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もっと互いを妬みなさい

質問:私たちの尽力の量と質は、友達の妬み(嫉妬・羨望)によって決まると言えますか?

答え:はい、そうです。それはあなたの妬みによっても決まります。それ(ピルケイ・アヴォット 4:21)は「妬み、渇望、名誉は人をこの世の外へ連れていく」と伝えます。

私たちは、これらの性質の非常に良い点とは何か、人間の形態を失うことよりも悪くて避難されるべきことがあろうかと自問するかもしれません。妬む人は、他者を傷つけ、また、他者にひどい仕打ちをして滅ぼすことを楽しむことがあります。

要するに、私たちは否定的な性質について話しています。しかし実際は、それらが人をこの世から上層世界へと連れていってくれるものなのです。結局のところ、それらが本当のエゴを私に示してくれるのです。

もし私が、妬み、渇望、そして尊敬されたいという欲求を感じないなら、どうやって私はそれ以外の方法で他者とのつながりを築くことができるでしょうか? もし私にそのような性質がないとするなら、私には何も必要なくなります。私は郊外のどこかに住み、自分の基本的生活必需品をそろえるためにたまに買い物やお使いに行って家に帰るといった生活ができます。

しかし、突然、私はこの平穏な生活の中で自分が他者に嫉妬していることを知ります。彼らの持っているのと同じものを獲得したい、そして、彼らよりも上位者に思われるためにさらにもっと多くのことを達成したいと思います。そして私は都会に住むために引越し「職業生活」のスタートを切るのです・・・。

自分自身の悪い性質を明らかにすることなしに前進することは不可能です。私たちはただそれらが「反する手助け」であると理解すべきです。私たちはそれらが現れるのを妨げるべきではなく、むしろ許すべきなのです。「私は悪の啓示に満足している」とバール・ハスラムが言うように。

質問:どうすれば友達が妬ましいと感じることと、自分ではなく友達のために要求することを両立できますか?

答え:友達を妬むことは自分の前進を促すものです。しかし、何に向かって前進するのでしょうか? “授与・与えること”に向かって前進するのです。私は[この世における]物質的なレベルで彼らよりも大きな業績に達するつもりではありません。私はスピリチュアルなレベルで成功したいのです。スピリチュアリティのなかでの成功とは、どれくらい自分の「自己」を無にするかによって決まります。前進したい時に私は妬みと渇望と尊敬されたいという欲求によって友達から受け取ったすべてを組織化します。そしてその後で、私はスピリチュアルな前進が、実際は私自身を越えることであると理解し始めます。

したがって、私は上昇したいという欲求を友達から受け取ります。しかし私はそれを正しく解釈しません:上昇することとは、私自身の上に上がり、友達と一体化することを意味します。したがって、グループとは「反する手助け」なのです。グループは私の中にネガティブな覚醒(目覚め・気づき)を呼び起こします。そして私はいつか友達とのつながりに回帰するために、それをポジティブに変化させるのです。

ここで私は再び問題を抱えます。欲求が再び大きくなるのです。そしてこの全プロセスが繰り返されます・・・。

質問:どのように妬み、渇望、そして名誉に対する欲求を正しい方向に向けることができますか?  結局のところ、正しい目標を目指すことにおいて自分自身を正当化することはとても簡単であり、最終的に途中で暗闇と歪曲に陥ります。どうすれば先生とグループと書物に加えて、正しい方向に向かわせる内面の境界を作り上げることができますか?

答え:あなたは友達の目の前で自分自身を無にしなくてはなりません。その結果、あなたは妬み、渇望、そして尊敬に対する欲求を自分の内部に呼び起こします。あなたは目を開き、物事を調査し出し、それらをただ継続させることをしなくなります。

さもなければ、いつの間にか[この世における]物質的な妬み、渇望、そして尊敬に対する欲求に陥ります。違う存在でありたい、友達より上に上がりたいと思うのです。しかし、グループはあなたをこうしたことに陥らせないように作られています。どんな場合でもあなたは変わります。なぜならグループ内の雰囲気は特別であり、人々が内なる探求に取り組んでいるからです。したがって、友達に対するあなたの態度が徐々により正しい形態を帯びるようになります。したがって、グループ内の新しい友達でさえ正しい方向を受け取り、通常の自分に向けられた利益ではなく、真実を熱望します。

質問:しかし、友達の各自には前進するための最適な条件が与えられています。よって妬むものなどありえないのでは?

