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動きなしに目覚めること

私達の仕事の全ては、現実に確固として存在している永遠で全体的な状態を発見することです。私達はその中に存在しています。私達は、今感じているこの世界のかわりに、それを感じるように感情と思考を喚起しなければなりません。私達はクリエイターとの密着を達成するまで、いつでも、動くことではなくより目覚めることのみによって、ハートとマインドを開かなければなりません。

もしこのように状態をイメージするならば、そのとき私達は、自分達に起こる全てのことは特別な注意を払うべき場所の合図である、ということを明確に理解します。私達は、それらの場所において、自分達の感情、思考、意図、性質について態度を明らかにしなければなりません。それは一連の出来事でそれらをより発達させるためであり、また私達が、クリエイターと持続的に密着している状態を啓示されるに相応しい者になるためです、

それで、逃げ場所はどこにもありません。私達はいつでも「心の点」(point in the heart)から始まった同じ内的地点まで戻らねばなりません。そしてその絶え間ない発達を確かなものにしなければなりません。全てのリアリティの中で私達が発見できるものは一つの力(フォース)を除いてありません。その力は私達の中にあり、私達を支え、いつでも私達を世話してします。

もしある人がこの方法で自分自身の動きを停止させるなら、(彼は)「心の点」の中にある上層の力の啓示へ導くような発達をするために、唯一正しい方向を見ることによって、そして同時に、その方向から離れずに、彼が発達し、見て、確認し、感じることを可能にするように見える他のやり方全てを意図的に止めて制限すること、つまり強くそれらを締め出すことによって、彼は自分の諸力をゴール達成に向けていることを意味します。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 2/19/13, Writings of Baal HaSulam

彼らはメシアから何を期待するのか

質問:世界の何百万という人々がメシア(救世主)を待っています。なぜカバリスト達は初めから「メシア」概念の意味について説明しなかったのですか?

答え:人々にそれを説明することは不可能です。(それでも何とか)私はあなたにそれを説明してみましょう。そうすれば、あなたも他の人達にそれを伝えようとするでしょう。

私達は大きな世界、巨大な現実の中にいます。しかし私達はその小さな部分だけを掴(つか)んで「この世」と呼びます。生と死、全てのことが「宇宙」と呼ばれるこの小さなエリアの中で起こります。

全ては認識(気づき)に依存します。概して言えば、私達の身体は動物レベルに属しているのですが、今日私達はそれを自分自身と同一認しています。それに食べさせ、それを洗い、それをベッドに寝かせます。要するに、私達は四六時中それに関心があります。

私の身体が生きて健康である限り、そのように私は築きあげられています。そしてもし私が病気になり、気分が悪くなり、そしてもし身体が死ぬならば、そのとき「私」もまたそれと共に死ぬことになります。なぜなら私にとっては身体をおいて他には、何も存在しないように見えるからです。

しかし(ついに)時は到来しました。すなわち私達が認識を発達させ身体を乗り越えることができる時代です。その時もはや生命を身体の中だけで感じ、また身体を通してのみ世界を見ることはなくなります。この新しい、拡大された、高位の知覚は身体のフレームワーク(枠組み)によって限定されません。これが「インテグラル・アウェアネス」(統合的認識・全体的な気づき)」と呼ばれます。他者とのつながりという助けによって、私は自分の物理的身体を乗り越え、そして私達の間のつながりを通して、私はより拡大された感覚で現実を感じ始めます。それは私の身体の内側で感じられるだけではなく、私達のつながりの中で、いくつかの(他者の)身体の内側でも一緒に感じられるもので、私は私達全員を一つの新しい体のように感じます。

かつては「私」だけだったものが、今や私達は自分たちの間に異なった種類のつながりを築き上げつつあります。そうして私達は、私達全てが一緒に、一つのシステムの中で一つの新しい相互的な生命を生きはじめる地点に至ります。分離され限定された自己存在の代わりに、各自が私達の全体的でスピリチュアルな身体、つまり魂、を感じます。

そして、このことを感じる道はようやく今、私達の前に開かれています。もし私が私の物理的身体の中に存在しているもの以上に、この魂の中に存在しているものを感じるならば、そのとき私は自分自身をこの新しいスピリチュアルな身体の中にあるものとして感じます。実際、(物理的・霊的)どちらの場合も私達は欲求(願望・欲望)について話しています。ただこれらの(スピリチュアルな)欲求は相互的であり、「理性の上で」見出されます。これらは、はじめから既に授与の欲求です。このような理由により、マサッフ(スクリーン)で覆われた私の身体の上に見出される誰もが(授与の欲求という点で)私と似ているのです。

このようにして、私達は新しい現実、新しい世界に入り、新しい価値を獲得し、そして生と死に対する評価も異なるものとなり、健康や病気などについても同様になります。

この移行、つまり内部の「私自身」感覚から、外部からの「私自身」感覚への移行は、単純からは程遠い(プロセス)であり、ある特別な力(フォース)の助けによって実行されます。それが私を(自己の)内部認識から外部認識へと引き上げます。(この引き抜きをヘブライ語で「モシェフ」と言います。)これがメシア(マシアフ)と呼ばれるものです。そしてそれを達成するために、人は本当に努力する必要があります。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/7/13, “A Speech for the Completion of The Zohar”

どうすれば自分のことだけを考えることをやめれるのか?

