻想力、神秘的能力、予言的能力。そのどれでもありません。それは、カバラの方法論で獲得できるとても現実的な能力です。

私たちの知覚と感覚の中で、時間や空間、動きを超えて上昇することにより、私たちは自然の始まりと終わりへアクセスします。すると、これまでに生きていたどんな人でも、その人たちが何をどのように考え、感じていたかを知れる衣をつけられます。それにより、その人たちから直接学び、そのアドバイスを役立てられるのです。

これは、カバリストのイェフダ・アシュラグの記事「スピリチュアリティとは決して失われることのないものと言われる」で述べられていることと同様です。

「そこから、我々の賢者たちによるトーラーの詩の解釈が広げられる。彼らは、これはアブラハムがイサクに言ったことであり、他にも賢者たちによる同様の言葉があると言っている。おそらく彼らは、詩の中で説明され語られていることを話しているのだろう。
ここで疑問が生じる。『人が誰かに言ったことを、彼らはどうやって知ったのか?』しかし、アブラハム(または同様の誰か)がいた段階に到達した人々は、そのことによって、アブラハムが見て知ったものを、彼らも見て知ることになるのだ。
このため、彼らはアブラハムが言ったことがわかる。そして我々の賢者たちがトーラーの詩を解釈して話したすべての言葉も、同様にわかる。それは、スピリチュアリティにおける各段階は現実であり、彼らもまたその段階を獲得したからである。誰もがその同じ現実を見る。英国のロンドンという都市に来る誰もが、都市にあるものを見て、都市で話されていることを知るように」

カバラを使って時間、空間、動きを超えて上昇する方法

私たちはそれぞれ、生まれ持った利己的な性質に基づき、主観的な個々人の知覚という狭い枠組みの内で、時間や空間、動きを感じています。カバラの知恵は、他者への愛を育むことによって、現実に対する私たちの利己的な知覚からどのように上っていくか、というメソッドです。そうすることで、すべてのもの、すべての人が一つにつながる、永遠なる完成された現実を明かします。

その方法で現実に到達することは、自然が持つ知覚の獲得を意味します。フィルターのない、壊れていない知覚です。私たちは、自然にある愛と授与の力がどのようなものかを感じるようになります。それは絶えず、現実の各部のすべてを、たった一つの全体なるものへつなげようと働きかけます。私たちは、人生へのアプローチを自然の法則と機能に合わせていくのです。

この相互接続された現実への到達から、私たちはこれまでに生存した各個人の欲求や思考にアクセスできるようになります。これは、目下のところ検索エンジンを使用して、ヴァーチャル・クラウドから必要な情報を引き出す方法と比較できます。ただし、それは単なる検索クエリーよりもはるかに集約されています。私たちは、ソロモン王からヒトラー、存在すら知らなかった人々まで、あらゆるカテゴリーの人々の状態を文字通り装えるです。

もちろん、このたいへん喜ばしい能力は、他者や自然の利益のため、利己的な自己利益のひとかけらも付けることなしに、完全な利他によって使う人にだけ許可されます。それが、自然というものの状態です。だから、私たちは、現実へのそのような態度を獲得するよう、自我を超えて上昇するため、カバラの知恵を必要としているのです。

他者や自然との絶対的なつながりに、精巧な技術は必要ありません。カバラのメソッドに従って、「内なる作業」と呼ばれる、思考や欲求、意図へ取り組むだけで、まったく新しい広大な現実の知覚と感覚を養えるのです。