答え:私は自分の中に彼らを含ませたいのです。彼らの各自には特別な何かがあります。そうでないなら、その人はここに居なかったでしょう。だから私も同じものがほしいのです。これは私がアダム(人間)に成りたいことを意味します。

最適な条件とは、リラックスするための理由ではなく、むしろすべてのものから、すべての状態および友達から善を取り出すための理由なのです。

 

発達したエゴイズムのレベルにおける欲求の「リセット」

質問:仕事場での良い関係が会社に対する従業員の忠誠心を高め、早死にのリスクさえも防ぐと統計は示します。しかし同僚たちは、争い合い、お互いに腹を立て、自分の立場を堅持し、自分の利益のために闘い続けています。何故これらの対立を中和することができないのですか?

答え:この20~30年間に現代世界が試みたすべてのこととは、どうにかして全体をつなげて1つの統一体にさせようという試みです。人々に優しさ、調和、協調の感覚を与え、チームをある共通の土台、共通の計画と解決策に至らせ、仕事に活気を与えるといった試みです。しかし、すべては無駄でした。

以前は、経営者が何らかのアイデアを「投げ」た時に、人々はワクワクしその人に従いましたが、今では誰も何も欲しくないのです。お金でさえも。

人々は「ゾンビ」のように仕事に来ます。その理由はただ単に明日のホームレスにならないよう、生計を立てなくてはならないからです。彼らはお互いに意思疎通を図ることができず、半分眠りながら仕事に時間を費やし、一日を終えて職場を後にします。

人々は働くことに対する愛好を失いました。彼らには目的がありません。熱意のある人も、熱意をそそげるものもありません。エゴイズム(利己主義)がまだ発達過程にあった以前のように新しいアイデアを生み出す社会集団はもはやなくなりました。

しかし現在はエゴイズムの進んだ段階の時であり、エゴイズムは完全体(総体)に成りつつあります。そしてこれが、かつてあった目的、満足感、興味が失われていることの理由なのです。今日ではそのどれ一つもありません。

これこそが、上司や経営者にとって従業員の関心を抱かせ続けることがとても難しいことの理由です。従業員はいやいや働かなくてはならないので、関心を抱くことはできません。従業員のモチベーションは年々、そして、日ごとに減少し退行し続けます。

人には何かをするモチベーションが少しもありません:何のために?-私は無理やり自分自身にムチを打って働いています。もちろん私は哀れな「ほんのわずかなお金」を喜んで受け取り続けて、それ以外のことには関心がありません。私には、生産、チーム、仕事そのもの、地位、または内なる呼び声なんかどうでもいいのです。人々は働くためのどんなモチベーションをも失ってしまいました。彼らは金銭的報酬さえにも関心がありません。

それはただ単に、私たちの内的な真の構成要素である欲求がとても深刻な「リセット」を経験しているためです。欲求が個人のものから集合的なものへと変化しつつあるのです。しかし、私たちは集合的な欲求を満たす方法を知りません。

さらに、私たちはこれらの欲求が集合的なのものであるとは気づいていません。しかし私たちはかつてないほどお互いに依存し合っていると感じ続け、その状況から逃れようとします。各々が各自の適所へと逃れるのです。人が自分に近づこうものなら、私は今すぐにでもその人を目で焼き殺す構えでいます。事前に私はその人を押しやる準備ができているのです。

こうしたことは至るところで問題となっています。しかし、それは私たちの責任ではありません。経営者たちはこのことを理解する必要があります。そして同時に、自分たち自身の内に存在しているこれらの問題と闘う必用もあります。

唯一の解決策は、会社の従業員にこの事態を説明し、統計を見せ、インテグラル養育の方法をある程度説明することです。私たちが人々をワークショップに参加させる時、人々は全く新しい欲求を発達させます:集合的で丸く、個人的でも直線状でもない、分離していない完全にそろった欲求です。そして、私たちはまったくの別人を手にします。

この人は自分自身とチームが1つの統一体であると認識します。彼は自分のチームに参加するときに自分が呼吸をし始め、目を開き、より明晰に考えることができ、聞こえ始め、すべてがより鋭くなることを見始めます-彼は目覚めるのです。彼は人生に活気があると感じ始めます。熱意があるのです。

一度私たちが、他者と一緒になることが、熱意と共通の人生と共通の満足が体験できる、新たな共通の集合した欲求を明らかにするのに必要であると説明するなら、人はチームへの依存にも関わらず、それを楽しいと感じます。その理由はこの依存が丸く、包括的であるためです。私たちは軽くて自由であると感じて、人生が喜びになり、まるで翼を持ったように高く舞い上がるので、全員にそれは必要なことなのです。

