余計なものは全てフィルターする

カバリストはその独自の経験からグループの法則を定めました。グループを創る目的はつながること、そしてクリエイターのようになることです。グループはこの状態を達成したいと望む人々が集まることで形成されます。そしてもちろん、グループは何故自分たちが存在しているかを理解すべきです。グループにはまだそのことを理解せず知覚しない新しいメンバーも含まれますが、しかし短期間の内に、私達はグループが存在している理由を説明し、そして非強制的に、私達は次第に彼らをこの状態へと導きます。

このグループは一つに統合されるべきです。そしてそのことにおいて、いかなる歪みもあってはなりません。それは管理者と、管理者に従う労働者からなる工場ではありません。カバラを勉強するグループにそのようなものはありません。全てが集合的・共同体的です。

私達は様々な異なる委員会をつくります。それらは奉仕と助け、グループの維持と組織、勉強・研究、祭日、食事の為のものなどです。これらすべては正確に、全ての個人と集団の基本的統合に適合するものであるべきです。私達は皆異なりますが、私達は全体として平等であるべきです。ある人が賢くてもう一人が愚かであることに違いはありません。誰もがあるがままに自然で、その固有な形態は必要不可欠なのです。

次のようなメカニズムを想像してみましょう。ある部分は速く動き、他の部分はゆっくり動き、右へ動くものあれば、左へ動くものあり、他は軸の周りを回っていたりします。誰もが彼独自の役割を持ち、重要なことは誰もが全体的なユニティ(統合・統一)のために彼のベストを尽くすべきであるということです。グループにおける他の条件は、その結果としてつくられます。

主要な条件とは相互援助であり、これが私達をつながりへと導くものです。なぜなら一人の人間には是正する箇所がないからです。私たちの一人一人は絶対的な全体であり、他者とのつながりという一つのもの以外に、堕落している箇所は何もありません。そのような訳で、私はある個人の性格や外見や、嫌な習慣や、他の何であろうと、それに注意を払うことはしません。このすべては私の関心ではありません。私はある種の「フィルター」を使い、これらすべてを見ないようにします。つまり誰々が赤毛であるとか、誰々がうんざりさせるとかイライラさせるとか、彼らが私を思い通りにしようとしても、しかし私は気にしません。私は「フィルター」の背後で、たった一つのことだけを見なければなりません。それはその人物が持つ、つながりやユニティに向かう態度です。というのも、これこそ私達が彼において是正すべき唯一のことだからです。もし彼がその線において働くならば、彼は私の友人です。しかしもし彼がそうでなければ彼は私にとって見知らぬ人です。

私達は他者とのつながり(コネクション)を除いて、私達の中にある何ものも変えようとすべきではありません。これは大変重要なことです。私達はこれに対して多くの時間と力とを浪費しています。私達は不必要なことに取り組むことは止めるべきです。なぜならこのようなやり方では、私たち自身を破壊し腐敗させるだけだからです。あなたはあなた自身の道に留まるべきです。1グラムのエネルギーたりとも無駄にすべきではありません。ただコネクションに投資しなさい。

このことが明らかになるとき、この仕事は柔和で相互的になります。それは食事になり、相互関係と愛の希求となります。私達は他の何ものにも注意を払うべきではありません。ただ一つの条件だけが存在します。私たちの間のつながりです。そしてグループは常にその注目をここに置くべきです。

私達の行く先には長い道のりが待っています。そしてそのはじめには多くの歪曲、間違った理解、苛立ち、爆発などが起こるかもしれません。しかし大切なことはたった一つです。それは人が真にユニティを希求しているか否かです。もしその人が自分の中のこの衝動を強めようと試みているなら、そのとき私は彼の他の問題すべてを自分自身に引き受けて彼を助けます。

From the Georgia Convention 11/06/12, Lesson 2

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