 質問:人はどの器の中でスピリチュアリティを見つけるのですか?

答え:“戻る光”(Returning Light)の中です。その意味は授与(与えること)の中ということです。それは自分のことよりも他者のことについて心配する時のこと、自分にとって自分より他者のほうが大切な時のことです。

質問:人はスピリチュアルな器を獲得するために何を無にしないといけないのですか?

答え:自分のことだけについて考えることを無にしないといけません。どうやって自分のことしか考えない私が、他者の利益のために自分自身を完全に変える状態に切り替えられるのでしょうか? どこでそのような欲求や願望を得ることができるのでしょうか? どこでそのような努力をするための力を見つけられるのでしょうか?

ここで私を助けるのが“改善する光”(the Light that Reforms)です。それは“エジプトからの脱出の奇跡”と呼ばれています。私は自分の感情(heart)と知性(mind)を、自分のことを心配するという欲求から取り出し、それらを他者の中に入れます。もちろんこれを自分の力ですることはできません。囚人は自分自身を牢獄から釈放することはできません。自分で自分の髪の毛を引っ張り、沼地から抜け出すことはできないのです。

しかし、光が来てその欲求からこの心配を取り出し、それを他の誰かの中に入れてくれます。そしたら私はその人のことを心配しだします。母親が自分の赤ちゃんの心配をするように。結局のところ、同じ事が彼女にも起こりますが、それは利己的なレベルです:それはまるで彼女が自分の赤ちゃんの心配をするように催眠術をかけられ、赤ちゃんを一日中見て心配をしているようなことです。もし私たちがこの世に於けるそのようなプロセスについて知らなかったなら、彼女が気でも狂ったのかと思うことでしょう。

これも光の働きですが、母親は自分の赤ちゃんを愛すことができるようになりたいと頼む必要はありません。彼女はこの愛を上層から単に与えられるのです。しかし私たちの場合は違います。人には選択肢が与えられます。「“動物”のレベルのままでいたいのですか?  ならどうぞいてください。しかし、もしスピリチュアルなレベルに上がりたいなら、この力を起動させる必要があります。」

あなたは常に上達し、より賢くなる必要があります。要するに、クリエーターを起動させるためにクリエーターの知性を獲得する必要があるということです。これがその二つのレベルの違いです―あなたがクリエーターを起動するという事実。このことについてタルムードは「我が息子たちは私を負かした」と伝えます。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/6/13, A Speech for the Completion of The Zohar”

痛みを感じる丸太

バール・ハスラム、「ゾハールの完成のためのスピーチ」:あなたがクリエーターとの形態の等価(同等性)を達成する時―彼の全行為は与えることそして他者に利益を与えること、そのようにあなたも、全ての行為が与えることそして他者に利益を与えることだけになる。これが完全なるディヴィクット(密着)である。

質問:“形態の等価(同等性)”とは何ですか? もし私が“受け取る意志”ならば、どうやって私は形態において等しくなれますか?

答え:仮にあなたが私に似たいとします。私はあなたと遊び、あなたに対してある形で現れ、あなたは私のようになろうとします:あなたは私がすることをし、私のように考え、私のように話します。翌日に私はより進歩した形で現れ、あなたは話し方と振る舞い方と考え方において私にもっと適応しなければなりません。私はあなたに模範を示し、あなたはそれらに従わないといけないのです。これを「形態の等価(同等性)」といいます。

ここであなたはこう尋ねるかもしれません:「しかし、クリエーターが見えないなら、どうやって彼に似ることができますか?それ(旧約聖書)は「汝の神、主に立ち帰れ」と伝えます。どうやって彼のもとへ帰れますか?どうやって彼にますます似ることができますか?せめて模範を示して下さい・・・。」

頼みなさい。あなたがクリエーターのようになることができるように、彼に模範を示すよう、そして、彼が誰で何であるか示すよう頼みなさい。もし頼まないなら、あなたは彼のようになりたくないことを意味します。あなたにとって本当に必要なものが模範だけの時、あなたはそれを受け取るでしょう。

質問:私は猫を飼っています。私は猫に私の知る全てのことを教えることができますが、猫はいずれ私のようになるでしょうか?