今日、こうしたことが世界中で最大の問題であるため、人々は喜んで何でもやる準備ができています。むなしさや空虚感そして空白感が原因で自殺、薬物依存(麻薬中毒)、うつ病、離婚、犯罪、テロ、そしてその他すべてのことが起きているのです。私たちには、自分たち自身から身を隠す場所などありません。人々に満足感を与えなさい。そうすれば、こうしたことはすべてなくなります。

最終結果を見る

バール・ハスラム、『Introduction to the Book of Zohar(ゾハールの書の序章)』項目4:これらの質問と疑問を理解するために、その唯一の戦術は行為の終わり、すなわち創造の目的を調べることである。唯一その終わりで以外に、プロセスの途中で理解されることは何もないためである。

これはルールです、行為の終わり(結末)をよく見ることだけによって、すべての詳細、様相、すべての理由、そして、プロセス全体が理解できます。その理由は、唯一その終わりで、あらゆる詳細がどれぐらい重要であって、どの程度これらすべての詳細がこの順序で次々とアレンジされなくてはならないのかが明確になるからです。唯一その終わりで、すべてが完全だと分かります。すべての詳細が正しくアレンジされる時にだけ、完全なる終わりが可能なのです。しかし、私たちが道の途中にいるのなら、どのように終わりに達するのでしょうか?

そして、目的(意図)のない行為がないことは明白である。今日、この事を近代科学で見ます。近代科学では確かにすべては因果関係と絶対的法則に従って動きます。少なくとも自然の中の静物レベル、植物レベル、動物レベルにおいて、私は偉大な知恵、論理、常識を発見します。そこには余計なものはなく、すべては、あらゆる小さな詳細がその他すべての無数の詳細に連結できるようにアレンジされています。だから私は「スピーキング」レベルに関して結論に達することができます:私がその中に見る堕落は、私の堕落した個人的な知覚から生じていて、それが私に「スピーキング」レベルにも存在する素晴らしい秩序を見させなくしていて、それどころか、真実と逆の様相や光景を私に見せているということです。人間社会の中で堕落や大混乱を実際に見ますが、それは私たちがそれを生じさせているからです。

もちろん、この現象に対する他の説明もあり得ます:クリエーターは善良で慈悲深い、彼はすべてを包含していてすべてを行う、しかし、彼は彼の創造物を見捨てたと言うことができます。バール・ハスラムは彼の記事『The Peace(平和)』のなかで、このアプローチについての様々な検証を提示します。しかし、私がすでに人生で目にするものに反応して異なるアプローチを使うならば、最終結果を見るほうが望ましいということをよりよく理解します。私たちの研究における経験から、自然が一定のゴールに向かって発達することが分かります。だからバール・ハスラムは、唯一最終結果を見ること以外に、中間(途中)で理解できることが何もないため、最初に創造のゴールに目を向けるべきだと言うのです。

私は、クリエーターがすべての現実を創造してその後にそれを放っておいたと言って、トーラーとミツヴォット(ミツワーの複数形)の重荷を背中の上に投げる者たちがいることを知っている。ここでバール・ハスラムは、すべてが人間のために創造されたこと、人間が創造物の中心に位置していること、そして、この地点からしか私たちが正しく成長できないことを信じない人々について言及しています。すべては私のために創造された-私たちの世界全体とすべての諸世界-そして、私はこのことを受け入れなくてはなりません。それを明らかにしないといけません。状況を制しなくてはならないのです。「私のため」とは、私がそれを是正でき、それを利用することができるということを意味します。この利用のことは「ミツヴォットを尊守する」と呼ばれ、“改善する光”または“トーラー”の助けを借りて行います。こうして私たちは創造のゴールに達するのです。

確かに、彼らが話した知識なしに、私たちが私たちの堕落した極めて不快な性質の全部で私たち自身を創造したと決める前に、私たちの低さ(卑しさ)と無価値についてコメントすることは不可能であるため。私たちが完全でないことは明白です。しかし、どういうふうに世界の中のすべてのものが徐々にその完全性をあらわにすることを目にしないなら、世界が低いと決めることは不可能です。

問題は:もしクリエーターが完全なら、最初から完璧なやり方で進化を創造したのではないのかということです。 しかし、そんなことはあり得ません。創造された存在の中にも現実がなくてはならないためです。この現実はクリエーターと正反対です。従って、それは二つの反対の部分が組み込まれなくてはなりません:クリエーターの性質と創造された存在の性質です。その二つの性質は創造物の中で成長し、その内部でお互いに向かい合います。それはその二つの性質の中間にあり、それ自身を二つの力から作り上げます:授与の力と受け取りの力です。

