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人が死ぬと魂はどうなるのか?

「人が死ぬと魂はどうなりますか?」
私がかつて、我が師、ラバシにこの質問をしたところ、彼はこう答えました。
「それは、一日の終わりに汚れたシャツを脱いで、洗濯機に投げ入れるようなものだよ……」

これと同じように、人生の終わりにも魂から体を脱ぎ捨てます。身体は朽ちてなくなりますが、魂は生き続けます。古いシャツを脱いでも生きたままなのと同じように、肉体を脱いでも生きたままなのです。

質問:ならば、身体なしで魂はどのように存在するのでしょう?

答え:今も魂は体なしで存在しています。身体に伴ってはいますが、それに触れてはいません。魂はあなたが感じることができない別の次元に存在しています。

バール・ハスラムは『平和』という記事でこう書いています。
「このように我々の世界では、身体は新しくなっても新しい魂というものはなく、(形態変化の輪の上で)実体化するある決まった量の魂だけが存在する。そのために魂に関して言えば、創造の始まりから是正の終わりまでのすべての世代は、魂が発達しあるべき姿に是正されるまで続く数千年にわたる人生を生きるひとつの世代である……」

この世で魂が発達する期間は6000年です。この発達は5775年前に生きていたアダム・ハリション(最初の人)から始まり、6000年が終わるまで続きます。つまり、私たちにはあと225年残されているということです。この間に、私たちは全員で自らの魂を発達させなければなりません。それは集合的な魂における私たちの役割であり、私たち全員で全員をひとつの魂につなげるということです。

カバラの知恵はその全過程を説明しています。140億年前、ひとつの火花から私たちの宇宙の物質的進化が始まりました。ひとつの火花が「ビッグバン」の始まりとして用いられたのです。こうして、無生物の進化が始まりました。そして、20億年前、最初の植物が地球に現れ、次に動物が現れ、その後人類が現れると、人類はその次の段階、つまり上層の世界、生命の源を獲得したいという欲求が芽生えるところまで発達してきました。

無生物から始まり、植物、動物、人間へと続いた発達の中で、人間は、魂の発達と呼ばれるより高い段階へ至らなければなりません。次の段階、その上の世界へと上がっていくということです。上の世界にも、無生物、植物、動物、人間という発達段階があります。しかし、その上に、私たちが成長しさらに高い世界へ上っていくのに必要なスピリチュアル段階があります。私たちはこうやって5つの世界を通過していくのです。

質問:アダム・ハリションは5775年前に生きていて、彼は自分の内で魂を発達させたのですよね?

答え:そうです。だから彼はアダム・ハリションと呼ばれています。

質問:つまり、あと225年の間に、すべての人がその内側に魂を発達させなくてはいけないということですか?

答え:そうです。あと225年、もしくはそれよりも前にです。誰一人例外はありません。だから、私たちはこの発達が速度をあげていくさまを目にすることになります。時間はその濃さを増し、一見すると縮小して圧迫されていきます。私たちが自分たちの内側に魂を発達させないならば、そして発達に向かって自分自身を押しやらないならば、自然の力はあらゆる災害やさまざまな問題で私たちを圧迫し、私たちをすさまじい重圧のもとにさらします。自然の力が私たちを魂の発達へと向かわせるのです。

魂の発達はなによりこの世でしか起こりません。そして、それは人々の間のつながりを通してのみ改めていけます。私たちの間のつながりを通して、私たち全員にとっての全体であり共通であるたった一つの魂に形を与えるのです。

バレンタインズ・デイ

私のFace bookページ Michael Laitman 2/14/19 より

愛とは何でしょうか?  一般的に愛の定義とは、非常に曖昧なものです。 愛は音楽や文学、詩のひらめきの源ですが、基本的に多くの人にとって、その本当の意味は知られていません。今、私たちが知覚している現実というのは、実のところ「汝の隣人を汝のごとく愛せ(周りにいる人を自分のように愛しましょう)」という全体的な力に支配されているのですが、愛とは本当は何を意味するのでしょうか?

私たちが動物的、物質的、利己的にお互いを楽ませるような愛、肉体の世界で手にすることのできる愛は、愛ではありません。親は本能的に自分の子を愛し、子も本能的に親を愛しますが、そこには、お互いに求めるものを受け取りたいという期待があります。

一方、男女の間の愛は、単にホルモンによるものです。それは突然消えたり、逆にどこからともなく降って湧いてきたりと、動物レベルで引きつけあっているにすぎません。

それとは対象的に、真実の愛とは永遠であり、この地上の欲望を超えたところに根付いています。私たちはいつも自分の利益を利己的に計算していますが、それを超えて互いに依存しあう自然と人類を統合した一つの世界の、一つのシステムに自分たちが属していることを知り、それを悟ったとき、真実の愛は生まれます。つまりそれは、相互に関連しあったシステムであり、私たちはその一部なのです。そして、さまざまな違いの上で、まるで一つの家族のような一つの統一体として、そのシステムは維持されていきます。

家族の中では、お互いに大きいも小さいもありません。それぞれが同じように重要です。これこそが私たちが人類をどうみるかに必要なものです。そこでは、お互いに感謝し、良さを認め支えあい、自然の完璧な完成図を得るために各自が不可欠であり、それがあらゆる関係性を成功させる鍵になるのです。

この形をとっていても、私たちが持つ傾向や欠陥がなくなるわけではありません。私たちはただ、それをどう超えていけるかについて関わっていきます。私たちを分離しているすべての憎しみと拒絶を覆うような、真実の愛という空の下でつながるために……。その空の覆いを創ることが、いつなんどきも、無限の愛という新しい感覚に到達するための条件なのです。

 

幸せが隠されている場所

質問:カバラの知恵は人を幸せにすることができますか? カバラの知恵を知るとどうなるのですか?

答え:人は子どものころ、人生の意味についての問いを持っていたとしても、思春期を向かえるころにはそれを忘れてしまうものです。しかし、人生の後半になってその問いが再びわき上がってくると、これらの質問に対する答えを探し始めます。

今日、そういった人たちはかなりの数にのぼっています。答えの出ない問いに対する苦痛や苦悩。これはうつを患っている人の数や、その問いを麻薬を使って押さえ込もうとする人の数にあらわれています。 今やそういった人々が世界の人口の少なからずを占め、相当の割合の人々が抗うつ剤を服用しています。

そして今、その問いに対し、カバラの知恵がその答えを提示する時が来ています。カバラの知恵にはその正確な答えがあり、人々はそれを自分自身で発見することができます。そしてその答えに、自分たちがいるこの世と自然の世界の真の成り立ちを知覚していきます。 人々が見つけるその答えは、単純なものでも抽象的なものでもありません。その人たちは、自分の感情の中で、また明かされた世界の中で、その答えがどのように機能しているのかを見ているのです。

そのため、この世界を把握するだけでなく、世界を変化させ、自分自身を変え、そして自分自身と世界に正しいつながりをもたらすことが必要です。その結果として、幸せや安らぎ、周囲の人々や世界との調和とバランスに到達できるようにするべきなのです。

ここで、このカバラの知恵が助けになります。カバラの知恵は、自然との調和を成し遂げ、私たちが完璧なバランス状態でこの世界に存在するために、人間はどう変われるのか、自然はどう整えられていくのかを教えてくれます。 このバランスこそが幸せなのです。
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From KabTV’s “The New Year” 12/25/14