答え:猫に「心の点」はありません。猫に教えることはできません。あなたは猫を手なずけることしかできません。猫を何らかにすることはできますが、猫を人間にすることはできません。なぜなら“人間”(アダム)とは“クリエーターと似ている”(ドメー)を意味するからです。猫にはそのための出発点、初めのスパーク、つまり「心の点」がないのです。

もし器の破壊の間に受け取る意志の中に入った心の点がなかったとしたら、私たちも動物のレベルまでしか発達しなかったでしょう。しかし、私たちがこのフェーズを完了させるとき、スピーキングのレベルの点が私たちの中で吹き出すように現れます。これが今日人類に起きていることなのです:人類は“動物”のレベルにおいて進化の終わりに到達したのです。

全てはゼロから、カオス(混沌)から始まりました。そして自然において静物のレベル(still nature)が現れ、その後に植物のレベル(vegitative nature)が現れ、そしてその後に動物のレベル(animate nature)が現れました。もしスピーキングの点が動物のレベルになかったとしたら、スピーキングのレベルに属する人間(Adam)は、どこへも進化せず、全てはここで終わるでしょう。

これが世界での驚きと問題なのです:人々は彼らが新たなレベルに直面していることを理解していません。彼らが理解しない理由は彼らにそれが見えないからです。それは触れられません。それはスピリチュアルなのです。前のレベルの全ては具象的なのに、スピーキングのレベルは具象的ではありません。

もし私が自然における静物のレベルであるなら、自分のより高いレベルを認識することはできません:植物のレベルと動物のレベルのことです。下位と上位の両方に見ることのできるつながりはありますが、人間のレベルが何なのか私には全くわかりません。また、人間のレベルに上昇することは私にとって大きな謎です。私に何ができるのでしょうか?私にはそれをつかむ方法も模範もなく、それはまさに未知なのです。

これこそが、世界中の人々が何が起きているのか理解できない理由および将来の上昇のメッセージをを受け入れることのできない理由なのです。

最初、クリエーターによって創造された欲求(または願望)は、心の点(・)、ガルガルタ・ヴェ・エインアイム(GE)としての機能を果たす部分でした。これを“イスラエル(Israel)”といい、それは“ヤシャー・エル”(クリエーターへ真っ直ぐ)ということを意味します。アブラハム(Abraham)はこの部分に属す人々を古代のバベル(Babel)から連れていきましたが、心の点のない(without (・))他のバビロニア人はバベルに残りました。

そしてその後に、粉々に砕け散ること(shattering)、つまり破壊(destruction)により複数のイスラエルの点は陥落し、欲求の物質とミックスされました。これがイスラエルの人々の国外追放(exile)です。つまり特質の相互的な取り入れ(mutual incorporation)によって今日の全ての人が心の点を持つようになったことです。

そうはいっても、人々の目の前に進化のもう一つのフェーズ、“動物”のレベルよりも質が高く本質的で強力なもう一つのレベルがあることを心に描くことはとても難しいことです。地球の表面に植物しか見ることができないと想像してみてくだい。この光景に次なる動物のレベルである鳥や魚、そして人とその文明を加えると、なんという違いでしょう。

現在、私たちは新しいレベルに直面しているのに、誰もそれを理解していなく、誰もそこへと上昇する必要性に気づいてません。

質問:心の点が全てのことを決めるなら、私を今日のピノキオに例えることは可能ですか?

答え:心の点がなければ、あなたは“丸太”になるでしょう。しかし、この丸太の中には何か他のものがあります。したがってゼペットがそれを斧で切り始めた時にそれが大声を上げるのです。これが“心の点”で、それが人間の声を出すのです。私たちの中の他の全てのものはまさに“丸太”にすぎません。

次なるレベルは無からは形成されません。したがって発達する必要を感じる人々が我々、ブネイ・バルーフ(BB)に来るのです。上昇する性向を持ち、愛(love)によって前進するために。他の人々(others)はこのレベルに達するために「苦難の道」に沿って発達しなくてはならないでしょう。

もし心の点が目立たなく、人々がその存在に気づかないなら、苦しみだけが彼らを前に進ませるでしょう。心の点は人々を前に引き寄せますが、苦しみ(suffering)は人々を後ろから押します。それはダイポール(双極子)に似ており、全ては何があなたを動かすかによります―それがトーラー(Torah)なのか、それとも苦しみ(suffering)なのかということです。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 2/3/13A Speech for the Completion of The Zohar”