この意味は、もしゴールが分からないなら、当然創造を正当化できるようにはならなく、以下のような様々な正当化の理由を見つけるということです:完全であるクリエーターは私たちに失望している、私たちを置き去りにした、彼の完全性の中のどこかで見つかる。他の意見には、クリエーターは善の力と悪の力これら二つの力の中にはまったく見つからない、または、多くの善の力と多くの悪の力があるなどがあります。

どちらにせよ、人がトーラーを受け取らない限り、起きていることを正当化することは明らかに不可能です。「トーラーを受け取らない限り」の意味は、その人が堕落したシステムの中にいて、それがそうであるのは、その人がその部分になるため、そして、毎回システムを稼働させることをさらに目指すということへ自分自身を引き寄せながら光によってそれを是正するためということを理解している状態に到達しない限りということです。その後にその人は、すべてが自分のために創造されたことと、最初にそのシステムを是正することなしに、より正確には、それをインストールすることなしに、クリエーターのレベルに到達することが不可能だと悟ります。子供たちがおもちゃを集めておもちゃを組み立てるといったゲームを通じて自分自身を作り上げるのと同じように、私たちの作業においても、つまりパーツを接続する(つなげる)ことにおいても、それは同じです。だから私たちはゴールを理解するために、つながり、ユニティ、そして相互保証のゲームをしなくてはならないのです。

 

平等のつながりを通して上層につながる

質問:上層世界の声を聴けるようになるために、私達は正しい内的な「器」をどのように準備できますか?

答え:上層世界の声を聴くためには、あなた達はつながらなくてはなりません。アツィルート世界のマルフートクネセット・イスラエル(イスラエル集会)と呼ばれます。というのもそれは「クリエイターに真直ぐ」(ヘブライ語:ヤシャー・エル)を切望する全ての人々の集まりだからです。

そこで彼ら全てはアツィルート世界のマルフートでつながり、そしてアツィルート世界のマルフートは一つの祈り(MAN)をあげ、それがゼイール・アンピンまで届きます。そして兄弟と一緒に父母の元へ帰るかのように、(上層のAA)の元へ昇ります。これがエイン・ソーフ(無限)世界に到るまで、全てのレベルで起きることです。

それで、この上層世界とのつながりは、私が私と等しい人達とつながるときにのみ可能です。はじめに私達は「集会」、つながり、友人達の集いを造らなければなりません。大切なことは少なくとも一人の人間の前に自分自身を無にすることです。そしてそれによって、あなたは他者とのつながりの準備ができます。

「上層」という用語は私達の内側にのみ存在します。誰が教師すなわち「ラヴ」(ヘブライ語で「偉大」)でしょうか? 彼はグループの中心にのみ存在します。もしあなたがグループの中心の外側の教師について考えているのならば、彼は「ラヴ」とは呼ばれず、単に(普通の)教師であり、科学者であり、賢い男です。彼は(スピリチュアルな道の)ガイドにはなりません。

ガイドとはあなたに道を示す存在です。それはグループの中心にいて「あなた達全てはこの中心の周りでつながる必要がある」と言う人物のことです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 3/1/13, Shamati #25

新たな夜明けはその前日によって決まる

質問:私はレッスンの間にゴールの偉大さ(重要性)の認識が自分に欠けていると感じます。どうすればよいですか。

答え:全体的に見て、人には1つのことだけが欠けています:グループによってのみもたらされる正しい目覚め・気付きです。そのことについてあなたは何をしましたか? 友達に助けを求める手紙を送りましたか? 彼らにそれぞれ好きなプレゼントをあげましたか? あなたは友達の注意を引き起こさなくてはならないのです。彼らがあなたのことを考えれるように、あなたがゴールの偉大さを理解しているのか彼らが心配できるように、彼らがあなたのことを忘れることなく祈れるように・・・彼らに賄賂として何かを与えなさい!

レッスンの間に堕落を正すことは既に遅すぎます。あなたは準備したものを使うのです。すべての準備はレッスンの前にします。昼間が夕方になり、夕方が夜になり、人は気が付くと暗闇のなかで混乱して理解が欠けています。そしてその後に、その人は光に会う準備をします。その人は真夜中から自分の器(願望・欲求)の用意をすることによって光に向かって突進します。その人はクリエーターに自分の依頼を掲げた後に、用意ができている荷をもってレッスンに来ます。その人は持っている全てのものをスタディにつなげるのです。

従って、スタディの時間は既に日中に起きた出来事の結果なのです。準備をして下さい。このことに関して重要に思えるものについて考えて下さい。しかし忘れないで下さい: あなたがレッスンの間に行うすべてのことは、レッスン前の行為や活動の結果であるということを。それを確認してください。そうすれば、それが本当にそうであることが分かるでしょう。レッスン前の朝に目覚める瞬間、そして、レッスンそれ自体の間に、あなたはその前日に自分自身を満たしたものに取り組むのです。全ては昨日の準備によって決まります。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/6/13, “A Speech for the Completion of The Zohar

カバラ、マルクス、そして大きな嘘について

 今日、私たちの発達の時代の間じゅうずっと伴ってきた傾向が終わりに近づいています。エゴは私たちを木から降ろし人類の進化を始めることを余儀なくさせました。私たちは生活における多くの様相と形態を経てきました:奴隷制度、偽りの自由、中世期、そして資本主義。私たちは利益を得るために、成功するために、そして、進歩するために常に働いてきました。しかしながら今日、私たちのエゴとの「パートナーシップ」はもうすぐ終わります。

この事にはいくつかの理由があります。その1つは、エゴそれ自体がもう満足しなくなったということです。私たちはあらゆる良いことを受け取りますが、それは私たちを満足させません。裕福な人々でさえ、まるで彼らが何もない状態で取り残されたようだとますます感じています。その理由は、その満たすものに対する欠乏がない状態でそれに満たされることが、何の喜びももたらさないためです。

全体的にエリートは世界を自分たちの所有物として扱い、自分たちのために「全世界」を作り上げます。彼らはメディアを通じて、朝から晩まで働くべきだ、流行を追うべきだ、製品やサービスを購入すべきだ、そしてまた働くべきだと私たちを納得させて混乱させています。混乱状態、戦争、そして「アラブの春」のような暴動は絶えず生じています。どうしてでしょうか? それは彼らが注目されずに静かに世界を支配して自分たちのために何十億という利益を得るためです。これこそが、ごく一握りの人々によって支配されている政府や他局の終わることのない仕事なのです。

しかしながら、彼らは自分たちが支配力を失いつつあると既に感じ始めています。エゴイスティックな進化の法則に従い、現在の世界形態はもうすぐ終わりを迎え、世界危機に直面します。大量消費社会を無期限に維持し継続させることに関心のあるエリートを含め、このことを望んだ人は誰もいません。しかし、これはうまくいかないのです。

今や私たちは何処に向かうのか決心しなくてはなりません。だから一方ではマルクスの著書が再びひもとかれていて、他方ではカバラの智慧が明かされているのです。

今日、受け取りたいという願望や欲求の異なる使い方についての話があります。次なる段階は、人々が週に約1時間ぐらい働く、1つに結ばれた社会を築くことです。なぜなら私たちが現在生産している全てのものは、私たちに必要ないからです。今日においてユニティー(統一・団結・和合)とは、人間社会にとって最も重要なモデルです。それなしでは、私たちは日々の糧さえも受け取ることができないでしょう。もし私たち同士がつながらないなら、基本的生活必需品の提供はありません。しかし、つながることこそが私たちのしなくてはならないことにもかかわらず、人類はつながり方を知りません。このため、一見したところ不可能な課題に直面する時、人類は滅亡に向かい、逃げ場がなくなります。

正確にこの時、カバラの智慧をその隠し場所から外に持ち出し、マルクスの『資本論(Das Kapital)』を背景にそれを「振る」のです。人々が私たちを聞き入れることを望みながら。

質問:どんな証拠を持っていけますか?

答え:これを証明する方法は二つあります:

  • 「賢者とは未来が見える人である」と書かれているように、理にかなった証拠があります。私たちのアプローチは実例に基づく実際どおりかつ効率的なもので、より大きな困難を待つ必要がないと人々を納得させることができます。
  • あるいは、その代わりに証拠が災いの形として現れることになりえます。

私たちは人々に不慮の災害が訪れる前にカバラの智慧を広めようと努力しなくてはなりませんが、それは容易ではありません。私たちはメディアを支配していません。エリートは人々を混乱させて大きな嘘を助長することを目的とする大勢のエコノミストと金融専門家と他分野の専門家を作り上げました。これはすべてピラミッドの頂点にいる人々が支配できるようにするためです。では何を支配するのでしょうか? 今日では彼らでさえ正確に分かっていません。その答えは全く彼らの支配下にないのです・・・。

[100549]
From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/15/13, “The Peace”